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公開年:1996年
公開国:日本
時 間:90分
監 督:藤田敏八
出 演:水野晴郎、かたせ梨乃、菊池孝典、アガタ・モレシャン、シェリー・スェニー、西田和晃、占野しげる、エリック・スコット・ピリウス、フランク・オコーナー、フィリップ・シルバースティン、(ナレーター)油井昌由樹 他
第二次世界大戦開戦前夜。ヒトラーとの会談を終えた山下奉文陸軍大将は、シベリア鉄道で帰国の途に着く。山下大将の部下・佐伯大尉と青山一等書記官が帯同していた。列車の他の乗客は、契丹人女性の李蘭、ウイグル人女性のカノンバートル、オランダ人女優のグレタ、ナチス中佐のユンゲルス、ソ連軍大佐のポロノスキー、ポーランド人商人のゴールドストーン。それに車掌を合わせた10人が一等車に乗り込んでいた。やがて、ポロノスキーが毒殺され、それと同時に李蘭とグレタが姿を消してしまう。佐伯と青山は犯人探しに乗り出すのだったが…というストーリー。
やっと見つけててレンタルした。これで、日本3大トンデモ映画の制覇である。
本編が始まる前に山下大将についての説明が入る。主人公の人柄を説明する必要があるのか?映画としてそういうことをやっていいのか?という疑問が沸くわけだが、純粋に水野晴郎が山下奉文のことがすきなだけなので、考えても無駄である。
そして、その後に水野晴郎が登場し、けっこうな長さで、反戦の思いなどを語りますが、劇場作品でこんなことやっちゃいけません。
さあて、やっと本編か…と思うと、“この映画は終わりのクレジットのあと、あることが二度おこりますので、決してお友達には話さないでください。”というテロップ。『シックス・センス』が1999年だから、本作のほうが先駆者だね!と(まあ、問題は何がおこるのか…なんだけどね)。
一等車が隔離されていると説明されているが、二等車側から入れなくするだけでよく、完全隔離するという極めて不自然な設定。密室殺人の舞台にするためとはいえ、根本設定がクソである。で、乗客がどんどん死んでいくわけだが、山下大将はずーーーっと部屋に座って、推理してるだけ。別にそれはいいのだが、事件自体が散発的で推理をする気力が失せる…というか、一本の筋できれいにまとまっているわけではないので、推理する意味がない。
ただ、水野晴郎の頭の中では、一本の筋でまとまっているのだ。全部戦争が悪い!ってね。ということで事実が解明された後も。「我々は何も見なかった。男同士が殺しあったのだ!」と、黙認して終了。いい変えれば「俺、しーらねぇ」って言っているのと同じで、腰が抜けそうになる。
セットの稚拙さもひどいもので、とても列車に見えない。それでも昔の列車だから装備なんてそんなもの…と思わせることも可能なのだが、車内のシーンでは列車の揺れすら感じることができない(まともなカメラマンなのだろうか)。陳腐さは列車の外側のシーンになるとさらに顕著。いや、外にでれるなら、他の車輌にいって応援を呼ぶことも可能だろう…と。
まあ、うわさどおりのヒデェ作品だな…と思っていたら、そういえば冒頭のテロップで何かが2回おこるとかいってたな…と思い出す。
(別にネタバレ注意する必要もないんだけど一応)
今まで演じていた役者が出てきて、はいご苦労さ~んとなる。まあ、エンドロール後なので、カーテンコール的にこういうのもアリかな…とおもっていたら、役者の間ですったもんだがおこりはじめ、かたせ梨乃が死んじゃうという。犯人は役者の中にいるのだが、まあそれは言わないでおくが、結局はかたせ梨乃が死んだのも、戦争のせいだ…というオチに。
