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公開国:フランス
時 間:80分
監 督:レベッカ・ズロトヴスキ
出 演:レア・セドゥー、アナイス・ドゥムースティエ、アガト・シュレンカー、ジョアン・リベロー、ギョーム・グイ、アンナ・シガレヴィッチ、マリー・マテロン 他
受 賞:【2010年/第36回セザール賞】有望若手女優賞(レア・セドゥー)
17歳のプリューデンスは広い家に一人暮らし。母親が死んだ後、父親は海外出張でカナダにいったきり戻ってこず、姉は母親のいない家にはいられないと、親戚の家に泊まりこんでいる。誰からも干渉されない自由な生活だが、孤独に押しつぶされそうな毎日で、その孤独を補うため、人との繋がりを求めてデパートで窃盗を繰り返している。ある日出会った不良少女マリリンと知り合いになり、家に泊めるようになる。マリリンの知り合いが、違法バイク・レースをやっていることを知り、その世界にも関わっていく。そこで同じ年毎のフランクと出会い、特に恋愛感情があるわけでもないのに肉体関係を持つが、どれだけ、刹那的な関わりを重ねても、プリューデンスの心は満たされず…というストーリー。
どこかで見たことがある気が…と思っていたら、このレア・セドゥーは、『ロビン・フッド』とか『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』にちょこちょこ出てるんだな。でも、この女優さん一人で作品を引っ張れるほどの魅力があるわけではない。
『太陽の季節』のような若者の暴走を描いたともいえるし、80年代の角川のアイドル映画のように少女の背伸びを描いたともいえる。孤独な少女の退廃的な一時期をポートレートのように切り取った一作…といえば聞こえがいいが、あちこちで乳を出すシーンばかりだし、少女の苦悩の表現も甘いし、自暴自棄に危ういところに飛び込んでいくハラハラ感も薄い。
何か、ドラスティックな展開でもあるのかと期待したが、ラストまで大きな展開はなく、根は清純な少女が無理をして、アンビバレントな状況に苦悩するだけという、予想のつく内容。それを補うような、ショッキングなシーンがあるわけでもなく、とにかく退屈。
(ネタバレ…なのかな)
死んだはずの母親が、なぜかラストに登場。なにやら耳が遠くなったり、ちょっと精神に支障があるような雰囲気なのだが、わけがわからない。父親も姉も母親が死んでいないことを知っていたのか?大体にして、母親が死んだということにできるものなのか?それを17歳にもなった人間が信じるなんていうことがあり得るのか?
いや、さすがにそんな馬鹿なことはないだろう。きっと、このシーンごと、あまりの孤独感から生じたプリューデンスの妄想に違いない…とか、色々考えは巡ったのだが、何か考えることすら、労力の無駄な気がして、そのまま私は心をクロージングしてしまった。
だから、ラストの意味は結局よくわからない。
日本未公開作品なのだが、そりゃそうだろう…って出来映え。
公開国:アメリカ
時 間:126分
監 督:マーティン・スコセッシ
出 演:ベン・キングズレー、ジュード・ロウ、エイサ・バターフィールド、クロエ・グレース・モレッツ、レイ・ウィンストン、エミリー・モーティマー、ヘレン・マックロリー、クリストファー・リー、マイケル・スタールバーグ、フランシス・デ・ラ・トゥーア、リチャード・グリフィス、サシャ・バロン・コーエン 他
受 賞:【2011年/第84回アカデミー賞】撮影賞(ロバート・リチャードソン)、美術賞(Francesca Lo Schiavo、ダンテ・フェレッティ)、視覚効果賞(Alex Henning、ベン・グロスマン、Joss Williams、ロブ・レガト)、音響賞[編集](Eugene Gearty、Philip Stockton)、音響賞[調整](John Midgley、Tom Fleischman)
【2011年/第37回LA批評家協会賞】美術賞(ダンテ・フェレッティ)
【2011年/第69回ゴールデン・グローブ】監督賞(マーティン・スコセッシ)
【2011年/第65回英国アカデミー賞】プロダクションデザイン賞(Francesca Lo Schiavo、ダンテ・フェレッティ)、音響賞
【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】美術賞(Francesca Lo Schiavo、ダンテ・フェレッティ)
コピー:ヒューゴの<夢の発明>にあなたは驚き、涙する
1930年代のパリ。火事で父を失ったヒューゴは、それ以降叔父に引き取られ、学校に行くことも許されず、駅の時計台に隠れ住み、時計のネジを巻く暮らしをしていた。ほどなく叔父はいなくなり、駅の構内で食料を盗むなどして、孤独に生き抜いていた。そんな彼の唯一の心の支えは、父が遺した壊れたままの“機械人形”で、父が遺したメモを頼りに修理を続けていた。その修理のために、おもちゃ屋から部品を盗んでいたが、とうとう店主の老人に捕まってしまう。おまけに、父のノートも取られてしまう。そんな中、機械人形の重要な部品である“ハート型の鍵”をもった少女イザベルと仲良くなり、一緒に機械人形の秘密を探るのだったが…というストーリー。
“ヒューゴの不思議な発明”ってヒューゴは別になんの発明もしていないじゃないか。そんなタイトルだから、『マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋』みたいな内容かと思ってしまった。ちょっとタチの悪い邦題。初めて子供が観れるスコセッシ映画なのか…とおもったのだが、まさか映画賛歌になろうとは。魔法とかそういうファンタジー作品ではなく、極めて現実ストーリーだった。
まあ、パリで皆が英語を話すのはご愛嬌。そんなに修理の能力が高いなら、タダのハートの鍵なんか適当につくって、動かせそうなもんだよね…とか、愛着があるので機会人形を寄贈したけど展示してもらえなかったっていうけど、肝心の鍵を嫁さんが持っていて動かないんだから、展示してもらえるわけないよね…とか、そういうのご愛嬌。
まさか、メリエスの話とは(原作がそういう話なんだね)。でも、その情報は、正直知らないでよかったと思った。おお、このじいさん、メリエスなの?と、映画好きとしてはワクワクする展開。よく考えれば、確かに、あのじいさんの風貌はメリエスだ。私、『月世界旅行』が観たいがために、『死ぬまでに観たい映画1001本』っていう分厚い本を買ったくらい(付録に付いていたのね)。
#汽車が迫ってくるだけの映像とか、映画の本でそういうのがあったことは知っていたけれど、観れて嬉しかった(あの映像って本物だよね?)
