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公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:106分
監 督:セス・マクファーレン
出 演:マーク・ウォールバーグ、ミラ・クニス、ジョエル・マクヘイル、ジョヴァンニ・リビシ、パトリック・ウォーバートン、マット・ウォルシュ、ジェシカ・バース、エイディン・ミンクス、ビル・スミトロヴィッチ、ノラ・ジョーンズ、サム・ジョーンズ、トム・スケリット、ブレットン・マンリー、ラルフ・ガーマン、アレックス・ボースタイン、ローラ・ヴァンダーヴォート、ジェシカ・ストループ、メリッサ・オードウェイ、レイ・ロマノ、ライアン・レイノルズ、テッド・ダンソン、セス・マクファーレン、パトリック・スチュワート 他
受賞:【2013年/第22回MTVムービー・アワード】コンビ賞(マーク・ウォールバーグ、セス・マクファーレン)
コピー:世界一ダメなテディベア、出没。動いて、喋って、オヤジになった。


1985年、ボストン。友達ができないさみしい少年ジョンは、クリスマスプレゼントでもらった唯一の話し相手であるテディベア“テッド”が、本当の友達になりますように…と祈る。するとその祈りが通じて、翌朝、テッドは人間のように動き喋り始める。生きているテディベアは、“一生友達”と誓い合った二人は、それ以降、片時も離れることなく友情を育んでいった。それから27年が経過。喋り始めた当時は一躍“時の人”なった二人だったが、いまではジョンはすっかりダメ中年。テッドも見た目こそ変わらないが、中身は下品なエロオヤジになっていた。約束どおり今でも一緒に暮らしている二人は、自堕落な生活を送っていたが、そんな様子に不満なのがジョンの恋人ロリー。4年も付き合っているのに、テッドの勝手な行動で生活をかき回されっぱなしで、一向に関係が進展しないことについに怒りが爆発。自分かテッドのどちらかを選ぶようにジョンに迫るのだったが…というストーリー。

有吉弘行の声優仕事は決してヘタなわけではないのだが、ぬいぐるみに人間臭さを持たせなくてはいけない重要なポイントだったこともあり、ちょっと力不足は否めない。セリフの文末が流れちゃう部分が多々あって、もうちょっと訓練すればよかったのにね…と残念に感じる。

かわいいぬいぐるみが主人公だが、子供とは一切観られまへん(そういう製作意図なんだけどね)。こういうエロ話には、安定のマーク・ウォールバーグ。この人とジュリアン・ムーアの『ブギーナイツ』コンビは、エロ作品と非エロ作品の両極端な振幅がはっきりしていてスゴイね。

テッドがぬいぐるみであることが最大の要素に思えるが、実は、ストーリー的にはぬいぐるみじゃなくて人間の幼馴染でも普通に成立する話だったりする。世間は生きたぬいぐるみを普通に受け入れちゃってるし、別に特別扱いもしていないからね。

そこに気付いちゃうと、おもしろくなくなっちゃうから、いろんな味付けをしまくる。かわいいぬいぐるみなのに超下品っていうキャラ設定はもちろんそうだし、若い人は誰も知らんだろ?って感じの『フラッシュ・ゴードン』ネタまで投入。

さらに、この話、たいしたオチにならないだろ?って観客に気付かれそうになったくらいに、むりやり誘拐犯ネタを差し込む。一応、伏線はあるんだけど、ストーリー全体からするとムリヤリ感満載。

いや、それはシナリオ上の狙いでしょ?っていう人もいるかもしれないけど、なぜかテッドヘマをすると逆に昇格させてしまう店長のくだりなんか完全に投げっぱなしで、理由の説明もなけりゃ、伏線になってるわけでもないし、何か仕掛けがあるわけでもない。
こういう荒い演出が、テッドのキャラクターを相まって、作品全体におもしろいドリフト感や、まさに“生きている”感に繋がっているんだと思う。失礼な言い方かもしれないけど、“偶然のおもしろさ”が爆発いている。

もしかすると、バッドエンドにしたほうが、伝説の作品になったんじゃないかな?とは思うけど、久々に素直に楽しめるコメディだった。

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公開年:1988年
公開国:アメリカ
時 間:101分
監 督:リチャード・ドナー
出 演:ビル・マーレイ、カレン・アレン、ジョン・マーレイ、キャロル・ケイン、ジョン・フォーサイス、ジョン・グローヴァー、ロバート・ミッチャム、アルフレ・ウッダード、ジェイミー・ファー、デヴィッド・ヨハンセン、スティーヴ・カーン、リー・メジャース、メイベル・キング 他
ノミネート:【1988年/第61回アカデミー賞】メイクアップ賞(トム・バーマン、Bari Drieband)


ニューヨークにあるテレビ局、IBCの社長フランク・クロスは、業界最年少社長として辣腕を振るっていたが、視聴率のためには手段を選ばない傲慢さと守銭奴ぶりから、周囲の人間からもれなく嫌われていた。今年もクリスマス休暇中の高視聴率を目指して、部下たちを罵倒していた。そんな中、彼の前に3人のゴーストが現れ、彼を改心させようとする。一人目のゴーストは過去をつかさどるゴーストで、タクシードライバーに扮して、フランク自身の過去へ連れて行き、彼がどうしてそんな性格になってしまったのか自覚させようとするのだったが…というストーリー。

デイケンズの『クリスマス・キャロル』を翻案した作品ということで、テレビ業界という俗っぽい舞台であるにもかかわらず、古典臭いというか説教臭さが漂う内容になっている。ただ、日本人向けではないというか、ピンとこないというか…。
本作で感動した人はたくさんいると思うので、水を差すようで申し訳ない。フランクが、どうしてそんな人間になってしまったのか?という、一番根幹の設定が釈然としなかったので、いまいち楽しめなかったのだ。

ゴーストの手助けによって、周囲の人の様子をつまびらかに見ることになり、フランクの心に変化が生じていくという内容。でも、本作の描かれ方だと、困窮する人々の様子や気持ちを彼は“知らなかった”だけであって、知りさえすれば親切にできた…ということに見える。
弟のパーティの様子を見て、彼の本音を聞いて知る。また、秘書の家の様子を見て、息子の一人が過去のトラウマで喋ることができないことを知る。でも、これは改心ではなく“知った”だけなのではないかな…と。

