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公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:92分
監 督:ジョセフ・グズマン
出 演:アサン・オルテガ、デヴィッド・カストロ、ペリー・ダマルコ、ビル・オバースト・Jr 他
とある砂漠の町では、凶悪なギャングが幅を利かせているだけでなく、教会までがすっかり腐敗しきっていた。あろうことか教会は、神父たちによって麻薬工場となっており、尼僧たちはその工場で奴隷のように働かされているのだ。尼僧の一人サラは、麻薬の取引の際に犯行したため、ギャングと神父の手によって売春宿に放り込まれてしまう。そこで麻薬漬けにされて、客を取らされるが、一瞬の隙をついて脱出に成功。そして1年後、彼女は町に戻ってくる。手始めに自分を売春宿に売った神父を射殺。続いてギャングの殺し屋どもを血祭りに。ギャングの首領のチャヴォは、殺し屋の正体をやっきになって探ろうとするが…というストーリー。
B級どころかC級なんじゃね?と心構えは十分にできていたつもりだったが、予想以上だった。
まず、冒頭で、この人が主人公なんだろうな…思っていた人が、主人公じゃないっていうね。何が言いたいかって、キャストが美しくない…いや、もうはっきりいっちゃうけどブサイクな人ばっかりなのね。器量の悪いほうが主人公かよ…なんて思ってたら、汚れ&汚れで、そりゃこれを演る役者は限られるってのはわかるんだけどさ。
登場する女優さんは、全員、裸になる(あ、太った尼僧だけはならないか)。これで、どういう作品か理解できるだろう。
ギャングの非道っぷりの描写が、一切オブラートにつつむ気がないってのもね。レイプシーンは身も蓋もなく気分が悪くなるレベル。対象者がおばあちゃんの尼僧のシーンは、もう勘弁してください状態。
唯一の演出らしい演出は、人物紹介が新たに登場すると、止め絵で名前バーン!ってカットが入る。しかし、さほど重要じゃないキャラクターが登場してもバーン!ってなる。誰でもかれでもそれをやるもんだから、逆に誰が誰かよくわからなくなるという、本末転倒ぶり。最後の方になってくると、わざとやってるだろ? 笑わせようとしてるだろ? って感じになる。
唯一の希望は、バンバン撃ち殺して、スッキリさせてくれることなのだが、残念ながら爽快感は全くと言っていいほどない。ガンアクションがつまらんのよ。そのくせ、撃ったあとの銃創とかはCGで処理していたりする。気を使うのはそこじゃないよ(笑)。
ちなみに邦題に“マシンガン”とあるけれど、マシンガンを使うのは最後のほうにちょっとだけ。
ラストは続編を匂わすカットで終了。本気でやるかどうかなんてどうでもよくって、シャレというかネタ的に差し込んだだけ。いや、いいオチがつけられなかったから誤魔化しただけかも。
いやぁ、本物の“グラインドハウス”を観た!って感じ。せめて、おもしろ吹き替えくらい付けようよ、日本の配給会社さん。
公開年:2009年
公開国:アメリカ、フランス
時 間:97分
監 督:グレン・フィカーラ、ジョン・レクア
出 演:ジム・キャリー、ユアン・マクレガー、レスリー・マン、ロドリゴ・サントロ、アントニー・コローネ、ブレナン・ブラウン 他
ノミネート:【2010年/第16回放送映画批評家協会賞】コメディ映画賞
コピー:この一言のために、懲役167年──
小さな町で警察官をやっているスティーヴン・ラッセルは、妻と娘と平凡ながらも幸せな生活を送っていた。彼は、幼いこと自分が養子あることを知らされて以来、自分の生みの親のことが気になっていた。スティーヴンは警察の権限をつかって情報を検索し、とうとう居場所を探り出す。なんと同じ町に住んでいることがわかり、さっそく押しかけるが、無碍に拒絶されてしまう。失意のスティーヴンは、その後、交通事故に巻き込まれる。それをきっかけに自分に正直に生きようと決意。“正直”とは何か。彼は実はゲイだったのだ。早速、妻にゲイであることを告白して離婚。ゲイらしく思うがままに生きはじめるが、とてもお金が掛かりすぐに困窮してしまう。すると、まともな会社勤めをやめ、詐欺師に転向。実はIQ169の彼には詐欺師は天職だったらしく、派手な生活は加速していく。しかし、さすがに度が過ぎてとうとう警察に捕まって収監されてしまう。彼はそこで、シャイでキュートなフィリップ・モリスという男性と出会い、即座に恋に落ちてしまう。はじめは戸惑っていたフィリップだったが、元々ゲイの彼は、スティーヴンの猛アタックで気持ちが傾いていく。しかし、スティーヴンの別の施設に移送されて離れ離れになってしまい…というストーリー。
完全に実話ってのは驚き(主人公のスティーヴンは今でも収監中)。舞台がアメリカなのに製作国にフランスが加わっているのも興味深い(リュック・ベッソンが製作総指揮)。完全にガチホモ話なので、人に薦めるとあらぬ誤解を受けそうだからなのか、いまいち一般的には知られていない作品かも。劇中の表現も直接的だし、家族や友人と一緒に観るのすらちょっと危険ではある。でも、意外や意外、ものすごく面白かった。
ゲイの感覚が分からないので、主人公スティーヴンに一切共感することはないのだが、そんなことどうでもよくなるほど、フィリップの近くに行くための努力が強烈。知能が高いというだけでなく、咄嗟の対応力が非常に高い上に、目的を達成するためにはいくらでも我慢が出来るという胆力の持ち主。もう超人のレベルで、力を発揮するベクトルを間違えなければ、まちがいなく希代の成功者になったであろうこと間違いなし。
ジム・キャリーの演技はバイタリティに溢れておりいつもどおり素晴らしいのだが、それ以上にユアン・マクレガーのなりきりが素晴らしい。もう、マジモノのゲイにしか見えない。この両者の演技は、まさに“競”演。キレッツキレ。
妻のデビーも地味におもしろい。カミングアウトされてブチ切れてそれっきりなのかと思いきや、以降もそれなりに電話でお互いの近況を報告したりしている。クリスチャン故に毛嫌いしそうなものだが、博愛精神的なものを発揮しちゃうという斜め上な感じ。
実際の妻がそんな対応をしていたか否かは不明だけど、作中では、スティーヴンが決して悪人ではないんだ…という設定上のいい味付けになっていると思う。
しかし、延々と詐欺行為や脱獄行為が連続するだけで、手を変え品を変えても、さすが終盤飽きてしまう。そしてとうとう、ゲイ故にHIVの宣告という年貢の納め時を向かえて、このストーリーは終結するのだ…と思いきや、最後にかましてくれた。事実だとしても、質の良い巧みな演出で綺麗にミスリードしてくれてありがとう…って感謝の気持ちすら湧いた。
本作は、もっと評価されていいんじゃないかな。お薦めしたい。
公開年:1982年
公開国:イギリス
時 間:93分
監 督:ジム・ヘンソン、フランク・オズ
出 演:スティーヴン・ガーリック、リサ・マックスウェル、ジム・ヘンソン、パーシー・エドワーズ、ビリー・ホワイトロー、ジョセフ・オコナー 他
受 賞:【1983年/第11回アボリアッツ・ファンタスティック映画祭】グランプリ
