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公開年:2010年
公開国:スウェーデン、フランス
時 間:102分
監 督:ハビエル・ルイス・カルデラ
出 演:オーラ・シモンソン、ヨハンネス・ファーネ・ニルソン
出 演 ベンクト・ニルソン、サンナ・パーション、マグヌス・ボルイェソン、フレドリク・ミア、アンダース・ベステガルド、ヨハンネス・ビョーク、マルクス・ハラルドソ 他
コピー:―街を楽器に! 音楽で世界を変革する―



音楽の才能にあふれる家族の中、一人だけ音痴として生まれた男アマデウス。家族からは異端・無能扱いされ、その疎外感からすっかり音楽が嫌いになってしまう。兄弟は著名な指揮者になったが、アマデウスは警察官になり、たまにある家族との付き合いが苦痛でならない。今では職場で同僚が仕事場で流す音楽すら拒絶するありさま。そんな中、街中で不審物が発見される事案が発生。不審物の中からは時計のような音がしたため、時限爆弾ではないかと騒ぎになる。しかし、アマデウスは何一つ慌てることなく不審物の包みを開け、中からメトロノームを取り出すのだった。彼にとっては、聞きなれた音でありながら、苦痛の対象であるがゆえに、簡単に判別できたのだ。これらの犯行は、あらゆるものを楽器にみたてて、即興で音楽を奏でることを目的として男女2人組の仕業で、目的のためならばどんな迷惑も器物損壊も厭わないという、“音楽テロ”ともいえる行いだった。2人は“四楽章の音楽テロ”と称した計画を実行するために、腕利きのドラマーを何人も集め、町中に犯行予告まがいの貼り紙をしていく。その第一楽章の舞台は病院で…というストーリー。

冒頭のシーンが凄い。タイヤの走行音をベースにして、車に積んだドラムとセッションするのだが、とてつもなく恰好が良くて、鳥肌が立った。2人の他にもポンコツドラマーをスカウトしてくる(一人はティンパニー奏者だけど)。なんでリズム体だけやねん…とは思うが、地下室のファーストセッションとか、これも無茶苦茶恰好よい。昔、日本のロックバンドのドラマーが4人ぐらいでセッションしてるのをテレビで見た記憶があるけど(プリプリの富田京子とかがいたような)、それとは比較にならん。

その勢いをそのままに手術室に不法侵入してセッション。医療器具はもちろん病人の体をも駆使してリズムを刻んでいく。途中で心肺停止しちゃうけど、蘇生させてセッション継続。もうバカバカしいけど。彼らの狂気がよく表現できていると思う。

彼らテロ集団と警察のドタバタ喜劇…、単純にそういう内容だったら、よかったのかもしれない。問題は音痴のアマデウスという人物の行動である。異様に音楽を嫌うという設定は何の問題もない。ところが途中で、音楽テロ集団が楽器として使った物体が生ずる音だけ聞こえなくなるという、奇妙な現象が彼の耳に発生する。このギミックがイカン。アマデウスの精神的な疾患なのか、ファンタジー的な演出なのか、よくわからない。

(以下、かなりネタバ)
アマデウスは音楽は大嫌いで、この世から音がなくなればいいとすら思っている。音楽テロ集団が使ったものは音を発しなくなるなら、この世界を彼らの楽器にしちゃえば、俺、もう一生音を聞かなくて良くなるんじゃね?という発想が生まれ、音楽テロ集団に街全体を使って音楽を奏でさせようとする。
これがおかしい。音楽=音じゃないでしょ。生活音まで何も聞こえなかったら、まともに生活できない。刑事なんか続けられない。それが目的なら、鼓膜でも破ればいい。
都合よく音楽だけ聞こえなくなるという矛盾もある。その設定なら、会話だって不可能でしょう。

ということで、音楽テロ集団の狂気の行動がとても楽しく格好良い一方で、変なギミックでわけがわからなくなってしまった作品。練りが甘い。奇抜な発想だったのに、もったいない。

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公開年:1986年
公開国:日本
時 間:85分
監 督:岡本喜八
出 演:古谷一行、財津一郎、神崎愛、岡本真実、殿山泰司、本田博太郎、今福将雄、小川真司、ロナルド・ネルソン、ファーレズ・ウィッテッド、レニー・マーシュ、ジョージ・スミス、小川真由美、唐十郎、利重剛、ミッキー・カーチス、細野晴臣、山下洋輔、タモリ 他





南北戦争が終結して、開放されたはずの黒人奴隷ジョーだったが、相変わらず白人たちから迫害されるので、うんざりして旅に出る。すると、バーモント付近で弟サム、従兄ルイ、叔父ボブと偶然出会う。3人は彼らはニューオリンズから船に乗り、故郷のアフリカへ帰るという。しかし無一文。船賃を稼ぐために楽隊でもやるかということになった。ボブはクラリネット、ルイはコルネット、サムは太鼓、ジョーはトロンボーン。道中、練習するうちに、だんだんニューオリンズで流行っている“ジャズ”っぽくなってきた。その後、メキシコ商人に騙され、香港行きの船に乗せられる4人。4ヶ月経った頃、ボブが病死。このままでは全員死んでしまうと思った3人は、大嵐のどさくさに紛れてボートで脱出。そのまま流されて、駿河湾の庵原藩の浜に打ち上げられる。3人は医師・玄斉のところに運び込まれるが、何やら楽器のようなものを所持していると、庵原藩の藩主・海郷亮勝に報告が入る。亮勝は、ひそかに篳篥を吹くのを生きがいにするほどの音楽好きで、是非とも3人に会いたいと希望するが、家老の石出九郎左衛門は認めない。そうこうしているうちに、幕府から黒人たちの処分を亮勝に一任するという沙汰が下る。そこで、3人を城の地下にある座敷牢に住まわせることに。死んだボブのクラリネットを譲り受けた亮勝は、その日からセッション三昧となり…というストーリー。

筒井康隆の作品は『幻想の未来』とか『時をかける少女』『筒井順慶』など角川文庫になっているのをかなり読んだ。あまり小説を読まない私だが、筒井康隆と星新一だけはやたら読み漁った時期がある。けど、本作の原作は読んでないんだな。
#まあ、きっかけは『時をかける少女』の原作を読んでみようって思ったからで、全然映画と作風が違うから愕然とするよね。筒井康隆あるある。

とにかく非常に愉快で、筒井作品の雰囲気をそのまま映像化することに腐心してるように見える。岡本喜八監督の味が出ていないのでは?という気もしないではないが、力のない監督がやると『日本以外全部沈没』のようにどうしようもないデキになってしまうか、それこそ『時をかける少女』のように別モノにしてしないと成立しないくらいくらい、筒井作品というのは難しいのだ。

