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公開年:2013年
公開国:アルゼンチン、スペイン
時 間:107分
監 督:エルナン・ゴルドフリード
出 演:リカルド・ダリン、アルベルト・アンマン、アルトゥーロ・プイグ、カル・リベロ 他
元弁護士で今はロー・スクールで教鞭を執っているロベルト。今は独身生活を謳歌してプレイボーイを気取っているが、一方で離婚した妻のことを忘れられずにいる。そんなある日、昔の友人の息子ゴンサロが自分のゼミに参加してくる。ゴンサロは表面上は尊敬している態度を装っているが、ゼミの最中はロベルトを挑発するような態度を繰り返す。なぜ彼がそんな態度を続けるのか理解しかねている中、校内で女性がレイプされ殺害される事件が発生する。ロベルトは授業を中止し、事件現場を調査。通り魔の仕業を思われたが、“彼女に似た女は殺す”というメモが残されえていたり、殺害後に蝶のペンダントが付けられている形跡がある。もしかすると、ゴンサロの仕業では?と考え始めたロベルトだったが、直接証拠は何もない。しかしゴンサロは、自分がロベルトと母親の不倫によって生まれた子であることを匂わせたり、さらに授業での挑発的な態度をエスカレートさせる。一方でロベルトは、調査の過程で被害者の妹であるレイラと知り合いになるが、彼女に好意を持つようになり…というストーリー。
同じ主演俳優の作品『瞳の奥の秘密』と雰囲気が一緒。主人公が法曹関係者なのだが、、『瞳の奥の秘密』では、アルゼンチンの三権分立の匙加減がおかしくてものすごく違和感を感じたが、本作も何かひっかかるものを感じる。どうも、南米の刑法や手続き法は、若干基本が異なる模様。なんか南米に行くのは怖い感じすら覚える。
以下、かなりネタバレするが、問題ないだろう。あまりにつまらんので警告の意味も含めて。
アメリカでは使われすぎた、サイコキラーに追い詰められるというプロット。それ自体は別にいいのだが、ずっと、サイコキラーのターゲットにされているのか?ロベルトの妄想なのか?どっちなのかわからない…という軸でストーリーが進み、判然としないままついにラストを迎えてしまう。
このプロットの難点は多数ある。まず、主人公の妄想かもしれない…という余地がずっと残っているため、主人公に共感・没頭ができない。常に俯瞰で作品を観るハメになる。観客はずっと真実へのヒントを探すことをやめないから、疲れてしまう。観客は別に謎解きゲームを延々と続けたいわけじゃない。愉しみたいのに、没頭させてくれない苦痛。
ロベルトの家に、あるはずのない事件の証拠品などか存在するくだり。この段階になっても、ロベルトの妄想なのかゴンザロの仕業なのか、どちらとも採れる。ずっとこの軸だから、肝心のトリック自体が全然深まっていかない。ある程度のところで、ゴンサロの仕業であることは観客には確定させて、周囲の人間がそれを信じてくれなくて追い詰められるという展開にシフトすべき。最終的なオチが実は妄想だった…としても、いったんはそうすべきだったと思う。
逮捕されても、妄想なのかどうなのか判らない演出は続く。そうしたいなら、妄想なのかもしれない…というミスリード用のパーツをわかりやすく配置し、加えてそれをフラッシュバックするシーンを差し挟むとか、やるべきことはたくさんあったと思う。
最後の2分くらいで、やっぱりゴンサロの仕業だーみたいなカットになるのだが、そこまでくると、そのカットすらロベルトの妄想かもしれない…と思えてしまう。もう、何が言いたいのかわからないよ!と、どうでもいいけどイライラさせるなよ!クソッ!と、近くにある物を床に叩きつけたくなる衝動に駈られる。背骨みたいなものが一切存在しない作品。
これが原作ありの作品っていうんだから、驚いちゃう。さすがに映画化されるくらいだから原作はおもしろいんでしょ。監督がクソなんだと思う。駄作、ここに極まれり…って作品。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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