映画史上の偉人なので、スポットがあたるのは嬉しい。父の遺した謎を解明するのと同時に、映画史のルーツ、映画黎明期の情熱や、他人を喜ばせよう驚かそうという純粋な気持ち、これらが浮かび上がってくる。
今のなんでもかんでも3D映画にしようという風潮も、映画黎明期のメリエスの創作意欲とシンクロしているような気もする。このタイミングでスポットが当たるのも偶然ではないような気がする。
ただ逆に、玄人ウケするとは思うが、意外と映画好き以外は期待はずれと感じたかもしれない。
クロエたんは、ひよことニワトリの中間状態って感じで、かわいくもないし綺麗でもない微妙な時期。こういう、カワイサもセクシャルさも不要な作品への出演はよい選択だったと思う。主人公の男の子は、アラン・ドロンみたいな感じに成長するかも。オファーは増えていくと思う。
スコセッシ作品とは思えないくらい毒は無いけれど、映画好きなら胸が熱くなる作品。純粋なファンタジー映画を求めるたなら肩透かしを食らう作品。
公開国:アメリカ
時 間:94分
監 督:ブラッド・ペイトン
出 演:ドウェイン・ジョンソン、マイケル・ケイン、ジョシュ・ハッチャーソン、ヴァネッサ・ハジェンズ、ルイス・ガスマン、クリスティン・デイヴィス 他
17歳になったショーンは、ある日謎の信号をキャッチする。微弱な信号だったため、強い信号を受信するために天文台に忍び込んだが、警察に見つかってしまい母親と義父にこっぴどく叱られてしまう。義父のハンクは、なぜ天文台に忍び込んだのか問い詰めると、ショーンが信号のことを説明する。ショーンはその謎の信号の解読に手間取っていたが、元海兵隊で暗号解読はお手の物だったハンクは、すいすいと読み解いてしまう。その信号は、南太平洋上の座標を表しており、おそらくその発信者がショーンの祖父であると思われた。どうしても発信源まで行くと聞かないショーンに、ハンクは付き添うことにする。何とか近隣の島まできた二人は、その座標までのガイドを捜したが誰も引き受けてくれなかったが、1000ドルの報酬に目がくらんだヘリコプター操縦士・ガバチョと、その娘カイラニがガイドをしてくれることに。4人は座標点に近づこうとすると、とてつもない大嵐が彼らを襲い…というストーリー。
前作の原題は“JOURNEY TO THE CENTER OF THE EARTH”だから、邦題がセンター・オブ・ジ・アースのは至極もっともなんだけど、本作は“THE MYSTERIOUS ISLAND”で地球の中心になんか行かないから、センター・オブ・ジ・アース無関係なんだけどなぁ。
一応、主人公は同じキャラクターで役者も同じだし、設定上も4年後ってことなんだけど、繋がっていることを明確にしないと話がわからないか?といわれれば、まったく別の話でもOKなわけで…。
世界中のほとんどの人が到達できない“神秘の島”に、ヘリコプターで簡単に到着できちゃう都合の良さはなんやねん…と思うけど、ジョイポリスとかにあるような、3D画像を見ながら座席が動くアトラクションなんかのノリだよね。
まあ、大嵐に囲まれた島って設定なんだけど、最後の方はピーカンに晴れて、見渡す限りの平穏な海だったけどね。
ここでは、大きいものが小さく、小さいものが大きいって、小さい動物は象しかでてこなかったな。それに蜂に乗ったのはいいけど、どうやって自由にコントロールしてるんだ?とか。空から金が降ってるなら、その辺に溜まってると思うんだけどね。わざわざ固まりを掘らなくてもさ。いろいろあるけど、そういう細かいことはどうでもいいんだわ。
『宝島』『ガリバー旅行記』『海底二万哩』などごちゃ混ぜにして、ディズニーリゾートで遊んでる感じ。
3Dで劇場公開されたと思うんだけど、3D映像で誤魔化した作品ではなく、ストーリーもそれなりに面白い。
“ザ・ロック”ことドウェイン・ジョンソンは、プロレスラーとしての実績ばかり先行して、ポンコツ役者のまま終わるのかと思ったけど、ゆっくりながらも着実に演技ができるようになってきたと思う。ヴィン・ディーゼルのポジションくらいは奪えているのかな…と。
お歌のシーンなどなかなか良かった。そこから、偏屈ジジィやわがまま息子との関係がほぐれていくところなど、ドラマとしての要素も子供向けにしてはしっかりしていると思う。
そして、昨今めずらしく、素直に八方丸く収まったハッピーエンド。金なんか持ち帰らなくてもノーチラス号の観光ツアーで大儲け。誰も傷つかない、色んな意味で安心の子供映画だ。なんなら前作よりも良いかもしれない。
公開国:アメリカ
時 間:102分
監 督:ジェームズ・ボビン
出 演:ジェイソン・シーゲル、エイミー・アダムス、クリス・クーパー、ラシダ・ジョーンズ、アラン・アーキン、ビル・コッブス、ザック・ガリフィナーキス、ケン・チョン、ジム・パーソンズ、サラ・シルヴァーマン、エミリー・ブラント、ウーピー・ゴールドバーグ、セレーナ・ゴメス、デイヴ・グロール、ニール・パトリック・ハリス、ジャド・ハーシュ、ジョン・クラシンスキー、リコ・ロドリゲス、ミッキー・ルーニー、ジャック・ブラック 他
受 賞:【2011年/第84回アカデミー賞】歌曲賞(ブレット・マッケンジー“Man or Muppet”)
【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】歌曲賞(詞/曲:ブレット・マッケンジー“Life’s a Happy Song”、歌:エイミー・アダムス、ジェイソン・シーゲル“Life’s a Happy Song”、詞/曲:Chen Neeman、Aris Archontis、Jeannie Lurie“Pictures in My Head”、詞/曲:ブレット・マッケンジー“Man or Muppet”、歌:ジェイソン・シーゲル“Man or Muppet”)
