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公開年:1999年
公開国:韓国
時 間:124分
監 督:カン・ジェギュ
出 演:ハン・ソッキュ、キム・ユンジン、チェ・ミンシク、ソン・ガンホ、ユン・ジュサン、パク・ヨンウ 他
ノミネート:【2000年/第24回日本アカデミー賞 】外国作品賞
情報部員のジュンウォンとジャンキルは、近頃相次いでいる要人暗殺事件の陰に、かねてからマークしている北の工作員の女スナイパーの影を感じていた。捜査の過程で、北側が国防科学技術研究所の開発した爆弾CTXの強奪を計画していることを掴んだものの、二人がその情報に辿り着いた時には、既にCTXは盗難された後だった。ジュンウォンはCTX強奪犯が、かねて発生した航空機テロの実行犯の生存者であるパク・ムヨン率いる特殊8軍団であることに気が付く…というストーリー。
当時鑑賞した時の感想は、「韓国もこういう作品が作れるんだぁ…(棒読み)」程度のもの。やたらとメディアは持ち上げていたが、それほどの衝撃を与えてくれるようなレベルではなく、日本映画がこじんまりとしすぎていることを揶揄したいのだろうと捉えていたが、今考えれば韓国推ししたい一部勢力の工作だったのかもしれない。
#おすぎがCMで推した映画と私の好みの合わなさはハンパないな(CMで推した作品と合わないというのが、実はミソなんだろうけど。要するにおすぎも商売として推薦しているってことだわ)。
銃撃戦にお金をかけたな…というのは明らかだが、その反面、シナリオや設定があまりに稚拙すぎる。
個人的に一番興醒めしたのはCTXのギミック。ルクス(光量)と熱量はイコールではないだろう。炙って一定の温度を越えたら爆発するというのは理解できるか、スポットライトの光を当て続けると爆発する理屈がわからん。条件は光なのか熱なのか、だとしても時限爆弾並に秒単位で制御できるってどういうことやねん。
だいたいにして、ソウルの半分を壊滅させる威力があるのに、なぜスタジアム内に仕掛けねばならないのか。あんなに銃撃戦を繰り広げてでも爆発させて暗殺したいんだろ?自分の死も厭わないんだろ?太陽の光程度でも爆発するんだろ?じゃあ、スタジアムの外で光を当てて爆発させりゃいいじゃねえか。馬鹿なのか。
あのスタジアムで爆発させねばいけない理由。そして、爆弾のギミック。あとほんのちょっと考えればいいだけじゃないのか?なぜ、そこに気が廻らないのか、理解に苦しむ。
恋人が犯人だというのが、早々に判明するのだが、あまりに判りやすすぎて解明していくくだりが空々しくみえる。わざと早々に犯人だと判明させておいて、「いや、さすがに判りやすすぎるからミスリードだろ?」と逆に思わせるとか、信じたくないという苦悩を見せることに主眼を置きたいのか…とか好意的に想像してみたのだが、そういうテクニックを駆使しているわけでもない。う~ん。アホなのか。
本作を観ていると、今でTV放送されている韓国ドラマの基本プロットとまったく同じであることがわかる。それは①禁断の恋愛②重要な人物の死、この二つを軸に話が進むこと。いや、この2軸に無関係なドラマを発見することが難しい。
だから、既視感あふれるストーリー展開になる。それを一回なぞってみるというのも、成長のプロセスとして必要なこととして許容するが、同じことを繰り返し続けるのはどうかと思う(それも国全体で)。ユングがいうところの“元型”みたいなものなのだろうが、他国の作品と比べて多様性やダイナミズムが欠落しているように思えて、ものすごく韓国の人達の精神構造が異質に感じられてしまう。
いや、私だって、金田一耕助シリーズや仮面ライダーやウルトラマンなど、基本線は同じで予定調和的な範囲内でのバリエーションを愉しんでいる。だから韓国ドラマ好きのおばさんたちを頭ごなしに否定するつもりはない。現在ではありえない、昔の少女漫画みたいな“ノリ”を愉しんでいるだけなんだと思うから。それ以上でもそれ以下でもないと思う。
#でもそれは“韓国ブーム”みたいな大きなムーブメントじゃなく、ニッチな一ジャンルでしかない。
私はいつも韓国映画のカメラワークは褒めるけれど、本作は褒めない。Vシネマレベル。白状すると、ところどころ早送りして観た。好みの問題だとは思うが、正視に堪えない演出が多々あったから。
街並みや店舗の様子など、先進国に追いつこうと足掻いているように見えるところや、外面的な演出においてハリウッド作品などを模倣してみようという姿勢を、素直に「ああ、韓国も一流の国だ」と捉えるのか、痛々しく捉えるか。一見、映画を愉しむことと関係ないように思われるかもしれないが、そういうバックボーンの部分で感じる違和感が、作品全体の違和感になっている作品だと思う。
あくまで、日本ではじめて評価された韓国アクション作品という、作品の質とは無関係な点で映画史に1行記載されるレベルの作品だと思う。お薦めはしない。
#韓国は整形天国といわれるが、それでも本作の時代と現在では差がある(現実には整形手術のテクニックが向上したのだな…ということがわかる)。
負けるな日本
公開年:1986年
公開国:香港
時 間:94分
監 督:ジャッキー・チェン
出 演:ジャッキー・チェン、ロザムンド・クアン、アラン・タム、ローラ・フォルネル、ロザマンド・クワン、ローラ・フォルネル、ケン・ボイル 他
数千年前に紛失した6種の“神の秘宝”を探し続ける邪教集団。秘宝をすべて揃えると他の宗教をすべて滅亡させることができるという伝説を信じ、これまでに2つを手に入れていた。しかし、残り4つをどうしても見つけることができなかったため、トレジャーハンター“アジアの鷹”として名を馳せているジャッキーを利用することを思いつく。教祖はジャッキーの友人で芸能人のアランの妻ローレライを誘拐し、妻を返して欲しければ神の秘宝を集めろと要求する…というストーリー。
