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image1939.png公開年:2009年
公開国:日本
時 間:112分
監 督:石井裕也
出 演:満島ひかり、遠藤雅、相原綺羅、志賀廣太郎、岩松了、並樹史朗、稲川実代子、鈴木なつみ、菅間勇、猪股俊明、牧野エミ、工藤時子、安室満樹子、しのへけい子、よしのよしこ、目黒真希、森岡龍、廣瀬友美、山内ナヲ、丸山明恵、潮見諭、とんとろとん 他
受 賞:【2010年/第53回ブルーリボン賞】監督賞(石井裕也)
【2010年/第20回日本映画プロフェッショナル大賞】作品賞、ベスト10(第1位)
コピー:あの日父を失くした少年の、喪失と再生のものがたり

派遣OLの木村佐和子は上京して5年になるが、既に職場は5つ目で、特に仕事に対して情熱があるわけではなく、淡々とこなすだけ。今は職場の上司でバツイチ連れ子ありの新井と交際しているが、ただ手近な相手で妥協しているだけ。そんなある日、田舎の父親が入院したとの報せが入り、家業のしじみ工場を継ぐようにいわれる。はじめは拒否して佐和子だったが、会社で失敗して田舎に逃げたい新井に押し切られ、結局連れ子と3人で実家に戻ることになり…というストーリー。

モントリオール・ファンタジア映画祭ってので、最優秀作品賞と最優秀女優賞を撮ったと、ジャケットにも書いてるんだけど、そんな映画祭知らねー。

ダメ女のお話ってことで『百万円と苦虫女』みたいなテイスト。あんなに小洒落てはいないけど。あっちも、蒼井優の演技があればこそだったけど、本作も満島ひかりのユニークな演技がなければまるで成立しなかったと明言できる。
こういう挙動の人が廻りいて参考にできたのか、彼女の想像の産物なのか、もしくはプライベートの自分なのか、はたまた監督がそういう演技を付けたのか。いずれにせよ、この演技の根源がどこにあるのか非常に興味がある。

“中の下”と自称するくせに、心が一切ない「すいません」「しょうがない」を連発する、胸糞悪いキャラクター。周囲に、もっとムカつくキャラを配置しているせいで、佐和子がまともに見える演出ははたして成功だったのか。佐和子の変化を映画の主軸に据えたいなら、佐和子のダメところをもっと前面に出したほうがよかったのではないか。
また、○○な状態から→“やるしかない”って状態への変化を面白く観せるべきなのだが、○○の状態がぼんやりしちゃったから、対比がうまく生きていない。とにかく“やるしかない!”っと切り替わった瞬間が突飛に感じられる。

なんでしじみが売れるようになったのかが演出上よくわからない。パッケージ?のぼり?あの歌が売り場に流れてた表現はなかったよね?なにが決め手で売れたのかしら。
冒頭の“5”縛りにセンスをセンスを感じない。スイカのくだりや、東京からきた女子大生との浮気のくだりなんかも、あまり生きていないかな。
結局、あの突飛な歌でごまかしたよね。その歌も、ホンの一歩ずれたら、馬鹿左翼臭で聞くに堪えなかったギリギリの線だし。
残念ながら、石井監督の演出でキラりと光る部分を私は見つけることができなかった。結婚した満島ひかりには悪いんだけど、この監督さん、このままだだとあまり期待できまへん。案外TVドラマ向きかもしれない…とは思う。
本作のMVPは満島ひかりとあの歌を仕上げた人。そのおかげで、ただののり弁にから揚げが2個付いた感じに。そういう作品。基本的に悪くはないんだ。キャリア不足からくるモタつきとか、シナリオの削ぎ落としが足りないとか、そういうウィークポイントが散見されるだけ。
 

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imageX0059.Png公開年:1993年
公開国:アメリカ
時 間:105分
監 督:ノーラ・エフロン
出 演:トム・ハンクス、メグ・ライアン、ビル・プルマン、ロス・マリンジャー、ロージー・オドネル、ギャビー・ホフマン、ヴィクター・ガーバー、リタ・ウィルソン、バーバラ・ギャリック、キャリー・ローウェル、ロブ・ライナー、キャロライン・アーロン、ハンナ・コックス 他
ノミネート:【1993年/第66回アカデミー賞】脚本賞(ノーラ・エフロン、デヴィッド・S・ウォード)、主題歌賞(作詞/作曲:マーク・シェイマン“A Wink and a Smile")
【1993年/第51回ゴールデン・グローブ】作品賞[コメディ/ミュージカル]、男優賞[コメディ/ミュージカル](トム・ハンクス)、女優賞[コメディ/ミュージカル](メグ・ライアン)
【1993年/第47回英国アカデミー賞】オリジナル脚本賞(ノーラ・エフロン、デヴィッド・S・ウォード、ジェフ・アーチ)、作曲賞(マーク・シェイマン)
【1994年/第3回MTVムービー・アワード】歌曲賞(クライヴ・グリフィン、セリーヌ・ディオン“When I Fall In Love”)、女優賞(メグ・ライアン)、ブレイクスルー演技賞(ロス・マリンジャー)、コンビ賞(メグ・ライアン、トム・ハンクス)

シカゴに住む建築家のサムは、最愛の妻を癌で亡くしてからというもの、落ち込む心を仕事に打ち込むことで誤魔化す日々。そんな父親を心配した息子のサムは、パパには新しい奥さんが必要だと、リスナー参加のラジオの番組に相談の電話を入れる。仕方なく電話口に出たサムは、妻を亡くしてからは孤独で眠れぬ夜もあると告白するが、そんな声がアメリカ中の女性の心を惹き、彼と付き合いたいという手紙が山のように届くようになる。そして、カーラジオで偶然その番組を聞いていたボルチモアの新聞記者アニー・リードも、そんな心惹かれた一人。彼女はサムの声を聞いてから何かが変わってしまい。婚約者ウォルターと過ごす時間がまったく楽しくなくなってしまい、婚約者がいるにも関わらず、サムに手紙を書くのだった…というストーリー。

メグ・ライアンだもの、お約束の恋愛モノでしょ…と高を括っていたら、恋愛の当事者の二人が一瞬擦れ違うだけで、ラストまで一度も会わないというスゴい切り口。極めてユニークというか、実に戦略的なプロットで、正直驚愕した。企画の勝利である。

見栄えのいい女性で、たまたまお互い好意的に思ったからいいようなものの、そうじゃなきゃ、思い込みの激しすぎるストーカーだ。年喰った男女のロマンスだけど、あまりに突飛でファンタジーの域。子供が単独で飛行機のチケット取って、ニューヨークいけちゃうんだもの。
トム・ハンクスとメグ・ライアンだから成立したとは言えるね。彼らじゃないと、こんなほのぼのとした雰囲気にはならなかったと思う。