田舎町スモールタウンでで人間のゲイリーと仲良く暮らすウォルター。しかし、自分が周囲の友達と違うことに気付き落ち込み始める。そんな時、TVでマペット・ショーで自分と同じマペットに陽気な姿を観て熱狂的なファンになるのだった。大人になったゲイリーが恋人メアリーとLA旅行に行くことになったが、ウォルターも誘われる。LAにあるマペット・スタジオに行けると大興奮するウォルターだったが、いざ訪れてみると、当時の熱狂が見る影も無く寂れていた。そして、そこで、今の所有者である石油王テックスが、スタジオを売却するおいう邪悪な陰謀をウォルターは聞いてしまう。何とかしてスタジオを守りたいウォルターは、引退した“ザ・マペッツ”のカリスマ、カエルのカーミットを探し出し、“ザ・マペッツ”の再結成をお願いするのだったが…というストーリー。
本作に登場する“マペット・ショー”というのは、セサミストリートとは違うんだな。セサミストリートは観たことがあるが、マペットショーというのは観た記憶がなくて、あまり懐かしいという感じがしなかった。着ぐるみの人とかが登場して踊りだすと、ちょっと違和感。
セサミストリートのキャラクターといえば、ユニバーサルスタジオを思い出すが、本作はディズニー映画。ディズニーランドでこいつらのグッズとか売るわけ?とか、そっちのほうが気になってしまった。でも、マペットショーの方にはエルモとかクッキーモンスターとが出ていないし、やはり、線引きはあるんだろうな。
ミュージカルということだが、あまり踊りの楽しさは少ない。人形劇だから仕方が無いか。歌曲に関して、色々受賞しているようだが、そちらもあまりピンとこない。それよりも、吹き替え音声にしても、歌が英語のままで、いまいち乗り切れない。これでは子供は観ていられないだろう。正直、字幕を追うのは興醒めした。
ストーリー構成も感心しない。ウォルターの成長物語と、マペットたちの起死回生の物語の二本の流れがあるのだが、噛み合っての相乗効果も薄いし、各々の盛り上がりもイマイチ。大体にしてウォルターというキャラの薄さが、どうにもこうにも。
よほど思い入れのはる人ならいざ知らず、そうでなければ、このノリにはついていけないだろう。ほんわかした雰囲気は悪くないのだが、悪ノリ要素が極めて希薄なのが難点。ジャック・ブラックの無駄遣いがその最たる所かも。
子供は面白がって観てくれるだろう…とレンタルするのは、ちょっと危険。すぐに別の遊びを始めるだろう。
公開国:アメリカ、日本、カナダ、フランス
時 間:126分
監 督:クリストフ・ガンズ
出 演:ラダ・ミッチェル、ショーン・ビーン、ローリー・ホールデン、デボラ・カーラ・アンガー、キム・コーツ、ターニャ・アレン、アリス・クリーグ、ジョデル・フェルランド 他
コピー:その街では、祈りさえも、悲鳴に変わる――
毎晩悪夢にうなされ、夢遊病のように歩き回る9歳の娘シャロンに悩まされているローズとクリストファー夫婦。シャロンがいつも口にする“サイレントヒル”という言葉。ある日ローズは、ウエストバージニアにサイレントヒルという町が実在することを知る。その街は、30年前に炭鉱火災が原因で町中が大火災に見舞われ、今はゴーストタウンとなっていた。シャロンがその町のことを知っているはずはないのだが、解決の糸口があるかもしれないと、夫にだまって娘をつれてサイレントヒルに向かうのだった。サイレントヒルへ向かう道は封鎖されていたが、無理やり突破。しかし、その後、事故をおこしてしまい気を失ってしまう。目を覚ますとシャロンの姿は消えており…というストーリー。
異世界に紛れ込んだことが明白なので、リアルなホラー表現を期待していた人は、求めていたものと離れてしまって途中で飽きるかもしれない。現実だと錯誤させる時間をもうすこし長めにできると良かったとは思う。
しかし、ローズたちを襲ってくるモンスターたちのデザインや、灰が降る世界観など、ノリと雰囲気を重視した作品。さすがベースがゲーム。これにノリ切れれば非常に愉しめるはず。私は愉しめた。三角頭さんとか、なんでそんなデザインやねん…って思うけど魅力的だもん。
謎解きも、判ったような判らないような、とりあえず場面を進めるための鍵の連続であり、ストーリーに深く根ざした謎ではない。ここもゲーム的。
復讐の視点に、極めて“日本臭”が漂う。煉獄の概念自体はカトリックのものなのだが、自分が死んだことにも気付かず、永遠に愚かな存在であり続けるという地獄の様態は、日本の地獄の概念に近い。もしかすると、欧米人は逆にピンとこなかったかもしれない。
で、シャロンはアレッサの子なのか、本当に人ならざる力によって生み出された存在なのか。
単に孤児院の前に置かれていた子というだけ、そしてたまたまアレッサに似ていたというだけならば、あそこまで孤児院の修道女や町の人間がタブー視することもないと思うし。その辺はすっきりしない。
さて、ローズとシャロンは夫の所にもどれるのか…。ここが賛否両論分かれるところだと思うし、それまでのハリウッド映画にはみられない流れだと思うし、やっぱり日本的だと思う。
対して、復讐時の、茨のように這いまわる有刺鉄線による惨殺シーンは、アメリカンホラー直球の演出で、それらの融合が実に味わい深いものになっていると思う。
最後、車にもどった娘シャロンは、指をしゃぶる。白シャロンと黒シャロンが融合して新たな(本来の)シャロンに生まれ変わったので、もう一度赤ん坊からやり直す…というわけだ。見事、二人はサイレントヒルを脱し家に帰るが、そこは現実とは異なる世界。二人はまるで自縛霊のようになり(ここも日本的な表現)、延々と親子の生活を繰り返すという、ある意味地獄を永遠に味わうのだろう。人を呪わば穴二つを地で行くオチである。
視点を変えれば、昨日の『ペントハウス』のように他者への献身で、満足に至っている様子にも見える。
以前、観たときはそれほど良いとは思わなかったのだが、今、改めて観ると、なかなか良い出来映え、良い味わいがあった。もう一度観てみては?