その後、外国人役者たちは、この事件にうちひしがれつつも退場…となった後、かたせ梨乃復活。そして日本人役者だけで打ち上げ宴会がスタート。どういうこと?毛唐どもをだましてやったぜ!ヒヒヒ!ってことなのだろうか。1つ目はまあわからんでもないが、2つ目は演出意図が不明。
クズ演出が悪いのは明らかなのだが、もし、水野晴郎の言う反戦のメッセージが妥当なものであったなら、ここまでヒドイ印象ではなかったと思う。戦争した日本が悪い、ただただ戦争が悪いと叫び続ける浅はかさ。毎度言っているが、なんで戦争が発生するのか、きちんと突き詰めていかないと解決しないのは明白なのに、そこには頑なに目をつぶるというクズ思考。戦中生まれの戦後育ちって本当にクズ人間だらけだと思う。群を抜いて駄作だと思う。
#さすがに続編は観る気がおきないなぁ…。
さて、
『幻の湖』…北大路欣也、長谷川初範、かたせ梨乃
『北京原人』…本田博太郎、長谷川初範、北大路欣也
『シベリア超特急』…かたせ梨乃
『デビルマン』…本田博太郎
皆さんお気づきだろうか。日本トンデモ映画の役者が共通していることを…。北大路欣也、長谷川初範、かたせ梨乃、本田博太郎。この4人で作品を作ったら、アポカリプト的な何かがおこるのではなかろうか。だれか心中する覚悟で作ってみてはくれないだろうか。
公開年:1981年
公開国:日本
時 間:106分
監 督:市川崑
出 演:水谷豊、永島敏行、谷啓、中原理恵、永井英理、黒田留以、市原悦子、草笛光子、浜村純、加藤武、常田富士男、河合信芳、小林昭二、新橋耐子、佐々木すみ江、三條美紀、倉崎青児、川上麻衣子、桜井勝、青地公美、三谷昇、辻萬長、宇野喜代、古俣敦子、大林丈史 他
とある書店で銃撃事件が発生。村上刑事、北刑事、野呂刑事の3名が現場に到着すると3人が血まみれで横たわっていた。被害者の一人である遠藤という男はまだ息があり、“ウドウヤ”という謎の言葉を残し絶命する。驚くことに、もう一人の被害者は、北刑事の恋人である中井庭子だった。庭子は、社会福祉員を目指す大学生で、事件の前にデートに一時間ほど遅れると電話をしていたばかり。残りの被害者は大学教授の雨宮ですでに死亡していた。身元は判明したが、特に3名の繋がりは見つからなかった。村上刑事は、妻に家出されており、忙しい任務の中、8歳の娘と6歳の息子の面倒を見ていたが、それを同僚に伝えることなく仕事を続けていた。また、本来ならば本件から外される北も、強く希望を出し、捜査に継続参加することになった。捜査を進めていくいと、福祉センターの仕事をしていた庭子が、身寄りのない車崎るいという女のところに出向いていたことが判明。るいは身寄りがないと虚偽の申告をしたことでヘルパーの派遣を断られており、気の毒に思った庭子が様子伺いに行ったと考えられていたが、銃撃事件の数日後に、るいの娘のみどりの死体が、近所のかわらの土手で発見されていることが判り…というストーリー。
市川崑作品の中でも、あまり知られていない作品かと(なにやら権利関係で埋もれていたとか)。1981年製作にしては、古臭い画質だなぁ…と思っていたが、“銀残し”で現像しているらしい(市川崑の『おとうと』=銀残し…ってのは映画検定の基本問題)。とはいえ、1970年代の作品かな…くらいの印象。DVDではうまく色合いが出ていなかったりするのかしら…。
原作はエド・マクベインという有名な作家の作品らしいが、不見識で知らん。すまぬ。
昨日の『刑事物語』は、事件と恋愛が並行して語られながらも、最後はその二つのストーリーが交わりあった。本作の場合は、事件と家族問題が並行して語れるが、それが直接交わることはない。それが悪いというわけではないのだが…
