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公開年:1982年
公開国:イギリス
時 間:93分
監 督:ジム・ヘンソン、フランク・オズ
出 演:スティーヴン・ガーリック、リサ・マックスウェル、ジム・ヘンソン、パーシー・エドワーズ、ビリー・ホワイトロー、ジョセフ・オコナー 他
受 賞:【1983年/第11回アボリアッツ・ファンタスティック映画祭】グランプリ
三つの太陽が大空に輝く異世界。かつては高潔な種族によって統治されており、太陽からの光がダーククリスタルにある水晶を通して、世界にくまなく力を及ぼしていた。しかし、ある時、大地震に襲われたために水晶が割れて、力を失ってしまう。その後、スケクシスとミスティックという二つの種族が生まれる。邪悪なスケクシス族は、その魔の手で世界を侵食。土地も城も荒廃させ、腐敗と汚職の蔓延する世界に変貌させてしまった。その一方で、スケクシス族には、ゲルフリングという種族に権力を奪われるという伝説があり、それを強く恐れる彼らは、ゲルフリング族を根絶しようと攻撃する。その攻撃よってスケクシス族はほぼ壊滅したが、唯一ジェンという少年だけが生き残る。ジェンはミスティック族の長老に救出され育てられるのだった。時が経ち、長老が死の床につくなか、ジェンに「水晶のかけらをみつけて、三つの太陽が重なる前に、元の水晶にもどせ」を告げられる。手がかりもないなか、ジェンは水晶さがしの旅に出るが、その頃、スケクシス族の皇帝が死亡して、権力争いが勃発し…というストーリー。
一切可愛げのないキャラクターばかりが登場するファンタジー作品。フランス作品であるリュック・ベッソンの『アーサーとミニモイの不思議な国』もそうだけど、こういうファンタジー作品に何か気持ち悪さすら漂うのは、ヨーロッパの決まり事なのかな(笑)。
別に日本みたいに無闇に萌えキャラにする必要は皆無だし、バカにしているわけじゃないんだけど、わざと気持ち悪くしようと努力しているようにしか思えないもので…。そういえば、ミニモイとゲルフリング族は質感が似ているな。
とはいえ、気持ち悪いベクトルのデザインは結構嫌いじゃなくて、特に、兵士ガーシムのデザインなんかは好きだなぁ。
同じキャラクターでも、シーンによってマペットの大きさを近影・遠影で使い分けたりして(着ぐるみの場合もあるか?)、世界観をつくることに腐心している製作態度には感服する。目動きなどはかなり精巧で、これを今CGを使わずに作ろうとしたらものすごい制作費が必要なことだろう。
世界観の構築に注力する一方で、ストーリーが『ロード・オブ・ザ・リング』に見られるようなありがちな展開で、その上、薄っぺらなのが残念。
(ネタバレだけど)
スケクシスとミスティックが実は元々同じ種族…という設定が、なんとも面白くない。根本設定なのだが、矜持もないしワクワクもしないクソ設定だと思う。ある意味、自業自得、自作自演で世界に迷惑をかけてるわけで、それをゴメンで済ませちゃうようなオチは、ダメだと思うよ。
技術とストーリーで出来映えに、天地の差がある作品。イマジネーションビデオだと割り切れば、かなり優秀(というか、そういうつもりでつくったんだと思う)。
#ゲルフリング族をみてたら、なぜか中川翔子が頭をよぎった。なんか似てるかも(口のあたりかな?)。
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:112分
監 督:ジュリー・テイモア
出 演:ヘレン・ミレン、ラッセル・ブランド、リーヴ・カーニー、トム・コンティ、クリス・クーパー、アラン・カミング、ジャイモン・フンスー、フェリシティ・ジョーンズ、アルフレッド・モリナ、デヴィッド・ストラザーン、ベン・ウィショー 他
ノミネート:【2010年/第83回アカデミー賞】衣装デザイン賞(サンディ・パウエル)
コピー:私に抱かれて、世界よ眠れ。
かつてミラノ大公の妃だったプロスペラは、夫の亡き後も女大公として民の信頼を得ていたが、弟アントーニオとアロンゾーらの謀略により、一人娘ミランダと共に粗末な船で追放されれ、とある孤島に流れ着く。それからプロスペラは孤島で魔術の腕を磨き続けていた。妖精エアリエルと契約し、怪物キャリバンを手下として、裏切り者たちへの復讐を虎視眈々と狙っていた。追放から12年。娘の婚礼からの帰路にあったナポリ王アロンゾーらを乗せた船が、海上で突然の大嵐に見舞われ、王は、王弟セバスチャン、顧問官ゴンザーロー、ミラノ大公アントーニオとともに、プロスペラの住む島に流れ着く。一方、アロンゾーの息子ファーディナンドは彼らとはぐれてしまい、孤島の別の海岸に一人漂着していた。それでファーディナンドは、プロスペラの娘ミランダと出会い、二人は一瞬で恋に落ちてしまう。実は、突然の大嵐も二人の出会いも、すべてプロスペラがエアリエルに命じておこさせた計略で…というストーリー。
シェイクスピアの遺作である有名戯曲だそうだ。知らん。鑑賞後に「なんだこりゃ?」と思って調べて知ったのだが、これそんなにおもしろい内容なのだろうか(そうは思えん)。遺作だからといって大金をつかってまで映画にする必要のある内容だろうか(そうは思えん)。シェイクスピアファン待望!って感じなのだろうか(そうは思えん)。そうは思えん…の連発で、作品の存在意義自体を疑わざるを得ない作品だ。
正直、ヘレン・ミレンが主演だったので、そんなにつまらんことはないだろう…という算段でレンタルしてのだが…。
まず、原作を知らないので、魔法や妖精のいる世界観を観客は把握する必要がある。何とか掴んでみるものの、目が肥えてしまったというかなんというか、エアリアルの動作にふんだんに使用されているCG(というか合成)が安っぽく感じられてしまい、なにか世界観に没頭できない。
さらに、話の根本である、肝心要の12年前の謀略の部分が薄い。ここを厚く描かなければいけない。そこが短すぎるから、12年後にナポリ王たちが島に難破してきても、同一人物だとピンとこない。大体にして復讐劇というのは、復讐の元になった事件をいかに腹立たしく描けるか、そして観客を味方につけるかがすべてだと思う。それがしっかりできていない時点で、駄作決定。