三つの太陽が大空に輝く異世界。かつては高潔な種族によって統治されており、太陽からの光がダーククリスタルにある水晶を通して、世界にくまなく力を及ぼしていた。しかし、ある時、大地震に襲われたために水晶が割れて、力を失ってしまう。その後、スケクシスとミスティックという二つの種族が生まれる。邪悪なスケクシス族は、その魔の手で世界を侵食。土地も城も荒廃させ、腐敗と汚職の蔓延する世界に変貌させてしまった。その一方で、スケクシス族には、ゲルフリングという種族に権力を奪われるという伝説があり、それを強く恐れる彼らは、ゲルフリング族を根絶しようと攻撃する。その攻撃よってスケクシス族はほぼ壊滅したが、唯一ジェンという少年だけが生き残る。ジェンはミスティック族の長老に救出され育てられるのだった。時が経ち、長老が死の床につくなか、ジェンに「水晶のかけらをみつけて、三つの太陽が重なる前に、元の水晶にもどせ」を告げられる。手がかりもないなか、ジェンは水晶さがしの旅に出るが、その頃、スケクシス族の皇帝が死亡して、権力争いが勃発し…というストーリー。
一切可愛げのないキャラクターばかりが登場するファンタジー作品。フランス作品であるリュック・ベッソンの『アーサーとミニモイの不思議な国』もそうだけど、こういうファンタジー作品に何か気持ち悪さすら漂うのは、ヨーロッパの決まり事なのかな(笑)。
別に日本みたいに無闇に萌えキャラにする必要は皆無だし、バカにしているわけじゃないんだけど、わざと気持ち悪くしようと努力しているようにしか思えないもので…。そういえば、ミニモイとゲルフリング族は質感が似ているな。
とはいえ、気持ち悪いベクトルのデザインは結構嫌いじゃなくて、特に、兵士ガーシムのデザインなんかは好きだなぁ。
同じキャラクターでも、シーンによってマペットの大きさを近影・遠影で使い分けたりして(着ぐるみの場合もあるか?)、世界観をつくることに腐心している製作態度には感服する。目動きなどはかなり精巧で、これを今CGを使わずに作ろうとしたらものすごい制作費が必要なことだろう。
世界観の構築に注力する一方で、ストーリーが『ロード・オブ・ザ・リング』に見られるようなありがちな展開で、その上、薄っぺらなのが残念。
(ネタバレだけど)
スケクシスとミスティックが実は元々同じ種族…という設定が、なんとも面白くない。根本設定なのだが、矜持もないしワクワクもしないクソ設定だと思う。ある意味、自業自得、自作自演で世界に迷惑をかけてるわけで、それをゴメンで済ませちゃうようなオチは、ダメだと思うよ。
技術とストーリーで出来映えに、天地の差がある作品。イマジネーションビデオだと割り切れば、かなり優秀(というか、そういうつもりでつくったんだと思う)。
#ゲルフリング族をみてたら、なぜか中川翔子が頭をよぎった。なんか似てるかも(口のあたりかな?)。
公開年:1992年
公開国:アメリカ
時 間:131分
監 督:クリント・イーストウッド
出 演:クリント・イーストウッド、ジーン・ハックマン、モーガン・フリーマン、リチャード・ハリス、ジェームズ・ウールヴェット、ソウル・ルビネック、フランシス・フィッシャー、アンナ・トムソン、デヴィッド・マッチ、ロブ・キャンベル、アンソニー・ジェームズ、タラ・ドーン・フレデリック、ビヴァリー・エリオット、リーサ・レポ=マーテル、ジョジー・スミス、シェーン・メイア、アリン・レヴァシュー、シェリリーン・カーディナル、ロバート・クーンズ、ロン・ホワイト、ミナ・E・ミナ、ジェレミー・ラッチフォード、ジョン・パイパー=ファーガソン、ジェファーソン・マッピン、フィリップ・ヘイズ、ラリー・ジョシュア 他
受 賞:【1992年/第85回アカデミー賞】作品賞、助演男優賞(ジーン・ハックマン)、監督賞(クリント・イーストウッド)
【1992年/第27回全米批評家協会賞】作品賞、助演男優賞(ジーン・ハックマン)、監督賞(クリント・イーストウッド)、脚本賞(デヴィッド・ウェッブ・ピープルズ)
【1992年/第58回NY批評家協会賞】助演男優賞(ジーン・ハックマン)
【1992年/第18回LA批評家協会賞】作品賞、男優賞(クリント・イーストウッド)、助演男優賞(ジーン・ハックマン)、監督賞(クリント・イーストウッド)、脚本賞(デヴィッド・ウェッブ・ピープルズ)
【1992年/第50回ゴールデン・グローブ】助演男優賞(ジーン・ハックマン)、監督賞(クリント・イーストウッド)
【1992年/第46回英国アカデミー賞】助演男優賞(ジーン・ハックマン)
【2004年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品
1880年のワイオミング。かつて強盗家業で悪名を轟かせていたウィリアム・マニーは、現在、二人の子供と農場を営み静かに暮らしていた。妻と出会ってから足を洗った彼だったが、3年前にその妻に先立たれてしまった。さらに、家畜は病気は伝染し続け、作物も順調に育たない苦しい生活が続いており、このままでは幼い子供達を育てることも困難に。そんな中、農場にキッドっと名のる若いガンマンが訪れてくる。彼は、とある町の娼婦が、二人のカウボーイに傷を負わされて一千ドルの賞金がかけたという噂を聞きつけ、その町へ向かっている途中だという。キッドは、マニーがかつて荒事をやっていたと聞き、助っ人を頼みにきたのだ。困窮していたマニーは、子供達を残してキッドに同行することに。マニーは、かつての相棒であるネッド・ローガンを誘うことを主張。賞金の分配が減ることを嫌ったネッドは反対したが、ネッドを連れて行かねば俺も行かないというマニーの態度に折れるのだった。その頃、保安官のリトル・ビル・ダゲットは、娼婦たちが振りまいた賞金稼ぎの噂に吸い寄せられて町にやってきた殺し屋たちを袋叩きにして追放していた。マニーたちが到着すると、同様にダゲットのターゲットに。酒場にひとりでいたマニーは、ダゲット一味に暴行され重症を負わされてしまう。娼婦たちに介抱されたマニーは、逃げ延びたローガンとキッドと合流し、賞金首の二人の射殺に向かうのだったが…というストーリー。
李相日監督がリメイクしたっていうんで、改めて観直そうと思い借りにいったら、旧作なのに値段上げられてた。TSUTAYAめ、抜け目無い商売したやがる。でも、その時は借りないで、再び旧作料金になったのでレンタルしてみた。
一線を退いたロートルが、生きるために殺し屋家業に再び手を染めるというお話。よき妻との出会いからすっかり変わってしまった男という設定なんだけど、じゃあ、再び殺しをやるって考えたときに、ものすごく苦悩するか?っていうとそうでもなかったりするのがリアルに見える。あくまで、性根から改心したとか、命の大事さに目覚めたとか、そういうわけじゃなく、大切な人を守りたいというか、その人が悲しむ顔をみ見るのがイヤだっただけ。
ローガンの妻が夫が連れて行かれるとおもってイヤな顔をしたことについては、さほど心を痛めることがないというね。この他者への共感の薄さが、さすが元無法者…っていう設定をよく表していると思う。実に巧みだと思う。
