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image2037.png公開年:2011年
公開国:日本
時 間:117分
監 督:森田芳光
出 演:松山ケンイチ、瑛太、貫地谷しほり、ピエール瀧、村川絵梨、星野知子、伊東ゆかり、菅原大吉、三上市朗、松平千里、副島ジュン、デイビット矢野、笹野高史、伊武雅刀、西岡徳馬、松坂慶子、鈴木亮平、近野成美、田村ツトム、橋本一郎、佐藤恒治、小村裕次郎、白木隆史、大熊未沙、安藤聖、山下奈々、竹本聡子、河村春花、神農幸、加藤夢望、大和田悠太、山田キヌヲ、住吉晃典、清水優、笠兼三、伊藤力、真島公平、戸谷公人、山本浩司、細川洋平、中村靖日、伊藤克信 他
コピー:ココから 世界のどこだって行ける!!
 恋と仕事と好きなコト――森田芳光監督からのラストエール

大手不動産開発会社、のぞみ地所の社員・小町圭は、列車に乗り車窓を眺めながら音楽を聴くのが好きな“乗り鉄”。一方、蒲田にある小さな町工場“コダマ鉄工所”の二代目・小玉健太も車両の音を聞くのが大好きな鉄道オタク。ふとしたきっかけで出会った二人は早速意気投合。二人は鉄道という趣味だけでなく、恋愛がうまくいかないという同じ悩みを抱えていた。そして、小町がマンションを追い出されてしまったのを機に、コダマ鉄工所の寮に転がり込み、友情を深めていく。しかし、小町は九州支社に転勤になってしまうことに。九州支社は、本社の的外れな方針によって業績が振るわず、他の社員とはちょっと違った感覚の持ち主の小町に、社長が白羽の矢を立てたのだった。一方の小玉の町工場は、銀行から融資を断られて、いつ潰れてもおかしくない状況で…。

昨日の札幌から九州へトリップ。数ヶ月前に博多にいったばかりなので、なんかワクワクして観てしまったよ。まさに、のぞみ地所の九州支店付近こそ、私が行った場所。博多駅からドーム方面に路線バスで行くと、高速に乗っちゃうから、一瞬不安になるよね(笑)。もっとご当地臭を出したほうがよかったんじゃないかな。小町が夜の街に興味がないっていう設定なもんで、中州も屋台もいまいち出てこないもんね。彼らが電車を楽しんでいるのは、田舎ばっかで、九州らしさがよくわからんかったもん。
#”かろのうろん”に松山ケンイチの写真が貼ってあったけど、この撮影の時のかなぁ…。

森田芳光監督の遺作だが、これまでの作品とは雰囲気が異なる。おそらく、多くの人が、主人公二人の抑揚のない話し方に違和感を感じ、「なんだこりゃ…」と思った人は多いのではないか。でも、こういう話し方をする人、普通にいると思うよ。私は鉄道のことは何もわからないので、世の鉄道オタクの人たちが、この作品を好意的に観るか否かはわからない(登場人物の名前が電車の名前ってのも、一般人でもわかるレベル)。でも、好きなことを嬉々として語り合う姿は、“男の子”共通の性質だ。好感が持てる。

予告CMとかを見ると、鉄道オタクの恋愛事情…みたいな内容で好みじゃないなぁ…と思っていた。でも、実際に観ると、確かに恋愛がらみのシーンは多いが、全然主題じゃない。何を観せたいのかなぁ…って思っていたら、あれよあれよという間に、ビジネスよりの話になっていく。こりゃあ、社長シリーズとか『釣りバカ日誌』だ。鉄道で、『釣りバカ日誌』をつくったってことだな。
小町だけでなく小玉の仕事にも無理やり繋げていくが、この意外な展開、悪くなかった。でも、終盤は息切れしている(森田芳光の体調のせいか…)。さすがに、サッカー親父が、見合い相手の親だったってのはやりすぎだし、九州支社に初出社の時に、電車のことを喋った声の主もわからずじまいだし、ほころびがあちらこちらに。まあ、許せる範囲か。

松山ケンイチと瑛太なんていう、若手のホープを使うもんだから、変な期待を抱かせちゃってるだけ。いい感じのホンワカムービーだよ。森田芳光は、けっこう本気で、ポスト『釣りバカ日誌』を狙っていたんじゃないかと思う。
#大井町のキャバレー…。あんまり見ないな。飲み屋しかしらん。

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imageX0088.Png公開年:1991年
公開国:日本
時 間:116分
監 督:中原俊
出 演:塩見三省、相島一之、上田耕一、二瓶鮫一、中村まり子、大河内浩、梶原善、山下容莉枝、村松克己、林美智子、豊川悦司、加藤善博 他





ある女性が、元夫を道路に突き出し死亡させたとする事件。その裁判のために職業も年齢もばばらばらな一般の市民12人が陪審員として集められた。争点は、被告に殺意があったか否かだたが、被告が若くて美しいことから、殺人を犯すような人間ではないとして、議論もそこそこに多数決を行い、全会一致で決まりかけたとき、28歳の会社員の陪審員2号が、何で彼女が無罪と思ったのか全員に問いかけた。みんなの意見がいい加減だったため、陪審員2号は有罪に票を転じ議論は継続されることに…というストーリー。

三谷幸喜の脚本。今まで散々書いてきたが、私には三谷幸喜のコメディはピンとこない。だから、案の定コメディとしての面白さはまったく感じなかった。ハハハと笑うだけがコメディじゃないのは百も承知だが、クスりともしなかった。

元ネタが『十二人の怒れる男』なのは明白。密室劇や長廻しの手法も訴えられても仕方ないくらいなのだが、あの作品が大好きなのは良くわかる。これを日本人でやったらどうなるんだろうな?というオマージュというかリスペクト作品ということで、ギリギリ許容範囲なんだろう。でも、『十二人の怒れる男』を観た人は、こっちが好きだあっちが好きだと思わず比べてしまうだろうね。でも比べる意味はない。タダの別物だから(良い意味でも悪い意味でも)

外人がよく言うような、協調することばかりに重きをおいて、自己主張することがなく、なんとなくな空気で場をまとめるような、ステレオタイプな日本人を登場させていている。コレだよコレ。私が三谷幸喜が嫌いな理由は。たぶん彼には世の中がこう見えているのだと思うけど、そんなお上品な人間なんかこの世に一握りしかいないと私は思う。彼の作品を観た時の違和感の原因はこれなんだ。あらゆる人間が綺麗すぎて、不自然な絵空事に見えるのだ。下品で自分勝手なキャラクターを配置してはいるけれど、それでも、根はおぼっちゃま。なにか、マリー・アントワネットの「パンが無いならお菓子を食べればいいじゃない」みたいなことを、上から目線で本気で言われたような不快感が、いつも漂う。
じゃあ、駄作なのか? いやいや、私は本作を名作だと思ってる。