いや、まず知ること(=共感すること)こそ、改心の第一歩だろ…という意見はわかる。でも、二人目のゴーストが「一年間、黒い服を着ていたでしょ?」と嗜めるシーンがある。フランクが見ようと思えば見られるのに、目を背けていると指摘している模様。でも、殺人事件で殺されたなら葬式のために相当の期間、休んだであろうし、ニュースにもなっただろうから気付かないことのほうが不自然。指摘する所が"黒い服を着続けていたのに気付かないこと”って、なんか不自然だ。
ここは、フランクが自分の親の葬式のときも休んだことが無い人間だったとか、“確信犯”であるという設定にしないといけないのではないかな?と。フランクは、人々に見てもらう番組を作る側なのだから、感受性は高そうなはずなんだけど、周囲の人間には一切アンテナを向けることがない。他人に興味がないというよりも、あえて周囲にいる人間のことを見ないようにしているのかな?と私は思ったわけだ。
つまり、そんな馴れ合いの付き合いなんて価値がないという、ニヒリストなのだという設定。幼少期の環境や体験からテレビの世界に拠り所を求める人間になっており、テレビ業界での成功こそがアイデンティティを確立する唯一の手段。それ以外は、すべてシャットアウトしているのだ…、判ってはいるんだけど、どうしても素直になれないのだ…という設定にすべきだったと思う。

すると、“どうせそんなことは無駄”というニヒリズム VS 愛情という対立軸になる。これが正しい本作の構図だと思う。そして、過去の自分や周囲の本音を聞くことで、「ああ、別に自分の殻に閉じ篭る必要なんてないんだな…」「素直になればいいんだな…」と気付くという内容に集約すると、しっくりきたのだが…。

弟の気持ちなんて、仮に私がフランクの立場だったとしても、そこまで気付くことができるとは思えない。どちらかといえば、心の寂しい人間っていうよりも、社会性の無い人間。もしくは、付き合いたいと思っていないんだから、自分の心に素直に行動している人間に見える。
また、一応裕福な生活をしてはいるが、そのためにTV番組をショボくしているわけではなく、金をかけるとことはしっかりかけているわけで、仕事人としては悪くはないし。
大体にして、世の中にテレビ局が一社しかないわけじゃ無かろうに、ひとつや二つ、ブットンだ局があってもよいじゃないか。むしろ、クリスマスにTV漬けになってる民衆のほうがクレイジー。誰もがバカみたいにTVを楽しみにする社会がおかしい。
#ああ、私の心が荒んでいるだけなのかな…。

『クリスマス・キャロル』が定番すぎて、細かい疑問を差し挟む余地すら無いのかも。ただ、ビル・マーレイは本当にこういう役が似合う。彼の演技で、うまくシナリオ上の難点がラップされて、成立していると思う。

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公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:トッド・フィリップス
出 演:ブラッドリー・クーパー、エド・ヘルムズ、ザック・ガリフィナーキス、ケン・チョン、ヘザー・グレアム、ジェフリー・タンバー、ジャスティン・バーサ、ジョン・グッドマン、メリッサ・マッカーシー、マイク・エップス、サーシャ・バレス、ジェイミー・チャン、ソンドラ・カリー、ジリアン・ヴィグマン、オリヴァー・クーパー、オスカー・トーレ 他
コピー:もう しません。


アランは相変わらずの奇行を繰り返していたが、父親の心労はピークに達し、とうとう亡くなってしまう。フィル、ステュやアランの家族たちは、さすがに面倒を見きれないとギブアップ。アランを施設に収容することに。頑なに拒否すうアランを、フィル、ステュ、ダグが一緒に送ってあげるとなだめ、車で移動することに。しかし、その道中、大物ギャングのマーシャルが彼らを襲撃。実は、これまでフィルたちの騒動に関わってきたチャンが、マーシャルの金塊を盗んでいたのだ。マーシャルは彼らがチャウの居場所を知っていると思っており、“金を盗んだチャウを探してこい”と命令し、ダグをそのまま拉致してしまう。何のことかさっぱりわからないフィルとステュだったが、アランの携帯電話には、チャウからのメールが送られていたのだった。仕方なくチャウとコンタクトをとるハメになるのだったが…というストーリー。

シリーズの締めくくりということだが、どうせ同じ展開なんだろう…と思っていたら、なんと“ハングオーバー”しないというタイトル完全無視の反則に出てきた(笑)。加えて、前作にましてアランの症状が限度を超えていて、ちょっとヒイちゃうレベル。冒頭のキリンのクビチョンパは、さすがに素直に笑えない(笑ったけど)。ラストだからって、驚かせればなんでも有りの展開だ。

その分、フィルとステュの影が薄い薄い。アランの庇護者としてひとくくりで、両者の特徴が生かされるシーンは極めて少ない。ここまできたら、アランにとことんまで暴走してもらおう!っと思ったら、チャウ登場。チャウがアラン以上にクレイジーで、一緒のシーンだとアランがおとなしくなっちゃうレベル。終盤なんかチャウ祭り。こいつにこんなにスポットを当てていいのかよ?!(笑)

そのチャウとのバランスを取るように、キャシー登場。確かにラストはこの展開しかない。割れ鍋に閉じ蓋とはまさにこのことで、所詮、男は女で成長するってことか。まあいいんじゃない(笑)。キャシーも結局同類で、別に成長なんかしないんだけどね(アホが増えただけ)。

で、エンドロールではお約束。やっぱりハングオーバーしちゃう。ステュもやらかしてくれる。
シリーズ3作全部、レベルを下げることなく最後まで完走できたのはお見事。近年稀に見る着地っぷり。続編やスピンオフは作らずに、このままきれいに終わってほしい。

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公開年:1977年
公開国:アメリカ
時 間:99分
監 督:カール・ライナー
出 演:ジョージ・バーンズ、ジョン・デンヴァー、テリー・ガー、ドナルド・プレザンス、ラルフ・ベラミー、ダイナ・ショア、バリー・サリヴァン、ウィリアム・ダニエルズ、バーナード・ヒューズ、ポール・ソルヴィノ、ジェフ・コーリイ、ジョン・アシュトン 他
ノミネート:【1977年/第50回アカデミー賞】脚色賞(ラリー・ゲルバート)