筒井康隆を知らない人は、“東名高速”のくだりとか、スベってると思うだろう。でも、ああいう小ネタは小説の文面で読むとスンゲーおもしろいのよ。じゃあそれを映画でそのままやって面白いか?と聞かれると、正直つまらなかった。やはり、脳内に浮かぶからこそおもしろいのだな…。そういう点では、冒頭のリンカーンへの手紙の口調とか、黒人4人のなまり言葉も同じで、耳から入ってくると、気恥ずかしい感じだった。

古谷一行演ずる、妻を寝取られても飄々としている亮勝は、まさに筒井らしいキャラ。そして、ラストに向けても、ひたすら筒井節全開。確かに、小説はこんな感じで、発散するだけ発散。カオス状態にするだけカオスにして終わるから、原作の表現としては正しい。山下洋輔とかタモリまで引っ張り出して、カオス感を一生懸命醸成しているが、残念ながら内容のほうが突飛なので、いまいち効果はなし。そのまま終わってし合う。

映画としては、ほんのちょっとでもいいから“オチ”をつければ成立したと思う。一瞬静止画にして、幕府側にも新政府側にも組することなく幕末の動乱期をジャズに興じ続けた庵原藩の領民は、その後も幸せに暮らしましたとさ、どっとはらい…的なテロップだけでもアリだったと思う。そこはいわずもがなでしょ…と思うかもしれないが、緩急はつけないと映画はキマらないのよ。

長らく、レンタルビデオ屋に並んでいなかったのは、最後のコマが無い4コマ漫画みたいな作品だからだと思う。個人的には好みだけど、たぶん薦めても共感は得られないと思う。

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公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:88分
監 督:アンソニー・C・フェランテ
出 演:アイアン・ジーリング、タラ・リード、ジョン・ハード、キャシー・スケルボ、ジェイソン・シモンズ 他







突如カリフォルニア・ビーチにサメの大群が押し寄せる自体となり、海水浴場は閉鎖される。ほどなくして、巨大なハリケーンがカリフォルニアを襲う。ハリケーンはサメを巻き上げ、街に降ったサメが人々を襲い始める。ビーチでバーを経営するフィンは、親友のバズ、バーで働くノヴァ、常連のジョージと一緒に陸側に退避。とりあえず、フィンの別れた妻と子供たちが住む家を向かうことに。しかし、さらに水位の上がった水路をサメが上りはじめ被害は拡大。彼らの乗った車も、サメの襲撃を受ける。なんとか元妻の家に辿り着くも、事態を把握していない元妻はフィンを家に入れようとしない。そこに排水溝から飛び出したサメが出現し…というストーリー。

B級というかTVムービーなんだけど、その割には映像がしっかりしていたりする。元妻の家の中までサメが襲ってくるシーンだけはマペットだろうが(おそらく他の映画でつかったのを流用)、ほとんどのサメがCG。炎の画像処理とかは、CGアプリのプリセット動画なんじゃないかと思うレベルの物もある。大学生に毛の生えた程度の経験でもこのくらいのCGが安価で作れる時代になったということ。

地味に画面を細かく揺らしつづけていたりとか、低予算の中でできることは一生懸命やってるなという印象はする。一応、演出ポリシーというか、演出上のクセは出ていて、監督の味はだそうと必死な感じが伝わってくる。

ハリケーンや大波に巻き込まれてサメがやってくるのだが、ピンポイントで人に直撃してくるなんて、都合がいいなあ…なんて思い始めると、街にある観覧車の軸が壊れて大惨事…とか、観客の頭に疑問が沸き始めたタイミングで別のムチャクチャなシーンを挟んで誤魔化すという、なかなかの巧みさを見せてくれる。
もう、無茶に無茶をかぶせるしかないからどんどんエスカレートしていくし、翻訳のせいかもしれないが、登場人物のセリフがいちいち芝居がかっていて、実にくだらない。決して格好良いセリフになっていないところがミソ。

元妻の恋人がエラそうに悪態をつくと、すぐに食われたり、途中のスクールバスを救うシーンでは、運転手が、“年に15000ドルしか儲かっていない利益のでないボランティアみたいな仕事をしてるんだから助けてくれ!”みたいな泣き言をいっていると、救出されはするもののサメじゃない理由で死んだりとか、死亡フラグが立ったあとは、モタモタひっぱらない。それどころか、死亡フラグがたちそうな予感だけ漂わせて、ひっぱらないで殺しちゃうとか、とにかくこの監督はジェノサイドがしたいだけなんじゃないかと思えてくる。

バーの常連のおっさんジョージも、メインキャラなのかと思わせておいてあっさりサメの餌食になるのだが、このキャラクターはもっと生かすべきだった。早く退場させすぎ。何なら、後でサメの腹の中から出てきてもよかったし、少なくとも、あの“常連の椅子”だけは、どこかで生かすべきだった。これをやらなかっただけで、監督失格といってもよいくらいだ。

時間の短い作品なのだが、そのくせ無駄なシーンも多かったりする。息子の居場所に向かうために、検問を突破するシーンがあるのだが、ガンガンスピードを上げ続けて、どうすんだ?と思わせておいて、それ以上には何もなかったりする。

後半は家族愛をテーマにしはじめちゃって、主人公とノヴァのエピソードが進展する目がなくなってしまったので、ノヴァとフィンの息子の恋愛にシフトさせる。そのエピソードで傷の見せ合いっこをするシーンがある。ノヴァは子供のことにサメに襲われたんだという設定。その設定ははじめから考えられていたと思うけど、冒頭のビキニで登場したシーンではそんなヒドい傷はないんだよなぁ。パレオで隠していたとか言うんだろうけど、それにしてもなぁ…。
#親友バズも、設定を生かしきれずに、無駄死にで終了したのもトホホな感じ。

で、これでもかこれでもかと派手なシーンを連発して誤魔化し続けるんだけど、やっぱり最後には、多くの観客が疑問に思っていたことが、頭に浮かぶ。なんでサメだけがハリケーンに巻き込まれたんだ?他の魚は?どういう仕組みだ?と。もちろんその問いには答えてはくれない(笑)。
その最大の謎を無視して、監督が俺逃げ切った!とすっとぼけ顔してるんじゃないかと思えてくるようなラスト。そして、私の感想は「いやー、おもしろくなかった!」。これだけ。

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公開年:2012年
公開国:スペイン
時 間:101分
監 督:ハビエル・ルイス・カルデラ
出 演:ラウール・アレバロ、アレクサンドラ・ヒメネス、アンドレア・ドゥーロ、ハイメ・オリアス、ハビエル・ボダロ、アンナ・カスティーリョ、アウラ・ガリード 他