身代金として宝を集めてこいという単純なプロットなのだから、謎解き冒険物語を展開させればよろしいのに、そうはしない。
丁度その宝をオークションで売っ払っちまたところなので、その在り処は判っていて、おまけにそこには既に4種類がそろっているという都合のよい展開。じゃあ、きっと宝が6つってことは、後におもしろいギミックがあるんだろうなと思ったら、なにも無かった。じゃあ別に3つだって2つだっていいじゃないか。
それ以前に、潜入して奪還するつもりなら、別に4つ秘法を持っていく必要ないじゃないか。ジャッキーは秘法を6つ揃えたいわけじゃないんだから。白人女性を旅に参加させたいからといって、無理に捻って大破綻している。
兄弟っていうけど、ジャッキーじゃない方は特に活躍するわけでも能力があるわけでもない。でも、別の意味で兄弟っていう下品具合。売春婦に紛れて教団に潜入するというのも下品だし、会話も下品。
アクションも命知らずというか使い捨てというか、スタントマンが地面に落ちるときのグシャっと感がものすごくて、ちょっと引いちゃう。それもある意味下品。
すごいアクションを見せられれば、実のところストーリーやキャラクター設定は、どうでも良いと考えていたのが見え見え。その証拠に、ジャッキー以下メインの4名のキャラクターには、始めから最後まで精神的な成長や変化が生じない。ただ、ドタバタを延々続けるだけ。
神の秘宝を揃えることが目的のはずなんだけど、最終シーンではあっさり放棄し、そんな話など無かったように大爆発で大団円。どういうことじゃ。気球にスカイダイビングして飛び乗るというシーンを撮りたかったのは判る。しかし、そんなことは無理なので、①単独スカイダイビングの映像②低空飛行の気球の飛び乗る映像③気球の上から降りる映像、この①~③を繋げているのが丸判りの編集。興醒めする。
2、3シーン、「おぉ!」っと思うようなアクションは繰り広げられていたが、それが無かったら、もう映画として成立していないレベル。『少林寺木人拳』や『プロジェクトA』みたいに、後に語り継がれるようなシーンがあるわけでもない。私は駄作と判定。お薦めしない。
#どう考えても、あのダイナマイトを始めから体に巻いていたとは考えられんだろう…とか、もう、そういうツッコミがカワイク感じるほど稚拙。
負けるな日本
公開年:2003年
公開国:韓国
時 間:120分
監 督:パク・チャヌク
出 演:チェ・ミンシク、ユ・ジテ、カン・ヘジョン、チ・デハン、キム・ビョンオク、オ・ダルス、ユン・ジンソ 他
受 賞:【2004年/第57回カンヌ国際映画祭】審査員特別グランプリ(パク・チャヌク)
コピー:お前は誰だ!? なぜ俺を15年監禁した!?
妻と娘と暮らすオ・デスは、多少、素行が悪いものの、いたって普通のサラリーマン。しかし、突然何者かに誘拐され、小さな部屋に監禁されてしまう。テレビは観ることができ、食事も与えられるが、それ以外に外界との接触はできず、監禁の理由も教えててはもらえない。そのまま15年間も監禁が続き、ある日突然解放される。監禁の理由をどうしても知りたいデスは、偶然知り合った若い女性ミドの助けを得て、監禁した相手の正体をたどり始める。そんな2人の前にウジンと名乗る男が現れ、“5日以内に謎を解き明かせ”と告げ…というストーリー。
以前観た後、もう二度と観ることはあるまいと思ったのだが、とある事情で再度鑑賞。
先日観た『母なる証明』のラストで、母親が自ら忘却のツボに針を刺し、すべてを忘れたことにして踊るシーンが、まさに韓国人の精神構造をよく表していると感じたのだが、その時ふと『オールド・ボーイ』が頭をよぎったのである。
『復讐者に憐れみを』『オールド・ボーイ』『親切なクムジャさん』はパク・チャヌクの復讐三部作と言われており、その怨念と過激な暴力表現にばかり気が向いていたのだが、実は『オールド・ボーイ』も韓国人独特の精神構造の発露なんじゃないか?と。
(以下、ネタバレ)
オ・デスは素行の悪い生徒だったが、ウジンに文句を言われるようなことはしていない。確かに、転校の間際に友達に見たことは言った。でも“見たことを言った”だけである。オ・デスは、口を滑らせたことが原因でウジンの姉が自殺したと始めは罪悪感を感じただろうが、実は本当にウジンと姉は近親相姦の間柄だった。思うようにならなかったからといって、人の道にはずれた自分の行動はすっかり棚に上げて(というか無視して)ネチネチと攻撃する姿勢。まあ、このキャラクターの行動ひとつで、韓国人の精神の表れとするつもりはない。
しかし、ラストはどうだ。とても堪えられそうもない自分の状況に向き合うことを拒否して、なんとそれを催眠術で忘却し、娘との近親相姦生活を継続することを選択するのだ。まったくもって『母なる証明』と同じラスト。忘れて、それで自分が保てるならそれでいいじゃないかロジック。なんだこれ。
本作が公開されたとき、原作が日本の漫画だということが話題になったが、いざ原作漫画を読んで「あれ?」を思った人が大半だろう。なぜって、肝心の監禁された理由がまったく違うから。とはいえ、漫画のほうの監禁の理由は、さっぱりピンとこない物で、そのままに映画にしても面白いものになったとは思えないので、変えたこと自体は良い。いや、監禁と謎解きというプロットだけを残したのは、むしろ慧眼といえる。
ただ、はっきりいって日本人は(いや、他の民族も)、こんなノリで近親相姦を扱わない。いや、扱えない。まあ、仮にそういうエグい展開になったとしても、最終的に忘れて近親相姦状態を継続しようなんていう選択肢はありえんわ。韓国って、これがギリギリでも許容される土壌なの?