スーパーマーケットの副店長ジェリーは、まじめな勤務ぶりで、私生活では妻ボビーと息子・娘と平凡ならがらも幸せに暮らしている極めて善良な男である。そんなある日、とあるホテルの2700号室に来いという内容の手紙が届く。はじめは友人のいたずらだと思い手紙を破棄したのだが、枕元や売り場の野菜の中から、手紙が出てきてしまう。やがて、神と名乗る男性の声まで聞こえるようになり、半信半疑ながらも手紙の通りホテルに行くことに。ところが、そのホテルには27階などない。しかし、ジェリーがエレベータを降りるとそこには2700号室が。すると、突然、老人の姿をした神が現れ…というストーリー。

『処刑人』同様に神の啓示を受けた男のお話。でも、『処刑人』なんかよりは直接的だし、使命を果たすために極端な行動をするわけではない。ただ、神のいうように行動することを求められる。そして、主人公は元々信心深くないというところがポイント。本作はコメディタッチにつづられているが、実は、聖書に綴られているエレミヤなど預言者の様子を現代に置き換えただけである。
神が預言者を選定するときに、その人の信心深さを考慮しない。そして、預言者はそれが理不尽だろうが納得いかなかろうが、ひたすら神の言葉に従って行動することを求められるのである。人々が神を信じるようにしろ、それが人間を破滅に救う道だ!と。
本人だって率先してやりたくはないのに、頭の中に響く神の声に従っている。周囲の人には神の声も姿もわからないので、預言者は狂人に見えるわけだ。

もう一つのポイントは、現世で人々の耳目を集めている聖職者といわれる人を偽物と糾弾し対峙するという構図である。やがてその対決は裁判という形まで発展し、水戸黄門よろしく、最後で神が奇蹟を見せるわけである。これも聖書によく見られるパターンである。

神は時にはベルボーイ、時にはタクシー運転手の姿であらわれる。コメディーチックだけど、神の遍在性をしっかりと表現している。万能だけど、ヒョヒョヒョイとは解決しない。神のお考えなど、民草なんぞにはわかる由もなし。ただただ信じるのみである…という結論から外れない。
ということで、完全な聖書の教材みたいな作品なのだが、聖書の文化にいない我々でも、それなりに愉しめるのはスゴいところ。

“神の性格”は聖書の中でも、登場する場所によって結構異なるのだけれど、本作は特に人間臭く、そして人懐っこいおとぼけキャラに描かれているのが功を奏して、説教臭さを緩和することに成功している。また、家族がのっぴきならないピンチに陥ったりしないのもね(聖書の中じゃ、家族を殺さないといけなかったりする預言者もいるので…)。
#字幕が画像貼り付け。

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公開年:2000年
公開国:アメリカ
時 間:113分
監 督:スティーヴン・フリアーズ
出 演:ジョン・キューザック、ジャック・ブラック、リサ・ボネ、ジョエル・カーター、ジョーン・キューザック、サラ・ギルバート、イーベン・ヤイレ、トッド・ルイーソ、リリ・テイラー、ナターシャ・グレグソン・ワグナー、スージー・キューザック、ディック・キューザック、ブルース・スプリングスティーン、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、クリス・バウアー、アレックス・デザート、 ドレイク・ベル 他
ノミネート:【2000年/第58回ゴールデン・グローブ】男優賞[コメディ/ミュージカル](ジョン・キューザック)
【2000年/第54回英国アカデミー賞】脚色賞(D・V・デヴィンセンティス、スティーヴ・ピンク、ジョン・キューザック、スコット・ローゼンバーグ)
【2001年/第10回MTVムービー・アワード】音楽シーン賞(ジャック・ブラック:ジャック・ブラックによる“Let's Get It On”)、ブレイクスルー演技賞[男優](ジャック・ブラック)、カメオ出演賞(ブルース・スプリングスティーン)
コピー:音楽オタクで恋愛オンチ。誰の胸にもラブソングが流れだすHi-Fiな恋の物語。

30代の独身男ロブ・ゴードンは、シカゴで小さな中古レコード店を経営している。あまりにも音楽へのこだわりが強く、好きな作品しか扱わないため儲かってはいないが、それなりに暮らせるだけの収入はある。そんなある日、同棲していた弁護士の恋人ローラが、突然出て行ってしまう。それをきっかけに、ロブは何で自分の恋愛はうまくいかないのか、これまでの失恋体験をリストアップして振り返る。ローラに付き合っているがいる男がいることが判明すると、思いはさらに暴走。リストアップした過去の恋人のペニーやサラやチャリーたちの現在の居場所を探り出し、自分の何が悪かったのか聞いて回る始末。そうやって、なんとかローラへの思いを断ち切ろうとするロブだったが、彼女への愛は消えることなく…というストーリー。

ロック好きにはたまらない作品だろう。オタクのダメ人間のコメディなんだけど、ジョン・キューザック演じる主人公は結構な数の女性と付き合っており、ナードじゃなくてギークに近い。一方、雇っているディックとバリーはナード寄りだったりして、バランスがおもしろい。そんな、ジャック・ブラック演じるバリーと内向的なディックとの会話が、馬鹿馬鹿しいんだけど、たまにちょっと心に刺さるのも良い。
彼らは大人になれない人たち。でも世の中の男性は、大人のふりができる人とできない人の二種類しかいないでしょ。"フリ”をすることなんかまっぴらごめんっていう素直な人たち。社会性に若干欠けているかもしれないけど、それなりに生きてる。男性は「アホだなー」と思いつつも共感し、女性は自分の周囲の男共がなんでアホなのか理解する一助になることだろう。

絶対に無理めなローラとの関係が再開した後も、微妙な崩壊の予兆を孕み続ける緊張感があったりして、うまいシナリオだった(コメディ調だけど、繰り広げられている恋愛模様はけっこうエグいかも)。そんな展開の中、ジャック・ブラックがいい味を出す。単なる端役かな…なんておもってたんだけど、最後の最後でズドンとやられる。意外や意外、ほっこりした気持ちで観終えることができる。
人間って見た目の印象じゃないよね。多分、人からはそんな風に見られているんだけど、自分の内面ってそうじゃないんだよな…って思ってる人はたくさんいると思う。別にモラトリアムってわけじゃないけど、チャンスというかきっかけが無いって人もいると思うの。いや、やりたいならごちゃごちゃいわないでやればいいじゃん!とか説教たれる人がいるけど、なんでもゴリゴリできる人とそうじゃない人はいるから。そういう意味だと、ちょっと変わった人たちにやさしくできるようになる作品かも。