#ブルーレイの精緻が画質でみたいかも。
公開国:アメリカ
時 間:104分
監 督:ブレット・ラトナー
出 演:ベン・スティラー、エディ・マーフィ、ケイシー・アフレック、アラン・アルダ、マシュー・ブロデリック、マイケル・ペーニャ、ティア・レオーニ、ガボレイ・シディベ、ジャド・ハーシュ、スティーヴン・マッキンレー・ヘンダー、ジェリコ・イヴァネク、ロバート・ダウニー、ニナ・アリアンダ 他
マンハッタンにある“ザ・タワー”は、成功した企業家やセレブだけが住む超高級マンション。そこは、マネージャーのジョシュら一流のスタッフが、リッチな居住者の快適な日常生活をサポートしていた。そんなある日、ザ・タワー最上階のペントハウスに暮らす大富豪アーサーが、証券詐欺でFBIに逮捕されてしまう。ジョシュは、スタッフ全員の年金をアーサーに預託していたことから真っ青に。友人のように付き合っていたアーサーにそのことを問い詰めると、投資にはリスクが伴うものだと悪びれる様子もなかったことから、普段は温厚なジョシュもブチ切れ。アーサーの大事にしていたスポーツカーをゴルフクラブでめちゃくちゃに破壊して、マンションを解雇されてしまう。スタッフたちの老後の生活を台無しにしてしまった負い目から、ジョシュは、アーサーが部屋に隠しているらしい2000万ドルを強奪しようと、一緒に解雇されたスタッフたちと一緒に犯罪チームを結成する。そして、近所に住む泥棒のスライドを助っ人に計画を練っていくのだが…というストーリー。
ベン・スティラーにエディ・マーフィというキャスティングなもんで、直球のコメディかと思ったら、あからさまにチョケた笑いは無し。各キャラクターはいたってまじめに不慣れな“強盗団”を遂行しようとする。シチュエーションコメディって感じ。
リーマンショックなどの強者はより強者に、弱者は奴隷になっていく、“自由”を標榜しつつ奴隷製造機となった自由主義経済、そして他人の金を右から左へ動かすだけでリッチになれるという、謎の貴族を生む仕組み。これらを揶揄することからはじまり、奴隷となってしまった彼らが、反骨精神を発揮するという作品。よくわかわからない経済が生んだ“疎外”に翻弄され苦しむ庶民が、溜飲を下げるための作品ともいえる。
散々、日本がデフレになったことを馬鹿にし続けたアメリカが、数十年遅れて日本と同じ政策を採ることになった事実。日本の経済が経済の基本からはずれていると見下している欧州が、ユーロ圏という経済圏を無理に構築したことから疲弊していっている様子を、みんなはどう見るだろう。日本がすばらしいなどという気はさらさらないが、欧米は所詮植民地時代から何も変わっていない、醜い思考の持ち主なんだと私は見る。
まあ、投資家のアーサーを完全な悪役として描けているという点で、ストーリーの渦が明確な作品となっている。
(ネタバレ注意)
単に、前の職場、前に住んでいたところに忍び込むだけの地味なストーリーで終わるのかと思ったが、無理やり差し込んだっぽいけど、最上階のペントハウスから車を出すという、お尻がひゅ~んとなる演出を差し込んできた。純粋にドキドキできた演出だと思う。
各キャストがしっかりと役割を果たしているのも好感が持てる。特にエディ・マーフィは、天狗になっているのか、シリアスな役でも本来のコメディな役でも、我をはって浮きまくっていたが、本作はしっかりと分をわきまえた仕事っぷり。久々に“役”者としての彼を観た気がする。
かといってただの脇役ではなく、裏切り計画を疎外するという役回りで、持ち前の口八丁手八丁キャラも披露。しっかりと持ち前の好さも発揮できたと思う。
ラストの、自分ひとりだけが罪をかぶり、アーサーに年金を預けてしまった心の重荷、そして職場の仲間たちの生活を取り戻してやることができたことからの安堵感の表情で終わるのも悪くない。収監時のおびえたアーサーの表情と、ジョシュの満足げな表情との対比も、ベタベタな演出だとは思うけれど、エセ経済競セレブたちを罵倒し溜飲を下げるという、映画の目的を達していると思う。し
かし、この映画は妙に評価が低い。その理由はただ一つ、明確だと思う。肝心の車の隠し場所が、おもしろくないからである。
FBIがホテルを血眼になって探している…と。もちろんアーサーの住居は真剣に探すだろうさ。当然、そこも探してしかるべきだろう。なんで見つからなかったのか、さっぱりわからない。そんな隠し場所でしたり顔されてもさ。この一点だけが、すべての良さを帳消しにするくらい、究極的につまらない。
これが無ければ、秀作だったと思う。残念。というか、そこだけ別なアイデアにして撮りなおよ…とすら思う。
それから“ペントハウス”っていう邦題が安っぽいね。それこそ、セレブによる小ネタのコメディーが繰り広げられる印象。そんなことはなくて、車の隠し場所以外は、とても愉しめたので、是非レンタルして観てほしい。
公開国:アメリカ
時 間:98分
監 督:モーガン・スパーロック
出 演:モーガン・スパーロック、アレクサンドラ・ジェイミソン 他
ノミネート:【2004年/第77回アカデミー賞 】ドキュメンタリー長編賞(モーガン・スパーロック)
【2004年/第10回放送映画批評家協会賞 】ドキュメンタリー賞
2002年11月、モーガン・スパーロックは、極度の肥満に至った女性2人が“肥満になったのはハンバーガーが原因だ”としてマクドナルド社を訴えたが、マクドナルド社が因果関係を否定したニュースを見て、あることを思いつく。彼は、本当に肥満とファストフードの間に因果関係がないのかを証明するために、1日に3回、30日間、マクドナルドのファストフードだけを食べ続けることにするのだった。そして、健康のための運動はやめ、店員から“スーパーサイズ”を勧められたら絶対に断らないというルールも加えて、実験に挑むのだが…というストーリー。
よく海外の人は、日本が粛々と集団行動するのをみて、飼いならされた民族だの、権力に簡単に支配されている国民だの揶揄するが、少なくとも自分でそう行動したほうが最終的に特だと納得して行動している。だから、薦められたからといって薦められるがままに食べることはしないし、仮に薦められるがままに食べたからといって、食べたのは自分の選択の結果だ、自分が悪かったという思考しか浮かばない。
ところが、アメリカ人は、自分のせいだとは微塵も思わない。アメリカ人は、簡単に権力に従ってしまう人間の集まりだと認めているに等しい。
精神的に自立していない国民性…言い方を帰れば家畜と同じなので、これを食えと言われえたらそのまま食ってしまう。家畜に気をつけろといってもできるわけがないだろ?だから気をつけなくちゃいけないのは、餌を与えるほうなのだ。だからマクドナルドは訴えられて然るべきだ!と。訴えている側は、自分が“家畜”だと表明したうえで、人のせいにしているのだ。
こんなロジック、日本人だったら馬鹿馬鹿しいと思うだろ?でもアメリカ人はそうは思わない。自分の判断で生きていないって、それって生きているといえるのか?何が自由の国なのか。笑わせるね。
登場する人間が、ハンバーガーを食べ続けたら体を壊した…だからハンバーガーは体に悪い食べ物だ!と主張する。アイスクリームを食べたら心臓発作で死んだ…だからアイスクリームは体に悪い食べ物だ!と主張する。
我々日本人は、食べ“続けた”から悪い、なんでもほどほどにしないといけないな…と思う。魚だって寿司だってそれだけ食べ続けてりゃ体を壊す。醤油を飲み続けりゃ死ねるだろ。あいつらは、日本食がヘルシーだとか言ってるけど、死ぬほど食べ続けてもまったく体に影響がないとでも思ってるんじゃないのか?アメリカ人は底抜けの馬鹿だと思う。
多額の宣伝費を使って子供を洗脳するのが悪い。そんな宣伝をされたら洗脳されて当たり前じゃん!そこで思考はストップ。洗脳されない子供を作ろうとは思わない。まあ、出てくる給食業者なんかの様子をみてりゃわかると思うけど、結局、自分以外の自国民への愛が皆無だってこと。
やっぱり、本作は話の焦点がずれていると思う。いや、はじめはズレていても、話が進むにつれて真の主張が浮かんでくるのなら理解できるのだが、ズレたままで終わると思う。似たような作風のマイケル・ムーアなんかは、正しいかどうかは別として、それなりの答えを導き出すけど、本作はそれが薄い。よく毎日食べましたね…という感想以外に何もない。それにこんなことをしなくたってどうなるかは、予想が容易につくので、この人がどうなっちゃうの?という興味も沸かないし。
このテーマで、この程度のオチしか導き出せないとするならば、今後この監督は、非常に苦労することになると思う。一発屋、それもこのスマッシュヒットの成功に溺れて、似たようなことを繰り返してどんどん小粒になって消えていくと思う。
公開国:フランス
時 間:138分
監 督:クリストフ・ガンズ
出 演:サミュエル・ル・ビアン、ヴァンサン・カッセル、モニカ・ベルッチ、エミリー・ドゥケンヌ、ジェレミー・レニエ、マーク・ダカスコス、ジャン・ヤンヌ、ジャン=フランソワ・ステヴナン、ジャック・ペラン、ヨハン・レイゼン、エディット・スコブ 他
受 賞:【2001年/第27回セザール賞】衣装デザイン賞(Dominique Borg)
コピー:18世紀フランス・ジェヴォーダン地方、100人を越える女と子供が忽然と姿を消した……。残された死体の傷跡。狼の仕業か?それとも呪いか?フランスの歴史における最大の謎、<ジェヴォーダンの野獣>の伝説が遂に明かされる!!