あ、誤解しないでいただきたいが、私はパク・チャヌクの暴力表現は許容範囲だし、カメラーワークとかウマいと思うので、監督として嫌いじゃない。本作のストーリー構成も、主人公の変化や困難を切り抜けるポイントなど、展開の配分がセオリーどおりで評価したい。でも、本作に限っては、近親相姦のくだりが生理的に許容できないので、お薦めしない。以上。
負けるな日本
公開年:2008年
公開国:韓国
時 間:129分
監 督:ポン・ジュノ
出 演:キム・ヘジャ、ウォンビン、チン・グ、ユン・ジェムン、チョン・ミソン 他
受 賞:【2010年/第36回LA批評家協会賞】女優賞(キム・ヘジャ)
コピー: 殺人事件の容疑者となった息子を救うため、真犯人を追う母親の姿を極限まで描く、ヒューマン・ミステリー
永遠に失われることのない母と子の絆。すべての“謎”の先に“人間の真実”が明かされる。
トジュンは子どものような無垢な心を持った青年だが、社会にはうまく適合できず、母親の庇護の元で生活している。漢方薬店で働く母は、そんなトジュンを人生の全てをかけてかわいがっていたが、悪友ジンテのせいで良くないことに巻き込まれないか心配な毎日だった。そんなある日、女子高生が無惨に殺される事件が発生。容疑者としてトジュンが逮捕されてしまう。唯一の証拠はトジュンが持っていたゴルフボールが現場で発見されたことだけだったが、事件解決を急ぐ警察は、強引な取り調べでトジュンに自白させてしまう。母は息子の無実を訴え続けたが、刑事も弁護士耳を貸そうとしなかったため、自ら真犯人を探すことを決意するのだったが…というストーリー。
海外受賞歴がLA批評家協会賞のみって、現地でゴリゴリやらかした臭いがプンプンする割には…。まあ、ポン・ジュノ自体は同好の志っぽい感じがするので、私は好意的に見ているよ。
まず、この邦題。母の愛がテーマか?と思わせたのは失敗。ポン・ジュノもそんな作品をつくるようになったのか…とすっかり騙されてしまったのだが、実は『殺人の追憶』と同ジャンルの話という。はっきりいってこの勘違いは邪魔臭い。良い効果を発揮しておらず、日本の配給会社の失敗といってよいだろう(ポン・ジュノに詫びをいれたほうがいいよ)。はじめにいっておくが、これから観る人は、ヒューマンドラマが繰り広げられるのだろう…という先入観を持ってはいけない。面白さが削がれる。
母の愛と母の狂気は紙一重。原題の『MOTHER』のままのほうが、正しく意味が伝わる。
ポン・ジュノの作品は嫌いではないが、展開のペース配分が悪いことが多いと思う。本作でも、母親が真剣に動き始めるまでに時間がかかりすぎ。母親が実は昔心中しようとしていた…ということが判明するあたりから、グっと面白くなってくるのだが、それまでがグズグズしていて、申し訳ないが早送りして観てしまったよ。
(以下、ネタバレ注意)
なにやら、息子トジュンが犯人だと断言する人が大変多いのだが、私はそうは思わない。
①息子は犯人じゃないのに、私はやってしまったのか…。
②いや、あのままジジィに証言されたらやっぱり犯人にされてしまっていたかもしれないから、これでよかったのだ。
③いやいや、本当に息子がやらかしてしまっていて、あの人は冤罪なのかも。
って、最後までこの①~③の間で揺れているんだと私は思う。
トジュンの犯行を見たっていってるのはあのジジィだけだし、そのジジィは何故か米を用意していたりする(だって携帯に写ってたから辿り着いたんだろうし)。真犯人と思しき人物の服についていた血痕は、鼻血のものかもしれないし、本当に犯行時のものかもしれない。
結局犯人は藪の中なんだけど、母親の犯行だけは明白。そして息子にもばれちゃったかもしれないという恐怖。そんな私は、昔、あの子を殺そうとしたこともある。私ってなんなのよ。なんなのよ。なんなのよ。パカーン。
この解釈がいいと思わんか?どっちとも取れるようにボカした方が絶対に効果的で深いものになるだろう。
針をうって忘れちゃって、踊る母親。なんか韓国人の精神構造をよく現していて怖いっすな。
なんか、ポン・ジュノって韓国のこと嫌いなんじゃないかな…って思いはじめてきた。街並みも建物の中も、とても現代のお話とは思えないくらい、すべて吐き気を催すほど汚い。私、韓国にはいったことがないのだが、これが社会を汚れたものと表現するための演出なのか、実際にそうなのかが、よくわからん。
主人公の母親が決して名前で呼ばれないこととか、『殺人の追憶』のときもそうだったけど、警察機構の人権無視のヒドさとか。これ観て、韓国に好意を抱くやつなんかいるわけないもの。
なんて、色々文句は言ったが、かなりの良作である。お薦めしたい。写っている街並みは小汚いが、カメラワークや証明の技術はピカ一。
#それにしても、韓国人、どんだけウンコ好きやねん。
公開年:2008年
公開国:韓国
時 間:121分
監 督:キム・ジフン
出 演:アン・ソンギ、キム・サンギョン、イ・ヨウォン、イ・ジュンギ、ソン・ジェホ、ナ・ムニ、パク・チョルミン、パク・ウォンサン、ソン・ビョンホ、チョン・インギ、イ・オル 他
コピー:今日、弟が殺された。オレの目の前で──
両親を早くになくしたミヌは、タクシー運転手として弟ジヌを親代わりに育てていた。ミヌは、弟と同じ教会に通う看護師のシネに憧れていたが、奥手ゆえに告白することができずにいた。しかし、なんとか弟を入れて3人で映画に誘うことに成功。楽しく映画を鑑賞していると、映画館の外では学生の民主化デモ隊と戒厳軍の衝突が始まる。なぜか眺めていたミヌたちまで、この衝突に巻き込まれてしまい…というストーリー。
