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公開年:1987年
公開国:日本
時 間:48分
監 督:平田敏夫
出 演:井上和彦、鶴ひろみ、屋良有作、池田昌子 他
4世紀頃の古墳時代。ヤマト国の王子ヤマトオグナは、父である大王から、クマソ国の酋長川上タケル征伐を命じられる。川上タケルらが作ろうとしている歴史書の内容が、ヤマト国にとって不都合だったからだ。クマソ国に潜入したオグナだったが、川上タケルの妹であるカジカと出会い恋に落ちてしまう。そして、オグナはクマソ国で、その血を飲めば永遠の命が得られるという伝説の“火の鳥”の存在を知る。川上タケルはオグナを認め、カジカとの婚姻を認めようとする。しかし、オグナは父からの使命との間で苦悩した末、川上タケルを殺害。一転、愛したカジカに仇をして追われる身となり…というストーリー。
これは宇宙編と同様、OVA。短い。
古事記や日本書紀の内容に沿ったエピソードなのだが、まず、川上タケルが作ろうとしている歴史書の内容の都合が悪いから殺せ!という、極めて中二病的な設定であることに着目しなくてはならない。そして、対立する国のトップの縁者である若者同士が恋におちるという『ロミオとジュリエット』的なプロット。憎んでいるけど、愛してるという少女マンガか昼メロかっていう両者の感情。
そう、まずこの原作のストーリー自体が、ものすごいメロドラマであることに気付くべき。だから、やりすぎだ!悪ノリだ!って言われるくらい、メロメロのメロドラマ、それも仰々しいくらいの
ベタベタ演出をしなくてはいけないのに、それができていない。なんなら、全編、宝塚調にするとか、ミュージカル調でもよかったくらい。
この編は、短い時間にまとめるには適しているんだけど、実は、一番アニメ化に向いていないと思う。
それが一番顕著に表れているのが、タケルとカジカが埋められた後も、しばらく生きているというシーン。埋められた様子が、画面の周囲はモヤがかかった感じで表現されている。これは原作も一緒。これをそのままアニメにしたところで、何の利点も無い。だって動かないし、何なら音声だけで済んじゃうんだもん。極めて漫画的な簡略表現であり、台詞で想像させるという意味では小説的でもある表現。この表現をズルっと変えてしまうことこそ、アニメ化する意味なんじゃないかと思うのだ。それをそのままにした時点で、駄作である。
#原作を読んていたときは、けっこう肉体が朽ちているのに、生きていたりするのかなぁ…とかいろいろ想像したものだよ。
宇宙編のOVAがまあまあだったのは原作が優れていただけってことを考えると、りんたろうチームは“火の鳥”のアニメ化には向いていなかったということか。まあ、手塚治虫作品の演出を、ずるっと変えちゃう勇気がある人はなかなかいないだろうけど、きちんと相談すりゃ、手塚治虫もおもしろがってくれたと思うよ(相談できたギリギリ最後の時期だったね)。
まあ、そのままアニメかすりゃウケるだろ!っていう短絡的な感覚もあっただろう。
火の鳥のアニメ化作品の中で一番悪い出来映え。
公開年:1986年
公開国:日本
時 間:60分
監 督:りんたろう
出 演:堀勝之祐、古川登志夫、麻上洋子、小山茉美、大塚周夫 他
奈良時代。彫物師・茜丸は、山中で修業中に、片目と片腕を失っている盗賊の我王に出会う。我王は、何の非も無い茜丸の右腕を切り付ける。仏師として修業していることを語る茜丸に、自分の不自由な体を馬鹿にされたように感じたからだ。その後、我王は盗賊の頭目となり殺戮と強盗を繰り返すが、美しい娘・速魚と出会い強引に妻とする。やがて我王は鼻が腫れ上がる奇病を発症。速魚は甲斐甲斐しく看病を続けるが、実は速魚が塗っている薬は毒だという部下の讒言を信じて、速魚を切り殺してしまう。死の間際、速魚は自分の正体を明かすが、それを知った我王は激しい後悔の念に襲われ、そのショックから野を彷徨い、やがては乞食僧になっていく。一方、茜丸は彫物師として復帰するために修行を重ねていく中、ブチという少女と出会う。旅中、茜丸に大仏建立の命が下り、都の役人がやって来るが、茜丸を連れていかせまいと抵抗したブチが役人に殺されてしまい…というストーリー。
これは劇場作品。原作のアニメ化としては初作品かな(『2772 愛のコスモゾーン』よりも後)。でも、OVA並みに短い。
二人の主人公が、それぞれ、体的なハンデを背負い、寄り添う女性が非業の死を遂げるという同様の経験をしつつ、その善と悪が、クロスフェードしていくという実に味わい深い構成になっている。
ただ、残念ながら60分で表現しきれる内容ではなかった。そのせいで、良弁上人の即身仏の話がなかったりと、我王がその心持ちに至るまでの重要な経緯が省かれているのが、致命的である。本作だと、ショックを受けた我王は、精神が壊れてどうにでもなれと放心している人間にしか見えない。
60分にまとめるなら、こういう構成になるだろうな…という擁護はできる。原作ではブチは死なないけど、60分にまとめるためなら、確かに殺すしかない。ブチの亡霊に悪口雑言する茜丸のシーンで、ちょうど両者のクソっぷりのバランスは取れた。60分作品を作れと命じた角川の責任なのだが、でも、そんな端折り方をするくらいならやるな!これに尽きる一作。フラフラと山に向かって歩く我王で終わっちゃうけど、原作の我王は、なかなか強いセリフで終了する。で、乱世編に繋がる。
有名なあのトラウマシーンは入っている。茜丸の死に際に現れた火の鳥に対して、また仏師に生まれ変わりたいと告げると、次は魚だという(原作では虫→亀と生まれ変わり、永遠に人間にはならないと告げられる)。ひえー!!!というシーン。まあ、“生”を一回の物と考えて大事に生きろと言いたいのかな…とは思うけど、シビアすぎてニヒリストになってしまいそう(実際、そういう影響は与えていると思う)。