(以下ネタバレあり)
捜査上浮かび上がってくる被害者庭子の近況と、事件の真犯人がまったく無関係で、さらに真犯人の目星が付いてからのあっさり解決しちゃう感で、拍子抜けしてしまう。いや、そのあっさり感によって、市井の人々だって色々抱えているんだよ。俺も、妻には逃げられちゃったけど、こうやって曲がりなりにも子供を心を通わせられているおれって幸福なんじゃないか…という対比に使っているのかもしれない。
もうちょっと、母親がいなくなって不安な気持ちを、それを我慢する気持ちなんかが、捜査上浮かび上がってくる人々の感情と、リンクするなり間逆になっているなりで、片山の捜査に影響を与えるような演出があれば、ベストだったと思う。
永島敏行演じる北刑事が、熱血刑事でまっすぐな男だと思っていたのに、なかなかの酒乱で、酔った彼が吐く本心がとても辛辣だというのは、なかなか面白い演出だった。
また、ミスリードといえばミスリードなのだが、市原悦子演じる車崎るいの関係者が、あまりにエグすぎで、バランスが悪い。川上麻衣子の役柄は、今だと微妙にアウトくさくて、地上派放送はまず困難だろう。
いや、文句ばかりに聞こえるかもしれないが、膝くらいまでの水深のプールを、延々と歩かされているような閉塞感は、さすが市川崑。そしてラストシーンが、散々同僚に妻を迎えにいけといわれていたにも関わらず、そのシーンにするではなく、子供たちと3人でレストランで食事をするシーンで終えているのが秀逸。時代が古すぎてそのレストランのある土地が妻のいる金沢なのかどうか判別がつかなかったのだが、もしかすると、妻のところにいく途中でレストランにいっているのかもしれない。でも、つらい3人での生活だったにもかかわらず、その経験を名残惜しいとさえ感じているようにも見える。
当時、バラエティ色の強かった中原理恵だが、ほぼ回想シーンだけでの登場。そのおかげで、観客が客観的で冷静な目線で観ることができるというウマい起用方法もあって、純粋に演技力だけに目がいく形になっている。その他、市川崑の刑事といえば、金田一シリーズの加藤武。その他、常田富士男などお馴染みの顔ぶれも登場。加藤武に「よし、わかった」と言わせるなど、ちょっと笑かせにかかってるんじゃないかという小ネタをはさむ余裕も見られる。これを観て思うのは、水谷豊で、金田一耕助シリーズをつくってほしいってこと。いまなら、成功すると思う。誰かやってはくれないだろうか。ヒットすると思う。
良作だと思う。お薦め。
#関係ない話だが、市川崑の『火の鳥』が観たい。どこにもない。
公開国:日本
時 間:134分
監 督:斎藤光正
出 演:西田敏行、夏八木勲、仲谷昇、鰐淵晴子、斉藤とも子、石浜朗、村松英子、小沢栄太郎、池波志乃、原知佐子、山本麟一、宮内淳、二木てるみ、梅宮辰夫、浜木綿子、北林早苗、中村玉緒、加藤嘉、京唄子、村田知栄子、藤巻潤、三谷昇、金子信雄、中村雅俊、秋野太作、横溝正史、角川春樹、中田博久 他
昭和22年。銀座の宝石店・天銀堂で、複数の店員を薬殺し、宝石を盗む事件が発生。椿英輔子爵はその容疑者に良く似ていたため、取調べを受ける。事件当時は関西に旅行中だったためアリバイが立証され放免となったが、椿子爵は直後に失踪。数ヵ月後に、信州・霧ヶ峰でその遺体となって発見される。遺書には、容疑者にされた屈辱に耐えかねる旨とともに、“ああ、悪魔が来りて笛を吹く。”という一文が添えられていた。その遺書を携えた椿子爵の娘・美禰子は、金田一耕助の元を訪れる。椿子爵の妻や周囲の人が、死んだはずの椿子爵らしき人物を目撃したというのだ。調査を依頼された金田一が椿邸を訪れると、椿子爵の生存を占う「砂占い」の儀式が行われたが、その夜、椿子爵の伯父・玉虫伯爵が殺されてしまう…と言うストーリー。
