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公開年:1996年
公開国:デンマーク
時 間:158分
監 督:ラース・フォン・トリアー
出 演:エミリー・ワトソン、ステラン・スカルスガルド、カトリン・カートリッジ、ジャン=マルク・バール、ジョナサン・ハケット、エイドリアン・ローリンズ、サンドラ・ヴォー、ウド・キア、ローフ・ラガス 他
受 賞:【1969年/第29回アカデミー賞】主演女優賞(エミリー・ワトソン)
【1996年/第49回カンヌ国際映画祭】審査員特別グランプリ(ラース・フォン・トリアー)
【1996年/第31回全米批評家協会賞】主演女優賞(エミリー・ワトソン)、監督賞(ラース・フォン・トリアー)、撮影賞(ロビー・ミューラー)
【1996年/第63回NY批評家協会賞】女優賞(エミリー・ワトソン)、監督賞(ラース・フォン・トリアー)、撮影賞(ロビー・ミューラー)
【1996年/第22回LA批評家協会賞】ニュー・ジェネレーション賞(エミリー・ワトソン)
【1996年/第9回ヨーロッパ映画賞】作品賞(ラース・フォン・トリアー)、女優賞(エミリー・ワトソン)
【1996年/第22回セザール賞】外国映画賞(ラース・フォン・トリアー)
スコットランドにあるプロテスタント信仰が根強い寒村。無垢だが年齢にそぐわない幼い心の持ち主ベスは、油田工場で働くヤンと結婚する。しかし、ヤンは油田作業で不在の日々が続き、べスの苦しみは増す一方。ベスは教会でヤンが早く帰ってくるように日々祈るのだった。すると、ヤンは事故に巻き込まれてしまい、陸地の病院に搬送されてしまう。一命は取り留めたものの、半身不随状態に。自分が願ったせいでヤンに災いがふりかかったと考えたベスは、強く自分を攻める。やがてヤンは、セックスのできない自分の代わりに、ベスが愛人をつくりその様子を詳しく聞かせて欲しいという。それで間接的にベスと愛し合うことができるというのだが…というストーリー。
母を亡くし、自分の出自の秘密を知ったトリアー監督が、その直後に作った作品。
育ての父を否定しカトリックに入信するなど(実父がカソリックから?)、私から言わせれば一見筋が通っているように見えて、トンチンカンな行動に感じるのだが、本作を通じて表現されているプロテスタント教会への無慈悲さみたいなものはそこから来ているものと思われる。
華美な装飾がない教会の様子。教義においてもガチガチに教義に縛られている、田舎プロテスタント。ここまで男尊女卑が徹底されていることや、破門=死・地獄行きであり、村八分になる様子がストレートに描かれているのも、実に興味深い。
よく、ムスリムの男尊女卑が話題になることは多いが、プロテスタントにおいても同様な事例があることを描いた作品は少なかったと思う。教義をガチガチに追求していくと、女性の行動や扱いに制限が加わってしまうのは、一神教の共通点かもしれない。
神の答えを自ら口にする主人公。その神の回答が、意外と理路整然としていて、単なる異常者ではない微妙な線がうまく描けているとは思う。
声に出しているから変なだけで、あのように自問すること自体はノーマルだよな…とも思う。じゃあ、常人と異常者の境界って何よ…と、そういう点でも考えさせられる。
しかし、症状は段々悪化していく様子。これは、自分が似たような症状を持っているか、身近に存在しないと表現は難しかろう。トリアー監督の場合は前者かな。
いずれにせよ、ベスの奇行によって、先の読めない展開になっているのは事実である。冒頭からヤンが怪我をした後くらいまでは、背中の皮を剥かれて、その上からウールのセーターを着せられたような、とにかく“イタい”と思わせ続けられる内容。
後半は、夫が妻に愛人をつくれと促し、その行為を聞かせろという性的倒錯な展開に(おもいっきり腰と痛打されたような感覚に襲われる)。そして、それに従うべきとの神の答えに対して忠実に行動する、さらに輪をかけてクレイジーな行動をとる主人公。
まてよ。彼女はクレイジーなのか?否。プロテスタントってのは聖書の教えを愚直に実践する集団ではないか(聖書も読ませずに民衆を支配し続けたカトリックへのエンチテーゼだ)。一切の娯楽を排除してとにかく働き続ける。神がそう求めるのだから理由なんかどうでもいいのだから。彼女は教会から忌避されているが、その行動様式において、一番プロテスタントらしい(というか、それ以上)じゃないか。
でも、教会は彼女を破門するわけだが…。
結果として、どこもかしこも狂気で満ち溢れた世界が描かれる。これがトリアー監督作品の特徴だし、それ故に評価されているわけだが、意図的にそう描いているというよりも、トリアー監督には世界がそう見えているというのが正解なんだと思う。ピカソには世界がキュビズムに見えていたのと同じように(ピカソの中に入ったことあるわけじゃないから実際は知らんけど)。
#私の中では、ピカソもトリアーも同じ部類の人。
彼女の奇行ゆえに、その愛の純粋さを感じられる…というか、行為と愛そのもの価値が同じものさしで測れないことを痛感させられた。でも、最後のシーンは何なのか。私の傍には神はいないみたいなので(笑)、答えを出せていない(彼ら全員死んでたりする?究極の奇跡?)。ただ、不意打ちで膝カックンやられたような衝撃のラストではあった。
トリアー監督の“黄金の心”三部作で観ていないのは『イディオッツ』。レンタルビデオ屋で見つからねえ…。
#コマの抜き方は黒澤作品、ブランコの表現なんか伊丹作品に通じるものがあって、技術的にはかなり好みの部類。
公開国:デンマーク
時 間:158分
監 督:ラース・フォン・トリアー
出 演:エミリー・ワトソン、ステラン・スカルスガルド、カトリン・カートリッジ、ジャン=マルク・バール、ジョナサン・ハケット、エイドリアン・ローリンズ、サンドラ・ヴォー、ウド・キア、ローフ・ラガス 他
