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公開国:イギリス、フランス
時 間:124分
監 督:ピーター・グリーナウェイ
出 演:リシャール・ボーランジェ、マイケル・ガンボン、ヘレン・ミレン、アラン・ハワード、ティム・ロス、シアラン・ハインズ、ゲイリー・オルセン 他
ノミネート:【1990年/第6回インディペンデント・スピリット賞】 外国映画賞(ピーター・グリーナウェイ)
コピー:欲望を召し上がれ。
大泥棒のアルバートは、レストラン"ル・オランデ"のオーナー。豪華な内装と一流の料理が売りのレストランだったが、グルメ気取りのアルバートは、毎夜手下や妻を引き連れて粗暴な振る舞いをして他の客に迷惑をかけたり、味もわからないくせに、料理の内容にケチをつけたりするので、フランス人シェフのリチャードはアルバートを嫌っていた。妻ジョージーナは、アルバートにうんざりしていたが、彼の残虐で偏執的な性格に恐れを抱いており、逃げ出すこともできずにいた。そんなある日、ジョージーナはレストランの常連である学者のマイケルと知り合う。お互い魅かれあった両者は、リチャードの手引きもあって、レストランの化粧室や厨房で逢引きを重ねるようになる。しかし、度々席を立つジョージーナの行動をアルバートは不審に思いはじめ…というストーリー。
全体を通して、あらゆる表現が不快なことは間違いない。悪人丸出しの泥棒アルバートが不快の根源であることは間違いないのだが、だからといって妻と愛人の逢引きが正しいと思えないし、その行動はちょっと変態じみていて、捉え方によってはこっちのほうが不快かもしれない。だから、それを援護するコックの行動にも、一切共感することはないのだが、妻と愛人がどうなるのか…という一点において、観続けられる。それこそ出歯亀根性で。
#“共感”といえば、アルバートは、一般人と感覚が違う人間であることが表現されている。性的に不具者といってよい状態であることを妻ジョージーナは告白しているし、おそらく“痛み”に対しても非常に鈍感(それゆえに粗暴な振る舞いをしていると見た)。
舞台はほぼ9割がたレストランの中。夜の営業ばかりだし、街で悪事が行われる時も夜なので、ほとんど薄暗い映像だけ。でも、セット、照明、美術にとことん気を使っており非常に豪奢。この豪奢な中に、卑しい人々が地虫のように這い回っているというコントラストが、目を惹く。
泥棒アルバートの矛先は、コックや妻だけに向けられるわけではなく、手下やレストランの他の従業員、はたままレストランの客にまで及ぶまさに全方位攻撃。中世の暴君を思わせるその行動から、原作はシェークスピアの歌劇で現代を舞台に脚色したんですよーっていわれたら信じちゃいそうな感じ(違うよ)。そう言われたら、ラストのエグいシーンも、思わず納得できなくなくもない。泥棒がオーナーの店で、そいつが毎日大暴れしているレストランの経営が成り立つわけがない。そんな不自然さを、豪腕でなぎ倒しているんだから、パワーのあるシナリオであることは間違いない。
マイケル・ガンボンの演技が、恐怖を感じさせるレベルにまで到達していることで、成立しているともいえる。ここが中途半端だったら、すべてが台無しになっていただろう。
(以下ネタバレ)
妻と愛人の欲望の顛末を軸に最後まで展開すると思いきや、アルバートの欲望の顛末にシフトしていく。これは意外だった。そして、まるで革命劇のように、すべての出演者によって反撃が始まる。最後の「人食い」のセリフだが、実際に食べたことだけでなく、これまでの彼の行動が周囲の人間を食って生きてきたようなものだという表現なわけだ。
ただ、堪忍袋の緒が切れるのが遅すぎやしないか?という思いが湧いてしまうのが、どうもね。
コックが彼らを支援する理由に、もう一枚深いものがあったらよかったのにな…とも思う。そこは残念。これじゃ、ただ仕事場を得るために、悪人が経営するレストランにしがみついてるだけってことになるんだもの。
#音楽がいいなあ…と思っていたら、マイケル・ナイマンだった。マイケル・ナイマンっぽさは薄いんだけどね。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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