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公開年:1957年
公開国:日本
時 間:110分
監 督:黒澤明
出 演:三船敏郎、山田五十鈴、志村喬、久保明、太刀川洋一、千秋実、佐々木孝丸、清水元、藤木悠、土屋嘉男、浅野光男、大友伸、佐田豊、高堂国典、富田仲次郎、稲葉義男、土屋詩朗、高木新平、増田正雄、松下猛夫、大友純、上田吉二郎、谷晃、堺左千夫、沢村いき雄、大村千吉、三好栄子、浪花千栄子、恩田清二郎、笈川武夫、桜井巨郎、井上昭文、小池朝雄、坪野鎌之、加藤武、高木均、樋口迪也、大橋史典、木村功、宮口精二、中村伸郎 他
戦国時代。蜘蛛巣城の城主都築国春は、北の館城主藤巻の謀反により攻め込まれ、やむなく篭城。もはやこれまでと城内で覚悟を決める。そんな中、一の砦の鷲津武時と二の砦の三木義明の活躍により形勢が逆転し、何とか難を乗り切ることができた。危急を救った武時と義明は主君に召され蜘蛛巣城へ向かうが、何故か道に城の前にある蜘蛛手の森から迷って抜け出せなくなる。すばらくすると小屋を発見。その中には老婆がおり、「武時は北の館の主になり、その後蜘蛛巣城の城主になる。義明は一の砦の大将になり、義明の子はやがて蜘蛛巣城の城主になる」と予言するのだった…というストーリー。
他の黒沢作品にある社会主義的視点とか、ストーリーの裏にある寓意を読み取ろうとか、そういう観方をすると、ちょっと調子が掴めないかもしれない。もちろん、娯楽大作でもない。
実のところ、話の筋はまるっきりシェークスピアの「マクベス」で、キャラクターからあらすじまでほぼ一緒。三人の魔女が一人のもののけに変わっているのと、一部のキャラが省略されている程度しか差がない。「洗っても血が落ちないよぉ~」なんてのも、「マクベス」が元ネタで、そういうレベルまで一緒。その戯曲を戦国チックにして歌舞伎や能の様式美を加えて仕上げた作品ということ。後の『乱』なんかと同じ方向性の作品、いや習作だったといってもいいくらいである。
ストーリー自体はかなりぶっ飛んでいるのだが、元の「マクベス」自体がかなり不思議な話なので、黒澤明のせいでは無い。魔女の予言どおりにことが進んでいるだけで、主人公がなにか悪さをしたから因果応報で滅びてしまうとか、そういう教訓めいた話ではない。はっきりいってけっこう理不尽な話で、シェイクスピア悲劇の中最も不吉な作品と言われるのはそのせいである。
予定説の概念をなんとなく理解している欧米人にはピンとくる作品だと思うが、日本人にはどこか納得のいかない話かもしれない。実際、欧米での評価は海外では高い模様。
ということなので、ストーリー上の工夫はほぼないといってよい。やはり、「マクベス」を愚直になぞりながらも、それを日本の様式美で如何に表現するか?というテーマだったんだと思う。そういう意味では大成功だし、以前に本作を観た時はマクベスを知らずに観たのだが、今回内容を把握してから観ると、やはり感じ方に差があった。「あーら、同じ。うまいこと戦国時代に置き換わってる~」っていう感心。原作どおりに『ハリーポッター』がうまいこと映画化されてるのを観て感心するのと同じ感覚かも。
じゃあ、所詮マネっこなので、それほど見る価値はないか?といわれるとそんなことはない。なんといっても、最後の絶命時の雨あられと矢が突き刺さるシーンは圧巻の極みで、昨今のCGなんか紙クズみたいに感じる。首に刺さるシーンはどうやって撮ったのか、何度観てもよくわからないほど。黒澤組の技術力に圧倒されること必至である。音声が聞きにくいのは毎度のことだけど、画の力でなんとなく持っていかれて納得しちゃうくらい。黒澤作品の時代劇の中では、説教臭い部分がないので、一番すっきり楽しめる作品なのかも。お薦め。
負けるな日本
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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