西田敏行が金田一耕助演じる作品。なかなかレンタルしているところが無く、やっと発見。初見である。既にTVドラマでは売れっ子だったが、おそらく西田敏行の映画初主演作品かと。
市川崑×石坂浩二の『犬神家の一族(1976)』と同時期で、同じ角川映画。でも、『犬神家の一族』後の『悪魔の手毬唄(1977)』『獄門島 (1977)』『女王蜂 (1978)』と、同じ市川崑×石坂浩二なのになぜか東宝製作(その事情はわからん)。1979年になって再び角川春樹は金田一耕助を手がけるわけだが、その後も『金田一耕助の冒険(1979)』『悪霊島(1981)』と金田一を続けようとする。妙な執念を感じる。
散々、TVドラマ版も作られておりお馴染みの内容。『八つ墓村』では津山三十人殺しをモチーフに、本作では帝銀事件をモチーフにするなどいかにも横溝節。しかし、何といってもフルートが三本指でも演奏できるというところがおもしろポイントだったのに、本作ではそこには重きを置いていないなど、謎解きの部分に焦点がうまくあたっておらず、ドロドロとした汚れた血のくだりにばかりが描かれている。
他の映画化された作品と違い、金田一が事件がおこる土地を訪れるんじゃなく、金田一が住んでる部屋のそう遠くないところで発生しているのも特徴なのだが、そのせいか雰囲気はよろしくない。無駄に中村雅俊や梅宮辰夫・浜木綿子なんかを出して、彼らの個性が雰囲気を壊す結果になっているのもいただけない。
その後、西田敏行版は作られることはなかったわけだが、金田一ブームが去りつつあったという捉え方もできるが、西田敏行のデキが良くないのも原因だと思う。苦虫をつぶした顔が多く、石坂版の飄々とした部分がない。そして、所々でTVドラマでのコミカルな演技をひっぱってくるのだが、軽口を連発するコミカル演技がスベって掴みに失敗している。
“先生”呼ばわりされるのも違和感があるし、普通の探偵以上の何かが感じられないなど、金田一のキャラクターというかディテールに魅力が極めて薄い。こんなことなら、石坂浩二版の服装を模倣せずに、オリジナルの風貌にすればよかったのだ。
お話自体も、ドロドロなタブーを直球で表現するよりも、すこしオブラートに包むほうが雰囲気が出る作品。TV版のほうが面白く感じるのは、その辺をお茶の間に流しても許容されるレベルにぼかしているからだろう。
中尾彬版とどっこいの出来栄え。こっちには池波志乃が出ているが、どちらも金田一とは相性が悪かった模様。金田一シリーズのファンとしてはものすごく期待していたのだが、残念な作品。
公開国:日本
時 間:135分
監 督:三池崇史
出 演:成宮寛貴、斎藤工、桐谷美玲、中尾明慶、大東駿介、柄本明、檀れい、谷村美月、平岳大、篠井英介、鮎川誠、余貴美子、石橋凌、小日向文世 他
コピー:偽りの真実を打ち砕け。
20XX年、政府は凶悪犯罪の増加に対応するために、検事と弁護士を直接対決させ、3日以内に判決を出すという序審裁判制度”を導入する。ある日、新人弁護士の成歩堂龍一は、上司の綾里千尋から「長年追っていた事件の証拠を見つけた」と事務所に呼び出される。しかし、事務所にいくとそこには千尋の他殺体が。容疑者となったのは、現場に居合わせた千尋の妹で霊媒師修行中の綾里真宵。龍一は真宵の無実を信じ弁護を引き受け、幼馴染の敏腕弁護士・御剣怜侍と対決することに。劣勢の龍一だったが、真宵の霊媒能力で蘇った千尋のヒントによって、証人の矛盾を突き、何とか真宵の無罪を勝ち取るのだった。しかし、その裁判の後、御剣が殺人容疑で逮捕されてしまう。龍一は御剣の弁護を名乗り出るが…。
