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公開年:2002年
公開国:ドイツ、アメリカ
時 間:101分
監 督:グレゴール・シュニッツラー
出 演:ティル・シュヴァイガー、マーティン・ファイフェル、ゼバスティアン・ブロンベルク、ナディヤ・ウール、マティアス・マシュケ、ドリス・シュレッツマイヤー、クラウス・レーヴィッチェ 他
コピー:暴発するヤバイ過去。
ベルリンの壁が崩壊する以前の1987年頃に、ベルリンで"レボリューション6”を名乗り、手製の爆弾を仕掛けるなどアナーキーな抵抗運動を繰り広げていた若者たちがいた。しかし、ベルリンの壁崩壊以降は、ティムとホッテの2人を残してバラバラになってしまう。22人はベルリン・クロイツベルグ地区マッハナウ通りにある廃屋で暮らしており、いまでも定職に就くことなく、細々と活動を継続していた。そんなある日、15年前に仕掛けたが不発に終わっていた爆弾が突然爆発し、空き家となっていた豪邸が吹っ飛んでしまう。警察は捜査を進めるが、その過程で6人が犯人であることが証明できるフィルムが警察に押収されてしまった。ティムとホッテは、現在は抵抗運動と全く無縁の生活をしている他の4人に連絡をとり、事情を説明。いまさら抵抗運動などに未練などないが、現在の生活を壊したくない4人は協力することに決めるのだったが…というストーリー。
主役級のティル・シュヴァイガーは、先日観た『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』でも主役を演じていた。この人、格好いいよね。ハリウッドでも売れそうなのに、それほどパッとしてない(ちょこちょこ出ているんだけど)。英語がイマイチなのかしら。
『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』と同じく、音楽のチョイスや使い方が良いと思う。ドイツ映画の好きなところの一つかも。
日本とかスペインの左翼活動家を描くと、どうも血なま臭くなるし、エログロ、内ゲバな話になっちゃって、こんな軽妙なコメディにはなり得ない。年代の差もあるかもしれないし、イツ人の国民性なのかもしれない。穿った見方をすれば、ナチスの悪行はナチスのせいであってドイツ国民のせいじゃございませんと決め込める性質の人たちなので、こういうノリの作品になっても違和感も抵抗感もないのかもしれない。
6人のうちのひとりは、いわゆる“転向組”で、資本主義の手先になったと揶揄されるのだが、それも、日本における転向組とはニュアンスが異なる。日本の場合、団塊よりもちょっと上の企業家なんかが、昔バリバリの左翼思想の持ち主だったりして、生きていてはずかしくないのか?と思うくらい洒落にならない転向ぶりで、コメディになんかできないレベルなのだが、本作の彼は、ただ金銭欲や支配欲求のままに生きてる人間らしい人間として描かれている。
まあ、いずれにせよ、若い人たちは、そういうノリが鼻につくことはないだろうから、気にしないのが良策だろう。
閑話休題。ホッテはかつて自分で仕掛けた爆弾で足をふっ飛ばしちゃって車椅子生活。ティムにすっかり依存しちゃってる。だから活動を継続しているってよりは自暴自棄になってダラダラと生活しているだけだったりする。やめた4人も、夫に逃げられた母親、薬中、金持ち狙いの高飛車女、すっかり資本主義に転向してリッチになった男と、もうかつての姿は見る影もない。だからかつての気持ちのまま生きているのはティムだけ。
それぞれの“今”を守りたいという一身で協力するんだけど、やっぱり昔を思い出してワクワクしちゃう彼ら。もう部活のノリ。でも、やっぱり現在の所得格差とか、子供がいるいないで価値観が違ったりして、端々でギクシャクしちゃう。おまけに、昔は恋愛関係で、いずれ結婚するんじゃないのか?なんて思われていた二人がいたりして、そこはそこで年甲斐もなく青春展開になったりする(青春展開になっちゃうのは、ティム側だけなんだけどね。いかつい彼の純情な感じがかわいいんだわ)。
とても無理っぽい作戦をどう遂行するか…が見所。その中で出てくる老刑事がいい味を出してくれるのだが、もっと早めに彼らに協力的なポジションに転化させればよかったかな…と思う。
終盤の展開はもうちょっとどうにかできそうなのにな…という思いことあるが、小気味よい爽やかな仕上がりだと思う。まさに小品良作。軽くお薦めしちゃう。
公開年:1973年
公開国:アメリカ
時 間:115分
監 督:マーティン・スコセッシ
出 演:ロバート・デ・ニーロ、ハーヴェイ・カイテル、エイミー・ロビンソン、デヴィッド・プローヴァル、リチャード・ロマナス、デヴィッド・キャラダイン、ロバート・キャラダイン、ヴィック・アルゴ、チェザーレ・ダノーヴァ、ジーニー・ベル、ジョージ・メモリー、マーレイ・モストン、ハリー・ノーサップ 他
受 賞:【1973年/第8回全米批評家協会賞】助演男優賞(ロバート・デ・ニーロ)
【1997年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品
ニューヨーク育ちの27歳のチャーリーは、叔父ジョバンニが経営しているヤクザまがいの会社の手伝いをしている。とはいえ、叔父の組織に真剣に忠義をつくすでもなく、仲間が経営するバーに入りびたるだけにだらだらとした生活を送っている。チャーリーには、ジョニー・ボーイという親友がいたが、彼は短気で仕事が続かず、稼いだ金もすぐにギャンブルや酒や女に使ってしまう男だった。とうとう高利貸しのマイケルへの返済で首が廻らなくなってしまい、取立てに追いかけられていた。そんな中、ジョバンニが、自分が経営するイタリア料理店をチャーリーにまかせようと思っていることを告げる。そろそろ自堕落な生活に区切りをつけて、まともな生活をするべきなのではないかと思い始めていたチャーリーにとって、その申し出は非常にありがたいものだった。しかし、ジョバンニはジョニーの素行を快く思っていないだけではなく、ジョニーの従姉テレサの持病のことを良しと思っておらず、彼らとの付き合いをやめるように暗に指示するのだった。しかし、実はチャーリーはテレサと密かに交際しており…というストーリー。