で、復讐というのは困難に困難を重ねて、乗り越えてこそのものだと思うのだが、復讐の対象者が島に辿り着いた段階で、プロスペラの独壇場で彼女が負ける要素なし。実際、思い通りに進むだけ。途中で怪物キャリバンのことを気にするのだが、彼が何かしたからってどうにかなるわけでもない。何の困難もない復讐劇の何がおもしろいのか。
弟アントーニオとアロンゾーを、憎しみをすっかり晴らすような痛快な方法でこらしめるのか?というと、そうでもない。
目的はミラノ大公だった当時の地位に復活することだと思うのだが、復権した姿が描かれるわけでもない。
これ、本当にシェイクスピアの作品なの?と疑いたくなるような作品。
公開年:1981年
公開国:イギリス
時 間:103分
監 督:テリー・ギリアム
出 演:ショーン・コネリー、クレイグ・ワーノック、ラルフ・リチャードソン、シェリー・デュヴァル、ジョン・クリーズ、イアン・ホルム、デヴィッド・ワーナー、キャサリン・ヘルモンド、ピーター・ヴォーン、デヴィッド・ラパポート、ケニー・ベイカー、マイケル・パリン 他
イギリスの住宅地に暮らす家族。両親は息子のケヴィン少年のことを相手にせず、新しい電化製品やクイズ番組にご執心。そんなある日、ケヴィンの部屋に、突然、馬に乗った騎士が出現し、壁を通り抜けて消失する。おどろいたケヴィンは両親にそのことを話すが、まったく相手にされない。ケヴィンは懐中電灯とポラロイドカメラをこっそり持ち出しベッドに入り、再び騎士の出現を待った。しかし、煙の中から現れたのは6人の小人。彼らは創造主から、タイムホールの場所を示している地図を盗み出し、それを使って時空を移動して、お宝を盗み出そうとしているという。すると、ケヴィンの部屋に創造主が出現し、地図の返却を迫る。ケヴィンは6人と一緒にタイムホールを通過。初めて辿り着いたのは、1796年のイタリアの町。この町はナポレオンに征服されており…というストーリー。
その後、シャーウッドの森、ギリシャの砂漠、タイタニック号などなど、色々な世界を旅する。いかにもテリー・ギリアムらしい陰湿なファンタジーと、いかにもイギリスらしいコメディの融合作品。
脈絡のない展開というか、取り止めもないないというか、とても愉快な時空の旅で、子供でも十分に楽しめそうな内容なのだが、要所要所でなにかひっかかる。そのひっかかる部分を真剣に考えると、あまりに難解でさっぱり答えが見えない。特にテリー・ギリアム作品が大好きというわけでもないので、全作品観ているわけでもないし、真剣に考察したわけでもないのだが、彼のすべての作品に通じる何かが、本作に潜んでいる気がしてならない。テイストの違う『12モンキーズ』の萌芽ですら、本作にを感じてしまう。それは何だろう…
両親は息子のケヴィンに対して、ああしろこうしろと文句は言うけれど、基本的に愛情を注いでいない。それどころか、根本的に興味がないように見える。息子よりも新しい家電製品のほうに興味がある模様。ある意味、ネグレクト状態。その寂しさをなんとか補おうとするケヴィン。
そんな彼の元に突然、煙の中から小人の集団が登場。オチを言ってしまって申し訳ないが、タイムホールの旅の後、自分の家は火事で煙が充満。煙繋がりをどう解釈するか。
さらにラストでケヴィンを救い、ウインクして去っていくのはショーン・コネリー。ショーン・コネリーは、アガメムノン王も演じている。アガメムノン王はケヴィンを自分の後継者にしようとまでしていた。なぜこの二つの役をショーン・コネリーが演じている。この繋がりをどう解釈するか。
登場した創造主は小人たちを元の世界に連れて帰ろうとする。ケヴィンも一緒にと小人は言うが、創造主は「彼は自分の戦いを続けるのだ」…と。はて、何と戦うというのだろう。親から虐待された末、家も無くなり両親も死んでしまうという辛い現実に対峙しなければいけなくなるということ?それとも、逆に、再びつらい現実を忌避するための旅を続けるということ?わからん。
多重人格者は、とても耐えられない虐待などを受けたときに、それを専属的に受ける役回りの別人格を構築する。ケヴィンの旅も、つらい現実からの忌避ということなのか?
いや、もしかして、調理器具に細工をして、火事をおこしたのはケヴィンなのではないか?それを忘却するための、幻想の旅だったのでは?
わからん。どうとでも解釈できるような気もするが…もっとヒントがあるようにも思える。正直、この明確な手がかりの見つから無さ加減は、失敗作といわれても仕方が無いレベル。でも、やはりどうにも引っかかる。いままで、他のギリアム作品を観るとき、このような、現実と夢想の世界の関係性について考えながらみたことがなかった。この観点でもういっかい他の作品も観直したほうがいいのかも…。『未来世紀ブラジル』『バロン』『フィッシャー・キング』を観直しますかな。
#でも、この難解さ加減が、商業的に失敗しちゃう要因なんだろうなぁ。
公開国:アメリカ
時 間:106分
監 督:サム・ライミ
出 演:ジェームズ・フランコ、ミラ・クニス、レイチェル・ワイズ、ミシェル・ウィリアムズ、ビル・コッブス、トニー・コックス、ザック・ブラフ、ジョーイ・キング 他
コピー:魔法の国に迷いこんだ奇術師と、3人の魔女たち その出会いは、美しすぎる戦いのはじまり――
サーカス一座のインチキ奇術師オズは、いつか自分は偉大な人間なると分不相応な野心を抱いていた。ある日、自らが招いた女性トラブルで逃げ回っている際に気球に乗り込むと、そのまま竜巻に巻き込まれてしまう。たどり着いた場所は、この世のものとは思えないほど美しい魔法の国。国の名前は偶然にも“オズ”。オズの国は、邪悪な魔女に支配されており、苦しめられている国民たちは、偉大な魔法使いオズが現れ国を救うという予言を心の拠り所にして生きていた。そこに、突然予言と同名の男が現れたため、オズは“偉大な魔法使い”と誤解されてしまうのだった。オズは西の魔女セオドラの案内で、姉である東の魔女エヴァノラが住むエメラルド・シティの宮殿へ導かれる。二人の美貌と、予言が実現したあかつきに手に入る財宝に目がくらんだオズは、翼の生えた猿フィンリーを案内役に、南の邪悪な魔女を倒すために旅立つのだった…というストーリー。
