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公開年:1986年
公開国:日本
時 間:132分
監 督:深作欣二
出 演:緒形拳、いしだあゆみ、原田美枝子、松坂慶子、利根川龍二、一柳信之、大熊敏志、谷本小代子、浅見美那、檀ふみ、石橋蓮司、伊勢将人、宮城幸生、蟹江敬三、野口貴史、相馬剛三、下元勉、井川比佐志、荒井注、下絛アトム、山谷初男、宮内順子、真田広之、岡田裕介 他
受 賞:【1986年/第10回日本アカデミー賞】作品賞、主演男優賞(緒形)、主演女優賞(いしだあゆみ「時計 Adiue I'Hiver」に対しても)、助演女優賞(原田美枝子)、監督賞(深作欣二)、脚本賞(深作欣二、神波史男)、撮影賞(木村大作)
【1986年/第29回ブルーリボン賞】主演女優賞(いしだあゆみ「時計 Adiue I'Hiver」に対しても)
妻に先立たれた、作家の桂一雄は、知り合いの紹介でヨリ子を後妻としてもらう。ヨリ子は四人の子供をもうけ、先妻との間の長男・一郎を含め五人の子供を育てるが、次男の二郎が日本脳炎にかかり、重い障碍を持ってしまう。ヨリ子は、その苦痛から怪しげな宗教にすがるようになる。そのころ、一雄は、女優の卵の恵子と恋仲になり、しまいには家を出て恵子を同棲生活を始めてしまう…というストーリー。
ここまで、そのまま自分の家庭と浮気の様子を書き綴るなら、別に実名でも良いんじゃないか…という気がするくらい。
冒頭で、母に捨てられたことで、その性格が決定付けられたような調子で語られている。“火宅”とまで形容するくらいなので、どれだけ煩悩の欲するがままに行動していたのか…と思ったが、前妻とはいたって普通の夫婦関係だったようだし、二郎が障碍を負うまでは、ヨリ子とも大して問題は無かったように見える(もちろん、若い頃は好き勝手やっていたんだろうが)。むしろ、両親を反面教師にして、家庭は大事にしようという姿勢が見られる。
短絡的に三つ子の魂百まで、子供のときに形成された性格はそうそう直らない、人が煩悩に左右されてしまうものだ…ということを深作欣二は表現したかったのだろう。しかし、私なら、「何で息子がこんな状況…、なんで俺がこんな目に…、本当の俺はこんなはずじゃない…」という感じで、覆い隠していた心の地金が見えてきてしまうという、演出にする。
自分がこうあるべきと理性で押さえつけていた社会性のタガが外れた後の暴走っぷりは、推して知るべし。檀一雄の愛人は、この映画程度の数ではすまなかったはず。
一方、浮気相手のヨリ子は、一雄と一緒にさえなれれば幸せになれると、欲望と浅はかさな算段が入り混じっている。
浮気されたヨリ子は、何か男の浅はかな考えを超えた先の何かを見据えているような、ゾっとするような達観を見せる。
キャバレー勤めの葉子は、その不幸な生い立ち故か、打算的な将来を選択し、それでいいのか…という思いを断ち切るように、まるでこれで今生との別れと言わんばかりに、無頼に付き合う。この三者に女が持ち合わせる怖さを分担させているわけだね。
話の筋は、正直いって別に高尚なものでもないし、他人の家を覗き見している感覚で、下世話な内容だと思う。元々は、断続的にタラタラと描かれた、浮気の告白文みたいなものなのに、それをよくここまでまとめたと思う。手を怪我して、ヨリ子に自分の浮気話を口実筆記させるくだりで、「小説の誇張だ」というシーン。おそらく小説には出てこないだろうし、脚本家の想像だろう。こういう想像を含めて、脚本の勝利といってよいかもしれいない。
欲するがままに生きて、幸せになれない人間てなんぞや。自由恋愛は生の謳歌だなんだと偉そうにいうが、それは犬畜生とどう違うのか。ある意味、人生をシミュレートしてくれているというか、こういう暴れ方はしたくないと思わせてくれるというか…。まあ、昨今の日本映画にはない、まさに“無頼”な面白さがある。軽くお薦め。
負けるな日本
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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