教師のモデストは、幽霊が見えてしまうという特殊能力の持ち主。幽霊が見えるだけでなく会話することも可能なため、日々の生活にも支障が生じている。もちろんそれは学校も同じで、異常な行動をとる教師と判断されててしまう。モデスト自身のおどおどした性格も手伝って、これまで学校を何度もクビになっていた。かといって働かないわけにはいかないので、別の高校に教師に口を求め申し込む。次の学校でも、初日から生徒に嫌がらせをされるモデスト。すると、迷い込んだ旧校舎には、5人の生徒の亡霊が居座っており、次々といたずらを行い、学校を荒れさせていた。実は、その学校の女性校長は、学校で続けざまにおこる怪奇現象に頭を悩ませており、今回、モデストが採用されたのも、前の教師が怪奇現象により怪我をさせられたためだったのだ。モデストに幽霊が見えていることをしった校長は彼を支援。そして、あの5人が昔この学校で発生した火事の被害者であることを知ったモデストは、彼らがこの学校を卒業できなかったことを苦に居座っているのだと考え、彼らに授業を施し卒業させてやろうとするのだが…というストーリー。

昨日の『オッド・トーマス 死神と奇妙な救世主』と似たような能力者の話。同様にTVムービーか?と思うような画質。低予算なのは間違いない。

上のあらすじのとおり、5人の幽霊を卒業させようと奮闘する。本人たちもなんで成仏できないのかわからんという設定になっていて、先生の言うことをきけば成仏できるかも…と一生懸命になる…という流れ。卒業させれば成仏するかも…というアイデアも、モデストがひらめいたわけではなく、通っているカウンセラーの父親の幽霊からヒントを得ている。その父親幽霊が、なんで成仏しないのかは、アホな息子が心配なのか、自殺したからなのかはわからない。

すったもんだあったけど、なんとか卒業試験は合格だ!となったものの、天国の扉は開かない。なんでや!と怒る幽霊たちは大暴れ。という展開だが、構成の配分がおかしくて、この段階で時間がかなり余るので、成仏できないのが見え見えなのが、ちょっとイタい。そのせいもあってか、以降はかなりバタついた展開に。

幽霊が暴れたせいもあって、モデストはまたもやクビに。女性校長とモデストがウマくいきかけてたのもご破算に。幽霊たちは罪悪感を感じて、なんとかモデストをもとに戻そうと四苦八苦。その後、成仏できない真の理由を探そうとモデストと幽霊たちは協力する。

PTA会長が何でそこまで介入してくるのか?という目的をもっとはっきりさせるべき。明確に学校を乗っ取る気なんだということを明確にするために、もっと露骨な工作を行うシーンを入れるべきだった(ただのお節介オヤジの見えなくもない)。
また、実はお腹の子の父親が彼だった…ということがわかったのはいいが、父親に相応の罰が当たってもよさそうに感じたし、簡単に許しすぎの感もあり、ちょっと未消化。同様に、火事の原因をつくったやつの正体が判った後も、ちょっと簡単にゆるしすぎ。この2つのエピソードは、もうちょっとすったもんだした後に解決すべきだと思う。
モデストもびくびくした性格が、幽霊たちと出会うことで、一人前の男になっていく…みたいな成長物語を描こうとした形跡があるが、昇華しきれず。

ということで、終盤はむりやり終わらせた感が満載。且つ毒が一切ない作品であるため、いまいち刺激が少なく、笑いの要素もいまいち不足(もしかするとスペイン人には面白いのかもしれないけど)。
深夜放送でもちょっと厳しいレベルで、駄作の谷に片足が落ちている作品。

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公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:96分
監 督:スティーヴン・ソマーズ
出 演:アントン・イェルチン、アディソン・ティムリン、ググ・ンバータ=ロー、ニコ・トルトレッラ、パットン・オズワルト、ウィレム・デフォー 他







南カリフォルニア。ダイナーで働く20歳の青年オッド・トーマス。彼には、死者の霊が見えたり、彼らの訴えを感じ取る特殊な能力が備わっており、小さいころかその能力で苦労してきた。彼の能力のことを知っているのは、警察署長のワイアットと恋人のストーミーだけで、今では警察の犯罪操作に協力するなどして、それなりにうまくやっている。ある日、“ボダッハ”という大殺戮がおこるときだけに現れる悪霊が、大量に街にあふれるようになった。ボダッハが見えていることを知られると、必ず殺されてしまうため、見えないふりをするオッド。そんな中、友人のヴァイオラから、自分と赤と黒のボーリングウェアを着た人々の死体が横たわっている夢を見たと打ち明けられたオッド。数日前にまったく自分も同じ夢を見ており、街になんらかのピンチに直面していると悟ったオッドは、ボダッハに見つからないように調べ始める。オッドは“霊的磁力”を使って、あやしい人物を探し始めると、ストーミーの店で大量のアイスクリームを購入する男に引き寄せられる。案の定その男の周りにはボダッハがまとわりついていたが、備考して棲家を突き止める。その男がいなくなったのを確認して棲家に侵入すると、そこには…というストーリー。

ウィレム・デフォーが出てきて、なんとか映画っぽさをキープしているが、画質と主人公の一人語りではじまる冒頭シーンは、まるでTVドラマかな?と見紛うようレベル。その後も、深刻なシチュエーションをお気楽な(というか妙に飄々とした)態度で乗り切る主人公のおかげ、軽い作風に終始する。

大殺戮のキーマンとして登場する、帽子頭の男のコミカルな気持ち悪さとか、オッドとストーミーのいちゃいちゃがのノリがおふざけがすぎて、その軽さはますます加速していく。無駄にグロ表現を入れるのも、昨今のティーン向け作品にはありがちな演出。ところが、その軽さもすべて、オチに対するカウンターであり、ミスリードだった。全部、終盤で効いてくる。

そういう軽さを差し引いてみると、ボダッハを巡る謎のストーリー自体もなかなか手が込んだ内容になっている。原作あり作品のようなので、いかにもティーン向けだけど、その辺はしっかりしているんだろう。ネタバレになるので書かないが、ミステリーとしてもしこそこ優秀だと思う。

実は母親も同じ能力の持ち主で、狂人扱いされて収監されている。自分はそうならないように慎重に生きているオッド。なんとか折り合いをつけてこれまで生きてきて、恋人や自分の能力を理解してくれる権力者もいる。そして、何とか街を救ってヒーローとなって、安泰、安泰…という展開に。まあ、ここで終われば、凡作かな…という評価だが、ちょっと意表を突かれる。勘のよい人なら気づいたのかもしれないが、上に書いた“軽さ”のせいで、私はすっかり油断していた。