男目線の恋愛物語としては、かなり優秀。

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公開年:2001年
公開国:アメリカ
時 間:89分
監 督:ベン・スティラー
出 演:ベン・スティラー、オーウェン・ウィルソン、クリスティーン・テイラー、ウィル・フェレル、ミラ・ジョヴォヴィッチ、ジェリー・スティラー、デヴィッド・ドゥカヴニー、ジョン・ヴォイト、ジュダ・フリードランダー、ジャスティン・セロー、エイミー・スティラー、ジェームズ・マースデン、ネイサン・リー・グレアム、ヴィンス・ヴォーン、ビリー・ゼイン、ドナルド・トランプ、クリスチャン・スレイター、キューバ・グッディング・Jr、ナタリー・ポートマン、レニー・クラヴィッツ、デヴィッド・ボウイ、スティーヴン・ドーフ、クラウディア・シファー、ヴィクトリア・ベッカム、ウィノナ・ライダー、パリス・ヒルトン、グウェン・ステファニー、ハイジ・クラム、ギャリー・シャンドリング、ルーカス・ハース、フレッド・ダースト、アレキサンダー・スカルスガルド 他
ノミネート:【2002年/第11回MTVムービー・アワード】チーム賞(ベン・スティラー、オーウェン・ウィルソン)、カメオ出演賞(デヴィッド・ボウイ)、名セリフ賞(ベン・スティラー “There's more to life than just being really, really, really good looking.”)、衣装賞(ベン・スティラー、ウィル・フェレル)
コピー:3%の体脂肪率。1%の知能。彼の名は…

超売れっ子の男性スーパーモデルであるデレク・ズーランダー。これまで年間最優秀モデルを3年連続で受賞しており、今年の受賞も確信していたが、新人モデルのハンセルに奪われてしまう。すっかり落ち込んだデレクは、大事な友人たちも不幸な事故で亡くしてしまい、失意のまま引退を決意。炭鉱で働いている父親や兄弟がいる地元に戻る。しかし、デレクのモデル業を恥だと思っている彼らは、デレクをまったく相手にしない。結局ファッション業界に戻るしかないデレクに、業界№1デザイナーのムガトゥから、ショーモデルのオファーがくる。これを復活のチャンスにしたいデレク。しかし、実はムガトゥは、マレーシア首相の暗殺計画のヒットマンとしてデレクを利用としており…というストーリー。

バカなノリがすごい。まず、ベン・スティラーがトップモデルっていう設定があり得ない。観客はそれを許容する…というか、無理矢理納得しないと話が進まない。モデルの表情の“技”とか、もうわけがわからない。

ファッション業界が、途上国の労働力の搾取から成り立っている!なんていう話からスタートするもんだから、コメディとはいえ裏にはメッセージ性を潜ませているのかと思いきや、ベン・スティラーの社会問題に対するシニカルさが、本気で批判したいのか、批判していること自体を揶揄したいのか、よくわからないときている。煙に巻きすぎ。

なにやら、ファッション業界に潜んでいる“悪”が、労働力を確保するために、国民を搾取から救おうとするマレーシア首相の暗殺しようとする。自分達の手は汚さないで、簡単に洗脳されるアホを利用しよう。そんなアホはいるか?いるじゃん、デレクだよ…って。デレクはおだてられ利用され、いざ暗殺の手ごまになりそうになる。さてどうなるか。ただそれだけのお話。

その薄っすいプロットを、原色バリバリのファッションに、『オースティン・パワーズ』的な下品なネタに、ちょっと昔の良い曲を集めたBGMに、異様に豪華なカメオ出演で、コーティング。
まあ、観終わったあとには、感動も爽快感も、そしてそれほど満足感も何も残らない。ただただバカなノリを一過的に楽しめばそれでいいだけの作品。

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公開年:1997年
公開国:ドイツ
時 間:90分
監 督:トーマス・ヤーン
出 演:ティル・シュヴァイガー、ヤン・ヨーゼフ・リーファース、ティエリー・ファン・ヴェルフェーケ、モーリッツ・ブライブトロイ、フープ・スターペル、レオナルド・ランジンク、ラルフ・ヘアフォート、コーネリア・フロベス、ルトガー・ハウアー 他





除去不可能なほど脳腫瘍が肥大したマーティンと、末期の骨髄腫のルディは、偶然、同部屋でベッドを並べていた。病室でおかまいなしに喫煙するマーティンにルディはいらつき、はじめは険悪な雰囲気だったが、お互い死期が迫っている者同士であることが判ると、急速に距離を縮める。病室を抜け出し、食堂でテキーラをこっそり飲んでハメははずした二人は、まだ見た事が無い海に行こうと思いつき病院を抜け出す。駐車場にあったベンツを盗んで旅をはじめる二人だったが、そのベンツはギャングの所有物で、中には大金が積まれていたため、ギャングから追われることになる。思いつきで旅に出てしまった二人は、すぐにお金に困ってしまう。マーティンは、車に大金があることも知らず強盗を働き…というストーリー。

ハリウッドとは違うノリが実に小気味良い。お互い死ぬことが決まっていて、偶然にも同部屋だったから交流しただけであって、粗暴で女ったらしのマーティンと、パッとしない風体にうじうじした性格のルディは、あまりに性格も価値観も行動様式も違い、本来は絶対に交わることなどないはずだった。

死期が迫って自暴自棄ぎみになった二人によるロードムービーなんて、珍しくもないストーリーなんだけど、カー・チェイスや強奪劇は、それほど過激ではなく、軽妙にうまく描けていると思う。途中、スポット的に差し込まれる音楽もなかなかよろしい(The offspringの『Come Out&Play』みたいな曲だったけど、別の曲か?洋楽は詳しくない。すまぬ)。
この軽妙さと、二人はもう死んでしまうんだ…という重さとのバランスが、非常にいい味になっている。ただ死ぬんだ…という設定だけでなく、マーティンがちょくちょく発作を起こすのが効いているんだよね。そのピンチによって、ルディの行動にも影響を与えるし、後々その発作をウマくつかった脱出劇もあるし。

死ぬ前に自分がやりたいことを言い合うんだけど、その望みが片方のキャラクターが言いそうな望みなのがおもしろい(望みが何かは観てくだされ)。もう死期が迫っている二人ということで、成長や変化という部分は描きにくいテーマなんだけれども、その部分は“心の解放”という形で描かれていて、非常に好感が持てる。

最後、ギャングのボスは、なぜ二人を許したのか。二人の病状を知ったから…だけではちょっと弱いなと感じる。何らかの仕掛けか、泣きエピソードか、ここで一工夫あったら、最後の海のシーンもガツンを効いてきたことだろう。その点はちょっぴり残念かな。でも、是非お薦めしたい作品。
#劇中で“ヘルシンキ・シンドローム”という表現が出てくるが、“ストックホルム・シンドローム”ではないのけ?

