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公開年:2003年
公開国:日本
時 間:116分
監 督:犬童一心
出 演:妻夫木聡、池脇千鶴、新井浩文、上野樹里、江口徳子、新屋英子、藤沢大悟、陰山泰、真理アンヌ、SABU、大倉孝二、荒川良々、中村靖日、西田シャトナー、山本浩之、板尾創路、森下能幸、佐藤佐吉 他
受 賞:【2003年/第13回日本映画プロフェッショナル大賞】主演女優賞(池脇千鶴)、ベスト10(第3位)
コピー:忘れたい、いとおしい、忘れられない。
ある日、恒夫は、乳母車に乗った脚の不自由な少女と出会った
大学生の恒夫は、深夜に麻雀屋でアルバイトをしている。そこで客たちが、明け方に乳母車を押して歩く老婆の話をしていた。その乳母車の中は一体何なのか?口々にヤクだとか大金だとか好き勝手なことといっている。明け方、店長から愛犬の散歩を頼まれた恒夫が町を歩いていると、何と坂の上から乳母車が走ってくるのに遭遇。客たちが話していた老婆と思しき人が手を離したのだ。坂の下で止まった乳母車の中を覗くと、一人の若い女性が包丁を振りかざしてきて、恒夫は危うく刺されそうになる。乳母車の中にいた女性は老婆の孫で、原因不明の病で足が不自由で歩くことができないという。この近所に住んでいるのだが、孫が外に出たがるのだという。しかし、老婆は障碍者の孫を他人に見られることを極端に嫌っていて、そのために人目につかない早朝に散歩に出かけているという。そのまま恒夫は、お礼として朝食をご馳走になる。足が不自由ながらも朝食をつくる孫の様子に驚きながら、久々においしいご飯に大満足。恒夫が孫に名前を尋ねると、“ジョゼ”と名乗る。一度も学校にいったことがない彼女は、祖母が拾ってくる古本で知識を得ており、その中の一冊、サガンの『一年ののち』の登場人物がジョゼだった。恒夫は、そんな不思議な雰囲気のジョゼに興味を持ち始める。それから、バイトや大学生活の合間を縫tt、度々ジョゼの家を訪れるのだったが…というストーリー。
妻夫木聡と池脇千鶴のジャケット画像を見て、岩井俊二的な恋愛モノのノリ?それも障碍者を扱った腫れ物に触るような演出があったり?なんて、勝手な先入観を抱き、喰わず嫌いでこれまできた。大間違いだった。もっと早く観るべきだった…。
1分たりとも、集中力が削がれることが無く、がっちり没頭。。この話の運び方のウマさよ。邦画ベスト15を作るならば、入れないわけにはいかない作品だと思う。未見の人には、是非観てほしいとすら思っているので、内容についてはあまり語らないことにする。
本作は、現代の『人魚姫』だと思う。人魚姫は王子様のところにいくために、魔法使いのババァに人間の姿にしてもらう。だけどそれと引き換えに言葉を失う。
ジョゼが人間社会と接するには、婆さんに従って人目につかないように、早朝にそれも乳母車に隠されて散歩。世間のことを知るのは古本から。婆さんは学校に行かせていないどころか、近所の人にまでまるでジョゼが存在していないような態度を取る。ジョゼがいる前だろうと、人前に出てはいけない半端者だと断言して憚らない。ジョゼのことを愛していないわけではないのだろうが、『人魚姫』の魔法使いのようにジョゼを縛っているのは婆さんである。
『人魚姫』の場合は、王子の傍にいられるけれど、王子と結ばれなければ“泡”になっていまうという制限付きの魔法。ところが、婆さんが死んでしまって、魔法が反故になって、魔法から開放された人魚姫はどうするの?っていう、“if”のお話かな…なんて個人的には思っている。
水族館や海に執着するジョゼの姿、特にラブホテルでのショボい魚の灯影から、リアルな海の底を想像するジョゼと観て、そんなことを考えた。
相変わらず、家の中ではダイヴしているであろうジョゼ。以前は頑なに車椅子の使用を拒否していたジョゼが、スイスイと街中を“泳ぐ”ジョゼの姿に、強烈な爽やかさを覚えた。名作だと思う。
#『スマグラー』の時も書いたけど、妻夫木聡は普通の男を演じさせたらピカイチかも。息の長い役者になると思う(おっさんの歳になったときにうまく切り替えできれば…だけど)。
公開国:日本
時 間:120分
監 督:クァク・ジェヨン
出 演:綾瀬はるか、小出恵介、桐谷健太、田口浩正、遠藤憲一、小日向文世、竹中直人、吉行和子、吉高由里子、斉藤歩 他
コピー:ねぇ、ジロー。あなたと過ごした大切な一日。私は、何度生まれ変わってもあなたに恋をするよ。
誕生日を祝ってくれる友人もいない大学生のジローは、自分への二十歳の誕生日プレゼントを買うためにデパートを訪れると、ボディスーツのような不思議な風体の美女を見かける。彼女は、売り物の服や靴を着たまま店外に出ていく。その後、ジローが一人で食事をしているところに、何故かその美女が押しかけてきて、自分も誕生日だという彼女と一緒に食事をする。不思議な言動を繰り返しジローを振り回す彼女だったが、刺激的な楽しい誕生日を一緒に過ごすことで、ジローは彼女に惹かれていくのだった。しかし、彼女は突然ジローの目の前から消えてしまう。その1年後の誕生日に、あの時の彼女が現れる。再びレストランで一緒に食事をしていると、一人の客が突然銃を乱射。ジローは撃たれそうになるが彼女に助けられる。ジローが彼女の怪力に驚いていると、彼女は彼に事実を告げるのだった。彼女は、未来のジローが自分を救うために送り込んだサイボーグだったのだ…。
どうでもいいが、“サイボーグ”の定義くらい押さえておくべきではないかな。ロボットでしょ、本作のコレは。タイトルのおさまりとかを考えてのことだとは思うけど、“機械の心”が一つのポイントになっているのだから、これはイカン。サイボーグは普通に心を持っているのだから、そぐわない。いやサイボーグってのは、そのロボットのことじゃなくて、後の奴の…っていい訳しそうだけど、あれは生身だから。
クァク・ジェヨンというのは、『猟奇的な彼女』とかの監督。要するに、粗暴なロボット彼女に振り回される…という“彼女シリーズ”のひとつということなんだろう。まあ、その部分については、綾瀬はるかの魅力のおかげだけでなんとか成立している(彼女が出演する映画の中で、一番、美しく描かれているのは間違いない)。
しかし、内容は完全にタイムリープ物で、どっぷりとSF。タイムリープ物として優秀な『LOOPER/ルーパー』を観た後なので、どうしても、本作の稚拙さが目立つ。
(以下、ネタバレ)
過去を修正して大怪我をするはずの自分を救ってしまったが、時間はそれを元に戻そうとするので、きっとこれから大怪我するような事件に遭遇する!っていうのは、結構秀逸なギミック。だけど、これ『ファイナル・デスティネーション』のパクり。
一回めに登場した彼女が、次年に登場した彼女と同一と思わせておいて、実は…という仕掛けは悪くないのだが、彼女に似ている女性が登場しスクラップを入手した後、なぜかその記憶を取り込むという暴挙に走る。記憶を覗くだけならまだしも、記憶を取り込んでしまえば、元の人間としてのアイデンティティは崩壊してしまうだろう。自分が経験していない記憶に振り回されるという気味の悪い所業。そして、そんな気持ちの悪い生物と、主人公が結ばれました、めでたしめでたし…って、今、眼前で破壊された彼女を嘆いているのに、似ている人間が登場したからって、素直に受け入れられるかね。“見た目”だけよけりゃそれでいいのかよ…、なにか韓国人の醜さを見せられたようだ。そんな行為に、あこがれやシンパシーを感じられるわけものなく、深く考えれば考えるほど吐き気がしてくる。
で、この一連の終盤のくだりは『アンドリューNDR114』のようなテイストでまとめられている。『アンドリューNDR114』では、技術進歩が進むだけ進んでしまって、生体部品によってロボットと人間の区別がつかなくなる。本作は、ロボットそっくりな人間が、ロボットの記憶を人間に取り込んでしまって…という展開。エピローグとしての語り口が良く似ている。
この脚本、ちょっとパクり…というか、他の映画のギミックとかテイストをそのまま使いすぎだよね。