とても悲しいオチだったが、良いラスト。もちろんここでは書かない。観てほしい。軽くお薦め。ちょっと世の中の評価が低すぎると思う。

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公開年:1976年
公開国:アメリカ
時 間:112分
監 督:エリア・カザン
出 演:ロバート・デ・ニーロ、トニー・カーティス、ロバート・ミッチャム、ジャンヌ・モロー、ジャック・ニコルソン、ドナルド・プレザンス、ダナ・アンドリュース、アンジェリカ・ヒューストン、テレサ・ラッセル、ジョン・キャラダイン、シーモア・カッセル、ジェフ・コーリイ 他
受 賞:【1976年/第49回アカデミー賞】美術監督・装置(Gene Callahan[美術]、Jack Collis[美術]、Jerry Wunderlich[装置])


ハリウッドの大手映画製作所の敏腕プロデューサー モンロー・スターは、鋭い感性で現場を切り盛りして、数々のヒット作を手掛け、異例の若さで製作部長の地位に上り詰めた。最愛の妻を亡くしている彼は、それを忘れようとするがごとく仕事に邁進していた。しかし、モンローの才能を認めえないものは誰一人いなかったが、芸術性を尊重しすぎて利益をないがしろにする態度を最近取るようになり、古参の役員たちが反発を強めていた。そんな中、カリフォルニア沿岸を地震が襲う。モンローが撮影所の被害状況を見に行くと、亡き妻にそっくりの女性を見つける。気になって仕方がないモンローは、その女性を調査させて見つけ出す。彼女の名はキャスリン。その後、パーティで偶然彼女を発見したモンローは、何とかデートの約束をする。デートの日、口付けを交わし急速に距離を縮めるのだったが、キャスリンは、婚約者がいる旨を手紙にのこし去っていくのだった…というストーリー。

海外のシナリオライターが書いたシナリオのノウハウ本だったと思うのだが、そこで悪い例として本作が上がっていた(書籍名は忘れちゃった)。題材になっている作品を観てみようと思ったのだが、本作はどこにいってもレンタルされていない。2012年になってやっとレンタルが開始された。

モンローのモデルになった実在の人物が存在するらしいが、そんなことはどうでもいい。いざ観てみると、DVD化されてこなかった理由がよくわかった。上にあらすじを書くだけで、ぐったりしてしまうくらい、ストーリーに締まりがない。
妻に似ている女を見つけた。(ちょっと時間が経過)。身元がわかったので会いに行く。いい年こいたおっさんがドキマギ。(ちょっと時間が経過)。偶然パーティで出会う。なんとかデートにさそう。(ちょっと時間が経過)。デートする。フラれる。イライラする。モンローにひそかに恋心を寄せる若い女性が、何か感づく。フられたはずなのに、モンローとキャスリンは何度か会う。でも結局別れる。イライラする。結婚したと電報がくる。もっとイライラする。共産党員の作家組合員と喧嘩する。重役から疎まれてクビになる。おしまい。

なにが面白いのかと。

ちょいちょい無駄に時間が空いてテンポは悪いし、何が繰り広げられているのか、迷子になるシーンばかり。ヘタクソな文章を読んでいると“目が滑って”何も頭に入ってこないということがあるが、本作もずるずると目が滑って何も入ってこない。監督も役者陣も豪華なのに。なんでこうなった。

これと同じ原作が、宝塚で上演されていたりするんだよなぁ。何がおもしろいんだか本当にわからない。わからないものはコメントできない。ここまで脳が拒否しつづけた作品はめずらしい。さようなら。

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公開年:2003年
公開国:日本
時 間:116分
監 督:蜷川幸雄
出 演:二宮和也、松浦亜弥、鈴木杏、秋吉久美子、中村梅雀、山本寛斎 他
コピー:世界の“NINAGAWA”が描く――17才の魂の鮮烈な輝きと挫折――







湘南の高校に通う17歳の秀一は母・友子と妹・遥香との三人暮らしだったが、母と10年前に離婚した元継父の曽根が突然現れて、そのまま家に居座ってしまった。朝から酒びたりで、母がそれを諌めれば容赦なく暴力を振るい、それは妹にも及ぶ。なんとか曾根を追い出そうと、母の離婚を担当した弁護士に相談に秀一は相談にいくが、法律では問題が解決できないことを悟ることに。これでは大事な家族を守ることができないと、自らの手で曾根を殺すことを決意し、薬物系の裏サイトや医学書を調べ、周到な殺害計画を立てる。美術の時間に教室を抜け出した秀一は、自宅に戻って計画を実行。速やかに学校に戻り何食わぬ顔で授業を受け、帰宅後に自ら警察に通報する。検視の結果、曽根は病死と判断されて、計画は見事成功したようにみえたのだったが…というストーリー。

『蛇にピアス』で、蜷川監督ってなかなかやるじゃん…と思ってしまったので、同様に若い旬な芸能人を主役に据えた作品をチョイス。ジャニーズにハロプロという直球アイドル映画かよ!っていうキャスティングに若干臆したが、エイヤーでレンタル。

蜷川監督は若い素人同然の役者を使うのが実にうまい。役者たちは学芸会みたいな演技を求められている。へんに巧みな演技をされると逆に興ざめしちゃう。必要なのはこざかしい演技力ではなく、演技はヘタなままで役に没頭してくれればそれでいいという状況、現場の雰囲気をつくれている段階で勝利は確定したるようなもの。“監督”の仕事ってこれなんだな…と、思い知らされた感じ。

原作は『黒い家』『悪の教典』の人。映画化されているののはサイコキラーの話ばかりだけど、好み。本作の主人公は、殺人を決意するに至るもっともらしい理由があるだけで、普通の高校生…といいたいところだけど、このシチュエーションがなかったとしても、きっとどこかで逸脱した行いをしただろうな…という感じを臭わせているのが秀逸。

無味乾燥な雰囲気が支配しているから、無味乾燥で淡々とした作品だと思っている人も多いだろうが、それは狙い。“青い炎”ってのは、チェレンコフ光のことかな。普通の炎とちがってチェレンコフ光自体は熱くない。イメージ的に冷たい炎ってイメージ。主人公のキャラクターの象徴。
そしてチェレンコフ光といえば、原子炉なんかでよく観測される事象。チェレンコフ放射とは直接関係ないんだけど、放射線で肉体内部を破壊するイメージと結びつかなくもない。秀一の殺害の手口に通じているのかな。
で、放射線も通常は目に見えない。家族も同級生も彼の反社会性には気づかない。一部のある“目線”を持った人間だけがそれに気付く。この静けさが、静かな凶暴性とリンクするようでもあり、逆に際立たせるようでもあり…といったところだと思う。不良の同級生や刑事から追い詰められても、さほどあせるでもなく淡々と対処していく様子も、まさに“青い炎”。いろいろ考えた末のタイトルなんだろうね。