娼婦を傷つけたカウボーイも悪者なんだけど、それ以上にジーン・ハックマン演じる保安官が邪悪。表面上、正義の庇護者を装いながらも、実は悪人、それも確信犯という設定自体が秀逸すぎる。中盤までは、むしろ主人公のマニー側が、蚊帳の外みたいな感じで、ストーリーが進行していくのが、ユニークだと思う。
程度の差はあれ、保安官、賞金稼ぎ、娼婦、女衒と誰一人としてまともな堅気は出てこないというね。心情的に正義を振りかざすわけでもないし、格好良く退治するわけでもない。殺し方がベタベタで泥臭いのがすごくよい。“許されざる者”っていうのは、賞金首のカウボーイや保安官だけじゃなく、マニーたちもそうだ…ってことだ。
風邪をひいちゃっててダゲット一味にやられちゃうって、けっこうマヌケだと思うんだけど、そこですら哀愁のようなものを漂わせるのは、マニーが持ってる虚無感というか、人間性のベースにある闇みたいなもののが、クリント・イーストウッドの演技で伝わってくるからだろう。
へっぽこ脚本家だと、顔に傷をつけられた娼婦を、農場につれていっちゃいそうになるところなんだけど、全然そんな展開の気配すら見せないのがいい。単に、今でも死んだ妻を愛している…っていう以上のものがあると感じた。いくら改心したって、俺は“許されざる者”だから…みたいな達観すら漂う。
人生って汚れながら、そして汚れていることを認めながら、諦めながら歩いていくことなんだな…なんて感じさせてくれる作品。きっと、年齢を重ねれば重ねただけ観方が変わってくるんだろうね。名作だと思う。
公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:84分
監 督:ジョシュ・トランク
出 演:デイン・デハーン、アレックス・ラッセル、マイケル・B・ジョーダン、マイケル・ケリー、アシュリー・ヒンショウ 他
高校生のアンドリューの家庭は、寝たきりの母親と無職でいつも泥酔している父親との3人暮らし。学校でも孤立ぎみの彼は、中古のビデオカメラに生活のすべてを収めることだけを、唯一のたのしみに生きていた。ある日、同じ高校に通っているいとこのマットに誘われてパーティに出かける。そこで、思いきって気になっていたケイシーという女の子に声をかけてみるが、ビデオカメラをまわしていたことで、他の参加者にいちゃもんを付けら殴られてしまう。マットとアメフト部のスター選手スティーヴは、落ち込むアンドリューを元気付けようと、近くにある洞窟探検に誘う。そこで不思議な物体を見付け、それに触れたことがきっかけで、3人に超常的な能力が身に付いてしまう。はじめは、スカートをめくったり、車を動かしたり、軽いイタズラを楽しむ程度の3人だったが、ある日、彼らが乗っている車を執拗に挑発してくる車を、怒りに任せて横転させ沼に鎮めてしまう。何とか運転手は救出し事なきを得たものの、自分達の能力に危機感を覚えたマットは、力を使う際のルールを設けようと提言する。アンドリューにはその提言が納得できなかったが、渋々承諾。その後、空が飛べるくらい能力を開眼させた3人は、学校のタレントショーで密かに能力を使ったマジックを披露する。嫌われ者だったアンドリューも人気者になるのだったが…というストーリー。
突然超能力を身に付けてしまうお話はめずらしくもないが、未熟な若者の感情の起伏と絡めて暴走していく様子をうまく表現していると思う。『AKIRA』がそれじゃね?って思う人はたくさんいるみたいだけど、日常生活の中への織り交ぜ方は、スマートに演出できていると感じるね。
まあ、同じ能力を持っていても、持ち前の性格によって発現の仕方や使い方が違うっていうのも『AKIRA』と一緒か。アンドリューは非常につらい家庭環境の少年で、暗くて友達もいないわりには、それなりに折り合いをつけて生きていた方だと思う。父親が究極のクソ野郎で、あれだけアンドリューの心を折りまくっているのに、彼はよく踏ん張っている。むしろ感心するくらい強い少年だと思う。
それが、逆に能力を得ることで、我慢できない人間になってしまう。人間として、下卑ていってしまう…いうのが、ストーリー上、おもしろいのだ。
クモを殺すシーンなど、シリアルキラーが形成される過程を丁寧になぞっているのも良い。小動物を殺すことから、猟奇的な殺人を犯す人間が形成される…という演出が安易に見えるかもしれないが、幼少期の積み重ねがそういう人格を形成するのは事実。そこそこ成長した後だと、ちょっと不自然な気もするけど、超能力を得たという特異な状況なので、通常よりも加速度的に人格形成されていくと考えればよい。
いろいろ切羽詰まって強盗するに至るわけだが、そんだけ巧みに超能力を扱えるんなら、こっそりお金を浮かせて盗むとか、いくらでもできるやんけ…と思っちゃう。でも、母親が今にも死にそう、それもクソオヤジの怠惰のせいで。杓子定規の対応で薬も売ってもらえねえ…っつう追い詰められ方は、高校生が一線を超えるのには十分すぎる。暴走していく過程はごく自然に写る描写だったと思う。
加えて、メインの3人が欠けてしまうし、ラストも見事なバッドエンドというのは、ありそうでなかった展開かもしれない。
鏡を使ったカメラワークが多用されているが、好きな演出だ。奇を衒うだけではなく、しっかりした“普通の”映画の演出ができる監督だと思う。これはレンタルして観る価値あり…というか、抑えておく価値ありっていう表現が正しいかな。メジャー監督の誕生を間近で観た!って感じ。
公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:143分
監 督:ザック・スナイダー
出 演:ヘンリー・カヴィル、エイミー・アダムス、マイケル・シャノン、ケヴィン・コスナー、ダイアン・レイン、ローレンス・フィッシュバーン、アンチュ・トラウェ、アイェレット・ゾラー、クリストファー・メローニ、ラッセル・クロウ、ハリー・J・レニックス、リチャード・シフ、ディラン・スプレイベリー、クーパー・ティンバーライン、リチャード・セトロン、マッケンジー・グレイ、ジュリアン・リッチングス、マイケル・ケリー、ジェイディン・グールド、レベッカ・ブラー、アレッサンドロ・ジュリアーニ、ジャック・フォーリー 他
ノミネート:【2013年/第19回放送映画批評家協会賞】アクション映画男優賞(ヘンリー・カヴィル)
コピー:新スーパーマン、始動。
誰もが知るヒーローの、誰も知らない誕生の瞬間。