もちろん、このシナリオが書かれていた頃に、日本には裁判員制度なんてものはなかった。先見の明とまでは言わないけれど、法理念の基本がしっかりわかってることについては、評価したい。“疑わしきは被告人の利益に”という刑事 裁判における基本の大原則が、日本においては守られていないこと。無実と無罪の違いが判っていない矛盾を架空ながらも判りやすいロールプレィとしてよく表現しているからだ。

豊川悦司が演じる男が、「実際におこったことなんかは誰にも判らない」という趣旨のことを言う。これは非常に大事。判事は神ではないから、真実は絶対にわからない。でも、神のごとく真実かわりに“判決”を出す。仮の真実ではあるが、そうすることで世の中を道筋をつけていく。だから、誰が聞いてもそりゃあこいつが犯人だと納得できる証拠がなければ、罪を負わせることはできない…ということなのだ。

本作では、彼女に殺意があったのか?が一つの焦点になる。まあ、これも“殺意”なんて心の中のことをどうやって外面から判断することができるのだ?という、根本的に欠陥のある考え方が元になっていると私は思っている。アメリカでいうところの第一級殺人のように、予謀や犯罪に伴う殺人であることを明確に証明できる証拠が無ければ、状況証拠だけで罪を構成することができないと明確にすべきだと考える。憲法を変えるのも結構だが、こういう刑法の整備も社会維持のために重要な点で、今の日本の刑法の体系がちょっとおかしいことに、いまの政治家は気づくべきである。死刑制度論議だけじゃなく、殺人罪の定義を考える段階だと思うね。

その他にも、意図してるかどうかは判らないが、民主主義の本質を説いていたりするので秀逸。大半の陪審員がはじめから多数決を連発し早く決着をつけようとするのだが、民主主義=多数決ではない(これは小学生の段階でしっかりと教えるべきなのだがなぁ…)。民主主義の基本は徹底的に議論を重ねることが基本。でも絶対、意見を変えない奴がいるし、天邪鬼な奴がいる。だから、あらかじめ時間を決めて、そこまでは徹底的に議論する。それでも決まらないときに多数決を用いる。
本作では、“朝まで”というボヤっとしたタイムリミットなところが気に食わないが、結果的に全員一致にならないので議論が続くという民主主銀の体言している…ということ。
で、何か引っかかると主張しただけで、論理的でないとレッテルを貼られる「何となくそう思う」おばちゃんと「フィーリング」おじさんと、それに加担する豊川悦司演じる男。こんな意見であったとしても、それが何なのか彼らが時間一杯考えたいと言えば、それに付き合うの民主主義。
そしてその引っかかりが探っていく先に、答えが待ってるという教科書的な作品なのだ。そういう意味で、三谷幸喜作品として、私が唯一好きな作品なのだ。

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image2016.png公開年:2012年
公開国:日本
時 間:108分
監 督:武内英樹
出 演:阿部寛、上戸彩、北村一輝、竹内力、宍戸開、勝矢、キムラ緑子、笹野高史、市村正親、外波山文明、飯沼慧、岩手太郎、 木下貴夫、神戸浩、内田春菊、松尾諭、森下能幸、蛭子能収 他
コピー:ひとっ風呂、タイムスリップしませんか。



古代ローマの浴場設計技師ルシウスは、その生真面目するぎる性格が災いし、時代の潮流についていけず、職を失ってしまう。落ち込んだ彼は、友人に誘われて公衆浴場にやってくる。騒がしい浴場内の喧騒を避けるため湯の中に潜っていると、浴槽の壁に穴を発見。近づくと水流に巻き込まれ溺れてしまう。目が覚めると、そこは現代日本の銭湯。平たい顔の種族ばかりがいるのをみて、ローマの属州で捕虜になった人々を勘違いしたルシウスだったが、その浴槽の用いられている技術に驚愕する。やがてローマにに戻ったルシウスは、現代日本で見聞きした文化を取り入た浴場を設計し、浴槽技術者としての名声を上げていくのだったが…というストーリー。

冒頭の原作に忠実な部分は非常におもしろい。『ハリーポッター』を観たときに通じる「ああ、原作どおりうまくつくってるな…」という感覚が湧いてきた。でも、それは原作がおもしろいだけ。原作のおもしろさを毀損しなかった点は評価に値するが…。“BILINGUAL”とか、人形使って水をぐるぐるとか、そういう演出は不要ではなかろうか。

原作では別々の人物だったのを、上戸彩演じる真実の一人にまとめたシナリオ上の努力は認める。しかし、原作ではローマ研究者でラテン語ペラペラのキャラクターをまとめたのは大間違い。さすがに一夜漬けでラテン語がペラペラになるのは無理すぎて興醒めである。せっかく漫画家志望という設定なのだから、覚えられたのはラテン語の単語程度にして、あとは達者な絵で会話すりゃいいじゃないか。キャラ設定すら生かせないという、愚作シナリオ。
これだけはやってはいけなかったように思える。そして、歴史が変わるのをふせぐためにお話になった途端、おもしろさが失せる。#涙の設定とか原作にあったっけ?ないよね。

ピカデリー梅田をはじめ他のキャスティングが何の問題もなかったが、上戸彩じゃなかったと思う。キャスティングミスであり、製作の愚作だと思う。ローマパートでの彼女はマッチしていない。堀北真希とかのほうがよかったと思う。
上戸彩の演技がダメとかそういうわけじゃなく、純粋に絵ヅラ的にマッチしていない。とてもチネチッタで撮影したとは思えない安っぽさがスゴい。いや、褒めてるわけでも貶しているわけでもないのだが、チネチッタである意味は、キャストが調達しやすかったこと以外にないだろう。まったくイタリアの空気感が伝わってこないという…。

大変ヒットしたようだが、後半はフジTV映画の悪い癖がすべて集約したようなデキ。大体にして、この作品は、ルシウスをがっちりと主役に据え続けて展開すべきで、真美が中心になるシーンがあってはいけない。これが、作品全体がボヤけた原因である。
原作のすばらしさで、なんとか凡作に留まった作品。