火の鳥には強い母性を発揮する女性と、ただ寄り添う程度の女性が登場する(手塚治虫的には両方は同じで、踏み込み具合の違いでしかないのかもしれないけど)。本作に登場する女性は後者、健気な女性がいいってわけじゃないんだけど、宇宙編のナナみたいにあんまりドラスティックすぎると、観ていて頭がおかしくなりそうになるからね。
まあ、原作の良さの60%を毀損してしまった出来栄え。あまり観る価値はない。
#そういえば、おととし、東大寺にいったときに、鬼瓦を見るの忘れたかも…。
公開年:1987年
公開国:日本
時 間:48分
監 督:川尻善昭
出 演:森勝之祐、神谷明、戸田恵子、玄田哲章、塩沢兼人 他
西暦2577年。ベテルギウス第3惑星から地球へ向かう宇宙船。5人の乗組員は、4人が人口冬眠をして、1人が操縦するというサイクルで船を進めていた。ある時、船内に警報が響き渡り、全員が強制的に目覚めることに。今は牧村隊員が操縦者で、彼に何かが起こった模様。隊長、猿田、奇崎、ナナの4人が操縦室に向かうと、そこにはミイラ化した牧村の遺体があった。奇妙なことに牧村の体が操縦席に縛り付けられていた。宇宙船は隕石の衝突により航行不能となっており、4人は救命艇で脱出することに。無線で会話が可能だったが、それも各救命艇が近い位置で航行している間だけ。救命艇は独自推進できないため、いずれは離れ離れになる運命にあった。そこで、隊長は、牧村が何者かに殺されたということを告げる。操縦席の手すりに、「ぼくは殺される」という言葉が残っていたというのだ。疑心暗鬼になる中、隊員たちは、自殺した牧村についての過去の出来事を話しはじめる…というストーリー。
前日の『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』で思い出してしまったので鑑賞。でも、これ劇場公開作品じゃなくてOVAなんだね(短い)。本当は1978年製の東宝実写版が観たいのだが、ソフトリリースされていない。
ほぼ原作どおりの内容。要するに原作がとても優秀だということ。改めて原作漫画を読み返してみると、そのコマ割りが、いかにも映画を意識したものであることがわかる。登場人物、一人ひとりのの行動がマルチトラックの絵コンテみたいに表現されている。
それでだけでなく、各隊員が過去を語ることで、牧村についての謎が解けるようで逆に一層深まってしまうという展開になる。まさに宇宙版『藪の中』。ミステリー&サスペンス要素が非常に優秀なシナリオである。真犯人が誰かは別にしても各自の悪感情を赤裸々にし、併せて、恋愛感情までむき出しにしていくという、厳しい人間ドラマでもある。もちろん、『ベンジャミン・バトン』ばりの珍事や、偶然のレントゲン照射など、SF要素も忘れられることはない。
隊長の空気っぷりは忘れるとして(笑)、猿田とナナの救命艇はとある惑星に不時着する。そこで火の鳥登場。鳥さんたちを大虐殺した牧村の過去が語られる。
実は、猿田の原罪が描かれる編でもある。ただ、大犯罪者である牧村を愛すだけならいざしらず、そんな究極的な愛の行動をとられてしまっては、いったい牧村のどこにそんな魅力があるというのか、疑問に感じるのは当然だし、そこまでやる女ってなんなのよ!?!?っていう恐怖すら感じる。火の鳥で表現されている母性って、私にとってものすごく怖い。
また、生まれ変わっても延々と苦しみ続ける猿田の、罪と罰のバランスが悪いような気がして、気の毒になってくる(手塚治虫がもうちょっと長生きして、『火の鳥 アトム編』を完成させていたら、御茶ノ水博士の段階で罪は消えたのだろうか…)。ラダを食っちゃうシーンは、火の鳥屈指のトラウマシーンでしょ。牧村に殺意を抱くのなんて、当たり前な気がするのよね。
まあ、いずれにせよ、本作以外に、劇場版、OVA、NHK番組と色々アニメ化されたけど、この“宇宙編”が一番よくできていると思う
公開年:1980年
公開国:日本
時 間:122分
監 督:手塚治虫、杉山卓
出 演:塩沢兼人、三輪勝恵、池田秀一、藤田淑子、熊倉一郎 他
地球連邦は、人口を抑制するために、試験管ベイビーによる出生数管理を行い、その能力に応じて将来の姿を決定付け、教育を施していった。つまり、生まれながらにして、職業や階級が定められているのだ。育児ロボット・オルガに育てられたゴドーも、生まれながらにして宇宙ハンターになることが運命づけられていた。その頃、地球は深刻なエネルギー不足に陥っており、地熱エネルギーによる発電を試みていたが、それがかえって地球を悪影響を及ぼしていた。そのエネルギー問題の打開策と考えられていたのが、“コスモゾーン2772”と呼ばれている未確認宇宙生命体。それを捕まえるのが宇宙ハンターの使命だった。ゴドーは厳しい訓練の末、晴れて一人前の宇宙ハンターとなり、市街地への自由行動が許される。そこで、禁じられているにもかかわらず、一人の女性と恋におちてしまう。おまけに、その女性はロックの許婚者レナで、発覚後、激怒したロックによって、ゴドーは労働キャンプに追放されてしまう。そこで、反政府活動により追放された学者のサルタを出会い、意気投合した二人は、オルガの助けを得て宇宙船を奪取し、コスモゾーン2772を求めて宇宙へ飛び出すのだったが…というストーリー。
以前観たはずで、冒頭のシーンも、ラストのオルガが人間になるくだりは覚えていたけれど、真ん中がすっかり記憶から抜けてしまっていた。クラックとかプークスが動いている姿に既視感がない。もしかすると、紹介映像とかを観ただけで、実は観ていなかったのかも。いや、手塚治虫漫画全集のシナリオ巻とかを読んで観た気になっていただけか?
