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公開年:2008年
公開国:アメリカ
時 間:101分
監 督:ジョン・ポルソン
出 演:ラッセル・クロウ、ジョン・フォスター、ソフィー・トラウブ、ローラ・ダーン、アレクシス・ジーナ、アリヤ・バレイキス、ティム・ホッパー 他
両親を殺害し少年院に収容されているエリックは、犯行時に抗うつ剤の服用により正常な精神状態ではなかったとして、釈放されることに。クリストフオロ刑事は、未解決の連続少女殺人事件の犯人も彼ではないかと疑っており、独自に調査を開始する。一方、16歳の少女ローリは、母親の恋人からの性的虐待に苦しんでいたが、エリック釈放のニュースを聞き、家から出て行くことを決心する…というストーリー。
冒頭の10分間、観ていても何一つ心惹かれるところがなく、掴みとしては最悪といってよい。
完全に興味を失いかけたところで、ああ、この絵を描いたのはこの虐待されてる少女なのかな?何で妻は意識がないのかな?少年院にいるこの男と少女は何か関係があるのかな?と、かろうじて興味をいだかせるピースが登場してくる。
シナリオのレベルとしては、落第ギリギリである。
それにしても、なんで“TENDERNESS(人間的なやさしさ)”という原題がChasingになるのか。たしかにラッセル・クロウ演じる刑事は、エリックを追いかける。いや、ローリだってはじめはエリックを追いかけてるか。
だけど、それをタイトルにすると、追跡することが主題ってことになるじゃないか。どう考えても違う。
やはり、人間性が無い少年が人間性を感じられるのか?が主題なんだと思う。もし追跡劇を観せることが主題なら、クリストフオロ刑事の妻は植物状態というギミックは不要である。本作は、どうしても彼の弱さ(TENDERNESS)を表現する必要があった。彼は妻のことを言われるとかたまってしまう。そんな弱い部分をもった刑事が、シリアルキラーを追いかけることに意味があるのだ。
普通、シリアルキラーを描く場合、改悛の可能性を表現することは少ないと思う。そういう意味では稀有な作品かもしれない。実際は、多重人格者の一部の人格が連続殺人を犯し、人格統合の結果、連続殺人を行わなくなる例はあると思う。しかし、大抵、シリアルキラーとしての性向が、他者の出会いや触れ合いによって改悛されることなど、聞いたことがない。いや、手を差し伸べれば、シリアルキラーだって改悛するんだよ…という、きわめてキリスト教臭が漂う。
もうネタバレになっちゃうけど…、ネタあかし的に挿入されるローリが犯行を目撃するシーンは、どう捉えてよいのかわからない。
犯行を目撃した上でエリックに接触したってことは、彼に殺してもらいたいと思って接触したってことだろう。
でも、そのシーンに重なる刑事によるナレーションは、「私は確信していいる。快楽は記憶を消すが、苦痛からは希望が生まれる…。みな自分に言い聞かせる、やり直せるさ…と。今日は違う。今日こそは何か変わるかも…と」である。確かにローリは現状を変えたいと思ってはいただろう。ならば、その“変えたい”は“もう死にたいから彼に殺してもらいたい”って意味になるじゃないか。
刑事とローリのやさしさや弱さが、エリックの中に人間らしさを産みましたとさ…って流れなのに、ナレーションと映像が噛み合っていないから、希望も救いのかけらもないだけでなく、刑事の献身的な介護もなにか空しく見えてしまうじゃないか。何かおかしくないかこれ?
胡散臭い作品だと私は感じる。ポンコツ神父にしたり顔で説教されたような感じで、うんざりした気分になる。
そりゃ、日本未公開なわけだ。私はヒドい内容だと思う。お薦めするとかしないとかいうレベルじゃなく、嫌い。
最後のナレーションの「人には二種類いる。快楽を求めるものと苦痛から逃れるもの」っていう部分も頭悪いんじゃないかと思う。だって、置かれている状況の違いだけで、両方とも同じじゃないか。なんでラッセル・クロウがこんな作品に出てるかな。
負けるな日本
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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