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公開年:2013年
公開国:日本
時 間:143分
監 督:岡本喜八
出 演:菅原文太、宮下順子、北大路欣也、嵐寛寿郎、金子信雄、岸田森、中谷一郎、フランキー堺、小島秀哉、石橋正次、丹古母鬼馬二、福崎和宏、下馬二五七、島巣哲夫、兼松隆、志賀勝、吉中正一、田中邦衛、赤穂善計、尼子狂児、妹尾琢磨、鴨てんし、二瓶正也、伊吹新太郎、大木正司、藤岡琢也、大前均、草野大悟、長谷川弘、伊佐山ひろ子、桜井浩子、小林真美、立枝歩、岡本麗、ケーシー高峰、ジャック・デービス、岡部耕大 他
受 賞:【1978年/第21回ブルーリボン賞】助演女優賞(宮下順子 「雲霧仁左衛門」に対しても)
昭和25年。北九州ではヤクザ組織同士の抗争が激化し、一触即発の状態となった。特に小倉では、昔気質の岡源組と新興勢力の橋伝組が、激しく火花を散らしていた。そんあ事態を憂慮した警察署長は、これら構想を民主的に解決するために、九州一円のやくざ組織を集めて、トーナメント方式の野球大会で決着をつけることを提案する。このまま抗争が激化すれば共倒れになるという危惧を抱いていた両親方は、その提案を受け入れる。しかし、そんな“タマ遊び”で雌雄を決することが馬鹿馬鹿しいと考えている岡源組の加助は、一方的におかみに惚れ込んでいる割烹“川太郎”で飲んだくれるばかりだった。橋伝組は、このチャンスに一気に勝負をつけてしまおうと、金に糸目をつけず、全国から野球経験のあるヤクザ者をスカウトまくるのだった。対する、岡源組はドシロウトばかり。元プロ野球選手の帰還負傷兵の五味を監督に迎えたものの、焼石に水。いよいよジョーカーズとの一回戦となったが敗色濃厚。そこにしびれを切らした加助が乱入し…というストーリー。
DVDのジャケットは、キャッチャー姿で手を大きく広げた菅原文太の写真。そしてタイトルが『ダイナマイトどんどん』。まあ、物好きな人しか観ないわなぁ(笑)。DVDのメニューには、岡源ダイナマイツ・オーダー表とか載っている。ムダ情報(笑)。オーダーなんか、ストーリー上、知っておく必要性皆無なのに。
元プロ野球の五味っていうキャラクターが、いまいち生かし切れていないかったり、もうちょっと練ってくれないかな~っていう部分は散見されるんだけど、半ギャグ半スポ根劇画みたいなノリで最後まで押し切っている。
菅原文太演じる加助のライバル銀次。これを演じる北大路欣也は、見た目はものすごく格好いい。無駄にフォームも綺麗。あら、このまま二枚目の扱いなのかと思いきや、やることなすこと行動がクソ格好悪いの。そんな銀次の嫁(籍が入ってんのかは知らん)がお仙で、昔、やくざの親分の情婦だったお仙と一緒になるために、けじめで人差し指を詰めたノンプロ選手っていう設定。
そんで、もう野球なんかできんだろうと思いきや、詰めた指のせいで“魔球”が投げられるとか、むちゃくちゃな設定。
で、加助はそのお仙人に惚れているという構図なんだけど、お仙が2人の男の間を揺れるのかと思いきや全然揺れない(笑)。
お仙を演じる宮下順子はロマンポルノ出身の人。なんと本作の演技でブルーリボンを受賞している。同じ年に梶芽衣子もブルーリボン賞を獲っている。主演男優賞は『鬼畜』の緒方拳だし、なんか、この年のブルーリボンは攻めてる感じ。宮下順子演じるお仙は特段エロいシーンは無いんだけど、無駄に艶っぽく、その色気がストーリーの裏廻しの役割をしている。
ヤクザものっぽく、終盤は殴りこみシーンになるのだが、岡源組組長の失態の話と、銀次の裏切り話が一緒くたになってしまい、収拾がつかなくなってしまった感じ。カオス状態というか話の芯がボケてしまったというか、かなりグダグダになる。いや、それが岡本喜八らしさでしょといわれればそれまでなのだが、オチがあるような無いような状態となり、とっ散らかって終了するのが実に残念。
#沖縄強制労働の場所に北大路欣也がいないように見えるのだが、理由は不明(見落としか?)。
最後のグダグダさえなければ、シリーズ化すらあっただろうな…と感じた作品。惜しい。
公開年:2013年
公開国:日本
時 間:100分
監 督:松本人志
出 演:森南朋、大地真央、寺島しのぶ、片桐はいり、冨永愛、佐藤江梨子、渡辺直美、前田吟、YOU、西本晴紀、松本人志、松尾スズキ、渡部篤郎、リンジー・ヘイワード、美知枝、奥村佳恵、永池南津子、桑原麻紀、播田美保、護あさな、吉田優華、安藤輪子、小木茂光、北見敏之、高橋昌也、松浦祐也、林田麻里、佐藤恒治、佐藤貢三、日野陽仁、淵上泰史、中村直太郎、野中隆光、小高三良、吉川まりあ、奈之未夜、深谷美歩、太田順子、中村真綾、川口圭子、荒木誠、杉崎佳穂、松田百香 他
コピー:父はM。
都内家具店に勤務する片山貴文。1年前に妻が意識不明となり入院しており、一人息子と二人暮らし。たまに妻の父親が様子を見に来てくれている。ある日、ふらりと立ち寄ったビルの一室にある“ボンデージ”というSMクラブに入会してしまう。その店が提供するサービスは、いつやってくるかわからない女王様の責めを受けるというもので、契約期間は1年。決して途中退会は許されないという。以降、さまざまなタイプの女王様たちが、片山の日常生活の中に現れ、彼がこれまで味わったこのとない快感の世界へと誘うのであった。はじめは、街角や飲食店に出現していたのだが、職場や家庭にまでやってくるようになり、とうとう耐えられなくなった片山は、契約の解除を申し出るが、もちろんそれは受け入れられない。そんな中、誤って一人の女王様を殺してしまい…というストーリー。