ハーヴェイ・カイテル演じるチャーリーがとても27歳には見えないわけだが、まあ、昔の人で且つ外人さんはそんなものである。
#今の人て、やっぱり見た目幼いのよ。
そろそろ30歳も見えてくるあたりで人生のことをまじめに考え始めるという、だれしも経験するであろう一つのターニングポイント。友や恋人を取るか仕事を取るか…と書いてしまうと薄っぺらになっちゃうが、うまく折り合いを付けて両方を並存させることができない状況。いままでマジメにやってきているというならば、テレサのことはどうにか説明できたかもしれないが、半ば穀潰しに近いチャーリーが、条件を出せる立場では一切ない。ましてジョニーについては、こいつは手が付けられないとチャーリー本人も思い始めており、イライラが募るばかり。とにかく、ジョニーはクレイジー(演じきったデ・ニーロは、さすがだよ)。
テレサにそんな事情を話すわけにもいかない上に、結婚してして光線は出しまくってくる。そうなったらスパっと別れちゃえばいいんじゃね?って思うかもしれないが、別れることで得るレストランは近所にあるわけで、チャーリーはニューヨークから離れることはできない。別れてもただただ気まずい生活がまっているだけじゃなく、別れ話をした段階で、怒ったテレサが親に話して、そこからジョバンニの耳にでも入った日にゃあ、すべてオジャンになりかねない。
元々は、自分のモラトリアム加減と怠惰さが生んだこととはいえ、どんどん追い詰められていく。
チャーリーがなんでジョニー・ボーイに肩入れするのか、そんな腐れ縁ともいえる深い友情はどこからくるのか…という部分が描かれていれば文句無しだったなと思うが、そこは明らさまに描写しないのが格好いい演出なんじゃん!っていうには理解できる。
このジリジリした感じに、いらいらして愉しめなかった人もいるかもしれないが、それは逆に感情移入しきっている証明だと思う。
一風変わったグローイングアップムービーともいえるし、破滅的なラストは、ニューシネマ的な空気を感じる。なかなか良い作品だと思うのだが、チャーリーの心の葛藤や、その苛立ちを表現する微妙なしぐさや表情にしっかり集中したいので、是非とも吹き替え音声で観たかった(残念ながら字幕のみ)。
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:94分
監 督:コリン・ストラウス、グレッグ・ストラウス
出 演:エリック・バルフォー、スコッティー・トンプソン、ブリタニー・ダニエル、デヴィッド・ザヤス、ドナルド・フェイソン、クリスタル・リード、ニール・ホプキンス、ロビン・ガンメル、ターニャ・ニューボウルド、J・ポール・ボーマー 他
コピー:そこには、愛も英雄も存在しない
ジャロッドと恋人のエレインは、ロスで成功したジャロッドの親友テリーに招かれ、彼のペントハウスを訪ねるが、テリーの派手な生活に面食らってしまう。かねてから苦しい生活をしているジャロッドを見かねていたテリーは、ロスで一緒に働かないかと持ちかけるが、それを知ったエレインは機嫌を悪くしてしまう。パーティの翌朝、彼らは部屋のブラインドから差し込む青白い閃光と奇妙な音で目を醒ます。その光をみたテリーの友人の一人が、一瞬で光に吸い込まれ姿を消してしまうのを目撃。街を見ると、巨大な飛行物体からたくさんの巨大生物が降ろされ、街を壊し、同様に人間を吸い込んでいる。ジャロッドもその光に吸い込まれそうになるが、テリーによってなんとか阻止。昏倒し苦しむジャレッドだったが何とか回復。しかし、あまりの出来事に彼らは途方に暮れてしまい…。
突然、光と共に地球外生命体が来襲…ってところは、このまえ観た『アタック・ザ・ブロック』などよくあるシチュエーション。巨大な怪獣的な生物に追いかけられるのもようある設定だが、特に『クローバーフィールド』に似ている感じ。壊れる街や宇宙生物がリアルに描けているのは認めるけど、それだけでヒットする時代じゃない。とにかく、二番煎じどころか三番煎じもいいところで、出がらし感が満載。TSUTAYA独占レンタルで一切苦情が出ないのは、このせいかななんて。
こうなると、派手なアクションシーンで乗り切るんが上策だと思うのだが、部屋の中に閉じこもって外の様子を眺めているシーンとか、とりあえず様子伺いしてるだけの時間が長い長い。
やっと展開するのか?と思ったら、軍がやってきて対抗する。それも結局、主人公さんたちが何かするわけじゃなく、軍の様子を見て「ひゃっほー!」っていうだけだし。
ラストもラストになって、宇宙人に支配されそうになってギリギリで救われたジャロッドが得た能力が発動。本当はコレがやりたかったのかな…と思う。この半人半異星人みたいな設定はおもしろいんだけど、いかんせん、その展開になるのが、最後の方すぎた。
ネタバレになるので言わないが、宇宙人がなんで人間を吸い上げてるのかの理由も少し明かされる。そこは結構おもしろい。生物としてのエイリアンの生態ゆえに、人間から見ればあまりに無慈悲な侵略シーンだけを淡々と描き、そこでハイブリッド種を登場させ、
エイリアン、人間、ハイブリッドの三つ巴という展開⇒すったもんだで人間とハイブリッドが共闘という流れに…ってのが、至極自然なシナリオだと思うんだが。
続編が確実に決まってるならこれでもよいのだ、そうでなければ投げっぱなしにもほどがあるかな…と。
公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:114分
監 督:ブライアン・シンガー
出 演:ニコラス・ホルト、エレノア・トムリンソン、スタンリー・トゥッチ、イアン・マクシェーン、ビル・ナイ、ユアン・マクレガー、エディ・マーサン、クリストファー・フェアバンク、サイモン・ロウ、ラルフ・ブラウン、ジョイ・マクブリン、リー・ボードマン、ベン・ダニエルズ 他
コピー:一緒に登って、一緒に戦え!
高低差1万メートルの大冒険!
