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image1880.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:107分
監 督:スティーヴン・スピルバーグ
出 演:ジェイミー・ベル、アンディ・サーキス、ダニエル・クレイグ、サイモン・ペッグ、ニック・フロスト 他
受 賞:【2011年/第69回ゴールデン・グローブ】アニメーション作品賞
コピー:今、勇気ある冒険が始まる。



少年記者タンタンと愛犬スノーウィは、ノミの市で伝説の軍艦ユニコーン号の模型を見つけ購入する。しかし、購入直後、その船に関わってはいけないという見知らぬ男が近寄ってきたり、サッカリンと名乗る男がその船を売って欲しいといってきたり、おかしなことが続く。その模型に何か秘密があるに違いないと踏んだタンタンは、ユニコーン号の秘密を図書館で調査。ユニコーン号は海賊に襲撃され、積んでいた財宝と共に海に沈んだことが判る。改めて模型を調べようと部屋に帰ると、部屋はあらされ模型も盗まれた後だった。しかし、模型から偶然落ちていた暗号が記された羊皮紙の巻物を発見し、それを手がかりに秘密を探ろうとした矢先、謎の男たちに拉致されてしまい…というストーリー。

原作は、輸入書籍を置いてあるような店でパラパラと見た程度。TINTINなのに何故タンタンか?フランス語ではそう書いてタンタンと読むんだろうな。でも本作は英語なので、ティンティンと呼ばれている。ちょっと違和感があるけど、まあ吹き替えで観れば気にはならん。

微細な毛の表現などは、ピクサーアニメなどで既に実現できているレベルなので驚きはないが、アクションのデキは文句なしで、実によく動いている。おそらくモーションキャプチャーっていうのかな、人間の動きのデータを取り込んで、それにCGで肉付けしているやつ。3D作品だったようなので、劇場で観た人はかなり愉しめたことだろう。

ただこれは、原作漫画が好きかどうか(知っているか否か)で、印象はかなり違うと思う。それを一番感じたのは、敵から奪った飛行機で砂漠に着陸した後のシーン。気絶したタンタンがプロペラに巻き込まれそうになる動きは、原作漫画の動きが良く表現できていたと思う。ただ、原作を知っている人は、ああうまく作ったな…と思うだろうが、知らないとちょっと野暮ったい動きに感じられるだろう。
タンタンを愛する人たちが、その脳内に浮かんだ映像を共有して愉しむ映画。そういうコンセプトなんだと思う。

ストーリーも同様で、正統派のアドベンチャーであることは間違いないのだが、タンタンのノリが判っていない人には、野暮ったいストーリーに感じられるかも。鍵はすべてハドック船長の頭の中にある…って内容で、謎解きのおもしろさも結果的には皆無に近い。
“臭う”ことを鼻をつっこんで、冒険に身を投じるタンタンの行動パターンはわかるし、記者というバックボーンもわかる。しかし、あまりタンタンのキャラ自体は濃くない。ほとんど色のないフラットな少年のキャラクターで、手塚治虫でいうところのケン一くんに近い。それを、周囲の魅力あるキャラクターと愛らしい犬が、ドタバタで盛り上げる。同じスピルバーグのインディ・ジョーンズを彷彿とさせるが、根本的にアクの強さが違う。そのあまり主体性のない主人公に、どこまでオモシロさを感じられるか…。

キャラクターの人間化は、鼻だけが原作漫画に近い造型。そういうコンセプトなんだろうから、それはそれでかまわないのだが、やはり人間の表情を再現した先には“不気味の谷”が。CG技術極まれり…と言いたいところだが、特殊メイクをCGで作った…、そんなレベルに到達って感じかな。

スピルバーグ&ピーター・ジャクソンってことで、ちょっとハードルが上がってしまったが、万人が愉しめる痛快なアクション活劇だと思う。新作料金でレンタルしても損だと思うことは無いだろう。
そこそこ満足した。

 

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imageX0045.Png公開年:1962年
公開国:日本
時 間:96分
監 督:三隅研次
出 演:勝新太郎、万里昌代、島田竜三、三田村元、天知茂、真城千都世、毛利郁子、南道郎、柳永二郎、千葉敏郎、守田学、舟木洋一、市川謹也、尾上栄五郎、山路義人、堀北幸夫、福井隆次、菊野昌代士、越川一、志賀明、浜田雅史、愛原光一、西岡弘善、木村玄、千石泰三、谷口昇、細谷新吾、長岡三郎、馬場勝義、結城要、淡波圭子、小林加奈枝 他




盲目でありながら居合いの達人である市は、下総飯岡の貸元・助五郎のもとを訪れる。助五郎が留守だったため、子分達が丁半博打の真っ最中の雑魚部屋で待つことに。市が博打の胴として参加を申し出ると、盲目の市を騙せると踏んで参加させる子分達だったが、逆に金を巻き上げてしまう。こんな子分しかないないようでは、親分も大したことは無かろうと立ち去ろうとする市。金を巻き上げられて怒り心頭の子分達は、市を追いかけて殺そうとするが、ちょうどそこに親分・助五郎が帰る。助五郎は市の居合抜きの腕前を買って市を客分として迎え入れる。特に仕事があるわけでもなく逗留する市が釣りをしていると、結核持ちの平手造酒という浪人と知り合いになるが、平手は助五郎の敵・笹川親分の客分になってしまう。立場的には敵同士だが、なぜかウマの合う二人は、酒を酌み交わしながら、ヤクザの喧嘩ごときで斬り合うハメになるはイヤだと語り合う。しかし、両一家の緊張は次第に高まっていき…というストーリー。

未だに、ジャパニーズ・ダークヒーローのトップバッターとして君臨する座頭市。子母沢寛の原作は数ページ程度のものだったらしいが、それをここまで膨らませたのだ。そう、これが座頭市ファースト。まさにここに座頭市生まれり。奇跡の一作。
シリアスとコメディさが共存するキャラクターは、勝新太郎であってこそ。何作か勝新の作品は観ているが、本作の演技のデキは際立っていると思う。

はじめの壷ふりで胴を願い出て、チンピラどもから金を巻き上げるシーンの、緊迫感と痛快さといったらない。掴みはバッチリ。

結核持ちの浪人が出てきたところで、対決しちゃうんだろうな…とか、今の生活がイヤになっちゃってる女性がでてきたところで市を追いかけていちゃうんだろうな…とか、予想はつく。だけど、予想通りにストーリーが進んだところで、全然嫌じゃないんだな。これが様式美っていうのかねぇ。
一緒についていくというおたねをスルーする市。女にわざわざ苦労させるのは忍びない…とかそういう了見だけではなく、単にめんどくさいんだよね…という感じも漂っているところが、またいいんだよね。