劇場公開が予定より早く終わってしまったり、客が2、3人しかいないなんてレポートされていたり、評判は散々だった本作。でも、結果を先にいってしまうと、いままでの松本人志監督作品の中では、一番マトモだと思う。
問題は、やはり“チョケかた”が醜いということ。松本作品の難点は毎回コレだ。
後半は、このお話が齢100歳を迎える大御所監督による作品で、その理不尽な内容に関係者が辟易するという、メタ視点の作品にパラダイムシフトする。はっきりいうが、映画でメタ視点を用いるのは、難しい。成立させるためにはものすごい高等テクニックが必要なのである(もちろん、本作で、それは成功していない)。
あえて難しいノリの挑戦したから、多少うまくいかなくても大目に見てよ…という了見なら、納得できないし、メタ視点を扱う難しさに気づいていないとすれば、それはそれで才能に疑念を抱かざるを得ないし、どっちにころがっても問題アリ。
絶対に松本人志は認めないだろうけど、この大御所監督が作った映画…という設定を捨てて(R-100というタイトルの根源がここにあるので、絶対に捨てないとは思うけど)、素直にこの謎のSM店に翻弄される男の話を最後まで描き切ってほしかった。
“ボンデージ”という組織の荒唐無稽さとか、丸のみ女のリアリティの無さなど、そんなことはお構いなしで作りきればよかったと思う。場面を変えて、業界の人に「わけがわからない」と言わせるなんて、“逃げ”“言い訳”にしか見えない。非常に恰好の悪い演出だと思う。
片山という男のドラマが、老人の作った映画だ…とする演出は、不条理を不条理のままとしておけなくなったことを表す。不条理を「なにが悪いの?」を悪びれずにそのまま世に出すのは、強い精神力が必要だ(精神を壊すギャグ漫画化が多いのもそのせい)。それができなくなったのは、松本人志が老いた証拠なのかもしれない。
松本人志がその老人監督のように不条理おかまいなしに作品を作れるのはいつの日だろう。もしかして本作は、100歳になるまで無理!という、松本監督の告白だったのだろうか。それなら、もう映画はやめたほうがいいのかも。
最後にフォローするけど、私はこの片山のドラマは好きだ。
公開年:2006年
公開国:日本
時 間:116分
監 督:馬場康夫
出 演:阿部寛、広末涼子、吹石一恵、伊藤裕子、劇団ひとり、小木茂光、森口博子、愛川ゆず季、鈴木一功、有吉弘行、山岸拓生、杉崎真宏、小野ヤスシ、露木茂、松山香織、木幡美子、ラモス瑠偉、飯島愛、八木亜希子、飯島直子、伊武雅刀、薬師丸ひろ子 他
コピー:戦国よりも幕末よりもハイテンションな、あの時代へ──
ニッポンを救う! タイムスリップ・ラブコメディ!!
2007年。バブル崩壊後、低迷が続く日本経済。国の借金が800兆円となり、国家の崩壊は目前に迫っていた。それを食い止めようと、財務省に勤める下川路功はある計画を進めていた。その頃、元カレの作った借金の返済を迫られていたフリーター・田中真弓のもとに、疎遠だった母・真理子の訃報が届く。母の葬儀の後、下川は真弓のもとを訪れ、真理子は死んでおらず、自分が開発したタイムマシンで1990年にタイムスリップしたと告げるのだった。下川と真理子はバブル崩壊を食い止めるために、極秘裏にプロジェクトを進めていたというのだ。ところが真理子は行方不明となってしまったため、同じ背格好の真理子にタイムマシンの搭乗を依頼する。半信半疑の真弓だったが、母を救うためと借金から逃れるために承諾する。しかし、そのタイムマシンというのが、ドラム式の洗濯機で…というストーリー。
確かに、内容を的確に表しているタイトルだとは思う。しかし、意外と慧眼なプロットで、軽いコメディじゃなくってけっこう真面目に後世に残さないといけいないような作品だと思うので、この安っぽいタイトルは納得できない。
本作は、世に出すのが早すぎたのではないかと思う。
不況で、散々日本経済はダメだダメだとマスコミが吹聴しまくって、国民の心も折れかかったタイミングで世に出したことで、バブル時代へのアイロニーに捉えられてしまったのではないかと。
バブル崩壊の原因が総量規制にあったとする慧眼を発揮しながら、日本の借金額が膨大で返すアテがないとか、借金をしている相手が誰なのかとか、資産額がどれだけあって相殺してどれだけ残るのかとか、そういう観点が一切ないというアンバランスさ(当時は、そういうマスコミの論調に国民は簡単に騙された)。
おそらく、バブル崩壊の原因が総量規制ってのも、きちんとした知識ではなく、聞きかじった知識なんだろうな…と予測する(小室直樹の書籍でも読んだのだと思う)。学歴だけあって本当の知恵や知識のない人間が企画したのかなと思う。
そして、YAHOOのTシャツのくだりとか、ホイチョイの、時代遅れで成長していないセンスに、ちょっと辟易。
お金が余っててお札が飛び交ってたっていうけど、金が余って使い道がないってのは、リッチなんじゃなくて、通貨流通量が多くてお金の価値が低いだけ。そんな気分になってただけ。
金(ゴールド)の価値が低い時に売り出すやつはいないよね。高くなるまで暖めとくよね。じゃあ、ゴールドを紙幣(お金)にかえて考えてみよう。バブル当時はお金の価値が低かった。だから、馬鹿みたいに使ったやつは馬鹿。そういうときには貯蓄する。バブル崩壊後までに安全な形の投資をして保持していたやつが正しい。だからといってタンス貯金は愚作だけど、まだタンス貯金のほうが賢かった。
こんなんで経済は大丈夫なんか?と当時の人は思っただろうが、それは自然現象としての経済活動の振幅の一局面でしかない。あそこは放っておくのが正解(じゃあ、常にレッセフェールでいいかっていうとそうじゃない。ケインズ理論を発揮しなきゃダメな側面は存在する。ケインズ派も古典派も、その理屈はシチュエーションによって使っていい場面はことなるので、どっちが正しいってわけじゃないんやで。大半の経済学者がわかってないみたいだけど)。
