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公開年:2007年
公開国:中国、アメリカ
時 間:158分
監 督:アン・リー
出 演:トニー・レオン、タン・ウェイ、ワン・リーホン、ジョアン・チェン、トゥオ・ツォンホァ、チュウ・チーイン、チン・ガーロウ、クー・ユールン、ガオ・インシュアン、ジョンソン・イェン 他
受 賞:【2007年/第64回ヴェネチア国際映画祭】金獅子賞(アン・リー)、金オゼッラ賞[撮影](ロドリゴ・プリエト)
コピー:その愛は、許されるのか?
1942年、日本軍占領下の上海。普通の女子大生だったチアチーは、クァンという男子学生に秘かな恋心を抱き同じ演劇部に所属する。しかし、抗日運動に心血を注ぐクァンと行動を共にするうち次第に感化され、やがて日本の傀儡政府に協力する特務機関リーダーであるイーを暗殺を遂行する計画に参加する。貿易会社社長婦人に化けイー夫人に接近し、イーを誘惑する機会を窺うチアチーだったが、ターゲットのイーはは異常なほど冷静で用心深く…というストーリー。
戦乱のカオスの中、一介の学生たちが、政府レベルの組織の要人を暗殺しようと企てるハナシは、誤解を恐れずに言えばなかなかロマンを感じさせるハナシである。しかし、途中から性的な要素が加味されてから、生理的に気色が悪くなってくる。日本でいえば赤軍なんかの過激派にも観られたような、自陣への自傷(簡単に言ってしまえば内ゲバ行為なんだけど)が表出してくる。明確に共産思想集団ってわけじゃないんだけど(この場合は、対日・対国民党っスタンスだから同じカテゴリにしていいとは思うけど)、結局、外側の陣営に思うように攻撃が出来ない場合、身内を攻撃しはじめるこの精神構造、どうも理解できん。
#中国の人の、パーソナルスペースの距離感って近すぎるんだよね。日本人の身内と外部の線引きの感覚が、まったく無いんだろうな。
で、中盤を越えてから、話題になったような性的シーンのオンパレードなわけだけど。はっきり言うと、こんなあからさまな性描写は不要である。中国政府からの抑圧にあえて反抗してみたのかもしれないが、ここまで観も蓋も無いと、逆に性的な興奮はおこらないものなんだなと勉強になった。
(以下ネタバレ含む)
もしかすると、そういう性描写のタブーに挑戦したかったわけではなく、ラストに問題があったのかもしれない。それはどういう意味か。本作は、2時間半以上でものすごく長いのだが、ラストはさほど劇的な展開があるわけではない。で、愛に溺れたというか流された切なさや侘しさみたいなものを、ある意味耽美的な空気を漂わせて表現しないといけないところなのだ。しかし、どうもその空気感が出ていない。そうなると逆説的に、溺れちゃうような愛に説得力を持たせるしかない…ってことになってしまう。じゃあ、ドロドロと溺れていく様を描いちゃいましょ…って、そんなロジックだったのではなかろうか。ドロドロをこれでもかーこれでもかーと足してく。そして長くなる。でも、どうやったってトータルのボルテージ自体は低いんだから、さほど効果はない。そんなところか。
そのへんは、『ブロークバック・マウンテン』では表現できていているのだが、本作の段階ではまるでだめだね。
だから、最後も、馬鹿な女だなぁとは思うが、あまり同情は涵養されない。ああ、それだ。この同情を感じさせない演出の稚拙さが、イマイチさに繋がっているのだ(確かに、主役級の2人以外のキャラにも、感情移入できるようなキャラはいないんだよねぇ…)。
いやあ、ヴェネチアの金獅子賞をイマイチって言っちゃうワタシって(笑)。イヤ、でもダメなものはダメだ。2時間にまとめて同じクオリティだったら、まだ納得するけど、ワザワザこの長さにしてこれじゃね。
残念だが、世間で評価されるほどイイ作品ではなく、良作と及第点のうろちょろしているレベルだと思う(私はこういうテイストの作品は嫌いな方ではないので、そんな私がイマイチというんだからね…)。
#撮影技術やセット・衣装に対する評価は、ものすごく妥当だと思うよ。
公開年:1977年
公開国:香港
時 間:105分
監 督:チェン・チー・ホワ、(総監督)ロー・ウェイ
出 演:ジャッキー・チェン、ルン・ユァン、クム・カン、ユン ピョウ、ルン・ユァン、クム・カン、カム・カン 他
幼いころに殺された父の仇を討つために、少林寺の門弟になり過酷な修行に耐える小唖。ある日、寺の裏の洞窟に男が監禁されているのを発見。その男は10年前に少林寺の掟を破った為に拘束されていたのだが、食物や飲物を運ぶうちに仲良くなり、カンフーの手ほどきを受けるまでになる。また、日中は少林寺の館長の友人である尼僧からも拳法を学び、小唖はますます力をつけていき、とうとう「木人」に挑戦する日がやってくる…というストーリー。
関西に出張にいっていたのだが、無性に本作を観たくなったのだった。よく中川家がコントでやってるのを思い出したんだろうね。全然、ジャッキーの顔立ちが違って、整形したといううわさは本当みたい。本当に中川家のお兄ちゃんみたいな顔。
前半は稚拙な場面繋ぎが乱発され、後半になるとカンフーシーンに奇妙な編集が。黒澤明が、アクションシーンに緊迫感やスピード感を出すためにはコマを抜け!みたいなことを言っていて、実際にそういう編集をしているのだが、本作は、よくツボがわからないまま無造作にコマ抜きをして、変な感じになってる模様。
ストーリー面も、妙に登場人物が多くて、いささか異様。洞窟の男に尼僧はもちろん、酔っ払いの先輩や寺の館長、さらに仇とおぼしき謎の拳法の使い手に先代の大師匠。まるで、『NARUTO』を1シリーズを100分にまとめたくらいの、達人の波状攻撃。それこそ香港流のシナリオ本の無い撮影で、思いつきでシナリオを変遷していったんだろうということが窺える。
また、根本的に、タイトルでもある木人が実に珍妙で、動きのコミカルさはもちろんだが、木人自体にどれだけの意味があるのか、さっぱりわからない。
しかし、本作は、ジャッキー最初期の大傑作。これらヘンテコな要素に加え、“ご都合主義”以外の何者でもないストーリーを、とにかく大真面目に展開していくと、光が見えてくるものなのだ。『ザ・ワン』の時にも書いたが、閃いたアイデアが脳内でボケてしまうまえに、余計なことを考えずとにかく突っ走ることの大事さ、である。
映画のテクニックの稚拙さと、作品の面白さは、比例するわけではないといういい例である。
カンフー映画なんて観ないよという人がいるかもしれないが、娯楽としての映画に何が必要なのかが、はっきりわかる作品なので、観ておくべき一本だと思うので、お薦めする。
公開年:2004年
公開国:韓国
時 間:148分
監 督:カン・ジェギュ
出 演:チャン・ドンゴン、ウォンビン、イ・ウンジュ、コン・ヒョンジン、チェ・ミンシク 他
コピー:一緒に帰ろう…
1950年ソウル。恋人ヨンシンとの結婚を控えるジンテは、弟ジンソクを大学に進学させるために、一生懸命に働き、苦しい家計を支えている。しかし、6月25日朝鮮戦争が勃発。ジンテは、強制的に徴兵されてしまったジンソクを取り戻そうと後を追うが、一緒に徴兵されてしまう。兄弟はまともな訓練も受けないまま戦場へと送り込まれてしまうが、兄ジンテは、軍功を上げることで弟を除隊させようと考え…というストーリー。
昨今の朝鮮半島情勢の雲行きの怪しいなか、あえてチョイス。