公開中は“スパイダーマンの監督が送る!”と、散々宣伝していたが、その謳い文句に効果はあったのか? “サム・ライミが送る”ではいかんのか?(笑)。それより、サム・ライミらしさが、微塵も感じられなかったわけだが、その点は、もうアッチの世界の人間になってしまったと諦めるべきことなんだろう(何がコッチで、何がアッチなんだかわからんけど)。
冒頭の白黒4:3映像から、ワイドのカラーになっていく演出。おそらく劇場では3Dになるんで、さぞや愉しかっただろう。しかし、レンタルDVDで観る限り、別になんとも思わない。鮮やかなオズの世界の物体が、DVDでは平板で、植物なんかも堅い構造物に感じられてしまうなど、むしろちょっと興を削がれる感じになっているのは残念。
『オズの魔法使』のオチを知ったとき、たしかに、オズがこの国に来て、どうやって国民を騙くらかしたのか?という点に興味が沸いた。だから、ミュージカルの『WICKED』には興味津々だったのだが、劇団四季が上演しているところに出張が決まってチケットを取ろうとすると、丁度訪れる日には終わっていたり、チケットが取れなかったりと、縁が無かった模様(『WICKED』は本作のような前日譚ではないけどね)。
大筋にプロットは、期待に沿ったもので満足できたのだが、細かいディテールが、どうにもダメ。
まず、オズの性格設定がこれでよかったのか甚だ疑問。女ったらしで打算的というクズ設定ではあるのだが、一般人レベルのクズっぷりでしかない。もっとダメ人間にすべきだった気がする。緑の魔女になってしまった妹が、たしかにそんなことされたら怒り狂って魔女にもなるがな…っていうくらいのクズのほうがマシだったと思う。ちょっと中途半端に“いい人”“正義感のある人”というのがおもしろくない。
はじめは、ロバート・ダウニー・Jrにオファーがあったとのこと。正直、そっちのほうが、キャラにあっていたと思う。ジェームズ・フランコはインチキ臭さを演じ切れていない。
私は、レイチェル・ワイズがいまいち好きじゃないので、直球の悪役がしっくりきすぎ。彼女にとって新境地ってことなんだろうけど、こういう役がお似合い(その点は満足)。
最終的に、『オズの魔法使』の状態に結びつけなければいけないので、展開が限定されるのは致し方ない。しかし、科学=魔女とは違うけど魔法!という認識を国民に納得させることは十分できるだろうから、閉じこもらなければいけない理由は無い思うんだよね。それだけの魔力があれば、再び人の体を得ることに成功した!っていっても、皆、納得してくれるだろう。何か、説得力に欠ける。このしっくりこない感じが、さほど評価されていない理由だと思う。
また、本作のオズの世界が、あのブリキや案山子やライオンがいる世界と同一と思えないのが残念(だって、普通のライオンが出てたやんけ)。
色々、調べたら、『オズ』(1985)という作品があることを発見。
時系列的には、本作⇒『オズの魔法使』(1939)⇒『オズ』(1985)という流れの模様。未見なので借りてみたい。ちなみに『オズ』(1985)はディズニー作品の模様。借りてみようっと。
公開国:アメリカ
時 間:106分
監 督:ターセム・シン・ダンドワール
出 演:ジュリア・ロバーツ、リリー・コリンズ、アーミー・ハマー、ネイサン・レイン、メア・ウィニンガム、マイケル・ラーナー、ロバート・エムズ、ショーン・ビーン、ジョーダン・プレンティス、マーク・ポヴィネッリ、ジョー・ノッフォ、ダニー・ウッドバーン、セバスチャン・サラセーノ、マーティン・クレバ、ロナルド・リー・クラーク、ボニー・ベントレー 他
ノミネート:【2012年/第85回アカデミー賞】衣装デザイン賞(石岡瑛子)
コピー:おとぎの国でバトルが始まる。
白雪姫は、幼少の頃に父親である国王を亡くしたが、それ以来継母の女王によって幽閉されていた。しかし、女王の浪費癖によって王国の財政はすぐに逼迫。女王は窮地を乗り切るために、裕福な男との再婚を何度も繰り返していた。白雪姫が18歳になってもその状況は続いており、またもや国庫は空に。そこで女王は裕福な隣国の王子を画策する。しかし、王子は女王ではなく白雪姫に一目惚れしてしまい、それを知った女王は彼女の殺害を命ずるのだった。何とか窮地を脱した白雪姫は森に逃げ込むが、そこで7人の小人の盗賊団と出会う。これまで幽閉されていたため国の様子を知らなかった白雪姫は、領民が困窮しているkとおを知り愕然とする。そこで、彼らの仲間に入れてもらった白雪姫は、小人たちから戦い方や生きる知恵を学び、王国の危機を救うため、女王に立ち向かうことを決意する…というストーリー。
ターセムと石岡瑛子のコンビは、『ザ・セル』(2000)、『落下の王国』(2006)、『インモータルズ -神々の戦い-』(2011)に続いて4作目。っていうか、その4作がターセムの全作品で、2000年以降に石岡瑛子が携わった映画もこの4作だけ。
ターセム作品は、その映像美ゆえに評価されているわけだが、その半分近くは石岡瑛子の力と言っても良い(観ればわかる)。もう合作…といっていいんじゃないのかね。
まあ、衣装デザインは見事ですわ。頭に白鳥が乗っかったドレスとか、目を惹く。森で小人たちと格闘するときに、スカートが汚れるんだけど、その汚れすら美しいグラデーションに見えるという(おそらく計算)。
ストーリー的には、ありきたりな、現代訳白雪姫なんだろうな…と、まったく期待していなかった。この手のコメディで字幕を追いながら観るのもいやだったんで、吹き替えで観たんだけど、吹き替えがちょっとオーバーというか、いかにも笑わせにかかっているみたいで、いまいちノりきれなかった。
冒頭を女王の一人称で始める意味がわからない。まあ、ジュリア・ロバーツの悪役演技が大事なのはよく判るし、状況説明なのもわかるのだが、彼女の語りではじめてしまうと、ずっと女王目線で展開するのかな…なんて思っちゃうでしょ。あれは、鏡の女王の語りでいいと思うんだけど。