そんな状況なのに、借金をできなくするという不自然な形で規制しようとしたら、経済活動の命脈まで断ってしまうことになる。その辺は、劇中でうまく説明されているし、まるで私財を増やすために行った悪行としか思えない!という演出も、わからんではないところだ。
単刀直入にいえば、劇中で伊武雅刀が演じている男のモデルは、土田正顕っちゅう男だ。しかし、名指しでそいつを戦犯と指摘した小室直樹も土田正顕も、もう亡くなってしまった。安部英とか、平成の悪魔どもは、裁かれる前に死んでしまうねぇ。
で、結論を言えば、2013年くらいに公開すべきだったと思う。帰りは誰がスイッチ押したんだ???とか、いい加減なレベルの演出も散見されるし、戻ってからがオマケになってるのが、ちょっと残念(なぜか『オフロでGO!!!!!タイムマシンはジェット式』と同じようなオチなんだよなぁ。誰が考えても、タイムマシン物のコメディってこうなっちゃうのかも)。
製作側はチョケたノリで作ってるんだろうけど、絶対真剣に作るべきだった。本当に本当にもったいない。
#老けメイクはいいね。
公開年:1986年
公開国:日本
時 間:85分
監 督:岡本喜八
出 演:古谷一行、財津一郎、神崎愛、岡本真実、殿山泰司、本田博太郎、今福将雄、小川真司、ロナルド・ネルソン、ファーレズ・ウィッテッド、レニー・マーシュ、ジョージ・スミス、小川真由美、唐十郎、利重剛、ミッキー・カーチス、細野晴臣、山下洋輔、タモリ 他
南北戦争が終結して、開放されたはずの黒人奴隷ジョーだったが、相変わらず白人たちから迫害されるので、うんざりして旅に出る。すると、バーモント付近で弟サム、従兄ルイ、叔父ボブと偶然出会う。3人は彼らはニューオリンズから船に乗り、故郷のアフリカへ帰るという。しかし無一文。船賃を稼ぐために楽隊でもやるかということになった。ボブはクラリネット、ルイはコルネット、サムは太鼓、ジョーはトロンボーン。道中、練習するうちに、だんだんニューオリンズで流行っている“ジャズ”っぽくなってきた。その後、メキシコ商人に騙され、香港行きの船に乗せられる4人。4ヶ月経った頃、ボブが病死。このままでは全員死んでしまうと思った3人は、大嵐のどさくさに紛れてボートで脱出。そのまま流されて、駿河湾の庵原藩の浜に打ち上げられる。3人は医師・玄斉のところに運び込まれるが、何やら楽器のようなものを所持していると、庵原藩の藩主・海郷亮勝に報告が入る。亮勝は、ひそかに篳篥を吹くのを生きがいにするほどの音楽好きで、是非とも3人に会いたいと希望するが、家老の石出九郎左衛門は認めない。そうこうしているうちに、幕府から黒人たちの処分を亮勝に一任するという沙汰が下る。そこで、3人を城の地下にある座敷牢に住まわせることに。死んだボブのクラリネットを譲り受けた亮勝は、その日からセッション三昧となり…というストーリー。
筒井康隆の作品は『幻想の未来』とか『時をかける少女』『筒井順慶』など角川文庫になっているのをかなり読んだ。あまり小説を読まない私だが、筒井康隆と星新一だけはやたら読み漁った時期がある。けど、本作の原作は読んでないんだな。
#まあ、きっかけは『時をかける少女』の原作を読んでみようって思ったからで、全然映画と作風が違うから愕然とするよね。筒井康隆あるある。
とにかく非常に愉快で、筒井作品の雰囲気をそのまま映像化することに腐心してるように見える。岡本喜八監督の味が出ていないのでは?という気もしないではないが、力のない監督がやると『日本以外全部沈没』のようにどうしようもないデキになってしまうか、それこそ『時をかける少女』のように別モノにしてしないと成立しないくらいくらい、筒井作品というのは難しいのだ。
筒井康隆を知らない人は、“東名高速”のくだりとか、スベってると思うだろう。でも、ああいう小ネタは小説の文面で読むとスンゲーおもしろいのよ。じゃあそれを映画でそのままやって面白いか?と聞かれると、正直つまらなかった。やはり、脳内に浮かぶからこそおもしろいのだな…。そういう点では、冒頭のリンカーンへの手紙の口調とか、黒人4人のなまり言葉も同じで、耳から入ってくると、気恥ずかしい感じだった。
古谷一行演ずる、妻を寝取られても飄々としている亮勝は、まさに筒井らしいキャラ。そして、ラストに向けても、ひたすら筒井節全開。確かに、小説はこんな感じで、発散するだけ発散。カオス状態にするだけカオスにして終わるから、原作の表現としては正しい。山下洋輔とかタモリまで引っ張り出して、カオス感を一生懸命醸成しているが、残念ながら内容のほうが突飛なので、いまいち効果はなし。そのまま終わってし合う。
映画としては、ほんのちょっとでもいいから“オチ”をつければ成立したと思う。一瞬静止画にして、幕府側にも新政府側にも組することなく幕末の動乱期をジャズに興じ続けた庵原藩の領民は、その後も幸せに暮らしましたとさ、どっとはらい…的なテロップだけでもアリだったと思う。そこはいわずもがなでしょ…と思うかもしれないが、緩急はつけないと映画はキマらないのよ。
長らく、レンタルビデオ屋に並んでいなかったのは、最後のコマが無い4コマ漫画みたいな作品だからだと思う。個人的には好みだけど、たぶん薦めても共感は得られないと思う。
公開年:2012年
公開国:日本
時 間:128分
監 督:内田けんじ
出 演:堺雅人、香川照之、広末涼子、荒川良々、森口瑤子、小山田サユリ、木野花、小野武彦 他
コピー:入れ替わった人生、大金の行方、そして結婚――
その先にはなんと、史上最高に爽快でトキメくラストが待っている!?