伊福部昭の音楽がいいし、モノクロであることを途中から忘れるくらい生き生きした映像。見えない市と一緒に、世界の臭いが伝わってくるよう。
最後は市が仕込み杖を捨てるシーンからわかるように、しっかりと完結した一作。これはお薦め。

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imageX0044.Png公開年:1977年
公開国:日本
時 間:117分
監 督:篠田正浩
出 演:岩下志麻、原田芳雄、奈良岡朋子、神保共子、横山リエ、宮沢亜古、中村恵子、殿山泰司、桑山正一、樹木希林、西田敏行、安部徹、小林薫、原泉、不破万作、山谷初男、浜村純、加藤嘉 他
受 賞:【1977年/第1回日本アカデミー賞】主演女優賞(岩下志麻)、撮影賞(宮川一)
【1977年/第20回ブルーリボン賞】主演女優賞(岩下志麻)



6歳の時に母が失踪し身寄りの無くなった盲目の少女おりんは、村を訪れた行商に、越後高田にある里見屋敷という瞽女屋敷に連れてこられる。瞽女とは盲目の女性が三味線を弾き、瞽女唄などを唄って旅をしてまわる人々。その屋敷では盲目の女性が共同生活をしながら、瞽女として一人前になるまで育てていたが、男と交わることを厳禁とする厳しい掟があった。やがて17歳になったおりんは美しく成長するが、その美貌のために男たちが放っておかない。ついに掟をやぶってしまい屋敷から追放され、一人で流浪する“はなれ瞽女”となった。大正7年。おりんは、平太郎という男と出会う。彼は、おりんが芸をする間、客に酒を注いだり、投げ銭を拾い集めたりと面倒をみるが、決しておりんに手だしすることは無く、彼女も平太郎を兄のように慕って一緒に旅を続けるのだったが…というストーリー。

被差別階級というか、一般の社会のヒエラルキーの埒外にいるような虐げられた人々を扱った作品は、そういう対象を扱ったこと自体が“すごい視点でしょ?”と主張している感じがして、あまり好きではない(実際そうじゃないとは思うけど)。
それが穿った見方なのは承知しているのだが、絶対にに破滅的で不幸な終わり方以外に、この映画の終わりはありえないでしょう。予想がついてしまうというつまらなさに、我慢ができないのも、好意的に観ることができない理由かも。

脱走兵である平太郎と瞽女集団からはみ出てしまったおりんの生い立ちをフラッシュバックさせる構成で、二人をリンクさせようとしているのは明白なのだが、強制的に徴兵されることをいやがって脱走している男と、その不幸な運命に抗いつつも流された女は、決して同じではない。
私の人生経験の不足なのか。平太郎の主張はなにか浅く下卑たもの(というか、中途半端な左翼思想の残滓みたいなもの)に見え、それがおりんと重ね合わせていいようなレベルの物には、とても見えなかったのだ。

それにしても、周囲の男が放っておくはずがない…というのを無条件で納得させるだけの岩下志麻の美貌はスゴイ。個人的には日本の女優で一番美しい人だと思っている。でも、本作に限った話ではないのだが、『悪霊島』とかそうだったけど、私、岩下志麻が性的なシーンを演じているの好きじゃない。何か性的に“汚れ”な役の岩下志麻を見ると、妙な脱力感を覚える(理由不明)。

カメラワークもロケーションも脇役の面々も、何か悪いところある?って聞かれたら、正直にいって無い。むしろ、異様に良くできているんだけど、私の好みには合わない。それだけ。

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image1422.png公開年:2009年
公開国:日本
時 間:119分
監 督:森淳一
出 演:加瀬亮、岡田将生、小日向文世、吉高由里子、岡田義徳、渡部篤郎、鈴木京香 他
受 賞:【2009年/第52回ブルーリボン賞】新人賞(岡田将生『ホノカアボーイ』に対しても)
コピー:家族の愛は、重力を超える。
連続放火事件に隠された家族の真実──溢れくる感動のミステリー



遺伝子を研究する大学院生・泉水と、落書き消しの仕事をしている弟・春は、優しい父と三人暮らし。母親は不慮の事故で無くなったが、美しくやさしい人で、その二人の愛に包まれて兄弟は仲良く育った。今、彼らが暮らしている仙台では、連続放火事件が発生しており、市民を恐れさせていたが、春は放火された場所で、意味不明のグラフィティアートが描かれていることに気付く。放火事件と繋がりがあると考えた春は、泉水を誘ってグラフィティアートが描かれているあたりで張り込みをするのだが…というストーリー。

原作では簡単に放火犯の正体がわからないんだと思うけど、放火犯の行動パターンは誰でも知ってるし、連続強姦魔の件と弟の行動性向が簡単にリンクしてしまうから、映像にするとピンとくる要素が多すぎる。火を消しに行ったときに、ふらふら歩いてるサラリーマン風の男とすれ違って、それが犯人?と思わせるとか、その程度じゃ、ミスリードしきれていない。もっとしっかり別の人が犯人だと思わせてくれないと。

私は、レイプされて妊娠したとわかったときに、すぐに産もうと判断したのが理解できない。
①自分の子かもしれない、②宗教的に中絶は好ましくない、などの納得できる理由はほしかった。いや、たぶん②なんだと思うんだけど、きちんと描ききれていないんだと思う。父親は“命”というものを大事にする立派な人間というだけでは、どうも、スッキリしない。ここが一番のポイントなんだけどね。父の行いを妙に聖人のそれのように描いているのがどうも鼻につく。

それに、それだけの覚悟をして育てることを決めたなら、後ろ指さされて生きにくくなることぐらい想像すべきで、さっさと知ってる人がいない遠地に引っ越すべきだろう。勤務先があるから?それと子供を安心して育てる環境とどっちが大事かは明白だろ?

でも、こんなに引っかかる部分があるのに、根本的なストーリーは非常に面白く、サスペンス要素にはぐっと引き込まれる。つっこみどころ満載だし、勿体無いとも思ったけれど、及第点には達していると思う。それなりに満足。

原作を読んでいないので予測の範囲を出ないけれど、脚本家も監督も原作の理解が不十分だったのではないかと疑っている。この相沢友子っていう脚本家さんは『東京島』の脚本家でもある。両方とも感心しないデキだねぇ。最後の“重力ピエロ”というタイトルの由来(?)も意味がピンとこなかった。

#吉高由里子の役は非常におもしろかったが、兄に正体を明かすときの“膝ガクガクっ”みたいな演技の意味がよくわからなかった。

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image1353.png公開年:2008年
公開国:日本
時 間:140分
監 督:橋口亮輔
出 演:木村多江、リリー・フランキー、倍賞美津子、寺島進、安藤玉恵、八嶋智人、寺田農、柄本明、木村祐一、斎藤洋介、温水洋一、峯村リエ、山中崇、加瀬亮、光石研、田辺誠一、横山めぐみ、片岡礼子、新井浩文 他
受 賞:【2008年/第32回日本アカデミー賞】主演女優賞(木村多江)
【2008年/第51回ブルーリボン賞】主演女優賞(木村多江)、新人賞(リリー・フランキー)
コピー:めんどうくさいけど、いとおしい。いろいろあるけど、一緒にいたい。


1993年。優しいだけで頼りないカナオと、小さな出版社に勤める几帳面な性格の翔子の夫婦。子供ができたことをきっかけに結婚した二人だったが、出産を控え幸せな日々を送っていた。日本画家を目指していたが、食べるために靴修理屋でバイトするカナオだったが、突然あらわれたかつての先輩から、法廷画家の仕事を紹介してもらう。不慣れな世界で戸惑いながらも仕事を覚え、徐々に馴れていくのだったが、そんな中、生まれたばかりの子供が亡くなってしまう。あまりの悲しみに、翔子はうつに陥り、心療内科に通院するようになる。カナオはそんな彼女を見守るだけだったが、一方で法廷画家として、連続幼女殺人や地下鉄毒ガス事件などの凶悪な事件を傍聴することになり…というストーリー。

女たらしの夫で苦労する妻の話になるのかと思いきや、違った方向に。
舞台は関西?それにしては、木村多江もリリー・フランキーも言葉がしっくりこないねーなんて違和感を感じていたが、「前に上野で似顔絵を描いていたときには…」ってセリフ一つで、それ以降気にならなくなった。すごく配慮の行き届いた、シナリオだと思う。

カナオはその生い立ちから、自然と世の中を客観視してしまう。その目線は、世の中だけでなく妻に対しても同じ。自分にも向けられるその目線が、妻には冷たいものに感じられる。彼が妻を正面から見ることはない。法廷画家という職業にはマッチしてしているかもしれないけれど。客観視することが悪いことだとは思わないが、それしかできないというのは、この夫婦にとって大問題。

彼は、全編を通じて、ずっと世界を傍観しつづける。そんな中、カナオはどんどんエグい公判に立ち会うことに。家族の関係に関わる事件が多い。だれもが憤りを覚えるような事件でも彼は冷静。まあ、天職だよね。一方の妻は、自分の人生はこういうものだ、と決めて行動する人。始めはカレンダーに印をつけた日に、性交渉をしない夫をたしなめるという、ちょっと下卑たシーンだったりするので、あまり深刻に映らない。むしろコミカルに見えるけれど、その性格がだんだん彼女を苦しめていく。そのままなら、問題は露呈しなかったかもしれないが、子供を流産してしまったことで、彼女の歯車は壊れていく。
後輩の勝手な言動に対し、あまりの怒りに硬直する翔子。このシーンは非常に共感しやすい。

苦しい時にお互いがどう思っているのか、語り合うことはこの夫婦にはない。もしかすると、仮に子供が生まれても、もっと別の形で壊れていったかもしれない。
雨の中、窓全開で佇む妻に、なんで自分は冷めた態度なのかを語るカナオ。子供のころにどうしようもないことにいろいろ巻き込まれると、こういう物の見方しかできなくのるのは、よく理解できる。変に醒めてるヤツとかやる気がないヤツに見られたりする(まあ、実際、どっちにころがってもどうとでもなるでしょ…って思ってるんだけど)。
「鼻ベタベタじゃん」なんて、あのシーンで距離が深まったように見えるけど、そんなに簡単に傷は修復されない。時間が掛かる。

望んでいた日本画家ではないけれど、法廷画家という絵を描く仕事についた夫。遅れて天井画を依頼されて“描く”人になった妻。お互い、世界を描く側になって、明白な共通点が生まれる。カナオは妻が日本画を描くという話を聞いて、ちょっとうらやましそうな顔をする。普通なら、ああしたらいいんじゃないか、こうしたらどうかと口を出しそうになる。でも、彼はしない。
結局、夫婦がお互いを見ることはないのだが、かえってそれがいいんだね。横にいて、同じような方向を見て歩く。それが一番正しいんだろう。

最後の終わり方に不満足な人はいるかもしれない。でも、本作はカナオの生き方がすばらしいとかそういうことをいいたいわけではない。生きることは単に生きること以上のなにものでもない。そこが腑に落ちた人は満足できるし、そうでない人は不満を覚えるだろう。私は大満足。未見の人には是非お薦めしたい。
トリアー監督の『奇跡の海』にも通じる“病んだ”視点。ある意味ゾっとするおもしろさ。そっち側に立ったことがある人じゃないと、この作品は書けないと思う。

#木村多江とリリー・フランキーの演技は、ちょっと神懸ってたね。

 

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image0478.png公開年:2008年
公開国:日本
時 間:117分
監 督:本木克英
出 演:田中麗奈、加瀬亮、福田麻由子、池脇千鶴、布施明、高島礼子、豊川悦司、佐藤祥太、相築あきこピエール瀧、大沢あかね、海老瀬はな、藤井美菜、笹野高史 他
コピー:ソックス、私のそばにいてくれて、ありがとう。




函館。14歳のあかりが学校から帰ると、いつもは家にいるはずの母親が不在。ふと庭に目をやると、そこには一匹の子犬がいて大喜び。しかし、そこに母が倒れて病院に運び込まれたという父からの電話が入る。その犬は一旦逃げてしまうが、悲しみにくれるあかりの前に再び現れる。あかりは、右の前足だけが白いその犬に“ソックス”と名付けて飼うことに。癌を宣告されていた母は、あかり犬を飼う心構えとして、犬と“10の約束”をしなければならないと言い残す…というストーリー。

TVのバラエティ番組のプロサーデューは、犬と子供を出しときゃ数字取れるだろ!って、言うとか言わないとか。加えて、母親・妻の死とかプラスしておけば、バッチリでしょ!そんで『死ぬまでにしたい10のこと』みたいなタイトルつけときゃバッチリっしょ。まさにそんなノリでつくられた作品。そんな打算的なノリで作られた作品がおもしろくなるか?って思うだろうけど、見せたいものがしっかりしているせいなのか、結構見入ってしまう。

変なところはたくさんある。
自分が貰ってきた犬が、行方不明なのに、放っておくとか、とても無責任な母親(ムカっときたけど)。
すらすらと犬の十戒が暗誦できるのがかえって不自然。
いくら料理のヘタな男だとはいえ、3枚の食パンが同じように真っ黒ってことはないだろう(はじめの2枚は黒こげになったとしても、次に焼いたのも同じ程度の焼き具合になることはないでしょ)。
別に大学の寮に入ることが必須なわけではあるまい。札幌でペットOKの部屋や家が見つからないわけがないだろう。
いままですたすた歩いてた犬が、突然ベランダを上がれなくなるとか、急すぎるでしょ。

函館のハンパない独特の訛りを再現してたらスゴイと思うのだが、ちゃんと訛ってたのは警官だけだった。それなりのキャリアの役者が出ているわけだが、全員、布施明の演技レベルに合わせたみたいに大根。わざとか?って思うほど。
#まあ、大根演技なおかげで、豊川悦司演じる父親の不器用な感じがうまく出ていて、そこだけは成功だったと思うけど。
田中麗奈と加瀬亮に似た子役を見つけてきました…って感じ。確かに似ていたんだが、福田麻由子の感嘆の声とかちゃんと演技つけろよって…。
函館と札幌と旭川の距離感もなんか変。

これだけポンコツ演出なのに、犬・子供・母の死っていうのはなんてパワーを持っているだろう。それなりにホロっと来てしまうのだ。最後には娘を嫁に出すという涙ポイントを加えて、さらにホロり。ほんと、もっときちんとつくれば、涙ダーダーの名作になっただろうにねぇ。

最後の教会で式の参列者が歌う中、布施明がマジ唱なところとか、多分笑いどころなんだと思う。でも、イマイチ笑えないんだなぁ。本木克英監督って、いまいち笑いのセンスがないのかもしれないなぁ。

ただ、正直に言うと、この映画観たあと、ウチの犬にやさしく接してるっす、私。犬を飼ってる子供のしつけにはなると思うよ。

 

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imageX0042.Png公開年:2009年
公開国:日本
時 間:125分
監 督:沖田修一
出 演:堺雅人、生瀬勝久、きたろう、高良健吾、豊原功補、西田尚美、古舘寛治、小浜正寛、黒田大輔、小野花梨、小出早織、宇梶剛士、嶋田久作 他
コピー:おいしいごはん、できました。
氷点下54℃、家族が待つ日本までの距離14,000km 究極の単身赴任。



海上保安庁の料理担当だった西村淳は、南極大陸の標高3810メートルの位置にあるドームふじ基地に派遣される。西村の任務は越冬する隊員8名分の植樹を用意すること。平均気温マイナス57℃という過酷な環境で水の確保も困難な中、隊員たちを飽きさせないようにメニューを工夫し、隊員たちの胃袋を満たしていく。しかし、日本に残してきた妻と娘、生まれたばかりの息子のことが気に掛かりで仕方がない。他の隊員も、想像を絶する過酷な環境で疲労とフラストレーションがピークに達し…というストーリー。

タイトルは“料理人”だし、コピーは“おいしいごはん、できました。”なんだから、観てるだけでおなかがすくくらいのうまそうな料理がでてくるのかと思いきや、それほどでもない。ちょっとコピーの煽り方が間違ってる気がするな。

小汚い眼鏡ひげもじゃのキャラがかぶってて、わかりにくい…とか、生瀬勝久・きたろう・豊原功補など、どの作品にでもても変わり映えのしない演技の人たちばかりで面白みのないキャスティングだ…とか、色々イマイチで期待値は下がりまくりだった。

はじめは、なかなかほのぼのしてて楽しそうな生活じゃん…って思っていたのだが、なかなかどうして、物理的にも精神的にも厳しい状況になっていく。さらに追い詰められて散々苦労を重ねるような展開なのかなぁ~って思ったけど、そこまでにはならない。もちろんサスペンスにもホラーにもならない。南極観測隊の映画っていったら『遊星からの物体X』。だけど、日本ときたら食べ物ネタだぜ…という外国人の囁きが聞こえてきそう。
でも、このゆるいさじ加減が、なんともいい感じなんだ。

南極での生活の様子と、観測員になるまでの過程を交互に映していくのだが、まあ、時系列に話しを進めたら、変に盛り上がりを期待しちゃうからね。これでよかったと思う。
延々と小さな緊張と笑いを小刻みに続けるのみなのだが、観ている側も独特の閉塞感に包まれ、シチュエーションコメディーのような、妙な味に支配されていく。だんだん、この映画、どうやってオチをつけるつもりなのか…と不安になってくるのだが、もちろん最後まで“山なし”“オチなし”を貫き通す。だけど、面白かったー。
同じ料理がテーマの『タンポポ』のような、圧力というか主張の押し付けみたいなものが一切無いのも、心地よかったりする。

受賞歴は皆無だけど、こういうのもアリでしょ。こんなに淡々と、“山なし”“オチなし”作品を、心を折らずにまとめあげるなんて、この監督、なかなか才能があると思うよ。
まあ、オチなしといいつつ、帰国の時の嬉しさと安堵とそれぞれの微妙な感情の入り混じった隊員たちの演技は、なかなか良かったと思うけど。

さすがに1800円出せといわれたら怒るかもしれないけど、レンタル料金100円200円くらいだったら全然満足できるレベル。
#海上保安庁の料理担当とか、就職するとき選択肢に浮かんでなかったなぁ…。気付いてたらチャレンジしてたかもしれない。

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imageX0043.Png公開年:1972年
公開国:香港
時 間:100分
監 督:ブルース・リー
出 演:ブルース・リー、ノラ・ミヤオ、チャック・ノリス、ロバート・ウォール、ジョン・T・ベン、ウォン・インシク 他
コピー:世紀の闘神ブルース・リー! 鮮烈必殺技のすべてを叩き込んで 宿敵ヨーロッパの群雄を打ち砕く
唸り飛ぶ迫真のダブル・ヌンチャク 壮麗ローマ・コロシアム大遺跡の一騎打ち 烈昂の叫びと共に噴きあげる《クン・フー》クライマックス!

ローマにある中華レストランが、地元ギャングに地上げのターゲットとなり、毎日のように嫌がらせを受け、とうとう客がほとんどこない状態に。亡き父からその店を継いだ女性オーナーのチェンは困り果て、父の知人であった香港の弁護士に相談すると、弁護士本人ではなく、その従兄のタン・ロンが手助けにやってきた。タンは中国語しか話せない田舎者で、ローマの習慣に戸惑うばかり。はじめのうちはレストランの従業員たちにも馬鹿にされていたが、ギャングが送り込んできたチンピラをカンフーの技で一蹴したことで、信頼を得るのだった。タンの助力によって従業員たちは勢いづくが、ギャングの手口はエスカレートしていき…と言うストーリー。

カンフー版『ローマの休日』?って感じで始まる。田舎からでてきたダサいやつが、意外と強くてキュンとしちゃう!だけど、奥手で純情っていう、ありがちな内容だ。
ブルース・リー演じるタン・ロンというキャラクターが、他作品では観られない陽気さで、めずらしかった。
スープだけが5皿でてくるとか、すべってるシーンは散見されるが、そのほのぼのしたユーモアさも、無理に演じている様子はなくて、非常に楽しそうである。

木製の投げ矢って、割り箸みたいな軽そうな素材なのによく刺さるな…とか。
“シンジゲート”なんていうからどんなに大きな組織なのかと思ったら、なんて事の無い規模で、せいぜい十数人単位の喧嘩じゃん…とか。
ギャング側がみんなでマシンガンをもってきちゃえば、簡単に方が付いちゃうよな…とか。
まあ、色々釈然としないところは山積みされるんだけど、細かいことはどうでもいい…と思わせてくれるだけの、痛快なアクションと愉快さに溢れていて、前半のオモシロさはなかなか。

でも、さすがにそれだけでは話は終わらないので、後半は無理やり盛り上げる。もっと戦力を投入して制圧すりゃあいいのに、お姉ちゃんを誘拐してみたり、わざわざタン・ロンに合わせて格闘家を呼んできて対決させたりと、アホっぽい展開に。それに伴いタン・ロンのキャラクターからコミカルさが消え失せ、なにか一貫性のない感じに。

日本人を卑下したいんなら、それなりに日本語を喋れるやつをつかえばいいのに…とか。
とってつけたような、シェフが 内通者でした…とか、あんまり意味ないね…とか。
あの子猫のカットはなんだ?とか。
やっぱり、変なところは散見されるのだが、こり、せっかくいい感じだったのに尻すぼみか…と諦めかけたところで、チャック・ノリス登場。馬鹿馬鹿しいのはわかってるんだけど、ブルース・リーとチャック・ノリスが大真面目に対決してくれるもんだから見入ってしまう。これが、なかなか迫真で美しさすら感じるほど。映画の格闘シーンでは、トップクラスのデキかもしれない。
#これが、チャック・ノリス伝説のはじまりか…と思うとちょっと感慨深い。

途中、意味もなくお色気を挟んできたりするのを見ると、映画を“興行”“見せ物”という位置付けで製作しているな…という印象を強く感じる。もっと、高尚なものに仕上げることができたと思うが、まあ、ブルース・リーが出てさえすれば、なんとでもなる…っていう沈黙シリーズのセガールに通じる勢いを感じる。娯楽作品としてはアリだと思う。
ブルー・スリー主演作の中では、上位のおもしろさだと思う。まあまあ、いい感じ。

拍手[0回]

imageX0041.Png公開年:1967年
公開国:日本
時 間:104分
監 督:本多猪四郎
出 演:ローズ・リーズン、宝田明、リンダ・ミラー、浜美枝、天本英世、沢村いき雄、堺左千夫、田島義文、草川直也、桐野洋雄、黒部進、伊吹徹、鈴木和夫、アンドリュウ・ヒューズ、北竜二、アル・クレーマー、田口計、山東昭子 他




アジア亡国の工作員マダム・ピラニアは、核兵器の製造を悪の天才科学者ドクター・フーに依頼。彼は、ロボット怪獣メカニコングを製造し、核兵器の原料となる物質エレメントXを北極で採掘しようとしたが、エレメントXから生じる磁場のために、メカニコングが誤作動してしまい断念する。同じ頃、海底油田調査をしていたネルソン司令官たちが乗る国連の原潜では、南海のモンド島近くで故障。修理のためにモンド島に上陸すると、そこで巨獣キングコングと遭遇するが、コングは乗員のスーザンに強い興味を示すのだった。キングコングの存在を知ったマダム・ピラニアは、本物のコングを使っての採掘を提案。ドクター・フーはコングを捕獲し北極に運び、催眠術にかけて作業させようとするが失敗。そこでコングを発見したスーザンら国連調査隊を誘拐し、コングに言うことを聞かせようとするのだが…というストーリー。

別に“あの”キングコング”が逆襲するわけではなくて、別のコングが発見されるお話。ストーリー上の繋がりは皆無。
でも、さすがに海外合作だし、“キングコング”を使うことにRKOから正式ライセンスも受けているし、迂闊なものは作れないという状況だった模様。屋内セットやミニチュア造型、それに映像の合成には、物凄く労力と技術を投入しており、1967年製作にしてはなかなかのクオリティでデキはよい。メカ○○○ってのは、メカゴジラよりも早い登場だ。

しかし、メカニコングやゴロザウルスの造型がとても秀逸なのに、肝心の主役コングが、デザインも表情の操演もぬいぐるみ丸出しでデキが悪すぎる。もうちょっとどうにかならんかったのか…。

加えて、慌てて作ったのか諸々の設定やストーリー展開がやっつけ。
20m大という設定なのだが、どうも縮尺がおかしい。30m以上あるように見えたり、場面場面で大きさが異なるようにも感じられる。せっかく、東京タワーに登ってのコングとメカニコングのアクションは、見ごたえあるのに、もったいない。

マッドサイエンティストの悪巧みという特撮SFの王道という展開ながら、諸々詰めが甘い。
せっかくキングコングを使ってるのに、コングが無害であることが早々に発覚しすぎで、緊迫感が皆無。さらに、メカニコングではダメだったが、コングならエレメントXを採集できるという発想が安易。さらに催眠操作できないから、お気に入りのお姉ちゃんを誘拐しちゃえ!って、オリジナルと同様に女好きであることが、馬鹿馬鹿しい使われ方をしている。
浜美枝演じるマダム・ピラニアが、どこの国で具体的に何をどうしたかったのか、結局よくわかんないまま終わっちゃう。中途半端に改心しちゃうのだが、別にだれかに恋しちゃったとか、改心する理由描かれていないから、話がブレてしまった。

もう一息ブラッシュアップすれば良くなったのにな…と思うけど、公開当時は『長編怪獣映画ウルトラマン』と同時上映だったらしいし、まあ、そういう位置づけならアリなのかもしれない。わざわざ、レンタルしてまで観る価値はないかな。