ターセムの作品の一番の難点は、シナリオがグダグダというか、ところどころで足がもつれたみたいになるところ。明らかにここが変っていう指摘は難しいんだけど、場面場面のつなぎがなんかモタつく。いや、ストーリーに大波みたいな盛り上がりの連続性がないからそう感じるのかも。
キャラクターに深みが無いっていうのも、原因の一つかな。小人は愉快なキャラだよ。でも、深みはない。元々職業を持っていたのに、村人から迫害されてしまっという重い設定がある。そういう状況だった…という説明はあるが、それだけ。元教師の小人もいるんだから、村で教え子に遭遇して…とか、複雑な感情を表現する展開は、色々考えられるよね。
王子が白雪姫に一目惚れするのはわかる。でも、白雪姫が王子を好きになるのはなんでだろう。魔法とはいえ王子は女王側についていたわけで、それを超えてまで王子を愛するようなエピソードがあったろうか。ああ、そういう言動に、まじめで慈悲深い白雪姫は惚れたんだな…という場面がない。
…なんてマジメに考えていたら、閉じ込められた家から出るための寸劇で、どうでも良くなってきた。もう、アメリカ人(ターセムはインド系だけど)、笑いのレベル、低すぎ。これでも脚本家が3人ついていて、リライトを重ねてると思うんだけどねぇ。
でも、ありきたりの白雪姫ではなかった点は評価する。毒りんご⇒王子のキスという流れを捨てたことや、王が実は…なことなど、いいアイデアは随所に見られる。でも、鏡の女王の目的がモヤモヤしているのは、残念(やっぱり文句で終わってしまうか…)。
それでも、シャーリーズ・セロンの『スノーホワイト』よりは、5倍はマトモ(あっちは、観ていられなから)。
で、残念ながら石岡瑛子は亡くなってしまった。次の石岡瑛子なしのターセム作品はどうなるか。ちょっと意地が悪いが、お手並み拝見ですな。
公開国:アメリカ
時 間:94分
監 督:ゲイリー・J・タニクリフ
出 演:ギルバート・ゴットフリード、チェヴィー・チェイス、クロエ・グレース・モレッツ、クリストファー・ロイド、ケイティ・セイガル、ウォーレス・ショーン、コリン・フォード、ジェームズ・アール・ジョーンズ 他
学校での成績が芳しくなく落第の危機にあるジャック少年。父親がヒーローになると出ていったきり戻ってこないため、そのことで校長にまで馬鹿にされることうんざりしており、いつか自分はヒーローになると強く誓っていたが、まったくもって空回り。ヒーローとは自己犠牲的な行いをすることであると聞いたジャックは、自分が大事にしている高価なゲーム機を三粒の豆と交換してしまう。帰宅すると仕事に出ているはずの母親がおり、クビになったと告げる。母は、生活が苦しいのであのゲーム機を売って、当面の生活費にしようとジャックにお願いするが、さっき売ってしまったばかり。自分の馬鹿さ加減にあきれたジャックは、豆を外に投げ捨てて、眠ってしまう。夜になると、豆は発芽し雲の上まで伸びる。そして豆の一粒をたべたガチョウのグレイソンは半人の姿に。二人はヒーローになるため、豆の木を登り始める。雲の上に到達すると、嘆いている老人を発見。聞けば娘のデスティニーが巨人にさらわれただけでなく、歌うハープまで奪われてしまったとのこと。ジャックはデスティニー救出のため、意気揚々と巨人の住処へ向かったが…というストーリー。
お気付きだとは思うが『ジャックと天空の巨人』(2013)と間違えたわけですわ。そりゃ間違えるでしょ。同じタイトルなんだから。
あらゆる場面が全部、板の間の上でやってるコントみたいな感じ。世界の奥行きや不自然な感じが溢れるのはそのせい。巨人のメイクの粗さは、わざとなのか本気でやってそれなのか。とにかく、TVムービーのレベルですわ。なんでこんなレベルの作品にクロエたんがでてるのか。
彼女がが出てこないところは、観るのも苦痛なシーンばかり。しかし、なんだか本作のクロエは、デヴィ婦人みたいなかんじで、いまいち可愛くないときている。可愛く撮ろうと思えばどうにでもなると思うのだが、これは監督の能力が低いだけだろう。
もう、根本的に話がつまらない…というか変。あの店屋のおやじがクロエ演じるジリアンの親父だとして、なんで、ジャックにいかせなければいけないのか。自分を助けてくれた勇者の息子だからといいたいのだろうだが、なんでその息子なら助けられると思ったのか。意味不明。別にジャックじゃないと豆を発芽させられないわけでもなかろうし、自分で娘を救いにいけばいいんだ。なんだっつーねん。
地面で繰り広げられている、ポンコツコントが輪をかけてつまらない。童話の主人公学校みたいな設定もクソつまらない。
親父のせいで村中から馬鹿にされている設定がかなり不快だし、最後にキチンと勇者的な仕事はした!と名誉回復こそするが、結局死んでいるわけで、救いが全然ない。
竪琴のじいさんの孫を救うことが目的だったのが、途中で監督が忘れてしまったのか、最後にチロっと出てくる。証拠の竪琴が消えてしまった!というから、じいさんとところにおいてきたのかと思ったが、そこのシーンでは見えないような…。どこいったんじゃ。
もうね、色々ヒドいす。子供もマトモに観ていられないレベル。
公開国:アメリカ
時 間:107分
監 督:ジョン・パトリック・シャンリー
出 演:トム・ハンクス、メグ・ライアン、ロイド・ブリッジス、ロバート・スタック、ダン・ヘダヤ、キャロル・ケイン、アマンダ・プラマー、オシー・デイヴィス 他
とある工場で事務員をしているジョー・バンクス。ある日、体の不調を覚え、昼休みに病院にいってみると、脳に雲がかかっていると診断され、余命半年と宣告される。ヤケになったジョーは、かねてから気に喰わなかった上司のいる職場を勢いで辞めてしまう。思い切って、以前から気になっていた同僚のディーディーを食事に誘うと、なかなかいい雰囲気に。しかし、自分が余命半年であることを告げると態度が一変。死ぬ人間といい仲になってと仕方がないと、そそくさと帰宅してしまう。翌朝、グレイナモアと名乗る男がジョーの家を訪ねてくる。彼はレアメタルを扱う大企業の社長で、とある火山島の採掘権が欲しいという。しかし、そこの島民は、採掘権と引き換えに火山への生贄になる人間を寄こせという条件を出している。そこで、生きている間はクレジットカード使い放題という条件で、余命短いジョーにその生贄になって貰いたいというのだ。ジョーは二つ返事で了承。ニューヨークで好きなだけ買い物をしたジョーは、島への船が出ているカリフォルニアに向かうのだったが…というストーリー。