脚本自体を手塚治虫が手掛けているので、火の鳥の正史として扱っていいのかな?と思ったのだが、他の編とのアンバランス感が否めない。まず、世界観は、『火の鳥 未来編』と同じ。未来の地球では、人間は試験管で作られて管理されている。文化的にも衰退しており、同時に地球自体の寿命が尽きかけているという設定。ロボットに愛情を抱くという設定は、『火の鳥 復活編』を彷彿させるし。最後の、ゴドーは赤ん坊に、オルガは人間になるくだりで、『火の鳥 宇宙編』を思い出す。火の鳥の各編は、時代を過去・未来と振幅している構成になっているので、やはり、本作のように設定や要素がダブることに非常に違和感を覚える。あくまで別モノとして捉えるのが正解なのかも。
上記に挙げた、諸々の要素が何を意味するかは、原作で扱われている内容なので説明しない(共産主義批判とかね)。逆いえば、本作独自の新しい視点がないともいえ、ちょっと面白みに欠ける内容だと思う。
技術的にはフルアニメーションであり、その他にも実写トレースとか、いろいろな技術をふんだんに用いており(実験的にというほうが正しいか)、むしろ、そちらに注力した作品なんだと思う。ただ、その注力具合が結果に出ていない。せっかくのフルアニメーションなのだが、動画が力尽きているし、原画も背景も書き込みが不十分。特に動画マンが、平面的に動かすことしかできていないのが致命的。結局、24時間テレビの、スターシステム作品と同クオリティに落ち着いてしまっている。
レイアウト・メカ作画監修として湖川友謙が参加しているのが興味深い。私、キャラクターデザイナーとしての湖川さんが大好き。『ザブングル』とか『ダンバイン』とかのキャラデザは、私にとってちょっとしたお絵かきのバイブルだった。いまだに、人間の手足の書き方は影響をいると思う(設定画集とかを紛失してしまったのが本当に残念)。でも、本先では、キャラデザはやっていない。おそらくオルガの変形部分を担当していたのではないかと予想する。
手塚作品に散見される、男は結局母親を求めているのよ…という観点が、あまりすきじゃない。そういうコンプレックスをもった人は多いのかもしれないけど、男性共通の普遍的な意識みたいにいわれるのはなんか違和感が…。
アニメ技術もダメ、ストーリーも新規性に欠ける、メッセージも性に合わないとなると、高い評価のしようがない。手塚治虫ファンの私でもシビアにならざるを得ない。凡作未満(駄作と言わないのは武士の情け)。
公開年:2013年
公開国:日本
時 間:126分
監 督:宮崎駿
出 演:庵野秀明、瀧本美織、西島秀俊、西村雅彦、スティーブン・アルパート、風間杜夫、竹下景子、志田未来、國村隼、大竹しのぶ、野村萬斎 他
受 賞:【2013年/第80回NY批評家協会賞】アニメーション賞
【2013年/第37回日本アカデミー賞】アニメーション作品賞、音楽賞(久石譲)
コピー:生きねば。
少年の頃から飛行機に憧れ、設計士になることを決意した堀越二郎。1923年、東京帝国大学に進学するため上京した彼は、その移動中に関東大震災に遭遇。混乱の中、里見菜穂子とお供のお絹を助ける。その後、晴れて三菱内燃機株式会社への入社した堀越は、晴れて設計士の道を歩み始める。しかし、視察のためにドイツを訪れた堀越は、ユンカース社の技術を目の当たりにして、日本と世界の差を痛感する。その後、国産戦闘機の生産受注のためのチャンスである、七試艦上戦闘機の設計に主務者として携わることになるが、テスト飛行は失敗し大破。失意した堀越は、休暇と称して軽井沢を訪れるが、そこで菜穂子と再会。戦闘機設計のことで頭がいっぱいの堀越は、はじめは彼女であることに気付かず…というストーリー。
結局、コンピュータ彩色での表現をモノにできずに引退作となってしまったように思える。おまけに、カメラが寄りすぎなんじゃない?みたいな感じの絵コンテ。もうちょっと引きの画にならんもんか。全然奥行が感じられない。息子の悪癖が父親にまで伝染したのかと、かなりうんざり。
“零戦を作った男”を生々しくなく描いたという意味では、優秀かもしれない。でもこの生々しくなさが、よろしくない。
めずらしく直球の恋愛モノだったが、結局はオママゴトでおわってしまうという。宮崎駿自身の恋愛に対する情動の薄さなのか、深みのなさ故なのか、
設計士としての仕事をやらねばならない。でも新妻は結核だ。看病が必要だ。今いっしょにいなければ、せっかく結婚したのに一緒にいることができないかもしれない…という葛藤が描かれるのかと思いきや。物分りのいい妻のおかげで、仕事は継続。感情が湧きあがったときに、駆けつける。無理をして離れで生活する妻。それにのっかってふつうに生活する夫。別に夫婦の間のことだから口を挟む気はないけど、映画としては主人公が葛藤できる場面で葛藤せず、始終達観した状態って、おもしろくないでしょ。
当時、結核は死の病だから、もう死ぬこと前提なんだよ…ってことだとしても、最後、置手紙をして消える新妻を放っておきなさい…って、それはないだろ。妹も、泣いてるヒマがあったら、相手の父親に連絡しろや。
そう、“確実な死”とはっきり描けていないのがダメ。なんか、治りそうなんだもん菜穂子さん。その“死の影”を強く強く描けていないから、せっかくの突然結婚式も感動が薄くなる。
死におびえながらも強く生きる ⇒ 強く生きる=淡々と生きる ⇒ 堀越の飄々とした姿が痛々しく思える…という流れが生まれるはずなのに、前が欠落してるから、ただの飄々として兄ちゃんで終わってしまった。
カプローニが登場する夢の世界の、夢としての魅力の薄さ。たぶん、宮崎駿の頭の中ではもっといいイメージが浮かび上がっていたと思うよ。そのイメージとの乖離を、依然なら何としてでも埋めようとしたと思う。だけど、いまはそこまではやらない(のかできないのか)。
この期におよんで、劣化、迷走するという、ある意味まだ監督として“ナマモノ”なんだなという印象がした。逆に、この程度の作品で引退できる、満足だ…と思えるものかね。プロレス的に簡単に復帰すると思うわ。これじゃあね。
関東大震災のシーンでは「お!」っと思ったんだけど(マンガ表現が過ぎたけど)、そこだけだったなぁ。
公開年:2013年
公開国:日本
時 間:96分
監 督:橋本昌和、(演出)佐々木忍
出 演:矢島晶子、ならはしみき、藤原啓治、こおろぎさとみ、真柴摩利、林玉緒、一龍斎貞友、佐藤智恵、辻親八、一条和矢、矢野理香、ジェーニャ、玄田哲章、小桜エツ子、船木まひと、納谷六朗、玉川砂記子、阪口大助、大本眞基子、中村大樹、大川透、神谷浩史、早見沙織、大塚芳忠、鷹森淑乃、利根健太朗、大西健晴、浅利遼太、手塚秀彰、倉田雅世、松元惠、コロッケ、渡辺直美、川越達也、中村悠一 他
コピー:燃えよ! 焼きそば!! 焦がせ! 友情!!
