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公開年:1968年
公開国:アメリカ
時 間:119分
監 督:リチャード・フライシャー
出 演:トニー・カーティス、ヘンリー・フォンダ、ジョージ・ケネディ、マイク・ケリン、ハード・ハットフィールド、マーレイ・ハミルトン、ジェフ・コーリイ、サリー・ケラーマン、ウィリアム・マーシャル、ジェームズ・ブローリン、ダナ・エルカー 他
1960年代のボストン。1人暮らしの高齢女性ばかりを狙う連続殺人事件が発生。押し入った形跡はなく、被害者は何故か犯人を招き入れていること、犯行に使用されたロープが外科結びと呼ばれる独特の結び方であること、猟奇的な陵辱を受けているなどの共通点のため、事件は話題となり、世間で“ボストン絞殺魔”と称されるようになる。事件の特殊性により捜査は難航。警察は手当たり次第に不審人物を捕らえるが、いずれもシロ。州検事局は、その威信をかけて検事総長補佐ボトムリーを捜査責任者に据えて捜査に乗り出すのだが…というストーリー。
昨日鑑賞した『冷血』の翌年公開作品で、同じようなセミドキュメンタリー(実際の事件がベース)。影響を受けているのが完全にアリアリである(犯人の名前も検事総長補佐の名前も実名らしい)。
以下、ネタバレ。
前半は犯行に対する市民や警察のリアクションがメイン。画面を分割して複数の視点を同時に表現する実験的な演出は目を惹く。スリリングな演出で、グっと作品に引き込まれる。単なる二番煎じという批判を避けるために、こういう目新しい手法を加えた…という見方もできるが、純粋にフライシャーの映画技術が長けていると捉えるべきだろう。
しかし、後半になると突然犯人が明確になり、さらに二重人格者による犯行だということになるのだが、前半と後半のテイストのブレ方が実に大きい。『冷血』と比べると、何を主軸に据えて表現したいのか、よくわからなく感じる。
多重人格者という設定だが、今見れば、いまいち正しくない心理学的描写が多いように感じられ辟易する。それに、実際のデサルボは取調べであんなに混乱したり苦悩したりはしなかったらしく、肝心の事件の根幹が創作であることがわかる(『冷血』でのカポーティの姿勢とは大違い)。その辺の、ストーリー面の強引ともいえる誘導っぷりが、後半のイマイチ感(リアリティの欠如)につながっていると思う。
ラストのテロップの内容など、実にくだらない。“殺人などに至る前に、病を発見して治療する制度はまだ作られていない”って、そんなもん未来予測しろといっているようなもので、永遠に出来上がるわけないじゃない。この感覚で、途中で、超能力者を登場させたのかと思うと、逆にゾッとしてしまう(さすがに、日本でのTV放送時にはカットされてるようだけど)。こういうもっともらしいだけの、ポンコツ偽善者の理屈が世の中で一番タチが悪い。
映画技術の高さと、コンセプトやシナリオの稚拙さにものすごい落差がある。逆に言えば、完全に駄作になるところをフライシャーの技術によって救われたということ(フライシャー的には面目躍如って所)。先に『冷血』を観てしまったからかもしれないが、満足にはほど遠い。あえてお薦めはしない。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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