どうせアイドル映画だろ…と、期待していなかったが、そこまでヒドくはなかったかな…というレベル。
#作中で、綾瀬はるかのアゴが成長しているような気がするのは気のせいか?…
公開国:日本
時 間:100分
監 督:宇恵和昭
出 演:井上真央、ジョナサン・シェア、国仲涼子、戸田菜穂、國村隼、大竹しのぶ、入江雅人、川岡大次郎、坂東工、パトリック・ハーラン、ダンテ・カーヴァー、ジェームズ・JJ・デ・バラード、ガウ 他
コピー:ド肝抜かれるほど、幸せな日々。
漫画家を目指すイラストレータのさおりは、“漢字”の美しさに見せられて来日したアメリカ人のトニーと出会う。中学生の時に英語のテストで4点を取ったくらい英語が苦手なさおりと、日本語ペラペラのトニーは、普段は日本語でコミュニケーションをとっている。しかし言語オタクのトニーは、日本語への何気ない疑問をさおりにぶつけるが、普段何気なく使ってる語彙や言い回しについての質問に困惑する日々。そうこうしながら二人の交際は順調に進み、同棲生活をスタートさせるまでに。そんな中、姉の結婚式があり、そこで両親にトニーを紹介しようとするのだが…というストーリー。
よく、あの原作を、こういう形の映画にしようと思ったな…と。そしてこの企画を通した製作委員会の面々も、ある意味すごいな…と。
稲川素子事務所 大儲け的…な感じで、TVでよく見る外国人タレントがいっぱいでるのだが、彼らに言わせている台詞が、日本人を馬鹿にしたものばっかりで、この映画の製作側は、日本に来ている外国人は、日本人を馬鹿にしている奴らばっかりですよ!と啓蒙したいのか。それとも外国人を姿を借りて、日本を馬鹿にしたいのかどっちかなんだろうね。
父の死、漫画家としてのプレッシャー、外国人夫のすれ違い…何、このコレジャナイ感。原作マンガの根本である、異文化の差みたいなものに、全然フォーカスが当たってないし。これは、あの原作をモチーフにした別作品なんだね。映画じゃなくて、『あたしんち』的なアニメにしておけば楽しめたんじゃないのかと思うのよ。こうするんなら、別モノだ…とわかるように、タイトルを変化させるべきだったと思う。“ダーリンは外国人”は副題にして別のタイトルをつけるとかね。
劇場に足を運んだ人って、少なからず、原作を読んでおもしろいと思った人たちだと思うんだ…。そういう人たちは、これに1800円払った自分に怒りが湧かなかったのかな?
実名だけど、トニーのキャラクターも現実とは雲泥の差。実物のトニーは、この映画公開の前後に、ちょくちょくTVに出ていたけど、出なくなった。マンガの通り、気難しいおっさんで、TVの中の彼は感じの悪いおっさんに映っていた。実際、かなり面倒くさい人。一昔前にニュースになった小樽の銭湯でロシア人が大暴れして出入り禁止になった件で、その後入浴を拒否された外国人が人種差別だーって裁判をおこした連中の資金援助をしていたのが、このトニー。別にそれが人格権の侵害だということに異論はないけど、外国人お断りの浴場を狙ってトラブルをおこしにいったり、やり方かが醜い。はっきりいってチンピラまがい。結局、この裁判で一人100万くらいの賠償金を得ている(と、ウィキペディアに書いてあった)。元は、不良外人の乱行にはじまっていることであり、たかがだ銭湯の従業員が外国語でコミュニケーションを取れるわけもなく、相当辟易していたのは間違いない。本来は商売なのだがらウェルカムなのに、こうせざるを得ないというのは、相当のこと。その経緯を無視して、裁判を起こすなんて、外国人と付き合うのがイヤになる事件だった。
#日々の労働で忙殺されている従業員に、言葉の通じない外国人をどう扱えというのか…、うんざりしてくる。暮らしにくかったら、お互い歩み寄るようにすればいいのに、こういう仕掛け方をしてくる人間は大嫌いだ。トラブルがおこったら電話対応してくれる日本在住の外国人組織をつくるとか、お互いの協力の仕方はあると思うんだよ。これだから訴訟馬鹿のアメリカ人は…。そんなやり方じゃ差別はなくならないよね。
