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公開年:1979年
公開国:アメリカ
時 間:105分
監 督:ロバート・ベントン
出 演:ダスティン・ホフマン、メリル・ストリープ、ジャスティン・ヘンリー、ジョージ・コー、ジェーン・アレクサンダー 他
受 賞:【1979年/第52回アカデミー賞】作品賞、主演男優賞(ダスティン・ホフマン)、助演女優賞(メリル・ストリープ、ジェーン・アレクサンダー)、監督賞(ロバート・ベントン)、脚色賞(ロバート・ベントン)
【1979年/第14回全米批評家協会賞】主演男優賞(ダスティン・ホフマン「アガサ/愛の失踪事件」に対しても)、助演女優賞(メリル・ストリープ「マンハッタン」、「或る上院議員の私生活」に対しても)、監督賞(ロバート・ベントン)
【1979年/第5回LA批評家協会賞】作品賞、男優賞(ダスティン・ホフマン)、助演女優賞(メリル・ストリープ)、監督賞(ロバート・ベントン)、脚本賞(ロバート・ベントン)
【1979年/第37回ゴールデン・グローブ】作品賞[ドラマ]、男優賞[ドラマ](ダスティン・ホフマン)、助演女優賞(メリル・ストリープ)、脚本賞(ロバート・ベントン)
【1980年/第23回ブルーリボン賞】外国作品賞
コピー:「ママ!パパといっしょにいて・・・」
広告会社で働くテッド・クレイマーは結婚して8年。経営者から昇進の可能性があること伝えられ上機嫌で帰宅すると、スーツケースを片手にまさに家を出ようとする妻ジョアンナの姿が。結婚生活は最初は幸せだったが、夫テッドは仕事第一で帰宅はいつも午前様。子供も生まれ最初は幸せだった結婚生活も、今では3人の間に会話すらなくなっているほどで、結婚生活に意味を見出すことができずにいた。7歳になる子供ビリーのことが気になりながらも、彼女は自分をとり戻すために家を出る決心する。はじめは、すぐに戻ってくるとタカをくくっていたテッドだったのだが…というストーリー。
こんな名作を、いままで観ていなかったという、相変わらず、映画ファンを名乗ることが憚られるレベルの私。
家庭問題や学校問題において、日本はアメリカの20年後を追っかけているようだという人がいる。この映画を観ると、正しいのかもしれないと思えてくる。ジョアンナは、女だって平等であるという考えを教育され(または社会がそういう価値観を肯定しはじめ)、自分も自由に行動してよい“はず”だし、家族によって制限されない“べき”であるという考え方に捉えられてしまっている。確かにその通りではあるのだが、フィジカルな性差があるのは事実だし、特に出産・育児による経済的損失のために、一時的には分業を強いられるのは割り切らなければならない。そこから女性が仕事の一線に戻るのは相当のパワーが必要だと思うし、社会基盤がよっぽど整備されなければ“分業”することが常態であるということになってしまう。まあ、そういう時代のアメリカの話だし、10年くらい前までは、まさに日本もこんなで、「改正男女雇用機会均等法」が施行されたのが1999年。たしかにアメリカの20年後を追っている感じかも。
「男女雇用機会均等法」自体が施行されて15年ほど経過するが、当時がやみくもなジェンダーフリーがもっとらしく叫ばれていたが、いまではそんな単純な理屈ははやらない、というか、実際“はず”“べき”をふりかざしも実際の女性の生活も地位も必ずしも向上したわけでもないし、かえってつらくなった人は多い。自由には責任を伴うという言い方もできるし、機会の平等と結果の平等という面では、表向きの機会は増えたが表記の問題だけで実態は改善していないからという見方もできる。まあ、社会学的なマクロ視点と、個別事情に大きく依存してしまうミクロ視点に、大きな乖離が生じやすい問題だからね(いくら、女性はそうある“べき”と言われたって、会社が育児休暇や時短の制度を整備していて、近くにいい保育園があって、いざとなったら親が簡単にヘルプしてくれて、且つ自分に仕事へのやる気と健康な体力があるならば、簡単に実現できるけど、どれか一つが欠けたら途端に苦しくなるのは容易に想像がつくでしょ)。
女性の地位が向上しないのは男性だと未だに言い続けてみたり、女性の中に女性の敵がいるからだ!という浅い理屈で飯を喰っている学者風情がいるが、私から言わせてもらえば、あなた達こそ阻害要因に見えるのだが…。まあ、女性問題に限らず、“はず”“べき”という考えに捉えられえ、執着して周りが見えなくなったら、変な方向に進んでしまうんだけどね。
逆に言わせてもらえば、男性だって個人の特性とは無関係に外で稼ぐことを“強いられて”いるわけで。それなら「主夫」だってアリだろうと実際に行動に移した人もいるが、決して一般的にならなかったのはご承知の通り。この理屈がうまくいかないのは、人間の社会的特性として自然とそなってしまう理由があるということに気づいたほうがいい段階なのかもしれない。
テッドは、子育てのために仕事も変えたし、家事も育児も立派にこなすように変貌した。現在なら女性に賛美されそうな人間だ。一方ジョアンナは、仕事を選び子どもを捨てた。そういう選択をしただけである。法学をかじると、不貞を働いたり育児放棄など離婚の原因をつくったひとが悪いという考えが常識だと考える。しかし、日本における実際の離婚調停や親権をめぐる調停ではそうはならない。妻が不貞を働こうが、浪費癖があろうが、財産分与や慰謝料の問題ではその理屈は適用されても、親権はまず母親にいく例が多い。女が自立したいから平等を振りかざすなら、親権の問題だって男と女は平等に扱われるべきである。テッドの言うとおりなのだが、今の日本の裁判所のレベルは、アメリカの30年前と同じということですな。
閑話休題。
映画的には、フレンチ・トーストを作る場面が2回出てきて、この2つのシーンの間で、どれだけ父と息子が濃密な時間を経て強い絆で結ばれていいったか判らせる、という演出が秀逸である。この場面に限らず、無言で何かを表現する場面が多々ある。なにかと音を出したり、説明しすぎたりする昨今の映画は、回帰しなくてはいけないポイントなのかもしれない。
また、ラストも、どうなるのか鑑賞者に考えさせるという、人によっては「こうなったに違いない」という解釈に差が生まれる、今では少なくなった手法で、かえって新鮮に感じる。
若い世代は未見の人も多いだろう。強くお薦めする(逆に、家庭で苦労している人はつらくて観ていられないかも)。パートナーを見つける前に観ることもお薦めする。
#吹き替え音声は無い。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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