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公開年:2001年
公開国:アメリカ、ニュージーランド
時 間:208分
監 督:ピーター・ジャクソン
出 演:イライジャ・ウッド、イアン・マッケラン、リヴ・タイラー、ヴィゴー・モーテンセン、ショーン・アスティン 他
受 賞:【2001年/第74回アカデミー賞】撮影賞(アンドリュー・レスニー)、作曲賞(ハワード・ショア)、メイクアップ賞(Richard Taylor、Peter Owen)、視覚効果賞(Richard Taylor、Jim Rygiel、Randall William Cook、Mark Stetson)
コピー:宇宙を変えた指輪のものがたり
はるか昔。冥王サウロンは世界を滅ぼすほどの魔力を持つ指輪を作り出す。中つ国は、その指輪の力でサウロンに支配されたが、一人の勇者がサウロンの指を切り落とし、国を救った。その後数千年間、指輪は行方不明になっていたが、ある日ホビット族の青年フロドの手に渡り、指輪を取り戻そうとするサウロンの部下が迫る。世界を守るためには指輪を“滅びの谷”に投げ込み破壊するしか方法はない。そこでフロドを中心とする9人の仲間が結成され、遥かなる道程の旅に出る…というストーリー。
今回は、スペシャル・エクステンデッド・エディションというものすごい長尺版で鑑賞(通常版より30分くらい長い)。DVDのタイムコード自体は3時間45分くらいあるのだが、エンドロールが25分くらいあるので実際は3時間半弱。もちろん初見ではない。もうTV放映も加えたら5回くらい見ているかも。
公開当時、劇場で観たが、そのときはいまいちストーリーが把握できず、思い起こしても所々???だったのだが、その後、このスペシャル・エクステンデッド・エディションを観て、すっきり腑に落ちた。さすが長大な原作なだけはある(というか、私の理解力が足りないのか)。
で、なんでいまさらこれを観たのかというと、先日の『宇宙からのメッセージ』の特撮のあまりのトホホぶりに辟易して、この心のやるせなさをなんとか補おうと…。
CG一辺倒ではなく、スターウォーズから脈々と流れるSFXの技術も極まり、身長差のある種族が同じ画におさまるカットも至極自然。特撮シーンをみて「ああ、特撮だなあ」と思わず、純粋に魔法だな…と思えるわけで、もう特撮の目的を究極的に実現したといえる。すばらしい。
日本映画でも(どの映画とは言わないが)、城郭や戦後日本の風景をCGで表現して、“すごいでしょ!”といわんばかりなのだが、子供が観ていて「これCGだね」っていうんだから、そのレベルたるや言わずもがなでしょ。もう少し、こちらをうまいこと騙してもらえないものか。根本的に、こちらはCGを観たい訳ではないのだから、わからないように使って欲しい。それができないなら、カキワリでいいのだ。それでもダメなら、そんな風景カットはいらないのだ。技術に溺れているというか、その技術をなぜ使うかという本当の目的を忘れているトンチキ野郎。「あ、CG」って思うだけで、映画の世界から現実の世界に、ひゅーと引き戻されるのだから、逆効果になっていることにすら気付かない。こまったものだ。
毎日、同じことを言っているが、もう少し、映画技術を使う意味、そして技術自体に対する敬意を、日本の映画関係者は思い出したほうがいいよ。
ちなみに、このスペシャル・エクステンデッド・エディションは、購入した知り合いから借りて鑑賞した。正直なところ、一度観た人は通常版でよい。さすがに長かった。未見の人、ファンタジー系に興味がない人も、是非観てほしい。
#つづけて2・3は観ないよ。私は、このシリーズの真の主人公はサムだと思ってる。
公開年:2004年
公開国:アメリカ
時 間:142分
監 督:アルフォンソ・キュアロン
出 演:ダニエル・ラドクリフ、ルパート・グリント、エマ・ワトソン、ゲイリー・オールドマン、ロビー・コルトレーン 他
受 賞:【2004年/第58回英国アカデミー賞】観客賞
コピー:僕らは、変わる。
公開年:2005年
公開国:アメリカ
時 間:157分
監 督:マイク・ニューウェル
出 演:ダニエル・ラドクリフ、ルパート・グリント、エマ・ワトソン、トム フェルトン、スターニスラフ・イワネフスキー 他
受 賞:【2005年/第59回英国アカデミー賞】プロダクションデザイン賞(スチュアート・クレイグ)
