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公開年:1987年
公開国:アメリカ
時 間:151分
監 督:スティーヴン・スピルバーグ
出 演:クリスチャン・ベイル、ジョン・マルコヴィッチ、ミランダ・リチャードソン、ナイジェル・ヘイヴァース、ジョー・パントリアーノ、ベン・スティラー、伊武雅刀、ガッツ石松、山田隆夫 他
受 賞:【1988年/第42回英国アカデミー賞】作曲賞(ジョン・ウィリアムズ)、撮影賞(アレン・ダヴィオー)、音響賞




1941年の上海。イギリス租界で生まれ育ったジェイミー少年は、学校の勉強よりも飛行機に夢中。日本とイギリスは開戦しており、日本軍はイギリス租界に迫ってきていたが、それでもジェイミーは日本の零戦に憧れており、零戦のパイロットになることを妄想していた。両親とともに仮装パーティに参加したジェイミーは、退屈になって会場を抜け出す近くの野原へ。そこには日本軍の一小隊が。日本軍の侵攻の手がすぐそばまで迫っていること実感し、ジェイミーの一家も上海からの脱出を決意するのだが、時すでに遅し。市街地に侵攻してきた日本軍の銃弾が飛び交いパニック状態になる中、ジェイミーは両親とはぐれてしまうのだった。命からがら自宅に戻ったジェイミーだったが、両親は戻ってこず、一人で家に残された僅かな食料で生き延びねばならなかった。その食料もすぐに尽き果て、街をさまようジェイミー。そんな彼をベイシーとフランクの2人のアメリカ人が助けるのだが、結局は彼らもジェイミーを売ろうとしていたのだ。家に金目のものがあるといって、売られることを避けたジェイミーは、2人を家まで連れて行く。しかし、既に家は日本軍に接収されており、出てきた日本兵に3人は捕まってしまい、収容所送りになってしまうのだった…というストーリー。

あの時代の租界という特殊な空間の雰囲気が、とても味わい深く表現されていると思う(もちろん実際の様子は知らないが)。それよりも、主演が、クリスチャン・ベイルだったことに気付き、驚いた。現在の彼の片鱗が、この時点でしっかりと見て取れる。冒頭から4年経ったとは思えないが、それは、スピルバーグの演出のせいであり、クリスチャン・ベイルの責任ではない。
#ベン・スティラーが、気をつけないと彼だとわからない。

本作は、イギリスの小説家バラードの体験が元になっているとのこと。原作と本作の描写が同じかどうかは不明だが、パールハーバーのころなので、この頃の中国は、国民党政府と共産党の間で内戦の真っ最中だし、上海以外の租界なんかはどんどん日本軍に押さえられている。
日本は、白人様の国々から不平等条約をやら経済ブロック化の餌食となり窮々とした状態。とどめのハルノートで開戦するしか道はなくなり開戦という流れである。
この頃の蒋介石政権は日独伊に宣戦布告。もちろんその後ろ盾はアメリカで、金も物資も供給されている。この頃から現在まで、アメリカが世界の燃焼促進剤であることは変わりがない。よく南京大虐殺といわれるが、何をもって“大”というかは脇に置くとしても、蒋介石の戦術はゲリラ戦法。軍事法規的にいえば、ゲリラ(民間人の格好をして市民に紛れた兵士)は殺されても、後で文句をいうことができない。戦争とは、統一したユニフォームをきたチーム戦で、観客が手をだしたら殺されても仕方がないというルールになっている。話は逸れるが、今、どこかの国が攻めてきて、他国軍が市街地を行進していたとする。それに対して、角材を振り回して殴りかかって、逆に殺されたとしても、あとで賠償を求めることはできない。非戦闘員の格好で攻撃を仕掛けたゲリラという扱いになるから。ちなみに、軍服とか統一した制服を着ていないと、捕虜になることもできない。
だから、本作の説明で、ジェイミーが捕虜になった…と書かれているものがあるのだが、市民が捕虜になることはありえない。彼らはあくまで収容されたのである。

何が言いたいかというと、子供の主人公の目を通した社会を描いていることが、事実考証的になにか不自然に感じられることの免罪符になっているな…ということ。だから、収容所内部の話ばかりで、パールハーバーと原爆投下以外の軍事的なイベントは語られない。
スピルバーグの意向なのかも知れないが、まったくもって日本軍が悪者として描かれていない。伊武雅刀演じる軍曹が、主要された市民に対して暴力を振るうシーンがあるのだが、癇癪もちのおっさん程度にしか描かれておらず、そういう傍若無人な振る舞いの後にも、ちょっとした人間らしい行動がワンセットで表現されていたりする。
#しかし、こういう演出がアメリカ人には不満に映った模様(まあ、奴らの感覚じゃ、理解は無理だわな)。

これは、一人の少年が生き抜くために、何をしてきたか、“人間”の何を見てきたか、どう変っていくのか…という部分に焦点を当てたいのであり、改めて戦争の裁きを行うためのものではないのだ、ということなんだと思う。逆に言えば、きちんと考証して、実は、中共がいうような大虐殺やそれに準じる残酷な行為などが、常態的に行われいたわけではない…という結果に至ったがゆえの演出方針というわけではない。

そういうノリを見切ってしまうと、うそ臭い描写も許容できるようになってくる。日本軍を真正面から悪者として描いていないからといって、日本描写が正しいわけでもない。ジェイミーの家にいた日本兵のシルク生地の浴衣みたいなのをきて、ねじり鉢巻の兵士集団とか(何のパーティやねん)。蘇州の収容所が、何やら巨大なスタジアムに見えたのだか、あんなもん当時存在したのか?とか。本当に蘇州の収容所に特攻隊がいたのか?とか。

蘇州の収容所に入ると、一般市民を強制労働させるくだりがある。そんなことをやったんならC項戦犯に該当するのだが、原作が体験小説ということを考えると、ある意味“告発”であり、かなり重い演出だと思う。しかし、そのシーンだけでその後、そんなシーンは出てこない。脚本家が事柄の重さを認識せずに、軽くさしはさんでしまったのかもしれない。

極めつけは、800㎞先の原爆の光が見えるたってところだろう。少なくとも、あんな形の光が見えることは、あり得ない。ただ、バラードが何か光るものを見たのは否定できない。原爆が上空の電離層に影響を与えて、光を見せたことはありうるから。でも、スピルバーグをはじめ、スタッフはその辺はよくわかっていなかった模様。まるでそう遠くないところに原爆が落ちたような(長崎と上海がものすごく近いよな)感じ。なにもしらない欧米人はこのシーンを見て、信じる人もいただろう、そんなわきゃないと思っている我々は、幻を見た…っていうシーンだと思うわけである。

過酷な現実の中で、子供らしさどころか人間らしさまで失ってしまうという展開なので、娯楽作品といってしまうと怒られそうなのだが、壮大なアドベンチャーであり、グローイングアップムービーだと思う。佳作。

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出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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