とある事で自殺しようと考えた売れない役者・桜井は、死ぬ前に銭湯に行こうと考える。すると、羽振りの良さそうな男が銭湯に入ってきて、石鹸で足を滑らせて転倒し気を失い、そのまま救急車で搬送されてしまう。桜井は介抱する際にロッカーの鍵をすり替え、その男の服に着替えて成りすまし、彼の金や車を拝借してしまう。自暴自棄になっていた桜井は、一晩、車の中で過ごした後、男が持っていた大金で、今まで借金していた人に返済をして廻るのだった。一方、病院に搬送された男は、目覚めるとすっかり記憶を失くし、自分が誰だかわからなくなっていたが、持っていた身の回り品から桜井という男だと告げられる。本物の桜井は、昨日の男が搬送された病院を聞きつけ、こっそり財布や車を返却しようと病室を訪れたが、男が記憶喪失になっていることを知り、もう少し成りすまそう考える。そしてその男のマンションに入ると、電話が鳴る。その電話は殺人の依頼。男は伝説の殺し屋“コンドウ”だったのだ。成り行き上、依頼を引き受けてしまう桜井は。一方、自分を桜井だと思い込んでいるコンドウは、一流の役者を目指していたであろう自分として行動するのだったが…というストーリー。
『運命じゃない人』『アフタースクール』の内田けんじ監督作品。アンジャッシュのコントみたいなすれ違い、勘違いのシナリオで、テイストは同じ。狙ってやってるのこれしかできないのかは不明だが、うまくデキているのだから、まあ問題なし。個人的には、成りすますまでの展開が都合が良すぎて如何なものかな…とは思うが、コントですよ、コント…と思えば、全然許容できる(良い意味でだよ)。
単なるすれ違い、勘違いシナリオで終わっていないのは、香川照之演じる殺し屋の方が、すっかり前向きに人生を歩み始めるという皮肉なシチュエーションが効いているからだろう。
内田けんじシナリオのスゴいところは、“何かおかしくねえか?”と観客に細かい疑問を抱かせる点があちこちにあるのに、ほぼ後で回収(というか説明)されていること。例えば、香苗がなんで塩を舐めてるのかとか。多分、私が気付いていない仕掛けもたくさんあるはず。殺し屋が車にうるさい警報ブザーなんか付けるかな?とか、違和感があったんだけど、胸キュンの音に掛けたかっただな。
こういう偏執的なまでに緻密な作品というのは実に好感が持てる。納得いくまで推敲を繰り返しているであろう姿勢とか、作品に責任を持っている感じが伝わってくる。
これに加えて、香苗の父親のくだりとか、お涙まで挟んでくるんだから、すごい。
あえて“ほぼ”後で回収と書いたのは、ピンとこないところが無いわけではないから。別に、森口瑤子演じる女性の逃亡先のために、マンションを購入する必要はないような気もするし、成りすまししている人間が購入手続きできるほど、数千万円のマンション購入は簡単じゃないよな…とか(まあ、流すところなんだろうけど)。
好きな人は、とことんハマるだろうね。とても楽しめた。
公開年:1979年
公開国:日本
時 間:113分
監 督:大林宣彦
出 演:古谷一行、田中邦衛、仲谷昇、山本麟一、吉田日出子、坂上二郎、東千代之介、樹木希林、熊谷美由紀、江木俊夫、阿部健多、木下隆康、大塚浩美、宇佐美恵子、原田潤、草野大悟、小野ヤスシ、佐藤蛾次郎、南州太郎、重松収、小川亜佐美、赤座美代子、伊豆肇、大泉滉、車だん吉、三輪里香、千うらら、石井めぐみ、高林陽一、田山力哉、志穂美悦子、斎藤とも子、笹沢左保、横溝正史、高木彬光、角川春樹、峰岸徹、岸田森、檀ふみ、岡田茉莉子、夏木勲、三船敏郎、三橋達也 他
数々の難事件を解決してきた金田一耕助は、すっかり有名人になっており、最近は等々力警部と一緒のCMで出演するまでに。一方、“ポパイ”を名乗る美術品専門の窃盗団が世間を騒がせてた。そのポパイのリーダー格であるマリアが、金田一の前に現れる。彼女は、金田一が真犯人を突き止められなかった“瞳の中の女”事件を解決しろと要求。美術評論家の古垣和哉から盗んだ、その事件解決の鍵となるであろう石膏像“不二子像”の首を金田一に渡すのだった。しかし、早々に石膏像の首を何者かに盗まれてしまう金田一。行方を調べると、古美術店々主明智小十郎の手に渡っていることが判明。マリアの手引きで明智邸を訪ねる金田一だったが、そこで殺人事件が発生し…というストーリー。
一応、横溝正史の原作で本人役で出演してはいるのだが、あらすじを書いていても、うんざりするぐらい内容がぐちゃぐちゃでイヤになった。追っている事件の内容が見えない…ということは、ストーリーの方向性が見えないということだ。加えて、お寒いギャグが散りばめられており、うんざり。当時は面白かったのかも?と一瞬考えたが、イヤイヤ、それはない。ここまでふざけなくても、ちょっとした違和感を漂わすだけで、映画なんて十分おもしろくなるものだと思うのだが。笑いのセンスがない人が、自分がおもしろいと勘違いしてお笑いをやるとこうなっちゃう、顕著な例だと思う。特に、中途半端なメタ視点に、冷める。
根本的に、過去の事件の続きを書いて…という要求の意味がわからない。謎解きの意味もわからない。シニカルでもなければウィットでもないオチ。ただひたすら不快。頭がおかしいのかな?これを観ておもしろいと思う人がいると本気で思っているのかな? 何人もの人間を動かして、これを世に放つことの意味とか、考えているのかな?
日本クソ映画列伝に加えたくなるところなのだが、製作姿勢を想像すると“映画”とすら認めたくない自分がいるのがわかる。ビール飲みながら笑うことすら適わない作品。
公開年:2004年
公開国:日本
時 間:98分
監 督:内田けんじ
出 演:中村靖日、霧島れいか、山中聡、山下規介、板谷由夏 他
受 賞:【2005年/第48回ブルーリボン賞】スタッフ賞(内田けんじ/脚本に対して)
【2005年/第15回日本映画プロフェッショナル大賞】新人監督賞(内田けんじ)、ベスト10(第5位)
コピー:この日、ボクの家のドアは3回開いた…
サラリーマン宮田武は、結婚を前提にマンションを購入した直後に、恋人のあゆみに去られてしまう。諦めきれない彼は、いまだに勤務中にあゆみの写真をみては溜息をつく毎日を過ごしていた。ある日、宮田が部屋に帰ると、親友で私立探偵の神田から飯を食おうと誘いの電話が。面倒だった宮田は断るが、実はあゆみのことで話があるといわれ、大急ぎで待ち合わせ場所のレストランに向かうのだった。一方、婚約を破棄して、二人で住む部屋を出てきた桑田真紀は、行く先も無く街をさまよっていたが、一人で入ったレストランで楽しそうにしている他の客を見て、泣き出しそうになる。そこに、宮田を呼び出した神田が入ってくる。神田はあゆみが結婚するらしいということを告げ、女々しい宮田を次の恋愛に進むように叱責する。宮田は隣の席で一人で食事をしようとしていた真紀に、一緒に食事をしようと声をかける。泊まる場所のあてもなかった真紀は、その申し出を素直に受けるのだったが…というストーリー。
薦める人が多く、それに乗っかって素直に鑑賞。でも、あまりハードルを上げすぎると期待を裏切られた感じになるので注意が必要かも。いや、おもしろいことはおもしろいんだけどね。
PFFスカラシップという、若手育成の事業で作られた作品。当然、費用も限られるし、小粒にもなる。そこは、ある程度理解した上で観るのがよいと思う。
また、『パルプ・フィクション』的な時間軸戻し系のお話が、溢れているのと、同じ内田監督作品である『アフタースクール』が、同じような構成であることから、この監督ってこれしかできないんじゃないかな?という疑念が湧いてしまうのも事実。
同じ時間軸を過ごしている人間の、それぞれの思いがうまく交錯…というか、見た目には交わっているように見えてあさっての方向に進んでいて全然心なんか通っていない様子がおもしろい。女性のサバサバした割り切りと、反面、男性がウェットな生き物であることが、おもしろく描かれているのも、結構好き。まあ、「ああ、そういうことだったのね」的な、脳内の配線が繋がる快感ってのは誰しも共通して感じる所だから。
でも、神田の話あたりがちょっとダレるのが残念。それを挽回するように、ヤクザの話がおもしろくて、全体が救われている感じだね。
(ちょっとネタバレ)
ちょっとわかりにくい部分が多い。別に勧善懲悪じゃなきゃいけないわけじゃないんだけど、素直に大金をせしめさせるだけで終わってしまうのが、正直すっきりしない(ちょっと油断すると、あれが偽札であることを見落としちゃうんだよね)。
これで生きていける…と思ったけど、偽札だっていうことで、十分オチていると思うんだけど、エンドロール途中の、真紀が宮田の部屋を訪ねるシーンも、何を言いたいのかいまいちわからない。あれが宮田の先輩だということを観客はほとんど思い出せないし(キャラがそれほど濃くないからわからない)。もしかして先輩が連れてくるといっていた女があゆみなのかもしれず、真紀がみつけたメンソールたばこを吸っていたのがあゆみなのかもしれない。そして二人が鉢合わせ…と。うーん、それっておもしろいか?