コピー:[闇の帝王]現る。
ハリー・ポッターシリーズの3作目と4作目。
家に帰ると家族が、この2作を連続で観ていたので、一緒にみることにした(なんでこれを観たくなったのかは理由不明。もう何回も観てるんだけどね)。『ハリー・ポッターと謎のプリンス』のレビューの時に、原作2冊分を詰め込んだ弊害について書いたが、3作目の原作は1冊。4作目の原作は2冊で、詰め込み始めの端境期になるので、違いを比べるのちょうどいいだろう。
まず3作目。やはり、6作目に比べると慌しさがなく、1シーンごとが丁寧に描かれている印象だ。お子様がきちんと付いてこれるように、伏線になっている部分を印象的なカットにする工夫が見られる。意外なことに、今観かえすとCGは結構お粗末に感じなくもないのだが、まあご愛嬌だろう(どうも1作目のケンタウロスもそうだったが、クリーチャーデザインが、どうも気に喰わないなのだが、まあ、それは私の好みの問題かも)。1・2・3とパワーダウンしている感は否めないがファミリー向け映画としての配慮を強く感じられて好感が持てる。
4作目は、演出云々よりも、シナリオにかなり苦慮したことが伺える。恋愛がらみは極力残しつつ、トーナメントとクラウチの息子がらみの部分を主軸に、あとは省けるところは省いたという所だろう。おそらく4作目からお子様の半分近くが付いてこれなくなっているに違いない。どうしても3作目にはあった伏線部分の丁寧さが欠落しているし、淡々とエピソードを盛ることになっているので、ストーリーの流れの波に強弱がなく、ヘタすると眠ってしまうかもしれない危うさがある(原作も読んでいるし、劇場でもみたはずなのだが、今回観かえして、ああ、これはあの伏線になっていたのね…と改めて思う部分も多々あり)。
ここまで観て、どうもあることをしようとしているな…と気付いた。おそらく7作目ができたところで、『ロード・オブ・ザ・リング』のスペシャル・エクステンデッド・エディションのように長尺版をリリースするに違いない。それもDVDは2枚組み。ブルーレイは1枚で…という形態にして、ブルーレイの販促に一役買うことだろう。
『ロード・オブ・ザ・リング』は、劇場で見たときには、よくわからなかった部分があったのだが、長いスペシャル・エクステンデッド・エディションを観て、ああ、そういうことね…と話を理解したのを思い出した。
『ハリー・ポッター』の詰め込みすぎ問題は、そういう形で解消され、名作シリーズとして世に残ることであろう。
#やっぱり、長いシリーズなので、観帰すと色々発見がありますな。4作目は次回作でたくさん登場するキャラクターがいっぱいでているので、いい復習になった。
公開年:2008年
公開国:アメリカ
時 間:154分
監 督:デヴィッド・イェーツ
出 演:ダニエル・ラドクリフ、ルパート・グリント、エマ・ワトソン、ジム・ブロードベント、ヘレナ・ボナム=カーター、ロビー・コルトレーン、ワーウィック・デイヴィス、マイケル・ガンボン、アラン・リックマン、マギー・スミス、ティモシー・スポール、デヴィッド・シューリス、ジュリー・ウォルターズ、ボニー・ライト、マーク・ウィリアムズ、ジェシー・ケイヴ、フランク・ディレイン、ヒーロー・ファインズ=ティフィン、トム・フェルトン、イヴァナ・リンチ、ヘレン・マックロリー、フレディ・ストローマ、デヴィッド・ブラッドリー、マシュー・ルイス、ナタリア・テナ、ジェマ・ジョーンズ、ケイティ・ルング、デイヴ・レジーノ 他
ハリー・ポッターシリーズの第6段。魔法省でのヴォルデモート達とダンブルドア軍団の戦いを経て、ヴォルデモートの復活が周知なった前作の続きである。
私は、あまり小説を読まない人間なのだが、ハリー・ポッターだけは全部読んでいる。1作目の映画を観たときは、よくもここまで原作どおり映像化したものだと感心したものだったが、回を重ねるごとに感動は減っていき、原作が上下間になった4作目からは、詰め込み具合が激しくなった。そしてとうとう6作目の本作は、劇場に観にいかなかった。
もう、ただただ原作のエピソードを盛り込むだけの映画に感じてしまい、純粋に映画として楽しめなくなったのが原因だ。
そんな感じで期待はしていなかったのは事実なのだが、ただ、6作目はラス前の大転回と次作の伏線のオンパレードなので、うまいことつくってくれないと、シリーズ自体が台無しになってしまう。