トム・ハンクスとメグ・ライアンの共演。そして、製作総指揮がスティーヴン・スピルバーグだ。いくら古めの作品だといっても、日本未公開とはこれ如何に…って、これ如何にも何も、こりゃ公開されまへんわ。
メグ・ライアンは3役演じているのだが、その意味も効果もわからん。全部、普通にメグ・ライアンなんだもん。特に、事務員の女と、最後一緒に旅をするパトリシアは見た目の違いがない。わたしゃ、ディーディーが思い直して追いかけてきたのかと思ったもの。
だって、腹違いの姉妹っていう設定に意味が無いじゃない。姉も事情は聞いてない、妹も同じ…、じゃあ、一緒でいいじゃない。別ける意味がわからない。
“JOE VS. THE VOLCANO”ジョー対火山?なんのこっちゃ?と思った。火山にいくことになるまでが、ちょっと長くてバランスが悪い。メグ・ライアンの三役の悪影響だと思う。
トム・ハンクスの飄々とした演技は悪くないんだけど、根本的にこの役には問題がある。自暴自棄になっているとはいえ、自殺する主人公に共感しにくいでしょ。マイナス方向へのアクティブさの発揮っていうノリは、普通はついていけない。それなら、客観的な目線で観続けられればいいのだが、中途半端にラブコメ要素があるものだがら、主人公目線で観ざるを得ない。おまけにパトリシアまで自殺を決断しちゃうしな。ジョーがエキセントリックだったらよかったんだけど、結構冷静なんだもの。
さらにその道程が、冒険としての面白さがあるわけでもない。普通の旅。
で、火山島から脱出して、さて二人でどうやって助かるのか。グレイナモアを痛い目にあわせるのか…と、さてお話はこれから!ってのが普通だと思うのだが、“その後幸せにくらしましたとさ”でおしまい。消化不良も甚だしい。
最後に残った感想は、「そのカバンは、どこで売っていますか?」。それだけ。
公開国:フランス
時 間:81分
監 督:マリナ・ドゥ・ヴァン
出 演:ドニ・ラヴァン、アドリアン・ドゥ・ヴァン、ラシェル・アルディティ、ヴァレリー・ダッシュウッド 他
飢餓と貧困にあえぐ17世紀ヨーロッパ。5人兄弟を抱える夫妻は、日々の食料にも困り果て、とうとう子供たちを森の奥に置き去りにすることを決意する。末っ子で親指トムと呼ばれた少年は、捨てられることを察知し、道すがら白い小石を落としながら進んでくる。そのおかげで兄弟たちは無事に帰宅することができた。道に迷って力尽きただろうと考えていた両親は大変驚いたが、一方で人の道を踏み外さなくてすんだことに安堵した。しかし、生活の困窮は改善されたわけではなく、とうとうペットの犬の子を食べざるを得ないほどに。両親は、再び子供たちを森に捨てることを決め、再び森に置き去りにする。再び同じように家に戻ろうとしたが、今回トムが落としてきたのがパンだったため、カラスに食べられてしまい、目印を失った兄弟はすっかり森で迷ってしまう。やがてトムたちは大きな屋敷にたどり着くのだったが、そこは人食い鬼と娘たちが暮らす屋敷で…というストーリー。
親指トムは、一寸法師のような小さいキャラクターだと思っていたのだが、本作のトムは普通の身長の子供。どういうことやねん。また、グリム童話だと思っていたが(よく“本当は恐ろしいグリム童話”みたいな本もあるし)、フランス詩人シャルル・ペローが原作とか。ベースとなるイギリス民話があって、いろんな人が書いている模様。森にパンくずを落としてきたり、動物の骨をひそませておくのは、『ヘンゼルとグレーテル』なのでグリムの創作かと思っていたが、イギリス民話に元があるんだな。
#でも、本作での動物の骨の使い方はおもしろくない。
別に無理に大人向けにしている感じではなく、子供への配慮をまったくやめて原作通りに描写してみました…って感じ。
一貫しているテーマは、人間“窮すれば鈍する”こともあるだろうが、人としての一線を超えちゃダメでしょ…という教訓である。
両親の行動は、食人鬼一家の行動とダブる。そして、ペットの犬の子を平然と食べる兄弟だちは、食人鬼の娘たちとダブる。最後まで“人間”だったトムは、すでに“人間”ではない家族を動物として飼うというオチである。
表現が難しかっただろうなぁと思うのが、食人鬼が自分の娘を殺すまでの経緯。もうちょっと太らせましょうよという妻の言葉に従って我慢してみたものの、“最高の晩餐”が夢に出てきたしまい我慢できなくなり、暴走。なぜか(笑)それを察知したトムは、食人鬼の娘がつけているティアラを兄弟に移動。ティアラが付いているほうが娘だと認識した食人鬼は娘の喉笛に噛み付き血をすすって殺してしまう。
食人鬼は鳥目だとか、そういう設定をつけるべきだったと思うし、終盤はどうもグダグダ感が強い。原作がそうなんだろうから仕方が無いのかもしれないが、魔法の靴(だっけ?)の登場で醒めた。それまで魔法的なものは出さずに展開できていたのに、突然なんだもの。普通にバトルをして、トムの機知により勝利…という展開でよかったと思う。
うむ。食人鬼から逃げるあたりから、ブラッシュアップしたい。そうすれば、かなりおもしろくなるはず。
公開国:アメリカ
時 間:170分
監 督:ピーター・ジャクソン
出 演: イアン・マッケラン、マーティン・フリーマン、リチャード・アーミティッジ、ジェームズ・ネスビット、ケン・ストット、シルヴェスター・マッコイ、ケイト・ブランシェット、イアン・ホルム、クリストファー・リー、ヒューゴ・ウィーヴィング、イライジャ・ウッド、アンディ・サーキス、エイダン・ターナー、ディーン・オゴーマン、グレアム・マクタヴィッシュ、アダム・ブラウン、ピーター・ハンブルトン、ジョン・カレン、マーク・ハドロウ、ジェド・ブロフィー、ウィリアム・キルシャー、スティーヴン・ハンター、コナン・スティーヴンス 他
ノミネート:【2012年/第85回アカデミー賞】美術賞(Simon Bright、Ra Vincent、ダン・ヘナ)、メイクアップ&ヘアスタイリング賞(Tami Lane、Rick Findlater、Peter Swords King)、視覚効果賞(Christopher White、David Clayton、Eric Saindon、ジョー・レッテリ)