DSでレイトンをやり終わって、すごくおもしろかったから、同じような謎解きモノをやろうとおもって、逆転裁判をやり始めたんだけど、なんか操作性とかノリとかが合わなくって、すぐにやめちゃったんだ。だから、各キャラクターが似ているかどうかはわかるんだけど、ストーリー的にうまく仕上がっているのか否かはよくわからない。
キャラは、成宮寛貴、斎藤工、桐谷美玲、中尾明慶と良く似ていると思う。キャスティングプロデューサーが単独で存在するくらいなのでよく注力されている。しかし、鮎川誠は、レモンティーとか団塊世代しかわからんでしょ。団塊世代が孫とか子供を連れて一緒に観に来るってことはないだろうから、あれだけは無意味なキャスティングかな。また、柄本明が悪役の親玉でもなく重要な役でもないのは評価するが、柄本明である必要がいまいち不明。
桐谷美玲は口角が下がってる場面が多すぎ。不審とか悲しみの表情は口角を下げればいいと思っているようだが、役者を続けたいんなら、もうちょっと研究を。こういうキャラものがハマる人は、最近少ないのでがんばってほしい。
シナリオは、はっきりってつまらない。謎解きモノっていうのは、前段階で色々ヒントが差し込まれるもののだが、裁判所でのやり取りなんか、完全に後出しだったりする。でも、どんなに稚拙なストーリーだとしても、演出でいくらでも興味を繋ぐことができるんだということを証明している。法廷の場面の証拠合戦なんか、何がなんだかわからんが、勢いで押し切っているもの。
もうね、この手の作品は三池崇史監督の専売特許になりつつある。はじめから、大作だなんて誰も思っちゃいない。どうせ、キャラがどれだけ似ているか、元の作品の世界観にどれだけ近いかしか、観客は期待していない。その程度のハードルしかない上に、三池崇史はこのストーリーに何の思い入れもないから、その場その場で一番効果的な演出を、思い切り採用できるんだろう。
この手の三池崇史作品で、一切、エロもグロも無いのって、本作が初めてでは?首吊りのシーンくらいだけど、その程度はTVの二時間ドラマでもあるしな。『ヤッターマン』だって、無駄なエログロを差し込んできたからね。『忍たま乱太郎』だって子供向けなのに何か小汚かったりして。そういうの誰も得しないってわかってるのに、本性を差し込まずにはいられなかった三池崇史。本作で、完全に職人になったね。これが褒め言葉になるのかどうかはわからんけど。
まあ、無駄に長いことを除けば、それなりに楽しめる作品。こういうゲームを元に実写映画にするのって、面白いな。『バイオハザード』とか『ファイナル・ファンタジー』とか、バトルモノはあるけど、この手で且つ日本映画って案外ないよね。
#着ぐるみの“タイホくん”の中に人が入っていないってのは、何だったんだろう…意味不明。ゲームを最後までやってりゃわかったんだろうか。
公開国:日本
時 間:129分
監 督:土井裕泰
出 演:阿部寛、新垣結衣、溝端淳平、松坂桃李、菅田将暉、山崎賢人、柄本時生、竹富聖花、聖也、黒木メイサ、向井理、山崎努、加賀隆正、三浦貴大、劇団ひとり、秋山菜津子、鶴見辰吾、松重豊、田中麗奈、中井貴一、北見敏之、相築あきこ、中村靖日、緋田康人、松澤一之、小泉深雪、大堀こういち、Velo武田、江澤大樹、コッセこういち、辰巳蒼生、吉見幸洋、川井つと、森輝弥、谷川昭一朗、西慶子、中村祐樹、柳東士、金谷真由美、ヘイデル龍生、名雪佳代、菅原大吉、田中要次、志賀廣太郎、大石吾朗 他
