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公開年:1977年
公開国:日本
時 間:141分
監 督:市川崑
出 演:石坂浩二、司葉子、大原麗子、草笛光子、東野英治郎、内藤武敏、武田洋和、浅野ゆう子、中村七枝子、一ノ瀬康子、佐分利信、加藤武、大滝秀治、上條恒彦、松村達雄、稲葉義男、辻萬長、小林昭二、ピーター、三木のり平、坂口良子、お七、池田秀一、三谷昇、荻野目慶子 他
昭和21年。終戦直後の引き上げ船で死んだ鬼頭千万太が遺した手紙を届けるために、金田一耕助は、千万太の故郷・獄門島へと向う。金田一は千万太の訃報を伝えると鬼頭家に客として迎えられる。その日は、島の千光寺の釣鐘が返却され、千万太の従兄弟である一(ひとし)の無事が知らせらるという吉事が重なっていた。翌日、千万太の通夜が行われたが、千万太の妹3人のうちの一人・花子が失踪。ほどなく、足を帯で縛られ、桜の枝からぶら下げられた花子の遺体が発見される。密かに千万太の戦友・雨宮から鬼頭家の調査を依頼されていた金田一は、3姉妹の出生に秘密があるのではと探り始めるのだが…というストーリー。
まだまだ市川崑祭開催中。いや、もう金田一耕助祭になってきた…。終戦直後の混乱という、金田一耕助シリーズにありがちなド直球の設定である。舞台は昭和21年なので、市川崑版としては3作目だが、エピソードとしては一番古い話になるだろう。
結局は5作品がつくられるが、3部作として有終の美を飾ろうとしていたらしく、その気合が随所に見られる。しかし、それを説明すると完全ネタバレになってしまうので、警告発令。
(以下、完全にネタバレ注意)
『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』と女性が犯人で、その情念が僻地の因習と絡み合った内容が続き、それに独特の市川演出が付加されて、もう様式美といっていいレベルにまで昇華されている。この流れで3作目も…ということなんだろうが、実は、『獄門島』の原作の犯人は女性ではない。3姉妹の全員を手にかけるのは和尚なのだ。
犯人を変えるなんて原作への冒涜、横溝正史を馬鹿にしているのではないか…と思ってしまうが、はっきりいってこの映画版の方が、オチとしてはしっくりくる。横溝正史が難色を示した…という話も聞かないので、むしろ面白がってOKしたんだろうなと思われる。
原作には、シリーズ唯一といえる金田一耕助の恋愛エピソードがあるのだが、軽く匂わすだけでそのあたりはバッサリと割愛。これも統一感を重視してのことかと。
市川版金田一シリーズとしての様式美といえば格好いいが、3部作としての概観の問題にこだわっただけと揶揄されても仕方のないところ。それをねじ伏せて、きっちり仕上げのはさすが市川崑。シリーズすべて140分前後あるのだが、まったくその長さを感じさせないのがスゴい。
#でも、ここまできっちり3作つくりきったのなら、4作目なんか作らなきゃよかったのに…と思うのは私だけか?
だが、結果として女性犯人を3作続けてしまったことで、マンネリと感じられてしまったという側面もあり、この点は皮肉というかなんというか。
もう1点、本作にまつわるエピソードといえば、俳句用語である“季違い”と“気違い”を懸けたキーワードについて。この同音異義語は、事件の謎を解く上で必須ポイントなのだが、如何せん“気違い”が放送禁止用語だったために、TV放映時にはピー音になったとのこと。いやいや、金田一が謎を解くきっかけになった根本のポイントがピー音になってしまったのでは、観た人は何がなにやらわかるはずもない。放送された日の人々のポカーンを想像すると、笑いを抑えることができない。
言葉狩りの馬鹿どもめ!と言いたいところだが、それ以前に、その状態で放送しようとしたTV局よ…。そういう意味では、本作は『病院坂の首縊りの家』並の“奇作”といえなくも無い。
まさか、明日も金田一耕助祭じゃねえだろうな!と声が聞こえてきそうだが、否定できない(笑)。
#それにしても、本鬼頭だ分鬼頭だと、本家・分家で簡単に片付いてしまうようなところに、偏執的な設定をくっつけるのが横溝正史は本当にウマい。今、クリエイターに必要なセンスはコレだよなぁ…。
負けるな日本
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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