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公開年:1941年
公開国:アメリカ
時 間:119分
監 督:オーソン・ウェルズ
出 演:オーソン・ウェルズ、ジョセフ・コットン、ドロシー・カミング、エヴェレット・スローン、アグネス・ムーアヘッド 他
受 賞: 【1941年/第14回アカデミー賞】脚本賞(ハーマン・J・マンキウィッツ、オーソン・ウェルズ)
【1941年/第7回NY批評家協会賞】作品賞
【1989年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品
テーマパークのような大邸宅“ザナドゥ”で、かつての新聞王ケーンは“バラのつぼみ”という謎の言葉を残して死ぬ。彼の生涯をまとめたニュース映画の製作が進んでいたが、製作者はその誰でも知っているような内容に不満を抱き、ケーンが最後に遺した言葉の謎にスポットを当てるように、記者トンプソンに指示する。彼は、二人目の妻で歌手のスーザン、後見人の銀行家サッチャー、ケーンの新聞社で右腕だったバーンステイン、かつての親友リーランド、大邸宅の執事など近しかった人物に取材を重ねるのだったが…というストーリー。
昨日に続き古い作品。『第三の男』より古くて、DVDの画質はものすごく悪い。オリジナルネガが紛失しているからだと思うが、デジタル技術でもうちょっと修復してほしい(まあ、ブルーレイでやるだろうけど)。
#でアメリカ国立フィルム登録簿には、上映ネガが登録されてるんだろうな。
映画検定的にいえば、近距離から遠距離までピントを合わせるパン・フォーカスってやつが有名だけど、それだけじゃなくて、幼少時代・青年期・晩年を、撮影技法を変えることで表現している所に、入魂のほどが覗える。
冒頭の臨終から、生い立ちを語るニュース映画を差込んで、「こんなんじゃダメだー」的に現実に話を戻し、そこから生い立ち探しが始まるという古臭さを一切感じさせない構成・編集。1941年っていたら、第二次世界大戦にアメリカが参戦したかしないかのころ。当時観たら、ものすごく斬新に感じたと思う。
私が資本主義社会に毒されているのか(笑)、一番マトモな人間はケーンに見えた。いや、ケーンだけがまともに見えるのだが、私の頭はおかしいだろうか。周囲の人間は、ケーンのことを傲慢で強引に思い通りに事を進めるいけすかない奴だと言っている。しかし、思い通りにならないことをケーンのせいにして、自分の愚かさを省みず、そのくせ彼を利用しようとしている。そしてその浅はかな計算がばれないように、時にはへりくだり、時には彼の傲慢を糾弾するという、ものすごく気持ちの悪い人間たちに見える。
薔薇の蕾のくだりは、画質が悪くて、燃えたのが何なのか非常にわかりにくかったが、まあ理解はした。彼が求めていたものが、母の庇護、簡単に言うと無条件の愛情を与えられるべき時期に与えられなかったってこと。しして、それが何と引き換えになったのか。その引き換えになったものを恨んでいたゆえに異様な浪費に繋がったんですよ…と。まあ、なんでそれが、あそこまで支配欲・権力欲を発揮することになるのか…については、実在の出版王ハーストというモデルがいたからだろう。
一見、我の強い人間も、結局は生い立ちや周囲の環境によって形成されているのだよ…という意味ならば、その観点には同意する。とにかく、ケーンに感じるシンパシーで、ストーリーにぐいぐい引き込まれたのは事実である。
そしてこの斬新な映画を、この時25歳のオーソン・ウェルズが初監督・主演してるっていうんだから驚く。青年から晩年のメイクもなかなか自然だし、技術的な穴は少ないね。製作年の古さと、それを感じさせないギャップという意味では、数ある映画の中では随一といえるだろう。見にくい面は否めないけど、それを押してでもお薦め。
負けるな日本
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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