#風呂の神を出さないとか、私のセンスではありえないんだけど…。

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image1971.png公開年:2010年
公開国:日本
時 間:111分
監 督:佐藤英明
出 演:浅野忠信、堀北真希、阿部力、木村多江、いしだあゆみ、佐藤浩市、正名僕蔵、粟根まこと、新井浩文、山本剛史、佐藤恒治、佐藤正宏、梅垣義明、土屋裕一、クノ真季子、徳井優、法福法彦、荒谷清水、菅田俊、山本栄治、黒川忠文、中村祐樹、山本浩司、安藤彰則、田鍋謙一郎、須永祐介、伊藤洋三郎、平手舞、水谷あつし、コング桑田、内藤陳、森田芳光 他
コピー:『バカ』がちょっとほめ言葉だったあの頃。
天才、大暴走!!クソマジメな新人編集者と破天荒な漫画家。この2人がギャグで革命を起こす日まで、あと少し…

1967年。大好きな少女マンガを手掛けることを夢見て、大手出版社小学館に入社した武田初美。突然そこに現れたのは、少年サンデー誌にて『おそ松くん』を連載中の大人気漫画化・赤塚不二夫だった。赤塚は人気キャラクター・イヤミの扮装で登壇。新入社員に対して「馬鹿になれ」と言い放ち、「シェー」のポーズをさせる。それを拒否する初美に、赤塚はポーズを強要すると、思わず赤塚の顔面にパンチをしてしまう。その後、初美は少女漫画誌希望だったのに、なぜか少年サンデーに配属。おまけに、赤塚不二夫の担当に任命されてしまう。実は、入社式の彼女の様子を気に入って、赤塚が手をまわしたのだった。赤塚のギャグマンがを下品だと思っていた初美は拒絶反応を示すが、赤塚は容赦なく“ギャグ”の洗礼を浴びせていき…というストーリー。

ギャグマンガはキライじゃないけど、主人公の武田初美の拒否感はなんとなくわかる。子供の頃、漫画家になりたいといっていた私に、親は赤塚不二夫の『まんが入門』を買い与えてくれた。おそらく本人がマンガの描き方の手ほどきの文面を書いていたとは考えにくいのだが、赤塚キャラをつかって、Gペンとガラスペンの筆感の違いから丁寧に解説してあった。しかし、はっきりいって私は、赤塚不二夫なんて『天才バカボン』の夕方の再放送くらいしか観たことがない。彼の漫画なんか一度も読んだことがなかったのだ。
それこそTVマガジンとかコロコロコミックとか、そんなレベルの漫画しか見ていなかった私にとって、赤塚不二夫の絵は艶かしすぎた。線にエロチックさが漂っていた。私は、何か見てはいけないものを見ているような感覚になり、その本は、それ以上読むことはなかった(大事に持っていたら、それなりの値段で売れただろうが、いつのまにかなくなっていた)。

ギャグ漫画家は短命だとか頭がおかしくなるとか、子供心にもそんな臭いを感じ取っていたと思う。それが証拠に、ギャグ漫画家としてヒットを飛ばした漫画家が、最期までギャグ漫画家のままおわる例は少ないと思う。結局、ストーリー漫画になったり、もっとお歳を召してくると風刺漫画になったりする。狂気を維持するなんて普通の人間には無理なのだ。
そして本作中の赤塚不二夫は、狂気を続けるために狂気を重ねるという毎日を繰り返す。まあ、赤塚不二夫の素顔を、明治・大正の文豪の奇行と同列に表現してみた…そんな感じかな。

まあ、そこはそれでいいんだけど、本作の原作者は赤塚不二夫の担当だった武居俊樹氏によるもの。つまり、映画では、主役を男性から女性に置き換えている。これってマズくないか?初美の「私は三番目でいいです」の意味もちょっと変わってくるし、終盤の温泉宿に篭っての仕事もイメージが違いすぎる。初美と先輩社員との恋愛関係の描写も完全にフィクションってことだろう。もう原作と呼べないよね。

フジオプロの不正経理事件の話は本当くさいけど、一方、妻や母の名前は変えてある。それに実際は娘が生まれているはず。この虚実の中途半端さは何なのか。何をしたいのか。
おそらくこの作品は、赤塚不二夫の生き方が虚実のボーダーが判然としていなかったのだから、じゃあ自伝映画だって虚実を判然とさせないほうがそれらしいだろってことなんだろうね。温泉宿での過激派云々のくだりとか、まるでクスリでもやっている感じ。そういう時代だった…ともいいたいんだろう。そして時代が赤塚漫画を許容しなくなったとね。でも、その表現はかえって本人を貶めているような気もしないではない。

で、観終わった後に何が記憶に残ったかというと、木村多江の妙な色気…かな。別に悪い作品だとは思わないけど、ちょっと、何を楽しんで良いのかわからなかった作品。

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imageX0073.Png公開年:1963年
公開国:日本
時 間:92分
監 督:杉江敏男
出 演:森繁久彌、久慈あさみ、中真千子、江原達怡、小林桂樹、英百合子、加東大介、東郷晴子、三木のり平、淡路恵子、池内淳子、藤山陽子、雪村いづみ、フランキー堺、ジョージ・ルイカー、河津清三郎、塩沢とき、峯丘ひろみ、小沢憬子、中野トシ子、大友伸 他



アメリカへの視察を終えて戻った太陽ペイントの堂本社長は、すっかりアメリカかぶれになってしまい、人前で妻にキスをしたり、会社でのレディファースト励行、役職で呼び合うことの禁止、社費で飲み歩くことの禁止などを幹部に指示する。あまりの変わりように秘書課長の木村や山中営業部長もあきれてしまう。そんな頃、木村に縁談が持ち上がり、山中部長の紹介で九州在住のタミエと見合いすることに。木村は大ノリ気で、結婚に至った場合の媒酌人を堂本にお願いすると、見合い結婚など日本の古い因習だと一蹴され、大いに悩んでしまう。その後、自社塗料を使用した若戸大橋の開通式に招待された堂本社長に帯同して、山中・木村も九州を訪れ…というストーリー。

『拝啓天皇陛下様』とか『豚と軍艦』とか、古い日本のコメディよりの作品もなかなかいいもんだな…ということで、本作を鑑賞。森繁久彌の直球コメディ作品って実は観たことが無かったんだよね。
“社長漫遊記”って言葉自体が耳に残っていたんだけど、これが一作目ってわけじゃなくて、本作は社長シリーズの21作目だそうだ。うん、この一作で何かを作り上げようとか、伝えようとか、そういう意気込みは一切なし。まあ、役者の演技は、森繁ら男性陣も女性陣も肩肘張っていなくて安心して観ていられるんだけど、ストーリー展開の配分とかが慣れに慣れきっていて、練られた感が一切ない。行き当たりばったりシナリオで、役者とスタッフの慰安旅行的な意味合いで製作されてるんじゃなかろうかと思うくらい(実際そうなのかも)。