トータルで面白かったのは認めるが、笑いのベクトルが私の趣味とは異なる監督さんなのかも。三谷幸喜と同じタイプの人なのかな。その辺はちょっと合わないかも。
#コピーはネタバレになっちゃててNGじゃないか?配給会社はアホだと思う。
公開年:1983年
公開国:日本
時 間:109分
監 督:村上龍
出 演:ピーター・フォンダ、広田玲央名、乃生佳之、渡辺裕之、根津甚八、リチャード・ライト、武田鉄矢、研ナオコ、小松政夫、青地公美、タモリ 他
ミミミとハチとモニカが、プールで遊んでいると、空から男が落下してくる。落ちて来た男は、超人的なパワーをもったゴンジー・トロイメライという宇宙生物だという。ゴンジーは宇宙に帰りたいと考えていたが、何故かパワーを失ってしまい戻れないという。3人はゴンジーを匿うことにしたが、ゴンジーの能力を利用しようとする“ドアーズ”という組織が付け狙っていた。ドアーズは、表向きは遺伝子工場とファミリーレストランと精神病院を世界中に展開する企業だったが、その正体は、人工単為生殖による男だけの社会を目指すカルト集団だった。彼らは、ゴンジーのの細胞を採取して、超人のコピーを作ろうと画策していたのだった。3人は、生まれ故郷に帰りたがっているゴンジーに協力することを決め、サイパンにいる知り合いのハングライダーをつかって空へ飛び立たせようと考えるのだったが…というストーリー。
村上龍自身で、原作・脚本・監督をしているのだが、職業映画監督じゃないからかろうじて許されているのかな…というレベル。劇中の楽曲提供者として、加藤和彦、来生たかお、桑田佳祐、坂本龍一、高中正義など早々たる面子が連なっており、タモリやら高橋幸宏なんかも出演している。お仕事というよりも、“お付き合い”として協力してくれたのだと思うが、これらの人々に申し訳ない気持ちにはならなかったのだろうか。逆に、そういう人たちも、軽いノリで出ただけだから気にしないで…っていう態度を取らざるを得ない作品。
テロップの文字フォントから、ライティングやカット割まで、どことなく日活ポルノ作品かよ…という感じで、実に安っぽい。それが狙いでそうなっているようには見えないのが、また心苦しい。
実は、こういうコメディチックな要素のあるSFの映像化は難しいのだ。筒井康隆の『日本以外全部沈没』なんかがいい例で、本で読めばものすごくおもしろいが、映像化した途端に輝きは半分未満になってしまう。良い本というのは、人間の脳内でおもしろい想像を喚起するもの。外から映像として押し付けられても、面白さに繋がらない。よほど、人の脳内で生まれた想像を上回るようなインパクトの映像を作らなければ、心を動かすのは難しいのである。村上龍はコメディの難しさを安易に考えすぎていると思う。
さらに、ちょこちょこはさまれる小ネタが、激烈につまらない。アドリブでもなく真剣に演じさせられている役者がかわいそうになるほど。もう、ずっとアブサンでも飲みながら監督してたんじゃないかと疑いたくなる。そして、その小ネタにエロ要素が挟まれると、思わず眉間に皺が寄ること必至。
#広田玲央名のヌードがまったくもって無駄の極み。
本当なら、日本4大トンデモ映画に入れるべきなのだが、全部、村上龍の責任において行われているといってよいので、それらと同列に扱われることすらないという、ミジメな作品。つまり、忘年会の出し物レベルで、評価にすら値しないということ。
この作品を観てから、ガイアの夜明けとか見ると、なんかせつない気持ちになってくる。
公開年:1974年
公開国:日本
時 間:82分
監 督:坪島孝
出 演:目黒祐樹、田中邦衛、江崎英子、伊東四朗、天本英世、広瀬正一、鈴木和男、中庸介、人見明、江村高志、藤村有弘、E・H・エリック、夏樹レナ、安西マリア 他
孤児院出身で、盗みの天才だが女には弱いルパン三世。実は、フランスの怪盗ルパンの息子である二世が世界中に作った子供の一人。二世はルパン帝国を築き上げていたが、マカ・ローニ一家に潰されてしまい、子供たちも次々殺され、日本人を母に持つルパン三世が最後の生き残りとなっていた。ある日、ルパンは護送中の峰不二子に一目惚れ。彼女の脱走を手助けしたのはよいが、そのせいで銭形平次の子孫・銭形警部らにマークされてしまう。一方、ルパン帝国の残党で、帝国の再興を夢見る次元大介が、ルパン三世を捜していたのだ。次元はルパン一族直系であることを説明するも、ルパンは帝国の再興にはまたく興味を示さない。そんな中、不二子の入れ知恵で世界宝石展開催中の会場から大量の宝石を強奪する作戦を遂行するのだったが…というストーリー。
タイトルの“念力珍作戦”なるものは、シナリオ上登場しなかった。何か、すごい作戦がはじまるのかと思っていたのだが、まったく。へんてこな射光式土器をめぐっての騒動はあったが、別に念力的なものはない。
『ノストラダムスの大予言』の併映ってこともあって、なんとなくでつけたのかと。いやはや“ノストラダムスの大予言”とは懐かしい。むしろこっちを見てみたいのだが、DVDを借りようにも、国内ではDVD販売されてまへん。海外発売版は容易に入手可能という情報もあるが、買い方がよくわからん。閑話休題。
いかにも低予算で、添え物という真の意味でのB級作品だと思う。Wikipediaを見ると、原作を意識しないで自由に作った云々と書いてあったが、原作漫画のノリに近い仕上がりになっているのではなかろうか。スマン。原作マンガはほとんど読んだことがない。ショボい合成などの映像効果を用いて、マンガ的な表現を行っているというほうが正しいかな。