男性目線からすると、サムがハイエナみたいな笑い声の女と付き合うあたりで、なんか打算的に感じられてちょっと興醒めしてしまう。案外、男は男なりに恋愛の理想像みたいのを持っているから、あれはちょっと引いちゃう。また、ませた息子も、父親目線でみるとかわいくない。父親が妻を亡くしてあれだけ落ち込んでるのに、息子があっけらかんとしているのも、違和感があるしね(男の子がそうはいかんだろう…って思うもの)。あれが娘だったら、すんなり受け入れられたのかもしれないけど、そうすると逆に女性目線では違和感が生まれるか。やっぱり、いずれにせよ、母親の死からあっさり立ち直ってる子供っていうのが、この映画の難点だよな。

女性同士のやりとりなんか、女性からすればピンとくるんだろうね。こちとらオッサンなもんで、ウザい…って思っちゃったけど。やっぱり女性向けですな。まあ、とにかくロマンス映画史に残るユニークな作品。

#元の『めぐり逢い』を知らないし、BGMに使われている楽曲を知らないことで、かなり損をしているかもしれない…

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image1942.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:90分
監 督:クリス・ミラー
出 演:アントニオ・バンデラス、サルマ・ハエック、ザック・ガリフィナーキス、ビリー・ボブ・ソーントン、エイミー・セダリス、コンスタンス・マリー、ギレルモ・デル・トロ 他
ノミネート:【2011年/第84回アカデミー賞】長編アニメ賞
【2011年/第69回ゴールデン・グローブ】アニメーション作品賞
【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】長編アニメ賞
コピー:捨て猫プスの宝探しの大冒険が始まる!

孤児院で育てられた猫のプスは、やってもいない銀行強盗の汚名を着せられ、故郷を追われ、そのままお尋ね者となり、そのまま盗賊として街から街を渡り歩いている。ある日街の酒場で魔法の豆の話を聞く。かつて魔法の豆を探し続け見つけることができなかったプスは、豆を持っているというジャックとジルという夫婦から盗むことを決める。しかし、彼らの部屋に盗みに入ると、そこで覆面猫に遭遇。モメているとジャックとジルに見つかってしまい豆を盗むのに失敗してしまう。邪魔をした覆面猫を追いかけていくと、その猫は何とメスのキティ。さらに、彼女が旧友のハンプティ・ダンプティの仲間であることが判り…というストーリー。

特段、悪い所があるわけではないのだが、『シュレック』と比べると、ギャグの切れも悪いし、身も蓋も無い下品さもない。まあ、私がそういう部分を愉しみにしていただけなんだけど。

ハンプティ・ダンプティというキャラクターやその行動がいまいち成立していないと思う。
復讐復讐というが、こういう形で猫を巻き込まねばならない意味がわからない。ハンプティ・ダンプティが捕まったことへの復讐というが、町の人々は犯罪者だったハンプティ・ダンプティの言いなりになっているし、いまだにプスだけがお尋ね者で、よってたかって悪者扱いなのもいまいちよくわからん。

雲の上に行くために、どうしてもプスの力が必要だったというならわかる。でも、そんなこともなく。まず、不思議な豆を入手でしたならば、普通に金の卵でもガチョウでも手下を連れて、乗り込めばいい。それはそれとして、別途復讐すればいい。絡める理由が何一つない。
だから、はい、始めから最後まで、ハンプティ・ダンプティの仕掛けでしたーってオチが、物凄くつまらない。モヤモヤ。

ハンプティ・ダンプティをすっかり人格が破綻したキャラにして、もっと狂人として描けばよかったと思う。それこそ『ダーク・ナイト』のジョーカーみたいにね。中途半端だね
また、キティがなんでハンプティ・ダンプティの言いなりなのかもよくわからんし、プスの生い立ちがラテン系の性格と繋がっていないような気もする。なにか、シナリオの練りこみが甘い、というか『シュレック』自体に対する愛が足りないんじゃないかな。
3D効果の注力して、肝心のシナリオがイマイチな、昨今よくあるパターンだな。でも、空間を生かした動きのあるシーンが満載で、さぞや3D映像は楽しかっただろうと思う。でも、観たのはDVDだからなぁ。

まあ、猫派か犬派かによって印象も違うんだろう。猫っていうだけで可愛いバイアスがかかる人は満足できる。残念ながら私は犬派なので、プスの子供時代とかを観ても、それほど萌えないのよ。極めて凡作。
#気圧が低いから声が高くなるとか、子供向けのアメリカ映画ってなんで非科学的な描写が多いんだろう。さすが、ファンダメンタリストの国。アホだわ。

 

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image1928.png公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:デブラ・グラニック
出 演:ジェニファー・ローレンス、ジョン・ホークス、シェリル・リー、デイル・ディッキー、ギャレット・ディラハント、ローレン・スウィートサー、アイザイア・ストーン、アシュリー・トンプソン、ケヴィン・ブレズナハン、テイト・テイラー、シェリー・ワグナー 他
受 賞:【2010年/第26回インディペンデント・スピリット賞】助演男優賞(ジョン・ホークス)、助演女優賞(デイル・ディッキー)
コピー:家族のために 未来のために彼女は大人になるしかなかった――

ミズーリ州のオザーク高原にある、とても現代のアメリカ社会とは思えないような貧しい寒村。父親は家を出てしまい、心を病んだ母親と幼い弟妹と暮らす17歳のリー。特に収入があるわけでもないが、家族を支えるために何とか生活を切り盛りする日々。しかし、父親が言えと土地を保釈金の担保にしたまま失踪したために、あと数日で追い出されることに。家族を守るためには、父親を見つけ出す以外に方法はない。そこで、親戚や村人に尋ねて廻るが、麻薬に関わる触れられたくないことがあるらしく、リーを追い返すばかり。しかし家族を守るために、意を決して犯罪組織に踏み込んでいく…というストーリー。

日本だって、すべての子供が幸せな環境にあるわけではないけれど、極貧で脱法集団ばかりで、何の未来も見えてこないような集落ってことはまず無い。
自由を標榜するのはいいが、それと社会環境の維持がバーターになっているアメリカって。もうあるべき社会像が異なる。日本とアメリカは、ミツバチとスズメバチくらい種類が違うんだな…と感じさせてくれる。土地が広いからとか、そういう問題ではないわ。メディアと通して見ているアメリカ像なんて、実際のアメリカの数%でしかないんだな。