地球から遠く離れた惑星・クリプトン星では、高度な文明が反映した末、あらかじめ目的を刷り込んだ子供を計画製造する方法で、生命を育んでいた。星は長年にわたるエネルギー採掘のせいで、滅亡の危機を迎えていたが、そんな中、数百年ぶりに自然出産による赤ん坊が秘密裏に生まれていた。赤ん坊の父親は科学者ジョー・エルで、彼は長年エネルギー採掘を止めるように元老院に訴えていた人物。しかし、採掘を継続され、遂に星は爆発寸前の状態になる。元老院の無能さに堪忍袋の緒が切れた軍事担当のゾッド将軍はクーデターを起こし、ジョーにも協力を仰ぐが、彼は拒否。星の最後を悟ったジョーは、“コデックス”というクリプトンの秘密が詰まった物体を盗み出し、生まれたばかりの息子と一体化させ、遠く離れた地球へ息子を転送する。転送を阻止しようとするゾッドによってジョーは殺されしまうが、クーデターは元老院の反撃によって失敗に。ゾッド一派は宇宙墓場“ファントムゾーン”に追放されてしまう。しかし、その後クリプトン星は内部崩壊により滅亡してしまう。地球に到達したジョーの息子は、ジョナサンとマーサ夫婦に拾われ、クラーク・ケントとして育てられるが、徐々に超人的な能力が開眼し、日常生活に支障をきたすようになる。養父ジョナサンはクラークが人間社会に馴染めるように能力を使うことを硬く禁じてきたが、周囲の人間との違いに不安と孤独を感じながら成長した彼は、人とあまり関わりあいをもたずに放浪の旅を続けていた。そんな中…というストーリー。
地球の重力は低いのでパワーもスピードも有利な状況。それに加えて、地球の大気が体に合わないけれど、長年の訓練により克服したという設定。これが、実にリアルに感じられるくらい、主演ヘンリー・カヴィルの肉体は凄かった。おそらく長い時間をかけて作ったであろう、単なる見せ筋とは違う太い筋肉があまりにも素晴らしすぎる。さらに、赤パンツをやめるという慧眼によって、マヌケさが微塵も感じられなくなったデザインが相まって、カッコいいったらありゃしない。
スーパーマンさんが地球にきた経緯がうまく説明されていて、好感が持てる。CG技術の向上という要素も大きいけど、クリプトン星の様子にコント臭が感じられないのが良い。これまでの作品では、地球に落とされる経緯をここまでうまく説明できてはいなかった。リブートする意味があったと強く感じる。
ただ、そこまで技術があるんなら、両親も脱出できそうな気がしないでもなかったりして。また、反乱軍がすぐに鎮圧されちゃって、赤ん坊を飛ばさなきゃよかった…みたいな感じが、キン肉マンが地球に送られた展開みたいで、ちょっとニヤリとしちゃったけど。
#“S”の説明も、まあまあいい感じ。
幼少期のクラークは、無痛症で粗野な人とか、不注意な多動性障害者みたいな描写になってる。ちょっとどうなのかな?とは感じたけど、まあヘビーな生き様であることは描けていると思う。
『アイアンマン』のときもそうだたけど、“周期表に載ってない元素”って設定、アメリカ人は好きだよね。そんなの、大きいのに崩壊しない元素か、素粒子の組成レベルでからして異なる物質以外ありえないんだけど(手で持てる重さだから、大きい元素ってことはあり得ないから後者のはずなんだけど)。元素は宇宙のどこでも同じだとおもうけどね。アメリカ人って、基礎科学の知識が欠如した人が多いから、気にならないんだとは思うけど、きちんと説明しないと興醒めする日本人は多いと思うわ。一応SFだからさ。“元素”っていわなけりゃいいわけで、未知の合金とかにしておけばいいのに。
脇を固める役者が豪華すぎる。実父のラッセル・クロウだけでなく、育ての親にケヴィン・コスナーと、プロデューサーや映画会社の本気が伝わってくる。シリーズ化する気マンマンだ。
自分のアイデンティティや存在意義に悩む姿。自分の能力を隠し続け、感情を殺し続け、悪人やチンピラに手を出せないもどかしさ。それどころか満足に人助けすらできないという苦しさ。今回のスーパーマンは、ウルヴァリンに通じる魅力がある。これは、“バットマン”シリーズ並みに続くね。クリストファー・ノーラン製作でザック・スナイダーが監督。実にそれらしい作風だと思う。
じゃあ、いかにも続編の伏線ですよ…的なカットがあるのかな?と思いきや、バトルは、いきなり最終決戦の様相でフルスロットル。続編はどういう話にするんだ?と余計な心配がよぎるほど、一作入魂な感じも好感が持てた。素直に愉しめた作品。
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:99分
監 督:スティーヴ・ピンク
出 演:ジョン・キューザック、ロブ・コードリー、クレイグ・ロビンソン、クラーク・デューク、クリスピン・グローヴァー、リジー・キャプラン、チェヴィー・チェイス、セバスチャン・スタン、リンジー・フォンセカ、チャーリー・マクダーモット、コレット・ウォルフ、クリスタル・ロウ、ジェシカ・パレ、ケリー・スチュワート 他
恋人との同棲を解消したアダム、妻に浮気をされたニック、自殺未遂をしたルーの3人は、若いころから友人同士だったが、いまではすっかり悩める中年。3人は、アダムの甥でオタク青年のジェイコブを加えて、気晴らしに思い出の地である山奥のスキーリゾートに出かけることに。ホテルの部屋に備え付けられているジェットバスで、大酒をくらって一晩中大騒ぎした4人は、翌朝目が醒めると、24年前の1984年にタイムスリップしており…というストーリー。
日本未公開作品。ダメ人間がタイムスリップして、自分の人生を見つめ直し、変えようというお話。まあ、ありきたりの筋だね。おもしろくないわけではないのだが、1800円とって上映するレベルではないわな。
「きっとこれは、ジェットバスタイムマシンだ…」というセリフを言って、カメラ目線。こっち見んなって(笑)。そういうノリの作品だ。
タイムスリップしたあと、お互いは中年の姿に見えるのに、周囲に人からは昔の姿に見えている…とか、過去に存在しない未来人のジェイコブはそのまま見えている…という、極めてご都合主義的な演出上のルールについては、目をつぶろう。
頭から、未来を変えようという目的で行動するわけではなく、はじめは未来を変えないように過去と同じような展開を甘んじて受けるという規則で行動する彼ら。よくあるタイムスリップ映画のルールに縛られているのか、未来を変えちゃダメだ!っていう恐怖感すら覚えてるのね。自分の人生なんてクソだと思っているくせに、未来の自分は変える気がないという、微妙な感覚がおもしろかった。変えちゃだめだ!って行動しているのに、微妙にズレちゃう。だけど結局同じ方向性になっちゃう…っていう展開も愉快。うん。ここまではそこそこおもしろいの。
でも、あることをきっかけに、もういいや…変えちゃう!ってことになってしまう。描写は下品だし、記憶にはないことなんだからそいつが父親っていうのは理論的に変だし、どうも辻褄があわない流れに。
どうせクソみたいな未来なんだから変えちゃえ!ってノリだったんだけど、なぜか過去と同じ結果になっちゃうっていう流れの方がよかった気もするけど、それだとジェイコブの扱いが難しくなっちゃんだよね。キャラ構成がストーリーをおもしろくするのを阻害している感じがする。
で、最終的にかなり思い切ったオチが待っている。未来に戻った彼らは面食らうのだが、とてもうれしそう。記憶もないのにその状態になってうれしいかな? っていうか生活できるかな? 私には、全然、ハッピーエンドに見えないし、皮肉が利いてるようにも見えなかったし。色々、首を傾げることが散らばってる作品だった。
愉しい要素は結構あったんだけど、同じ量くらいマイナス要素もあって、プラマイゼロの凡作ってところ。
公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:84分