農家の青年ジャックは、馬と引き換えに不思議な豆を手に入れる。ある日、お城の窮屈な生活から逃げ出したイザベル姫が、激しい嵐を避けるためにジャックの粗末な小屋に非難してくる。ジャックが、そこで豆を地面に落としてしまうと、みるみるうちに芽を出して、巨大なつるとなり、ジャックの小屋を巻き込んで天空めがけてどんどん成長していく。ジャックは小屋からころげ落ちたが、イザベル姫はそのまま上空に運ばれていってしまうのだった。翌日、姫の捜索にやってきたエルモント率いる王家の捜索隊がやってくる。彼らは、ジャックから事情を聞くと、豆の木を登って天空を目指す。ジャックも捜索隊への参加を志願し登っていく。多くの兵士を失いながらも、天空に浮かぶ陸地に到達。持ち上げられたジャックの小屋も発見するが、姫の姿は無かった。陸地に上がった一行が、姫を探し始めると、なんと巨人の襲撃を受ける。そこは、かつて人間界で共存していたが、追放された巨人族が暮らす国だったのだ…というストーリー。
若者が家畜と交換した豆がニョキニョキ成長し、空に浮かぶ巨人のいる国に到達するという、基本中の基本ははずしていない。でも、かつて巨人が地球にいたという設定や、お転婆なお姫様などのキャラや、その許婚のクソ人間・ロデリック卿を登場させたりするなどの工夫が非常に功を奏していると思う。特に、ユアン・マクレガー演じるエルモントという飄々としたキャラクターが非常に魅力的だったと思う。彼だけじゃなく、人間も巨人も皆どこかおとぼけムードを漂わせつつ、殺しあっているという雰囲気がおもしろい。
ロデリック卿が、巨人をコントロールして世界を牛耳ろうという展開や、空の国に巨人が住んでいるというだけでなく、巨人族と人間との、複数対複数という構図にしたのも良い。
ただ、中盤はちょっとダレる。巨人たちの知的レベルの設定に、ちょっとステレオタイプな童話の巨人像を当てはめすぎている所や、ジャックが地上に帰還する際の、落ちてる蔓から脱出するシーンに見られるような、力学的にいかがなものかと思う、ちょっとひっかかるシーンが散見される、童話なんだから気にしてもしょうがないはずなのだが、なにかひっかかるような演出になっている。中途半端にリアルなCGを用いているせいかもしれない。
また、巨人が姫を欲しがるということに感じる違和感。もっと冷静に考えれば、なんで地上を欲しがるのかという強固な理由も明確ではないと思う。いや、元から地上にいたんだからあたりまえだし、人間を攻撃するのは昔の恨みってことで、あたりまえでしょ…というかもしれないが、それでも、ちょっと弱く感じた。彼らを狂わせる何かを用意すべきだったと思う。例えば、だれかが巨人族の何かを奪い、それを探して降りてくるとかね。
とはいえ、そういう矛盾をうやむやにするくらい、巨人対人間のバトルは、愉しめたと思う。豆がけっこう残像しており、その豆が勝利の鍵になっているのもおもしろかった。
また、「後ろに何かいるのか?」の伏線とか、姫は貴族としか結婚できないという設定もきれいにクリアするなど、結構巧みなシナリオに仕上がっていると思う。そこそこ愉しめる作品だった。
#エンドロール付近。現代では、博物館にある…という話、いるかな?現代を舞台にした続編をやるならOKだけど(やんないでしょ?)
公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:142分
監 督:バズ・ラーマン
出 演:レオナルド・ディカプリオ、トビー・マグワイア、キャリー・マリガン、ジョエル・エドガートン、アイラ・フィッシャー、ジェイソン・クラーク、アミターブ・バッチャン、エリザベス・デビッキ、アデレイド・クレメンス、マックス・カレン、カラン・マッコーリフ、ケイト・マルヴァニー 他
コピー:その名はギャツビー 男の憧れ、女の理想 その人生は――【嘘(ミステリー)】
1920年代アメリカ。成功を夢見て故郷の中西部からニューヨークの郊外、ロングアイランドのウェストエッグに移り住んだニック・キャラウェイ。彼は証券会社に就職したが、本当は作家志望。いつかは夢を叶えようと思いながら、性に合わない会社員生活を送っていた。彼が借りている部屋の隣には、宮殿のような豪邸があり、毎晩のように豪華なパーティが開催されていた。豪邸の主は大富豪のジェイ・ギャツビーという男。ある日、まったく面識のないニックのもとに、パーティの招待状が届いた。場違いな場所に戸惑いつつも、謎の男ギャツビーについてパーティの参加者に探りをいれてみるが、誰一人として彼の素性を知る者はおらず、おまけにこのパーティが何の目的で開かれているのかすら不明だった。そんな喧騒の中、ニックは、屋敷の対岸に邸宅を静かに見つめる男がいた。その男こそギャツビー本人だったが、彼はなぜかニックに親しげに接し、生い立ちを打ち明けるのだった。裕福な名家に生まれた彼は、その後戦争に参加し英雄となり、両親がなくなった現在は天涯孤独だという。しかし、ニックはそんな彼の立ち振る舞いから、何かを隠していると直感し…というストーリー。
アメリカでは有名な小説とのことで、古典扱いの模様。1974年にも映画化されいるが、そっちは観たことはない(ロバート・レッドフォードだっけ?)。
彼は何者なのか?という謎解き的な雰囲気なのだが、冒頭はなかなかギャツビーは登場しない。なんなら実在しない人物なんじゃないの?って思うくらい登場しない。それだけ引っ張っておいて、いざ登場するものの、それほどアクの強くない人だったりする。何か嘘をついている…と狂言廻し役のニックがそういういうんだから、まあ、そうなんだろうと、納得するしかない。さて何を隠しているのか。ニックに何をさせようとしているのか。
(ちょっとネタバレだが)
金の出所やら出自については確かに不明で、そこになにか陰謀が!?とか思ったのだが、意外にも純愛の方向に舵が切られる。確かに予備知識のなかった私にとっては意外な展開だったのだが、だからといってインパクトを感じたわけではない。もっと、ギラギラとした生臭さと、純愛の振幅を描くべきだと思うのだが、前者が薄いから後者も生きてこないのだろう。
ナイーヴで一途で、とことん彼女のことだけを考えるギャツビーだったのに、最終的には肝心のデイジーまでが背を向けるという、何ともせつない悲恋へとストーリは変貌。さらに、デイジーを守ったが故に生んだ誤解が、決定的な悲劇を生む。でも、やっぱり彼の一途さ自体がしっくりくるように描けていないので、かなりの肩透し感がある。