B級グルメの祭典“B級グルメカーニバル”が春日部で開催される。テレビCMを見て、“ソースの健”のやきそばが食べたくてしかたがないしんのすけだったが、連れて行ってもらえない。そこで、カスカベ防衛隊のメンバーと一緒に、親に内緒で会場へ向かう。一方、A級以外グルメと認めずB級グルメの壊滅を企む“A級グルメ機構”は、B級グルメカーニバルを急襲。B級屋台を排除してA級グルメの祭典に変貌させてしまった。ソースの健は、伝説のソースさえあればこの難局を打開できると、知人女性“しょうがの紅子”にソースをカーニバルに届けるように連絡する。ソースを持ってカーニバル会場に向かう紅子だったが、A級グルメ機構の間の手は紅子にも及ぶ。紅子は偶然であったカスカベ防衛隊にソースを托すのだった。しかし、乗るバスを間違えてド田舎に到着してしまったしんのすけたち。遠足気分でのんきに会場を目指すカスカベ防衛隊だったが、そんな彼らにもA級グルメ機構の追っ手が迫る…というストーリー。
久々のカスカベ防衛隊メインの作品だが、既視感はハンパない。ストーリーも、悪の組織が正義の組織を攻撃して、その戦いに一般人やしんのすけの家族や仲間が巻き込まれるという“いつも通り”の内容。
おまけに、A級グルメ機構のグルメッポーイは、『ハイグレ魔王』と『オトナ帝国の逆襲』のミックスみたいな感じだし、その部下は毎度の変態コスチュームの複数人。“B級グルメカーニバル”側も『温泉わくわく大決戦』みたいな感じだが、根本的にソースの健以外はキャラを立たせる気すらない模様。まあ、何をやってもマンネリだと言われるだろうし、気をてらえばてらったで批判されるし、“毎年恒例”作品はしょうがないのかな。
しかし、本作は純粋に“アニメ”といして評価した出来映えだった。クレヨンしんちゃんといえばドタバタのイメージだが、単発の小ネタ的なおもしろムーブシーンはたくさんあるのだが、純粋に動きで楽しませようというシーンは意外と多くない。要するに『トムとジェリー』のような、ああなってこうなって…的な連続ムーブが本作は多いのだ。いつもと原画・動画スタッフが違うのかしら。これが、ストーリーは大しておもしろくなくても、目を惹きつけてくれる。正直、楽しかった。
『モーレツ!オトナ帝国の逆襲』や『アッパレ!戦国大合戦』のような、アニメ史どころか日本映画史に爪跡を残すような作品が、そうそう生まれるわけはないのだし、これからは本作のように、“動きで見せる”というアニメの原点に返った作品になってくれるとうれしい。
加えて、個人的にうれしいのは、いつも差し挟まれる中途半端なCGの乗り物や建造物のカットが本作には無いこと。やっと止めてくれた。アレは興ざめするから無くなってうれしいかぎり。
それにしても、テレビ朝日なのに、何でももクロとコラボしないんだろうか。緑とマサオ 君、ピンクとネネちゃんの親和性はハンパないと思うのだが。赤としんちゃんは志の高いおバカ同士だし。ガッツリ出ずっぱりにしたら、興収25億円くらい簡単にいきそうだし、DVDの売れ行きもハンパないのにな。
公開年:2013年
公開国:日本
時 間:109分
監 督:FROGMAN
出 演:FROGMAN、河北麻友子、稲川淳二、鈴木あきえ、とーやま校長、よしだ教頭、上野アサ、佐野史郎、MEGUMI 他
コピー:さようなら総統。僕は幸せでした…
地球に優しい世界征服を企む秘密結社・鷹の爪団たちは、戦闘主任・吉田くんの実家がある島根でおみくじを引いたものの、全員“凶”と、あいかわらず。一方、地球から遠く離れた機会生命体惑星ゴゴゴは、悪のネマール帝国に侵略され、風前の灯となっていた。地下反乱組織は、ネマール帝国の弱点を探っていたところ、ネマール帝国に伝わる“滅びの予言”を知ることに。それは“青く輝く星に住む一人の尖った耳の男”がネマールを滅亡に導くらしい。すったもんだの末、かつてゴゴゴの総司令官で、現在はヘタをやらかしてドリンク係に降格されている中年男オキテマス・スマイルとその娘オキテマス・ヨルニーが、“救世主”を見つけるために青い星・地球に向かうことに。そしてその救世主とは、秘密結社・鷹の爪団総統のことだった…というストーリー。
わかってはいたけれど、企業の絡め方とか、バジェットゲージとか、予算不足になって絵が雑になるとか、何から何までこれまでの劇場版と同じノリ。何か違うことがあるだろうと期待した私がアホだった。でも、やっていることは何一つ悪くない。このようなノリをおもしろがることができない人は“鷹の爪”シリーズは無理なわけで、いちいち文句をいうこと自体が野暮なのは百も承知なのだが、でも正直飽きた。
トランスフォーマーのパロディはまあ良しとしても、スマホアプリの“どこでも島根”とかあまりに都合がよすぎ。総統の出生の秘密とかもパロディなのだが正設定でいいのか否か微妙。ネマールの大ボスとのラストバトルがあっさり終わっちゃったなぁ…とか、大山のぶ代と佐野史郎は私にとってはどうでもよかったなぁ…とか。
フィリップの子供のくだりとか、一応まともな複線もあったりするんだけどね…ってかフィリップって結婚してたか。
まあ、吉田くんのお母さんの営業っぷりも、あそこまで開き直れば、かえって心地よい。もう、ご当地ネタもちょっといってみたくなるくらいだから成功なんだろう。こういう作品なんだもん、「イヤなら観るな」だよね。
吉田くんが親からジャスティスと呼ばれている件とか、フィリップがリモコンで蘇生したり霊体になったりするとか、その辺を抑えていればついていけるだろう…って、もうある程度観ていないとダメってことだよね。一見さんお断り状態になるのだけはマズいんじゃないかな。
まあ、微塵も脳を使わない作品を年に2回くらい観たくなるのね。
公開年:2012年
公開国:日本
時 間:108分
監 督:杉井ギサブロー、(アニメーション演出)江口摩吏介、(アニメーション監督)前田庸生
出 演:小栗旬、忽那汐里、佐々木蔵之介、林家正蔵、林隆三、草刈民代、柄本明 他
イーハトーヴの森に住む木樵の息子ブドリ。両親と妹ネリと幸せに暮らしていたが、冷害が森を襲い食料を入手することが困難になってしまった。木の根を食べなければならないほど困窮。父は食べ物を探しに森に入り、母もなかなか戻ってこない父を探しにいったが、二人とも帰ってくることは無かった。とうとう食べ物が無くなり意識が遠のく兄妹のところに、“コトリ”という謎の男がやってきてネリをさらっていってしまう。一人ぼっちになたブドリは、生きるために森を出て、その後、てぐす工場てぐす工場や山師・赤ひげの農場で働き、いろいろなことを学んで成長していく。その後、町に出たブドリは、クーボー大博士に出会い、彼の紹介で火山局で技師として働くことに。火山局は噴火被害を軽減するなど、人々の命を守る仕事をしており、ブドリは生きがいを感じるのだった。それから数年が経過。イーハトーブはまたしても深刻な冷害に見舞われ…というストーリー。