秀一は家族を守りたいんだろうな…と思って観ていたけど、母親が曾根に体を許したシーンの後、母親も憎悪の対象にならなかったことがどうもピンとこなかった。レイプされたならまだしも、そういう描写ではなかった。実は母親のことはどうでもよくって、守りたかったのは妹との関係だけなのかな…と思ったがどうだろう。ただ、そうなると、松浦亜弥演じる紀子のキャラクターが邪魔くさい。愛を傾ける女性の対象を2人にする意味はなんだろう。サイコキラーに普通の恋愛をさせるのは、いかがなものかと、私のセンスは叫んでいたよ。
私なら、妹のことを気に入っている同級生がいて、そいつが秀一の犯行に薄々気付くのだが、同じく妹を大事に思っている同士、無言で理解しあう…みたいな感じにするかな。

個人的には、もっと犯罪計画を周到に行うシーンを盛りだくさんにしてほしかったが、“青い”サイコキラーがじわじわと追い詰められていくスリリングさを、十分に愉しんだ。良作だと思う。少なくとも、単なるアイドル映画ではない。
#コピーはクソ。

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公開年:2013年
公開国:アルゼンチン、スペイン
時 間:107分
監 督:エルナン・ゴルドフリード
出 演:リカルド・ダリン、アルベルト・アンマン、アルトゥーロ・プイグ、カル・リベロ 他







元弁護士で今はロー・スクールで教鞭を執っているロベルト。今は独身生活を謳歌してプレイボーイを気取っているが、一方で離婚した妻のことを忘れられずにいる。そんなある日、昔の友人の息子ゴンサロが自分のゼミに参加してくる。ゴンサロは表面上は尊敬している態度を装っているが、ゼミの最中はロベルトを挑発するような態度を繰り返す。なぜ彼がそんな態度を続けるのか理解しかねている中、校内で女性がレイプされ殺害される事件が発生する。ロベルトは授業を中止し、事件現場を調査。通り魔の仕業を思われたが、“彼女に似た女は殺す”というメモが残されえていたり、殺害後に蝶のペンダントが付けられている形跡がある。もしかすると、ゴンサロの仕業では?と考え始めたロベルトだったが、直接証拠は何もない。しかしゴンサロは、自分がロベルトと母親の不倫によって生まれた子であることを匂わせたり、さらに授業での挑発的な態度をエスカレートさせる。一方でロベルトは、調査の過程で被害者の妹であるレイラと知り合いになるが、彼女に好意を持つようになり…というストーリー。

同じ主演俳優の作品『瞳の奥の秘密』と雰囲気が一緒。主人公が法曹関係者なのだが、、『瞳の奥の秘密』では、アルゼンチンの三権分立の匙加減がおかしくてものすごく違和感を感じたが、本作も何かひっかかるものを感じる。どうも、南米の刑法や手続き法は、若干基本が異なる模様。なんか南米に行くのは怖い感じすら覚える。

以下、かなりネタバレするが、問題ないだろう。あまりにつまらんので警告の意味も含めて。

アメリカでは使われすぎた、サイコキラーに追い詰められるというプロット。それ自体は別にいいのだが、ずっと、サイコキラーのターゲットにされているのか?ロベルトの妄想なのか?どっちなのかわからない…という軸でストーリーが進み、判然としないままついにラストを迎えてしまう。

このプロットの難点は多数ある。まず、主人公の妄想かもしれない…という余地がずっと残っているため、主人公に共感・没頭ができない。常に俯瞰で作品を観るハメになる。観客はずっと真実へのヒントを探すことをやめないから、疲れてしまう。観客は別に謎解きゲームを延々と続けたいわけじゃない。愉しみたいのに、没頭させてくれない苦痛。

ロベルトの家に、あるはずのない事件の証拠品などか存在するくだり。この段階になっても、ロベルトの妄想なのかゴンザロの仕業なのか、どちらとも採れる。ずっとこの軸だから、肝心のトリック自体が全然深まっていかない。ある程度のところで、ゴンサロの仕業であることは観客には確定させて、周囲の人間がそれを信じてくれなくて追い詰められるという展開にシフトすべき。最終的なオチが実は妄想だった…としても、いったんはそうすべきだったと思う。
逮捕されても、妄想なのかどうなのか判らない演出は続く。そうしたいなら、妄想なのかもしれない…というミスリード用のパーツをわかりやすく配置し、加えてそれをフラッシュバックするシーンを差し挟むとか、やるべきことはたくさんあったと思う。

最後の2分くらいで、やっぱりゴンサロの仕業だーみたいなカットになるのだが、そこまでくると、そのカットすらロベルトの妄想かもしれない…と思えてしまう。もう、何が言いたいのかわからないよ!と、どうでもいいけどイライラさせるなよ!クソッ!と、近くにある物を床に叩きつけたくなる衝動に駈られる。背骨みたいなものが一切存在しない作品。

これが原作ありの作品っていうんだから、驚いちゃう。さすがに映画化されるくらいだから原作はおもしろいんでしょ。監督がクソなんだと思う。駄作、ここに極まれり…って作品。

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公開年:1991年
公開国:フランス
時 間:100分
監 督:ジャン=ピエール・ジュネ、マルク・キャロ
出 演:ドミニク・ピノン、マリー=ロール・ドゥーニャ、ジャン=クロード・ドレフュス、カリン・ヴィアール、ティッキー・オルガド、アン=マリー・ピサニ、エディス・カー、チック・オルテガ 他
受 賞:【1991年/第4回ヨーロッパ映画賞】プロダクションデザイン賞(衣装:Valerie Pozzo di Borgo、セット:ミリアン・クレカ・クリアコヴィッチ)
【1991年/第17回セザール賞】脚本賞(ジル・アドリアン、ジャン=ピエール・ジュネ、マルク・キャロ)、新人監督作品賞(ジャン=ピエール・ジュネ、マルク・キャロ)、編集賞(エルヴェ・シュネイ)、美術賞(Jean-Philippe Carp、ミリアン・クレカ・クリアコヴィッチ)
コピー:肉踊る世紀末の巴里へようこそ。

核戦争から15年後、人々は少ない食料をあさるようにして生きている。パリ郊外に“デリカテッセン”という肉屋があったがなかなか繁盛していた。肉屋は、建物の上の階をアパートにしていたが、どこか気味の悪い住人たちばかりだった。ある日、ルイゾンという小男が職を求めてやってくる。丁度、空き部屋ができたので入居するルイゾン。実は、肉屋の主人は、入居者をおびき寄せては、食肉として処理して売っており、住民たちもそれを承知で肉を買っているのだ。アパートの上階に住む肉屋の娘ジュリーは、とても気さくなルイゾンに好意を寄せ、彼が次の餌食になってしまうことが堪えられなくなってしまう。そこで、肉食主義者を憎む菜食主義者の秘密結社“地底人”と手を結び、ルイゾン救出作戦を敢行する。しかし、次の肉を待ち受けている住民たちも激しく抵抗をして…というストーリー。