構成が特に変。九州にいく前と後の配分バランスがおかしい。フランキー堺演じるのキャラクターとしての扱いが中途半端。木村の見合いの件が転がすだけ転がしといて投げっぱなし。正妻が九州までやってきてその後に展開があるのかと思いきやばっさりと終わっちゃう。フリに一切のオチが無く、まるであの宴会芸がメインのよう。

この緩い作風を良いと思うか否かがすべて。20作以上も続くってことは、「まってました」といわんばかりのお約束、いい意味でのマンネリが当時の人の心を捉えたんだろう。残念ながらこのシリーズは初見なので、そのいい意味でのマンネリってのが、何なのかは良く判らなかったけど。

リアルタイムで愉しんだ人が懐かしむならまだしも、改めて再発掘するような作品じゃない。多分、このシリーズはもう観ないと思う。

 

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imageX0066.Png公開年:1963年
公開国:日本
時 間:99分
監 督:野村芳太郎
出 演:渥美清、長門裕之、左幸子、中村メイ子、高千穂ひづる、藤山寛美 他






幼少期に親と死別してからというもの、世間の厳しい風に晒されて生きてきた山田正助。ろくな教育も受けておらず、文字もカタカナ程度しか読めない彼は、いざこざをおこして服役していたこともある。そんな彼が兵役義務により新兵となる。多くの者は兵役を苦痛に感じていたが、正助にとって、三度の飯にありつけ屋根のあるところで寝られる軍隊は天国のようで、たとえ先輩が辛く当たっても平気だった。ある日、正助は、大演習の際に天皇の“実物”を見て、そのやさしそうな姿に天皇にほれ込んでしまう。やがて戦争が終わるという噂が流れ出す。軍隊から追い出されると危惧した正助は、天皇宛てに除隊させないように懇願する手紙を書こうとするのだが…というストーリー。

『拝啓総理大臣様』が野村芳太郎&渥美清コメディの三作目ということだったので、一作目を借りてみた。長門裕之演じる作家志望の戦友“ムネさん”が、狂言廻しのように、渥美清演じる“ヤマショー”を眺め続ける。

ヤマショーという男は、平時の社会ではまったく役立たず。文字が読めないだけでなく、地道な仕事すら満足にできる器用さを持ちせていないように見える。はっきりいって、言われたとおりのことをするだけの兵役も満足にこなせているとは言いがたい。

天衣無縫ともいえる彼に対して、中隊長は目をかける。藤山寛美演じる元代用教員の新兵・柿内に命じて、教育を受けさせるのだ。まあ、柿内との間に友情は生まれるのだが、それほど学がついたとは思えない。なんで中隊長は、ヤマショーを気にかけたのだろう。その辺は深く説明はされない。
柿内が少年雑誌が面白いと言っていた…と自腹で購入する。柿内にも見せるのかなと思ったら、のらくろにどっぷりはまって読みまくる。「のらくろはかわいそうだのぉ…」って、完全に子供。そういう幼少時代を過ごして来なかったであろう彼を、周囲は優しく見つめる。
なぜ、みんな彼を憎めないのか。放っておけないわけじゃない(事実、結構放って置かれるし)。正直なところ、半分は憐れみだと思う。そして彼の心の中に一切の悪意がないこと、腹に一物を置くということがないことを知ると、振り払う気力がなくなるんだと思う。もう、妖精のようだ。ムネさんの嫁さんも、はじめはヤマショーを煙たがるけど、早々に憎めなくなる。

いずれにせよ、兵役や戦争が終わると、ヤマショーとムネさんの関係は途切れ、また世の中がきな臭くなってくると、縁が生まれる。闇屋をやったり、開拓民になったり、死体引き上げの仕事をやったり、生きる術を模索し続けるがどうにもうまくいかない。やはり、“乱世”の中でしか生きられないのだ。本人の特性は平和そのものなのに、平和の中では生きられないという矛盾。

最後、第二次世界大戦が終わり、隣では朝鮮戦争がおこるものの、日本国内は平和。平時には役立たずのヤマショーだが、そんな彼も、伴侶となってくれる人と出会い、ようやく一人前になろうかというとき…。やはり彼は平時の世では生きられない。最初から最後まで、赤ん坊のような純な心のままで、去ってしまう。そんな純真な彼が愛して病まなかった天皇陛下に対して、かつて天皇へ手紙を書くことを諌めたムネさんが、最後に手紙を書くのである。

決して直球のコメディでもないし、かといって社会派の視点でシニカルになにかを語っているわけでもない。だけど、ヤマショーの性格のように、この映画自体が憎めない。なんとも不思議な気持ちにさせてくれる作品だった。『拝啓総理大臣様』以上に渥美清は生き生きしていた。

 

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image1964.png公開年:1964年
公開国:日本
時 間:90分
監 督:野村芳太郎
出 演:渥美清、山本圭、壺井文子、長門裕之、横山道代、原知佐子、宮城まり子 他






元漫才師だった角丸は、師匠鶴松の葬式の場で、もう一度芸人として生きて行こうと心に決める。角丸の元相方が、ムーランという芸名で妻のルージュと組んだ時事漫才“拝啓総理大臣様”が大当たりして、売れっ子のテレビタレントになっていたので、彼を頼って上京することに。東京についた角丸は、ムーランに会いに行くが、彼は妻ルージュに浮気の尻尾を捕まれ大騒動中。昔のよしみで芸能事務所の紹介状を書いてもらったものの、結局紹介された仕事は、ヘルスセンターのボイラー焚きの仕事。どうしても芸人の仕事がしたい角丸は、ふてくされてヤケ酒の日々。そんな中、黒人と日本人のハーフのアヤ子と出会い…というストーリー。

『砂の器』や『八つ墓村』の野村芳太郎のコメディ。たしかに野村芳太郎らしいマットな色合いだし、しゃがんだり背伸びできる範囲からのカメラアングルという、まるで自分がそこにいるような感覚になる画角は特徴的。ヌケの力のある監督だと思う。

この作品の前に『拝啓天皇陛下様』『続・拝啓天皇陛下様』という渥美清主演の作品があり、三部作とのこと。観る順番を間違えたか。
まるで渥美清が総理大臣に物申すみたいなジャケット写真だけど、そういう感じではない。渥美清演じる角丸の元相方がそういうネタをやっていて、すごく人気があるっている設定。わざわざそれを映画の題名にするほどストーリー上重要ではない。前作の『拝啓天皇陛下様』の流れってことなんだろう。

当時の通天閣近辺の様子、そして羽田近辺の町工場とドヤ街の中間みたいな街並みはとても新鮮。通天閣以外に高い建物は皆無である。今の通天閣も夕方になると人間動物園みたいになるけど、さすがに50年の時の流れと栄えっぷりには感慨深くなる。