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公開年:1995年
公開国:アメリカ
時 間:109分
監 督:ビーバン・キドロン
出 演:パトリック・スウェイジ、ウェズリー・スナイプス、ジョン・レグイザモ、ストッカード・チャニング、ブライス・ダナー、アーリス・ハワード、ジェイソン・ロンドン、クリス・ペン、メリンダ・ディロン、ジュリー・ニューマー 他
ノミネート:【1995年/第53回ゴールデン・グローブ】男優賞[コメディ/ミュージカル](パトリック・スウェイジ)、助演男優賞(ジョン・レグイザモ)



ドラッグ・クイーン・コンテストのN.Y.地区予選を勝ち抜き、代表となったノグジーマとヴィーダは、ハリウッドで開催される全国大会への出場権を獲得した。勝利の喜びを溢れさせたまま会場から出ようとすると、そこに優勝を逃し落ち込んでいるチチが。彼女のあまりの落ち込みように心を痛めたノグジーマは、チチも一緒にハリウッドに連れて行き、一人前のドラッグ・クイーンにしてやろうと提案。しかし、ハリウッド行きの航空券は二枚しかないので、連れて行くためには航空券を払い戻して別の交通手段に変更するしかない。優雅な旅を期待してたヴィーダは猛反対したが、かつてはヴィーダもチチと同じように中途半端でノグジーマに仕込んでもらったことを指摘され、渋々同意する。こうして3人は、航空券を払い戻したお金でポンコツのキャデラックを買い、ハリウッドに向かうのだったが…というストーリー。

ノグジーマがいくら情に深いキャラだとしても、見ず知らずのチチを連れて行く流れが強引すぎるな…と。ドラッグ・クイーン3人のロードムービーをいう企画ありきで、その流れに無理矢理持っていってるんだと感じた。
で、道中イヤな思いをしたりありきたりな展開になるのかな…と、ちょと飽き始めたところで、保安官に引き止められて尋問を受けてセクハラを受けて反撃。あら保安官を殺しちゃったわ!という展開に。ノグジーマのキャラクター的には逃げそうにはなさそうなんだけお、逃げちゃう。やっぱりありきたりだな…と、ますます興醒め。

でも、殺人犯として追いかけられるハードな展開にはならなかったし、逆に保安官が彼女たちを気に入って追いかけちゃう展開にもならない。その点はそれなりにユニークなのかも…と思っていると、車が故障して3人がド田舎の町にしばらくいないといけない展開に。ここから本作が至高の輝きを見せ始める。ノグジーマ、ヴィーダ、チチ、それぞれにエピソードの太い幹ができはじめる。これが実に秀逸。3人の行動が町の人々の心を変え始める。ノグジーマは夫から虐待されている女性と。ヴィーダは心を閉ざしてしまった映画好きな老婆と。チチは彼女を好きになってしまった青年とその青年が好きな少女と。彼女たちが実は男だ!とかいうことで、すったもんだがおきるんだろうな…と思うでしょ。でも、そんなありきたりなことはおこらない。

やっぱり細かいことは書かないでおく。で、ノグジーマと虐待されていた女性との別れのシーン。私、嗚咽を漏らして泣いてしまった。映画を観て「お゛お゛~~」って声だして泣いたの始めてかも。多くを語ることなく“心の解放”が表現されている、すばらしいシーンだったと思う。
超おすすめ。最後、なんでチチが優勝できたのか(出場権ないでしょ?それとも別の年度?)よくわからんかったけど、そこでもまだ私は泣いてたから、どうでもよかった。

パトリック・スウェイジの演技もよかったけど、ウェズリー・スナイプスもよくがんばってるね。彼のこういう演技に、お目にかかれることはもう二度とないだろう。

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公開年:1996年
公開国:香港
時 間:92分
監 督:リー・リクチー、チャウ・シンチー
出 演:チャウ・シンチー、ヴィンセント・コク、カレン・モク、ン・マンタ 他
受 賞:【1998年/第19回ラジー賞】ワースト・スクリーン・カップル賞(レオナルド・ディカプリオ)





“食神”として名を馳せる天才料理人・周は、側近として採用したトンガウの裏切りによって汚名を着せられ、香港料理界を追放されてしまう。トンガウは、大快楽チェーンの社長エリックの謀略により送り込まれた男だった。すっかり落ちぶれてしまった周は、裏町の屋台を切り盛りする、醜い顔だが凄腕の女性フォウガイに助けられる。フォウガイと町のチンピラたちと一緒に、改めて再起することを決心した周は、“爆発!小便団子”を開発すると、大当たりして再び成功者の道を歩み始める。さらに周は、“新食神”を名乗っていたトンガウに宣戦布告。トンガウに勝つために、中国へ料理修行へ向うのだったが…というストーリー。

この手の作品に目くじらを立てる必要はないのだが、悪ノリ作品だという前提を差し引いても、なにか不快な滓が残る作品。
日本のマンガ・アニメでおなじみの『ミスター味っ子』の味皇の過激な料理批評の上っ面だけを真似た感じなのだが、料理の技法や、食材の良し悪しに真面目に言及することが無いだけでなく、むしろそういった“食”に関する部分を貶そうとしている意図すら感じる。悪ノリっていうか悪フザケになっているのが、不快になる原因だと思われる。