まず、核戦争から15年後の世界という説明がない。DVDジャケットを見ればどうみてもスプラッタホラーだと思う人が多いだろう。食人鬼のお話だと思って観始めたのに、だんだんとひとつのアパート内で繰り広げられる群像コメディーみたいな流れになっていく。はじめは人肉だと知らないで買ってるのかな?と思っていたが、だんだんと判って買っていることが見えてくる。さらに“地底人”が登場してきたあたりで、世界観がやっと理解できる。

上のあらすじを読めば、ものすごいシンプルなストーリーなのだが、丁寧な説明を省くことで観客の頭に「何がおこってるんだ?」「何だこれは?」という意識が生まれる。それにジュネ監督お得意の、赤みがかった独特の画質が加わって、観客を惹きつける。次作の『ロスト・チルドレン』にも通じる質感。いずれにせよ、このような構成・ストーリー配分の作品は、他にはないと思う。

同じくフランス人監督であるリュック・ベッソンの長編デビュー作は『最後の戦い』もディストピア物だ。他にも、日本人は変態で猟奇的だ…という設定がフランス人は大好きだね。フランス人って、社会を壊す設定が好きだよね。基本的に彼らはアナーキストなんだと思う。

良い意味で期待を裏切ってくれた、一言で称すれば“心地よい毒”という感じの作品。世界観を理解してホラーではないことは認識したものの、はたして近未来SFなのか、コメディなのか、ジャンル分けが難しい。
#レンタルショップでも、ホラーに並んでいることあるよね。
映画史に輝く孤高の作品といってもよいほどのユニークっぷりなのだが、世界観がつかめた後は、単なるドタバタ対決になってしまうのが唯一残念な点か。肉屋亡き後の地域社会はどうなってしまったのか興味が沸いたのだが、そこの説明ももちろんない。投げっぱなしな感じで、消化不良だったかも。
#“これ”を“之”と書く字幕翻訳のセンスがよくわからん。

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公開年:1992年
公開国:アメリカ
時 間:93分
監 督:アンソニー・ヒコックス
出 演:テリー・ファレル、ダグ・ブラッドレイ、ポーラ・マーシャル、ケヴィン・バーンハート、ローレンス・モートフ、ケン・カーペンター 他
ノミネート:【1993年/第21回アボリアッツ・ファンタスティック映画祭】参加作品





新人テレビレポーター・ジョーイは、初仕事である夜の救急病院のリポートに気合いを入れていたが、その日に限って救急搬送が一件もなく、中継は中止に。スタッフが撤収したあとも、病院で意気消沈していると、そこに救急車が到着。なんと全身に鎖が食い込んだ男が運び込まれてくる。あまりの奇妙さに、ERに押し入って搬送された患者を取材しようとするジョーイ。しかし、男に食い込んだ鎖が勝手に動き出して体を引き裂き、男の肉体を消失させてしまうのだった。その男に付き添っていた女性がいたが、立ち去ってしまい話を聞くことができない。翌日、ジョーイは自分の見たことを上司に説明するが、まったく信用してもらえない。くやしい彼女は、自力で消失した男に付き添っていた女性・テリーを探し出すのだった。一方、“ボイラールーム”という流行りのクラブを経営しているJ.P.は、退廃的なアート作品の収集が趣味で、不気味な魔物が多数彫刻されている像を画廊で見つけて購入する。クラブに直結している自室に飾っていたのだが、不注意で怪我をしたJ.P.の地が像にかかると、像に刻み込まれていた魔道士ピンヘッドが目を覚まし…というストーリー。

ピンヘッドはJ.P.をそそのかして、自分が復活するための生贄をつれてこさせようとする。かつてフランクがやったように。完全に悪の存在になってしまったな…設定ブレブレやんか…と思ったのだが、よく考えると、前作で魔導士さんたちは実は人間だったということが判明しており、ピンヘッドさんの人格も善と悪に分離したってことなんだね。像の中に封印されたのは悪の方だからこんな振る舞いをすると…整合性はしっかり取れているな。3作目はオリジナルビデオらしいということが判り、実はまったく期待していなかったのだが、結構しっかりシリーズとしての繋がりは考えられている模様。

じゃあ、前作と同じノリか?というとそういうことはない。新魔導士さんたちが5体登場。ジョーイの同僚カメラマンが変身したカメラヘッド、ボイラールームのDJさん、火を吐くやつ(誰だっけ?)、それにJ.P.とテリー。ところが、もしかして笑わせようとしてる?って感じのデザイン。
まじめに路線変更を考えた末だとは思うが、安っぽくて、前の魔導士さんたちの威厳が皆無。これは賛否両論だったのではないかな。元々SMチックなディテールが評価されていたわけだから、“S”側に威厳がないと成立しない気がするのよね。

ジョーイ側のストーリーと、J.P.側のストーリーが並行に進展し、テリーという共通のキャラで両方が繋がり、最終的なバトルに集約されていくというシナリオ構成は悪くない。最終的には、善悪に分かれていたスペンサー大尉とピンヘッドは融合するというオチも、シリーズの繋ぎとして、いい匙加減。
ハードルが下がりまくっていたせいか、なかなかやるねぇ…と関心させられた作品だ。
#オリジナルビデオ作品が参加できるアボリアッツ・ファンタスティック映画祭って、どういう基準やねん。

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公開年:2013年
公開国:アメリカ、イギリス
時 間:102分
監 督:ダニー・ボイル
出 演:ジェームズ・マカヴォイ、ヴァンサン・カッセル、ロザリオ・ドーソン、ダニー・スパーニ、タペンス・ミドルトン、サイモン・クンツ、マット・クロス 他
コピー:ここは、誰も見たことのない<記憶のその先>――。





ゴヤの傑作“魔女たちの飛翔”がオークションにかけられ、2750万ポンドという高値で落札されたその時、会場に強盗が押し入る。競売人のサイモンは緊急時マニュアルに従って絵を速やかバッグに格納し金庫へに運ぶ。しかし、バックヤードにはギャングのリーダー フランクが待ち伏せしており、絵画を奪われてしまう。サイモンは絵を奪われまいとフランクが持っていたスタンガンで攻撃。怒ったフランクはサイモンを殴り倒し、そのままサイモンは昏倒してしまう。しかし、逃走後にバッグを開けると入っていたのは額縁だけで、フランクが激怒。実は、サイモンの借金の肩代わりとして、強盗の手引きをする約束になっていたのだ。その後、殴られて脳出血したために手術を受けたサイモンは、目覚めると例の絵画に関する記憶を失ってしまっていた。フランクはサイモンを拉致・拷問して、記憶を呼び戻すために催眠療法士のところに通わせるのだったが…というストーリー。

