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image1855.png公開年:2007年
公開国:イギリス、ハンガリー
時 間:100分
監 督:ロバート・ヤング
出 演:トーマス・クレッチマン、トロイ・ギャリティ、フランカ・ポテンテ、スティーヴン・フライ、デレイン・イェーツ、テレーザ・スルボーヴァ、ユディット・ヴィクトル、スティーヴン・グリーフ 他





ナチス政権下、ユダヤ人の大量虐殺に関与したアイヒマンは、戦後、正体を隠してアルゼンチンへ逃亡していた。15年後、イスラエル諜報機関モサドによってアルゼンチンで捕らえられ、イスラエルに強制連行される。イスラエル政府は、アイヒマンから犯行の自白を取るために、イスラエル人警官アヴナーに尋問役を命ずる。他のナチス構成員からの証言をもとに、彼を問い詰めていくが、尋問をいくら重ねても、彼はナチス上層部からの指示に従っただけという姿勢は崩すことはなく…というストーリー。

冒頭に、この作品はイスラエル側の資料に忠実に基づき…というテロップが。一見、史実に沿って表現されているアピールに見えるけど、裏を返せばイスラエル視点しかないってことになる。正直、この一文で観るのをやめようとおもったくらい。イスラエルは、ナチス犯罪を再検証しようとすると、圧力をかけるという噂もあるし(本当かどうかしらんけど)、どうも気にくわない。

忠実な描写をかなり求められていることが伺える(ある意味、演出上の制限がかけられている)のだが、そんな中でも、なんとか独自な色を出していこうと、登場人物の考えていることをカメラーワークやアングルで表現しようという姿勢がみられる。
例えば、拘置所の中で、女性看守の下着の線や胸のラインに着目するカット。別の特段アップにするわけでもなく、なんとなくパンフォーカスが合ってるだけなんだけど、その表現だけでアイヒマンが尋問中でもいたって冷静な精神状態であることを表現しているわけだ。

判りにくいのは、自白を取れ、自白を取れと、延々と指示されつづけるのだが、何を自白させようとしているのか観ていて判らなくなる点である。だって、アイヒマンは関わったことは自白しているように見えるからね。

「平和に対する罪」「人道に対する罪」(いわゆるA級・C級戦犯)に問うためには、アイヒマンが組織犯罪の歯車ではなく、自らの意思をもって殺人を犯したという供述を取りたいということなんだろう。
客観的な証拠があれば簡単なわけだが、要するに脆弱な証拠しかなかったということ。
さらに、モサドがアルゼンチンでアイヒマンを拘束・移送したこと自体、アルゼンチンとイスラエルとの間の正しい犯罪者手続きを怠った。デュープロセスを踏んでいないため、逮捕自体が違法となる可能性もあったわけだ。
さらに、イスラエル人たちは、あれだけ迫害されたんだから国をもつことくらい当たり前だ!といわんばかりにパレスチナ人を追い出したり殺したりしてるわけで、ただでさえ国際社会からの風当たりは強かった。これ以上、民主主義に則っていないように見えるのは、非常にまずい。
でも、今持っている材料ではとても納得してはもらえないので、状況証拠+自白のセットで何とか死刑にしたい…と。いや、ガス室送りに高官として加担しただけで、十分死刑に問えるのではないか?と思うだろうが、イスラエルには根本的ない死刑制度がないし、イスラエル建国前の犯罪を事後法で問えるはずもない。でもこの憎い悪魔は殺したい。さてどうするか…といったら、「平和に対する罪」「人道に対する罪」で問うしかないってこと(まあ、これも事後法で、普通に考えりゃ無効なんだけど)。
#まあ、これは私の解釈ね。

で、やっと逮捕したのに、イスラエル民衆は「釈放しろ!」と大騒ぎ。一瞬、は?って思うよね。彼を罪に問うことをやめろと言ってる?いやいや、釈放したら私刑にするって言ってるんだ、彼らは。所詮、ナチスからやられたことと同じことをパレスチナ人に対してやってるんじゃないか?とかそういう考えに及ばない土人レベルだからね。きちんとした手続きなんかどうでもいいんだ。

エンドロール前に、若い世代はアイヒマンってきいてもわからん…とか愚痴めいたテロップが入るのだが、だったら、こういう世論とか状況とか民衆の感情とかをきちんと説明すべきだと思う。小難しく表現しておきながら、最近の若いものは…って、自ら風化させようとしているに等しい。バカ老人の発想だと思う。
大体にして、極力事実を告げることを共用されるような縛りがある中で、“映画”という手法を選択するのが誤り。ドキュメンタリー的な再現ドラマにでもすればいいのだ(ヒストリーチャンネルの番組みたいに)。
実話モノっていうのは、いつでも、「それは事実と違う」だ「解釈が違っている」だのクレームはつきもの。でも、映画というものが、クリエイターの目や脳を経由する以上、他者と捕らえ方がことなるのが当たり前であって、それを避けるなら、映画なんかにしないほうがいいのだ。

テーマ的にも作品レベル的にも、日本未公開のは当然と思える出来映え。歴史のお勉強資料としても、本作でなければわからない事柄もない。映画としては駄作の部類。
このアイヒマンの態度(組織の規範に従っただけという態度)が、非常に興味を持たれ、“アイヒマン実験”なんて心理学的なテーマになっちゃうほうが、よっぽど面白い。そういう観点に着目して尋問の様子を描けばよかったのに。もしかして、人間だれしもこうなっちゃう可能性があるのでは?みたいなね。

 

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出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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