失われた愛を取り戻そうと8年もがんばったのはわかるが、それしか方法が無かったのか。実も蓋もない意見になってしまうが、そんな常識はずれなことをするほど彼女に執着する理由は何?観客が、過去にそういう恋愛をしていたなら、たしかにそこまでこだわるわね…と納得できる描写があったか?無いよね。だから、ギャツビーの行動が、観客に奇異に映るので入り込めないのよ。
トビー・マグワイア演じるニックの狂言廻し役も中途半端な振る舞いで、どうしてもこのドラマを俯瞰で眺めてしまう原因にもなっていると思う。
しかし、こういう内容の作品を3Dで公開する意味ってあるかねぇ…。そのせいで、浮いたようなCG合成になっていて、いまいちしっくりこない。いまどき珍しいくらいのヘタクソさ。
特段悪いともいえないけど、映像と同様になにかピントがずれてるような作品。お薦めできない。
公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:130分
監 督:クリストファー・ノーラン
出 演:ヒュー・ジャックマン、クリスチャン・ベール、スカーレット・ヨハンソン、マイケル・ケイン、デビッド・ボウイ、パイパー・ペラーボ、アンディ・サーキス、クリスチャン・ベイル、マイケル・ケイン 他
ノミネート:【2006年/第79回アカデミー賞】撮影賞(ウォーリー・フィスター)、美術賞(ネイサン・クロウリー、Julie Ochipinti)
ノミネート:運命さえトリック
19世紀末のロンドン。二人のマジシャン、“グレート・ダントン”ことロバート・アンジャーと、“THE プロフェッサー”ことアルフレッド・ボーデンは、互いに尊敬しあうライバルだった。ある日、マジックのアシスタントでもあるアンジャーの妻ジュリアが、脱出マジックで死亡してしまう。彼女は両手を縛ったまま水に落とされた後、縄をほどいて脱出するはずだったのだが、縄がほどけず溺死してしまったのだ。縄を縛ったのがボーデンであったこに加え、“縄を二十結びにしたかどうか記憶にない”というボーデンの態度に激昂したアンジャーは、強く復讐を誓うのだった。その後、ボーデンはサラという女性と出会い結婚をし、さらに驚異的な“瞬間移動”のイリュージョンでロンドン中を熱狂させる。アンジャーはその秘密を探り出そうと、助手のオリヴィアをボーデンのもとに差し向けるのだったが…というストーリー。
二度目の鑑賞だが、何度観ても、本作は映画史に残る奇作だと思う。
妻を殺された憎悪に加え、マジシャンとしてのライバル意識が加わり、復讐の応酬が繰り返されるのだが、普通はこの流れだけで、十分に作品は成立する。マジックの本番に変装して現れ、相手のマジックを失敗させて貶めるという、昼ドラですか?ガラスの仮面ですか?っていう、陰湿な展開。
しかし、そこで作風に不釣合いなテスラさんが登場する(エジソンとテスラの争いも描写される)。ご存知だと思うがテスラさんは実在の人物。元々はエジソンの従業員だったが、エジソンと対立して袂を分かつ。でも、現在我々が使用している交流電気は、テスラさんが主張していた電送方式(エジソンは直流にこだわった)。おまけに晩年は、電線なしで送電する方法を考えていたともいわれる。宇宙で発電してそれを電波として送電しようって、現在研究されてるよね。それくらいテスラさんは天才だった。なんでこんなドロドロした復習劇にその天才が出てくるのか?
アンジャーは、テスラのある発明を利用するのだが、これを言っちゃうとおもしろくないので、是非観ていただきたい。まさかのSF展開に驚愕。そんなもん持ち出したら、謎解きもクソもあったもんじゃないだろうって思う人もいるだろうし、せっかくの復讐劇が台無しになったと思う人もいただろう。でも、あまりに憎悪をこじらせるあまり、クレイジー&クレイジーになっちゃうわけで、嫌いなノリじゃない。さすがクリストファー・ノーランってところ。ある意味、のび太がドラえもんの道具をつかってジャイアンに復讐するのと同じレベル。そんな道具があったら、もっといろんなことができるじゃない…。それを大真面目にヒュー・ジャックマンが演じちゃうんだもん。これを奇作といわず何といおうか。
で、ドラえもんの道具を持ち出されたら、クリスチャン・ベールにゃあ勝ち目はないだろう…って思うけど、そうでもないのがまた面白い。
好き嫌いは別れると思うが、こういうネジのはずれた狂人のお話は、個人的に好き。軽くお薦め。
公開年:1976年
公開国:アメリカ
時 間:128分
監 督:ジョルジ・パン・コスマトス
出 演:リチャード・ハリス、バート・ランカスター、ソフィア・ローレン、エヴァ・ガードナー、マーティン・シーン、イングリッド・チューリン、ジョン・フィリップ・ロー、アン・ターケル、レイモンド・ラヴロック、アリダ・ヴァリ、O・J・シンプソン、ライオネル・スタンダー、リー・ストラスバーグ、ルー・カステル、ファウスタ・アヴェリ、ステファノ・パトリッツィ、トーマス・ハンター、アンジェラ・グッドウィン 他
コピー:生と死の分岐点 カサンドラ大鉄橋へ驀進する 大陸縦断超特急-- そこで何が起こったのか!
ジュネーブにある国際保健機構に、3人の過激派ゲリラが乗り込み、アメリカの秘密生物研究室を爆破しようとする。しかし、警備員との銃撃戦となり、一人は射殺。残りの二人は細菌の研究室に逃げ込むが、そこで伝染性の細菌の入った瓶を割ってしまい感染。さらに一人は射殺したものの、もう一人の逃走を許してしまう。緊急事態の発生で、アメリカ陸軍情報部マッケンジー大佐が事態収拾に乗り出す。逃走したゲリラは、ストックホルム=ジュネーブ間の大陸縦断列車に乗り込んだことが判明。その乗客リストの中に、有名なチェンバレン医師の名を発見。さっそく無線電話で連絡をとり、おそらく感染して満足に行動できなくなっているであろうゲリラの捜査を依頼する。ゲリラは発見したものの、すでに感染者が出ていることを知ったマッケンジー大佐は、列車の行き先をポーランドのヤノフに変更し、そこで隔離することを決定。しかし、その途中には30年も使用されていない“カサンドラ・クロス”をいう鉄橋があり…というストーリー。
閉ざされた列車内、見えない感染という恐怖、政府の手によって抹殺されてしまうかもしれないという緊張感、さらに落下する可能性の高い鉄橋と、パニック作品としての要素は盛りだくさんである。
感染や隔離される恐怖でトラブルをおこす乗客、さらにワケありの客がやらかす展開で、感染を防ぐことができるのか?という軸でストーリーは展開していく。しかし、アメリカ陸軍情報部が、乗客たちを救う気があるのか?という疑問が生じ、やがて、人間同士の不信感ゆえの対立という構図になっていく。この構図が変わっていく過程での、ジリジリとした緊迫感は特筆すべき点かと思う。