なんで韓国が、狂ったように反日教育をしたり、○○の起源は我が韓国也!といい続けるのか、理解できてしまう作品。というか、この事件が今の韓国を決定的に形作ったといっていいのではないかと、私は考えている(あ、これは実際に韓国で発生した軍事クーデターのお話。それもそんな昔じゃない)。
これが自国でおこった出来事だとしたら、私は頭が狂ってしまうだろう。だって、数万人単位の自国民同士が、怒りが沸点に到達して、撃ち合いを繰り広げるなんて普通の国ではまず有り得ないこと(本作では数百人規模の戦闘に見えるかもしれないが、実際は市まるごと封鎖して、軍隊と戦闘したわけだからね)。差別や貧困に端を発する階級闘争だというならわからないではないが、これはそうではないのだ。
もちろん光州市民が反乱分子だったわけでもなく、軍内部の権力争いにマッチポンプ的に利用されたわけで、それ自体とんでもない行為なのだが、その原因はさておき、末端のぶつかっている人間同士は、庶民と庶民。それでも、プチっと切れて鳩同士の喧嘩のように殺すまでやりあった。
そして、この光州事件が終わって、やらかした奴らは断罪されました…、悪い奴が栄えることはありませんな…、ってオチならまだしも、この光州事件の首謀者である全斗煥はその後大統領になり(!?)、1990年代の初頭まで軍事政権が続くのである(お隣韓国が民主化したのはつい最近ってこと)。
そして、そんな国民同士が、これからも一緒に生活していかねばならないという、気持ち悪さ。だって、いつ導火線に火がついて、お互い殺しあうかわからないのだから。
ちなみに、後に光州事件は裁かれ、全斗煥・盧泰愚は実刑になるのだが、金大中は彼らを特別赦免で釈放する(国民に直接銃を向けた人間が赦免される意味がまったくもってわからない)。
こんな、同じ国土で同じ顔をしている人間同士が、腹の底では信じあうことができないような状態で国がまとまるわけがない。そうなったら国外に敵を作るしかない。そこで、極端な反日教育を行い、内部に向く敵対心を外にそらすしかないのである。そうしないと精神が壊れるのだ。
しかし、いくら自分達は一流国家だ一流国家だと吹聴しても、世の中を見渡せばそのギャップは目に入ってしまう。特に、日本を目の敵にしてしまっている以上、先に進んでいる日本の様子は目に入ってしまうというジレンマよ。そうなると、剣道の起源は韓国だ、漢字の起源は韓国だ、と、自分達は元々高貴で選ばれた存在なのだということにしないと、バランスがとれなくなってしまう訳だ。
まあ、簡単に言うと現実を見つめることができないということ。国民総出で現実逃避しているのだろう(おそらく、本作についても韓国民はまともに直視していないと思われる)。現実を直視するリハビリを国民全員でしなくてはいけないなんて、100年たっても治療できるとは思えない。もしかすると、北朝鮮や中国よりもよろしくないお国なのかもしれない。しかし、もう本作を観てしまうと、みじめすぎて批判するのもかわいそうになってしまう。
まあ、韓国アイドルに浮かれている日本人は、これを観るべきかと。いまだに日本の音楽や映画を地上派で流すことを禁じている国の音楽をなぜ、喜んで受け入れているのか私は神経を疑うけどね。韓流ドラマ好きとか韓国アイドル好きとか、個人の自由だから別にいいけど、公共の場で言うのって少し恥ずかしい気がするんだけど。
まあ、映画自体は決しておもしろいわけではないけれど、みておくべき作品。財閥でなければ人にあらず、韓国の現在はそんな感じだけど、軍閥が財閥に変わっただけなのかもね。他人事ながらせつなくなるわ。
#こんな事件のたった8年後にオリンピックが開けるのって、私の感覚では信じられないんだけどね。
負けるな日本
公開年:2008年
公開国:韓国
時 間:113分
監 督:チャン・フン
出 演:ソ・ジソプ、カン・ジファン、ホン・スヒョン、コ・チャンソク、ソン・ヨンテ、チャン・ヒジン 他
コピー:つかの間でもいい。違う人生を生きてみたい。
映画スターとギャングスター。全く別の世界を生きる男たち。“映画”の中でだけ2人の人生が交差する──
人気俳優のスタは、新作映画のアクションシーンの撮影中に相手に重症を負わせてしまう。短気で傍若無人なスタの振る舞いが原因で、今回で二度目。とうとう彼の相手役を引き受けてくれる役者はいなくなり、撮影が中断するハメに。切羽詰ったスタは、以前に出会った、昔、俳優志望だったヤクザのガンペに話を持ちかける。ガンペは、ケンカのシーンは本気でやり合うことを条件に出演を承諾するが…というストーリー。
キム・ギドク製作。私はキム・ギドク監督作品があまり好みではない。彼の演出は、意図はわかるのだがわざとらしかったり作為的な感じが過ぎると感じる。巨匠ぶったところもあって、鼻につくことも多い。ところがどっこい、本作は非常におもしろかった。彼は直接現場演出するよりも、原案・製作ぐらいのほうが能力を発揮するのかもしれない。
昨今の韓国映画はバイオレンス表現が過ぎるところがあって、もうそんなのハリウッドでもヨーロッパでも(それこそ日本でも)散々やられているので、追いかけなくていいよ…って感じで辟易していたのだが、本作はちょうど良い。
コメディ要素もあるんだけれど、変にチョケた感じもなくて不快ではない。
周囲からは一流扱いされているけれど、実のところは、本物になりきれていない役者と本物になりきれていないヤクザ。そんな二人が出会う。偶然であったというよりも、一瞬の出会いでお互い内面の臭いを感じ取った感じ。
表情の薄いヤクザなんだけれど、もしかしたら今の自分じゃない自分になれるかもしれないという思いと、ヤクザとしての本分の間で揺れる様子がよく表現できている。