色々、言いたいことはあるのだが、まず、映画のテクニカル的な部分に、先に言及しておく。戦場(特に市街戦)のセットは非常によく作ったなと感心。フィジカルなダメージ表現も、目を背けたくはなるが、ストーリーの重みに水を差すことなく、よく仕上がっていると思う。日本映画界には、このクオリティの作品をつくるのは、無理かな。残念ながら根気もテクニックもないのではなかろうか。一点注意しておくが、心臓の悪い人は観ないほうがよい。それはグロいシーンがあるという意味ではなく“音”。突然、大ボリュームの爆発音が出る場面が多々あるが、尋常ではない(ちょっと悪意を感じるくらい)。観ないほうが…というか総じてボリュームは下げたほうがいいというのが、正しいか。
で、一番、印象に残っている点(というか、私の目にはものすごく奇異に映った点)なのだが、戦場にアメリカ兵が1人たりとも居ないことである。これは何を意味するのか。
実際問題、そんなことはありえないはず。ほぼ共同作戦のようなものだから。中国人民軍は登場するくせ、米兵は出てこない。アメリカ海兵隊が上陸したとかそういう情報は語られるが、米兵は出てこない。本作は、韓国内で大ヒットになったわけだが、その点をおかしいと指摘する人はいなかったのだろうか。見事になにもなかったようにこの点は無視されたのではないかと、私は思っている。正直なところ、これが何を意味するのかは、私自身整理がついていないが、あくまで私見として書く。単に同胞と殺しあっただけなら正視できるが、アメリカと一緒に(というか、アメリカの指揮下で)同胞と殺しあったことは、彼らにとって正視できないことがらなのではなかろうか。つまり、“やらされて”同胞と殺しあったということが。イデオロギーの違いとはいうけれど、実際に戦っている本人たちは、そんな了見で戦っているわけではなく、はじめは成り行き、その後は積み重なった私怨をエンジンとして殺しあった。それも同じ文化で言葉も普通に通じ合う同胞と。
#ちなみに、翌年製作された『トンマッコルへようこそ』でも、アメリカ兵こそ出てくるが、韓国軍と一緒に白兵戦をしているシーンはない。
この歴史的経験は、大きな傷になる。これはある意味、自文化を自らの手で破壊したともいえ、このような経験をすれば、問題がおこるとその原因を自分以外に原因を求めるようになるし、他文化に執拗なまでにこだわりをみせることに繋がるだろう。これを言うと、元々は日帝のせいだ!となるので議論にもならないのだが(するつもりもないんだけど)、単に戦争のむなしさといういう以上のものが、心を占拠する。
今回の騒動も、安保理に話をもっていくようだが、同じように、世界情勢がそうだから…という流れで、“やらされた”感や“しかたない”感で、同胞が争うことにならないことを祈ろう。同じく傷つくとしても、釈然としないまま手を血で染めることを、またもや繰り返したら、完全に狂ってしまいかねない。
最後の兄の正気の失いっぷりは、ちょっとご都合主義と感じるけれど、概ね映画としては評価できる(というか“したい”かな)。ただ、もろもろ引っかかりは感じるはずなので、それも含めて丸抱えする覚悟で観ることをお薦めする。
公開年:2003年
公開国:韓国
時 間:124分
監 督:イ・ジェヨン
出 演:ペ・ヨンジュン、イ・ミスク、チョン・ドヨン、イ・ソヨン、チョ・ヒョンジェ、チェ・ソンミン 他
コピー:一途な愛か。禁断の誘惑か。
18世紀末、李朝末期の朝鮮。ユ長官の妻チョ夫人は子宝に恵まれず、16歳の娘ソオクを側室に迎えることに。チョ夫人は一計を案じて、初恋の相手でもある従兄弟のチョ・ウォンに、ソオクを誘惑して婚礼前に妊娠させよ、その見返りとして自分の体を褒美とする、と持ちかける。チョ・ウォンは文武に秀でているが、高官になることを嫌い、書画を楽しみ、女たちとの戯れに生きる男だったが、そんな小娘を落とすのは簡単すぎてつまらないと一蹴。今、自分が目を付けている貞淑な未亡人チョン・ヒヨンを落とせたらを引き受けようと自ら条件を出し、2人の恋愛ゲームが始まる…というストーリー。
ラクロの『危険な関係』を下敷きに…ということだが、大筋のプロットはそのまま踏襲しているようだ。