監 督:スコット・ハーパー
出 演:ウィリアム・カット、ディディ・ファイファー、ランディ・マルキー、ジェイソン・S・グレン 他
アメリカの田舎町に、正体不明の飛来物が二つ落下する。保安官のジョエルは、新聞記者のリーと一緒に落下現場に向かうが、そこにあったのは不時着した宇宙船。現場近くにはキャンピングカー暮らしをしている母子がいるはずだが姿はなし。動揺しているジョエルとリーの前にクモのような生物が現れ、ジョエルは餌食となってしまう。何とか車に退避して助かったリーが、そこから逃げようとすると、キャンピングカーに暮らしている娘タニーが車の窓を叩く。二人は新聞社まで逃げて、社にいた仲間たちと善後策を協議。とりあえず町の脱出を試みようとするが、行く手をエイリアンが阻み…というストーリー。
圧倒的に魅力ないキャラクター(というか役者)ばかり。B級どころかC級映画レベルで、演技もコント並み。キャンピングカーで暮らしている娘タニーなんかは、ヒロイン扱いにしたいのか、死亡フラグを立てたいのか、中途半端な一番の例。キャスティングプロデューサーの役割って重要だよね。
プロットも『エイリアン VS プレデター』のような構図で、目新しさは皆無。ハンター側がステルスモードを使うとか、ディテールまで一緒で芸がない。ここまで既存のイメージを踏襲してしまって恥ずかしくならないんだろう1か…なんて思ってしまうほど。
死亡フラグを立ててるつもり…、イヤな人間を演出しているつもり…なんだとは思うのだが、シナリオの台詞まわしがあまりにくだらなく陳腐。どうしたら“くだらない”“しらける”セリフになるのか? 脚本家をめざす人にとっては、立派な反面教師作品である。
例えば、禿げの黒人のおっさんは、頑なに出版社から出ないと主張するのだが、直後に、地下室のある家に住んでいるやつはいないか?と聞きはじめる。その後、記者のおっさんが、水路から逃げるのはどうだ? と意見すると、また黒人のおっさんは、頑なに出版社から出ないといいはじめる。誰かの家の地下室にいくためには、出版社から一回でなきゃいけないやんか。出版社から出るつもりがないんだから聞くなよ。もう、シュールなシナリオすぎて、狂人の書いた作品ですわ。
因縁のある変わり者のおっさんと、犬猿の仲なのに共闘する…っていう展開になるんだけど、いまいち盛り上がらないし(だって、すぐに他の仲間がやってきてリーがお荷物状態になるんだもん)、出版社のオーナーとの恋愛展開が差し込まれるのに、効果的に使えてないし…。
オチも、何がおもしろいのさっぱりわからない。センスなさすぎ。とにかく続編を作る気がマンマンな気配は漂っている(作られたかどうかはしらんけど)。「言葉の意味はわからんが、とにかくすごい自信だ」というキン肉マンでのセリフが頭をよぎった。
よほどC級作品マニアでもないかぎり、観る必要のない作品。技術的な問題だとは思うけど、ずっとオレンジっぽい画質で、目が飽きてくるし。
公開年:1982年
公開国:ポーランド
時 間:122分
監 督:クシシュトフ・キエシロフスキー
出 演:ボグスワフ・リンダ、タデウシュ・ウォムニツキ、Z・ザパシェビッチ 他
1980年代のポーランド。医学生のヴィテクは医者になろうという強い意志があるわけでもなく、気の抜けた毎日を送っていた。彼の母親は彼を生むとすぐに亡くなり、その後、父親に育てられたが、父はヴィテクが医者になることを強く望んでいたのだ。そんなある日、父の死の知らせが舞い込む。医者になるという目的を完全に失ってしまったヴィテクは、大学を休学してワルシャワへ旅立つことに。駅につくと、ワルシャワ行の列車の発車時刻。急いで切符を買い、走り始めた列車を全速力で追いかけるのだったが…というストーリー。
その後、①ギリギリ列車に乗れた場合、②駅員にブロックされて列車に乗れなかった場合、③列車に乗れなかったけどそこで同級生の女性と出会う場合…の3つの“if”がオムニバス形式で描かれる作品。『ラン・ローラ・ラン』の元ネタだとか。
大変申し訳ないのだが、私、あまりにもポンコツで、このオムニバス構成を理解できなかったの。ちょっと変だな…とは思いつつ、全部時系列でつながっている話だと思っていた。ああ“偶然”駅で同じことがおこってるんだな…、波瀾万丈な人生だな…と。駅の窓口で「学生一枚」って言って切符を買うんだけど、休学してるから学生だろ?ってノリで買ってるんだと思ってたし。
#白人の年齢が見た目でいまいち判断できないんだよね、私。
ちなみに本作は、『殺人に関する短いフィルム』と一緒に一枚のDVDに収められている。
(以下、ネタバレ)
一つ目のお話は、共産党の活動家になる人生。かつての恋人と再会していい感じの仲になるんだけど、実は彼女はレジスタンスの一味。結局、レジスタンスの居場所をチクったと思われて、関係は破綻してしまう。医者を目指しているときも強い意志はなかったが、共産党員になってもそれは同じ。自分の大切なものを奪われた!と激昂して、党の上役に殴り掛かっちゃうんだけど、ヴィテクが情勢を判断できないおぼっちゃんなだけ。
いずれのエピソードにおいても、この“意志の欠如”というところがポイントで、誰に影響されるか(出会うか)で、ヴィテクの行動は大きく変わってしまう。一つ目のお話では、スターリン時代を生き抜いてきた共産党幹部。
まるでヴィテクが無能な人間って書いてるように見えるかもしれないけど、実際は誰でもそんなもんなんだよね。人との出会いがどれだけ影響を及ぼすのか…っていうこと。
二つ目のお話は、駅の警備員を殴ってパクられちゃう展開(共産党から逃げて、荒れた末にパクられたんだと勘違いしてたわ)。服役中に知り合った人の誘いでレジスタンスに加わることに(一つ目とは真逆の立場に)。でも、またもやレジスタンス組織が手入れを受けて壊滅。たまたまいなかったヴィテクのせいにされちゃって、失意のどんぞこに。このエピソードでは、ヴィテクはキリスト教に目覚めて入信しちゃう。共産主義ともレジスタンスの考え方とも異なる宗教に傾倒する。でも、やっぱり彼は、このアンビバレントな状況にあまり疑問を抱かずに行動しちゃうタイプ。
三つ目のお話は、やっぱり思い直して復学する展開。同級生と結婚し家庭を築いて、幸せ満開に。そしてまったくのノンポリ人間になっちゃう。でも、恩師の教授の息子がレジスタンス活動でパクられて、教授自身も職を失うことに。教授から代理でフランスにいってくれない?とお願いされ、承諾するという流れ。一つ目、二つ目ではフランスには行けずに終わったけど、今度は行ける(家族を置いてまで行く)。さてどうなるか。
人間、これだけ着地点が異なるものか…と考えさせられつつも、まちがいなくどのエピソードにおいてもヴィテクはヴィテク以外の何者でもない。そんな風に描かれているのが秀逸で、人間のパーソナリティってなんだろうなと考えさせられる。主義・信条じゃないんだな…と。
すごく、即物的で下卑た感じに描かれているのに、なぜか童話みたいな雰囲気が漂っているのも特徴的。良作だと思う。
#あの爆発シーンって模型かな? 1980年代の東欧の作品だと考えると、なかなかのデキじゃない?