妹がさらわれていく様子から、『銀河鉄道の夜』みたいに、悲惨な現実をファンタジックな表現に転換しているのかと思ったが、原作はストレートな童話みたいだ。妹は本当に人身売買されて、すったもんだあって、数年後に再開するという展開である模様。本作では飢饉で死んでしまったとしか思えないし、てぐす工場なんかもこの世ならざる世界の出来事に思える。妹のその後について、あの世の裁判所みたいな夢のシーンがあるが、ストーリー上、まったく不要な存在になってしまったのはちょっと残念だ…というか下手な脚色だと思う。
ますむら・ひろしのネコキャラは、『銀河鉄道の夜』から引き続きだし、悪いとは思わないが、ストーリーとマッチしていたかは疑問だ。赤ひげとか、もうちょっと違うキャラクターがよかったんじゃないかと思う。
声優さんは、柄本明と林家正蔵以外は、誰が誰やらわからないし、そのタレント目当てで観にくる人もいないだろう。無意味なキャスティング。
印象的なのは、雨ニモマケズかな。以外に最後まで読んだことなかったかも。“ソウイフモノニ ワタシハナリタイ”っていう人の役に立ちたいという心意気は、たしかに本作の内容にマッチしている。でも、“ミンナニデクノボートヨバレ”たくはないし、わざわざ呼ばれるような行動はとりたくないわ。
火山局に勤め始めて数年経過…と、一番彼が成長したであろう時期がはしょられる。確かに、雨ニモマケズの内容の通り、人の役に立ちたい一心なのはわかるが、で、死なねばいけない理由はよくわからない。そして、あっさりと死んでしまうのが、好ましい演出とは思えない。あまり良い出来とはいい難い作品。
火山から二酸化炭素を放出して、地球を暖かくしよう! “不都合な真実”は嘘っぱちだと断言しているようで、その点はちょっと心地よかったかな。
公開年:2013年
公開国:日本
時 間:68分
監 督:大友克洋、森田修平、安藤裕章、カトキハジメ、森本晃司
出 演:早見沙織、森田成一、山寺宏一、悠木碧、草尾毅、田村睦心、浪川大輔、二又一成、檀臣幸、牛山茂、大塚明夫、置鮎龍太郎、春名風花 他
“日本”をテーマにした四編のアニメーション作品。
『九十九』18世紀。山中で道に迷った男が、一夜の寒さをしのぐために小さな祠に潜り込む。すると、使い古された傘や織物が化けてでてくるが、男は次から次へと修理をしていき…。
『火要鎮』18世紀の江戸。商家の娘お若と隣家の松吉は幼馴染で、お若は密かに松吉に恋心を寄せていた。松吉はやんちゃが過ぎて勘当され火消になってしまい、それから疎遠になってしまう。さらにお若に縁談が舞い込み、とんとん拍子に事が進んでいく。そんな中、結ばれない愛に苦悩するお若は、自室の行燈から出火させてしまい…。
『GAMBO』16世紀末。東北地方にある寒村は、鬼のような化け物の襲撃を受け、娘たちが次々とさらわれて、いよいよ残る娘はカオだけとなってしまった。恐ろしさをこらえて山に入ったカオは、そこで巨大な白い熊と遭遇。もう命はないと覚悟するが、熊はそっとカオに寄り添う。やさしい熊と悟ったカオは、村の窮状を訴える。熊は鬼の棲家を発見し、そこで鬼の子を孕まされている女たちを発見。殺してほしいという女たちの懇願を聞き入れた熊は、戻ってきた鬼と死闘を繰り広げ…。
『武器よさらば』近未来の東京。荒廃し砂漠化した都市を訪れた5人構成の小隊は、パワードスーツを装備し探索を行う。すると、一台の戦車型無人兵器と遭遇し、交戦状態となる。徐々に劣性となり…。
借りたDVDでは、一本目が『九十九』。劇場公開時は『火要鎮』が先だったみたいだけど、まあ理由は判る。
正直いうと、『九十九』のCG作画が好みじゃない。もしかするとモーションキャプチャだったのかもしれない。だけど、いかにもCGで書きましたという原画の線をもう少しどうにかできなかったのかと。
ただ、それ以外は悪くない。テクスチャが和風っていうだけなんだけど、でも美しい。ストーリー的にも、民話的な愉しさがあるし、所謂“もったいない”っていう日本らしい感覚が混ざっているので(ちょっとあざとく感じる人もいるだろうけど)、一般ウケ、それも海外ウケするのは本作だと思う。
打って変わって二本目の『火要鎮』は雰囲気勝負の作品。45度くらいの俯瞰画で、屏風絵みたいな感じがずっと続く。“日本”というこのオムニバスのテーマを一番体現している作品だとおもう。
ただ、ストーリーは悲恋を扱っていながらも起伏が少ない感じ。松吉がお若に恋心を抱いていないのと、お若が『八百屋お七』のように、恋をこじらせて付火したわけじゃなく、トラブルによる失火を「もう、どうにでもなれ…」と放置しただけなので、“激情”感がない(まあ、その“薄さ”で無常観を出したかったならば正解なのかもしれないけど)。
#日本において入墨がどういう意味を持っているか、外国人にも少しはわかるかな?(無理か…)
三本目の『GAMBO』は特に感想はない。
アルビノのヒグマなのか、シロクマなのか、フォルムが中途半端…ってのはどうでもいい部分だな(いずれにせよ、東北にはツキノワグマしかいないけど)。そこは気にするところじゃない。
キャラデザインが、いかにもな日本アニメ(貞本義行だもんな)で、もうしわけないが他の作品にくらべて味がない。拉致された村娘が鬼に孕まされている描写とか、グロ表現のセンスが悪い(こういうの嫌い)。諸々ひっくるめて何を伝えたいのかわからない作品。4作の中では一番の駄作だと思う。
『武器よさらば』が舞台こそ東京らしいが、“SHORT PEACE”のコンセプトから外れているように見える。わざわざ、SHORTPIECE に日の丸の意匠を混ぜてるくらいなのに、舞台が東京というだけで、微塵も日本が感じられないものをラストにもってくるのはいかがなものか。
まさかとは思うが、“憲法9条賛美”ではないよな? もしそういう狙いなら、大友克洋のセンスは終わってると思う。
“SHORT PEACE”っていうコンセプトだから、“切り取った”ストーリーになってるのは判るのだが、切り取り方のセンスが4本であまりに差がありすぎると思う。むしろ“切り取り方”に強い関連性というか統一感を持たせてほしかったと。製作者のセンス、コンセプト構成力とか遂行力に疑問を感じる。
結局、まとまりの良い一つの話として切り取った『九十九』が、一番ましなデキだという結果を見ても、“狙い”が外れてしまったことは間違いない。
公開年:1960年
公開国:日本
時 間:88分
監 督:(演出)藪下泰司、手塚治虫、白川大作
出 演:小宮山清、新道乃里子、木下秀雄、篠田節夫、関根信昭、武田国久、尾崎勝子、白坂道子、巌金四郎、加藤玉枝、川久保潔、風祭修一 他