根本的にこういう不倫モノはあまり興味がない。こういうタイプの映画が次々と記録更新!って、韓国ってどういう国じゃ…っていいたいところなんだけど、日本だって『失楽園』みたいなのが流行ったしね。要するに、個人的に好みじゃないということなんだな。
残念なことに、プレイボーイぶりが面白く見えた部分は一切なく、逆にイライラするばかり。最終的に真実の愛に目醒めた…みたいな心理描写も、演技や演出で表現するのではなく、セリフで説明しちゃうという稚拙っぷり。コミカルにするでもなく、シリアスにするでもなく、腰の据わっていないシナリオだ。狂言回しの家来の使いかたも取って付けたようで効果半減。この質の悪いシナリオのせいで、単なる“画が綺麗なエロ映画”に成り下がってしまっている。
ただ、厳格な(といわれる)李氏朝鮮を舞台にしたことは、背徳感の増幅に繋がって効果的で、その狙いは当たりだろう。なので、R-18になっちゃうまでに直接的な性描写にする必要はなかったと思うのだが、皆さんはどう思うか。
まあ、その前に、ペ・ヨンジュンが、松尾スズキのモノマネをするホリケンにしか見えないのが、もうちょっとなんとかならなかったものか…。
18世紀末の韓国に、切削でつくったような金属器やスプーンがあったり、清で使われているような刀ではなく、日本刀のような形状だったり、カトリックの聖餐でつかうパンが今使われているものと同じだったり、あんな小型の置時計があったり、あんな美しいカラー木版印刷技術があったり。知らなかったぁ。勉強になったなぁ、、、と、とりあえず言っておくか(まさか、時代考証がむちゃくちゃってことはないだろうな。おい)。
ちゃんとした映画になるはずのところを、“エロ”表現の壁を破るという履き違えた目的に捉われてしまい、結果的に迷走してしまった作品。お薦めしない。
#『カサノバ』のほうが楽しめた。
公開年:2005年
公開国:アメリカ
時 間:韓国分
監 督:パク・クァンヒョン
出 演:シン・ハギュン、チョン・ジェヨン、カン・ヘジョン、イム・ハリョン、ソ・ジェギョン、スティーヴ・テシュラー、 リュ・ドックァン、チョン・ジェジン、チョ・ドッキョン、クォン・オミン 他
コピー:笑顔が一番つよいのです
1950年代、朝鮮戦争。山奥深くにある人里と隔絶された村トンマッコルに、アメリカ人パイロットのスミスが操縦する飛行機が不時着する。さらに、道に迷った韓国軍兵士2人と人民軍兵士3人も村にやって来る。村で顔を合わせた両軍兵士は、一触即発の状態に陥るが…というストーリー。
前日の『王の男』が良かったので、連日の韓国作品。
『王の男』と同じように、画作りのセンスがすばらしい。画面内への人物や構造物の配置の仕方、そして照明の当て方が秀逸。奥行きを感じさせ、かつ集中すべきがどこなのかメリハリをはっきりしている。カメラを動かしてのカットも多いが、緊張感を増すいい効果を出せている。
なんか音楽が久石譲っぽいなあぁ。パクりか?とおもったら本当に久石譲だった。でも、村のシーンだけに限定して久石譲の音楽を使えばよかったかな。米軍の作戦部隊での音楽は全然マッチしていなかった(そこはBGMなしでよかったね)。
ストーリーについて少しだけ苦言。アメリカを悪者扱いにして、目を逸らそうとしている感じがして、若干気持ちが悪い。民族分断は外国のせいで、われら民族は悪くないというメッセージに感じる人もいるだろう(実際、そう思ってるのかどうかは知らないけど)。その誹りを避けるために、村を攻撃にくるのは、米軍単独にすべきではなく、米韓の合同作成にしたほうがよかっただろう(まあ、米軍と韓国軍が同等の立場で作戦遂行すると、逆に史実的にリアリティがなくなってしまうかもしれないけど)。
