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公開年:2003年
公開国:イタリア、イギリス
時 間:116分
監 督:ファブリツィオ・コスタ
出 演:オリヴィア・ハッセー、ミハエル・メンドル、エミリー・ハミルトン、セバスチャーノ・ソマ、ラウラ・モランテ、イングリッド・ルビオ 他
コピー:それはどんな困難にも負けず、愛することをやめなかった一人の女性。
1946年カルカッタ。修道院内の女子校で教鞭をとるマザー・テレサは、ある日、“貧しい人々のために尽くしなさい”という神の声を聞く。自分の活動の場所は修道院の中ではなく貧しい群衆の中であると悟った彼女は、院外活動を開始。しかし、修道会に属しながら活動することに限界を感じ、新しい修道会(神の愛の宣教者会)の設立をし、親を失った子どもたちやハンセン病患者などのために、献身的に尽くす…というストーリー。
はじめに正直に告白しておくと、マザー・テレサという貧しい人に献身した人の存在は知っていたけれど、具体的にどのような活動をした人物なのかよく知らず。お恥ずかしい限りだが、カトリック信者でもないし、24時間テレビ的なものにあまりアンテナが向かない性分なもので。その活動場所がインドであることすら知らなかったくらいで、彼女の行動について、ああだこうだ言うのも憚られるところであるが、思うところを書くとする。
第二次大戦後の情勢、ましてやインドの状況を考えれば、無私の愛を発露とした彼女の行動について、とやかく指摘する気など毛頭おきない。もっとこうすればとか、それはおかしいとか、そういう指摘の意味はまったく無い。この世には「文句を言うなら自分でやればいい」と、他者の指摘に耳を傾けようとしない馬鹿な先人が多々いるのだが、彼女はこの台詞を言う権利のある人物である(問題があると思うなら、あなたの思うように行動すればよい…、それだけのことだものね。シンプル極まりない)。
ただ、後世の人間として(っていうほど後じゃないけど)考えなければいけないことはあると思うので、憚りながらも自論を書くことにする。
賞賛されるべき行動ではあるのだが、彼女たちの行動パターンですべてが解決するわけではない。変な例をだして申し訳ないが、彼女の行動はアインシュタインの理論でいうところの「特殊相対性理論」みたいなものである。あの状況とあの救うべき対象においては有効であるという意味で。
多くの人が気付いているだろうが、必ずしも“無償”がいい結果を生まないことは歴史が証明している。無償であることが普通になれば人は努力しなくなる。社会主義政策しかり、これまで行われてきたボランティア活動の結果しかり。よく言われるのは、お腹の好いた人には食べ物を与えるのではなく食べ物の取り方を教える必要があるということ。だから昨今の海外援助活動は、教育支援や職業訓練も行われるわけである。やるべきことは自立支援、どれだけうまくランディングさせることができるか、である。
でも、瀕死の場合には食べ物を与えなければ元も子もない。当時のインドの状況(特に子供たちには)を考えれば、瀕死の対象数が膨大なのだから、その人々に施すだけで手一杯。彼女の無償の行動は至極妥当であったが、彼女の模倣をすればすべて解決するわけでないとは、そういう意味である。
本作の端々で、印象的な彼女の言葉がちりばめられているが、それらについてもあくまでその状況では有効なだけであって、必ずしも万能薬でない場合が多々ある。彼女は“会社”に対してすごくアレルギーを示す。会社は合目的性の下に存在する組織であるから、時には個人の考えと異なる動きをしてしまうことがある。マルクスのいう“疎外”と同意である。これは社会法則というよりも自然法則なのだから致し方ないのだが、どうも彼女はそこが腑に落ちていなかった模様。会議の場に出された水の値段が高額だったために、会社組織をやめて個人の活動に戻るを宣言するのだが、これが発生すること自体は仕方がないことで、その都度修正するしかない。それでも会社組織が行うことと個人で活動した場合のメリットを天秤に懸けて、会社組織で行ったほうが大きければ会社の意味はある。その水の代金で何人の人が救えるか!と怒る感覚はもっともだが、それはもっと安い水にしろといえばいいだけのことで、会社組織を否定するのは的外れ。だから24時間TVの寄付金集めのためにどれだけ予算をつかっているんだ!出演者は勿論ノーギャラなんだろうなぁ!なんていう指摘は、もっともらしいがピントがずれているのだ。
やはり“会社”とカソリックは、究極的に相容れないものなのかなと、実に興味深い点である。資本主義はプロテスタンティズムが生み出したというマックス・ウェーバーの慧眼恐るべしである。
#まあ、ノーベル平和賞のパーティが豪奢なのは、彼女の指摘の通りだろうけど。彼女の行動に賞を与えたなら、そういわれそうなことは判りそうなもので、想像力が欠如してるかな(平和賞だけは他賞とは別次元だからね)。
別の視点。
北方の文化が発達し、なぜ赤道付近の文化発達は遅延ぎみか?という人類学的な疑問の一般的な答えとして、北方は自然が厳しく食物調達のために努力を続けねばならなかったから、南方は容易に食物を調達できて努力をしなくてもよかったから…というものがある。この理屈の細かい正否は別として、おおまかには当たってはいるだろう。
でも、はたと周囲を見てみると考えさせられる。今の日本は努力せずとも食糧入手が可能である。もちろん誰かが努力してくれているおかげなのだが、それをよく考えもせず、まるで自然からの贈り物のようにこの環境を享受している。さてさて、この後、日本でも文化の遅滞が見られるのだろうかねえ(困難こそ進歩の母である)。
さて、いわゆる“偉人映画”だし、お亡くなりになったとはいえ彼女の意思を継いだ方々の活動は続いているのだろうから、あまり脚色もできない、映画的にはつまらないかもしれないと考えたのだが、彼女のことをよく知らなかったせいかもしれないが、最終的にはかなり愉しんで観ることができた。長さも手ごろ。24時間TVのマラソンを観るくらいなら、本作の鑑賞をお薦めする。ボランティアの考え方の一助になるだろう。
#布施明の元妻ですなぁ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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