(ちょっとネタバレだが)
本作が特徴的な点は、近年の作品にはあり得ないと感じるほどの、救いの無さだと思う。単純な「あー助かったー」ではないし、破滅的なオチでもない、リアル加減(というか微妙さ)がある。加えて、黒幕ともいえる政府機関の無慈悲な行動に対しては、一切溜飲の下がらないオチ(女性研究者の人は、ぐぬぬ…となるだけで、釈然としないで退場して終わりだものね)。それゆえに、他とは一線を画す作品となっている。
同時にその予定調和の無さが、作品全体の疾走間にも繋がっているといえ、後半は一気に観てしまった感じ。悪くなかった。最後、もう少しシニカルさを漂わせてくれればよかったかも。
ただ、冷静になって考えると(というか、観終わって邂逅すると)、あれ、なんかちょっと変じゃね?と思うのも、この作品の特徴かも。
いくら命令に従う任務を帯びているからといって、車体を溶接してまで隔離状態にしている列車なのだから、無線機が壊されて連絡不能になったという状況を鑑みて、一旦停止したところで何の問題もないはず。さらに、銃撃戦をするような状況にせねばならない理由は一つもない。万が一、白服側が全員やられてしまいでもしたら、感染者が車外に出てしまう可能性もあるのだから、銃撃戦による全面抗争は絶対に避けるべきなのに。
また、国際保健機関に設けられたこの問題の対策にあたっているのが3人という不自然さ。いくら隠密に遂行したいとはいえ、数百人単位で人を動かしているんだから、いくらなんで3人(実質は大佐一人)というのは、無理があるかと。
公開年:1997年
公開国:ドイツ
時 間:90分
監 督:トーマス・ヤーン
出 演:ティル・シュヴァイガー、ヤン・ヨーゼフ・リーファース、ティエリー・ファン・ヴェルフェーケ、モーリッツ・ブライブトロイ、フープ・スターペル、レオナルド・ランジンク、ラルフ・ヘアフォート、コーネリア・フロベス、ルトガー・ハウアー 他
除去不可能なほど脳腫瘍が肥大したマーティンと、末期の骨髄腫のルディは、偶然、同部屋でベッドを並べていた。病室でおかまいなしに喫煙するマーティンにルディはいらつき、はじめは険悪な雰囲気だったが、お互い死期が迫っている者同士であることが判ると、急速に距離を縮める。病室を抜け出し、食堂でテキーラをこっそり飲んでハメははずした二人は、まだ見た事が無い海に行こうと思いつき病院を抜け出す。駐車場にあったベンツを盗んで旅をはじめる二人だったが、そのベンツはギャングの所有物で、中には大金が積まれていたため、ギャングから追われることになる。思いつきで旅に出てしまった二人は、すぐにお金に困ってしまう。マーティンは、車に大金があることも知らず強盗を働き…というストーリー。
ハリウッドとは違うノリが実に小気味良い。お互い死ぬことが決まっていて、偶然にも同部屋だったから交流しただけであって、粗暴で女ったらしのマーティンと、パッとしない風体にうじうじした性格のルディは、あまりに性格も価値観も行動様式も違い、本来は絶対に交わることなどないはずだった。
死期が迫って自暴自棄ぎみになった二人によるロードムービーなんて、珍しくもないストーリーなんだけど、カー・チェイスや強奪劇は、それほど過激ではなく、軽妙にうまく描けていると思う。途中、スポット的に差し込まれる音楽もなかなかよろしい(The offspringの『Come Out&Play』みたいな曲だったけど、別の曲か?洋楽は詳しくない。すまぬ)。
この軽妙さと、二人はもう死んでしまうんだ…という重さとのバランスが、非常にいい味になっている。ただ死ぬんだ…という設定だけでなく、マーティンがちょくちょく発作を起こすのが効いているんだよね。そのピンチによって、ルディの行動にも影響を与えるし、後々その発作をウマくつかった脱出劇もあるし。
死ぬ前に自分がやりたいことを言い合うんだけど、その望みが片方のキャラクターが言いそうな望みなのがおもしろい(望みが何かは観てくだされ)。もう死期が迫っている二人ということで、成長や変化という部分は描きにくいテーマなんだけれども、その部分は“心の解放”という形で描かれていて、非常に好感が持てる。
最後、ギャングのボスは、なぜ二人を許したのか。二人の病状を知ったから…だけではちょっと弱いなと感じる。何らかの仕掛けか、泣きエピソードか、ここで一工夫あったら、最後の海のシーンもガツンを効いてきたことだろう。その点はちょっぴり残念かな。でも、是非お薦めしたい作品。
#劇中で“ヘルシンキ・シンドローム”という表現が出てくるが、“ストックホルム・シンドローム”ではないのけ?
公開年:1983年
公開国:日本
時 間:109分
監 督:村上龍
出 演:ピーター・フォンダ、広田玲央名、乃生佳之、渡辺裕之、根津甚八、リチャード・ライト、武田鉄矢、研ナオコ、小松政夫、青地公美、タモリ 他
ミミミとハチとモニカが、プールで遊んでいると、空から男が落下してくる。落ちて来た男は、超人的なパワーをもったゴンジー・トロイメライという宇宙生物だという。ゴンジーは宇宙に帰りたいと考えていたが、何故かパワーを失ってしまい戻れないという。3人はゴンジーを匿うことにしたが、ゴンジーの能力を利用しようとする“ドアーズ”という組織が付け狙っていた。ドアーズは、表向きは遺伝子工場とファミリーレストランと精神病院を世界中に展開する企業だったが、その正体は、人工単為生殖による男だけの社会を目指すカルト集団だった。彼らは、ゴンジーのの細胞を採取して、超人のコピーを作ろうと画策していたのだった。3人は、生まれ故郷に帰りたがっているゴンジーに協力することを決め、サイパンにいる知り合いのハングライダーをつかって空へ飛び立たせようと考えるのだったが…というストーリー。
村上龍自身で、原作・脚本・監督をしているのだが、職業映画監督じゃないからかろうじて許されているのかな…というレベル。劇中の楽曲提供者として、加藤和彦、来生たかお、桑田佳祐、坂本龍一、高中正義など早々たる面子が連なっており、タモリやら高橋幸宏なんかも出演している。お仕事というよりも、“お付き合い”として協力してくれたのだと思うが、これらの人々に申し訳ない気持ちにはならなかったのだろうか。逆に、そういう人たちも、軽いノリで出ただけだから気にしないで…っていう態度を取らざるを得ない作品。
テロップの文字フォントから、ライティングやカット割まで、どことなく日活ポルノ作品かよ…という感じで、実に安っぽい。それが狙いでそうなっているようには見えないのが、また心苦しい。