公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:104分
監 督:モーガン・オニール
出 演:ジョン・キューザック、ジェニファー・カーペンター、ダラス・ロバーツ、メイ・ホイットマン、ソーニャ・ヴァルゲル、マゲイナ・トーヴァ、キャサリン・ウォーターストン、ゲイリー・アンソニー・ウィリアムズ、マイケル・トレヴィーノ、シンディ・サンプソン 他
コピー:不気味な地下工場があった。
ニューヨーク州バッファロー。市警の刑事マイクとケイシーは、3年前から発生している娼婦失踪事件を捜査していた。これまで7名の娼婦が姿を消している。そこにニューハーフの娼婦が誘拐される事件が発生。その娼婦に接触した黒いセダンを特定し、持ち主が性犯罪者であることを突き止め、色めき立つマイク。しかし、令状を取って家宅捜索するものの、車の持ち主は障碍者になっており、犯行は不可能であることが判明。ナンバープレートがその家から盗まれており、例の黒いセダンに付けられている模様。意気消沈する中、マイクの17歳の娘アビーが行方不明になる。夜中に、恋人タッドがアルバイトをしているダイナーに出かけた彼女は、タッドと別れ話になって店を飛び出していた。そのときの彼女は派手なメイクと服装をしており、娼婦と間違えられて誘拐されたと思われる。必死に犯人の行方を追うマイクとケイシーだったが…というストーリー。
セブンのようなじめっとした画質。こっちの指もかじかんできるような寒さを感じる。実はバッファローには叔母さんが住んでいるんだけど、昔は遊びにこいとか留学しにきたら住ませてくれるとか言ってたんだけど20年以上没交渉だな。まあ、五大湖近辺だから冬はこんな感じだわな。
捜査中の刑事の娘が、意図的にターゲットになっていたわけでもないのに誘拐されちゃうという展開が、あまりにご都合主義。これがストーリーの主軸というのが稚拙だ。
この展開の場合、娘が機転を利かせてピンチをのりこえる…っていう展開が望ましいのだが、それほど知恵も発揮しないから、あまりおもしろくないし、ハラハラしない。姪が誘拐されたアレックス・クロスのやつ(モーガン・フリーマン主演の『コレクター』)と同じパターンなのだが、比較すると本作の陳腐さが際立つ。それにしても、わざわざ同じ邦題にするセンスの無さはヒドいかも。コレクションしているわけじゃなく、“工房”って感じなんだよなぁ。
最後の展開は、もの凄く驚く人がいると思う。でも決して褒められる展開ではない。
(以下、ちょっとネタバレ)
共犯者がだれか、もしくは共犯者がいるとは、誰も思わなかっただろう。そういう意味では成功しているのかもしれないのだが、ああ、そういうことか!あれは伏線だったのか!ってな感じにはならない(ここは、もうちょっと工夫してほしかったなぁ)。むしろ、無理やり奇を衒った感じで、それをやっちゃぁなんでもアリでしょ…って気分になる。
だって、それが許されるんなら、共犯は妻でした…とか、上司でした…とかでも、どうにでもできるんだもん。
#どういうオチ?と興味が沸いた人は観てくだされ。
救いもカタルシスもペーソスも何も無い作品だったかも(アビーがそれに気づいた…だけで終わっても何もおもしろくない)。ジョン・キューザックをキャスティングして、この出来映えか…と。
#結局、この女優さんは、そっち方向の役ばかりなんだな…と。CSIとか米ドラでは、犯人寄りの汚れが多いよね。
公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:106分
監 督:セス・マクファーレン
出 演:マーク・ウォールバーグ、ミラ・クニス、ジョエル・マクヘイル、ジョヴァンニ・リビシ、パトリック・ウォーバートン、マット・ウォルシュ、ジェシカ・バース、エイディン・ミンクス、ビル・スミトロヴィッチ、ノラ・ジョーンズ、サム・ジョーンズ、トム・スケリット、ブレットン・マンリー、ラルフ・ガーマン、アレックス・ボースタイン、ローラ・ヴァンダーヴォート、ジェシカ・ストループ、メリッサ・オードウェイ、レイ・ロマノ、ライアン・レイノルズ、テッド・ダンソン、セス・マクファーレン、パトリック・スチュワート 他
受賞:【2013年/第22回MTVムービー・アワード】コンビ賞(マーク・ウォールバーグ、セス・マクファーレン)
コピー:世界一ダメなテディベア、出没。動いて、喋って、オヤジになった。
1985年、ボストン。友達ができないさみしい少年ジョンは、クリスマスプレゼントでもらった唯一の話し相手であるテディベア“テッド”が、本当の友達になりますように…と祈る。するとその祈りが通じて、翌朝、テッドは人間のように動き喋り始める。生きているテディベアは、“一生友達”と誓い合った二人は、それ以降、片時も離れることなく友情を育んでいった。それから27年が経過。喋り始めた当時は一躍“時の人”なった二人だったが、いまではジョンはすっかりダメ中年。テッドも見た目こそ変わらないが、中身は下品なエロオヤジになっていた。約束どおり今でも一緒に暮らしている二人は、自堕落な生活を送っていたが、そんな様子に不満なのがジョンの恋人ロリー。4年も付き合っているのに、テッドの勝手な行動で生活をかき回されっぱなしで、一向に関係が進展しないことについに怒りが爆発。自分かテッドのどちらかを選ぶようにジョンに迫るのだったが…というストーリー。
有吉弘行の声優仕事は決してヘタなわけではないのだが、ぬいぐるみに人間臭さを持たせなくてはいけない重要なポイントだったこともあり、ちょっと力不足は否めない。セリフの文末が流れちゃう部分が多々あって、もうちょっと訓練すればよかったのにね…と残念に感じる。
かわいいぬいぐるみが主人公だが、子供とは一切観られまへん(そういう製作意図なんだけどね)。こういうエロ話には、安定のマーク・ウォールバーグ。この人とジュリアン・ムーアの『ブギーナイツ』コンビは、エロ作品と非エロ作品の両極端な振幅がはっきりしていてスゴイね。
テッドがぬいぐるみであることが最大の要素に思えるが、実は、ストーリー的にはぬいぐるみじゃなくて人間の幼馴染でも普通に成立する話だったりする。世間は生きたぬいぐるみを普通に受け入れちゃってるし、別に特別扱いもしていないからね。
そこに気付いちゃうと、おもしろくなくなっちゃうから、いろんな味付けをしまくる。かわいいぬいぐるみなのに超下品っていうキャラ設定はもちろんそうだし、若い人は誰も知らんだろ?って感じの『フラッシュ・ゴードン』ネタまで投入。
さらに、この話、たいしたオチにならないだろ?って観客に気付かれそうになったくらいに、むりやり誘拐犯ネタを差し込む。一応、伏線はあるんだけど、ストーリー全体からするとムリヤリ感満載。