遠い昔、一匹の猿が石から生まれた。その猿は“孫悟空”と名乗り、仙術を使って大暴れし、華果山の山奥にある水蓮洞で王様となった。ある日、恋人の憐々のために、天上にある木に生っている桃を盗もうとするが、仙女に見つかってしまい、そこでも大暴れ。釈迦如来は戒めのために、悟空を五行山の岩穴に閉じ込めてしまう。悟空の身を案じた憐々は、毎日食べ物を運んでちたが、猛吹雪の日にとうとう倒れてしまう。哀れに思った観世音菩薩の慈悲により、天竺へ経文を取りに行く三蔵法師のお供となることで、戒めが解かれる。しかし、戒めが解かれた途端に暴れた悟空は、頭に輪をはめられてしまうのだった。やがて二人が桃花という村を通りかかると、長者の娘がブタの化け物に言い寄られてこまっていることを知る。悟空は化け物を退治しようと娘に姿を変えるのだったが…というストーリー。
2013年9月発売の『ブラック・ジャック創作秘話~手塚治虫の仕事場から~』4巻で、この作品に携った経緯などが綴られている。ということで一緒にレンタル。
手塚治虫は、本作公開の前年まで『ぼくのそんごくう』という西遊記ベースの作品を連載していた。当然そういうバックボーンをを踏まえて東映はオファーしたのだろう。演出・構成に手塚治虫がクレジットされている。でも実際は、ストーリーボードを書いた程度で、ほぼ携っていない。その理由がなかなか興味深い。ウィキペディアをみると“多忙になったから”と書いてある(その他の書籍も同じ感じ)。しかし、『ブラック・ジャック創作秘話』によればそうではなく、手塚治虫の提出したコンテや進め方が東映動画の方針と合わなかったから…とされていた。手塚治虫の代わりのように本作に携った月岡貞夫のインタビューを元にしているのでこちらが正しいかと。
で、『ブラック・ジャック創作秘話』では、月岡貞夫の動画のテクニックに関するエピソードが紹介されているのだが(内容はマンガで確認してくだされ)、本作を観ながら、そのシーンと思われる場面で一時停止して確認するなど、なかなか愉しかった。事実、ヌルヌルと良く動く、良質のフルアニメーションだと思う。
まあ、それでも、西洋の神様が出てくる展開とか、三蔵法師が“空気”なところとか、手塚らしさの残滓はあるけどね。
結局、手塚治虫は本作に携ることができず、忸怩たる思いを募らせる。その結果、アニメという“愛人”に深く執着していくことになる(もちろんそれ以前からアニメに対する思いは強かっただろうが、この件で“偏愛”になっていったように思える)。
#孫悟空自体への思い入れも強かったから、けっこうダメージはあったと思う。
話は変わるが、おそらくこの作品は、私が小学校低学年の頃に、学校の理科室で上映されたのを観た記憶がある。劇場ではないが、きちんと映写した映画を観るのはそれが初めてだったと思う。つまり初めて観た映画かと。
何が強烈に記憶に残っているかというと歌である。「♪お~れはそんご~く~、そんご~く~」「おれ~がつ~くぅった、でたらめのうたぁ~」とか、キャッチー(?)なメロディー。一瞬で当時の雰囲気が蘇ったわ。
何十年ぶりにかに観たことになるけど、猪八戒のエピソードと金閣・銀閣を絡めるなど、翻案した構成が見事。子供が飽きない時間に納める必要があり、且つお経と取りに行く旅は、苦労の末に完遂しなければいけないことを考えると、綺麗にまとまっていると思う。
さすがに古臭さは否めないけど、歴史的意味も含めて良作だと思う。
公開年:2012年
公開国:日本
時 間:117分
監 督:細田守
出 演:宮崎あおい、大沢たかお、黒木華、西井幸人、大野百花、加部亜門、林原めぐみ、中村正、大木民夫、片岡富枝、平岡拓真、染谷将太、谷村美月、麻生久美子、菅原文太 他
ノミネート:【2012年/第36回日本アカデミー賞】アニメーション作品賞
【2012年/第22回日本映画プロフェッショナル大賞】 ベスト10(第10位)
コピー:私は、この子たちと生きていく。
東京郊外の大学通う花は、教室でとある男性と出会う。彼は在校生ではなく、興味があり勝手に進入して徴候しているだけだった。興味をもった花は彼に声をかけ、一緒に勉強するなどして、次第に惹かれるようになる。ある日、その男は、自分がニホンオオカミの末裔“おおかみおとこ”であることを打ち明ける。はじめは驚いたもののそれを受け入れた花は同棲をはじめ、やがて“おおかみこども”である姉の“雪”と弟の“雨”が生まれる。感情によって狼の姿に変貌する二人のこどもに注意しながら、ひっそりと都会の片隅で暮らす4人。しかし、ある日突然、男は交通事故で死んでしまう。しばらくはなんとか生活していた花だったが、隠し通すことは困難と判断。都会からの移住者を募集している田舎へ移り、山奥の古民家を借りて生活を始めるのだったが…というストーリー。
興収42.2億円とことなので、文句なしの大ヒットってことでしょう。細田監督は、その名声で客が呼べる、数少ないアニメクリエイターですな。しかし、あえて苦言を呈そう。本作は、個人的には正直がっかりである。いや、アニメーションの技術、諸々の描写については、何一つ文句をつける部分は無し。狼人間の子を生んで、困難ながらも生きていこう、子供を育てていこうをいう、生きるということをユニークな角度から考えさせる基本プロットも良いと思う。昨今の近所付き合い、親戚付き合いの希薄な中、子供を育てていくというのは、狼人間を育てるのと何一つ変わらないわけで、そういう共感も得られたに違いない(逆に言えば男ウケは悪い作品かもしれない)。
ただね、シナリオにしっくりこない部分がある。不満は、本作の脚本にも細田監督が携わっているという点においてである。
こういう、異種間交配物語というのは、民話レベルでは少なくないので、どうということはないのだが、現代社会を舞台にこういう絵柄でやられると、はっきりいって生々しい。貞本義行の絵柄でやることで、さらにグロさが増していると思う。
#あえて、異種間交配という観も蓋もない書き方をしているのは、それを描写するシーンがあるからだ。実は、先に本屋でマンガ版をパラリと見ていたのだが、そのなんともいわれぬ気持ち悪さは、映画の3倍増しくらいだった。
男目線でもうしわけない。この姉弟、年子だよね。一人目で狼人間であることはわかるよね。ちょっと一人目を分別がつくまで次は間を開けようかとか考えないのか?何、おおかみ人間は、毎年、サカりが付いたら子づくりせんといかんの?もしかして、男が死ななかったら毎年生まれてたのか?(笑)
ちょっとネタバレ入っちゃうけど…。
小学校高学年の男児が行方不明になって、お咎めもなく生活できるわけがないよね。田舎に行ったのも、役所の人間から、ネグレクトを疑われたのが一つの理由でしょ。あの役所の人間が押しかけてくるシーンが、観客の頭にはしっかりこびりついている。姉が学校に通えるようになったのも、自分が仕事に付いたのも、役所のおかげ。この作品、要所要所でお役所が登場してくる。だから、弟がいなくなったときに、役所や警察が黙っているわけがないし、どうやって誤魔化したのかって、気になるに決まってるじゃない。