実は、こういうコメディチックな要素のあるSFの映像化は難しいのだ。筒井康隆の『日本以外全部沈没』なんかがいい例で、本で読めばものすごくおもしろいが、映像化した途端に輝きは半分未満になってしまう。良い本というのは、人間の脳内でおもしろい想像を喚起するもの。外から映像として押し付けられても、面白さに繋がらない。よほど、人の脳内で生まれた想像を上回るようなインパクトの映像を作らなければ、心を動かすのは難しいのである。村上龍はコメディの難しさを安易に考えすぎていると思う。
さらに、ちょこちょこはさまれる小ネタが、激烈につまらない。アドリブでもなく真剣に演じさせられている役者がかわいそうになるほど。もう、ずっとアブサンでも飲みながら監督してたんじゃないかと疑いたくなる。そして、その小ネタにエロ要素が挟まれると、思わず眉間に皺が寄ること必至。
#広田玲央名のヌードがまったくもって無駄の極み。
本当なら、日本4大トンデモ映画に入れるべきなのだが、全部、村上龍の責任において行われているといってよいので、それらと同列に扱われることすらないという、ミジメな作品。つまり、忘年会の出し物レベルで、評価にすら値しないということ。
この作品を観てから、ガイアの夜明けとか見ると、なんかせつない気持ちになってくる。
公開年:1998年
公開国:アメリカ
時 間:108分
監 督:ジョン・マクノートン
出 演:ケヴィン・ベーコン、マット・ディロン、ネーヴ・キャンベル、テレサ・ラッセル、デニース・リチャーズ、ロバート・ワグナー、ビル・マーレイ、キャリー・スノッドグレス、ダフネ・ルービン=ヴェガ、ジェフ・ペリー、マーク・マコーレイ、エドゥアルド・ヤネス 他
受 賞:【1998年/第24回LA批評家協会賞】助演男優賞(ビル・マーレイ)
フロリダ州にある港町ブルーベイ。女子高生ケリーは、教師のサムにレイプされたと訴える。小さな町ではたちまち大騒動となり、やがて争いは法廷の場に持ち込まれることに。ケリーの母親は町の実力者で、誰もサムの味方になろうとしなかったが、パっとしない小さな事務所を開いているボウデン弁護士が、彼に手を差し伸べる。一方、警官のデュケは、ケリーの同級生スージーもかつてサムにレイプされたことを突き止める。デュケは、スージーに法廷で証言させ、サムがレイプの常習犯であることを証明し、有罪に持ち込もうと考えた。しかし、いざ法廷で証言すると、ボウデン弁護士のきびしい追及を受けて、自らのレイプも、ケリーのレイプもすべて偽証であると発言。これにより、サムの嫌疑は晴れることとなった。その後、サムは示談金として850万ドルを得たが、高校は退職を余儀なくされてしまう…というストーリー。
上記のあらすじまでは、追い詰められ系のありきたりなストーリーなのだが、そこから先が、騙しのどんでん返し波状攻撃が続く(6、7回は続くと思う)。観客をいかに煙に巻くか…だけに注力した作品だといえる。悪く言えば後だしじゃんけんのオンパレードなんだけど、それを強引になぎ倒して、観客を納得させる力がある。やりすぎって思うかもしれないけど、逆にここまでやりきらないと中途半端になっただろう。
やろうと思えば、ケリー側の弁護士だって、学校の先生だって真犯人にできちゃうじゃない、稚拙だな…なんて、一瞬思うんだけど、あとから考えると、やっぱりよく練られていると気付く。普通のエロチック学園サスペンスのように見せてそうじゃない。ちょっと作風に不釣合いなビル・マーレイの配役もそうだし、珍しくケヴィン・ベーコンが、熱血漢役だな…とおもったが、そうは単純じゃなかったり、なかなか凝っている。
ラストも、「え~、ここまできて、ショボいなぁ…」なんて思わせておいて、エンドロールの種明かしを観たら納得できちゃう。なかなか満足できた作品。
本作、ケヴィン・ベーコン自ら製作総指揮してるんだけど、この人、映画で全裸になるの好きだよね…。彼だけじゃなく、エロシーンが多いので、家族と一緒に観てると気まずくなること必至。大人になってから一人で観ましょう。
公開年:2012年
公開国:フランス、アメリカ、カナダ
時 間:138分
監 督:ポール・トーマス・アンダーソン
出 演:ホアキン・フェニックス、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムス、ローラ・ダーン、アンビル・チルダーズ、ジェシー・プレモンス、ラミ・マレック、クリストファー・エヴァン・ウェルチ、ケヴィン・J・オコナー、マディセン・ベイティ、レナ・エンドレ 他
受 賞:【2012年/第69回ヴェネチア国際映画祭】銀獅子賞(ポール・トーマス・アンダーソン)、男優賞(フィリップ・シーモア・ホフマン、ホアキン・フェニックス)
【2012年/第47回全米批評家協会賞】助演女優賞(エイミー・アダムス)、撮影賞(ミハイ・マライメア・Jr)
【2012年/第38回LA批評家協会賞】男優賞(ホアキン・フェニックス)、助演女優賞(エイミー・アダムス)、監督賞(ポール・トーマス・アンダーソン)、美術賞(ジャック・フィスク)
【2012年/第18回放送映画批評家協会賞】助演男優賞(フィリップ・シーモア・ホフマン)
コピー:男はただ、信じようとした。
日本の敗北宣言によって第二次世界大戦末期は終結。海軍勤務のフレディ・クエルは、戦時中に自ら開発したカクテルにハマってしまいアルコール依存症になってしまい、軍病院のメンタルテストに引っかかってしまい除隊を余儀なくされてしまう。その後、カルフォルニアあたりで職を転々としていたが、依存症からは抜け出せないまま各地でトラブルを起こす毎日だった。そんなある日、たまたま目に付いた客船にこっそり忍び込む。やがて船員に見つかるが、その船で娘の婚礼パーティを催そうとしていた“マスター”と呼ばれている男は、フレディを許し歓迎するという。その男ランカスター・ドッドは、独自の哲学と方法によって、悩める人々の心を治療を施す“ザ・コーズ”という新興思想団体を主宰していた。フレディは、がこれまで出会ったことないタイプのトッドに興味を持ち、船を下りた後も彼の傍を離れなかった。そしてトッドも、行くあてのないフレディを無条件に受け入れ、フレディは団体の運営にも深く関わっていくようになるのだったが…というストーリー。
すったもんだあって、そのまま消えちゃうんじゃないかと思っていたホアキン・フェニックスが見事に復活。例の騒動の時のようにネジの外れた役柄だったのも功を奏している。なで肩というか肩幅が妙にに狭い感じの役作りもスゴイかった。
#ちょっと、メル・ギブソンっぽいくたびれかたになったね。