【2012年/第66回英国アカデミー賞】メイクアップ&ヘアー賞、音響賞、特殊視覚効果賞(R. Christopher White、David Clayton、Eric Saindon、ジョー・レッテリ)
【2012年/第18回放送映画批評家協会賞】美術賞(Simon Bright、Ra Vincent、ダン・ヘナ)、衣装デザイン賞(リチャード・テイラー、アン・マスクリー、ボブ・バック)、メイクアップ賞、視覚効果賞
【2013年/第22回MTVムービー・アワード】恐怖演技賞(マーティン・フリーマン)
中つ国のホビット族のビルボ・バギンズは、魔法使いガンダルフから、トーリン率いる陽気な13人のドワーフたちの、失われた王国を取り戻すための旅に誘われる。ドワーフ族は、かつてエレボールにドワーフ王国を築いていたが、邪竜“スマウグ”に奪われて以降、あても無く彷徨う暮らしを強いられているのだった。ガンダルフは、旅の成功のためには、ホビットの忍びの能力が必要と考え、ビルボを推薦したのだった。危険な旅への同行にとまどうビルボだったが、持ち前の好奇心が騒いでしまい、仲間に加わってしまう。しかし、14人の前には、とてつもない険しい道のりと、ゴブリンやオーク、凶暴なワーグや魔術師たちが跋扈する危険な荒野が待ち構えているのだった…というストーリー。
ピーター・ジャクソンによる異常ともいえる世界観へのこだわり、そのクオリティは『ロード・オブ・ザ・リング』三部作と遜色なし。劇場では3Dで公開されており、技術的な向上は間違いなくあるのだが、2Dで観る限り前作と遜色は無く、グレードアップはしていない。
ストーリー的にも、大人数で旅に出かけるという流れに既視感満載。おまけに、ビルボとガンダルフ以外は全員ドワーフで、ガンダルフ以外は全員小さいという遠目で見栄えのしないパーティなのが、いまいちおもしろくない。イケメンのドワーフというのも、いまいちしっくりこないし。他のドワーフがコミカルなのに対して、不遜でプライドの高いトーリンというコントラストはあるものの、それほど魅力的なキャラではない。
さらに、前半は過去の出来事の説明的な回想シーンばかりで、話に入り込めない。前作のサムのように、影の主役的な存在がおらず、キャラクターの重層性というか、サブストーリー的にも不足気味。途中で、この度っていったい何がゴールなんだっけ?と本気で忘れてしまうくらい。正直、軽く眠くなる。まあ、エクステンドエディションばりに長いっていうのも、眠くなる理由ではある。
中盤を越えて、見覚えのあるエルフが出てきて、眠気が覚める。サルマンは、ちょっとの登場ながらもクソ野郎っぷりを発揮し、ケイト・ブランシェット演じるガラドリエルは、敵なのか味方なのか判然としないような不思議な魅力を発揮してくれる。ああ、同じ時間軸のお話なんだな…と締まりが出てくる。
あとは、バトルの波状攻撃と、ゴラムとビルボとの出会いと“指輪”の入手の経緯が並行で描かれる。決してうまい演出でもないし、テンポが特段良いわけでもないが、それなりの面白さ。まあ、前三部作で馴れちゃってるんだな。贅沢病だ。3Dで観ればもっとすばらしい迫力だったんだろう。
最後の終わり方をみると、続きを作る気マンマンみたい。というか、“続きがある…”ということから生まれる締まりの無さが、前作以上に漂っている気がする。これはよろしくないし、劇場に足を運ばせる吸引力が足りないといえる。ほとんど劇場に行かない私でも、前三部作は劇場で観たのだが、このシリーズはたぶん行かないだろう。
公開国:アメリカ
時 間:125分
監 督:ティム・バートン
出 演: ユアン・マクレガー、アルバート・フィニー、ビリー・クラダップ、ジェシカ・ラング、ヘレナ・ボナム=カーター、アリソン・ローマン、ロバート・ギローム、マリオン・コティヤール、マシュー・マッグローリー、ミッシー・パイル、スティーヴ・ブシェミ、ダニー・デヴィート、ダニエル・ウォレス、トレヴァー・ガニョン、デヴィッド・デンマン、マイリー・サイラス 他
ノミネート:【2003年/第76回アカデミー賞】作曲賞(ダニー・エルフマン)
コピー:人生なんて、まるでお伽噺さ。
ジャーナリストのウィル・ブルームは、自分の結婚式で父エドワードが、ウィルが生まれた時のエピソードとして巨大魚の話をして注目を浴びる様子をみて以来、そんな父親に嫌悪を感じ、3年以上疎遠になっていた。エドワードは、自分の人生を脚色して話すことで有名な男だったが、ウィルも子供の頃はそんな父の話を聞くのが大好きだった。片目で未来を見せる魔女、故郷の村で出会い旅仲間となった大巨人カール、人を誘い捉える町…etc。そんなある日、母から父が患っていた病が悪化したとの連絡が入り、出産間近の妻ジョセフィーンと一緒に実家に帰ることに。エドワードは一日のほとんどをベッドで過ごしていたが、相変わらずホラまじりの思い出話ばかりを繰り返していた。ジョセフィーンは義母とのエピソードを聞き感動していたが、ウィルはこの期に及んでそんな話をしている父に苛立っていた。彼はホラ話ではなく、本当の父親の姿を知りたいを心の底で願っていたからだった…というストーリー。
製作の前年に父親を亡くしたティム・バートンが手掛けた作品だが、別にティム・バートンがシナリオを書いたわけではなく、原作がある作品。
『マーズ・アタック!』⇒『スリーピー・ホロウ』⇒『PLANET OF THE APES 猿の惑星』ときた後に本作だったので、毛色の違いに当時はガックリ来たものだ。内容がウェットな点は文句はなかったのだが、もっと奇抜な映像表現を期待していた。でも、それはあくまでその時自分が求めていたものとのギャップがあったからであって、作品自体に大きな問題があったわけではなかった。その証拠に、この作品は、観返す度に味が増してくる。
父親のほら話にうんざりする息子の気持ちはわからないでもないが、別に害のない話だし、目くじらを立てるような内容でもない。父親の本当の姿がわからない!と息子は主張するが、本当にそれが聞きたかったのだろうか?
じゃあ、父親が、実はこうだったのだよ…と、逐一説明して、それが何になったというのか。おそらくそれを聞いた息子は、父親は朝鮮戦争のヒーローで、町を一つ再建させたものすごい男なのだ!と、満足してそれでおしまいだったんだろう。社交的な反面照れ屋だっていうことも影響しているのだと思うが…。
#なんで、あの町を救おうとあそこまで思ったのは、説得力が不足してる気はするけど。
で、臨終の際で、ホラ話を嫌っていた息子が、父親にホラ話を聞かせる。父子の間ってのはピンポンでやりとりして完結ではない部分がある。次の世代へと引き継ぐことが答えということがある。
その後の葬式で、ホラ話から飛び出したように、父の死を悼む人が続々集まってくるという、振幅が面白い。泣ける…とはちょっと違う感覚が味わえる良作。
#ティム・バートンから奇抜さを抜くと、不思議なことにフェデリコ・フェリーニみたいになるんだな。
公開国:アメリカ
時 間:87分
監 督:ティム・バートン
出 演:キャサリン・オハラ、マーティン・ショート、マーティン・ランドー、チャーリー・ターハン、アッティカス・シェイファー エドガー、ウィノナ・ライダー 他
受 賞:【2012年/第79回NY批評家協会賞】アニメーション賞
【2012年/第38回LA批評家協会賞】アニメーション賞
郊外の街ニュー・オランダに暮らす少年ヴィクター。あまり友達と遊ぶことはなく、学校から帰ってくると科学の実験や映画作りに熱中している。そんな彼の傍には、いつも愛犬のスパーキーがおり、ヴィクターが作る映画にはいつもスパーキーを出演させていた。しかし、父親はそんなヴィクターに、活発に運動する子供になってもらいたいと思っており、ことあるごとに野球チームに入ることを薦めていた。ヴィクターが父の望みどおり野球に試合に参加すると、初心者であるにもかかわらず大きな当たりを飛ばす。それをみていたスパーキーは首輪をはずしてボールを追いかけるが、道路に飛び出してしまい、通りかかった自動車に撥ねられ死んでしまう。唯一の親友の死を受け入れらられないヴィクターは、科学の新任教師ジクルスキ先生の気の実験を見て、あることを思いつくのだった…というストーリー。
元は1984年の30分の実写作品(本作はセルフリメイク)。『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』のコレクターズ・エディションに特典映像として入っているのだが、私は一番最初に発売されたDVDを購入していて、さすがにわざわざ買い直す気もおこらず、ちゃんと観ていない(Youtubeとかで転がっている海外音声のを観ても、字幕ついてるわけじゃないからわからんしね)。
なんか可愛くない犬だなーと思う人もいるかもしれんが、元々ブルテリアっていう設定だから、けっこうブサイク犬なの。でも、見慣れてくると丸っこい胴体とか、実に愛らしい。
大筋は元の作品と一緒だけど、違うところ(というか差し込まれた部分)が多数。なんか目が切れ長のやつがいるなぁとおもったら“トシアキ”君(笑)。スポーツも勉強もできる日本人って設定、なんやねん。ティム・バートンの子供のころにそんな子がいたのかな?でも、トシアキ君の投球フォームがむちゃくちゃ。ティム・バートンがスポーツが苦手なのが丸わかり。また、ティム・バートンの日本ひいき炸裂か?と思っていたら案の定 巨大亀登場。『ピーウィーの大冒険』ではゴジラを出していたものね。ガメラといっても金子修介版のフォルムに近いところが、また特撮“ウィニー”っぷりを発揮している。
元の作品には、これら野球シーンもないし、友達が同じように“復活”させちゃうシーンもない。よって“ガメラ”もでない。復活したスパーキーを大人たちが気持ち悪がって、風車小屋まで追い詰める流れは一緒だけど。
いつもどおりのティム・バートン…というか、昔のティム・バートンそのままの作品。マペット造型は『コープスブライド』と一緒。何か“普通の大人”のデザインが微妙に気持ち悪いバランスだったりする。
肝心の最後の大盛り上がりのところで、何故か飽きてしまうというもの一緒。『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』もジャックがプレゼントを配り始めて大混乱!っていうのが最後の山場なのに、だんだん飽きてくるのと一緒。良いところも悪いところも、昔ののまま。
大衆ウケするとは思わないし、大衆ウケしちゃいけないと思うのね。元の作品はディズニーからダメ出しくらってお蔵入りしたくらいのエグさがあったが、そういう教育上のモラルから脱輪しそうでしない危うさが良かったんだけど、本作は完全にレールから外れる気配すらない。そのせいか、ティム・バートン自身のかつて飼っていたペットへの思い…とかそういう純粋なエネルギーが減衰してる気がする。まあ、簡単に言えば、もっと悪ノリして欲しいなと、そう思う。
公開国:日本
時 間:90分
監 督:石橋義正
出 演:山田孝之、マイコ、石橋杏奈、原田美枝子、鈴木清順、佐藤めぐみ、岩佐真悠子、武藤敬司、奥田瑛二、美波
少年のような姿の男性オブレネリ ブレネリギャーが、公園でベンチに座ってジョアを飲んでいると、神々しい美しさの女性“偉大なミロクローゼ”が隣に座る。一瞬にして恋に落ちたオブレネリ ブレネリギャーは、平凡だった生活が一変する。彼女のために必死で働き、家まで購入するが、始めはうまくいっていた関係も次第にギクシャクしはじめる。そして彼女が別の男性と仲良く歩いているところを目撃してしまう…。一方、青年男子専門の相談員・熊谷ベッソンは、罵倒と激しいダンスで、若者たちの悩みを解決していく…。一方、恋人・ユリの行方を探す片目の浪人・タモンは、謎の盗賊団にさらわれた彼女を取り戻すために、時空を超えて旅をする…というストーリー。
奇抜なオムニバス的作品だが、恋する男が女性の幻想を追い続けるというテーマでくくられている。
冒頭のオブレネリ ブレネリギャーのくだりは、中島哲也監督の『パコと魔法の絵本』みたいな色彩センス。瞬間瞬間をスパ!っといい感じで観せる能力に、ものすごく長けている。
残りはすべて山田孝之が出ずっぱり。監督の脳内にあるイメージがよく彼に伝わっているのだとおもうが、彼の演技が雰囲気のすべてを作っているといってもよい。石橋義正監督という人は、いい絵コンテが描ける人なのかも。
自己満足的な作品だと言われたらそうかもしれないけど、こういう作品と作り上げることができたら、幸せを感じられるだろうな。もし、私なら死ぬ前に満足して往生できる気がする。思い通りのものを形にするって、そのくらい快感だと思うんだ。
TVってのは遠くの場所を見せる千里眼であることあ基本だと思うけど、映画ってのはメリエスの『月世界旅行』からスタートしたように、脳内イメージを表出するものであると思う。だから本作のような手法っていうのは、本来の映画らしさなんだと、私は思う。
#逆に、謎の盗賊団がSWのタスケン・レイダーのパロディだとか、そういうノリは不要だったのかも。
圧巻なのは、遊郭でのタモンの殺陣のシーン。いくら 模造刀でプロの殺陣師とはいえ、おねえちゃんたちが入り乱れる中のワンカット撮影はたいへんだったろう(倒れこんだところで刃に刺さっちゃうんじゃないと、ちょっとドキドキした)。こういう部分に偏執的なまでに注力しちゃうバランス感覚が好き。一番表現したかったのであろう、アクション中の歌舞伎の見得をやりきった後は、勢いつけすぎて、シーンをうまく締められなくなってるのはちょっと笑えるけど、まあそこはご愛嬌。
