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image1978.png公開年:2011年
公開国:日本
時 間:95分
監 督:宮崎吾朗
出 演:長澤まさみ、岡田准一、竹下景子、石田ゆり子、風吹ジュン、内藤剛志、風間俊介、大森南朋、香川照之 他
受 賞:【2010年/第35回日本アカデミー賞】アニメーション作品賞
コピー:上を向いて歩こう



翌年に東京オリンピックを控えた1963年の横浜。海の近くの丘に建つ“コクリコ荘”で、大学助教授の母と妹と暮らしている16歳の松崎海。母親はコクリコ荘の切り盛りもしているが、現在は渡米中で、海が代行している。海は、あわただしい朝食の準備の中でも、なくなった父から教わった信号旗を掲げることは欠かさない。今、海が通う高校では、文化部部室棟の通称“カルチェラタン”の取り壊しを巡って学生たちによる反対運動が起こっていた。そんな運動などに興味のない海だったが、反対メンバーの一人である新聞部の部長・風間俊と出会い心を寄せ始め、次第に騒動に巻き込まれていく…というストーリー。

鳴り物入りで『ゲド戦記』の監督をやって、一発退場になるくらいのヘタをやらかしてしまった宮崎吾朗監督。なんといっても、ジブリのラインナップを身内が汚してしまうという、あるまじき所業。もう監督をすることはないだろうと思っていたけど、まわりのおじいさんたちはチャンスの手を差し伸べたか。

そういう釈然としない思いはあったが、結果的には大変おもしろく仕上がっていた。『耳をすませば』とかそういうジブリの恋愛系は興味なかったのだが、愉しめた。
好意を寄せる男女が実は兄弟なのでは?という流れと、寮存続で一丸となる流れで、観客が考えすぎないようにうまく意識を散らし、疾走感も作り出したのは評価したい。
“カルチェラタン”のくだりは原作にないオリジナルストーリーらしい。これがなかったら、兄弟疑惑の話だけになっちゃったわけで、そう考えると、このプロットを考えた人を高く評価せざるを得ない。これが宮崎駿によるものなのか丹羽圭子によるものなのか、それとも宮崎吾朗なのかは、不明。

ただ、TSUTAYAの無料雑誌みたいなヤツに乗っていたインタビュー記事に、宮崎吾朗監督が、父親の書いたシナリオが気に喰わなかったから遠慮なく手を加えてやったわ…みたいなことが書いてあって、何、こいつ調子こいてるんだ…と。そういうことは、ヒットする前に言えや、ヘタレが(笑)。小物臭満開の発言をしていて笑えた。やはり、ボンボンはボンボンなのかな。偶然うまくいった感が満載である。

多くの人が思っただろうが、このストーリーは韓国ドラマである。あり得ない展開だ、ワンパターンだといわれる韓国ドラマを観ている主婦たちが、それを観ている理由は、昔の少女マンガのノリを懐古的に愉しんでいるだけなのだが、まさに原作の少女漫画がその時代のものということ。で、本作の原作は実際に少女漫画なわけで、元々日本にあったものを日本でやりゃ、そりゃあ面白いでしょ…という戦略だったのか?これが意図的ならたいしたものなのだが、やっぱり偶然な気もする。

海の父親は朝鮮戦争で死んだという設定で、まるで日本が朝鮮戦争に参加したみたいに誤解されたかも。不自然に説明するのを避けたんだろうけど、これは、うまく説明する努力はしたほうがいいケース。LSTというキーワードが出てくるけれど、LSTが戦車揚陸艦であることは判らないし、それが第二次世界大戦後にアメリカ軍が日本に貸与していた物だということも判らない。そして、アメリカ軍の後方支援として輸送や機雷除去を行っていたことも、一般の人は良く判らないから、ポカーン状態である。
掃海で死んだのか輸送死んだのかすらよくわからない。掃海隊として死んだのなら任務上のチョンボだし、輸送で死んだのならかなりかわいそうだし、解釈によって印象が変わってしまう。
今だったら集団自衛権がどうしたこした、憲法違反ダーと、問題になること必至の出来事が、戦後のどさくさでおこなわれていた経緯や背景がわからないと、海の父の死のむなしさとか、出自が判らない状況の不安など、薄くなっちゃうと思う。

説明しないという点でいうと、“コクリコ”が何なのかも説明しない。いや、調べりゃフランス語のひなげしの意味ってことはわかるんだけど、下宿屋の名前につけるのはわかるが、タイトルにあるように坂の名前になってるのがわからん。劇中で、あの坂がコクリコ坂と呼ばれてる場面はないし。それに、主人公の海はなんでメルなのかもよくわからんし。舞台が横浜なのも、東京の理事長のところにいくまで、よくわからなかったし(私は、その帰り道に桜木町駅がでてきて、はじめて理解した)。
まあ、説明的なセリフで、客にメタな視点を沸かせて、冷めさせたくないのはわかるんだけど、その置いてきぼり感が心地よいといえるほどには達していないところが、残念。
1963年の関東で生きていたわけではないから、あの描写が正しいかどうかはわからない。ただ、一生懸命、考証したんだろうけど、違和感が満載なのはなぜか。東京オリンピックの1年前にしては、ちょっと古臭くはないだろうか。オリンピックの1年前の神田があんな狭くてごちゃごちゃか?

そして相変わらず、“ちょっとカメラ、寄りすぎ”っていう絵が多い。これは、『ゲド戦記』でも同じだったが、直っていない。いや、妙な不安感が生まれるのは事実なので、それを狙っているのかも…なんて好意的に観ようとしたけど、やっぱり違う気がする。
もう一度言うが、そういう違和感が“カルチェラタン”のくだりで払拭されている。これをを考え出した人が、本作のMVP。脚色賞を与えたい。観て損はない快作。

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出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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