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公開国:アメリカ
時 間:124分
監 督:スタンリー・キューブリック
出 演:トム・クルーズ、ニコール・キッドマン、シドニー・ポラック、トッド・フィールド、マリー・リチャードソン、アラン・カミング、マディソン・エジントン、トーマス・ギブソン、レイド・セルベッジア、リーリー・ソビエスキー、ヴィネッサ・ショウ 他
ノミネート:【1999年/第57回ゴールデン・グローブ】音楽賞(ジョスリン・プーク)
コピー:見てはいけない、愛
ニューヨーク在住の医師ウィリアムとアリス。結婚して9年目で7歳になる娘と幸せに暮らしていた。クリスマスが近いある日、ウィリアムの知人であるヴィクターのパーティに夫婦で出かける。パーティを楽しんでいると、ウィリアムはヴィクターから呼び出されれる。ヴィクターは一室に娼婦を呼んでおり、ヘロイン中毒で昏倒してしている彼女を前に狼狽していた。ウィリアムはマンディという名のその娼婦を治療して、なんとか一命と取り留める。パーティからの帰宅後、寝室でマリファナを吸ったアリスは、以前、家族で出かけたヴァカンス先のホテルで、視線が合った海軍士官に心を奪われ、求められたらすべてを捨ててもいいと思った…と告白する。それを聞いたウィリアムはこの言葉に衝撃を受ける。それをきっかけに、ウィリアムは性の妄想にとり憑かれ、深夜の街を徘徊するよになり…というストーリー。
ニコール・キッドマン演じる妻の必要以上の裸、それにジャケットの二人がからんだ写真を見て、妻もそういう倒錯した性の世界に沈んでいくのか、もしくはすでにそっちの住人だたりするんだろう…と勘ぐっていたのだが、すかされた。地味に、あの女性は、マンディなのか、街で会った娼婦なのか、貸衣装屋の娘なのか、はたまた妻なのか…なんて、色々想像していたんだけど。
トム・クルーズとニコール・キッドマンって、なんか薄っぺらなキャスティングだなぁ…と思っていた。ウィリアムはいたる所で金払いの良くて、セレブなように見ていたのだが、これは意図的な演出だったようだ。乱交パーティの参加者は、一介の医師ごときなんか足元にも及ばないくらい超セレブ。おまえらなんか全然セレブちゃうやんけ! っていう、展開のための前フリだった。そう考えると、彼らの薄っぺらさは、ナイスキャスティングってことなんだよね。
妻アリスが抱いている欲望、夫ウィリアムが囚われる性の妄想。表面的には円満で幸せな生活を送っている夫婦の内面は、それとは真反対。一夫一婦制を良しとしながらも、人間の真の姿はそんな規範の埒外にある。そういう主張なのか。ウィリアムって性の妄想にとり憑かれちゃうけど、マンディが死んだことについては、自分が殺したんじゃないかと、理詰めで苦しむ。忘れろ、人に話すな…と脅されたんだから、忘れりゃいいんだけど、変にモラリストだから気になって仕方が無い。人間の中には、動物的な欲求と理詰めのモラルが引っ張り合いをしているだ…というのを体言しているわけだ。
そして、最後の「Fuck」の意味は、人間の生活は必ずしも動物としての人間にマッチしているわけではない、でも、動物として行動することに躊躇しないようになる必要はない。夫婦の間で刺激を継続する工夫をして、うまいことやっていくのが一番…という、至極真っ当なアンサーに見える。つまり、“EYES WIDE SHUT” 見て見ぬふりしておけってことだよね。
これが遺作じゃなきゃぁ、別にそういう作品もあるわなぁ…で終わるんだろうけど、本作を失敗作という人は多い。でも、乱交パーティというかフリーセックスの教団みたいなエグい設定なのに、作品全体が何故かファンタジーっぽいのが不思議。この不思議さ故に、私はこの作品が嫌いになれない。
#でも、目隠ししてキーボードを弾いてるんだから、儀式とタイミングを計ることもできないわけで、それなら別にテープでも流しておけばいいのでは?情報が漏れる危険性を考えると、ナイチンゲールさんの役割の必要性がいまいちピンとこない。まあ、倒錯した世界だから、そういう偏執はあるってことで…。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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