実にくだらない表現が満載だが、いい大人が低予算で真剣にふざけていると考えると、なかなか味がある。本気になれば、もうすこしギャグの間合いとかに工夫できると思うけど、野放図に編集しているとしか思えず雑、とにかく雑。でも、結果的にその雑さのせいで、笑えなくなってはいるだけど、クレイジーなノリの醸成には成功している(怪我の功名的な意味で)。
アニメの印象を引きずれば、そりゃあ田中邦衛の次元大介はありえないだろうが、本作の設定を考えれば別におかしくはないだろう。現在、ルパン三世の実写映画を作ろうとしているらしいが、峰不二子のようなグラマラス悪女役が見つからず苦戦しているとか。本作の江崎英子演じる峰不二子は、アニメの不二子には程遠く、全然グラマラスじゃないけど、妙な安っすい色気で誰でも手が出せそうな独特のキャラになっている。アニメに似せようとする意味はないって証明してくれている作品だと思う。もし、オリジナル色が出せないなら、実写化なんか止めるべきなのかもしれない。
是非モノで見るべき作品ではないし、コメディとしては三流だと思うけど、珍味。あくまで珍味。
公開国:日本
時 間:98分
監 督:鈴木則文
出 演:菅原文太、愛川欽也、夏純子、中島ゆたか、佐藤允、春川ますみ、夏夕介 他
11トントラックの運転手・星桃次郎、通称“一番星”は、家を持たず、お金をつぎ込んでデコレーションした愛するトラックで生活をしている。同業者で未亡人のモナリザお京は、そんな桃次郎を気にかけて何かと焼いている。桃次郎の相棒は4.5トントラック運転手の松下金造、通称“ヤモメのジョナサン。彼は、安アパートに妻と子供7人の大所帯だ。ある日、桃次郎は、東北のドライブ・インで新顔店員の洋子に一目ぼれ。桃次郎は、ストリップ小屋で拾って舎弟にした千吉を使って、花を渡して告白しようとするが、千吉はモナリザお京に告白してしまい、密かに桃次郎に恋心を抱いていたお京は舞い上がってしまう。そんな中、西日本一を自称する“関門のドラゴン”こと竜崎勝が、桃次郎にレース勝負を挑んできた。意気揚々と迎え撃つ桃次郎だったが、千吉に足を引っ張られ負けてしまい…というストーリー。
冒頭のエロシーンで掴みはOK。まあ、そういう掴みを喜ぶ客層相手の作品だから、大した内容じゃなかろうとおもってたら、どうしてどうして。
いや、正確に言えば、内容の程度はお察しの通りだが、シナリオの構成が、スゴい。ウマい。正直、驚いた。
モナリザお京の話、捨て子の話、洋子の話、ジョナサンと警察の話…これら複数のエピソードのすべてに、綺麗な起承転結だけでなくカタルシスがあり、且つ五月雨式に重なっている。作品全体を通してクライマックスが連続攻撃でやってくるという構成になっているのだ。
鈴木則文監督によるシナリオだが、ラストのイメージから逆算して無駄なく登場人物を配している。当たり前のことなのだが、案外これがしっかりできている脚本家は少ない。とにかく、入魂、入魂また入魂。推敲を重ねたであろう様子が滲み出ていて、感服然りである。
強烈なキャラクターの桃次郎だが、実は各エピソードの狂言回しになっているというのも秀逸。寅さんに通じるペーソスを感じさせつつ、明確にブルーカラーを主人公に据えており、観客層を絞っているのもウマイ。ヤクザまがいではあるがあくまで労働者。そして、バカだけど国家権力には楯突くという、全共闘世代のシンパシーをくすぐるキャラクター。コンセプトの勝利か。そりゃ、シリーズ化もするだろう。
とはいえ、万人ウケうる作品でなない点は、覆りようがない。それでも、ハズレたと感じることは少ないと思う。軽くお薦め。
公開国:日本
時 間:119分
監 督:伊丹十三
出 演:宮本信子、津川雅彦、大滝秀治、北村和夫、金田龍之介、高瀬春奈、MITSUKO、洞口依子、一の宮あつ子、菅井きん、三田和代、黒田福美、橋爪功、柳谷寛、横山道代、杉山とく子、矢野宣、加藤善博、不破万作、上田耕一、宝田明、島田正吾 他
ノミネート:【1990年/第14回日本アカデミー賞】主演女優賞(宮本信子)、脚本賞(伊丹十三)、編集賞(鈴木晄)
捨て子だったナヨコは老夫婦に拾われ育てられるが、中学を卒業すると置屋に預けられ芸者の道に入る。一人前の芸者に育つが、18歳になったある日、僧侶多聞院に水揚げされる。すると多聞院の僧侶としての位がどんどん高くなっていく。しかし、多聞院ほどなくは死去。その後、ナヨコは多聞院と付き合いのあった銀行頭取の元で秘書として働き、10年が経過する。そんな中、ナヨコはうだつのあがらない支店長の主水と知り合い、やがて愛し合うようになる。一方、政界の黒幕と呼ばれている大倉善武も、ナヨコのあげまん相に目をつけていた…というストーリー。
『ミンボーの女』や『マルサの女』が、今では法律改正でピンとこなくなってしまっていることを考えると(『タンポポ』が地上派で放送されることはあっても、『ミンボーの女』や『マルサの女』が放送される可能性は限りなく低いだろう)、テーマ的には普遍な内容だと思う。
死、食欲、暴力、禁欲…さて本作のテーマは何か。それは、権力欲である。そして主人公のナヨコは、可愛がってくれた人に地位や権力を与える“妖精”である。