設定といい展開といい、実に掴みどころが無い内容。実にPTAらしい作品。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のノリに近いかも。二人の“狂人”としての渦が、時には混ざり合い、時には反発しあい、また別の渦を生んでいくような、そんな感覚に。
タイトルの“マスター”が何を指すか…が難しいところ。普通に考えればフィリップ・シーモア・ホフマン演じるトッドを指すわけだが、人生においての指針みたいな広い意味に捉えることもできるだろう。
特に、人間の依存体質のようなものに焦点が当たっているように思える。人間は何かに依存しないと生きていけないのだろうか。では、依存と師事・尊敬・参考との違いは何なのか。そもそも人間は何をもってアイデンティティを確立するのか。どうすれば確立したといえるのか。
フレディは自分が周囲とうまくいっていないことは、重々承知しているわけだが、何で自分がこうなのかは理解できずにいる。こうすればいいといわれても素直に受け入れられない自分のことも判ってる。とりあえず、従ってみてもいいかな…とトッドに対してだけは思えている。でも、やっぱりある程度心酔してみたものの、何かが得られたとは思えなくなり、離れてみたりもする(そりゃ、ほとんどインチキだから効果なんか出ないわけだが…)。
ちょっと怖いのは、その過程で、他者をコントロールしたくなるという業欲に、フレディもトッドも溺れているところだったりする。そして、この世には一概にはいえないかもしれないが、影響を与えている側と、与えられている側の二種類の人間がいるという事実である。
さて、横暴な態度とは裏腹に、じつはセンシティブなフレディの様子が綴られているのはわかった。で、この作品は何を伝えたいのだろう。実は私には答えが見えない。
何度か観るとみえてくるのかも知れないが、残念ながら、もう一度観せようと思わせる、画の力や、それこそ作品のランドーマーク的な興味深いシーンやエピソードは薄いように感じた。私にとっては、色々と難しい作品だったかも。
公開年:1985年
公開国:アメリカ
時 間:102分
監 督:ジョージ・A・ロメロ
出 演:ロリ・カーディル、テリー・アレクサンダー、ジョセフ・ピラトー、リチャード・リバティー、アントン・ディレオ、ハワード・シャーマン、ジャーラス・コンロイ、ゲイリー・ハワード・クラー、ラルフ・マレロ、ジョン・アンプラス 他
2XXX年。地球全土は、ゾンビで埋め尽くされた世界になっていた。フロリダ州郊外になる軍の地下基地では 生き残った少数の人間達が、ゾンビの研究と生存者の捜索を行っていた。基地には、女性科学者セイラ、無線技師マクダーモット、セイラの恋人ミゲル、ヘリパイロットのジョン、ローズ大尉と兵士、ゾンビ研究者のローガン博士、テッドらが暮していた。サラは死人がゾンビにならない方法を研究いており、ローガン博士はゾンビと意思疎通をはかり飼い慣らす研究していた。その研究のために、ゾンビを集めさせられていたローズ大尉らは、研究の成果がでないことにいらだち始め、軍人たちと科学者たちの対立が明確になっていき…というストーリー。
邦題には“死霊”とあるが、死霊でもなんでもなくゾンビ。本作は、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』⇒『ゾンビ』から続く3部作の3作目だが、私、前の2作の記憶が薄くなってる。
でも、ゾンビから逃げて生き延びることが主眼だったが、本作では研究用のゾンビの扱いの問題があるだけで、とりあえず基地内に入れば危急的に死ぬことはない状況で、これまでとはちょっと趣が違う。
その代わりにどういう対立軸が用意されるかというと、人間同士の争い。科学者と軍人は、“世界”の見方がまったくことなっており、それこそゾンビと人間くらい価値観が異なり、同じ人間ながらもまったく相容れることがない。だから、ゾンビ、科学者サイド、軍人という三つ巴ができちゃう。おまけに、科学者の中でも、マッドな人たちと、そうじゃない人(技師系を含む)たちでパックリとスタンスが違うもんだから、四つ巴状態。ヘリ操縦士とか技術系の人は、そんな研究しても意味なんじゃね?神のおぼしめしみたいなもので、受け入れるしかないんじゃね?という、諦めとも達観ともつかない感情になっちゃってる(まあ、ゾンビ40万人対人間1人くらいの割合っていうんだから、案外これが自然な感覚ではある)。これが、なんともいえないカオス状態と脱力感を生んでいる。
ゾンビの中にある人間時代の記憶という部分が扱われているが、これはなかなか扱いにくいというか、一歩間違えればすべてを台無しにしてしまうギミックだと思う。訓練されたゾンビが、人間の道具を使ったり、復讐(飼い主が殺されたことに対する反撃)をするシーンが、ゾンビらしさを失わせることに繋がってしまっているのではないかと。あくまで生体的な“反射行動”だと描くべきだったのではなかろうか。ちょっとうまく生かしきれていないかなと思う。
結局、その部分が良くも悪くも全体的なストーリーに対して何の影響も与えてはおらず、その証拠に、生き残った人間が、島でのんびりするというラストで終わってしまっている。
なんで、ゾンビさんたちが、引っ張ると、熔けるように体が裂けちゃうのか。ゾンビの力が強くって裂けてるって感じの表現じゃないのが、個人的にすごく気になる(というか、いまいち気に喰わない)。“肉の重さ”みたいなものが無いっつーか。
特筆して褒める部分は少ないかも。普通のホラー作品だったかな。
公開年:1995年
公開国:アメリカ
時 間:109分
監 督:ビーバン・キドロン
出 演:パトリック・スウェイジ、ウェズリー・スナイプス、ジョン・レグイザモ、ストッカード・チャニング、ブライス・ダナー、アーリス・ハワード、ジェイソン・ロンドン、クリス・ペン、メリンダ・ディロン、ジュリー・ニューマー 他
ノミネート:【1995年/第53回ゴールデン・グローブ】男優賞[コメディ/ミュージカル](パトリック・スウェイジ)、助演男優賞(ジョン・レグイザモ)
ドラッグ・クイーン・コンテストのN.Y.地区予選を勝ち抜き、代表となったノグジーマとヴィーダは、ハリウッドで開催される全国大会への出場権を獲得した。勝利の喜びを溢れさせたまま会場から出ようとすると、そこに優勝を逃し落ち込んでいるチチが。彼女のあまりの落ち込みように心を痛めたノグジーマは、チチも一緒にハリウッドに連れて行き、一人前のドラッグ・クイーンにしてやろうと提案。しかし、ハリウッド行きの航空券は二枚しかないので、連れて行くためには航空券を払い戻して別の交通手段に変更するしかない。優雅な旅を期待してたヴィーダは猛反対したが、かつてはヴィーダもチチと同じように中途半端でノグジーマに仕込んでもらったことを指摘され、渋々同意する。こうして3人は、航空券を払い戻したお金でポンコツのキャデラックを買い、ハリウッドに向かうのだったが…というストーリー。