#メカニコングのミニフィギュアが売ってたら思わず買ってしまいそう。

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imageX0039.Png公開年:2010年
公開国:日本
時 間:107分
監 督:中田秀夫
出 演:藤原竜也、綾瀬はるか、石原さとみ、阿部力、武田真治、平山あや、石井正則、大野拓朗、片平なぎさ、北大路欣也 他
コピー:死ぬか、稼ぐか。




時給11万2千円という高額報酬に惹かれて、7日間の心理学実験に申し込んだ、フリーターの結城ら10人の男女は、人里はなれた地下施設に収容される。彼らの様子は24時間完全監視されるが、それ以外にも実験生活のルールがあった。それは、もし“事件”が起きたら全員合議で解決するというもの。その解決方法とは、犯人を多数決で決められ、その際“犯人”になった人にも“探偵”役になった人にも、特別ボーナスが与えられる。とても単純で、簡単に7日間が経過しそうに思えたが、2日目にいきなり参加者の一人が何者かに殺害されていしまい…というストーリー。

『ソウ』とか『es』とか『バトルロワイヤル』とか、いろいろな作品のミックス。藤原竜也がバイトに誘われるのをみると『カイジ』が浮かぶし。せめて、インディアン人形の造型とか『ソウ』を想像させないものにすべきだと思うが。

キャスティングに関しては、言うまでもなくホリプロ祭り。綾瀬はるかと石原さとみという、キャラがかぶりがちな二人を競演させるために、石原さとみに似合わないキャラを押し付けた模様。結局、変なかんじに。
そのくせ、誰かが内部で仕掛け人をやらないと成立しない内容なので、綾瀬はるかが“機構”側なのが見え見えというお粗末具合。

原作からしてこのレベルなのか、この脚本がクソなのか。三歩進むとボロが出るレベル。色々ありすぎてまとめられないので、つらつらと書いてみる。
通り魔の新聞記事とか伏線の貼り方が幼稚。
はじめの説明の中で、“生存者”という単語が出てきた時点で、殺し合いをさせることが判ってしまう。それなのに、、参加者は“生存者”という単語にさほど反応せず、“実験”だと信じ続けるという違和感。
平山あやの「なんか違和感ありまくり…」とか、セリフまわしが不自然(何に対する不自然だってのよ)。
石原さとみが片平なぎさを殺した理由が“怖かったから”ってさ。帰宅を確実にするために危険要素をとことん排除しようっていうほうが、理由としてはまともだろう。
片平なぎさの眼鏡はどっから出てきたのか。彼女を頭を貫いた釘の血液は固まって変色してるだろ。
ガードを避けてまで夜間見廻りをしなくてはいけない意味がピンとこない。殺人鬼に遭遇すりゃ殺されることにはかわらない。
武田真治がお棺におちて気絶とかバカらしい。
平山あやが死ぬシーンがわかりにくい。
推理小説の名前とか全然生きていない。“監獄”というルールも生きていない。わざわざ、“機構”なる組織が大々的にこういうことをやる意味もメリットもわからない。
北大路欣也はなんで武田真次と藤原竜也が殺し合いをしているときに狸寝入りしているのか。そのくせに、ラストでノコノコと藤原竜也の前に顔を出すとかありえない。それに北大路欣也は生きてたんだから“機構”は報酬を渡せよ。

ああ、くだらない。これひどくね?ジャパニーズホラーの旗手として、ハリウッドデビューもしてる中田秀夫監督をして、この有様って。心理ゲームが展開されるべきなのに、お互いが牙を剥き合うまでの、心の機微が全然表現できていないって、サスペンスとしてもミステリーとしても落第だよね。驚愕の駄作。

キャラが喋りすぎ。映像上の仕掛けもシナリオの展開や台詞まわしも、全方位的にポンコツ。もっと、“寝られない”というシチュエーションにスポットを当てたほうがよかったんじゃなかろうか。
#石井正則の死体が動いてるんだよ。そのくらいなんとかならんかったのか。
スタッフ全員があと半歩本気になれば、もう少しなんとかなったはずなのに。なんかおかしいな…という気付きのスキルが著しく低い人たちが集まってたのか、気付いても声に出せない風通しの悪い現場だったのか。

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imageX0040.Png公開年:2008年
公開国:アメリカ
時 間:90分
監 督:ケント・オルターマン
出 演:ウィル・フェレル、ウディ・ハレルソン、アンドレ・ベンジャミン、モーラ・ティアニー、ウィル・アーネット、アンディ・リクター、ロブ・コードリー、デレイ・デイヴィス、ジョシュ・ブラーテン、ピーター・コーネル、ジェイ・フィリップス、ジャッキー・アール・ヘイリー、クリステン・ウィグ、パット・キルベイン、エリア・イングリッシュ、アンドリュー・デイリー 他
コピー:やるときャ、やらなきャ、ダメなのよ!


1976年。『Love Me Sexy』という曲で一発当てた歌手ジャッキー・ムーンは、その儲けでミシガン州を拠点とするバスケチーム『フリント・トロピックス』を買収。オーナーだけでなく監督兼選手としてやりたい放題に振舞っていたが、そのせいでチームは毎年最下位だった。加えて、NBAに対抗して作られた新興リーグABA自体も経営難に苦しんでおり、とうとうNBAに吸収されることが決まってしまう。しかし、吸収といっても、ABAの上位4チームだけがNBAに編入され、残りの弱小チームは強制的に解散させられてしまうことに。チーム消滅の危機に直面したジャッキーは、かつてNBAのチャンピオンチームでプレーしたことのあるモニックスを加入させ、なんとか上位4チームに残ろうとするのだが…というストーリー。

NBAとABAの合併吸収話ってのは事実だし(ナゲッツ、ペイサーズ、スパーズ、ネッツがこの時NBAへ)、スリーポイントシュートってのもABAがルーツらしい。でもアーリーウープがABA発祥なのかは知らない。トロピックスってチームは架空だと思うので、もちろん主人公のジャッキーみたいな人物もフィクションだろう。
それにしても、アメリカってのはおもしろい歴史を色々もってる国だわなぁ。

一発屋歌手がプロバスケチームのオーナー兼監督兼プレーヤーっていう無茶な設定ながら、70年代でましてやコメディ作品なら全然アリかな…という説得力。とてもプロのプレイとは思えないんだが、まあどうでもいいかな…というノリと雰囲気が漲っている。