それでも、慢心した主人公が罠に嵌められ挫折し、その後、どん底の環境でできた仲間の協力を得て復活していうという流れは、ある意味王道で悪くなかったと思う。問題は、実はフォウガイが周のファンで…という展開と、中国に料理修行にいく展開。その末にあるグダグダな、料理対決。これを悪フザケといわずなんというか。
挙句の果てに、料理の神様を登場させて、勝負自体をボヤけさせ、風呂敷を広げるだけ広げて後は煙に巻こうという、ケツの捲くり具合がちょっとみっともないか。

まあ、後にこのノリが『少林サッカー』を生んだのだと考えれば、腹も立たない。馬鹿馬鹿しくてそれなりにおもしろいという評価を聞いた上でのレンタルだったんだけど、正直どうでもいい作品かな(笑)。

それにしても、内容だけでなくアクションなんかも、日本のマンガやTV番組の影響を受けすぎじゃないかね。チャウ・シンチーの作品は…。 

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公開年:1978年
公開国:アメリカ
時 間:13分
監 督:アーニー・フォセリアス
出 演:スコット・マシューズ、ジェフ・ヘイル、シンディ・ファーガッチ、ボブ・ニッカーボッカー、ポール・フリース 他






家電大好き青年“フルーク・スターバッカー"は、悪者“ダーフ・ネーダー"に捕えられてしまった“アン・ドロイド姫"からのSOSメッセージを再生。彼女を助けるために、騎士“オージー=ベン・ドーギー"の指導のもと“ファース”を鍛え、密輸商人“ハム・サラダ”の船で敵陣に乗り込んでいく…というストーリー。

内容も収録時間も確認せず、「ああ、スター・ウォーズのパロディムービーなんだろうなぁ…」くらいの感じで、何気なく手にとってそのままレンタルしてしまった。こんな短い作品であることなど、一切確認せずに。
『スター・ウォーズ』だけでなく、その派生文化も含めて、すべて大好き!っていうフリークなら楽しめるのだろうが、そうじゃない人はポカーンな作品。

スターウォーズのパロディムービーはたくさんあるらしいが、『スター・ウォーズ』公開後に、一番はじめに登場したパロディムービーだった模様。そういう事情もあってこそ、ジョージ・ルーカスが本作について言及(それも好意的に)しているから、“伝説”扱いなんだろう。

“ハードウェア”っていうのは、宇宙船なんかを全てアイロンとかトースターに置き換えていることからきている。キャラクター名も適当。C3POもどきは『オズの魔法使』のブリキ男、R2D2はただの掃除機。極めつけは、チューバッカがクッキーモンスターの色違い(共通点は毛メジャなところだけ)。

このブログでは短い作品でも紹介してきたが、さすがに本作は取り上げるのを躊躇した(観なかったことにしようかと)。だって、パロディなりに一つのお話として完結できているならよいんだけど、予告編レベルで終わってしまっているんだもの。せめて、ダイジェスト的な感じだったらよかったのだが。

まあ、“ファンムービー”のパイオニアとして、映画史上の価値はあるのかも。監督のアーニー・フォセリアスは、『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』にも関わった模様。そういうのは夢があるよね。

マニア以外は観なくて良い。

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公開年:1991年
公開国:アメリカ
時 間:100分
監 督:バリー・ソネンフェルド
出 演:アンジェリカ・ヒューストン、ラウル・ジュリア、クリストファー・ロイド、ダン・ヘダヤ、エリザベス・ウィルソン、ジュディス・マリナ、クリスティナ・リッチ、ジミー・ワークマン、カレル・ストリッケン 他
受 賞:【1992年/第20回アボリアッツ・ファンタスティック映画祭】20回記念賞
【1991年/第12回ラジー賞】ワースト音楽賞(“Addams Groove”)
コピー:私たちの、どこがヘンですか…。



郊外の丘の上にある洋館に住むアダムス一家。当主のゴメスと妻のモーティシア、子供たちウェンズデーとパグズリー、モーティシアの母グラニー、執事のラーチ、そして生きている切断された手“ハンド”。本当はゴメスの兄であるフェスターも一家の一員なのだが、25年前にゴメスの発言に傷ついて失踪してしまい、現在も行方不明となっている。ゴメスは彼のことが気がかりで、いつも心を痛めていた。一方、アダムス家の顧問弁護士であるタリーは、高利貸しのアビゲイルからの多額の借金返済ができずにいた。そこで、膨大な資産を持っていると思われるアダムス家からなんとか出資させようと試みるが断られてしまう。しかし、アビゲイルの息子ゴードンが、フェスターに瓜二つであることに気付き、ゴードンをフェスターに変装させアダムス家の財産を奪う計画を、アビゲイルに持ちかける。アダムス家恒例の降霊会の時に、変装したゴードンを登場させ、見事に潜入に成功。一家の誰もフェスターであることを疑わない。しかし、しばらく一緒に生活をするうちに、ゴードンは何故だかアダムス家での生活が楽しくてしかたなくなってしまい…といストーリー。

長らく『アダムス・ファミリー2』だけが、レンタルショップに並んでいた。いきなりサマーキャンプの話を観せられてもね…。別に2が面白くないわけじゃないんだけど、基本設定とかわかんないから、普通1から観たいでしょ。かれこれ15年以上こんな状態が続いていたのではなかろうか。ラウル・ジュリアがお亡くなりになったせいで権利問題がクリアされないという噂もあるけど、だったら2はどうなんだということになる。よくわからん。
とりあえず、TSUTAYAの発掘良品に並んだ。TSUTAYA偉い。次は『ピアノ・レッスン』をお願いする。これも無い。

内容はトコトン子供向きだが、子供が素直に受け入れられるビジュアルかっていうとイマイチそうでもない。アンジェリカ・ヒューストンは、子供の目線だとかなり怖いおばさんだと思う。当時は私もそう思っていた(っていうか正直気持ち悪りーなーと思ってた)けど、今改めてみると、けっこう綺麗な顔立ちだと思える。歳取ったな。
意外とスプラッタ的なところは無いので、うまくバランスは取れていると思う。

アダムス家全員が、ダークで奇行を繰り返すキャラクターばかりなんだけど、その反面、究極的なまでにピュアだというのが、本作の魅力だろう。強欲な悪者と、余りある家族愛とのコントラストが良い。アダムス一家は家族に対する愛をストレートに表現するが、一方のゴードンは、記憶にあるかぎり愛を傾けられた記憶すらない。
『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』的なダークさだけど、ティムバートン作品にはない家族愛の表現だと思う。