まあ、トニーは閣僚の靖国神社参拝に反対している人らしく、このことからもどういう思考の持ち主かわかるわな。まあ、主張は自由ですわ。
(閑話休題)
映画自体は、感想を述べるまでもない内容。最後は、もう、勝手にやってろ…って感じの少女マンガ。國村隼と大竹しのぶがいなかったら、映画の体をなしていなかったかも。
言語オタクのトニーは、“全然”の後は別に否定形…間違ってますよね…っていってるけど、別に否定形でも間違っていないと思うけど…。シナリオ書くならちょっと調べなよ…と思う。とにかく言語ネタがもっと前面に出ると思っていたに、これじゃあなぁ。
駄作だと思う(スパっと)。
#ああ、書泉グランデ 懐かし…。
公開国:日本
時 間:137分
監 督:井口奈己
出 演:永作博美、松山ケンイチ、蒼井優、忍成修吾、あがた森魚、温水洋一、市川実和子 他
コピー:恋におちる。世界がかわる。19歳のボクと39歳のユリのいかれた冬の物語。
地方の美術学校に通う磯貝みるめ。その学校に非常勤講師としてやってきたユリ。彼女のことが気になり、彼女の教室を訪れるようになったみるめは、ユリから絵のモデルを頼まれる。しかし、彼女のアトリエで2人は関係を持ってしまう。ユリにすっかりはまってしまたみるめは、夢見心地の日々。彼に秘かに恋をしていた同級生えんちゃんは、みるめとユリが付き合っていることを知り、衝撃を受けてしまう…というストーリー。
まあ、よく言えば、ヨーロッパ映画のように“空気”重視。大して内容もなさそうなのに137分もあるのかよ…と思ったけど、雰囲気を壊さないことに注力すれば、こんな感じなるのも納得。
ダラダラと簡単に撮っているようにみえるかもしれないけど、この間を持たせつつ興味も失わせないのは、なかなかテクニックとセンスがいると思う。長廻しも多かったので、演者側も大変だったんじゃないだろうか。
ロングショットも多用していて、はじめ松ケンも忍成修吾も認識できなかった(忍成修吾はARATAかと思ったよ)。
だけど、純粋に映画を観たい…ってだけの人、映像表現の手法とかシナリオのデキ云々なんか考えながら観たくないよ!って人には、煩わしく感じるのかもしれない。
ストーリー自体は、性に奔放な人妻が学生と不倫する様子をダラダラと綴るだけ。“だけ”っていっていいのか悩むところだけど、ドラスティックな展開もないし、それほど現実の世界でありえない話でもなかったりするし、退屈に感じた人はたくさんいるだろな。
間と空気感を一生懸命つくっているのはよくわかるんだけど、対して、細かいディテールには、さほど気を使っていなかったりして、逆に面白かった。
作品を見ているだけだと、舞台の地がどこなのかわかんない…とか(途中でユリが東京にいくっていうセリフがあって、初めて田舎なんだな…って気づいた)。松ケン演じるみるめが、気を抜くと青森弁になっちゃうのとか、それでいいのか?って感じ。そういう部分よりも、演技の流れを重視したってことなんだろうけど(私はそういう姿勢が嫌いじゃないけど、気になるひとは気になるだろうね)。
「会えなければ終わるなんて、そんなもんじゃないだろう」っていうラストのセリフ。一般的にそんなことが言われているわけもないのに、否定してきやがって、まるで告白もしてないのにフられた感じ。まあ、本作を貫くそういう理不尽さというか奔放さを象徴した表現なんだろうね。
こんなゆるゆるな作品なのに、玄人好みっていうめずらしい作品だと思う。これおもしろいよ…と薦めても、ピンとこない人には「はあぁ?こんなの薦めてアホなんじゃね?」といわれそうで、薦めるのは怖い作品。
根本的に、誰一人として他人のセックスのことを笑ったりしない。なんとなく、なんとなく。本作自体がなんとなくの塊なんだろうな。
負けるな日本
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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