二転三転の巧みなストーリーであることは認める。でも、ごちゃごちゃしすぎ。格好良い画は、さすがダニー・ボイルといったところだが、話のごちゃごちゃに寄与してしまっているのも残念。

トランス状態になりやすい人…という都合の良い設定が、とってもつまらなく感じる。結果的にはそれも伏線ではあるのだが、それを聞いた時点で、そうとう興ざめした。

基本的には、なんでサイモンが共謀していたはずのフランクを裏切ったのか?っていう謎解き話だと思うが、サイモンというキャラクター自体に魅力がないので、興味が薄くなる。じゃあ、ストーリーを握っているは、エリザベスなのかフランクなのか。両俳優はいい演技ではあったが、“なぞ”のためにその辺が判然としないのも、敗因。

本作は、些細な描写が実は重要な伏線でした…ということが多い。でも、伏線が回収されても「ああ!」とか気持ちいいと感じないのが多かった。さてそういう回収されているだけの伏線は伏線といえるのか…という、シナリオテクニックとしてアリなのかナシなのかというの根本問題にぶちあたる。
最終的に明かされた事件のトリックも、実に凡庸。

巧みに配置された仕掛け…とはいうが、フランクによるラム医師のチョイスは偶然なんだよね(もしかして違うの?)。どんだけ巧みな仕掛けがあっても、その偶然の上に立脚しているお話だ…と考えると、ちょっと興ざめしてしまった。
治療の過程で、サイモンがどういう記憶に執着しているか調べるごっつい機械がでてくる。ああいう装置は存在するので別に文句はないが、町の療法士ごときが何でそんなもん使えるか。催眠療法士ごときが、人の記憶を都合よく消すような魔法の能力をもっているのか。

振り返って考えると、超高額な絵画のキャンバスをあんな風にカットした時点で、興ざめしちゃって、あとは惰性で観ていたかもしれないな。

なんか、ごちゃごちゃした小汚い冷蔵庫の中を見せられたような気分になる作品。

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公開年:1993年
公開国:アメリカ
時 間:121分
監 督:トニー・スコット
出 演:クリスチャン・スレイター、パトリシア・アークエット、デニス・ホッパー、ヴァル・キルマー、ゲイリー・オールドマン、ブラッド・ピット、クリストファー・ウォーケン、サミュエル・L・ジャクソン、マイケル・ラパポート、ブロンソン・ピンチョット、ソウル・ルビネック、ジェームズ・ガンドルフィーニ、コンチャータ・フェレル、クリス・ペン、トム・サイズモア、マイケル・ビーチ、エド・ローター、ローレンス・メイソン、アンナ・トムソン 他
ノミネート:【1994年/第3回MTVムービー・アワード】キス・シーン賞(クリスチャン・スレイター、パトリシア・アークエット)


デトロイトのコミック・ブック店で働くクラレンスは、プレスリーとカンフー映画に夢中で、女性とはあまり縁のないパッとしない青年だった。誕生日の今日も一人場末の映画館で千葉真一の映画3本立てを観ていた。すると、アラバマと名乗るかわいい女の子が隣に座る。なぜか気が合った二人は、映画が終わった後も食事をして、そのままベッドと共にする。彼女は、実はクラレンスが働く店の店長が、プレゼントとして指し向けたコールガールであることを告白する。しかし、お互いすっかり恋に落ちてしまい、その勢いで翌日結婚すること。ところが、彼女にはコールガールのポン引きがついており、話をつけて仕事を辞めさせる必要があった。クラレンスは、ポン引き男ドレクセイのところにいくが、逆上した彼に殺されかける。しかし、一瞬の隙をついて逆に相手を殺害。その勢いで大量のコカインが入っているカバンを持ち出してしまう。翌日、クラレンスは元警察官の父親クリフォードを久々に訪れ、昨日の殺害が捜査されているか探ってほしいと依頼する。そのままロサンゼルスに逃亡するクラレンスとアラバマ。その後、コカインの持ち主であるイタリアン・マフィアのボス、ヴィンセンツが、2人の行き先を知るためにクリフォードを拷問し…というストーリー。

本作の脚本はタランティーノ。コミック・ブック店で働くオタクという設定が、主人公が完全にタランティーノの投影。かなり思い入れがあったと思う。ラストのほんわかが実にタランティーノらしくないと思っていたら、やっぱり元の脚本では主人公は死ぬことになっていたらしく大モメしたとのこと。おそらくタランティーノ自身が、そういう無条件の幸せみたいな状態にいないので、そういうラストにすると自分の投影じゃなくなるわけだから、抵抗したんだと思う。だけど、個人的にはこのラスト、大好き。タランティーノの脚本のままだったら、凡作どまりだったと思う。

アラバマの設定も、今回がはじめてのコールガールの仕事で…っていうことじゃなくて、数回だけ仕事は経験済みっていう絶妙な“汚れ”加減に、タランティーノの才能を感じる。
よく“コールガールにはヒモがいる”っていう表現がアメリカ映画の翻訳で多用されるんだけど、ヒモじゃなくって仕事を斡旋してるポン引きだよね?なんでヒモっていう表現になるのか意味がわからない。ヒモっていったら仕事もしないでゴロゴロくっついているイメージなんだけど。翻訳家ってもの知らずなのかな?っていつも思っちゃう。

クラレンスの愚かな行いでヤバい状況になっている…と思いがちだけど(女性側は売春婦で印象も悪いので)、実際は完全に巻き込まれているだけで、本人たちはとても善良。殺しに至ったとしてもすべて正当防衛。
この二人がなんで強く惹かれあったのかは説明はないが、逆に説明は不要。真実の愛にめぐり合った二人はどこまでできるのか!?っていう、本当に純粋なお話。もう一回言うが、あのラストだからこそ、本編のカオスな奔流が生きているのだと思う。

本当にタイトルどおりの内容で、お薦めしたい素敵な作品。

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公開年:1979年
公開国:日本
時 間:102分
監 督:実相寺昭雄、下村善二
出 演:黒部進、二瓶正也、原保美、福田善之、吉野謙二郎、永井秀明、奥野匡、小林昭二、桜井浩子、平田昭彦、毒蝮三太夫 他







科学特別捜査隊員ハヤタと一体化したウルトラマン。子供たちの落書の怪獣が宇宙線を浴びて生まれた二次元怪獣ガヴァドン、地上の人々に対して復讐をする地底人に操られた地底怪獣テレスドン、宇宙開発の犠牲者が変身した彗星怪人ジャミラ、20万トンという凄まじい体重のメガトン怪獣スカイドン、“怪獣墓場”から月ロケットにしがみついて落下してきた地球に落ちてきた亡霊怪獣シーボーズとの戦いを綴る。