(以下ネタバレ)
さすがに、本物のフェスターだったのだ!は、強引すぎて、顎が落ちる。だけど、それが許されるノリ。
ゴードンはとってもアダムス家の生活を楽しんじゃうことが、今まで家族らしい待遇を受けていなかったから、こんなにアブノーマルでも“家族”を感じたんだろう。家族愛ってすごいな…と思っていたのに、本人なんだからそりゃあしっくりくるわけだ…になると、感激が半減するのは否めないけど。じゃあ、本物じゃなかったとしてどういう展開にすればよい?ただしハッピーエンドでね!と問われたら、それはそれで私には思いつかないから、これがベターなんだろう。

主題歌はラジー賞を獲るほど悪いデキだろうか????別に作品のテイストからズレているわけでもないし、エンドロールに流れる曲だし、公開当時はこの音楽を聞いたら『アダムス・ファミリー』が思い出されたくらいで、プロモーション的にも優秀だろう。MCハマーだっていうだけで選定してないか?そういう浅い了見で人を小馬鹿にするラジー賞の姿勢が嫌いだ。

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公開年:1988年
公開国:アメリカ
時 間:85分
監 督:ロバート・K・ワイス
出 演:レスリー・ニールセン、プリシラ・プレスリー、ジョージ・ケネディ、リカルド・モンタルバン、O・J・シンプソン、ナンシー・マーチャンド、スーザン・ボービアン 他






ベイルートにて、アメリカに敵対する国々による極秘会議が催されていた。アメリカへのテロ攻撃を実施すべしと盛り上がった所で、執事に変装して潜入していたロス市警のフランク・ドレビン警部が乱入。会議をめちゃくちゃにブチ壊すのだった。帰国したドレビンが帰国すると、同僚のノードバーグの入院先へ向う。ノードバーグは、あるヘロイン密輸事件の捜査の際に銃撃され意識不明の重態となっていた。彼の意識がないため、その事件のあらましはわからずじまいだった。その頃、ロスはエリザベス女王の訪米を控え、慌しさを増していたが、その女王歓迎委員会の議長を務める財閥の総帥ルドウィグが、ドレビンの追っていた事件に関係していると考え、会社を訪ねるのだったが…というストーリー。

似たようなノリのコメディは山ほどあるが、本作の秀逸さは、他の単なるおふざけコメディ作品とは一線を画している。それは、いわゆるハリウッド作品のお約束を揶揄するという基本視点がベースにあるからだと思う。

考え事をしていたら山に行っちゃった…なんていうギャグは、本作の中ではツマらない部類だと思うが、映画のご都合主義的な編集を揶揄しているわけで、コンセプトとしては正しいと思う。
まあ、ベースがそうだというだけで、くだらない小ネタもドタバタも満載なんだけどね。

いきなり、反米国によるテロの相談からはじまり、そこにゴルバチョフがいるというのが何とも時代を感じるわけだが、このシーンの政治ギャグだけは、本作のテイストからちょっとズレるかもしれない。でも、吹き替え音声で観ると、くっだらないオヤジギャグの連発で、掴みとしては大成功だと思う。邦題からしてそうなんだけど、日本のポストプロダクションがいい仕事をしていると思う。。

本作のレスリー・ニールセンに限ったことではないのだが、コメディ映画の主人公が笑わないというのは、やっぱり大事なポイントだと思う。さすがにMr.ビーンのレベルになると狂人色が強すぎて、逆に笑えなくなってしまうのだが、本作のドレビンは適度。無表情なのではなく、喜怒哀楽はある。でも、彼の“楽”の表情は気持ちよかったとか、コミュニケーション上の微笑みこそあれ、笑いはしない…というのが徹底している。

スポーツ選手上がりで、おそらくたいした演技もできないであろうO・J・シンプソンを、その粗を目立たせることなく、最大限に効果的に利用した演出方法も秀逸かと。

深夜に放送してたら、なんだかんだで最後まで観ちゃう作品。この手の、途中で寝ちゃっても悔しくない作品を、金曜、土曜の深夜にどんどんやるべきなんだよなぁ。

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公開年:1998年
公開国:イギリス
時 間:92分
監 督:カーク・ジョーンズ
出 演:ニイアン・バネン、デヴィッド・ケリー、スーザン・リンチ、ジェームズ・ネスビット、フィオヌラ・フラナガン、モーラ・オマリー、ロバート・ヒッキー 他
コピー:ネコばばる?




南アイルランドの小島にある過疎で老人だらけの小さな村タリーモア。この村のだれかが宝くじに当選したことを地方紙の記事知ったジャッキーは、おこぼれにあずかろうと、友達のマイケルと一緒に当選者を捜し始める。何かを購入したりいつもと様子の違う村人を見つけては探りを入れるが一向に当選者らしい人間が見当たらない。業を煮やしたジャッキーは村中の人集めてチキン・パーティを開いてさらに探りを入れるが、さぱり判らない。お手上げかと思ったが、このパーティにネッドだけが来ていないことに気付く。早速、チキンを手土産にネッドの家を訪問するジャッキー。しかし、いくら呼びかけても返事がないので家に入っていくと、たりくじを握りしめたままショックで死んでいるネッドを発見する。賞金は無効になってしまうとがっかりしたジャッキーは、とりあえず家に帰り就寝。しかし、ネッドが自分にチキンをすすめてくる夢を見たジャッキーは、きっと賞金を無駄にせずに村人たちで分け与えよというネッドの意思だと解釈。マイケルをネッドに成りすまさせて、賞金を貰おうとするのだが…というストーリー。

とことん突っ走り系のコメディではある。老人がヨタヨタとがんばっちゃうのがおもしろんだろう。全体のテンポも良い。ただ、村人に宝くじが当たったヤツがいるから捜そうぜ!にはじまり、当選者が死んでいたから成りすまそうぜ!となり、さらに村人を全員巻き込んで平等に分割しようぜ!だからみんな一緒に演技しような!という展開。下衆、下衆、下衆アンド下衆。別に老人に清廉さを求めているわけでもないし、自分がモラリストだとも思わないけど、ちょっと下衆すぎやしないかと。
本作、結構評判がいい。でも、おもしろくないわけじゃないけど、そこまでか?と。