監督は、前作と同じ監督だが、結果からいうと本作はかなりうまいことデキたといってよいだろう。
やっぱり次作を見たときに、「ああ、前作のあれね…」とならなければいけないポイントが多いので、特徴的に見せて、記憶に残さないといけない。かといってその羅列では前作までと同じ単なるく詰め込みになってしまうので、カット割りや編集をよく工夫することで、それを回避できている。いや、その分、実際に上映時間は長いじゃないかという突っ込みがありそうだが、2時間半を超える作品とは思えないほど、あっという間に時間は経過した。
原作では、恋愛関係のくだりがすごく多いのだが、映画ではかなり軽減されている。読んでいて、ものすごくうっとしかった部分なので、スッキリ。
ただ、難点はある。原作を読んだときに感じた“痛み”の表現がいまいちである。心の“痛み”とか、そういうセンチメンタルな話ではなく、物理的な痛みのことである。例えば、ダンブルドアの黒くなった手。もっと痛々しいくらい黒く細くミイラみたいなイメージだった。また、学校に向かう列車の中でマルフォイに顔面を蹴られるハリー。ヤバいやられる!的な感じがまったくない。そのた魔法やボディーコンタクトの部分は、全部ふわっとした感じ。
まあ、そのかわりにホラー映画ちっくな、ドッキリ演出を加えている。ちょっとお子様は、ハリー・ポッターが怖くなってなっちゃったと思うかもしれないね。
本作自体のデキとは無関係だが、いままで見ていない人は、このタイミングで一気に見てしまうのがいいだろう。これなんだっけ?状態になった人も、次回作までに見直すのがいいだろう。良い大団円に向かっている予感は感じさせてくるデキだといっておこう。
公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:95分
監 督:ザック・ヘルム
出 演:ダスティン・ホフマン、ナタリー・ポートマン、ジェイソン・ベイトマン、ダニエル・ゴードン、ザック・ミルズ、スティーヴ・ホイットマイア、テッド・ルジック、マイク・リアルバ 他
コピー:ようこそ、誰も見たことのない世界初の映像ワンダーランドへ!
マゴリアムおじさんのおもちゃ屋は誰も見たことのない不思議なおもちゃでいっぱい。でも、マゴリアムおじさんがモリーに店をゆずると宣言してから、おもちゃたちは反乱を起こし危機が…というストーリー。
まず、世界観と設定が掴めない。“ようこそ、誰も見たことのない世界初の映像ワンダーランドへ!”というコピーが、少しはずかしいくらい、魔法のギミックにオリジナリティを感じない。
ハリーポッターの1作目を観たときは、あの原作をよくつくったと思ったし、これは読んでいなくても面白いだろうなと思ったものだが、本作は読んでいないとつらいのかも(読んだからといって面白くなるとは思えないんだけれど…)。
私の感性が鈍いのか。木のキューブとか、話かけようとしてるサルのぬいぐるみとか、紙飛行機とか、なんでおもちゃ屋をやめなくてはいけないのかとか、やめるのになんで会計士をよばなくてはいけなかったのかとか、何かの伏線になってるのかなっていないのか、全然わからなかった。勢いのある設定・脚本だと、置いてきぼり感が逆に楽しい…って感じになるんだけど、残念ながら本作では、置いてきぼりは、ただの置いてきぼりだ。伏線をきちんと張るっていうのは基本中の基本だと思うんだけどね。
『主人公は僕だった』の脚本家が監督なんだけれども、同じセンスの人の成せる業とは思えない(『主人公は僕だった』はおもしろかったんだけどねぇ)。魔法とかを扱うモノって、ワクワクするものなんだけど、それが無いっていうのは致命的かな。
おもちゃの反乱っていったって、反乱をおこす前に、おもちゃ側のキャラが確立しきっていないので、ただガチャガチャしてるだけだしね。『チャーリーとチョコレート工場』の5分の1くらいしかワクワクしない。おそらく子供がみても30分くらいで飽きると思うな。お薦めしない。時間が短いのが救い(なんて感想を抱く時点でダメなんだけどね)。
唯一の救いは、本作のナタリー・ポートマンがかわいく撮れていることかな。華奢な肩の感じとか(好みは分かれると思うが)。
余談。主要キャラにユダヤ系が多いのは、なんでかな(原作はそうだから?)。魔法使いのくせにユダヤ系のお墓っぽいし、なんなんだろう。他意はあるのかな?