宮本信子の18歳っていう無茶をいきなり観せられるわけだが、荒唐無稽なお話なんですよ…と観客に認識させるためには必要な演出だったともいえる。まあ、キツイのは正直キツイ。なにも乳を放り出さなくてもよいと思うのだが、妖精だからしょうがないんだろう(そうか?)。大正文学のようなテロップが入るが、これも寓話のようなテイストを醸し出したい演出である(効果は甚だ疑問だが)。
で、肝心の話の筋が、かなり不可解。捨て子がそれなりに育ち芸者になる。はじめに坊主の愛人として囲われ、その坊主がものすごく出世する。まあ、それがナヨコのおかげだと周囲が言うのはよしとしよう。でも、その後の10年間まともに男と付き合ったことがないのに、ナヨコはあげまんだといわれる理由がわからない。もしかすると、その間も男と付き合って、あげまんパワーを発揮していたのか?そんな描写はなかったな。
それ以前に、坊主が不能者だったくだりが必要だったか?というのもひっかかる。主水がはじめての男だということなのか。だとして、その描写は必要だったか。あげまんを発揮する男が、結局3人しか出てこないのもいかがなものか。タイトルにするくらいの特徴なのだから、もっと短期間で破滅する男でもいいので、あと二人くらい登場させてもよかったと思う。
とはいえ、わらしべ長者的な、のどかな(というと語弊があるかもしれないが)サクセスストーリーや、転落話が展開され、それはそれで面白い。童話チックさと俗っぽさの振幅は楽しいと思う。他の伊丹作品にくらべて、業界のウンチク的な内容が不足しており、その辺を物足りないと感じる人はいるだろう。芸者遊びや色恋の話なのに、それにまつわるおもしろ話とかあるある話が、盛りだくさんとはとてもいえないし(伊丹十三自身が恋愛をウィットに語ることが得意だとは思えないし)。
まあ、他作品のおかげでハードルがあがっているだけであって、悪くない作品。何度目かの鑑賞だけど愉しめたもの。
公開国:日本
時 間:111分
監 督:矢口史靖
出 演:五十嵐信次郎、吉高由里子、濱田岳、川合正悟、川島潤哉、田畑智子、和久井映見、小野武彦、田中要次、森下能幸、古川雄輝、高橋春留奈、大窪人衛、今井隆文、三浦圭祐、安田聖愛、星野亜門、竹井亮介、藤本静、細川洋平、大久保綾乃、遊木康剛、徳井優、菅原大吉、大石吾朗、竹中直人、田辺誠一 他
コピー: 変形しない。戦わない。働きもしない。そんなロボットに日本中が恋をした――。
中小家電メーカー木村電器の窓際社員、小林、太田、長井の3人は、ワンマン社長から二足歩行ロボット開発を命じられる。それも三ヵ月後に開催されるロボット博に登場させ、会社にアピールをさせるとのこと。しかし、あと一週間というところで、制作途中のロボット“ニュー潮風”が窓から落下して大破してしまう。追い詰められた3人はロボットの製作を諦め、ロボットの中に人間を入れてロボット博での発表を乗り切ろうと考える。着ぐるみショーのアルバイトと偽って中に入れる体型の人を求人すると、ぴったりの人を発見。しかし、適格者は73歳の独居老人・鈴木重光。鈴木さんにも、最後まで着ぐるみショーだと言い聞かせ、なんとか誤魔化しきろうとするのだったが…というストーリー。
冒頭でロボットが大破するのだが、そのシーンではそれなりにサクサク動いている。後のシーンを観ると、どう考えても3人にロボットの知識はなく、あそこまで歩けるロボットを作れる技術があるようには描けていない。
おまけに、歩いて、窓を突き破って、パソコンやら機材も引っ張って、すべて階下に落下させる。そのシーンが力学的にあまりにも不自然で、ギャグだとしてもそれはないだろ…って描写。パソコンのバックアップを取っていないというけれど、ハードディスクってそう簡単に壊れないし。よくわかかっていないスタッフばかりが集まっていたんだろうね。取材不足ってもあるんだろう。
壊れましたていう展開にしたいのはわかる。ワンマン社長なのもわかる。でも、大破したロボットを見せて壊れちゃいました…となぜ言えないのか、そこまでの事情がまったくわからないから、全然ピンとこない。
もう、冒頭ですっかり観る気が失せてしまった。
一方、爺さんの生活や寂しさ、その心情を描いた部分は悪くない。ミッキー・カーティスは、五十嵐信次郎名義で気合満開で、結果を出していると思う。しかし、そののやる気も、一方のロボットのドタバタがヒドすぎて、台無しになっちゃった。
実際、世の中で発表されているロボットの仕組みや構造なんか、一般人はわかっていないかもしれない。でも、だからといって中に人が入っていてもわからんのじゃないのか?っていう視点って、親父ギャグ以下の稚拙な視点じゃなかろうか。
動くたびにウィーンとかどういう仕組みで音でてるわけ?間接部分スカスカだったじゃん。分解してる映像を観ても、そんな部品ないし。こういう、詰めの甘さって、観ていてイライラするわ。いくらコメディだって、そういうこともあるかな?って感じられるレベルじゃないと観ていられないだろう。はじめから最後まで、違和感を感じさせ続けるなんて、映画として最低じゃないかなぁ。
髪の毛発見したあとのくだりも、グダグダ。普通に髪の毛が付いていると考える方が自然だし。
CADソフト1日で使いこなせねーし。大学生の話を聞いたからって、元々、素養のあった人でもないのに設計書なんか書けないって。だから、はじめに壊れたロボット程度なら作れる技量があるのか、営業とか修理程度しかできないのか、どっちの設定なんだ?