役者が役者らしい顔になり、次は自分がヤクザらしいヤクザになる番だ…ってことでラストを迎えるが、こういう展開の内容だと、お茶を濁すようなものが多くなるんだけど、これしかないっていうか実におさまりのよい具合。私が今まで観た韓国映画のなかで一番デキがよく、愉しめた作品。
全然、有名じゃないけれど、もっと評価されて知ってもらいたい作品。いやー本当に満足した。強くお薦めしたい。
負けるな日本
公開年:2003年
公開国:アフガニスタン、日本、アイルランド
時 間:82分
監 督:セディク・バルマク
出 演:マリナ・ゴルバハーリ、モハマド・アリフ・ヘラーティ、ゾベイダ・サハール、ハミダ・レファ 他
受 賞:【2003年/第56回カンヌ国際映画祭】カメラ・ドール[特別表彰](セディク・バルマク)
【2003年/第61回ゴールデン・グローブ】外国語映画賞(セディク・バルマク)
コピー:少女は生き延びるため少年になった
タリバン政権下のアフガニスタン。イスラム原始主義が強要され、女性は労働することはおろか、身内の男性の同伴なしには外出すら許されない状態だった。そんな中、男性たちを全員戦争で失い、祖母と母親と12歳の少女の3人だけになってしまった家族があった。彼女たちは外出ができないため働くこともできず、日々の食料にすら困窮する。さらにタリバンは無作為に女性を逮捕していたため、母親はやむを得ず少女を男の子に変装させて、亡き父の戦友だったミルク屋で働かせてもらうのだったが…というストーリー。
本当のこのような女性によるデモがあったり、タリバンが女性を隔離したりしていたのかは、わからないのだが、まあ、おおよそ事実に近いのだと思う。
ネタバレなので、詳細は書かないが、まあ、私がいままで観た映画の中で、ズバぬけて腹立たしく、底抜けにやるせなく、ダントツで救いがない。いやいや、本当に最後は、完全に脱力してしまったわ。
私が日本の大統領だったら、機密費をふんだんに使って、タリバン討伐隊を作る。こんなやつらは絶対に許さん!そういう思いだけが、ずーっと湧きっぱなしだった。目に前に奴らが出てきたら、間違いなく攻撃するに違いない。
アフガニスタンにも子役なんて存在するんだな…なんて思っていたら、大間違い。主人公の子は役者でもなんでもなく、本当に物乞いをしていた少女だそうだ。劇中に犬やタタリバン兵に怯える彼女の目。なんて鬼気迫る目つきだろうと感心していたが本当に怯えていた人間の目なのだ。
彼女は学校にったことがないため、セリフは現場で口伝したらしい。大変な撮影だったことだろう。
製作にはNHKが深く関わっており、機材面の支援はNHKが完全バックアップだったとのこと。NHKエラいぞ!と初めて思った。
ニュースでしばしばタリバンをいう名前が出てくるが、彼らがいかに最低な行いをしているか、タリバン政権下で女性達がどれだけ虐待されているかなんてわからない。映画ではあるが、その様子がよくわかる一級の資料といってもよい。決して娯楽作品ではないが、観る価値は充分にある。
#根本的に“原理主義者”というものが大嫌いなんだけどね。
公開年:1997年
公開国:イラン
時 間:88分
監 督:マジッド・マジディ
出 演:ミル・ファロク・ハシェミアン、バハレ・セッデキ、アミル・ナージ 他
受 賞:【1997年/モントリオール世界映画祭】最優秀作品賞受賞含む4部門を受賞
コピー:ぼくは走る、あたたかい笑顔を届けたくて
アリは買い物の途中で、修理が終わった妹ザーラの靴を失くしてしまう。貧しい家庭のため、失くしたことを親に言えず、兄の靴を順番に履くことに。先に妹が運動靴を履いて登校し、その下校途中で待ちあわせて靴とサンダルを交換し、アリが履いて登校する。それを続けていたある日、小学生のマラソン大会が行われることに。3等の賞品は運動靴だったので、アリは妹のために3等を狙うのだが…というストーリー。
10年そこそこ前の作品でありながら、日本の戦後まもなく…みたいなテーマと風合いの作品。父ちゃんは、昭和のダメ父ちゃんみたい。
舞台がが現代だとわからないほど貧しく(後半で、リッチな町並みが出てくるので、貧富の差が激しいだけだってことがわかるのだが)、且つ、妹の学校が終わってから兄の学校の時間という、イランの制度自体もよくわからなかったりする。まあ、そのあたりは、そういうものだということで、軽く流して観よう。
イラン映画ということで、宗教的にも政治的にもちょっとバイアスがかかった目線で観ていたのだが、子供のいじらしさですべてが吹っ飛んだ。こんな子供の悩みなんて今の日本に存在しないだろうなと思うし、欧米諸国を含め、こういう作品を今つくるのは逆に難しいだろうとも思う。
また、貧しいから物質にこだわらず心を大事に!って思いがちだけど、貧しい故に靴というモノにひたすらこだわってしまうところが逆に興味深い。人間の業みたいなものが感じられる。
国情的に、自由に映画をつくることが難しいと思われ、政治色をわざと薄めているのかな?と感じられる部分も多々あったが、その制限ゆえに純な作品が生まれたという面もあるように思える。無言で表現するシーンも多く、子供の演技のがんばりもさることながら、伝えたいことをストレート且つ巧みに表現している所に好感がもてる。やぼったい作品だが、しっかり惹きつけてくれた作品。こういう作品は基本的に好みではないのだが、そんな私でも愉しめたのだから、好きな人はかなりグっとくるに違いない。お薦めする。騙されたとおもってはじめの15分を乗り切れば、誰でも引き込まれると思う。
#邦題にもってくるほど“金魚が重要かどうかはよくわからんけど。
公開年:1976年
公開国:韓国
時 間:80分
監 督:キム・チョンギ
出 演:キム・ボミ、キム・ボヨン、キム・ヨンチャン 他
テコンドーの世界チャンピオンになったキム・フンだったが、科学者だった父が“赤い帝国”と呼ばれる組織に殺害されてしまう。フンは、世界征服を企む赤い帝国の野望を阻止するために、父が地球防衛のために残した巨大ロボット“テコンV”の操縦士となるのだった…というストーリー。
かねてから韓国のトンデモアニメと話題だったものの、見る術がなかった本作が、いよいよDVDリリースされたので、さっそくレンタルしてみた。まあ、これ以上、あらすじをしっかり書く気にすらならないレベルなんだけど。
ネット上では、ガンダムに登場するアッガイやビグロをパクったロボットや、アムロそっくりのキャラが出てくると話題だったので期待していたのだが、本DVDにそれらは登場しない。おそらく続編に登場するものと思われる。その厚顔無恥なみっともなさをビール片手に鑑賞しようとおもったのだが、拍子抜け。
とはいえ、キャラは川崎のぼるやタツノコプロ調、ロボットは永井豪風でマジンガーZのパイルダーのギミックなんかそのまんま。冒頭などに登場する動物たちはチップとデールなどのディズニーキャラで丸写し。パクリ作品としての本領は充分発揮してくれている。
まあ、だからといって、そんなパクリ具合に目くじらをたてる気はない。別に他国の作品をインスパイアすることなどよくあることだし、それこそ数十年前ならパクりまがいなことなど、どの国でもやってる。永井豪だって本作を観たって笑って許すに違いない。日本側は鼻で笑っておしまいのレベルなので、正直どうでもいい。
でも、テコンVにまつわる韓国政府の扱いは、後々禍根を残すことになるだろうな。でも、それは日本と韓国に間ではなく、韓国内で。問題は、未だにこれを完全なオリジナルであり、且つ国産ロボットアニメ第一号だと、持ち上げ続ける韓国政府の姿勢である。いまやインターネットの時代。マジンガーZのあからさまなパクりであることは誰にでもわかるし、それを他国作品を観ることを政策として禁じていた時代に、自国の作品だとして国民に見せていた事実。ある意味、国民を騙すようなことをしているのに、臆面もなく、未だに自国産だといい続ける恥ずかしさ。さらに、現代において、こういうパクり作品の実物大を作ろうという計画が臆面もなく持ち上がり、それが遂行されるセンスの悪さ。さらに実写映画化の話まである。
このみっともなさを許容するなら、残念ながら韓国民の未来は明るくないだろう。ちょっとわれわれとは、“恥”の感覚が違うとしかいいようがない。こんなはずかしさに韓国民は耐えられるのだな…と、いささか不思議に思える次第である(これを恥と感じる韓国人が多く存在することを祈りたい気持ち。かわいそうすぎる)。
#冒頭の、リマスター作業をした人への謝辞が実にアホらしく聞こえる。
正直、もっとトンデモ映像で楽しめるとおもったのだが、ストーリーもアニメ技術も中途半端で、愉しめなかった。トンデモっぷりは続編で発揮されるのだろうが、それらがリリースされることはさすがに無いだろう。これは、リアルタイムで鑑賞していた韓国民がノスタルジーに浸るためのものである。はっきりいって時間の無駄なのでお薦めしない。
#ちなみに、本DVDにはバカリズムによる吹き替え音声が特典として付いている。後半はものすごくつまらないので、そちらの音声で凌ぐことをお薦めする(まあ、バカリズムも吹き替えやってて途中で飽きた感じになっちゃてるんだけど)。
公開年:1978年
公開国:香港
時 間:100分
監 督:ロバート・クローズ
出 演:ブルース・リー、ギグ・ヤング、ディーン・ジャガー、コリーン・キャンプ、ヒュー・オブライエン、カリーム・アブドル=ジャバール、ダン・イノサント 他
香港の映画スター・ビリーは、有能なスポーツ選手や俳優などと強制的に契約をして暴利を貪っている組織に目を付けられていた。組織のボス・ランドは、彼の右腕であるスタイナーをビリーの元へ送り込み、彼に契約を結ばせようとする。ビリーはそんな脅しに屈しなかったが、彼の恋人であり人気歌手であるアンに対しても契約を結ぶように迫っていたことから、彼女の安否が気になってならない。そんなある日、ついにしびれを切らしたランドはビリーの暗殺を命じ、とうとう撮影中に顔を撃たれてしまい…というストーリー。
なぜ本作をチョイスしたかというと、『ソウル・メン』を観ながら何か違和感を感じていたら、実はバニー・マックが撮影中にお亡くなりになってた…ということがふと頭をよぎり、同様の事情のこれを思い出したというわけ。
まあ、本作は『ソウル・メン』どころの話じゃなくって、ほぼ最後の塔での闘いのシーンだけが本人のフィルムで、あとはボディダブル。その本人出演部分を生かすためになんとか、他パートをつくったってことらしくて、その身代わりっぷりとかツギハギ編集がヒドいと、世の評価は芳しくない。ロッカー室でのバトルなど、顔アップやバストアップ映像の差込み方は、文字通り取って付けた状態。顔を怪我して包帯ぐるぐるとか変装とか、たしかにご都合主義的展開。
ところが私、なぜかこのニセモノさんが出ているシーンの数々、結構ゆるせてしまう。むしろ、なんとか話を成立させようとして、努力に努力を重ねて、結果としてなんとかなっているのがスゴイとすら思ってしまう。手抜き状態で作られたという人もいるのだが、私はそうは思わない。
そのツギハギのドタバタを気に入ってしまった私は、本人が演じている、かの有名な塔での闘いの場面で、逆に眠たくなってしまうのだった。きっと、辻褄あわせのためにあがいた様子が無くなって、緊張感が削がれたからなんだろう。変な話だけど、きっと一般の人とは違う見方をしているんだろうなとは思う。
でも、本人のアクションが目を見張るほどすごいのは事実。よくブルース・リーのモノマネで表現されるような独特のしぐさが思い出されるけれど、実際の打撃モーションはものすごくコンパクトで実戦的。観ている側の筋肉にも思わず力が入ってしまうほどリアルで無駄のないアクション。すばらしい。