角丸やアヤ子たちのような底辺の人間が、はいつくばって、血ヘドを吐きながらのし上がっていく…的な話ではないのが、興味深い。彼らは、高度成長の恩恵は受けておらず、疎外感を感じている。世の中の流れに抗って無理なことをするようなことはなく、分をわきまえているけれども、同時にしたたかに生きているという感じ。人間としての尊厳がどうのこのとか高尚なことは言わない。

角丸は豊かになる世の中にあっても、自分が社会に貢献できる程度は知れていることを痛感している。野犬の処分くらいしか就ける仕事はないのだ。持たないものは、逆に強い。彼はどうしても芸の世界で生きていこうと邁進するが、目先の成功に目がくらんで、ムーランとのコンビで世に出ようと、アヤ子を捨てる。さて、どうなるか。

豪流の川にもまれているんだけど、無用にもがけば溺れる。足もつかない。なんとか顔を水面の上にだして死なないように生きている。そんな庶民の様子、総理大臣様はどうご覧になりますか?と、そういう視点なんだろうね。

コメディとして、それほど面白いとは思わなかったが、味のある作品。他の野村芳太郎&渥美清コンビの作品も観てみようと思った。渥美清が実に生き生きしている。

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image1940.png公開年:2011年
公開国:日本
時 間:93分
監 督:阪本順治
出 演:原田芳雄、大楠道代、岸部一徳、松たか子、佐藤浩市、冨浦智嗣、瑛太、石橋蓮司、小野武彦、小倉一郎、でんでん、加藤虎ノ介、三國連太郎 他
受 賞:【2011年/第35回日本アカデミー賞】主演男優賞(原田芳雄)




長野県の大鹿村。小さなく寂れているが、300年以上の歴史を持つ村歌舞伎が自慢の山村。善さんは、その歌舞伎の主演役者。彼は、18年前に妻・孝子と親友・治に駆け落ちされてしまったため、それ以来“ディアイーター”という鹿肉料理の食堂を一人で営んでた。そんな寂しい一人暮らしを、歌舞伎への情熱が支えているのだった。しかし、村人たちはリニア新幹線の誘致話で紛糾してしまい、本番の5日前だというのに稽古が全然進まず、善さんはイライラしていた。そんな中、不審な男女が村を訪れる。それは何と貴子と治。貴子は認知症を患ってしまい治を善さんと呼ぶ始末。何と、面倒を見切れなくなった治が善に返すと言うのだ。善さんは激昂し治を殴りつけるのだが、結局二人を家に泊めてしまい…というストーリー。

原田芳雄の遺作なのだが、遺作だから日本アカデミー賞主演男優賞…ってわけじゃない。観始めて10分で納得できる。もう毛穴の中から演じきってる原田芳雄を観て、惹き込まれてしまった。
果たして自分が死ぬことを認識していたのかどうかはわからないけれど、冒頭の原田芳雄と、ラスト近くの布団で妻の手を握って寝ている原田芳雄の顔は明らかに異なる。急激に病状が進行したんだな…と思う(まあ、撮影の順番がどうだったのかはわからないんだけどさ)。

原田芳雄はもちろん、大楠道代、岸部一徳、石橋蓮司、三國連太郎と錚々たるたるメンバーがフルスロットルの演技を見せてくれていて、佐藤浩市、松たか子、瑛太たちがチョイ役なんだもん。もう船酔いならぬ役者酔いしそうな勢い。人妻を親友から奪って駆け落ちしたクソ男、それも女がボケちゃったから旦那の元に返そうとか、そんなダメ人間、岸部一徳にしか演じられないわ。これだけの手練揃いなら、阪本順治監督はお任せ状態だったんだろうな…と思ったんだけど、それが案外しっかり仕事をしている。

性同一障害の子は必要ないんじゃない?って思ったんだけど、後々使い道が出てくる。村のAさんに何か話したら、次の日にはBさんはその内容は知っているような状態で、みんなマイペースな動きしかしないけど、その子はうまいこと善さんの指示で都合よく動いてくれていた。

もう60過ぎちゃって、情愛だとかそういう次元を超えているもんだから、みんな恥じも外聞もないところからスタートしてるのが面白い。“達観”という舞台に立った上での“騒動記”というのが実に新鮮だ。
“戦争の苦痛”“認知症”“性同一性障害”と、もう食あたりくらい盛りだくさんな材料なのに、サラッと包含。性同一障害のくだりなんか何か問いかけるとか質問するとかもしないし、不自然に無視するでもないもんな。年を重ねるとはこういうことなんだな…と、変に納得してしまうくらい。

劇中劇なんかがあると、妙にストーリーと劇をリンクさせたりとか、劇の内容が端折られたりするもんだけど、本作はけっこうどっぷり長く続く。でも、飽きない。各サブキャラの味はすべて生きてるし、それまでの話の流れが途切れることもなく、展開し続けるのもすごい。私が観た2011年の邦画ではズバ抜けて№1。是非とも観てほしい作品。とても愉しんだ。

最後の「あれ?」だけが、もうちょっとでいいから明確な意図を出してほしかったかも。記憶がしっかりしてきたと思ったのに戻っちゃった…って意味の「あれ?」なのか。もしかしてこの女わかってやってたんじゃないのか…って意味の「あれ?」なのか。この最後だけピシっときまれば、日本映画史に残る大名作になったと思う。

私は本作とか『しゃべれどもしゃべれども』とか、日本の庶民の生活に近い芸能を扱った映画に、しっかり外国語字幕をつけて、海外発信すべきだと思うな。変な観光誘致キャンペーンよりも有意義だと思うな。うん。

拍手[0回]

image1939.png公開年:2009年
公開国:日本
時 間:112分
監 督:石井裕也
出 演:満島ひかり、遠藤雅、相原綺羅、志賀廣太郎、岩松了、並樹史朗、稲川実代子、鈴木なつみ、菅間勇、猪股俊明、牧野エミ、工藤時子、安室満樹子、しのへけい子、よしのよしこ、目黒真希、森岡龍、廣瀬友美、山内ナヲ、丸山明恵、潮見諭、とんとろとん 他
受 賞:【2010年/第53回ブルーリボン賞】監督賞(石井裕也)
【2010年/第20回日本映画プロフェッショナル大賞】作品賞、ベスト10(第1位)
コピー:あの日父を失くした少年の、喪失と再生のものがたり