ノグジーマがいくら情に深いキャラだとしても、見ず知らずのチチを連れて行く流れが強引すぎるな…と。ドラッグ・クイーン3人のロードムービーをいう企画ありきで、その流れに無理矢理持っていってるんだと感じた。
で、道中イヤな思いをしたりありきたりな展開になるのかな…と、ちょと飽き始めたところで、保安官に引き止められて尋問を受けてセクハラを受けて反撃。あら保安官を殺しちゃったわ!という展開に。ノグジーマのキャラクター的には逃げそうにはなさそうなんだけお、逃げちゃう。やっぱりありきたりだな…と、ますます興醒め。
でも、殺人犯として追いかけられるハードな展開にはならなかったし、逆に保安官が彼女たちを気に入って追いかけちゃう展開にもならない。その点はそれなりにユニークなのかも…と思っていると、車が故障して3人がド田舎の町にしばらくいないといけない展開に。ここから本作が至高の輝きを見せ始める。ノグジーマ、ヴィーダ、チチ、それぞれにエピソードの太い幹ができはじめる。これが実に秀逸。3人の行動が町の人々の心を変え始める。ノグジーマは夫から虐待されている女性と。ヴィーダは心を閉ざしてしまった映画好きな老婆と。チチは彼女を好きになってしまった青年とその青年が好きな少女と。彼女たちが実は男だ!とかいうことで、すったもんだがおきるんだろうな…と思うでしょ。でも、そんなありきたりなことはおこらない。
やっぱり細かいことは書かないでおく。で、ノグジーマと虐待されていた女性との別れのシーン。私、嗚咽を漏らして泣いてしまった。映画を観て「お゛お゛~~」って声だして泣いたの始めてかも。多くを語ることなく“心の解放”が表現されている、すばらしいシーンだったと思う。
超おすすめ。最後、なんでチチが優勝できたのか(出場権ないでしょ?それとも別の年度?)よくわからんかったけど、そこでもまだ私は泣いてたから、どうでもよかった。
パトリック・スウェイジの演技もよかったけど、ウェズリー・スナイプスもよくがんばってるね。彼のこういう演技に、お目にかかれることはもう二度とないだろう。
公開年:2012年
公開国:フランス、アメリカ、カナダ
時 間:95分
監 督:マイケル・J・バセット
出 演:アデレイド・クレメンス、キット・ハリントン、ショーン・ビーン、キャリー=アン・モス、ラダ・ミッチェル、デボラ・カーラ・アンガー ダリア・ギレスピー、マーティン・ドノヴァン、マルコム・マクダウェル、ロベルト・カンパネラ、ピーター・アウターブリッジ、エリン・ピット 他
コピー:封印された街 閉ざされた記憶 呪われた運命)
この謎を解くまで逃げられない。
ヘザーと父のハリーは、これまで街から街を転々と移り住み、身を隠すような生活を送っていたが、ヘザーの18歳の誕生日を目前に、またもや新しい土地に移り住み、おそらく長くはいないであろう学校に通い始める。ヘザーには何故か幼い頃の記憶が無かったが、その一方で夜ごとサイレントヒルという見知らぬ街で何者かに追われる悪夢を見続けていた。そんなある日、学校から帰宅すると父親が失踪しており、家の壁には“サイレントヒルに来い”という血文字が残されていた。ヘザーは、同じ日に転校してきた青年ヴィンセントと共に、血文字に書いてあったサイレントヒルへ立ち入ると、サイレンが突然鳴り響き、街は闇に飲み込まれ、この世のものとは思えない異形の何者かが現れるのだった…というストーリー。
今回観たのは2Dだけど、“3D”と銘打って公開された作品。あ、もしかして前作を3D化しただけで内容は同じか?なんて一瞬焦ったのだが、ちゃんと続編だった。私、ゲームとかやらないんでよくわからないんだけど、ゲームの続編を映画化したってことみたい。
主人公の娘は、前作でサイレントヒルから戻ってこれた女の子。母親(といっても実母ではない)は、サイレントヒルから戻ってこれないままの模様。改めて前作を観なくても思い出せる(というか、思い出した気になれる)ほどよい説明は、なかなか悪くなかったとと思う。
で、前作で娘だけは戻ってこれためでたしめでたし…だと思ったのだが、全然めでたしじゃなかった…というのが、本作の筋であり、謎の根幹である。表向きは父の奪還が目的なのだが、結局はヘザーの自分探しがメイン。
ここで少し残念なのは、製作に日本陣営がいなくなったこと。そのせいか、ジャパニーズホラーとまでは言わないが、ちょっとウェットな感情が絡まったいい雰囲気があったのに、本作では見事に皆無である。善と悪に二分された、片割れ同士のバトルという、いかにも欧米人が考えそうなギミック。
キャリー・アン・モス演じる教団のボス・クローディアは、探偵や自分の息子を差し向けてまで、ヘザーをサイレントヒルに連れてきたかったわけだが、連れてきて一体どうしたかったんだろう…実はよくわからん。アレッサとヘザーを融合させることで、恨みを解消し、サイレントヒルを消滅させたかったのだろうか?あの二つ合体させた印章みたいなのが欲しかっただけだろうか?印章によって怪物化するようだが、アレッサとヘザーを融合させるツールでもあるということか?だとしたらなんで、カルト教団の元リーダが半分もっていて、もう半分をヘザーが持っていたのか。その経緯は?
でも、融合したにも関わらず、サイレントヒルは相変わらず異世界に突入する描写のラストで終わる。なぜ、なにも変わってないのか?サイレントヒルを生んだのはアレッサの恨みではないのか?(あれ?それとも、また分離した?)
正直、細かいところを突き詰めて考えていくと、よくわからんね。この話。まさか、わけのわからない世界のお話だから、わけわからなくてもどうでもいいよね?とか思ってる?勘弁してほしいなぁ。
だるまさんが転んだナースとか、三角頭さんとか、私の好きなキャラは、前作に引き続き登場しているのはちょっとうれしいし、新キャラの生首キャリースパイダーさんなどの新参者もとても素敵。単純な気持ち悪さを超えた何かに、惹き付けられる。ただ、なぜか三角頭さんは、ひたすらヘザーの援護をしているように見えるのが、どういうことかわからんが。
うん。クリーチャーはおもしろいだけど、よくわからん。この話。だからといって、ちょっと観返す気にもならない。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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