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公開年:1987年
公開国:ポーランド
時 間:85分
監 督:クシシュトフ・キエシロフスキー
出 演:ミロスワフ・バカ、クシシュトフ・グロビシュ、ヤン・テサシ 他
受 賞:【1988年/第41回カンヌ国際映画祭】審査員賞(クシシュトフ・キエシロフスキー)、FIPRESCI[国際映画批評家連盟]賞(クシシュトフ・キエシロフスキー)
【1988年/第1回ヨーロッパ映画賞】作品賞(クシシュトフ・キエシロフスキー)




1987年のワルシャワ。青年ヤチェックは、ふらふらと町を彷徨い、悪ふざけを繰り返す毎日を送っていた。一方、弁護士試験の最終面接に望む、死刑廃止論者の司法修習生のピョートルは、自説を熱弁し合格をすることができた。それを妻に知らせるために、大喜びで町の喫茶店に入っていく。その喫茶店にヤチェックも来店していたが、彼はカバンの中から紐を取り出し、長さを確かめると、意を決したように店を出て行く。そしてタクシーを拾い、町外れの川の堤防まで車を向わせるのだった。停車させると、ヤチェックは中年の運転手の首を紐で絞める。強く抵抗する運転手の手を棒で叩きいた上、車から引きずり出した後、頭部に毛布をかぶせて川原にあった大きな石で何度もの殴打し殺害するのだった。ほどなく逮捕されたヤチェックは、裁判にかけられる。彼の弁護を担当するのは、これは初仕事となるピョートルで…というストーリー。

最後の弁護士ピョートルとの接見までは、ヤチェック青年の心持ちは一切説明されない。ただ淡々と、ただ粛々と、やさぐれた青年が殺人を犯すまでを描く。虚飾を削れるだけ削り、まるで監督の“意図”というものを探られないようにしているかのような演出は、詫び寂びのごとし。全体が黄色味がかった映像は、水墨画にも通じる。特段、長けたカメラワークだとも思わないのだが、この“素”の中で繰り広げられる“殺伐”とのコントラストに、圧倒されてしまう。

情状酌量の余地がない若い殺人犯と、死刑廃止論者の若い青年という対比を見せていることから、死刑の是非を問うていると受け止めた人もいるだろう。ヤチェックの吐露から彼の心の傷を知ってしまったピョートルは、彼を救うことができなかったことを悔やみ、嗚咽を漏らしているのだ…、そう見るだろう。そういう意図があるからこそ、死刑シーンがリアルなのだ…と。
しかし、それも一つの観方(というかそれが大勢)かもしれないが、私はそうは思わない。

私は、つまらない理想を抱いた自分の浅さを、恥じているのだとみた。そして、つらつらと死刑廃止論について熱弁し、弁護士になってうかれていた自分の不見識と覚悟の無さを呪っているいるのだと思う。
だって、仮にヤチェックの死刑を回避できたからって、妹を自分の失敗によって殺してしまった苦しみから、彼を解き放つことはできないんだもの。仮に妹の死の責任を感じていたとしても、だからといって人を殺すようになるという、明確な関連性だってないでしょ。

(ちょっと話がズレてしまうが…)
貧しい人や弱い立場の人を救うために弁護士になるのはわかる。でも、死刑廃止論者が、弁護士になる理屈が私にはわからない。多少の解釈の違いで死刑を免れる例があったとしても、それで死刑制度がなくなるわけではない。法を作るのは代議士なのだから、死刑を廃止したければ、国会議員になって立法するしかないのに。でも、死刑廃止論者の弁護士は、手続き上のあらゆる策を弄して(時には、まるで妨害と思しき行為によって)死刑を免れようとする。

死刑が抑止力になる…という意見については、私も賛同しない。そういうことがあることは認めるが、自暴自棄なっていっそ死刑にしてくれ! と積極的に悪逆な犯罪を犯す場合がある以上、そのロジックは成立しない。
被害者が死んでしまったとのは悲しむべきことだが、だからといってさらに人を殺す必要はない…という意見もある。死刑を廃止している欧米の国や州などでは、こういう考え方がベースの一つにあるのかもしれない。また、冤罪の可能性という側面もあるので、完全なる無期懲役にして社会から隔離すべきであるという意見もある。しかし、これもさきほどと同様で、社会に馴染めないから、永遠に刑務所で生活したい…と考えて凶悪犯罪を犯す場合が容易に予測できるし(実際にそういう例は多いだろう)、大体にして死ぬまで収監しておくコストを、社会の人が賄うのは、いささか理不尽だと思える。
いささか直接証拠にかけるが、状況証拠的に極めて殺人と推定するに値するという場合は、無期懲役にして、新証拠により再審する機会を残す。それ以外は死刑に。特に、武器を事前に準備していたり、強盗などの犯罪目的で武器を用意して、それにより殺害してしまった場合は、情状酌量による減刑を認めず死刑に(いわゆる一級殺人)。根本的に、“殺そうという意思”があったか否かなどが、死刑になるかならないかの境目になっている、日本の刑事裁判はクレイジーである。頭の中、それも過去においての意思など、なんでわかるのだろう。判事はエスパーじゃねえってのね。
生物は、自分の群れを毀損するものは排除するのが本能。それをやらないからこそ、人間と動物は違うっていえるんじゃないか? という人もいるが、人間も動物だということを完全に忘れてしまうと、それはそれでおかしくなってしまう。
#また、複数の罪を同時に犯した場合は、加算刑にすべし。

閑話休題。
鋭い視点でストーリを綴りながらも、意見を押し付けるわけではなく、且つ、サラっと流すことができないような“棘”を観客の心に引っ掻けていく、キエシロフスキー監督の手腕は、なかなかのもの。実に良作。

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出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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