山田孝之は、自分の役者としての立ち位置をしっかり客観視して行動できちている人だと思う。この作品の成功の3割は彼のおかげ。
しっかりと吹き替え音声を付けて、海外で公開・発売すべきだと思う(字幕を追って、映像を見落とすのはもったいないと思う)。お薦めはしないが、個人的にものすごく鑑賞後の満足感が高い作品だった。
公開国:アメリカ
時 間:86分
監 督:パトリック・ディンハット
出 演:ベン・クロス、ティンセル・コーリー、ヴェリザール・ビネヴ、ダーフィル・ラブディニ、サラ・ブラウン、クレア・フォスター 他
グリム童話発祥の地である“妖精の丘”を訪れるツアーに参加したサクソン。他の参加者と一緒に、ツアーコンダクターに言われるがまま、妖精を呼び出す儀式に参加すると、ツアー参加者が連れてきていた赤ん坊が消えてしまう。周囲を捜すが、赤ん坊どころか周囲の様子が変わっており、どうやら別の空間に飛ばされた模様。彼らは、奪われた赤ん坊を取り戻すために、森の中へ捜索に入る。森の中に小屋を発見した一行は、一旦小屋の中に退避することにしたが、一行の一人のアンバーが、残虐な7人の小人の餌食となってしまう。その空間は、狼と魔女が支配する異世界で…というストーリー。
ファンタジーなのかホラーなのか、ノリがさっぱりわからない。『1408号室』のように、密閉空間の中で、この世のものならざるものに追い詰められる様子を描くべきなんだと思うが、どうも焦点が定まらない。もう一つの要素として、グリム童話があるわけだが、あまり生きていない。グリム童話を読み解くことによって、いろいろなピンチを乗り越えていくとか、そういう展開になるべき。確かに、劇中では、童話のとおりにしないといけないという台詞が出てくる。ヘンゼルとグレーテルやら赤ずきんやら、それがモチーフのシーンが出てくるが、何が童話の通りで、何が童話の通りでないのか、さっぱりわからない。
途中からでてくる謎の女性。サクソンの妻に容姿と同じという設定なのだが、存在の意味がよくわからない。妻に関係のある人なのか、はたまた、さらわれた赤ん坊が、異世界の時間の流れのいたずらで大人になったものなのか。結局、実は老女だという設定も、ストーリー上、一切生かされることがない。
話の顛末もすっきりしない上に、“はい、全部、おとぎ話でした”という夢オチ的な終わらせ方。もう、まともな“お話”ということも憚られるレベルのシナリオ。
CGはまあまあしっかりしてるんだけど、TVムービーだったらしくビデオ画質。なんでこんな作品を新作料金で借りてしまったのか、後悔だけが沸く。うまい棒5本ぶんの価値もない。『ブラザーズ・グリム』のようなものを期待してしまった私が間違い。注意報発令。間違っても借りないように。
公開国:アメリカ
時 間:125分
監 督:テリー・ギリアム
出 演:ジョン・ネヴィル、サラ・ポーリー、エリック・アイドル、オリヴァー・リード、ジョナサン・プライス、スティング、ロビン・ウィリアムズ、ユマ・サーマン、ヴァレンティナ・コルテーゼ、アリソン・ステッドマン、ウィンストン・デニス、チャールズ・マッケオン、ジャック・パーヴィス、ビル・パターソン、ピーター・ジェフリー
レイ・クーパー 他
受賞:【1989年/第43回英国アカデミー賞】プロダクションデザイン賞、衣装デザイン賞、メイクアップ賞
18世紀後半のドイツ。トルコ軍の攻撃に晒されていた海岸沿いの町は、飢えと貧困に苦しみ、城壁の中は廃墟と化していた。そんな中、ロイヤル劇場ではヘンリー・ソルト一座による『ミュンヒハウゼン男爵の冒険』が興行されていたが、突然本物の・ミュンヒハウゼンを名乗る老人が突然乱入してくる。彼は、トルコ軍の攻撃の目的は自分だと主張し、なぜ自分がトルコ軍の標的になっているかのいきさつを舞台上で話し始める。それは、エジプト旅行の帰途、サルタンとトカイワインをめぐる賭けをした時のお話。お互い、バロンの命と1人で持てるだけの財宝を賭けたが、4人の家来、俊足のバートホールド、射撃の名手アドルファス、驚異的な肺活量のグスタヴァス、怪力のアルブレヒトのおかげでバロンが勝利する。その時、怪力アルブレヒトが宝物庫の宝物を全部持っていったため、サルタンは怒りに狂い、それ以降バロンの首を狙っているという。ところが、あまりにも荒唐無稽さに、観客は誰も信じない。しかし、一人だけ信じてくれる10才の少女サリーに励まされ、トルコ軍をやっつける約束する。バロンはかつて一緒だった4人の家来を捜す決心をするが…というストーリー。
ミュンヒハウゼン症候群の病名の元になった人。『ほら男爵の冒険』の主人公だけど、架空の人ではない。現実のミュンヒハウゼ男爵もなかなか掴みどころのない人。テリー・ギリアムが着目するのもうなずけるトンチキなキャラクターだ。ただ、あんまり日本人には馴染みはないよね。自分も正直、観ていてピンときていなかったし。
ギリアム作品の中ではあんまり評判のよく無い『ブラザーズ・グリム』だけど、個人的には好き。それに近い雰囲気を持っているし、且つ、完全に子供が観られる作品を目指しているのは好感が持てる。
月の王の妻が何で変な声を出しているのか?ってサリーが質問すると、ばつが悪そうに「足をくすぐっているから」って答えるミュンヒハウゼン。でも、実際に足をくすぐっている。思わず「本当にくすぐってんのかーい」ってツッコんでしまう。おそらく、親子で一緒に観ていたら変な空気になるだろう…ってところまで狙っているんだろうなと。
映画の黎明期、メリエスの世界を彷彿させるような映像世界も悪くない。ただ、荒唐無稽なのは一向に構わないんだけど、砲弾に掴まって飛ぶとか月の世界とかまでは、ちょっとやりすぎかな…とも。なんか、ムダにバタバタした感じは否めない。でも、ギリアム監督じゃなければ、もっと興醒めしていただろう…ってのが救い。
もうちょっとシナリオ的にどうにかならなかったのかな…と思う点も。
サルタンとのいざこざが本当だったのなら、“本当”として直球で描けば良い。でも、トルコ撤退後のそこに、4人の家来はいない。そうじゃないなら、なにか別の現実のトルコ撤退のストーリーが並列で流れていてもよい。そこに現実として横たわるトルコ軍の撤退をどう捉えてよいのか。深く考えるなというのは簡単かもしれないが、煙に巻きたいなら、いろんな解釈ができる余地や仕掛けを用意すればよかったと思う。いや、そこをウマくやることこそ、この作品のキャラクターを扱う醍醐味だったんじゃなかろうか。
そう考えると、なんとも微妙な出来映えか。息切れした感じがする。
英語を喋っているからってことだけじゃなく、雰囲気が全然ドイツっぽくないのも、気になった。調べてみたら、ロケ地イタリアでやんの。全体に漂う、このカレーはもう一晩ねかせたほうがいいんじゃない?的なしっくりこない感じは、そこからくるのかも。ほぼセットなんだから、どうにでもなりそうなのにね。
まあ、いずれにせよ、一部の人の好みにはドンピシャで合うかもしれないけど、多くの人はそれほどでも…って感じの作品かな。
#ユマ・サーマンって掃き溜めに鶴みたいな役はマッチするね。この頃のの彼女はユニークな魅力があって素敵。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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