等々、文句も言ってみたが、基本的にアイデアは良いし、両軍兵士が仲良くなっていくさまは心温まるし、非常に楽しめた。もしかして夢オチだったりして…と思ったりするくらい、これってどういうオチにするのかなぁ…と、色々考えた。結果的にうまくまとめたと思う(あくまで、もうちょっとこうすれば、文句なしに楽しめるのにね…という文句だと思ってほしい)。最後の8mmフィルムの演出もいいと思う。とにかく、大事に大事に入魂につぐ入魂で創られた作品に見えて、好感が持てる。ジャケットの写真が、ちょっとチョケた感じで、コメディっぽいと思って、スルーしていた人もいるかもしれないが、全然違うので、強くお薦めしたいと思う。
脚本は、なんとかあと15分削って2時間以内に収めるべきだったとは思う。いろいろ思い入れが強すぎて、カットできなかったのかもしれない。
公開年:2005年
公開国:韓国
時 間:108分
監 督:イ・ジュンイク
出 演:カム・ウソン、イ・ジュンギ、ユ・ヘジン、チョン・ジニョン、カン・ソンヨン、チャン・ハンソン、ユ・ヘジン、チョン・ソギョン、イ・スンフン 他
コピー:それより奥は、見てはならない。
16世紀初頭。旅芸人一座の花形チャンセンと女形コンギルは、コンギルを男娼扱いする座長を殺し逃走。漢陽の都にやって来る。そこで王の悪評を聞いたチャンセンは、王を皮肉る芝居を演じ、民衆の人気を得たが、王の重臣に捕らえられ、王の前で芝居を披露し笑わせなければ死刑だと宣告される。ところが、妖艶なコンギルの芸が王を虜にし、王を笑わせることに成功、彼らは死刑を免れ、宮廷お抱え芸人となるが…というストーリー。
冒頭には若干の難点がある。まず、チャンセンはコンギルが男娼扱いされることに、烈火のごとく怒るわけだが、芸を披露中の様子を見るに、そういう扱いをされたの初めてではなさそうである。なんで今になってこんな極端な反応をするのか?彼の性格なら、一度たりともそういうことは許さなそうなのだが…。違和感が拭えなかった。
そしてもう一点。彼らの芸は風刺喜劇なんだと思うが、いくら昔の設定だからといって、あまりにも笑うツボが判らないのだ。映画のつかみの部分なので、当時の芸らしくなくてもいいから、もうちょっと現代の観劇者が面白いと思うようにしたほうがよかっただろう。さらに、そのつまらなさを助長しているのが、日本語吹き替え音声。360度にいる客に聞いてもらうための、声の張り方や話し方ではなく、まったく大道芸人らしくないのだ。吹き替え音声だからって、もうちょっと気を使ってもらいたいものだ。
で、目立つ難点はそんなもんで、あとのデキはかなり良い。
まず、画に力がある。画質もアングルもかなりレベルが高い(うまく表現ができないので是非観て確認してほしいのだが、“メジャー然としている”と言っておこう)。残念ながら、今の日本映画にこんな画を作り出す力はないような気がする。本作のカメラマンの能力が高いというわけではなく、韓国の技術系スタッフの総合力が高いのだと思う。もし映画の製作者を目指すならば、韓国で勉強させてもらうといいのかもしれない。
本作を紹介した文章があまりよろしくなく、なにか王様を笑わすための苦心する芸人の話のように読めるたりするのだが、そうではなくって、政治に利用され翻弄される芸人の話である。なかなか厚みのあるシナリオで、かなり引き込まれた。ラストもほどよい余韻を感じさせ、なかなかのセンスを感じる。
本作に出てくるヨンサングンという王様は実在の人物で、暴君として有名なようだ。実際の歴史を知っていれば、より楽しめたと思う(まあ、この王様の後が、チャングムの王様らしいしね)。
総合的によくまとまった作品。お薦めします。韓流はあまりみないという方も、たぶん大丈夫。
公開年:2009年
公開国:香港
時 間:90分
監 督:イップ・ウィンキン
出 演:サモ・ハン・キンポー、ヴァネス・ウー、加護亜依、ラム・ジーチョン、チェリー・イン、ブルース・リャン、ルイス・ファン、ティミー・ハン、バービー・スー 他
コピー:ニク汁たっぷり。愛情たっぷり。どうぞ召し上がれ!!!