18世紀、ルイ15世統治下の啓蒙思想が広がりつつあるフランス。ジェヴォーダン地方にて、女子供ばかり100人以上が謎の獣によって惨殺される事件が発生。ルイ15世は、獣の正体を突き止めるため、王室博物学者のグレゴワール・ド・フロンサックを派遣した。フロンサックは新大陸にて義兄弟の契りを交わしたアメリカ先住民モホーク族のマニを伴い、ジェヴォーダン地方に赴く。しかし、二人の懸命な捜索にもかかわらず、獣を発見することができないだけでなく、惨劇も止まらず…というストーリー。
この話は、18世紀のフランスで実際にあった事件が元になっているとのこと。オオカミに似た生き物が人々を襲ったというのは、史実らしい。でも結局、獣の正体は不明。狼や外国の犬系の生物との交雑種という話もあるし、この獣騒動自体が陰謀だという説もある。本作は、そういう虚虚実実の諸説があることを、そのまま謎解きサスペンスにした感じ。
フランスのこの手の作品は、倒錯した血縁関係、因習がはびこる地方の村、得体の知れない村人を襲う何者か、というパターン。もう、そのパターンばかりといってよい。『クリムゾンリバー』だってそうだよね。フランス映画のフィクションのサスペンス作品って、面白いのはこのパターンだけっていう話もあるけどね。
舞台設定は、『スリーピーホロウ』に似ている。
その村が、相当な郊外の村であること。主人公が異文化を持ち込むことも観ている。獣は誰もみたことがなくって、実はいないんじゃないか?村人の思い込みなんじゃないか?という線も残しながら、謎解きが展開するのも似ている。村の教会の関係者や有力者がどうやら鍵を握っていそう…という展開も似ている。その関係者の娘が、主人公とよさげな関係になるのも似ている。
大きく違うのは、コミカルなノリが一切皆無であることと、中世ヨーロッパの重厚さ効いている舞台。そして、主人公にネイティブアメリカンのお供がいるっていうこと。でも、このキャラクター、観終わってから考えると、必要があったのかちょっと疑問になる。すごい武術の達人で、無双状態なんだけど、前半でやられちゃうのだ。
もっとネイティブアメリカン部族の秘術とか言い伝えとかが、獣の謎の解明に役立ったとかなら理解できるのだが、それほど重要な鍵になったわけでもない。とてもいいキャラクターで、キリスト教社会の埒外にいる存在というのは、生かせたと思う。獣退治に加担する若侯爵のキャラクターが良かったので、そいつと主人公とはまた別の友情が芽生える流れでもよかったと思う。
で、後半どうするのかな…と思ったら、主人公もそのネイティブアメリカンと同じ、というか何ならそれ以上に無双状態だった。そこまでできるんなら出す必要なかったんじゃないかな。
このあたりから、結構グダグダになっていく。主人公に恋心を抱く娘さんの顛末も、身も蓋も無さも相まって、せっかく、謎解きに向かって盛り上がっていくはずなのに、ダレてくる。眠くすらなってくる。ヴァンサン・カッセル演じるジャンがアフリカに行っていた件や、彼の腕が壊死しかかっているという件など、獣の正体と関係があるのかと思ったが、関係なかった。題
材もいいし、アクションも良かったので、終盤をブラッシュアップしてから、もう一度観たいくらい。何なら、この事件を題材にもう一度作り直しても…。
公開国:アルゼンチン、フランス
時 間:90分
監 督:ナタリア・スミルノフ
出 演:マリア・オネット、ガブリエル・ゴイティ、アルトゥーロ・ゴッツ、エニー・トライレス、フェリペ・ビリャヌエバ、フリアン・ドレヘル、ノラ・ジンスキー、マルセラ・ゲルティ、メルセデス・フライレ 他
ブエノスアイレスに住む専業主婦のマリアは、夫と2人の息子との4人暮らし。これまで、妻として母親として献身的に尽くしてきたことに不満はないが、そんな平凡な日々にこれでいいのかという思いもつのる。そんな中、50歳の誕生日にたまたまプレゼントされたジグソーパズルに夢中になってしまう彼女。すっかり夢中になって、別のパズルを求めて専門店に足を運んだところ、そこに“パズル大会のパ-トナ-募集”の広告に発見。思わず広告主に連絡を取り会ってみることに。その相手は出場経験豊富で何度も入賞している独身紳士ロベルト。彼はマリアの才能に惚れ込み、2人で大会出場をすることに。しかし、マリアは家族に、パズルの大会に出るなどとは言えず、叔母の介護と偽ってロベルトのもとに通い練習にはげむのだったが…というストーリー。
夫と子供の飯の世話ばかりの日々にうんざりしているおばちゃんは、家事の合間にやるパズルだけが楽しみで、パズル屋でふと見かけたパズル大会のパートナー募集の紙。これだ!と思い、連絡を取る。やっぱり、息子がヴィーガンの彼女の言いなりになって、自分のつくった飯を食わなくなったのは大きいよね。自分のいない間にキッチンを使われるのも、カチンときただろう。
#しまいには、夫まで、息子の彼女の食事療法に付き合っちゃうとか、もう、うんざりだわ。そこは共感する。
主人公のおばさんもそうだろうけど、観ているこっちも、パズル競技なるものがあることに驚くわけだ。そして、夫や息子とは違う、紳士然というか妙に男っぽさをかもし出している相手に当惑しながらも、そして家族にもおばさんの介護って嘘をついて内緒でパズルの練習と続ける。
ジャンルとしては、『カレンダーガール』とか『キンキーブーツ』とか、素人ががんばちゃう系のお話。もう、一ジャンルとして確立されているといってもいいね。それら作品では、素人にそんなこことができるわけがない!という、周囲の偏見に押しつぶされそうになるが、それを乗り越える。だけどやっぱり壁にぶち当たって、もうだめか…となるけど、なんとか乗り越えるという、お約束の展開がある。
ところが本作では、ちょっと趣が異なるのだ。本作の主人公は、いつも私に家事ばかりやらせて自由になにもやらせないとスネるのだ。そうすると、周りがおろおろして、「好きにやったらいいよ」となる。すると、しめしめとばかりにガンガンやりはじめる。家事もおろそかになるけど、夫は我慢する。いよいよ夫はキレるんだけど、このおばさん全然譲歩しなくて、結局夫がごめんなさいという。なかなか珍しい展開、というか、男目線からすると、夫への同情心が沸いてくる。
色々ありはするけど、このままめきめきと頭角を現し、競技としての面白さを我々に観せてくれるのだろうとおもったのだが…。
(以下ネタバレ)
やっぱり、薄々は勘付いていたのだが、所詮パズルなのだ。ピースを絵柄から予想してはめ込んでいくだけなのだ。主人公のおばさんは、経験者なら外側から作っていくのを内側から作っていくので、「変わったやりかたね…」とはいわれる。でも、早く作れるテクニックというわけでもなく、その技でのし上がっていくわけでもない。おまけに、本編で大会でのプレーシーンは5分もない。次のカットでは、ヒャッハー!優勝したー!というシーンに切り替わる。
で、共感できない決定的なシーンが…。優勝の勢いで、競技パートナーのおっさんと体の関係を持ってしまう。そして事がおわると、何食わぬ顔でタクシーで家に帰り、夫の寝ている別途にもぐりこむ。
でも、世界大会の出場権を得たけれど、私は行かないの…と。そこでやめるなんなら寝たりしなきゃいいんじゃねーのかね。ん~~~。単なる、日々の不満をぶつけるっていうレベルを超えてしまって、一切共感ができなくなってしまった。
妙に服装だけはきちっとしているおばさんだとは思ったけど、そこまで踏み越えなくちゃいけない理由がよくわからんわ。
男女で感想がかなり異なるのかもね。私には、「ん~どうなのよ、これ。」っていう感想しか残らなかった。
公開国:アメリカ
時 間:120分
監 督:スパイク・リー
出 演:ダニー・アイエロ、スパイク・リー、ビル・ナン、ジョン・タートゥーロ、ジョン・サヴェージ、ルビー・ディー、ロージー・ペレス、オシー・デイヴィス、リチャード・エドソン、ジャンカルロ・エスポジート、サム・ジャクソン、ジョイ・リー、スティーヴ・ホワイト、ミゲル・サンドヴァル、マーティン・ローレンス 他
受 賞:【1989年/第55回NY批評家協会賞】撮影賞 アーネスト・ディッカーソン
【1989年/第15回LA批評家協会賞】作品賞、助演男優賞(ダニー・アイエロ)、監督賞(スパイク・リー)、音楽賞(ビル・リー)
【1999年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品
ブルックリンの黒人街。その年一番の暑さの日。その日も、ピザ屋のオーナー、イタリア系のサルは、息子のピノとヴィトと商売をしてた。配達の合間に恋人のティナに会いに行き、サボってばかりに店員のムーキーも、文句を言いながらも雇い続け、酔っ払いのメイヤーが、小銭をせびりにきても快く店の前を掃除させてお金を渡す。周りは黒人ばかりだったが、サルは、彼らに寛容に接していた。しかし、黒人の“目覚め”を主張するバギン・アウトが、ピザ屋の壁にイタリア系のスターの写真しか飾られていないのを見て、黒人スターの写真を飾れ抗議する。しかし、自分の店に自分のルーツであるイタリア系の写真を貼って何が悪い!と一蹴するサル。バギンは、店をボイコットして仕返ししてやろうと、他の黒人たちに賛同するように声をかけて廻るが…というストーリ。
ピザの宅配をしている黒人がスパイク・リーだな。
私にはこの作品の良さがわからん。良さというか意図がわからん。エンドロールで紹介される、キング牧師の言葉とマルコムXの言葉は真逆のことを言っていると思うけど。
黒人が自らの行いが下品であることを恥とも思わず、志が低いことを他人のせいにし続けている様子を見せられても、楽しいとも思わないのはもちろん、同情もできない。
差別されている境遇から脱するために、相手が自分たちを差別していたことを責め続けても、それ以上の高みに上がれないことを彼らは気付いていない。対等の場所に立って勝負しようとしないことが、差別からの脱却を遅らせていることに、気付いていない。
私は差別されていたのだから、もっと優遇されるべきなのだ。マイノリティがマイノリティであることで地位を確立してしまったら、もっと平たくいうと、マイノリティであることで飯を食ってしまったら、飯を食うために永遠にマイノリティでいなければならなくなるということ(日本でも似たようなことをやっている団体がるけどね)。とにかく醜い。
人間が“仕事”をすることは尊い。だから仕事をしないことは恥だ…という感覚が微塵もないところも、我々日本人とは、生物としての立ち位置が異なる。
まるで、ドブをかき回してるようだ。言葉尻だけ捕らえて、相手を罵倒するクソラップを、そのまま映画にしたような作品。あの展開で、矛先がサルに向かうなんて、クレイジーすぎる。スパイク・リーは、黒人は救いようのない考え方の中にいうことを、思い知らせたいのか、これは仕方が無いことなのだと擁護しているのか、どちらなのかわからん。
映画だと割り切ったとしても、泥沼な地域の出来事をコミカルに描いているだろうか。あまり面白いと感じる部分はない。凡庸な黒人街の日常を描き続け、ラストで二次級数的に盛り上げていく手法は評価できるが、イライラが募り、それらが解消されずに終劇を迎えただけにも思える。
アメリカ人には意味ある作品なんだろう。アメリカの泥の中にいる人間には、感じる何かがあるのかもしれないけど、私にはさっぱり…。
公開国:アメリカ
時 間:108分
監 督:デヴィッド・トゥーヒー
出 演:ラダ・ミッチェル、コール・ハウザー、ヴィン・ディーゼル、キース・デヴィッド、ルイス・フィッツジェラルド 他
コピー:暗闇に何が見える
22年に一度の皆既日食が、光の惑星を恐怖で染める
旅客と貨物を運ぶ宇宙船が事故をおこし、未知の惑星に不時着してしまい、冷凍睡眠していた乗客の大半が死亡してしまう。その星は、3つの太陽が四六時中昇っており夜が無く、水も見当たらない。加えて、生き残った中に護送中の凶悪犯リディックがおり、不協和音が漂う中、副操縦士フライはリーダーとして、この砂漠の星から脱出する方法を探るのだった。一行は、以前この星で人間が生活していた施設を発見するが、近くの洞窟にいた未知のエイリアンに襲われ、数人が殺されてしまう。エイリアンは夜行性で光に当たると死んでしまうことから、暗がりを避ければ安心と考えたいたが、その星が22年に一度の夜の期間を迎えることを知り…というストーリー。
始めは逃亡した凶悪犯を軸にした疑心暗鬼。その後は、未知の生物と苛酷な星の環境からの脱出。ありがちなSFストーリーだとは思うが、テンポもいいし、説明しすぎないのでスリルもある。
エイリアンのデザインが斬新だし、殺されるべくして殺される、ベタベタなキャラ設定も悪くない。お約束かと思いきや子供も容赦なく殺す(子供といっていいかどうか微妙な年齢だけど)。
全員を見捨てようとした心の傷を背負っているせいで、全員に献身的に引っ張っていこうとする彼女。最後あっさりと犠牲になってしまうことに、ひどい扱いだなぁと思いつつも、やはり自分がしようとしたことの罪悪感に押しつぶされそうな気持ちが開放された瞬間でもあるという、微妙な機微も表現できており、侮れない演出。
リディックが凶悪犯というふれ込みで登場するのだが、いまいちワルっぷりを発揮してくれない。いや実は義賊みたいなので、根は悪くないんだよ…なのか、冤罪で本当は悪くない…なのか、やっぱりワルなのか、はっきりしたほうが良かったかも。そうるれば、もっと、賞金稼ぎとリディックの攻防も、盛り上がったかもしれない。
ヴィン・ディーゼルは色々な作品で主役を張っているが、ビジュアルはどれも同じなので、飽きられたね。スティーブン・セガールやブルース・ウィリスは、それなりに吹き替えの声優が固定されていたけど、ヴィン・ディーゼルはバラバラ。というか、ぴったりな声優さんが終ぞ見つからなかった印象。各映画でバラバラ。この映画の声優も、いまいちピンとこない。
まあ、それはそれとして、荒削りさが妙味となっている良作SFである。続編も作られるが、疾走感は一番かも。
公開国:アメリカ
時 間:95分
監 督:ジョナサン・フレイクス
出 演:ビル・パクストン、アンソニー・エドワーズ、ソフィア・マイルズ、ベン・キングズレー、ブラディ・コーベット、ソレン・フルトン、ヴァネッサ・アン・ハジェンズ、ロン・クック、フィリップ・ウィンチェスター、レックス・シュラプネル、ドミニク・コレンソ、ベン・トージャーセン、ローズ・キーガン、デオビア・オパレイ 他
コピー:実写版完全映画化!
世界の危機と戦う伝説の<国際救助隊>が今、出動する!!
億万長者で元宇宙飛行士ジェフ・トレイシーは、妻を失った後、資財を投じて国際救助隊を設立する。南海に浮かぶ無人島“トレーシー・アイランド”に基地を設置し、4人の息子と共に、最新救助メカ“サンダーバード号”で、世界中の災害救助に奔走していた。五人兄弟の末っ子であるアランは、まだ学生で隊には参加させてもらえず、羨望と嫉妬のまなざしで兄たちの活躍を見ていた。そんなある日、国際救助隊恨みを持つ“ザ・フッド”と名乗る男が、トレーシー・アイランドの位置を突き止め、攻撃を仕掛ける。まず、地球上空の静止軌道上を周回しているサンダーバード5号をミサイル攻撃。隊員全員が緊急出動した隙に、トレーシー・アイランドを占拠するのだった。しかし、春休みで島に戻っていたアランと友人たちは、フッド一味の目をかいくぐり、反撃の機会を伺う…というストーリー。
レンタルしてすぐに借りて観たときには、なんとポンコツ映画なんだろうと思ったが、改めてみると、前半は結構まともだった。主人公の中途半端なアイドル顔や、日本語吹き替えにV6を当ててみたりする上っ面だけのプロモーションが鼻についていたからなのか、マイナスな先入観に支配されていたのかもしてない。
メカのギミックや迫力は、今観てもクオリティは高い。救助活動の様子は、アニメでは味わえないワクワク感。なんでこの部分で勝負しなかったのか不思議なくらい。やはり、サンダーバード2号のデザインの美しさは異常である。子供たちの活躍も冒険活劇として面白かった。
なかなかいいじゃん!と思ったのだが、対立軸のポイントである“超能力”の設定が、ストーリー上、効果的に働いていない。こりゃダメだな…と判ったところで、シナリオを書き換えればよかったのだ。しかし、軌道修正するどころか、後半になればなるほど、アニメチックな擬音やコミカルな格闘バトルが頻発し、ツララで鎖を切るとか、何がなにやらわからなくなってしまう。
こういう正義のヒーローの物語は、悪役に魅力がないと、どうしようもないという典型例だと思う。もっと魅力的な悪役を再構築して、もう一回リメイクすれば大ヒットすると思うな。
それから、子供騙しはだめ。自分が子供の頃に子供騙しな作品を観せられた時の不快感を忘れちゃダメだよね。実に勿体無い。それ以上、特に感想はない。
公開国:アメリカ
時 間:146分
監 督:スティーヴン・スピルバーグ
出 演:ジェレミー・アーヴァイン、エミリー・ワトソン、デヴィッド・シューリス、ピーター・ミュラン、ニエル・アレストリュプ、トム・ヒドルストン、パトリック・ケネディ、デヴィッド・クロス、ベネディクト・カンバーバッチ、セリーヌ・バッケンズ、トビー・ケベル、ロバート・エムズ、エディ・マーサン、ニコラス・ブロ、ライナー・ボック、ジェフ・ベル 他
受 賞:【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】撮影賞(ヤヌス・カミンスキー)
イギリスの農村で、一頭の美しい馬が農家に買われる。農夫テッドは農耕馬を買うつもりだったが、その馬のあまりの美しさと、競り合った相手が地主だったために、意地になって高額で競り落としてしまったのだ。妻には頭を下げてでも返して来いといわれるが、息子アルバートの懇願により、育てることに。馬はジョーイと名付けられ、アルバートは愛情を一心に傾ける。それに答えるように臆病で奔放だったジョーイも、賢い馬に成長していくのだった。そんな中、戦争が勃発。テッドはあまりの困窮に耐え切れなくなり、アルバートを知らぬ間に、ジョーイを軍馬として売ってしまう。ジョーイはニコルズ大尉の馬としてフランスの前線へと送られ、ついにドイツ軍を決戦の時を迎えるのだが…というストーリー。
やたらと長尺なんだけど、お馬さんの流転を語るにはこのくらいないと表現できない…というのは理解する。とはいえ、やっぱりちょいと長いね。ディズニー映画では、あまり無い長さかも。子供はまずダレるだろうね。