まあ、とはいえ、観終わってしばらく経って思い返すと、「WAX!」ってシーンは変だよな。あらかじめあんな人形をつくっておくなんて有り得ないもんな(笑)。でも、何か、映画作りへの情熱を感じてしまう。軽くお勧めしたい(けど、良作とは思わないけど)。
公開年:1994年
公開国:中国
時 間:131分
監 督:チャン・イーモウ
出 演:グォ・ヨウ、コン・リー、ニウ・ベン、クオ・タオ、ジアン・ウー、ニー・ターホン、リウ・ティエンチー 他
受 賞:【1994年/第47回カンヌ国際映画祭】審査員特別グランプリ(チャン・イーモウ)、男優賞(グォ・ヨウ)
【1994年/第48回英国アカデミー賞】外国語映画賞
コピー:昨日より今日、今日より明日 きっときっといいことがある。
1940年代の中国。資産家の息子である福貴は、毎晩、賭博に明け暮れて全財産を失ってしまう。身重の妻・家珍は愛想をつかして実家へ戻ってしまい、さらに父はショックで死んでしまう。半年後、妻が生まれた長男をつれて戻ってきたのを機に、心を入れ替えて一家を支えるとを決め、得意の影絵の巡業を始める。ところが、興行の最中に国民党と共産党の内戦に巻き込まれ従軍を強いられてしまい、家族のもとに戻ってきたのは、内戦が共産党の勝利に終わった後だった…というストーリー。
カンヌで評価された作品とは、いまいち相性がよくないことが多いのだが、本作に関しては、その評価に激しく同意。ちょっとした名作に出会ってしまった感じがする。日本のコピーは、なにか“いい話”的なファミリー感を出そうとしているようだが、そういう映画ではない。家族の長年の様子を通して、激動の中国を表現しているのだ。非常に丁寧な作りで且つピタっとうまくハマっている。
ポイントは子供を失うタイミングで、中国も何かを失っている点だろうか。毛沢東の政策で鉄を供出させるなど様々な愚作を繰り返したわけだが、そんな家庭にある鉄を溶かしたって、使えるような鉄になるわけもなく、畑を耕す鍬すら木製になるというバカさ加減。あれで中国は多くの富を失った。
紅衛兵が華やかりしころは、ちょっとヒエラルキーの上にいるというだけで、知識人を反革命的だといって潰していき、経験が伴わない上っ面の知識だけで世が成り立つという勘違い人間ばかりが残った。あれで、中国は文化と学識を失った。
そしてラストでは、もうヒヨコが大きくなって牛になっても、その後は共産党員になるとは言わないのである。そして現在、あの子供のさらに子供が“小皇帝”となり自動車や飛行機に乗っているわけだ。
#そのくらいの控えめな批判しかゆるされない中国が、また気持ち悪いけどね(でも、しっかり伝わってきたけどね)。
グォ・ヨウ演じる父親がダメ人間なおかげで、色々流転するハメになるのだが、シリアスな展開にも関わらず彼の演技のおかげで、微かながら童話のような臭いが漂ういい感じに仕上がっていると思う。
DVDのパッケージが、ちょっぴり野暮ったくて食指が動かなかった人もいると思うが、本当によくできているので、お薦めする。
#福貴の賭博仲間を演じた俳優が、なんとなく劉暁波に似ていて、資本主義的ということで殺されるのも、なにか象徴的な気が…
公開年:2006年
公開国:香港
時 間:90分
監 督:バリー・ウォン
出 演:セシリア・チャン、レオ・クー、ユン・ワー、ユン・チウ、ウォン・ヤッフェイ 他
14歳まで普通の家庭だと思って育ってきた少女フェニックス。ある日、謎の二人組の襲撃を受け、両親がそれを撃退する場面に遭遇。両親がカンフーの達人であることを知ったフェニックスは山での修行を始める。それから10年後、カンフーの達人に成長したフェニックスは一般企業で秘書として働いていたが、そこで老師が予言した運命の男性と出会うのだった…ストーリー。
『少林少女』に非ず(あちらも相当ヒドかったが)。
我が家のHDDレコーダーに珍現象が。誰に聞いても記憶がないというのに、本作が録画されたのだ。何かを帯で録画する予定だったものが、番組変更にでもなったのだろう。まあ、これも何かの縁と思い、観てみることに。
私は見た!この世にD級映画というものが存在することを!
ハリーポッターの影響たるや恐るべし。何と、基本プロットは恥ずかしげもなくハリーポッターとまったく同じで、且つパロディにしているという明確な演出も無いというツラの皮の厚さ。なんといっても笑わせようとしている場面が見事にすべて笑えない(笑わせようとしているらしいのがうっすらわかる程度…というのが正確な表現)。
じゃあ、タイトルにあるようなカンフーアクションに売りでもあるのか?とおもいきや、まともなアクションは皆無。所々CGらしき特撮場面があるのだが実に陳腐で、大学の映画研究会レベル。そういう特効でゴマカし切れると思ったのか、お家芸のワイヤーアクションのレベルまでダウンしており、もう、見る箇所がない。
そりゃあ、日本未公開なのは当然だろう。BS-日テレの放送する勇気よ(まあ、絶対地上波では無理だわな)。
セシリア・チャンの人気に乗っかったアイドル映画的なものなのかもしれない。確かに作中にも主人公が美人であることを妬むキャラが出てくるなどしているのだが、根本的にセシリア・チャンの美貌がそれほどでもないというのが、なんともトホホ感を増している。
結局は中盤以降、早送りして見た。時間とお金の無駄なので、レンタルしないほうがよい。D級映画をお探しの時はどうぞ。でも、友達を集めて、ビールを飲みながらワイワイ馬鹿して楽しむレベルにすら達していないよ。
#なぜ、神は私にコレを見せたのか…。寛大な心を養えとでも?