受 賞:【1969年/第29回アカデミー賞】主演女優賞(エミリー・ワトソン)
【1996年/第49回カンヌ国際映画祭】審査員特別グランプリ(ラース・フォン・トリアー)
【1996年/第31回全米批評家協会賞】主演女優賞(エミリー・ワトソン)、監督賞(ラース・フォン・トリアー)、撮影賞(ロビー・ミューラー)
【1996年/第63回NY批評家協会賞】女優賞(エミリー・ワトソン)、監督賞(ラース・フォン・トリアー)、撮影賞(ロビー・ミューラー)
【1996年/第22回LA批評家協会賞】ニュー・ジェネレーション賞(エミリー・ワトソン)
【1996年/第9回ヨーロッパ映画賞】作品賞(ラース・フォン・トリアー)、女優賞(エミリー・ワトソン)
【1996年/第22回セザール賞】外国映画賞(ラース・フォン・トリアー)
スコットランドにあるプロテスタント信仰が根強い寒村。無垢だが年齢にそぐわない幼い心の持ち主ベスは、油田工場で働くヤンと結婚する。しかし、ヤンは油田作業で不在の日々が続き、べスの苦しみは増す一方。ベスは教会でヤンが早く帰ってくるように日々祈るのだった。すると、ヤンは事故に巻き込まれてしまい、陸地の病院に搬送されてしまう。一命は取り留めたものの、半身不随状態に。自分が願ったせいでヤンに災いがふりかかったと考えたベスは、強く自分を攻める。やがてヤンは、セックスのできない自分の代わりに、ベスが愛人をつくりその様子を詳しく聞かせて欲しいという。それで間接的にベスと愛し合うことができるというのだが…というストーリー。
母を亡くし、自分の出自の秘密を知ったトリアー監督が、その直後に作った作品。
育ての父を否定しカトリックに入信するなど(実父がカソリックから?)、私から言わせれば一見筋が通っているように見えて、トンチンカンな行動に感じるのだが、本作を通じて表現されているプロテスタント教会への無慈悲さみたいなものはそこから来ているものと思われる。
華美な装飾がない教会の様子。教義においてもガチガチに教義に縛られている、田舎プロテスタント。ここまで男尊女卑が徹底されていることや、破門=死・地獄行きであり、村八分になる様子がストレートに描かれているのも、実に興味深い。
よく、ムスリムの男尊女卑が話題になることは多いが、プロテスタントにおいても同様な事例があることを描いた作品は少なかったと思う。教義をガチガチに追求していくと、女性の行動や扱いに制限が加わってしまうのは、一神教の共通点かもしれない。
神の答えを自ら口にする主人公。その神の回答が、意外と理路整然としていて、単なる異常者ではない微妙な線がうまく描けているとは思う。
声に出しているから変なだけで、あのように自問すること自体はノーマルだよな…とも思う。じゃあ、常人と異常者の境界って何よ…と、そういう点でも考えさせられる。
しかし、症状は段々悪化していく様子。これは、自分が似たような症状を持っているか、身近に存在しないと表現は難しかろう。トリアー監督の場合は前者かな。
いずれにせよ、ベスの奇行によって、先の読めない展開になっているのは事実である。冒頭からヤンが怪我をした後くらいまでは、背中の皮を剥かれて、その上からウールのセーターを着せられたような、とにかく“イタい”と思わせ続けられる内容。
後半は、夫が妻に愛人をつくれと促し、その行為を聞かせろという性的倒錯な展開に(おもいっきり腰と痛打されたような感覚に襲われる)。そして、それに従うべきとの神の答えに対して忠実に行動する、さらに輪をかけてクレイジーな行動をとる主人公。
まてよ。彼女はクレイジーなのか?否。プロテスタントってのは聖書の教えを愚直に実践する集団ではないか(聖書も読ませずに民衆を支配し続けたカトリックへのエンチテーゼだ)。一切の娯楽を排除してとにかく働き続ける。神がそう求めるのだから理由なんかどうでもいいのだから。彼女は教会から忌避されているが、その行動様式において、一番プロテスタントらしい(というか、それ以上)じゃないか。
でも、教会は彼女を破門するわけだが…。
結果として、どこもかしこも狂気で満ち溢れた世界が描かれる。これがトリアー監督作品の特徴だし、それ故に評価されているわけだが、意図的にそう描いているというよりも、トリアー監督には世界がそう見えているというのが正解なんだと思う。ピカソには世界がキュビズムに見えていたのと同じように(ピカソの中に入ったことあるわけじゃないから実際は知らんけど)。
#私の中では、ピカソもトリアーも同じ部類の人。
彼女の奇行ゆえに、その愛の純粋さを感じられる…というか、行為と愛そのもの価値が同じものさしで測れないことを痛感させられた。でも、最後のシーンは何なのか。私の傍には神はいないみたいなので(笑)、答えを出せていない(彼ら全員死んでたりする?究極の奇跡?)。ただ、不意打ちで膝カックンやられたような衝撃のラストではあった。
トリアー監督の“黄金の心”三部作で観ていないのは『イディオッツ』。レンタルビデオ屋で見つからねえ…。
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HN:
クボタカユキ
性別:
男性
趣味:
映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
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一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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