公開年:2006年
公開国:アメリカ
時 間:109分
監 督:M・ナイト・シャマラン
出 演:ポール・ジアマッティ、ブライス・ダラス・ハワード、ボブ・バラバン、ジェフリー・ライト、サリター・チョウドリー、フレディ・ロドリゲス、ビル・アーウィン、ジェレッド・ヘアイズ、ブライス・ダラス・ハワード、ジェフリー・ライト、M.ナイト・シャマラン 他
受 賞:【2006年/第27回ラジー賞(ゴールデン・ラズベリー賞)】ワースト監督賞(M・ナイト・シャマラン)、ワースト助演男優賞(M・ナイト・シャマラン)
コピー:「急いで。ハッピーエンドまで、もう時間がないわ」
アパートの管理人クリーブランドの前に、おとぎ話に登場する水の精霊が現れる。彼女は「青い世界」からある目的のために人間界にやって来たのだが、怪物に追われており、目的を果たせないと自分の世界に戻れないという。クリーブランドは、アパートの住民たちの協力を得ておとぎ話に語られる協力者を集め、彼女が無事に戻れるように手助けしようとするが…というストーリー。
公開当時、あのシックス・センス、サインのM・ナイト・シャマラン監督が送る!みたいにCMで煽り、ハードル上がりまくったせいで、逆に、多くの鑑賞者を失望させ、評論家からメタメタにけなされた本作。実は、以前にレンタルして観始めたのだが、途中で止めてしまったことがある。今回は再チャレンジ。
シックス・センス的な展開を期待して観ると、そりゃあこの映画はぜんぜんおもしろくないだろう。ああいったオチで見せる映画ではないのだから。これは、宣伝手法にも大いに問題があっただろう。
まあ、それはそれとして、シャマラン監督がつくったファンタジーなのだ…ということを心に留め置いて観ることにした。しかし、6割くらいまでは、なんとか我慢できたが、それを過ぎると、もうどうにもならない。
とにかく、シナリオがふらふら迷走していて、何を伝えたいのかわからないのだ。ファンタジーならば、なにか寓意みたいなものが見えてくるものだが、見えない。
箇条書きにする。
・水の精霊が現れて目的を果たすまでをひとつの冒険譚と見ることができるが、その過程・謎解きの仕掛けがぜんぜん面白くない。
・ヒーラーが癒しながら、実は自分が癒されているというわけだが、「他人を癒すことは自分を癒すことに繋がる」、、という説教くさいメッセージなのか?そうしたいなら、管理人の心の傷の部分をもっとクローズアップしなくてはならないのではないか。
・これから書く本によって、将来の革新に影響を及ぼすというくだりは、シャマラン本人の願望か?それをストレートに映画にして、さらに監督本人が演じるというのは、あまりにも気持ち悪くないか?(そういうのも含めてラジー賞なのかな)
・映画評論家を殺したが、何か意味があったのか?ストレス解消か?その本作自体がクソミソに評論されることになるという、壮大なコメディだったのか?(そういうのも含めてラジー賞なのかな(笑))
・協力者と運命付けられている人がいたり、精霊が未来を告げたり、予定説的な宗教観の押し付け?自由意志の否定?
特に、最後が気に喰わない。『サイン』のラストは私のお気に入りなのだが(別途レビューする)、『サイン』で感じさせてくれる、神か何かはわからないが大いなる意思の実感のようなものが、本作で、妙にはっきりした運命を司る神になってしまう。実も蓋もない。なにか『サイン』のよさを汚されたみたいで、実に不快。
シャマラン監督の中にある雑多のものを、未整理のまま放り込んでしまっており、1本のテーマが見えない。申し訳ないが、このように、とりあえずまとめてみた程度で誤魔化されるほど、世の中の人は馬鹿ではない。
次作の『ハプニング』で汚名返上できるかと思ったが、上塗りしてしまったところをみると(これも別途レビュする)、脚本を作る能力に限界がきたのだろう。『ヴィレッジ』、本作、『ハプニング』と3アウトで空振り三振ですからね。シャマランは、『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』のシナリオに参加する予定だったようだが、断ったみたいだね。一度、別の監督の仕事を見るというのは、彼にとっていいチャンスだったろうに。
残念ながら、本作は観る必要はない。あなたの人生になにももたらさない。彼に監督させようというプロデューサは、もういないのではないだろうか。まあ、私が心配するようなことではないが。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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