いや、それはシナリオ上の狙いでしょ?っていう人もいるかもしれないけど、なぜかテッドヘマをすると逆に昇格させてしまう店長のくだりなんか完全に投げっぱなしで、理由の説明もなけりゃ、伏線になってるわけでもないし、何か仕掛けがあるわけでもない。
こういう荒い演出が、テッドのキャラクターを相まって、作品全体におもしろいドリフト感や、まさに“生きている”感に繋がっているんだと思う。失礼な言い方かもしれないけど、“偶然のおもしろさ”が爆発いている。
もしかすると、バッドエンドにしたほうが、伝説の作品になったんじゃないかな?とは思うけど、久々に素直に楽しめるコメディだった。
公開年:1994年
公開国:アメリカ
時 間:94分
監 督:ジョン・ウォーターズ
出 演:キャスリーン・ターナー、サム・ウォーターストン、リッキー・レイク、マシュー・リラード、スコット・ウェスリー・モーガン、ジャスティン・ホウェリン、ミンク・ストール、メアリー・ジョー・キャトレット、スザンヌ・ソマーズ、パティ・ハースト、ジョーン・リヴァーズ、ウォルト・マクファーソン 他
閑静な住宅街に暮らす主婦ビヴァリー。歯科医の夫と二人の子供を持つ、よき妻・よき母親だった。ある朝、彼女の家に、二人の警察官がやってくる。警察官は近所のヒンクル夫人が、卑猥ないたずら電話や郵便物に悩まされており、捜査しているという。心当たりがないと警察官を返し、その後、いつもように家族を送り出したビヴァリーは、自室から近所のヒンクル夫人にいたずら電話をかけ、卑猥な言葉を連呼するのだった。その日は、息子チップの高校でPTA面談がある日。面談で、担任教師からチップがホラー映画にかぶれすぎており行動に問題があることを告げられ、さらに家庭に問題があるのではないか?カウンセリングを受けた方がいいと言われ、彼女は激昂。帰宅する担任教師を待ち伏せて、車でひき殺してしまう。後日、バザー会場を訪れた彼女は、娘が恋しているカールという男子生徒が、別の女の子とデートをしているのを発見。不快に思ったビヴァリーはは、トイレでカールを火掻き棒で串刺しにして殺してしまう…というストーリー。
実は、本作、長らく観たくて仕方なかったの。どうしても見たいんだけど、日本ではDVDが販売されていなくて、レンタルビデオ落ちを見つけるしかない状態。それで、アメリカのamazonで探してやっと発見したんだけど、やっぱり字幕ないと厳しいよなぁ…って断念。あれから10年ほど経ってやっと鑑賞できた。
「まだ被害者は誰一人として賠償金を受け取っていない…」的な日本語字幕があるので、そんな事件があったのか…と素直に調べちゃったが、そんな事件はない。やっと観ることができて浮かれてたな。クソ、騙された。よく見ると“the story is completely fictional.”って書いてあるし。
いくらなんでもこんな実話あるか?こういうタイプの女性のシリアルキラーって聞いたことないぞ?いやいや小説は事実より奇なりっていうしな…なんて結構信じちゃったじゃないか。なんか腹立つわ。
ストーリーは大きく分けて2パートに分かれる。前半はビヴァリーが犯行を重ねていく展開。独自の倫理観を振りかざし、それからはみ出る人間は容赦なく殺していく。にっこりと。ビデオを巻き戻さない客に腹を立てて(厳密にはバイトしている息子に逆らった客なんだけど)、その人の家にまでいって殺すんだけど、「巻き戻せ~~!!」って言って殺すんだもの。
自分が犯人だとわからないような工作はほとんどしない。担任教師はひき殺しっぱなしだし、ビデオ巻き戻さないババァ人目につかないように忍びこんだりはするんだけど、それは犯行を見つからないようにするためではなく、すみやかに殺すための手法でしかない。自分には非がないと思い込んでいる確信犯という設定なのかな…と思っていたのだが、犯行を屋根から見ていた人のことは追いかけて口封じしようとするところを見ると、そうではない模様。彼女は、家族にだけは(特に息子には)殺人者であることを知られらたくないっていう行動原理があるってことに気付く。
まあ、もちろん家族は気付かないわけがないのだが。
後半は、裁判になるが自分で弁護するという展開に。頑なに自分は犯人じゃないというビヴァリー。自分のやったことが正しいことだ!と主張するわけじゃなく、検察側の証拠や証言をどんどん崩していく無双っぷりを発揮する。これは彼女が確信犯ではなく、自分のやっていることが社会的に許されることではなく、自分の倫理観を振りかざしてしまうと有罪になってしまうことを理解しているということだ。でも、家族には自分はやっていないの微笑むというこの怖さ。
最近の日本でも見られるが、犯罪者を崇める人物が出てくる社会現象が発生する。このシニカル要素とビヴァリーの狂人っぷりが並行して描かれるのがユニーク。公判中もシリアルキラーっぷりを発揮してイライラしまくる彼女は、秋には白い靴は履くもんじゃない!っつって、陪審員の女性にイライラする。
被害者の弟が、兄が殺されたことでクレームに来て、息子チップに喰ってかかるのだが、“シリアル・ママ”がTVドラマ化されると聞いて、おとなしくなっちゃうのとかは、やりすぎ演出かもしれない。さすがにここまでくるとコント臭が…。
(以下、ネタバレ)
で、無罪を勝ちとったのはいいけど、「どうしよう…」って狼狽する家族。そして、“白い靴”の女への怒りを爆発させるビヴァリー。ビヴァリーを演じる予定の女優の“こりゃ、マジもんだ”って顔。最初から最後までカオス状態を維持して、突っ走りきった作品。奇作だけど良作。
公開年:1978年
公開国:イギリス
時 間:124分
監 督:フランクリン・J・シャフナー
出 演:グレゴリー・ペック、ローレンス・オリヴィエ、ジェームズ・メイソン、リリー・パルマー、ユタ・ヘーゲン、スティーヴ・グッテンバーグ、デンホルム・エリオット、ローズマリー・ハリス、ジョン・デナー、ジョン・ルビンスタイン、アン・メアラ、ジェレミー・ブラック、ブルーノ・ガンツ、ウォルター・ゴテル、デヴィッド・ハースト、ウォルフガング・プライス、マイケル・ガフ、ヨアヒム・ハンセン、スキー・デュ・モン、カール・ドゥーリング、リンダ・ヘイドン、リチャード・マーナー、ゲオルグ・マリシカ、プルネラ・スケイルズ、デヴィッド・ブランドン 他
ノミネート:【1978年/第51回アカデミー賞】主演男優賞(ローレンス・オリヴィエ)、作曲賞(ジェリー・ゴールドスミス)、編集賞(Robert E.Swink)
