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公開年:2010年
公開国:日本
時 間:121分
監 督:猪股隆一
出 演:成海璃子、山下リオ、桜庭ななみ、高畑充希、小島藤子、山本小春、金子ノブアキ、市川知宏、森崎ウィン、森岡龍、坂口涼太郎、宮崎美子、朝加真由美、おかやまはじめ、山田明郷、森本レオ、織本順吉 他
コピー:ひと筆にかけた思いがある!
愛媛県、四国中央高校の3年生早川里子は、書道家を父に持つ書道部部長。しかし、部員たちは好き勝手に書いているだけで、指導者もおらず廃部寸前。そんな里子自身も何で自分が書いているのかわからなくなっていた。産休補助教員の池澤先生が臨時顧問になったが、彼からも“つまらない字”といわれる始末。そんな池澤が突然披露したパフォーマンスに部員の清美は夢中になってしまうが、里子は書道は自分の心と向き合いながら一人でするものだと大反発。ますます部の雰囲気は悪くなる。しかし、清美の家の文具店が閉店セールをするので、恩返しに盛り上げたいと言うので、仕方なく協力するのだったが…というストーリー。
連日の成海璃子主演作品だが、特段ファンというわけではない。たまたま。でも、この2作を連続して観て、比較することにものすごく意味があった。簡単にいってしまえば、前日の『武士道シックスティーン』は快作だったのに、本作はポンコツである。この差はどこで生まれたのか。
実は、この2作はものすごく共通点がある。
女子高校生の部活動、個人競技でありつつ集団競技でもある、家庭環境にすこし問題がある子たち、主人公の親はその道のプロで子供のときから修行、勝利を掴むことを是として教育されている、楽しくなければ意味が無いというテーゼ…等々。これが同じ2010年製作で、普通なら同じ女優主演で、こんなカブった作品は普通避ける。
ここまで似ているのになぜ本作はダメなのか。私は次の2点だと感じた。
①根本的な主張がブレている。
楽しく書道をすることに意味があるという主題なのかと思ったら、町のため、みんなを元気にするためとも言い始める。もっともらしく聞こえるが、それぞれ利己主義と利他主義から生じたものであって、足場は異なる。これを融合するのは案外むずかしいと思うのだが、結局最後まで、融合することなく、なんとなく進む。さらに、ツライ状況を忘れる為に書道をやる…みたいな感じも加わってくる。それだと、アルコールと変わらないよ。
きっと、本作は“町おこし”というコンセプトをはずすことができない事情があったんだろう。それならば、後者にだけスポットを当てればよかったのだ。このフガフガした、合わない入れ歯みたいな感覚が気持ち悪い。『武士道シックスティーン』は前者に集約されていたから、すっきりおもしろかった。要するに、作り手側が伝えたいメッセージが、はっきりしていたかいないかの差である。これは実に大きい。
②監督の“気付き”の能力の欠如
観ていて、「おかしくね?」と思うシーンが多々あって、興醒めする。ありすぎるので箇条書きにしちゃう。
・着任した教師が、早々にグラウンドに巨大な紙を敷いて書きはじめるのだが、元々そんな巨大紙に書くような活動をしているわけでもないのに、その紙はどこから入手したのか?そんな簡単に用意できるものか?
・紙すき職人のじいさんが、自分の作った和紙を店においてもらえないからといって、分身ともいえる製作物を何と燃やしてしまう。そんなの職人といえるか?そんなじじいに共感できるか?同情できるか?
・「倒産したのを聞いたのは、その日の夜でした…」というシーンが夜。
・書道パフォーマンス甲子園を思いつくのが唐突すぎる。もうちょっと、思いつくプロセスを大事にしてほしい。事実だからといってなぎ倒した感満載。
・生活費や入院費を稼ぐ為に母子家庭の一人娘が働いているのに、のんきに進学を勧める母親の意味がわからん。金がないことは母親が一番知っているはず(もしかして、若年性痴呆とかそういうハードな設定なのか?)。
・もっともらしけど、根本的に親が入院していることを隠す意味がわからない。だって、隠すメリットが一つもないんだもの。
・「あたし後悔とかしてないきに」 後悔ってのは後からするもんだろ。
・その日に紙をもらって当日に張り合わせるなんて不可能だと思う。
・なんで転ぶと曲が止まるのだろう。なんでみんな歌詞を知っているのだろう。アンジェラ・アキは四国で神ですか?
映画監督業というのは、プロジェクトマネジメントの最たるものなので、こういう穴は敏感に察知しなければいけない。察知できないのも問題だし、察知できているのに「まあ、いいか」として流しているとしても問題。いずれにせよこの監督さんは、向いていないのではなかろうか。
また、なんでこんなにごちゃごちゃした印象の作品になってしまっているのか。まず、書道パフォーマンス甲子園を生み出したという事実が存在し、それに後付で思いつくかぎりのエピソードをくっつけたという製作構造がある。父親、紙すき職人のじいさん、顧問の教師…彼らのバックボーンがその例で、盛り込むだけ盛り込んでゴテゴテになっている。そしてゴテゴテになったあと、ブラッシュアップする過程をサボったからゴテゴテのままなのだ。ここまでできた段階で、「じゃあ、一回ガラガラポンで」ってやる勇気も時間も無かったんだろう。
はたして、めがねの子を転向までさせる意味があったろうか(いいキャラなのに)。いや、根本的に、めがねの子、いじめられた子、母親が入院してる子の役割がカブるところが多すぎる。ああ、やはり、考え始めるとキリがない。この作品は、途中経過を観せられたようなものではないだろうか。もしかして、観客に対して失礼なことをしているのではないだろうか。すごく製作姿勢に疑問を感じてきて、気分が悪くなってきた。まったくもってお薦めしない。本作を観るくらいなら『武士道シックスティーン』を観るのがいい。
負けるな日本
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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