で、特に説明は入らないよね。村の人たちにあれだけやさしくしてもらった描写を入れているわけで、はい、いなくなりましたよ、わかりまへ~んが通用するわけなかろう。遠くの親戚に預けた…なんて言い訳は通用しないわけで、もう、あの嵐で発生した崖崩れで死んだこと(失踪宣告扱い)にでもしないと、まとまらない。
そんなことを考えるのは野暮だ?何いってんだ。そこまで考えさせたそのはそっちじゃねえか!とキレたくなる。
娘の語りで綴られるものだから、母親は死んでいるのだろうと思ったが、そうではなく健在。別にダメなわけじゃないけど、なんで娘目線で語られるのか、いまいち理由も効果もわからん。人間として生きることを選んだ狼人間ということで、人間と狼の両方の気持ちがわかる立場で語る…という演出なのかもしれないが、そうだとすると、終盤は、弟とほとんど心を通わせていないからなぁ…。なんかしっくりこない(弟が行ってしまったことを淡々と語ってるのもちょっと気持ち悪いような)。いっそこのことナレーションはいらなかったのではないかと…。
なんだろう。姉弟の片方が人間を選び、片方が狼を選びました。折半、折半。丸く収まりましたよね?的な、ピントのずれた講釈をタレられたような不快感。いや、正直、弟が死んだ後の整合性だけ取ってくれさえすれば、満足できたとは思うよ。
公開国:日本
時 間:99分
監 督:出崎統
出 演:松崎しげる、榊原良子、中村晃子、藤田淑子、風吹ジュン、睦五郎、田島令子、久米明 他
惑星ダグザード。賞金稼ぎに勤しんでいた重犯罪者捕獲人ジェーンとコブラが酒場で出会う。彼女の美しさに魅せられたコブラは、ジェーンの後を付けるものの、何故かジェーンは宇宙征服をたくらむ悪の組織ギルドの攻撃を受け、一緒に応戦することに。その後、二人はコブラの相棒レディの待つタートル号で宇宙に脱出。そこで、コブラはジェーンの秘密を知る。ジェーンは、実は死滅した後に宇宙を彷徨い続けているミロス星の女王の末裔で、ミロス星を蘇らせるためには、ジェーンの三つ子の姉妹、キャサリンとドミニクを捜し出さねばならないのだった。彼女たちはミロス星をコントロールするキーなのだ。コブラ一行は、キャサリンが捕えられているラホール星のシド刑務所へ向かう。しかし、キャサリンはギルドの幹部クリスタル・ボーイを愛していると告げ、ジェーンを殺害してしまう。ジェーンは絶命の間際に妹ドミニクを捜してとコブラに告げるが…というストーリー。
『コブラ』のアニメといえば野沢那智なのだが、本作は松崎しげるが演じている。本作のの数ヵ月後にTVアニメがスタートしているので、別に松崎しげるのデキが悪いから声優変更とかいうわけではなく、予定通りなのだろう。だってデキは悪くないもん。いや、もしかすると、野沢那智より原作のイメージに近いかも。個人的には好き。ちょっと抑揚に欠けて一本調子なのは否めないけど、本作だけなら許容範囲。
声優で難があるのは、ジェーン役の中村晃子かも。よくわからんが、北関東訛りのような妙なイントネーションがちらほらで、宇宙アドベンチャーの雰囲気に水を差すね。
原作のコブラは、左腕はカバーのようにスポっとはずれて、中からサイコガンがでてきるのだが、本作では、何かよくわからない力によって腕がサイコガンに変更する模様。あれ?クリスタル・ボーイを倒すギミックとしてスポっとはずれる腕って大事じゃなかったけ?どうるんだろ…と思っていたら、うまく解決していた。というか、本作のほうがおもしろいかも。
これだけではなく、ストーリー面でも、原作からはかなり内容がアレンジされているのだが、悪くない。いや、個人的には原作とかTVアニメ版のギミックにピンとこないと感じていたので、むしろ歓迎である。TV版の三姉妹の刺青の仕掛けとか、あんまりおもしろいと思わないから。
#タートル号のデザイン変更は、イマイチだけど。
出崎統が監督をしているのに、それほどサイケデリックというか何というか、一見しただけで東京ムービーだとわかる独特の絵柄は少なめ。多分、劇場公開では“立体3-D”みたいな仕掛けをしていたので、そっちの技術的制限があって演出が制限…というか寄っていったんだろうね。結果的に、アニメだけどアヴァンギャルドな雰囲気を作ることになっていると思う。
悲劇的なラストと松崎しげるの歌声を合わせることも、はじめから考えていたんでしょう。ラストのイメージがしっかり出来ている作品というのは、予算の高低とは無関係に、締まった作品になる…という良い例だと思う。単発のアニメ作品としては、なかなか見ごたえのある快作だと思う。
#とはいえ、『ブレードランナー』と同年の作品と考えると、手放しでは褒められないけどね。
ちなみに、本作は『メガフォース』というアメリカのSF映画との同時上映だった。さてどっちがメインだったか。『コブラ』だっただろう。『メガフォース』はラジー賞ノミネート作品だからね。
公開国:日本
時 間:95分
監 督:(総監督)庵野秀明、(監督)摩砂雪、前田真宏、鶴巻和哉
出 演:緒方恵美、林原めぐみ、宮村優子、坂本真綾、三石琴乃、山口由里子、石田彰、立木文彦、清川元夢、長沢美樹、子安武人、優希比呂、麦人、大塚明夫、沢城みゆき、大原さやか、伊瀬茉莉也、勝杏里、山崎和佳奈、儀武ゆう子、真理子、宮崎寛務、手塚ヒロミチ、野田順子、斉藤佑圭、小野塚貴志、合田慎二郎、岩崎洋介 他
ノミネート:【2012年/第36回日本アカデミー賞】アニメーション作品賞
エヴァ改弐号機と8号機は、NERVが宇宙空間にて封印していた初号機を奪取。綾波レイを救出するために暴走し、意識を失っていた碇シンジを救出する。しかし、シンジが目覚ると14年が経過。ミサトたちはNERVから決別し、“WELLE”という組織を結成。奪取した初号機のコアを用いた巨大戦艦“AAA ヴンダー”を建造し、使徒やNERVのエヴァと戦っていた。何故かシンジは、ミサトやアスカたちから冷たい態度を取られ、さらにレイも救出されなかったと聞かされる。そして、クルーたちから二度とエヴァに乗らないよう厳命され、爆弾付きの首輪をはめられて軟禁状態を強いられるのだった。事情を理解できないシンジが混乱していると、そこにレイの声がシンジが。それと同時にNERV側のエヴァMark.09が襲来し、AAA ヴンダーを攻撃し機体を破壊。レイの声に促されるまま、シンジはMark.09の手に乗り脱出。ミサトは、シンジの首輪を爆破させるのを躊躇い、シンジをNERV本部行きを許してしまう。シンジは、以前とはすっかり様子の変わってしまったNERV本部で、父ゲンドウと謎の少年渚カヲルとであう。ゲンドウは建造中のエヴァ13号機に、カヲルと共に搭乗することを命じるのだったが…というストーリー。
