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公開年:2009年
公開国:フランス
時 間:110分
監 督:アンヌ・フォンテーヌ
出 演:オドレイ・トトゥ、ブノワ・ポールヴールド、アレッサンドロ・ニヴォラ、マリー・ジラン、エマニュエル・ドゥヴォス、レジス・ロワイエ、エティエンヌ・バルトロミュー、ヤン・デュファス、ファビアン・ベア、レシュ・レボヴィッチ、ジャン=イヴ・シャトゥレ、リサ・コーエン 他
受 賞:【2009年/第35回セザール賞】衣装デザイン賞(カトリーヌ・ルテリエ)
コピー:もし翼を持たずに生まれてきたのなら、翼を生やすためにどんなことでもしなさい
母親を亡くし、父親に見捨てられた孤児となったガブリエル・シャネルとその姉。昼間は仕立屋でお針子仕事、夜はキャバレーで“ココ”の愛称で歌手をして生計を立てていた。そのキャバレーで裕福な将校エティエンヌと出会い愛人関係いなると、お針子をやめ彼の屋敷で生活するようになる。上流階級の社交界にも顔出すようになるココだったが、次第に愛人としての扱いに不満を抱くようになり、同時にその頃から、彼女の中で裁縫の才能が芽生えはじめるのだった。そんな中、エティエンヌの友人であるイギリス人実業家ボーイ・カペルが現われ、ココと相思相愛となるのだが…というストーリー。
先日の『ココ・シャネル』とまったく同じお話といってよい(もちろん、フランス映画なのできちんとフランス語で、パリで英語を話すようなトンチキ状態ではない)。まあ、事実がベースなのだから当たり前なのだが、エピソード的にはなぞっているかのごとく同じ内容。ただし、登場人物の考え方や関係性など、目に見えない部分で相違が多々ある。これは、解釈の違いということだろうが、物語を毀損するような違いではなく大勢に影響はない。
『ココ・シャネル』が彼女の恋愛模様と並行して、デザイナーとしてどう開花していくのか?という両面にバランスよくスポットを当てていたのに対して、本作では、彼女の若きころの恋愛模様にのみを扱っており、デザイナーとしての活躍は、最後に駆け足で説明しているだけ。『ココ・シャネル』は伝記のような感じだったけど、本作はそういう風情はない。また、『ココ・シャネル』が、晩年のシャネルが若き頃を思い出すような編集をしているのに対して、本作では、幼年から時系列に話が進む。その点は、気が散らず集中できるので、本作のほうが好感が持てる。
セットや画質、編集の仕方など、技術的にも完全に本作のほうが上だし、ココ役も、細身で、自分という芯があるように見えるけれど、結局は男に翻弄されてしまう“グズッ”とした感じをオドレイ・トトゥが頃合良く表現していて、この点においても本作に軍配が上がると思う。
ただ、日陰の女としてしか扱わないエティエンヌと、他の金持ちの娘と結婚してしまうボーイの間でもてあそばれつつも、結婚という夢を捨てる姿にだけにスポットを当てるのをおもしろいと思うか否か。もう、ここは、好みの問題かな…と。
個人的な不満としては、もし恋愛の部分に多くスポットを当てたいのならば、後々、第二次世界大戦時にフランスがナチスに占領されたときに、ナチス親衛隊将校の愛人となり、その後、売国奴と罵られ亡命生活を余儀なくされた事実も語るべきだと私は思う(その影が彼女に影響を及ぼしていないなんていわせないぞ)。まあ、それを扱っちゃうと、力を持っている男に場当たり的に寄っていってるクソ女に見えちゃうので、シャネル側としてもほじくり返されたくない部分なんだろうけど。でも、ここを扱ったら、すごい作品になったと思うんだけどねぇ。
私が男性だからかもしれないが、両作を観てもココ・シャネルという“人間”自体に興味が沸くことがなかった。その生き方にロマンも、憧れも、切なさも感じない。アーチストとしての姿勢という意味では、『ココ・シャネル』に片鱗が見えるけれど、本作にいたってはその点も見えない。業績は大変なものだとは思うが、映画にするまでの人生か?そう思えて仕方が無い。ということで、特段、お薦めしない。
負けるな日本
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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