コメディ作品なんだけど、ハーフタイムのロングシュートが入っちゃうとか、銃に弾が残ってるとか、ビックリするぐらい予想を裏切らない展開で、コメディとして稚拙なのにもほどがある内容。“熊”のテンドンも、それほそ面白くないという。
そのコメディレベルの低さを補うように、スポーツコメディとしての基本をはずさない。そのおかげで、なんとか観られるレベルに。でも、はずしてはいないけど、超えてもいない。スポーツコメディなら、チームメイトのキャラにもうすこしスポットを当てて、感動ポイントとかうるうるポイントとかを作るものだけど、あそういう方向性には持っていく気配はないんだよね。
さらにこれらを補うように、70年代のディスコミュージックが格好よかったりする。
このような引き算と足し算の結果、駄作でもなければ良作でもない、おまけにウィル・フェレルはいつもほど下品じゃないという、ジャスト“普通”という着地点に。

まあ、いずれにせよ、ウィル・フェレルってのは、日本ではウケないわな。小汚いんだもん(笑)。100円レンタルなら、まあ無理やり納得できるレベル。
#SEMI-PROっていう原題はけっこう秀逸だと思うんだけど。

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image1120.png公開年:2010年
公開国:アメリカ、イギリス
時 間:90分
監 督:バンクシー
出 演:ティエリー・グエッタ、スペース・インベーダー、シェパード・フェアリー、バンクシー、リス・エヴァンス 他
受 賞:【2010年/第26回インディペンデント・スピリット賞】ドキュメンタリー賞(バンクシー)




ロス在住のティエリー・グエッタは、ストリートアーチストに興味を持ち、警察の取り締まりに屈することなく、彼らの活動を追い続けカメラを向け続けていた。やがて、伝説の覆面芸術家バンクシーの作品や行動を映像に収める機会を得て、さらにか彼と親交を深めるようになる。その後、バンクシーはティエリーに、これまで取りためた映像を編集して、一つの映画にすることを依頼するが、その出来映えがあまりにひどく、彼の映像センスの無さにバンクシーは愕然とする。彼を映像の世界から遠ざけようとした際に、アート活動に目を向けることを薦めると、その気になってしまったティエリーは、アートの才能など無いにも関わらず、分不相応な巨大なイベントの立ち上げに邁進し…というストーリー。

冒頭は、バンクシー以外のアーチストの活動を紹介し、それらが撮影したティエリーの目線で語られる。その後、ティエリーとバンクシーとの出会いと、親交が深まる様子が描かれるのだが、ここまでは実に退屈な内容で、どこが良くて数々の受賞をしているのかさっぱり判らない状態(上にはインディペンデント・スピリット賞しか書いてないけど、もっと規模の小さいインディ系の映画賞をたくさん受賞している)。

私がお堅いつまらない人間なのかもしれないが、“インベーダ”さんとか、アンドレを貼り続けている人の活動が、迷惑極まりない。自分の家や会社の壁や塀にあんなものを貼られたり描かれたりしたら、憤慨すると思う。はっきりいって芸術として美しくもないし小汚いし、あれを剥がすには相当のコストが掛かる。とても腹立たしく感じられた。

で、続いてバンクシーの活動が紹介される(というか監督自身の活動なんだけど)。ここで、バンクシーという男の作品が、何で評価され高値で売買されるのか、はっきりとわかる。角辻の壁の下の方に描かれたネズミの絵ひとつとっても、そのアートセンスが段違い。間違いなく許可なく勝手に描いているのだが、これなら描かれても文句ないかな…って、建物の持ち主の怒りとかを押さえ込み、厳密な法解釈とかをなぎ倒すだけのパワーがそこにある。いや、むしろ描いてくれてありがとう…のレベル。
正体を明かさずに活動しているのも、単に違法なことをしているからパクられないように顔を隠したいということではなく、きちんと違法なことであることを認識した上で、それでもやる意味があるからやってるんだよ、そのギリギリの先に何かがあるんだよってことだと思う。他のアーチストは何が悪いわけ?って姿勢だから不快に感じる。

ところが、本作は後半になってガラリと趣を変える。これまで、ストリートアーチストを撮影しつづけていた(だけの)ティエリーに、バンクシーが映画制作を依頼すると、驚愕するくらいにポンコツ映像に仕上がる。このまま映像の仕事を続けさせるわけにいかないバンクシーは、リップサービスでユーもアート活動してみりゃいいじゃん!なんて行っちゃったら、ティエリーがその気になっちゃう。
元々頭のネジが飛んでる人なのかもしれないが、これまでアート活動なんかしたこともない人間が、バンクシーの真似をしていきなり単独アートイベントをぶち上げる。それどころか、すったもんだの末になぜか成功して、現代アートの旗手として持ち上げられリッチマンになってしまうという、斜め上の展開に。
MBW(ティエリーのアーチスト名)の作品は、他の現代アート作品のコラージュ、いやパクりでしかない。そこの創造性を見出すことが難しいほど。一周廻って、そのオリジナリティの無さに、大衆が現在の世相を勝手に投影したのか。なぜか、お客さんは彼の作品を絶賛するのだが、私にはさっぱりピンとこない。監督のバンクシーもMBWの作品には批判的で、この現象に不快感を表すことを隠さないし、苦言も連発する。

なんだこれは?という展開になるのだが、これは、現代アートというか、今の“アートビジネス”を批判しているのだろう。私は至極納得する。意図してかどうかはわからないが、途中で村上隆の作品がチラっと映る。私が村上隆作品にに抱いている感情と、バンクシーがティエリーに抱いている思いは一緒。そりゃ村上隆は芸大出だしキャリアも積んでいるんだろうけど、その作品に独創性もアート性も一切感じない。今の現代アートビジネスってのは虚業だし、バブル的で、今のマーケットに本物を見分ける力は無い。だから表現の舞台は街の中ってこと。彼が覆面で活動しつづける意味が、そこにもある。

後半になって急激に、社会性の高い視点になる。何を主張したい作品なのか?にハッと気付くと、ゾワっとするおもしろさが表出する作品。大衆は愚かであり賢い…という深いテーマがじわじわと染み出す、デキの高いドキュメンタリー。なかなかの佳作だった。軽くお薦めしたい。

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image1874.png公開年:1956年
公開国:メキシコ
時 間:80分
監 督:フェルナンド・メンデス
出 演:コルンバ・ドミンゲス、ウォルフ・ルヴィンスキス、カルロス・リケルメ、クロクス・アルヴァラード 他