特にエヴァファンというわけではないので、もちろん前作までのあらすじは記憶になし。わざわざ観返すヒマもないので、適当にネットであらすじを復習。ああ、綾波レイを救うために暴走して、サードインパクトか?!というところで終わってたね。
過去に一回だけTVシリーズをさらっと観たけど、“Q”になってまったく別の話になってしまったようだ。正直、TVシリーズは、微塵も面白いとおもわなかったので、本作のストーリー展開は歓迎。しかし、“Q”がクエスチョンの意味だとするならば、それほど新たな謎があったようには感じず、次回ラストのための地均しという印象。むしろ、マリが「ゲンドウ君」などと呼称することで、アンサーに限りなく近いヒントが提示されているような…。
そんなことよりも、冒頭の『巨神兵東京に現わる 劇場版』の方が気になる。もしかすると、エヴァの世界が終わった後、ナウシカの世界に繋げようとしているのではなかろうか。ナウシカの話の中で出てくる“火の七日間”とか“大海嘯”なんてのは伝説の中の話だから、“インパクト”に比定させることは十分に可能。NERVによる人類補完計画だてって、教団による浄化・再建計画に比定できるだろう(教団は科学者集団だもんね)。
そういえば、ナウシカは“白き翼の使徒”って呼ばれたっけ。シンジは再びインパクトを起して、その後使徒と同化。あのウジウジした性格を反映して卵化。ナウシカの世界の“オーマ”になる…とか(性格も近いような)。もしかして、壮大なサーガを計画していたりして。ナウシカの世界が浄化された後、コナンとかナディアの世界に繋がるとか。そのためには、コミック版のナウシカをアニメ化する許可を庵野秀明がゲットせねばならないが、それほどハードルは高くないような気がしてきた。
閑話休題。個人的には好ましい展開にはなったものの、シナリオ的には違和感が。
いくら情があるからといえ、インパクトを引き起こす種であるシンジの扱いが雑。彼女たちは世界を守ることを究極の目的に戦っているわけで、それを疎外する一番の要因を、簡単に自由にするバランス感覚に違和感を覚える。いっそのこと殺してしまってもいいほどなのに。これを説得力のあるシナリオにするためには、WILLE側にもシンジを生かしておく理由がなければならない。いや、きっと次作にその辺の説明があるかも? いや、ちょっと期待薄。それなら、首輪に爆弾を付ける意味との整合性が難しいもの。
サード・インパクトが中途半端なところで終わったという説明があったが、十分世界を破壊しつくしているように見える。AAA ヴンダーに乗っている人以外に、一般市民らしき人が一切でてこないので、彼らが何を守っているのか、何と戦っているのかが判らなくなるレベル。私怨で戦っているようにすら見える。この段階になると、いっそ素直にインパクトをおこしてリセットしてしまったほうがいいんじゃないか、何か問題があるのか?とすら思えてくる。“Q”は、次作ができる前に、増補版を作ったほうがいいのではなかろうか。
#CGをつかったカットが、あまり良いデキに思えないのだが、なんとかならんか。
順調に興行収入も伸びているので、世間的には好評なんだろう。個人的にはあまり興奮できない出来映え(まあ、好みの問題さ)。
#なんか13号機、『パシフィックリム』みたいだな。
公開国:アメリカ
時 間:90分
監 督:今敏
出 演:江守徹、梅垣義明、岡本綾、飯塚昭三、加藤精三、石丸博也、槐柳二、屋良有作、寺瀬今日子、大塚明夫、小山力也、こおろぎさとみ、柴田理恵、矢原加奈子、犬山犬子、山寺宏一 他
コピー:私の「名づけ親<ゴッドファーザー>」は3人のホームレスでした──。
クリスマスの夜、一人の捨て子をめぐって東京に《奇跡》が起こる。
東京・新宿。元競輪選手のギンちゃん、元ドラッグ・クイーンのハナちゃん、家出少女のミユキのホームレス3人は、クリスマスの夜にゴミ置き場の中から赤ん坊を拾う。ギンちゃんとミユキは、すぐに警察へ届けようと言ったが、母親願望の強いハナちゃんは、勝手に“清子”と名前を付けてかわいがりはじめる。結局、ハナちゃんに押し切られて、三人は自分たちで清子の親探しをすることに。しかし、手がかりは清子と一緒に置かれていたスナックの名刺と数枚の写真だけで…というストーリー。
江守徹のアテレコのデキがよろしい。宣伝目的でタレントを配する野良吹き替え映画とはわけが違う。
一人の捨て子をめぐって、奇跡が雪崩れのように起こる。悪くいえばご都合主義なわけだが、その奇跡が主題なのでそこを非難するのは的外れ。むしろ、その奇跡の波状攻撃を、いかにスムーズにスピード感を持ち、且つ、観客に右フックを喰らわすがごとく視界の外から浴びせるかがポイントで、本作はそれをみごとに達成していると感じる。
元の生活からドロップアウトした3人は、今は擬似家族のような生活をしている。実の家族は、家族だというだけで息苦しいほど距離を詰めてくる。それが当たり前といわんばかりの押し付けというか常識が、彼らにとっては苦しいことだったのかも。だから、この擬似家族は、そこそこの距離を保ちながら成立している。
でも、赤ん坊と親は一心同体。0距離。清子の登場で忌避していた過干渉を思い出す。そして、3人がそれぞれの生い立ちや立場で清子を見ていて、自分のようにはしたくない…って慮るところが、せつなく、悲しく、そして微笑ましい。
見落とされがちだが、“ありえねー”という展開(とくにアクション)が、実に説得力を持った描写に仕上がっているのもよい。最後の“ふわり”も、決して興醒めすることはない。
“清子”は名前を付ける前に誘拐されている。だから、両親は感謝の意を込めて3人に名付け親になってもらおうと申し出る。“ゴッドファーザー(名づけ親)”は、仮に清子と名づけていたことを指しているのかと思ったら実際に…と、最後にスパンッ!とまとめて来た。そして、最後の最後にもう一つ奇跡が…。シナリオがうますぎるよね。
#おそらくミユキは家に戻るだろうが、ギンちゃんとハナちゃんはどうするのか。まあ、そこは語らぬが華だわな。
後の『パプリカ』なんかはいまいちで、必ずしも全部アタリってわけじゃないんだけど、今敏監督は飛びぬけた力量を持っていたと思う。本当に夭逝したことを残念に思う。
お財布に余裕があったら、Blu-rayを買っても損じゃないと思う作品。アニメも実写も含めて、歴代邦画ベスト15に入る作品だと私は本気で思う。お薦め。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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