シェフのピンイーは、かつて村を去った兄の息子ジョーの陰謀で村を追われた。やがてピンイーは、ピンチーの料理の師シェンを訪ねてレストラン“四海一品”を訪れたが、娘のチンとインが父シェンの遺したこの店を守っていた。しかし、料理人に恵まれず、店の未来は暗い。ピンイーは成り行きから料理長として店の立て直しに手を貸すことに。そして、同じくシェンを訪ねてきた料理学校を卒業したての青年ケンが、ピンイーの下で修行に励むことになったが…。
加護亜依が出たことと、プロモーションでちょいちょい日本の番組に出たサモ・ハン・キンポーが、とてもサモ・ハン・キンポーに見えなかったことが、印象的だった本作であるが、いずれにせよ、本作を観るきっかけにはならなかったことだろう。
本作を観ると、サモ・ハン・キンポーはサモ・ハン・キンポーだったけどね(演技は演技、ビジネスはビジネスと、しっかりメリハリがあるのね)。
まあ、それはそれとして、本作は料理・厨房シーンが盛りだくさんなのだが、ちょっと不快。それは、料理がまったくおいしく見えない点と、料理知識がむちゃくちゃなこと。玉子焼きをふんわり作るコツは、空気をたくさん含むこと???泡立つほど混ぜたら逆に硬くなるでしょ。タイの刺身をうまくつくるために包丁を凍らせる?なんだそりゃ?
日本の料理漫画や映画の料理シーンは、プロによる料理についての監修をしっかりやるのだが、食文化にプライドのある香港の映画がこの有様とは。いくらアクション映画だからといって、これはひどいだろう。本当に出てきた料理がなに一つ、おいしそうに見えたものはない。料理人の所作が非常に汚いのもよろしくない。香港の人にはおいしく見えるのだろうか(文化の違いだったら申し訳ない)。
ストーリー的には、もう一人の主役である青年ケンのキャラがまったくたっていない。サモ・ハン・キンポーや四海一品の姉妹ががんばる理由はなんとなくわかるんだが、なんで、ケンががんばるのかというバックボーンが全然見えないので、料理対決に感情移入ができない。
結果をいうと、かなりの駄作である。時間の無駄なので、観る必要はまったくない。この期に及んで加護亜依の猛烈なファンという人だけが観ればいいのではなかろうか。
#おそらく日本ジャケットだけだと思うが、加護亜依中心の画像は、実にばかばかしい。
公開年:2008年
公開国:タイ
時 間:93分
監 督:プラッチャヤー・ピンゲーオ
出 演:ジージャー、阿部寛、ポンパット・ワチラバンジョン、アマラー・シリポン、イム・スジョン、タポン・ポップワンディー他
コピー:この蹴りに世界がひれ伏す!!!!!!!!