ウルトラマン自体は1966~67年の作品なので、放送当時ではなく、後に発生したウルトラマンブームの際に作られた作品。ウルトラマン80の前くらいなので、ザ☆ウルトラマンあたりか。TV放送のフィルムを使ったブローアップ版なのだが、さすが実相寺監督というところか、余白のあるカットなど、とにかく画が味わい深い。

チョイスされている怪獣も特徴的。ガヴァドンは子供の想像から生まれた怪獣で、大人から抑圧された子供たちの反発心の象徴。絶対悪として退治するにはちょっと憚られる存在。テレスドンは、かつて地上人によって虐げられて地底に追いやられた不幸な一族が、臥薪嘗胆で復讐するために連れてきた怪獣。かつて地上人がやったであろう非道を考えると、これも若干、倒しづらい。ジャミラにいたっては、その正体は人間だ。科特隊のメンバーも任務を放棄しようとするくらいかわいそうな存在。科学信奉の犠牲者だ。とにかく本作の怪獣は、どうにもひっかかる相手ばかり。

“争いは悪い”というのは簡単だが、そんな綺麗ごとだけで解決できる事柄だけではないのよ…という難題を、抜き身で子供に突きつけているようなもの。今の特撮作品にはない切り口。子供向け番組に、政治的シニカルさを加えるのはどうだろう…という見方もあるだろうが、大人といっても、所詮は大きくなった子供だからね。子ども扱いしないっていうのは大事なのかも。

後半は、さらに実相寺節全開の演出のオンパレードとなる。スカイドン戦ではバロック調のBGMに、寝起きパジャマ、カレー、お茶会。
シーボーズのコミカルさに加えて、供養という名目で、過去の総集編になっているという優秀演出。さらに、何か違和感を感じた人はなかなかするどい。本作では、ウルトラマンがスペシウム光線を使っていないのだ。
#地球にいるときと宇宙空間で、VTOLの推進エンジン(アダプターなのかな)が違うという、地味にしっかりした設定もすごい(が、その点は実相寺演出とは無関係)。

単なるブローアップなのに、監督の色を出しまくって成立させているのがすごい。さすがに監督名が冠されるだけのことはある。

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公開年:1988年
公開国:アメリカ
時 間:121分
監 督:トニー・ランデル
出 演:アシュレイ・ローレンス、クレア・ヒギンズ、ケネス・クランハム、イモージェン・ブアマン、ショーン・チャップマン、ウィリアム・ホープ、ダグ・ブラッドレイ、オリヴァー・スミス 他





魔道士の目を逃れて現世に復活したフランクだけでなく、魔道士たちからも命を狙われることとなったカースティ。パズルボックスを封印しなんとか逃れることに成功したものの、その恐怖体験の影響により精神が不安定になってしまう。その後の刑事からの事情聴取でも、常軌を逸する証言を繰り返したため、精神病院に収容されてしまう。収容された後も、家にある血の浸み込んだマットレスだけは絶対に処分しろと叫ぶ自閉症の少女ティファニー。それをたまたま聞いたのが病院の院長チャナード。なんと彼は、かねてから例のパズルボックスの研究を続けており、彼女の言葉を聞いて色めき立つ。チャナード院長は警察と交渉し、例のマットレスを引き取り自宅へ持ち帰ると、自傷癖のある患者をマットレスに放置。自分の体を傷つけ始めた患者から流れ出た血がマットレスに浸み込むと、その途端に骨にわずかな肉だけの怪物が出現し、患者を引きずりこんでしまう。なんと復活したのは、フランクに殺されたカースティの継母ジュリアだった…というストーリー。

前作の直後からはじまる完全なる続編。パズルボックス研究家が登場するなんて、ずいぶん都合が良すぎると思うかもしれないが、続編設定としては悪くないと思う。

この世ならざる者(魔道士さんたち)と、この世ならざるものに魅入られた者(パズルボックスを使った者)、そして魅入られた者と対峙するもの(パズルボックスから身内を救いたい者)の三極構造のお話なのだが、後者2つのせめぎ合いがストーリーの大半を占める。魔道士さんたちがメインのように見せておいて、人間同士のドロドロとしたホラー&サスペンスがストーリーの主軸。それがこのシリーズの魅力のひとつといえる。
前作では究極の快楽を求めるフランクの僕となった継母ジュリアだが、。本作では“あの世”との扉の秘密にとり憑かれた男チャナード院長が、復活した継母ジュリアの僕となる。この組み合わせも前作と一緒。

医者だけにいけにえの調達は簡単で、とんとん拍子にジュリアは復活。よく考えたら、復活する過程で人が殺されることは問題だが、完全復活を遂げたら究極の化け物になるとか、そういうわけではなない(前作のフランクも父親に化けて暮らしていこうとしたから、カースティ的には問題があったわけで)。では、今回はなんで対立するかというと、自閉症の少女ティファニーを使って、地獄との扉を開けようとしているから。
#その他にも若い刑事という味方が登場するのだが、すぐにご退場。

それを防ぐというだけなら結構スッキリした話なのだが、カースティは前作で死んでしまった父親の魂を救おうとする。ということは、地獄との扉が開くことを防ぎたいが、その扉の向こうにいかねばならないという相反する行動をとらねばならない。というか、父やの魂を救うとは具体的にどういうことなのか、よくわからないまま話が進む。

よくわからないなぁ…と思っていたら、地獄にはなぜか前回のフランクがいる。ジュリアとすったもんだあるけど、まあ大した内容じゃない。この地獄の様子がどうもよろしくない。私は、本作の敗因は、地獄のシーンが多く、且つ陳腐であることだと思う。『ビートル・ジュース』のあの世と、ダリの描いた絵みたいな世界がミックスされた感じ。これが、魅力的な魔道士さん達のデザインとマッチしていない。

で、カースティが地獄に到達すると、やっと魔道士たちが登場するのだが、なぜか彼らはカースティに“究極の快楽”を味合わせようと押し売りしはじめる。そうじゃないっていってるのに押し売りを始める。アホなのかな?
その代わりに、チャナード院長が魔道士さんのように変身してカースティに立ちはだかるとか、ジュリアが妨害するとかがんばりはじめる。でも、なんかドタバタしていて面白くない。

すると、地獄の存在意義を説明するかのように“リバイアサン”という言葉が出てきて、さらに魔道士さんたちは実は元人間だった!とかいうシーンが差し挟まれる。決して悪い設定ではないよ。でも、なんでもかんでも盛り込んで、それぞれが浅い。前作で醸成した魅力がすっかり減退してしまっている。もう観なくていいかな…という気持ちになっているが、3も借りてしまったので、観る(しかない)。

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プロフィール
HN:
クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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