お馬さんはやっぱりキレイで、絵になるのだが、犬よりも表情も動きのバリエーションも乏しくて、ちょっと感情移入できる要素が足りなかったかも。
地主と小作人。それも舞台はまともに耕作もできないような土地。そこで、地主がものすごくイヤなヤツで、散々テッド親子のことを馬鹿にする。さぞやギャフンと言わせるような展開があるのかと思いきや、一矢報いた程度。ケン・ローチの映画みたいな舞台なんだけど、階級闘争とかそういうことはおこらない。
地主の息子も一緒に出兵していて、親と同じようにイヤなやつだから、そっちで溜飲を下げてくれるのかと思ったら、最後はけっこういいやつになったりして。
途中で出てくる、感じのクソ悪いドイツ軍曹も、きっと痛い目にあうに違いない…と思ってみていたのだが、特段ひどい目にあうわけでもなかった。
まあ、そんな小手先の勧善懲悪的な展開が良いというつもりはない。だけど、なんかスカっとしない。
ああ、馬ちゃん、アルバートと出会えてよかったねえ…と、心から思ったのは事実。だけど、心が動かない。
せっかく馬との再開を果たしたのに、見知らぬジジイに競り負けてしまう。自分の娘の思い出の馬だから、まあ理由は正当だし、実際その権利はあるような気がする。で、ジジイはその経緯をアルバートに説明しているのだが、ジジイが親父のペナントをアルバートに見せると、アルバートは「なんでそれを持っているの?」という。自分がジョーイにつけたんだろうが。さっきジジイが自分が飼っていたと説明していたんだから、持っていても不思議はないじゃないか。アルバートはジジイの話を聞いていなかったのか?それとも底抜けの馬鹿なのか?(笑)
どうも引っかかるのは、ジョーイという馬が、色んな人から愛されたのは、“美しい”から…という点。所々、仲間の馬を庇ったりするのだが、そういう性格的な魅力を表現したシーンはそれほど多くない。結局みんな、この馬は美しい美しいって、持って生まれた容姿を褒めてるんだよね。人間に置き換えたら、美人だから特別扱いされてますってことだよね。何それ…って思わない?
ドイツ兵が普通に英語を喋ってて、ふつうにイギリス兵と会話しちゃうのを、どう捉えればいいのやら。原作は児童文学なのかもしれないが、子供は置いてきぼりだし、もうちょっとリアルを追求したほうが良かったような気もする。
悪くない映画ではあるんだけど、心にはさざ波程度しかおこらない。泣くツボ、応援したくなるツボ、ドキドキするツボ、すべて微妙にはずしていて、まったく心を奪ってくれない。ちょっと残念。
公開国:アイルランド、ポーランド、イギリス
時 間:83分
監 督:パヴェル・パヴリコフスキー
出 演:イーサン・ホーク、クリスティン・スコット・トーマス、ヨアンナ・クーリグ、サミール・ゲスミ、デルフィーヌ・シュイヨー、ジュリー・パピヨン、ジェフリー・キャリー、ママドゥ・ミンテ、モアメド・アルージ 他
アメリカ人の作家・トムは、別れた妻子が住むパリを訪れる。しかし、妻は夫の接近禁止命令を取るほど会うことを嫌がっており、突然訪れた夫に対して警察を呼ぶありさま。失意のトムは、娘と暮らすことを諦めきれずに、しばらくパリに滞在することに。しかし、バスで眠っている間に荷物を全部盗まれてしまう。何とか交渉して、郊外の寂れた旅館に滞在することができたが、旅館の主にパスポートを預かられてしまう。宿賃のメドが立たないため、旅館の主が薦める夜間警備員の仕事に就き、50ユーロの日当を稼ぐ日々。そんな中、トムが作家であることを知った本屋の店主が、パリに住む作家たちが集まるお茶会にトムを招待する。そこで、美しい女性マーゴットと出会い、二人は意気投合する。しかし、それからトムの周りで不可解に出来事が起こりはじめ…というストーリー。
どうしてトムの元妻は、トムの元を去ったのか。会話の内容を聞くと、妻子がフランスに行ったのは、最近の話ではない模様。トムがそこまで固執するのは何故なのか。時間が空いて急襲したのは何故なのか。フランス国内で有効な接近禁止命令が降りるということは、これまでも同様のことを繰り返しているのか。では、なんで今回に限ってはフランスに残ろうとするのか。
追々、ディテールが語られるのだろうと思ったが、最後まで語られはしなかった。
半ば無理やりやらされる夜警の仕事。何か怪しい取引なのか…、どんな事件に巻き込まれるのか…。途中で、ルールを逸脱したことで、なにか危険な事件に巻き込まれるのか!と思ったが、別に何もなかったし、その仕事が何なのか、最後まで明かされなかった。途中で「いったい何をやってるんだ?」と主人公につぶやかせておきながら…である。
この、妻子との話と夜警の話は、まったくリンクしない。きっとラストに近づくにつれ関係が出てくるのだろうな…と思ったが、何もなかった。
殺人事件が発生し、拘束される展開。たいした証拠もないのに拘束されたことから、きっと何かの陰謀に巻き込まれるのだろう。きっと刑事だってグルに違いない…と思ったら、急に斜め上の展開に。
(ネタバレ)
マーゴットがこの世のものではない…とか、なにそれ。ああ、霊だったのか。あのシーンはああいう意味だったのか!という『シックスセンス』的な振り返りの驚きは一切ない。残り10分くらいに急に霊だっていわれても、なにがなにやら。
ワケが判らないまま、娘が誘拐される展開になり、なぜか犯人扱いされるし。霊のマーゴットの仕業で取引するはめになるとか。なんじゃこりゃ。本当にマーゴットの仕あ業だったのかもよくわからんし、その後、取引の通り、トムはお亡くなりになってしまったのかもよくわからん。死んだとして、それに何の意味があるのかもわからない。
なんじゃこりゃ…。もう、これしか言うことはない。イーサン・ホーク、仕事選べよ。観るだけ時間の無駄。観ちゃダメ警報発令。そりゃ日本未公開だよ。
#なんで“五番通りに住む女”がイリュージョンになるのか…
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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