メキシコ・シティで、死亡したプロレスラーの死体が墓場から盗まれ、さらに頭に手術跡を残して発見されるという事件が発生した。メキシコ警察は、近隣各国の警察機関から情報を集め、何者かがスポーツ選手の死体を盗んで同様の手術を繰り返していることをつきとめる。この事件の担当になったロブレスは、メキシコ・シティにあるスポーツ施設に警察官を配置したが、その警戒網を潜り抜け、プロレスラーが殺害され死体を運び出されてしまう。追い詰められたロブレスは、親友のギレルモを屈強な覆面レスラーに仕立て上げ、犯人に狙わせるために囮にして捕まえようとするが…というストーリー。

レトロなジャケットと見世物小屋的なタイトルに気を惹かれレンタルしたのだが、もちろんキワモノだと思ってまったく期待はしていなかった。どちらかといえばとことんトンデモであることを期待。冒頭の墓から死体を盗むシーンは、それこそエド・ウッド臭がプンプンしていたのだが、意外や意外、観られる作品だった。

出演しているルチャドールはおそらく本物の方々で、これがなかなか見ごたえがあるしっかりとした動き。
プロレス自体がそういうものではあるのだが、それにしても、しっかり演技もして、スムーズにガッツリアクションに入れるのは、すばらしい。

刑事とレスラー志望の旧友に、プロレス事務所で働く事務員の女性というキャラ配置も良いし、事件との絡め方もうまい。マッドサイエンティストの犯行模様が、結構ベタベタだけどドキドキで見ごたえがある。時代を考えれば、アクション要素、サスペンス要素が、うまく融合した作品になっていると思う。
ハゲ頭のゴリラ男の特殊メイク(?)にトホホ状態だったが、その後に感情に高揚にあわせて変態するというギミックはなかなか効果的で、当時の技術、それもメキシコってことを考えると、なかなか頑張ったデキだと思う。

しかし、せっかく鑑賞に堪えうる作品だったのに、次の二点で台無しに。
1点目は、手術の内容がピンとこない。さすがにゴリラと脳を交換したら、その精神はゴリラだろう。恋人の家に行くのは違和感がある。この手術は脳幹はゴリラの物を使ってるけど、その他は人間のを使っているから記憶は人間なんだよ…とか、無理やりながらも納得できる説明があればね。この点は時代もあるので許容したいところだが、今観る分にはやっぱりキビシイ。

2点目は、致命的で、無理やりキングコングと同じようなオチにして、同じような効果を狙っている点。等身大のゴリラ男が出現して、。市民は逃げまどうもののそれほど大事か?という感は否めない。女性をさらったところで、それほど救出は難しくもなく、実際あっさりと狙撃されておしまい。やはり、人間としての部分がかなり残っていて、殺すのを躊躇してしまう展開など、関係者が苦悩する部分がすっぽり抜けているのが、よろしく無い。

とにかく息切れして尻すぼみしてしまった残念な作品で、わざわざレンタルして観るような作品ではなかった。
劇中の日本語は、間違っているわけではないが、語彙のチョイスや言い回しがおかしくて、移民二世とかがやっていると思われる。WW2前後の中南米への日本人移民の浸透度が伺え、資料的な価値はあるかも。

 

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imageX0038.Png公開年:1962年
公開国:日本
時 間:88分
監 督:市川崑
出 演:鈴木博雄、中村メイコ、船越英二、山本富士子、浦辺粂子、渡辺美佐子、京塚昌子、岸田今日子、倉田マユミ、大辻伺郎、浜村純、夏木章、潮万太郎 他
受 賞:【1962年/13回ブルーリボン賞】監督賞(市川崑『破戒』に対しても)




都営団地に住むサラリーマンの小川五郎・妻千代夫婦の間に一人息子・太郎が生まれる。両親の愛情をうけて、すくすくと育っていくが、息子のやんちゃっぷりに一喜一憂する毎日。特に妻・妻千代は、のんきで不器用でピリっとしない夫にイライラしながら、初めての子育てに悪戦苦闘するのだった。ある日、五郎の母親と暮らす兄夫婦が大阪に転勤することになる。老いた母を一人にすることができない五郎、そして狭小な団地暮らしにうんざりし始めていた妻千代は、郊外の一軒家に引っ越すことを決めるのだったが…というストーリー。

市川崑作品と言えば、金田一シリーズみたいに死ぬだ殺すだといったストーリーばかりで、こういう作品を観るのは初めてかも。キャストは『黒い十人の女』とかなりダブっているね。引越しのゴタゴタとか、母親の葬式とか、予測のつくシーンはサラッとスルーする編集の構成のキレの良さは、さすが市川崑って感じ。
驚くべきことに、元は育児書で、それを膨らませて映画に仕上げてしまったという奇作。脚本家は市川崑の嫁さんの和田夏十だけど、彼女の功績なんだろう。

50年前の日本。一般家庭にTVのない時代。でも、これが間違いなく現在の日本の基点なのだが、異なる点が非常に興味深い。
二重が未形成の人が多い。京塚昌子みたいな体型の女性は少なくなった。主人公の妻も顔がしゅっとしてるから細いのかとおもいきや、骨格はものすごい太いし低重心。日本人女性の体型は激変している。しかし、動物園の雑踏を見る限り男性の体型は意外に変わってない。
フィジカル面以外でも色々。看護婦の白衣が汚い。唾つけて顔拭くばばぁとかいなくなったね。

このように田舎から出てきて団地暮らしをすることが、新興宗教の台頭の下地になったと思う。子供を増やすことを嫌がっているのは50年前から一緒。少子化が最近の傾向だと思っているのが間違いだってことだろう。傾向としては今も一緒なんだけど、育児・生活のコストが相対的に上がってるてことだと思うよ。

この作品は三世代が同居するのが理想といいたいようだが、実際そのとおりだと思う。だけど、実際は諸々の問題が生じる。本作では無知な姑の毒で家庭がうまくいかない。生活が安定しているジジババが近くに住むっていうのが理想形。でも、そういう流れがいいとはわかっていても、そのジジババ世代は学生運動世代で、頭のおかしいの毒親が半分以上。実際は成功しない。日本は未だに理想的な家族の形を模索している段階、それが50年以上続いてるってことだね。
作品自体のオモシロさというよりも、今となっては社会学的な価値が高い作品。わざわざレンタルして観るような作品でもないんだけど、BSやCSでテレビ放送があったときは是非どうぞ。

ちょっと私の性格が悪いのか、演出上の意図なのかもしれないけど、この主人公夫婦の子供が、全然かわいく感じられない。泣きはじめると、グーパンチしたくなるのよね。
#満月に浮かぶ浦辺粂子の顔がひたすら怖いわ…

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プロフィール
HN:
クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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