[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
公開年:1975年
公開国:日本
時 間:106分
監 督:高林陽一
出 演:中尾彬、田村高廣、新田章、高沢順子、東竜子、伴勇太郎、山本織江、水原ゆう紀、加賀邦男、東野孝彦、石山雄大、海老江寛、沖時男、原聖四郎、小林加奈枝、三戸部スエ、服部絹子、中村章、常田富士男、村松英子 他
岡山県にある一柳家の屋敷で、長男・賢蔵と久保克子の結婚式が行われていた。式は、賢蔵の妹・鈴子が琴を披露するなどして、滞りなく終了。その夜、屋敷内に悲鳴と琴を掻き鳴らす音が響き渡る。親族が夫婦の寝室である離れへ行くと賢蔵と克子が血まみれで惨殺されていた。部屋には三本指で拭った血の跡が残されており、離れの庭には犯行に使われたと思しき日本刀が刺さっていたが、季節外れに積もった雪の上には足跡は一切無く、離れは密室状態であった。警察の捜査で、怪しい三本指の男が出没していたことが判明するが、その後の足取りは掴めず捜査は暗礁に乗り上げる。そこで、克子の父・銀造は、知り合いの探偵・金田一耕助を呼び寄せる…というストーリー。
本当に今日で金田一は終わりにする。
金田一耕助シリーズの第1作だから“ビギニング”みたいなものか(劇中で別の事件を解決して名は知られている設定になってるから、厳密に言えばビギニングじゃないけど)。だから、原作の舞台は昭和12年で一番古いんだけど、この映画も『八つ墓村』のように、舞台を現代(当時)に変更している。
本作の場合は、『八つ墓村』とは違って、単に、ロケ地やらセット・小道具を昭和12年にするのが大変だったから現代にしちゃっただけ…って気がしないでもない。だって、時代が持つ雰囲気を大事にしているようにはまったく見えないんだもの。
中尾彬が演じる金田一耕助はズボン姿。それで田舎町にやってきた異邦人の雰囲気が出ていればいいのだが、他にも洋装の人が多く出てくるのでその効果は無い(その効果を狙ったかどうかも怪しい)。もし、舞台の年代がもっと古く、こざっぱりとした洋服の人がめずらしく、村の中で浮きまくっているような状況になれば、ものすごくよかったと思うのだが(結局は、市川版の和装だって、異質な風貌の演出だからね)。
もし、このスタイルが成功していれば、後の金田一耕助像は大きく変わっていたと思う(それがいいかどうかはわからんが)。
で、『本陣殺人事件』というのは、和室で密室トリックを表現した作品として有名なのだが、根本的に原作のトリックに無理がある。実際に映像にしてみると、原作を読んで感じた以上に無理がある。
おまけに、本作でのトリックの表現があまりにもヘタクソ。本作を観て、「おお!すごいトリック!」と思う人が何人いるか。まず、いないと思う。ものすごく立体的な空間表現を要するトリックなんだけど、すごく薄っぺら(どうかんがえても、日本刀が欄間(っていうのか?)を越えるとは思えない。で、ひどいことに、本作では欄間を綺麗に越える映像が無い。
同様に鎌がどう機能しているのか、はたまた、このトリックの発動条件は何か、すべてが綺麗に描けていない。トリックがメインで、トリックをきっちり描けないなんて、どうしようもないよね。
これまで観た金田一作品は、トリックの巧妙さについて直球で勝負してはいない。むしろ、人の情念や我欲、舞台の持つ雰囲気を愉しんでいる。では、本作にある“人の心”は何かといえば、いい年したおっさんの極端な潔癖症。う~~ん。
トリック表現もだめ。人間ドラマもだめ。雰囲気もだめ。そういう意味では、映画版の金田一作品の中で、ズバ抜けてデキが悪いように思える。残念ながら観る価値はないかな。お薦めしない。
#鈴子ちゃんの死の意味が私にはわからん。
負けるな日本
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |