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image2027.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:146分
監 督:テイト・テイラー
出 演:エマ・ストーン、ヴィオラ・デイヴィス、オクタヴィア・スペンサー、ブライス・ダラス・ハワード、ジェシカ・チャステイン シーリア、アリソン・ジャネイ、シシー・スペイセク、シシリー・タイソン、メアリー・スティーンバージェン 他
受 賞:【2011年/第84回アカデミー賞】助演女優賞(オクタヴィア・スペンサー、ジェシカ・チャステイン)
 【2011年/第69回ゴールデン・グローブ】助演女優賞(オクタヴィア・スペンサー、ジェシカ・チャステイン)
 【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】主演女優賞(ヴィオラ・デイヴィス)、助演女優賞(オクタヴィア・スペンサー、ジェシカ・チャステイン)、アンサンブル演技賞
コピー:彼女たちの物語が、私を変える。私の物語が、世界を変える。

1960年代前半のアメリカ南部。ミシシッピ州。大学を卒業したスキータは、故郷の町であるジャクソンに戻ってきた。彼女は作家志望で、地元の新聞社に就職。初仕事は、家事に関するコラムの代筆の担当だったが、彼女には家事の知識はない。そこで、実家のメイドのコンスタンティンの知恵を借りようと考え、久々に家に戻るが、そこにコンスタンティンの姿は無かった。自分の育ての母親も同然の彼女が、自分の知らぬ間にいなくなっていたことに怒り心頭のスキータは、母親に理由を問い詰めるが、母親は言葉を濁すばかり。とりあえず、コラム執筆のために、友人エリザベスの家のメイドであるエイビリーンの知恵を借りることに。おかげで家事のコラム執筆は順調に進んだが、取材の中で、エイビリーンから雇い主のことを聞くにつれ、メイドたちに対する南部の上流社会の扱いに疑問を抱き始める。そんな時、同窓生のリーダー格であるヒリーが、黒人と同じトイレを使うのは不衛生だと主張し、メイド専用のトイレを作る活動を始め、それに影響されてエリザベスもトイレを設置するのだった。それでも、不満を口しにしない黒人メイドたちの姿を見て、心を痛めたスキータは、メイドたちの証言を集めて本を出そうと思いつく。しかし、エイビリーンは、それに協力したことがバレたら、身に危険が生じると取材を拒否し…というストーリー。

黒人差別をモチーフにした映画は、理不尽な暴力や陰謀、農奴的に側面を扱う場合が多いと思う。本作のように、各家庭に入り込み、“育ての母”としての存在がクローズアップされたストーリーを私は初めて観た。時代設定も公民権運動はなやかりしころだし、舞台はバリバリの典型的な南部なので、血なまぐさい展開になりがちだと思うのだが、エピソードは比較的穏健。逆に、それをカウンターバランスとして、一般家庭レベルにがっちりと絡み付いた差別意識を描いているところが秀逸だと思う。

非常にユニークなのは、メイドたちが子育ての中で、排尿・排便のしつけをしたり、黒人専用をトイレを作ろうとする話だったり、チョコレートパイにうんこをまぜる話だったり、いたるところにウンコの話ばかりだったこと。人間はどう着飾っても、絶対排便はする。それほど、黒人メイドという存在が、南部白人の歴史にがっちり絡み合っているという証を表現しているのかもしれない。

アメリカは、自分の国の皇帝が生まれないように、大統領を選出する術をあみ出した。しかし、ヨーロッパからフロンティア精神を持ってアメリカ大陸に渡ってきた彼らは、結局、貴族社会の構築に邁進したということだ。開拓者は“市民”としてほぼ平等。ヨーロッパ時代の門地などひけらかしてもどうしようもないわけだが、では、どうやって彼らが貴族になったか。自分の地位を高められないなら、下をつくればいい。そうやって黒人奴隷をかき集めて、相対的に貴族になったということだ。黒人奴隷=労働力という捉え方をしてきたが、黒人の存在こを自分を貴族たらしめる物なのだ…そう考えたほうがしっくりくるなぁ、と考えさせられた。

黒人メイドを育ての親と言いはばからず、家庭に入るだけが女の価値ではないと考えるスキータと、小さな不満の種火をくすぶらせ続けたメイドたちの小さな勇気。その二つが、別に白人社会を直球で糾弾すのではなく、日々行われている事実を淡々と書き連ねることで見えてくる白人の滑稽さを浮き彫りにするという、比較的穏健なムーブメントを生み出すのだ。

そういう“抵抗”をしながらも、メイドたちは、日々働き続け、そこで“ヘルプ”つ続ける。彼女たちを所有物のように扱う人もいるが、人間と人間として尊重する人もいる。あたりまえの行動なのだが、そういう人をメイドが心を通わすシーンを観るだけで、心が熱くなる。オクタヴィア・スペンサーとジェシカ・チャステインが連名で助演女優賞を多々受賞していてめずらしいのだが、観れば納得すること必至である。
対して、頑なに黒人を人間として扱えない人もいて、エイビリーンのラストは、その断崖が簡単にはなくならないこと(現在でもなくなっていないこと)を示唆して終わる。ヴィオラ・デイヴィスの演技も悪いわけではないのだが、抑え目のキャラなので受賞に至っていないのは仕方が無い。

146分とちょっと長めなのだが、観入ってしまって、時間を忘れた。黒人差別をテーマにした作品で、ここまで爽やかなのに鳩尾にズンとくる作品は他にはないな。極めて良作。

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出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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