①一流ではないけど、それなりには作れる技量はある。⇒でも壊れちゃったからやむを得ず爺さんで…。⇒大学生の話を聞いたら、バレる前に本物を作れそう…
②はじめから全然無理ゲー。⇒お茶を濁す程度のロボットを作ったけど壊れちゃう。⇒爺さんで誤魔化す。⇒大学生の話を聞いたら、本当に作れそうな気分になる…
①と②のどっちなのか?ロボット博のインタビューではまったく畑違いだといっていたし、大学のイベントで学生の質問を全然理解していなかったし、3人の素養としては②なんだろう。でも、ストーリー的には①のように努力させたかったんだろ。だって矢口監督作品の面白さってソコだったじゃない。
このどっち着かずのシナリオがつまんない原因なんだって。3人のうち一人か二人は、かつてロボット製作を夢見ていたけど、会社に入ったらそんなことやらせてもらえなくて…って、そういう設定にしないとさ。
マジメ練れよ。これ、矢口監督作品の中で、最低のデキだと、私は思う。
#もうちょっといい映画だった、ニュー潮風のフィギュア買う気になれたかも。
おどろくべきことに、世の中には、本作の誤魔化し具合やロボットイベントや業界の描写をみて、とてもリアルだという人がいるようだ。世間知らずも甚だしいとは思うけど、そういう人は何も疑わずに映画を観ることができて、さぞや幸せだとも思う。私、映画を観ても75%くらいは、これおかしくね?って思う方なので、本気で幸せなんだろうな…と思うよ。
公開国:日本
時 間:110分
監 督:塚本連平
出 演:市原隼人、麻生久美子、根岸季衣、ガッツ石松、竹中直人、坂井真紀、佐々木蔵之介、志賀廣太郎、酒井敏也、森崎博之、石野真子、片桐はいり、掟ポルシェ、宮地雅子、安藤玉恵、脇知弘、賀来賢人、石田卓也、加治将樹、倉科カナ、小柳友、冨浦智嗣、水沢奈子、宇田学、成嶋こと里、豊田エリー 他
コピー:いっちょイタズラいきますか。
1979年のとある田舎町。イタズラ大好きの“ママチャリ”たち7人は、気ままな高校生活を送っていた。そんな中、新任の駐在さんが彼らの前に立ちはだかる。その駐在さんは、イタズラをされるとしっかりやり返してくるという大人げのない人物。ママチャリたちが仕掛ける“嵐のチャリンコライダー作戦”“鉄の嵐作戦”“SM貴族作戦”などにことごとく応戦。時には、公務員らしからぬ手段すら行使する駐在さんと7人の攻防は、長期戦に突入するのだった…というストーリー。
市原隼人の出ている作品を初めて観た(芸人が彼のモノマネをしたのを見てもよくわからなかったのだが、本作を観てもよくわからなかった)。イキのいい役者だし、コミカルな本作にはマッチしていると思うが、ちょっと単調だったかも。
イタズラ好きなバカ高校生たちと駐在さんという設定はすごく良い。かわいい馬鹿共は観ていて楽しいし、冒頭の掴みも良かったと思う。で小ネタのオンパレードだが、微笑ましいシーンの連発で決して悪くない。でも、どういうわけか空回りというか冷めてしまうのは何故なのか。
原作がそうなんだろうが、舞台を1979年にする意味が極めて希薄。町並みや小道具で雰囲気を作るべきなのだが、建造物などから1979年であることは伝わってこないし、むしろ現代の田舎にしか思えない。予算がないのはわかるが、1979年であることを表現するために、当時のCMや歌謡曲を無理やり挟みこむことしかできないのが、けっこうヒドい。
ラストに向かうにつれほころびが広がっていく。子供の心臓手術に子供の同意が必要?そんな手続きないでしょ。根本的に、最後にあんな中途半端な人情話はいらないんじゃなかろうか…と思うし。
同僚の警察官の台詞は「花火の代金払ってまいりました」じゃなくて「花火の請求書です」じゃないんだろうか。同僚の警官があの金額を立て替えたわけ?何かおかしいでしょ。こういうディテールの荒さが興醒めを招いている。
嫌いじゃないけど、凡作どまり。ファンキーモンキーベイビーズの曲が全然マッチしてないんだよなぁ。コメディなのにノリや雰囲気が作れていない作品。
公開国:日本
時 間:99分
監 督:山田大樹
出 演:南原清隆、内村光良、江口洋介、山口智子、益岡徹、武田真治、浅野麻衣子、中尾彬 他
受 賞:【1992年/第16回日本アカデミー賞】新人俳優賞(内村光良、南原清隆)、話題賞[俳優](ウッチャンナンチャン)
ミリタリーおたく・星亨は自ら計画を立てた作戦遂行のため、人材を集める。格闘技おたく・近藤みのる、パソコンおたく・田川孝、無線おたく・水上令子、アイドルと改造車おたく・国城春夫と、田川が同伴した湯川りさは、本土から離れた島・井加江島の旅館の一室に集められる。星は、隣室に住んでいるバングラディシュ人のティナが、この島の網元・高松との間にできた息子・喜一を奪われたことを知り、奪還を手助けすることにしたのだった。各人いまいち納得できないながらも、とりあえず星に協力。令子が盗聴した電話の音声もとに、田川がパソコンで音声を合成。その音声を使いニセの電話で高松家の家人を外出させ、その間に近藤と星が赤ん坊を奪還する。そこまではうまくいったのだったが、国城が船を動かすことに失敗。港で喜一は再び奪われてしまう。何とか漁師たちの手からは逃れたものの、近藤以外のメンバーは計画続行を拒否し、東京へ戻るのだったが…というストーリー。
良くも悪くも時代を感じる。敵役の中尾彬演じる漁師の網本みたいなキャラは、アジア女性を妾にして子供産ませるという傍若無人ぶりだが、海外赴任して現地で隠し子を作ってトラブルになり問題になっていたのもこの頃か。
おたくという言葉が目立ってきた時期だが、この頃からすでに“マニア”との差があいまいになっており、“マニア”+“社会性が欠如しかけている人”をおたくと定義している模様。おたくの語源からはすでに完全に乖離していることがわかる(登場人物の誰一人として二人称が“おたく”な人はいない)。
山口智子が微塵もおたくじゃないのはご愛嬌だとしても、アイドルおたくと改造車おたくをミックスしているのはいかがなものか(改造車おおたくっのも何か変なんだけど)。アイドルおたくは作戦には微塵も関係ないが、当時おたくといえば宅八郎、宅八郎といえばアイドルおたくということで、はずすことができなかったんだろう。そして、フジテレビがアイドルをタイアップしたかったという事情があったんだろう。この頃ころから、タイアップ、ゴリ押しのフジテレビ。当時は、テレビ局としても二番手、三番手だったから、こういうなりふり構わずとか、下品なのが味だったんだけど、今でもこれやってるから嫌われるんだろうね。フジは。
フィギュアおたく・丹波は、島の模型こそつくるが、別にその能力で奪還作戦を助けたわけではなく、内通者役というのもいまいち。さらに内通者としては国城がそれ以上のことをやってしまうので、ますます丹波の影が薄くなる。どうも“七人のおたく”という看板に偽りあり…というか貫き通せていないのが、引っかかる。もうちょっとプロットを練られなかったものか。
最後の男つくって逃げようとしてたくだりは不要なんじゃなかろうか。それ差し込むなら、そのまま子供をおいて去ってしまうくらいの救いのなさがあってもよかったかと思う。
ただ、これだけ難点が散見されているにも関わらず、筋が面白いのは事実。もちろん『七人の侍』という元ネタの面白さであることは間違いないのだが、この荒削りさが、若さと勢いに繋がっている。ウッチャンナンチャンはもちろんいい味を出しているのだが、冷静に考えると浅野麻衣子以外のメインキャストは、今でも第一線で生き残っている。これって案外すごいことだとと思う。
これ、今こそ、リメイクか続編つくりゃいいのに…と思う。快作。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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