派遣OLの木村佐和子は上京して5年になるが、既に職場は5つ目で、特に仕事に対して情熱があるわけではなく、淡々とこなすだけ。今は職場の上司でバツイチ連れ子ありの新井と交際しているが、ただ手近な相手で妥協しているだけ。そんなある日、田舎の父親が入院したとの報せが入り、家業のしじみ工場を継ぐようにいわれる。はじめは拒否して佐和子だったが、会社で失敗して田舎に逃げたい新井に押し切られ、結局連れ子と3人で実家に戻ることになり…というストーリー。

モントリオール・ファンタジア映画祭ってので、最優秀作品賞と最優秀女優賞を撮ったと、ジャケットにも書いてるんだけど、そんな映画祭知らねー。

ダメ女のお話ってことで『百万円と苦虫女』みたいなテイスト。あんなに小洒落てはいないけど。あっちも、蒼井優の演技があればこそだったけど、本作も満島ひかりのユニークな演技がなければまるで成立しなかったと明言できる。
こういう挙動の人が廻りいて参考にできたのか、彼女の想像の産物なのか、もしくはプライベートの自分なのか、はたまた監督がそういう演技を付けたのか。いずれにせよ、この演技の根源がどこにあるのか非常に興味がある。

“中の下”と自称するくせに、心が一切ない「すいません」「しょうがない」を連発する、胸糞悪いキャラクター。周囲に、もっとムカつくキャラを配置しているせいで、佐和子がまともに見える演出ははたして成功だったのか。佐和子の変化を映画の主軸に据えたいなら、佐和子のダメところをもっと前面に出したほうがよかったのではないか。
また、○○な状態から→“やるしかない”って状態への変化を面白く観せるべきなのだが、○○の状態がぼんやりしちゃったから、対比がうまく生きていない。とにかく“やるしかない!”っと切り替わった瞬間が突飛に感じられる。

なんでしじみが売れるようになったのかが演出上よくわからない。パッケージ?のぼり?あの歌が売り場に流れてた表現はなかったよね?なにが決め手で売れたのかしら。
冒頭の“5”縛りにセンスをセンスを感じない。スイカのくだりや、東京からきた女子大生との浮気のくだりなんかも、あまり生きていないかな。
結局、あの突飛な歌でごまかしたよね。その歌も、ホンの一歩ずれたら、馬鹿左翼臭で聞くに堪えなかったギリギリの線だし。
残念ながら、石井監督の演出でキラりと光る部分を私は見つけることができなかった。結婚した満島ひかりには悪いんだけど、この監督さん、このままだだとあまり期待できまへん。案外TVドラマ向きかもしれない…とは思う。
本作のMVPは満島ひかりとあの歌を仕上げた人。そのおかげで、ただののり弁にから揚げが2個付いた感じに。そういう作品。基本的に悪くはないんだ。キャリア不足からくるモタつきとか、シナリオの削ぎ落としが足りないとか、そういうウィークポイントが散見されるだけ。
 

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imageX0054.Png公開年:1964年
公開国:日本
時 間:108分
監 督:山田洋次
出 演:ハナ肇、桑野みゆき、清水まゆみ、水科慶子、藤山寛美、小沢栄太郎、犬塚弘、長門勇、三井弘次、渥美清 他





瀬戸内海沿いのとある小さな町。シベリアから帰ってきた安五郎は、淨念寺に寺男として転がり転がり込む。淨念寺の住職の長男はシベリアに出征しまま抑留されており、長男の嫁(ご新造さん)夏子は、帰還を待ち焦がれていた。安五郎は美しい夏子に一目惚れするも、手の届かぬ存在として秘に恋慕していた。やがて、腕っぷしのよい安五郎は、地元の有力者の娘と興行に来ていた怪力男との駆け落ち騒ぎを解決したり、工場の労働争議を解決するなどの大活躍をして、町の人気者になっていく。でも、安五郎はただたた夏子に褒めてもらいたい、その一心からの行動なのであった。しかし、町の勢力を反対派が握るようになって、安五郎に対する町の人々の目が冷たくなっていく。さらに、根も葉もない夏子との間を噂するものが現れ、浄閑寺への出入りうを禁止されるハメになり…というストーリー。

安五郎という人物は確かに学はないが、“馬鹿”とタイトルにするほどのものだろうか。何を指して馬鹿なのかわからないのだから、何を“まるだし”にしているのかもよくわからん。インパクトはあるけれど、このタイトルは内容と乖離している。まあ、それはそれとして…。

私は山田洋次という人の作品はどうも性に合わなくて、ほとんどみたことがない。寅さんですら、あまり観たことがない。ただ、本作の安五郎という人物像は寅さんの原型であることはわかる。簡単に言ってしまうと、いい年をこいて女性経験がないという、単に純情とかそういう次元を超えたレベルのキャラクター。
寅さんとか両さんとか、すごく人間臭いし、人並みに女性には惚れる。でも奥手といえるほど不器用で、その恋が成就することはない。結局、そこから脱却することができないので、いつまでたっても女性と深い仲になることはない。人間臭いくせに“妖精”というこのアンビバレントさ。外国映画では観かけることのない、日本独特のキャラ類型といえるかもしれない。

ヒロインの女性(桑野みゆき)のキュートさが異常。こんな女優さんが日本に存在したことを知らなかったことを恥じるくらいかわいらしい。

コメディの純粋なレベルとしてどうか?と聞かれると、なんとも答えにくい。だって、正直あまり笑えないんだもの。ただ、なんとも不思議な雰囲気が漂う。画面の中の世界は、戦後間もない小汚い世界であることに違いはないし、主人公も無骨で小汚いおっさんである。でも、その世界を“妖精”が飛び回るという、ファンタジーなのだ。その妖精が爆弾魔のダイナマイトで吹き飛ばされる前の微笑み。ご新造さんが嫁ぐ前に、清く気持ちを伝える神々しさ。

なんとも不思議な魅力が滲み出ている作品。

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imageX0053.Png公開年:1996年
公開国:日本
時 間:136分
監 督:周防正行
出 演:役所広司、草刈民代、竹中直人、渡辺えり子、柄本明、徳井優、田口浩正、草村礼子、原日出子、仲村綾乃、松阪隆子、原英美子、西野まり、宮坂ひろし、河内ゆり、井田州彦、東城亜美枝、石井トミコ、川村真樹、森山周一郎、香川京子、上田耕一、田中英和、片岡五郎、石山雄大、大杉漣、パラダイス山元、東京ラテンムードデラックス、園田ルリ子、本木雅弘、清水美砂、田中陽子、本田博太郎 他
受 賞:【1997年/第3回放送映画批評家協会賞】外国語映画賞
【1996年/第20回日本アカデミー賞】作品賞、主演男優賞(役所広司)、主演女優賞(草刈民代)、助演男優賞(竹中直人)、助演女優賞(渡辺えり子、草村礼子)、監督賞(周防正行)、脚本賞(周防正行)、音楽賞(周防義和)、撮影賞(栢野直樹)、照明賞(長田達也)、美術賞(部谷京子)、録音賞(米山靖)、編集賞(菊池純一)、新人俳優賞(草刈民代)
【1996年/第39回ブルーリボン賞】主演男優賞(役所広司『眠る男』『シャブ極道』に対しても)、助演女優賞(渡辺えり子)
コピー:“絶望”の中にも必ず“光”は存在する。