公開年:2002年
公開国:韓国
時 間:121分
監 督:パク・チャヌク
出 演:ソン・ガンホ、シン・ハギュン、ペ・ドゥナ、イム・ジウン、イ・デヨン 他
コピー:オールド・ボーイの原点 そして、それを超える戦慄の問題作 その衝撃に言葉を失う――
聴覚障害者のリュウは、重い腎臓病の姉を献身的に看病している。両親が死んだあと一生懸命自分の面倒を見てくれた姉を救うため、自らの腎臓移植を申し出るのだが不適合。さらに、看病のため勤務状況が芳しくなく職場を解雇される。切羽詰って闇の組織に、姉に適合する腎臓の調達と移植を依頼する。代金はなけなしの退職金とリュウの腎臓。しかし、金と腎臓をただだ騙し取られてしまう。すると、病院から奇跡的に移植ドナーが現われたと連絡が入るのだが、手元に手術費は無く、途方に暮れるリュウ。、恋人ユンミは金持ちの子供を誘拐すればいいと強引に説得し、それに従い実行するリュウだったが…というストーリー。
良かれと思ってやったことが、心無い悪意によって踏みにじられ、その恨みを晴らすための行動が、次々と悪意の連鎖を生んでいく。まさに人を呪わば穴二つという展開。でも、自分よりも他人が優位に立っている場合に、その差を縮めるために相手を貶める事をあまり恥ずかしいと思わない韓国の方々は、繰り広げられる執着の所業を当たり前のように観ていたのではなかろうか。恨み続けるるのではなく、どこかで赦さねば自分も滅ぼすというメッセージだと、受け取ることは絶対にないだろう。
もし、そういう“赦し”というメッセージを裏に潜ませて、この作品をつくっているとしたら、この監督は大したものなのかもしれない(が、そう確信できる部分はないんだけどね)。
ストーリー展開は、ソン・ガンホのキャラクターが動き始めるまでは若干イライラする所もあるが、全体的にとてもおもしろい。ただ、原作のある作品なので、おそらくそちらが素晴らしいだけで、監督のおかげではないだろう。
さらに、編集のセンスは素晴らしいし、カメラアングルもとてもよい。その点は強く評価しておきたいが、やはりスタッフのおかげであって監督の力では無いような気がする。
ストーリーもよいし、技術も優れている。じゃあ最高傑作じゃないか…ということになるはずだが、一般的に名作と評価はされていない。なぜだろうか。簡単にいえば、“趣味が悪い”に尽きる。パク・チャヌク監督作品には、吐き気のするような演出のものが多い。タランティーノなどとはグロさの地平がちょっと違う気がする。その後も『オールド・ボーイ』『親切なクムジャさん』と残酷描写映画は続く。日本でいえば三池崇史に似た方向性の監督なのかな。別に残酷描写が悪いといっているわけではなく、純粋にこの監督の描写自体に病的なものを感じるのだ。芸術の世界で昇華できてよかったね。そうじゃなきゃあなたはきっと社会でトラブルをおこしていたに違いない…そう思えて仕方がない。映画というのは多くの人に観せるために作るものだから、それが満たされなければ、それこそ門塀の上に猫の首を置くようなことをしかねない気がするのである。フィルモグラフィーの中の1本がそういう作品だっていうなら、ここまは言わない。そういう作品ばかりだから言うのである。
以下ネタバレ含む。
無理のある演出が多いのも気になる。おそらく原作の設定の問題ではなく、映画にする段階でうまく整理して表現できなかったのだと思う。たとえば、二ヶ月で退学になったのに手話がばっちりとか、リュウが自分の部屋に来ると見越してドアノブに電流を流しておくのだが、なぜ来ると確信したのかよくわからないとか。そこはもうすこしさりげない説明が必要なんじゃないかな。
グロい表現や理不尽なできごとにある程度の耐性がある人は愉しめるだろう。決してストレス解消にはならないし、逆にストレスはたまる映画なので、その点は覚悟しておこう。そして、ペ・ドゥナのファンの人は、多分持っているイメージとはかなりズレているので、観ないほうがいいかも。そういう諸々を理解した上で、興味が湧いた人は、どうぞ観てちょうだい。特別お薦めもしないし、観るなとも言わない。フラットな作品。
#ペ・ドゥナの吹き替えの声がマッチしていない。
公開年:2008年
公開国:日本、台湾
時 間:102分
監 督:ワン・イェミン
出 演:香川照之、戸田恵梨香、ヴィック・チョウ、チャン・チュンニン、細田よしひこ、ほんこん、藤田陽子、エリック・ツァン 他
コピー:幸せになれる幻のお茶を求めて京都から台湾へ──。茶に心を奪われた人々の物語──。
京都の老舗茶屋“八木茶舗”の主人・八木圭は、数年前に愛する妻を亡くしてしまい、それを八木一族に代々伝わる“黒金茶の呪い”と信じ込んでしまう。それ以来お茶に関わることを頑なに拒み、店も休業してしまう。一方、そんな父の様子を不快に思う一人娘の美希子は、父に隠れて茶について勉強を重ね、古代中国で行われた“雄黒金茶”と“雌黒金茶”との闘茶に八木家の祖先が深く関わっていたことを知る。昔の父の姿を取り戻すため、呪いの謎を解き明かそうと、美希子は単身台湾へと向かうのだったが…というストーリー。
邦画3連チャンで申し訳ない。
冒頭のアニメのデキが素晴らしく、このアニメをこのままずっと見続けていたいと思うほど。ああ、実写になっちゃなぁ…とがっかりしかけたところで、京都の風景カットの素晴らしいこと素晴らしいこと。おそらく台湾のカメラマンの仕事だと思うが、日本人には気づかない日本の素晴らしさを見事に切り取ってくれた映像。ハッとするようなエキゾチックジャパンに、目を奪われてしまった。本当にカメラや照明の技術は、中国や韓国のスタッフにはかなわない。日本の技術者には倣ってもらいたいと切に思う。
しかし、良いのはここまで。
タイトルからわかるように、飲食物についてのバトルものである。しかし、根本的に“茶”というものはリラックスするもので、それを闘いという形で扱うには、よほどの説得力のあるく設定が必要である。事実か否かは別にして、日本と台湾の“茶道”というものがどういうもので、どういう茶器や所作があって、それらはどういう意味があって、歴史が云々…と、それこそサブカルチャー的な部分をどんどん積み上げていって、観ている人を引き込んでももらわないとこまるわけである。
こういうのは、脚本家自身がテーマに深い興味があるとか、そうでなくても、しっかり勉強するとかしてもらわないとどうにもならない。半ばフィクションなんだから、適当でいいのよなんて気持ちが、見ている側に伝わってくるようでは、話にならない。
そして、メインであるはずのバトルは何の盛り上がりもなく誤魔化されたように終わり、まったく感動もカタルシスも無く。この、一番肝心な脚本は日本人の仕事である。閉口。ちゃんとしようよ。台湾スタッフに申し訳がたたないよ。
香川照之をもってしても救えなかったという、ある意味救いようのないない作品。もちろんお薦めはしない。戸田恵梨香ファンだとしても、なんかイケメンにほいほいくっついていくいけ好かない役なので、気分悪いと思うので、観なくていいと思う。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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