オーストリアのウィーン。長年にわたりナチスの残党を追いかけてきたリーバーマンの所に、ある男性の写真が郵送されてくる。その写真の送り主コーラも、ナチスの残党を追う青年だったが、彼は独自に、アウシュビッツ他強制収容所の人体実験で“死の天使”と称された元ナチス親衛隊将校ヨーゼフ・メンゲレ博士が南米パラグアイを訪れていることを突き止める。彼らの仲間が集まるであろう屋敷に盗聴器を仕掛けるコーラ。そこで、メンゲレ博士が発した命令を録音することに成功する。コーラはリーバーマンに電話をかけ、録音した内容を聞かせるのだった。その内容は「今後2年半の間に、西ドイツ16人、スウェーデン14人、イギリス13人、アメリカ12人、オーストリア9人、ノルウェー10人、オランダ8人、デンマークとカナダが6人ずつの合計94人の65歳の公務員を特定の日に殺せ」という荒唐無稽なものだった。内容の詳細を確認しようとするリーバーマンだったが、電話口でコーラは殺されてしまうのだった。不審に思ったリーバーマンは、65歳の公務員が死んだ情報をかき集め、遺族を訪ねて聞き取り調査を行うが、そこには、色白でブルーの目をした可愛げのない少年がおり…というストーリー。
現在だと、敵役をナチスにしたって面白くもなんともない(いろんな意味で)。1978年ころのナチスに対する社会認識はこんなものだし、ナチスを絶対悪としないと、成立しないお話なので仕方がない面はある。しかし、リーバーマンがナチスの悪行を論うのだが、それ誇張してないか?ナチス被害者だって言えば何でも通ると思ってないか?と感じる場面が散見される。当事者がハンターしているのだから別に悪くはないんだけど、イギリス人のナチス嫌いが画面から恐怖となって滲みでている感じなのだが、大戦後のイギリスとユダヤがやってきたことを鑑みれば、好き勝手やるために“ナチス怖し”を隠れ蓑にしていうような気がしてイヤな気分になる。だから、主人公リーバーマンに手放しで賛同できないことはいうまでもない。
ただ、そのおかげで、この善良そうなリーバーマンが絶対善には見えない…というのが、サスペンスの味付けとして非常に効果的。怪我の功名というかなんというか…。
ヒトラーの生い立ちを知っていると、早々にピンときちゃう内容だし、それ以前にヒトラーの生い立ちを知っている人なら、この映画の存在くらいは知っていたりする。私も本作は初見だったけど、内容は知っていた。でも、意外や意外、こんな有名な作品なのに、日本未公開だったりするのよね。
また、現代の科学知識をもってすれば、本作の遺伝子やクローン技術に関する情報が、かなりトンチンカンなのはまちがいない。しかし、その科学的知識の“ズレ”が、今観ている私の先読みする思考を微妙に狂わせてくれる。おかげで、オチは大体見えているのに、謎解きサスペンスとして非常に楽しめてしまう結果を生んでいる。これまた怪我の功名。
(以下、ネタバレ)
ヒトラーと同じ遺伝子の子はつくった、公務員の家で育てた、次は同じタイミングで父親を喪失しよう!って、口で言うのは簡単だけど実行するのは相当クレイジー。もし本作を15年前に観たならば、私はくだらね~って言ったと思う。家庭環境だけ同じにしたって、その他の社会情勢とか経済事情や科学の発展具合からの影響の方が大きいに決まっている。また、94人の両親がおなじ環境をキープできるなんでありえないだろう…とか、興醒めさせるツッコミどころは満載だ。
でも、逆に今は、そういう“計画”自体の怖さよりも、それを遂行しようっていう偏執的なパワーの方にリアリティを感じてしまう。宗教や思想をベースにしたテロだって同じようなもの。現在蔓延る、狂気を感じる犯罪に通じるものがある。
一周半廻ってってアリ状態の作品だった。難点はグレゴリー・ペックがナチの博士っていうのが、リアリティがない部分くらいだ。
公開年:2006年
公開国:アメリカ
時 間:98分
監 督:アレハンドロ・アグレスティ
出 演:キアヌ・リーヴス、サンドラ・ブロック、ショーレ・アグダシュルー、クリストファー・プラマー、ディラン・ウォルシュ、エボン・モス=バクラック、ヴィレケ・ファン・アメローイ、リン・コリンズ 他
コピー:いつ、あなたに、会えますか。
2006年。研修を終えてシカゴの病院での勤務が決まったケイトは、これまで住んでいた湖畔の一軒家からシカゴ市内に引っ越すことに。彼女は、次の住人に自分宛てに届いた郵便物の転送をお願いする手紙を郵便受けに入れる。その湖畔の家に引っ越してきた建築家アレックスは、郵便受けに入っていた手紙を見つける。その家は、かつてアレックスの父が、今は亡き母のために建てた家だったが、家庭を顧みなかった父のせいで家庭が崩壊したという苦い過去があった。しかし、この家は長いこと空き家で住んでいた人はいないはず。手紙の内容を不審に思いつつも、アレックスはケイト宛ての返信を送る。何度かやりとりするうちに、どうもケイトがいるのは二年後の世界である模様。半信半疑ながらも文通を続ける二人だったのだが…というストーリー。
時空を超えるポストという、恋愛ものとしては、なかなかブットンだ設定。それぞれ生活に悩みを抱える二人が、時空を超えて見つめあうというとてもユニークな展開が、独特のテンポを生んでいる。荒唐無稽な設定すぎるので、一周回って、素直にファンタジーとして愉しむことができる。
アレックス側の世界には、文通相手ケイトの過去の姿が存在しており、タイムトラベル物の禁忌を犯しているようにも思えるが、どっぷりとファンタジーなので気にならない。
ただ、ストーリー運びというか演出が結構稚拙。便宜上そうしたことは理解できるのだが、文通の様子を会話形式で表現しているところに、大きな違和感。手紙で違う世界の状況を説明するのは簡単ではないはずで、その辺は端折らずに丁寧に描いてほしかったのだ。むしろ、そこを丁寧に描いてこそ、恋愛モノとして盛り上がるのではないか…と。
また、同じ犬を飼っているという設定から、死亡フラグが立っているとしか思えず、あまりに露骨なので、それがミスリードであることを是非とも期待したわけだが、残念ながらその通りに話は進んでしまう。
そして、普通に手紙を出して万事解決というオチが あまりに芸が無さ過ぎた。ヒネリが無さ過ぎた。スッキリ感が無さ過ぎた。無い無い尽くしの結末が残念すぎた。
なんとか、もうひと練りすることはできなかったものか…。勿体ないなぁ…と、小言を10分ぐらい言いたくなる作品。勿体無さすぎてリメイクしたいい気持ちになる。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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