ボタン会社の経理課課長として、単調な日々を送るサラリーマン杉山。ようやく郊外に妻と娘と暮らす一軒家を手に入れて、何も不満もないはずだった。ある日、会社帰りの電車の中から見える社交ダンス教室の窓際に佇む美女を見つける。その美しさに目を奪われた杉山は、数日後、そのダンス教室を訪れる。勇気を出して教室に足を踏み入れてみると、そこにはあの美女と個性豊かな生徒たちが。結局、習い始めることになり、団体レッスンから始めることになったのだが…というストーリー。

TV放映されると何気に見てしまう作品。朝5時半おきのサラリーマン。私も犬の散歩があるので、似たような起床時間。家を買ったら、会社に身を売った気になる…、まあそれも判る。外国人が日本の様子を知るのには、結構参考になる作品。リメイクされるのもなんとなくわかる。

1996年の作品だけど、画面の中になる世界は、あまり現在と変わらない。ちょっと文化的に日本は煮詰まりきったのかな…と感じてしまう作品。勢いで始めたダンス。課長さんとはいえども、チケットや靴など中々の出費で、家のローンを抱えたお父さんのお小遣いで何とかなるものなのか。すっかりバブルは弾けた後だよなぁ。まあ、変だな…と感じる細かい部分はいろいろあるが、面白さを阻害するようなものではない。

まあ、シナリオ的に稚拙なのは、奥さんと踊るのが読めるところくらいかな。余計(というか好きじゃない展開)だとおもったのは、最後の会場に妻子を呼んだところかな。試合は試合でしっかりと盛り上げて終わらせるべきだったんじゃないかな…と(私は本作よりも『シコふんじゃった』のほうが周防監督のベストだと思う理由)。

メインどころに脇役からチョイ役までけっこう役者はダブってる。森山周一郎とか柄本明とか、チョイ役のクオリティがすごい。すべての役者を完璧にすることで、草刈民代のポンコツ演技を逆に意味のあるものにするという高等テクニック。あくまでこのバランス上でアリなだけで、主演女優賞をあげてしまうのは、どうかとは思うけどね。
玉子先生っていうキャラが、独身でダンスの先生とか掛け持ちしてるとか、一番ユニークだ。このキャラクターを作ったことをこそ秀逸なシナリオの極み。

『シコふんじゃった』の手法をさらに洗練させた感じ。洗練させたことで、より一般ウケする作品になってるが、アザとさが前面に出たを感じる人もいるだろう(私だけど)。でも誰もを心地よくさせる日本映画の傑作だと思う。
男性が素直に吐露すると、女性陣が黙る…という展開のテンドンが、私にはツボ。

#キャストとスタッフのエンドロールを別けた斬新さ…という点に結構感心している私。
 

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imageX0050.Png公開年:1957年
公開国:日本
時 間:99分
監 督:市川崑
出 演:川口浩、笠智衆、杉村春子、小野道子、川崎敬三、船越英二、潮万太郎、山茶花究、見明凡太郎、伊東光一、浜村純、入江洋佑、袋野元臣、杉森麟、響令子、新宮信子、葉山たか子、半谷光子、佐々木正時、酒井三郎、葛木香一、泉静治、杉田康、花布辰男、高村栄一、春本富士夫、南方伸夫、宮代恵子、久保田紀子、直木明、志保京助、此木透、志賀暁子、吉井莞象、河原侃二、宮島城之 他


茂呂井民雄は名門・平和大学を卒業し大企業・駱駝麦酒株式会社に就職する。大企業といってもその月給は大したものではない。この先勤め上げたとしても、得られる生活レベルは大したものではないことは予想できた。しかし、世の中は就職難で、一流大学卒といっても就職先が簡単に見つかるわけでもない。夢や希望を追及したところで、求めるものが得られるわけでもない。そう、この満員電車のような世の中で、出来る限りはりきるしかべきなのだ…と、割り切っていた。民雄は、大学時代に付き合っていた複数の女性を整理して、入社。新入社員講習を経て、大阪・尼崎の工場へ赴任する。そこで、同僚の更利ら、サラリーマンは、健康を崩さないように、サボっているいるように見えない程度に休まず働かずが第一だと聞かされ、どうにもしっくりこない気持ちになる。そんな中、故郷の父から母が発狂したとの手紙が届き…、というストーリー。

雨の中の卒業式という、シニカルで直球なコメディ描写でスタート。
戦後10年ちょっとで、とても同じ日本とは思えない雰囲気の世の中。舞台が大阪なのが、より異国感を漂わせる。空間的な圧迫感は今も変わらないけど、昔の大阪の街はおもしろい。なんでもアリなノリであふれ、過保護ではない“乱世”な感じに、うらやましさすら憶える。
でも、行政予算の消化の問題は、この時代も一緒みたい。行政に対する文民統制が効いていないアホ国家であることだけは変わらないんだな。情けねえもんだ。
“サラリーマン”という部分に焦点が当たっているけれど、結局は都市への労働力集中に伴う“疎外”の中、生きる価値観をどうやって見つけていくかもがく…という話だ。

川口浩が、こんな飄々とした魅力的な演技をする人だったとは。あの探検隊で無駄に威張ってた隊長のイメージしかないから、ちょっと新鮮だった。

発狂した母親の原因究明のためにサラリーマンが研究者を雇う流れは、コメディとはいえ無理がある。まあ、実は父親のほうが…っていうのは読めはしたけど、けっこう良いデキだと思う。『ファイトクラブ』ばりの仕掛けだ。
しかし民雄は、父親が無料で病院にやっかいになるということを聞いて、なんで、精神化医に詰め寄っているのかがよくわからない。実際、父親はそういう状態なんだし、お礼にタダで収容してくれるっていってるのに。
それに、白髪が戻るのはいくらなんでもねぇ。まあ、その辺りからは、ちょっとカオス気味な展開に。用務員をクビになったあと、風に飛ばされる掘っ立て小屋にしがみつく民雄は、まるで『博士の異常な愛情』の例のシーンみたいだよ。