そんな中でも、強く正しく生きている少女。というか、別に肩肘張って生きているわけじゃなくて、犯罪から距離を置こうとしているだけなんだけどね。冬でもないのに、漂う空気は極寒だ。正しく生きようとする人間が生きにくい世界。

周囲の人間がほぼ薬物に関わる犯罪者や、それを隠そうとする人々だらけ。そんな人々から距離を置こうにも、父親の居場所を訊くためには関わらざるを得ない。訊いたら訊いたで暴力を振るわれるというバイオレンスムービー。
そんな苦労をしたにも関わらず、父親の足跡は掴めない。それどころか、皆が嘘をつくばかりで、訊けば訊くだけわからなくなる。町の人々は何を隠しているのか?というミステリームービー。
リスと撃って解体して食いつなぐしかないというサバイバルムービー。
そして、より強い人間へと成長していく、グローインアップムービーでもあり、そんな掃き溜めのような村に、決して美しくはないけれど、家族愛の花が咲く。

派手な作品ではないけれど、お薦めの良作。

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image1921.png公開年:2010年
公開国:フランス、ドイツ、イギリス
時 間:128分
監 督:ロマン・ポランスキー
出 演:ユアン・マクレガー、ピアース・ブロスナン、キム・キャトラル、オリヴィア・ウィリアムズ、トム・ウィルキンソン、ティモシー・ハットン、ジョン・バーンサル、デヴィッド・リントール、ロバート・パフ、ジェームズ・ベルーシ、イーライ・ウォラック 他
受 賞:【2010年/第60回ベルリン国際映画祭】銀熊賞[監督賞](ロマン・ポランスキー)
【2010年/第45回全米批評家協会賞】助演女優賞(オリヴィア・ウィリアムズ)
【2010年/第36回LA批評家協会賞】音楽賞(アレクサンドル・デスプラ)
【2010年/第23回ヨーロッパ映画賞】作品賞、監督賞(ロマン・ポランスキー)、男優賞(ユアン・マクレガー)、脚本賞(ロマン・ポランスキー、ロバート・ハリス)、音楽賞(アレクサンドル・デスプラ)、プロダクションデザイン賞(アルブレヒト・コンラート)
【2010年/第36回セザール賞】監督賞(ロマン・ポランスキー)、脚色賞(ロマン・ポランスキー、ロバート・ハリス)、音楽賞(アレクサンドル・デスプラ)、編集賞(エルヴェ・ド・ルーズ)
コピー:知りすぎた、男(ゴースト)――。

イギリスの元首相ラングの自叙伝のゴーストライターを依頼された作家。前任者が不慮の事故で亡くなってしまい、引き継ぐ人間を捜しているとのこと。特に政治に興味はあるわけでもないし、自分のこれまでの仕事とマッチしているわけでもないのに、白羽の矢が刺さったことを訝しげに感じる彼。仕事を請け負い出版社を出るとすぐに暴漢に襲われてしまい、なにやらきな臭さを感じて気乗りしなかったのだが、促されるままにラングが滞在するアメリカ東海岸の島へ向かう。彼は前任者が残した原稿や資料を推敲・整理しながら徐々に仕事を進めてったが、やがて矛盾した資料を発見し、ラングの過去に疑問を抱くようになり…というストーリー。

かろうじて、話の筋は正統派のサスペンスなのが幸い。まったくの門外漢がただ凡庸に仕事をこなしていれば何の問題もなかったのに、ラングの戦犯容疑騒動に巻き込まれ、さらに資料のちょっとした矛盾を見つけてしまったことから興味が涵養され、真実の探索を止めることができなくなってしまう。
ラングが何かを隠しているのか?それとも別の黒幕がいるのか?この戦犯容疑と自叙伝にどういう関わりがあるのか?妻やスタッフたちも関わっているのか?と、謎・謎・謎の連続で確かにおもしろい。それこそメイドのアジア人でさえ怪しく見えてくるくらいだ。

主人公はゴーストライターを依頼されるわけだけど、全編に渡って彼の名前は明かされない。まあ本当にゴーストっていう演出なわけだ。ユアン・マクレガーは主人公のキャラクターにマッチしているし、演技も文句なし。

しかし、振り返ってみると、どうもピリっとしない。
知りすぎたっていうけど、鍵になる情報はふつうにネットから入手してるし。あれだけみっちり書かれた原稿が既に存在するのに、わざわざゴーストライターを必要とするのか?まあ、適当にまとめてくれりゃあいいって言う感じで、むしろ才能のない作家をチョイスしたんだとは思うけど、けっこうスタッフが文章をまとめていたりするのを見ると、自分達でどうにでもなったような気がするし。
そんなに真実を隠したいなら、殺した前任者の資料はしっかり隠滅すりゃいいじゃないか。べつに原稿はほとんどできているんだし、そこまで丁寧に資料を残すこともなかっただろう。CIAの恐ろしさを強調しょうとしているのに、ポンコツっぷりを小出ししてどうするのか…と。

また、謎がわかったからって、何であそこで明かさないといけないのか。そしてあのオチ。ポランスキーが、「ね?アメリカって怖いでしょ?」と言ってるようなオチ。まあ、イラク戦争だってCIAのチョンボだったわけで、奴らの陰謀を誇大に表現したいのはわかるけど、ちょっとやりすぎ。興醒めするレベル。大体にして、アメリカから少女への性暴行で逮捕され、保釈中に国外に逃げて、いまも逃げ続けてる人間が、アメリカ怖いワーっていう映画つくってもさ。

ものすごい数の映画賞を貰っているけど、アメリカ嫌いがこぞって評価してる感じかな。ここまで評価されるほど、巧みな演出でもないし、ドキドキハラハラできるわけでもない。佳作ではあるが。

 

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image1919.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:129分
監 督:スティーヴン・ダルドリー
出 演:トム・ハンクス、サンドラ・ブロック、トーマス・ホーン、マックス・フォン・シドー、ヴァイオラ・デイヴィス、ジョン・グッドマン、ジェフリー・ライト、ゾー・コードウェル、ヘイゼル・グッドマン、スティーヴン・マッキンレー・ヘンダーソン 他
受 賞:【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】若手俳優賞(トーマス・ホーン)
コピー:あの日父を失くした少年の、喪失と再生のものがたり


9.11アメリカ同時多発テロで父親を失ったオスカー。宝石商だった父親は情緒不安定なオスカーの社会性を養うために、いつも一緒に勉強やゲームをするなど、とても密接な関係を気付いていただけに、突然の父親の喪失はオスカーを深く傷つけた。また、母親も夫を亡くした悲しみから立ち直れずにいる。死後1年、父親の部屋に入ることができなかったオスカーは、意を決して入室。そして、父の遺品にあった花瓶の中から一本の鍵を見つける。鍵の入っていた封筒には“BLACK”の文字が書いてあり、これが父親のメッセージと確信したオスカーは、母親には内緒でニューヨークに住むブラックさんの住所を調べ上げ、順番に鍵のことを知らないか訊いて廻るのだった…というストーリー。

オスカーは、アスペルガー症候群の傾向がある…というかほぼアスペ。『未来を生きる君たちへ』のクリスチャンと同じで心に負荷がかかると暴走するし、周囲の人と共感することが極めて苦手。トム・ハンクス演じる父親は、そんな彼を興味が途切れないように、手を換え品を換えトレーニングしていく。トレーニングというと何か冷たい印象かもしれないが、実際親の目線からすれば、オスカーの将来を考えて、辛抱強く怒ることなく社会性を養っていくしかないわけだ。単なる優しさとは違うと思う。会社員なら絶対に不可能な行いである。その“ありえないほど”の近さが、かえってオスカーを苦しめることになる。
ちょっと演出意図がよくわからない点が…。
父親がオスカーに出した最後の課題が、ニューヨークの第6区がどこにあるのか探すというもの。その課題をクリアするためには、街の見知らぬ人達とコンタクトを取らねばならず、それでオスカーの社会性を鍛えようというものらしい。まあ、それはいい。
では、例の鍵は父親が配置したヒントだったのか?そこがはっきりしない。色々調べてみると、ブラックさんを捜すところまで、父親の計算ずくだったという解説が多い。でも、それは違うような…。
単に部屋に入れなかっただけで、入りさえすればすぐに判るように明らかにヒントが配置されていたなら理解できるのだが、クロゼットを引っ掻き回して、花瓶を割ったことでやっと出現するような物が、ヒントだといわれても…。だから、私には、あの鍵が父親の仕掛けだとは思えず、オスカーが勝手に思い込んだけに見えた。だよね?
なんか、そこがはっきり描けていないのは、演出が至っていないところだと思う。

また、前半で母親は、息子から攻められ続け、息子をどう扱っていいのか困惑している描写が描かれる。でも、父親の謎のことばかりに比重が置かれていて、描写が足りない。描いていないわけではないのだが、いやでも二人で暮らさねばならないのに、まったく噛み合わないという、母親の苦悩をもっと描くべきである。
最後、サンドラ・ブロック演じる母親が、子供のためにやっていたことが、なかなかグっとくるのだが、前半で彼女の苦悩をもっと描いていれば、さらにグっときたと思う。
さらに、家族を捨てたおじいさんが登場したのに、そのおじいさんがどうして家族と向き合えなかったか…とか、それとオスカーとの今とシンクロさせるとか、そういう部分が薄かった。もったいない。

原作は、『僕の大事なコレクション』の原作も書いてる人なんだね。なんか納得。親族に関わることがらを探るっている同じノリ。
まあ、もっとこうすればよかったのにな…という部分はあるけれど、佳作だと思う。ありきたりな成長物語や癒しの物語なんかじゃなく、痛いものは痛い、埋められないものは埋めようがないというスタンスは好み。多分、原作のほうがすばらしいデキなんだと思うよ。

#でも、宝石商がなんで貿易センタービルにいたのかな…。

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imageX0058.Png公開年:1959年
公開国:日本
時 間:109分
監 督:佐藤允、中谷一郎、鶴田浩二、上村幸之、三船敏郎、中丸忠雄、南道郎、瀬良明、上原美佐、雪村いづみ、中北千枝子、横山道代、塩沢とき、沢村いき雄、江原達怡、桐野洋雄、中山豊、山本廉、夏木陽介、堺左千夫、ミッキー・カーチス、笠原健司、手塚茂夫 他




昭和19年、第二次世界大戦末期。北支戦線の将軍廟という町に荒木と名乗る従軍記者が現れる。彼は大久保という交戦中に中国人慰安婦と心中したという見習士官の死に興味を抱き、彼が死んだ場所である独立第九〇小哨へ向おうとする。そこは、素行の不良な兵士ばかりを集めた小哨隊で、“独立愚連隊”と呼ばれており、本体から離れた敵が多数出没する危険な丘陵地帯に駐屯していた。実は荒木は、大久保見習士官の実兄で、弟の死の真相を知るために、記者に成りすましていたのだった…というストーリー。

いかにも日本の戦争映画って感じのタイトルなので、反戦要素満載なのかと思っていたが、まったく違った。中国大陸出征中の部隊で繰り広げられる、謎解きミステリーになってる。それに、最後の戦闘シーンは、戦争映画というよりも西部劇みたい。馬賊の登場がぴったりな舞台になっている。主人公・佐藤允の顔力が凄まじくて、無頼な雰囲気にぴったりである。
昨今、韓国が大騒ぎしている従軍慰安婦だが、この映画で描かれている従軍慰安婦像が、いろいろな資料を勘案すると正しい描写である。兵隊なんかよりもずっと高給取りの職業慰安婦。軍が運営しているわけではない。

それにしても、三船敏郎の無駄遣い。出番はちょっとだわ、頭のおかしくなった部隊長の役だわ、早々に退場するわ。まあ、プローモーション的な意味だとは思うけど、ちょっとヒドいな。上原美佐と三船敏郎のコンビは『隠し砦の三悪人』とどっちが先かな。1958年だからこっちのほうが後だね。

本当に犯人が誰なのかは簡単にわからなくて、石井軍曹のフェイクも効果的だった。戦火の中での恋愛模様や、主人公の恋愛に対する飄々とた態度もなかなか魅力的(慰安婦や馬賊の娘なんだけど、みんなキュート)。実に見ごたえあったなぁ。お薦め。
#ミッキー・カーチス?あの運転手?ふーん。

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image1941.png公開年:1960年
公開国:日本
時 間:91分
監 督:本多猪四郎
出 演:土屋嘉男、三橋達也、八千草薫、左卜全、佐多契子、野村浩三、伊藤久哉、佐々木孝丸、山田圭介、草間璋夫、田島義文、三島耕、小杉義男、坪野鎌之、権藤幸彦、中村哲、緒方燐作、山田巳之助、熊谷二良、村上冬樹、山本廉、榊田敬二、広瀬正一、岡豊、佐藤功一、黒田忠彦、塩沢とき、松村達雄 他



東京で銀行強盗が連続して発生するが、手口がまったくわからない。岡本警部補たちは、逃亡した犯人が消えた現場付近にある屋敷に住んでいた日本舞踊の家元・藤千代を怪しいと睨むが決め手は無い。そんな中、銀行強盗の予告が入る。予告のとおりに警備するが、強盗は別の銀行に入り逮捕される。しかしその犯人は、これまでの犯行で手に入れたはずの大金の在り処を明かさない。岡本警部補は、突然金回りの良くなった藤千代の周囲を再び洗い出すと、彼女が舞台を開くために使った金の紙幣番号と銀行が控えていた番号が一致。彼女を共犯者として逮捕する。しかし、そこに彼女は無実であると主張する男・水野が現れる。自分が犯人あることを証明するために、強盗現場で手口を公開しようとするが、水野は自分の体をガス状に変化させ、衆人環視の中、銀行の職員を殺害し逃亡する…というストーリー。

クライムサスペンスとSFを大胆に混ぜた作品。この企画自体は評価できる。しかし、残念ながらタイトルが“ガス人間”。何をどうひっくりかえしても犯人はガス人間だ(笑)。それでも、八千草薫演じる藤千代と犯人の関係は何なのか。ガス人間とは一体何なのか。という謎もまぶしながら、魅力的にストーリーは展開していく。

しかし、残念ながら終盤で息切れしてしまう。途中からメロドラマの要素が入ってくるのだが、藤千代と水野は元々恋愛関係ではなかったのに、強盗だった上にガス人間であることが判明した後に、心中するまでの恋愛関係になる。しかし、そのプロセスが描ききれていない。舞踊家として相手になれなくなってしまった自分と、社会から阻害されるどころか人間ですらなくなってしまった男がシンパシーを感じたってことなんだろうけど、ちょっと弱すぎる。

藤千代の舞台をやり切るという欲求は判る。しかし、舞台というのはお客様に観せてナンボだと思う。無観客でもやりきろうというモチベーションがいまいちよくわからない。また、藤千代はどこから爆弾を入手したのか。
ガス人間が、社会で抑圧されている何かの投影だとか、何かの隠喩であるとかいうのがしっかり描けていないので、最後の滅びのシーンも、いまいち感情が湧いてこない。

でも、地味にスゴイ特撮だと思う。さすが特技監督は円谷英二。人間がガス化していく様子は、ドライアイス、実際に人形をしぼませる、光学的な合成など、複数のテクニックを織り交ぜて表現されており、1960年とは思えない技術。

やはり、特撮作品としては異色だと思う。興味を持った方はどうぞ。悪くは無い。

拍手[0回]

image1937.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:129分
監 督:ガイ・リッチー
出 演:ロバート・ダウニー・Jr、ジュード・ロウ、ノオミ・ラパス、ジャレッド・ハリス、レイチェル・マクアダムス、スティーヴン・フライ、エディ・マーサン、ケリー・ライリー、ジェラルディン・ジェームズ、ポール・アンダーソン、ウィリアム・ヒューストン、ウォルフ・カーラー 他
コピー:もう一人の天才、現わる。


19世紀末、世界各地で不可解な爆破事件が続発。シャーロック・ホームズはこれらの事件の裏に、表向きは数学教授だが、天才的な犯罪者という裏の顔を持つモリアーティ教授がいると睨む。しかし、こんな世界の危機を前にして、助手のワトソンは、結婚して新婚旅行へ向かうという。ところが、なぜか新婚旅行のワトソンがモリアーティ一味の襲撃を受ける。ホームズの機転でなんとか命は助かるが、新婚旅行は台無しに。事件の調査を開始した二人は、ジプシーの女シムが事件の鍵を握っていることを突き止める…というストーリー。

ガイ・リッチーのお約束である爆破シーンのスローモーションは、前作よりもますます凝った感じに。だけど、相変わらず、アクションシーン以外の画に魅力が薄い。軽く眠りに落ちちゃった箇所もあるくらいで、何度か巻き戻したわ。

シャドウゲームってなんやねんと思って観ていたら、格闘シーンの先の読みあいみたいなことを指してるらしい。『グラップラー刃牙』のノリ。まあ、おもしろいっちゃあおもしろいんだけど、結局同じアクションを二回見ることになるのが、なんだかね(笑)。まあ、ラストのモリアーティ教授とのライヘンバッハでのバトルに、意味を持たせる趣向なんだろうけど。
ただ、先読みってよりも、そこまでいっちゃうと、もう超能力なんじゃねーの?ってレベル(電車内でバトルとかね)。やりすぎだね。

モリアーティは死の商人として暗躍するどころか、戦争を勃発させるために地位も名誉も得ているという、ガチガチの悪魔。理路整然とした思考を持っていながらテロ行為に一抹の罪悪感も感じない様子は『ダークナイト』のジョーカーを彷彿とさせる。その巨悪っぷりとは裏腹に、見た目はただのうすらハゲのオッサン。その部下も凄腕スナイパーなんだけど、貧乏臭いオッサン。敵の戦闘員(笑)がみんな同じ顔って、最後のほうに説明されるまで全然気付かない。とにかく敵がビジュアル的に魅力なさすぎ。

子供にもわかりやすい伏線(バレバレという意味ではない)や、戦争前夜のヨーロッパという小難しい情勢を扱いながらもシンプルな対立軸。特に、羊から取ったホルモン剤、特注の酸素吸入器など、小道具関係はうまく配置できていると思う。
ただ、作為がすぎて、まともな推理物であることは完全に放棄しているように思える。アクションに絞ったのだな…と。まあ、その割りきりのおかげで面白くなっているとは思う。
それにしても、パート2にしてモリアーティ教授との最終決戦である。パート3は心置きなく、オリジナルストーリーにするつもりか。まあ、いずれにせよ、このパート2は、前作を見なくても十分に愉しめる内容になっている。

『ドラゴン・タトゥーの女』のときにはちょっと気持ち悪いくらいだったノオミ・ラパスは、整形したの?って言いたくなるくらいキレイに仕上がっている。わざわざジプシーの女を謎解きのキーにしたのだが、別に彼女を放っておいても作戦遂行の障壁になることはなかったようにも思える。それに、狙いはワトソンっていっていたけど、それって何のことだか思い出せないし。やっぱり、シナリオの無理やり臭がハンパない。

その後、戦争が勃発するのは誰もが知っていることなので、モリアーティの策略が成功することは明らか。さて、シナリオ上カタルシスを得るためにはどうするか…。で、彼の財産を奪うっていう展開。ちょっとは溜飲は下がるのかもしれないが、基本的に負けだよね。モヤモヤ。彼を死の商人とした設定の功罪だな。

でも、ただのアクション映画としては十分に娯楽になった。所詮はガイ・リッチー。大きな期待をしてはいけない。彼は戦闘シーンだけ監督して、あとは別の監督に撮らせればいいんだよな。
#もう、ワトソンの足が悪い設定はどうなったんだか。全速力で走ってるがな。

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image1925.png公開年:2011年
公開国:フランス、ドイツ、ポーランド
時 間:79分
監 督:ロマン・ポランスキー
出 演:ジョディ・フォスター、ケイト・ウィンスレット、クリストフ・ヴァルツ、ジョン・C・ライリー 他
コピー:顔で笑って、心に殺意。




ニューヨーク、ブルックリン。11歳のザッカリー・カウワンが同級生のイーサン・ロングストリートの顔を棒で殴り、前歯を折る怪我を負わせてしまう。彼らの両親は和解の話し合いをするために、ロングストリートに集まることに。はじめは、お互いに平和的に振舞っていたが、相手の仔細な振る舞いに対するひっかかりが蓄積され、不協和音が響きはじめる。やがてお互いの本性がむき出しになり、それぞれの夫婦間の問題まで露呈されていき、話し合いの場は混沌としはじめ…というストーリー。

未だアメリカから逃亡中にポランスキーの作品。別にいいんだけど、ポランスキー、何作ってるんだろ…って感じで、ちょっとこれまで手掛けた作風とは異なる印象。
舞台はニューヨークなんだけど、ヨーロッパ製。最後まで一室で繰り広げられ、演者は4人だけ。おそらく元は舞台劇だと思う。

子供を持ったことがある人なら、こういう問題には巻き込まれたことがある人は多いと思うので、共感しやすいだろう。でも、あまりに身近にありがちなシチュエーションな上に、とにかく4人の演技がうまいもんだから、共感を通り越して苦痛に感じてくるほどである。中でも、ジョディ・フォスターがいかにもなキャラクターすぎ。

子供に無関心な父親、表面だけは熱心であろうとする母親、子育てとは無関係なポリシーを振りかざす母親、迎合してばかりで中身の無い父親…、どこにでもいそうな大人像。子供のため…という美名は早々に剥がれ落ち、当初の目的は簡単に吹き飛び、お互いの人間性に対する攻撃が始まる。

それどころか、始めは両家の対立だったのに、いつのまにか四つ巴の争いに。さらに、場面場面で2対2、3対1と展開し、まさに混沌とした状態に。この争いの末に、逆に親友になっちゃうんじゃないのか?くらいに言葉の応戦が続くのだが、そんな友情が目覚める様子は生まれない。

さて、この争いの行方はどうなるか。昨日の『未来を生きる君たちへ』と同じく、子供の喧嘩から怪我をする…という流れなんだけど、切り口でこうも違うものか…と。でも、これも間違いなく人間の争いとはどういうものか…というのを如実に表している。『未来を生きる君たちへ』だけでなくこちらも見て欲しい一作かな。

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image1924.png公開年:2010年
公開国:デンマーク、スウェーデン
時 間:118分
監 督:スサンネ・ビア
出 演:ミカエル・パーシュブラント、トリーヌ・ディルホム、ウルリク・トムセン、ウィリアム・ヨンク・ユエルス・ニルセン、マルクス・リゴード、トーケ・ラース・ビャーケ、ビアテ・ノイマン、キム・ボドゥニア 他
受 賞:【2010年/第83回アカデミー賞】外国語映画賞
【2010年/第68回ゴールデン・グローブ】外国語映画賞
【2011年/第24回ヨーロッパ映画賞】監督賞(スサンネ・ビア)
コピー:憎しみを越えたその先でどんな世界を見るのだろう。

医師のアントンは、家族をデンマークに残し、アフリカの難民キャンプで医療活動を行っていた。アフリカでは、貧困や劣悪な衛生環境による患者だけではなく、“ビッグマン”と呼ばれる悪党が率いる武装集団によって、腹を引き裂かれた妊婦なども運ばれてくる。一方、デンマークで暮らす息子のエリアスは、毎日学校で執拗ないじめにあっていた。そんなある日、エリアスがいじめられいると、転校生のクリスチャンが救出に入るが、結局巻き添えで一緒にいじめられる。翌日、ふたたびエリアスがいじめられていると、そこをクリスチャンが急襲。いじめっ子を棒で殴り倒し重傷を負わせてしまう。クリスチャンの父親は、暴力で報復しても問題は解決しないと諭すがクリスチャンは聞き入れない。一時帰国したアントンは、息子エイリアスとその弟モーテン、そしてクリスチャンを連れて出かけると、公園でモーテンとよその子供が喧嘩を始める。止めに入ったアントンだったが、駆け寄ってきた相手の子供の父親が、理由もなくアントンに殴りかかってくるのだった…というストーリー。

昨今、日本でもイジメ問題はホット。まさにタイムリーな作品だと思う。似通った社会状況であれば、世界のどこでも同じ問題がおこっているということだ(外国ではこうしてるー、だから日本はダメなんだーとか言うヤツもいるけれど、頭に虫が湧いてるってことだな)。そしてイジメ問題からはじまり、怒り・暴力・戦争という、人間の歴史を振り返れば、もうそういう生物なんだよ…と言わざるを得ない習性にに、どう向き合っていくべきなのか…と考えさせる作品である。

イジメから傷害事件に発展したにもかかわらず、現場の教師の態度は、デンマークも日本も一緒。自分が現場を適切に制御できないとみるや、保護者の家庭環境にも問題があると的外れな指摘をしはじめる。家庭環境に“も”というのがまた共通していて、自分のミスを正当化するために、関係ないところから落ち度を見つけてくるという、詭弁を弄するものの特長である。まあ、教師である云々の前にクズ人間なわけだ。実際、こういう教師には遭遇する。
で、そんなにこの学校がいやならば、他の学校にでもいけばといわんばかりなのだが、大都会ならいざしらず、そうでなければいける学校なんか限られる。要するに、子供は学校に人質に取られた状態。そこで、そんな教育をされるなんて、犯罪に等しい。そんな理不尽な戦場に無防備な子供をいかせなければならないという苦境。

では、子供たちにはそういうが、大人はどうなのか。父親のアントンは、まったく理不尽な理由で、狂った大人に殴られてしまう。アントンは、警察を呼ぶでもなく、直接本人の仕事場に押しかけ、何故殴ったのか説明しろと問い詰める。はたしてこの行動が正しいのか。私にはそうとも思えない。
子供たちが警察を呼べという。どちらかといえばそっちが正しいようにも思えるが、経験豊富な父親からすれば警察が解決してくれることは少なくて、むしろ余計にこっちが傷つけられることを知っている。日本だって、イジメや虐待があったと告訴しても現場の勝手な判断で受理してくれなかったりするでしょ。それどころか、あなたの方にも落ち度があったのでは?とか、何の根拠もなく傷つけられることだってある。
でも、警察も教師も100%信用しちゃいけない…とか言いにくい。

私はこの映画を観て、思ったことは、経験を積み重ねることで得られた結論にしたがって、早期に対処すること。つまり“初動”がすべてだといっていると解釈した。その初動に失敗した場合は、もう初動で対処した人に続きをやらせない。別のプレーヤーに対処させる。これが大事だんだろうな。
あの、自動車工場に勤める狂った親父だって、これまでの人生で誰も彼を諌めてこなかったから、ああなっている。ああいう態度を取ることで、人生を乗り切ってきているので、ああいう行動が正しいと思って疑っていない。
会社勤めをしていれば、これまで仕事をうまくやってきているのは、事業環境のおかげだったり周囲の人の協力のおかげだったりするのに、自分の仕事の仕方がこの成功を生んだと信じて疑わず、横柄で傲慢な態度を取っているやつはいないだろうか。

今の日本でいえば、竹島問題。わが国の先人たちはすっかり初動を謝ってしまったが、さてどうするか。おまけに、売国奴が政権に就いてしまっているこの有様。
戦争をおこさないためには、衝突がおこってから対処するのではなく、そのシチュエーションにしないように何手先も読んで行動すること。しかし、あえてそれをしないよう、無防備でいるよう、仕向けた人間がが多数いるわけだ(貶めようと活動している人間がいる。今でもいる)。
そろそろ、もう手遅れだと思う。後はこのまま素直に“やっちまえ”じゃなくて、いかに効率的に被害を最小限にするかか…しかもうないだろう。日本には尊敬すべき先人は大勢いるが、いま“老害”といわれている世代は、偉人の功績をすべて無にしてしまうくらい害悪。そろそろやるしかないんじゃないかな。若い世代が立ち上がるしかないよ。そこまで追い詰められてしまったな、日本は…。

と、そこまで考えさせてくれる作品。映画として優秀とはいえないが、慧眼とおもいえる優秀な視点で貫かれた作品だと思う。是非、観るべき一作。

また、クリスチャン少年は、アスペルガー症候群ぎみ。この“ぎみ”というのがやっかいで、自分の価値観を正しいと信じて疑わないし、自分が思っていることは他人も思っているとしか考えられず、そうではないとわかるとブチ切れる。
とにかく教育現場は大変だわ。少数の教師では対応できないでしょ。チーム戦だと思う。教師一人のスキルを上げるんじゃなくて、どういう教育チームを作るべきなのか…という新しい視点を持たないといかんと思うよ、文科省は。

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image1926.png公開年:2010年
公開国:ドイツ
時 間:105分
監 督:フィリップ・シュテルツェル
出 演:アレクサンダー・フェーリング、ミリアム・シュタイン、モーリッツ・ブライブトロイ、ヘンリー・ヒュプヒェン、ブルクハルト・クラウスナー、フォルカー・ブルッフ、ハンス・マイケル・レバーグ 他
コピー:きみに見つめられるだけで、幾千の詩が生まれる。



1772年ドイツ。父親の命令で法律を学ばされているヨハン・ゲーテ。しかし、ゲーテの夢は作家になることで、法律の勉強には興味を示さない。父親に作家で生計と立てると豪語してみたものの、出版社に送った原稿が認められることはなく、意気消沈する。業を煮やした父親は、ゲーテを田舎町ヴェッツラーにある裁判所で実習生として働くように命ずる。渋々着任したゲーテだったが、町の舞踏会で出会ったシャルロッテという女性に強く惹かれてしまう。一方、裁判所の上司であるケストナーも、シャルロッテに好意を抱いており、彼女の父親に縁談を申し込んでいて…というストーリー。

ゲーテといえば『若きウェルテルの悩み』。『若きウェルテルの悩み』といえばゲーテ。有名な小説といえばあとは『ファウスト』くらいか。
その青年ゲーテが『若きウェルテルの悩み』を出版するまでのお話。田舎町ヴェッツラーでシャルロッテという少女と恋に落ちたこと。そしてシャルロッテがケストナーという友人と婚約していたこと。友人が人妻との不倫の末、自殺したこと。そして、シャルロッテとの恋愛の顛末と、その友人の自殺をくっつけて『若きウェルテルの悩み』が誕生したというのは、定説である。

その恋の行方、というか、上司と部下による一人の女性を巡るすったもんだは、女性マンガか韓国ドラマか…というくらいの内容。シチュエーションはかなりドロドロなはずなんだけど、これが結構さっぱりと描かれて、男性でも楽しめるかも。
ただの二股じゃねーかって思うかもしれないが、当時の状況を考えれば、家族の窮状を救えるチャンスを放棄できるような状況ではないだろうし、それでもシャルロッテは自分の意思を表出したほうだと思う。
では、このまま史実を描いて、この作品は終わるのか…。

(以下ネタバレ)
ゲーテが拘禁されたあたりからはすっかり創作である(上司をひっぱたいたくらいで拘禁されるのも変な話なんだけど)。拘禁中に『若きウェルテルの悩み』の原稿を書き、それをシャルロッテに送ったのも創作だし、それをシャルロッテが出版社に送ったのも創作。
#実際は、普通にヴェッツラーを離れ、友人の自殺も町を離れてから知ったはず。
でも、この創作があることで、『恋におちたシェイクスピア』ほどではないが、楽しい作品として締めくくることができていると思う。

『若きウェルテルの悩み』が大ヒットした当時は、真似をして自殺する若者が増え、社会問題になったとか。まあ、一昔前にはやった『失楽園』とか、そういうジャンルですな。
意外と、軽妙なラブロマンスに仕上がっており、男性でも楽しめる作品かと。軽くお薦め。

 

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image1905.png公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:110分
監 督:ロッド・ルーリー
出 演:ジェームズ・マースデン、ケイト・ボスワース、アレキサンダー・スカルスガルド、ドミニク・パーセル、ラズ・アロンソ、ウィラ・ホランド、ジェームズ・ウッズ 他





ハリウッドで脚本家をやっているデイビッドは、女優の妻エイミーの実家のあるミシシッピーに引っ越すことに。すでにエイミーの両親は亡くなっており、実家は空き家となっていた。町は非常に閉鎖的で、インテリな空気を漂わせているデイビッドは、煙たがられる。壊れた納屋の修理を、エイミーの知り合いが監督をやっている業者に依頼したものの、音楽を流しダラダラと仕事をするばかりで、一向に作業が進む様子がない。次第に、彼らに対して、はっきりとした態度を取らない夫に対して、エイミーが不満を感じるようになり…というストーリー。

ペキンパー監督、ダスティン・ホフマン主演の『わらの犬』のリメイク。たぶんオリジナルは観たことがないと思う。

妻はどんな町かも良く知っているはず。狭い町だからそこに戻ればイヤでも元彼と接触するのはわかりそうなもんだし、ガチガチのカトリックしかいない町に、無神論者を放り込むことになれば、どうなるかわかりそうなものだ。いくら静かな田舎で執筆をするといっても、そうはいかないだろう。それでも夫を連れてきていることから、実は妻が夫をはめようとしているのではないかと疑ったくらい(でも違うんだけど)。

この話は、夫だけが精神的に孤立して追い詰められないとおもしろくない。だから、ただのレイプでは話が成立しないと思う。口では拒否しながらも、本心では望んでしまっているという状況にしないといけない。その後も妻は、こんな状況になったのもも夫はピリっとしていないせいだと言わんばかりに、一層なじるようになれば、ますます夫は追い詰められていく。レイプのことでPTSDになってフラッシュバックするような被害者になってしまっては、おもしろくない。とにかく、夫一人が孤立する状況になってこそ、堪忍袋の緒がブチ切れる流れが面白くなる。

大体にして、夫のことを妻も町の人も臆病者だというが、私から見れば普通の態度だ。いきなり腕力にうったえたり、怒鳴りつけるのは普通じゃない。だから主人公への共感はしやすいはず。
だから、夫はもっとナヨナヨしていたほうがいいんだけど、けっこうガッチリしていたりする。ちょっとキャラクターとマッチしていない。

結局、本作の場合は、荒くれ者たちが襲撃してきたので、反撃しただけである。これまでの理不尽な仕打ちに対してブチ切れたという構図になりきっていない。
これまで臆病とも思える紳士的な態度を貫いてきた主人公が、ブチ切れるきっかけは何か?が重要なのだが、本作ではそのポイントが何なのかよくわからない。結局、レイプされたことを夫を知ることはない。だから、もちろんそれがきっかけでもない。知恵遅れの男が一方的に攻められたことがきっかけでプッツリいくっていうのもおもしろかったと思うが、そうするためには、それでキレる理由が必要(親族にそういう知的障害の人がいたとかさ)。
#そういえば、知恵遅れの男は、どこにいったのかもわからないな。まさか火事の家の中か?

エグいなと思いつつも、カタルシスを感じるラストにできたと思うのだが、そうはなっていない。すっきりしない作品。そりゃ、日本未公開だわな。
#こりゃ、オリジナルを観て、お口直しをするべきかな。

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image0927.png公開年:2004年
公開国:日本
時 間:119分
監 督:宮崎駿
出 演:倍賞千恵子、木村拓哉、美輪明宏、我修院達也、神木隆之介、伊崎充則、大泉洋、大塚明夫、原田大二郎、加藤治子 他
受 賞:【2004年/第61回ヴェネチア国際映画祭】オゼッラ・ドゥオロ賞(スタジオジブリ)
【2005年/第72回NY批評家協会賞】アニメーション賞
【2005年/第31回LA批評家協会賞】音楽賞(久石譲)
コピー:ふたりが暮らした。

父の遺した帽子店を切り盛りする18歳の少女ソフィーは、戦争の気配漂う町で、見知らぬ青年に出会う。その青年は、町外れの動く城とともにやって来た魔法使いハウルだった。ソフィーは、噂とは違い優しいハイルに心を奪われる。しかし、その夜、彼女は、突如現れた荒野の魔女に呪いをかけられて90歳の老婆にされてしまう。呪いがかけられたことを喋ることも封じられていたため、ソフィーは家を出ることに。やがて人里離れた荒野に、ハウルが暮らす大きな動く城を発見し潜り込む。そこで、住み込みの掃除婦として働くことにするのだったが…というストーリー。

どうしても寝ちゃって、最後まできちんと観たことが無い作品。ソフィがハウルと出会って一旦別れるあたりで早々と寝ちゃう。もう、色んな人が指摘しているとは思うが、倍賞千恵子が若い子の声で興醒めするのだとどうひっくり返しえも老婆のの声にしか聞こえない。無理があるすぎる。その後は、階段のくだりで寝ちゃう。
それに、風呂場を掃除されて子供のように取り乱すハウルの演技。木村拓哉は力不足。一気に興醒め。

ソフィが老婆になった謎を解く方法、カルシファーが開放される方法、この二つの謎を徐々に解いていくのがおもしろいと思うのだが、前者はうやむやのまま若返り、後者は取って付けたように解決される。寝ている間は魔法が解けるという意味もわからない。そういう設定といわれればそれまでだが、別にストーリー上、重要とは思えない。その後、ハウルへの恋のバロメータが上がれば若返るっていう設定になってるんだし。

なんで、荒地の魔女のかけた魔法なのに、ソフィのハウルに対する恋のバロメータと若さがリンクするのか意味不明。つまり、荒地の魔女は、ハウルとソフィの恋の手助けをしたってこと?何で?そうすると心臓が手に入るから?いや、なんで心臓欲しいわけ?彼女の行動の目的がわからない。荒地の魔女とは一体何なのか描ききれていないってことなんだよね。

カルシファーと分裂した出来事が一体なんなのかもよくわからない。カルシファーはハウルの心?でもハウルに戻っても消滅しない。それどころか、前と同じように存在してるし。

ソフィの母親を使ったサリマンの策とかも、意味があったとは思えない。老婆の姿なのにすぐに娘と判別した母親。さすが実の家族…と思わせておいて、実はサリマンの策だったから…???実の家族よりも血は繋がっていなくても心が通っていれば家族だよ…ってこと?家族を前面に出すのなら、マルクルがなんでハウルの所にいるのか生い立ちを描くべきなのではないか。

おまけに、戦争と大イベントがこれら謎解きとリンクしていない。最後に突然王子が登場すると、サリマンは戦争を終結する気になる。もっともらしいけど意味は不明。

宮崎駿には、伝えたいことがあったのだろうがうまく表現できていない。伝わらないとわかったら、娯楽に徹するべきだったろう。この転換ができなくなったということは、宮崎駿のエンターテイナーの部分が老いたのだと思う。

食い物がうまそうとか、飛行船のデザインとか、ナウシカ時代の良さが滲み出ていたけど、このストーリーとはアンマッチだったかも。興行成績はやたらよかったらしいけど、これは“はだかの王様”だよ。わけわからん!ってみんな素直に声を上げたほうがいい。まともな物語の体裁をなしていないと思う。

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プロフィール
HN:
クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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