日本の大物ヤクザとタイ人女性ジンを両親に持つ少女ゼンは自閉症だったが、たぐいまれな身体能力の持ち主。ビデオで観たアクションをすぐに自分の技にできるほど。成長したゼンは、最愛の母ジンが白血病に冒されていることを知り、多額の治療費を工面するため、母ジンが金を貸していた人々を訪ねて回収をしようと考えるのだったが…というストーリー。
『マッハ!!!!!!!!』のピンゲーオ監督の作品。正直なところ『マッハ!!!!!!!!』の後の『七人のマッハ!!!!!!!』(製作)も『トム・ヤム・クン!』も、大して変わり映えがなかった(というかむしろグレードダウンしていた)ので、まったく本作も期待していなかった。ただ、主人公が女性という点と、阿部寛が出演しているという点と、本国のタイでは『マッハ!!!!!!!!』の動員記録を塗り替えるほどヒットしたという情報から、一縷の期待を抱き鑑賞に至る(別に阿部寛のファンということではなくて、東南アジアの映画がピンポイントで一人の日本俳優にオファーするということは、あまり無かったように思われたので興味が)。
本作を観終わった後、実に複雑な気持ちにさせられてしまった。まず好意的な面を先に。比較的低予算な映画として評価すれば、負ける日本映画は多いだろう。比較しやすいアクション映画を例に出せば、『少林少女』などは完全に負け。細かいところはともかくとして、観客をストーリーに引き込む力は圧倒的に本作が上である。ストーリー運び、カット割り、無駄を極力排除した編集の力などが長けているのだろう。漠然とした表現になってしまうが、“いい雰囲気”が作れている点においては、今の日本映画ではなかなか勝てるものは無いかも…とまで思わせる。
続いて否定的な面。『マッハ!!!!!!!!』『七人のマッハ!!!!!!!』『トム・ヤム・クン!』を通して、この監督の作品に共通する点なのだが、終盤が(大抵はボスとの最終決戦だが)、すべてグダグダなのだ。本作も同様。正直、またかよ…と思ってがっかりしてしまった。基本設定や最終決戦に至るまでプロセスは明確に頭に描けているのだろうが、オチはぼんやりしたままで製作を進めているのだろう。これでは話にならない。どのくらい話にならないかというと、落語の「まんじゅうこわい」を例にしてみよう。まんじゅうを怖いという変わったヤツがいる。いたずらのつもりでどんどん饅頭を投げ入れる。怖い怖いと聞こえてくるので面白がる。とはいいながらも、様子がおかしいので覗いてみると、実はまんじゅうは大好物でをパクパク食べている。
普通は、この後「本当はいったい何が怖いんだい?」と聞き「おいしいお茶が怖い」というオチになるのだが、この映画では、「こら!だましやがったな!」「わぁー、ばれたー」といって終わるようなレベルなのだ。工夫もヒネリもない(細かいことを言えばキリが無い。日本への手紙をストップできる力をもつタイマフィアのボスが、なんでケリをつける気になったのか、その心変わりのプロセスがよく分からない。阿部寛が死んだんだか死んでないんだか良く分かららない演出で、その意図が中途半端。最後のアクションはメリハリがなくただただ長い)。
そのくらい、オチがグダグダだと思っていただければよい。観終わった後に、カタルシスを得ることを期待してはいけない。
あと、良い面でも悪い面でもないのかもしれないが、主人公が障碍者という設定から、日本でのTV放映はないだろうと思われる。「お嬢さんには脳の障害が…」と言われているが、表面上の症状は自閉症のようだし、実際どういう障碍なのかは良く分からない。障碍に対して無知と思われも仕方が無い面があり、いくら映画とはいえこういう扱いは、ちょっと視聴者には許容されないだろう。
ちなみに、原題はCHOCOLATEなのだが、べつに映画にでてくるマーブルチョコレートがストーリー上重要なわけでもなく、印象的なアイコンというわけでもない。むしろシリカゲルのほうが印象的。ピンとこないタイトルだ。
このように功罪両面を含んだ、色々考えさせられた映画ではあったが、自分のベスト映画300本リストを作れといわれて、本作をいれる人は少ないだろう。そういうレベルの作品だと思う。それが私の評価だ。ただ、頭が疲れていて、あまり考え事をしないで、軽い気持ちで、ぼーっと夕暮れに見る作品としては、なかなかありだとは思う。
最後に、一鑑賞者が偉そうなこといって申し訳ないが、ピンゲーオ監督には、オチを締める能力を早く身につけてもらいたいものである(国内の評価で天狗になってもらってはいい迷惑である)。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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