社会派コメディにしてはオチがちょっと弱いんだけど、ただ、不思議と、若者の社会内でのポジションや価値なんかは、現在に近いね。結婚を臭わされたときのリアクションなんて、いかにも草食系っぽい(嫌いな単語だけど)。
本作を原案にして、今リメイクしたら、おもしろくなるんじゃなかろうか。いいよ、これ。機会があったら是非観て欲しい。

 

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imageX0049.Png公開年:2005年
公開国:日本
時 間:107分
監 督:本広克行
出 演:瑛太、上野樹里、与座嘉秋、川岡大次郎、ムロツヨシ、永野宗典、本多力、真木よう子、升毅、三上市朗、楠見薫、川下大洋、佐々木蔵之介 他
コピー:BACK TO THE 昨日!!!
タイムマシン ムダ使い



四国のとある大学の夏休み。“SF研究会”の男子部員たちは、SFの研究なんかそっちのけで草野球の日々。汗を流しにいった銭湯から戻った彼らと、部室を共有する女性写真部員の伊藤と柴田が大騒ぎすると、部室のクーラーのリモコンにコーラをこぼしてしまい、壊してしまう。本体で操作はできないクーラーだったため動かすことができず、うだるような猛暑の中でぐったりする部員たち。そんな時、謎の金属製の機会が出現。操作パネルなどの形状からタイムマシンらしい。とりあえず物は試しと、壊れる前のリモコンを取りに昨日へ戻ってみることにするのだが…というストーリー。

本広監督の映画作品の中では一番デキが良いと思う。SF的にどうなの?っていう人もいるかもしれないけど、そこに引っかかる必要はない。ドタバタの材料として、タイムマシーンをどう使うかってだけのこと。
リモコンの時間旅行は、よく練られているけど、別にそこで勝負したわけじゃない。考えているような考えていない学生たちが、タイムマシンにしがみついて、振り回される様子がただただ楽しいだけ。疾走感とくだらなさをキレイに絡めた、いいコメディにできていると思う。

タイムマシンをリモコン探しというくだらない理由に使うわけだが、それほどくだらない行為とは思わない。タイムマシンを使える回数に制限がわるわけでもないし、どういう影響があるのかもわからない。それなら、とりあえずリモコンでも持ってきてみますか!っていうのは、ターゲットは明確だし、ハードルとしては低いし、ミッションのチョイスとしては至極真っ当だと思うのよ。
冒頭20分までのまどろっこしさが、気にならなくもないが、それを越えてしまえば、何てことはない。舞台作品が原作ということで、これから作ろうとしてる作品の最終形のイメージが、しっかり頭に描けたいたんだと思う。非常に小慣れたストーリーテリングが、ライトなコメディを一切邪魔しておらず、爽やかさすら感じるほどである。
三谷監督作品のような、まるでドヤ顔してるような鬱陶しい演出はない。若い演者たちの演技が、多少拙くても、こういう内容であれば十分。

そして何気に、最後の最後で『時をかける少女』臭を醸し出す。娯楽作品としてもっと評価されてもいい。真夏の夜長に、友達数人でビールのみながらワイワイ観るには丁度いい作品だな。

これを見ると、はたして『のだめカンタービレ』は上野樹里にとって良かったのかどうか…と考えざるを得ない。だって普通の上野樹里は非常に魅力的なのだもの…。
#真木よう子はなんか顔が違う。

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imageX0046.Png公開年:1962年
公開国:日本
時 間:86分
監 督:古沢憲吾
出 演:植木等、重山規子、ハナ肇、久慈あさみ、峰健二、清水元、藤山陽子、田崎潤、谷啓、安田伸、犬塚弘、石橋エータロー、櫻井千里、松村達雄、由利徹、中島そのみ、団令子、中北千枝子、稲垣隆、田武謙三、人見明、小川安三、清水由記、岡豊、荒木保夫、記平佳枝、門脇三郎、宮田羊容、井上大助、土屋詩朗、出雲八重子、峯丘ひろみ、丘照美、宮川澄江、杉浦千恵、田辺和佳子、谷和子、寺沢広美、原紀世子、吉田静司、大内ヨシオ、朽名章宣、康本佳男 他

会社をクビになってフラフラしている男・平均(たいらひとし)。金も無いのに立ち寄ったバーで、有名企業の太平洋酒が乗っ取り工作にあっている話を小耳に挟む。ピンときた均は、太平洋酒社長・氏家勇作が尊敬する代議士の側近を装い接触。太平洋酒の乗っ取り対策要員として、太平洋酒の総務部に入社する。早速、均は、大株主の富山社長に株を売らないように賄賂を使って買収。この成功によって係長に昇進するのだが、その後、バーのマダム・京子から富山社長が黒田物産の黒田有人社長に株を買ったことを知らされる。黒田は山海食品社長・大島良介のバックアップで、株の買占めをしていたのだった。この失敗によってクビになった均だったが、バーで黒田と出会い親密に。再び太平洋酒に部長として復帰することになったのだが…というストーリー。

サラリーマンという形態が、決して既定値ではなかった時代。組合が全共闘と同じ部類だと思ってるアホな時代。世の中の未熟さや馬鹿馬鹿しさと堅苦しさが混ざり合った時代。それを、スチャラカ”と形容される軽薄な男が切り裂いてく様は、痛快で実におもしろい。
いや、痛快という言葉は適切でないように思える。前の会社は競馬でヘタこいてクビになったという設定なのだが、それに違和感を感じるくらい、主人公・平均の行動は一見俗っぽく見えるが真逆。彼のキャラクターは、もう妖精のレベルだと思う。その証拠に、彼は女性にモテモテになっても深い関係にはならない。それどころか心すら満足に通わせない。人間離れしているキャラクターなんだよ。ラストで無理やり結婚を発表してしまうが、そこの愛欲も性欲も一切感じられない。魔法の国へご招待している感じですらある。

はじめは、口八丁手八丁でのし上がっていく男の話になるのかと思ったが、彼はさほど地位には興味が無い。それどころか、自分が嬉々として愉しめる場所を欲しているだけに見える。企業内で“ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)”を貫けることって、理想じゃないか。テキトーなんだけど、案外、芯を突いてる発言のオンパレード。この時代を感じさせない新しさは異常。

突然ピンスポで唄いはじめるシーン。何気に日本映画史にのこるインパクトシーンだと思う。女口調の社員が、まさかの伏線という巧みさでわかるように、目の行き届いた、なかなかしっかりしたシナリオである。
植木等の歌は知っていても映画は観ていないという人が案外多いだろう。これは是非観るべきだ。

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プロフィール
HN:
クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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