村人が葬式を出しておしまいって所を見ると、公式には子孫はいなかったってことか。こういう場合は、相続者のいない財産ということで国庫に入るんだろう。それを、俺たちが受け取ったってだれも不幸にはならんだろ?という発想はわかるのだが、彼らを応援しながら観る気にまではならなかった。ジャッキーの奥さんは、マイケルに悪事をさせることが許せないといっていたが、そういう問題ではなく、根本的にやってはいけないことだろう。
なんだろう、このイギリス辺りの、政府なんか楯突いてナンボじゃ!みたいな、ベース思考。“お天道様が見ている”という感覚が皆無なんだろうな。このまま生活してたって、こんな田舎の小さな村で余生を過ごす意味なんかない。搾取するだけ搾取して、老後はこの有様かよ!政府め!っていうのがイギリス人の普通の感覚で、あえて説明するまでもないってことなのかもしれんが。

本作をおもしろいと思えるかどうかは、彼らを素直に応援できるか、それとも最後はおじゃんになることを期待するか…が境目かと。前者は愉しめるだろうし、後者はノリきれないだろう。欲に目がくらんだのかもしれんが、ある意味いちばん正論だった足の悪いばあさんを、事故で電話ボックスごとぶっ殺してしまう演出。私は後者だったので、インパクトこそあったけど笑えはしなかったわけだ。“正義<政府への不満”だとしてもその演出でいいのかよ!と。

並行して展開する、豚飼育業の男の恋のお話。宝くじの話と何の関係があるのやら…と、最後まで疑問だったが、最後の最後でやっと繋がる。まあ、ネッドが実は…というオチはチョッピリ不意を付かれた(というか、あまりにもラスト間際だったもので)。この仕掛けがなかければ、愚作だったと思う。

ネッドはなかなかのプレイボーイだったってことか…。あれ、そういえば、ジャッキーの奥さんがマイケルを悪事に巻き込んだことを怒ってたのって…。なんか、けっこう裏ではドロドロした村なのかも…。

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image2200.png公開年:1967年
公開国:チェコスロヴァキア、イタリア
時 間:71分
監 督:ミロス・フォアマン
出 演:ヤン・ヴォストルチル、ヨセフ・シェバネク、ラディスラフ・アダム、ヴラティスラフ・チェルマク、フランティシェク・デベルカ 他
ノミネート:【1968年/第41回アカデミー賞】外国語映画賞





チェコの田舎町。消防署幹部の面々は、退役した元消防所長が不治の病に侵されていることを知り、記念品を贈ろうと考える。地元民との交流パーティを催し、そこを贈呈の場としよと考えた。目玉の出し物は“ミス消防士コンテスト”や景品の抽選会。消防署幹部の面々は、このパーティを成功させようと努力するものの、コンテストの参加者がさっぱり集まらず、必至で若い女の子に声を掛けまくる始末。おまけに抽選会の商品が、ちょちょこ無くなってしまう。監視をしても、やっぱり無くなってしまう。そんなドタバタの中、パーティはスタートするが、集めた女の子たちは、恥ずかしがってステージから逃亡。さらに、会場近くの家が家事になってしまい、あわてて緊急出動するのだが…というストーリー。

『カッコーの巣の上で(1975)』『アマデウス(1984)』などで知られるミロス・フォアマン監督の作品。プラハの春より公開年が古いので、チェコにいた頃に作られた作品だろうか。

何も考えずに観ていると、じいさん、おっさん連中が、くだらないドタバタを繰り広げているだけに思える。意図は不明だが、景品のテーブルの下で情事にはげんでみたり、コンテストに出す女の子を別室に集めて破廉恥なことをしてみたり。それがおもしろいなら別に問題はないのだが、「くだらね~~」って感じでもなかったりする。笑いのセンスが有るとか無いとかの次元ではなく、“笑い”という文化が当時のチェコスロヴァキアにあったのか?という疑問すら湧くレベル。

ただ、あまりに笑えないので、逆に考えてしまうわけだ。そして、気付いてしまうわけだ。そういえばここは消防署だよな?それにしては、いわゆるファイヤーマン的な人が存在しないことに。そう、まともに動けそうにもないおっさんばっかりなのだ、この消防署。冒頭に若者が一人出てきたが、アホヅラだ。
そのおっさんたちは、もちろん本業ではないパーティに全力投球。幹部と思しき人たちが、真剣にどうでもいいことに対して、ああでもないこうでもないとマジメに談義を重ねて、その議論の結果としてあらぬ方向に向かってしまうか、議論の途中で別の事柄が発生してしまい無駄な議論になってしまうかのいずれかなのだ。
おや、これは、社会主義国家における役人達を揶揄しているのではなかろうか?こういうドタバタ喜劇を繰り広げるキャラクターというのは、愛嬌がある姿に大抵は描かれるものだが、本作の消防署員には、あまりそれがない。とことん、無能で存在価値がない生物に描かれている。その極めつけが、消防士なのに、まともに防火ができないという姿。

鎮火後にパーティ会場に戻ってくると、景品が全部無くなっているという衝撃(?)の事態に。電気を消すので盗んだ人は正直に戻してくださーい、なんて小学校で泥棒騒ぎがあったときの教師みたいなことをやっちゃうと、なんと電気がついたら署員が景品を戻そうとしている。ヤバイってことで、またもや署員が集まって談義するのだが、そこでも「正義より対面の方が大事」なんていうトンデモ結論に達してしまう。でも、これって膠着した官僚組織にはありがち。いざ、パーティ会場に戻ると市民はすっかりいなくなっており、すっかり信用がガタ落ち。

この作品は、公開1 週間で上映中止になったらしいが、いかに政府が鈍感だとしても、自分達がターゲットになっていることに気付くだろう。まあ、そういう政府批判というバックボーンがあってこそ、意味が通じる作品。笑いというのは、ストレス状態からの開放という側面がある。そのストレス状態が現代の我々にはピンとこないものなのだがら、繰り広げられている笑い自体にピンとこないのは、あたりまえ。仕方が無い。

 

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プロフィール
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クボタカユキ
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映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
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一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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