コピー:人は最後に何を願うのか
東京・日本橋の翼のある麒麟像の下で、男性が殺害される事件が発生。被害者はカネセキ金属の製造本部長、青柳武明。彼は腹部を刺された場所から、誰にも助けを求めることなく発見現場まで8分も歩き続けるという不可解な行動をとっていたことが判明。一方、事件の容疑者には、彼のバッグを持って現場から逃走する際に車に轢かれて意識不明になった青年・八島冬樹が上がる。彼の恋人・中原香織は、無実を訴えるが、捜査本部は八島の犯行と断定し、本人意識不明のまま書類送検しようとしていた。しかし、捜査に当たっていた日本橋署の刑事・加賀恭一郎は、独自の捜査を進め…というストーリー。
TVドラマをほとんどみない私が、珍しくほとんど観たのが、TBSの『新参者』。本作は、既に先日TV放送してしまっていたが、しっかり観たかったのであえて放送はスルーして、レンタルが旧作料金になるまでウェイトして、やっと今、鑑賞に至る。
私、以前、この舞台になっている日本橋の自転車圏内に住んでおり、住み始めた頃に日々の食材を買う場所を探しに、このあたりをレンタルサイクルで走ったことがある(結局、全然スーパーマーケット的な店は無かったんだけど)。非常に懐かしい。ちょっと綺麗になった気はするけど、基本的にはあまり変わっていない地域だね。私にとっては“ご当地映画”だったりする。
まあ、それはそれとして、良くも悪くもTVドラマの映画版だった。財布を盗んだ男が、追われているのが判ってから、いつまでもそれを所持したまま逃走するのが、実に不自然だったり。その他、労災隠し等々、様々なミスリードが配置されているが、ミステリーとしての話の筋は、あまりウマいとは思えない(悪いわけではないが映画版としてスポットを当てるほど長けてはいない)。
しかし、辛うじて、TVドラマにありがちな「ああ、この人が犯人なんだろうな…」とすぐに犯人の予想がつく展開にはなっていないのが救い。そして、一生懸命ミステリーとして成立させようと腐心したことによって、人情ドラマの方が薄くなってしまった気がする。親子の確執、若い恋人同士の想い、要素は多いが、散ってしまった印象。
TVドラマを観ていなければ、山崎努、田中麗奈、黒木メイサのキャラクターはいまいちピンとこないだろう。思い切ってこの三人を捨てて、他の話を厚くしたほうがよかった。
#内容と直接関係ないが、新垣結衣はデカすぎ。この人、英語を覚えて海外にいったら大成するんじゃなかろうか。
最後もスッキリできなくて、力技でなぎ倒した感じ。せめて、労災隠しをしたのが青柳武明ではないということが、世間に知られないと浮かばれない。劇団ひとりが演じた中学教師の行い、これが事件の発端だったのに、結局これはどう処罰されたのか。父のメッセージを受け取った息子は、何の罪にも問われないのか。問われないならせめて、被害者の親には告白にいったのか…。引っかかりが多くて、カタルシスには至らない。
しかし、TVドラマを観た人にとっては、十分に愉しめるご褒美なのは間違いない。それ以外の人には、イマイチかと。
#それにしても、ミキプルーンのイメージの破壊力ってすげーな。中井貴一が出てくるたびに、頭の片隅にミキプルーンが浮かぶわ。
公開国:日本
時 間:125分
監 督:橋本一
出 演:大泉洋、松田龍平、小雪、西田敏行、田口トモロヲ、波岡一喜、有薗芳記、竹下景子、石橋蓮司、松重豊、高嶋政伸、マギー、安藤玉恵、榊英雄、片桐竜次、桝田徳寿、カルメン・マキ、本宮泰風、吉高由里子、街田しおん、阿知波悟美、野村周平、新谷真弓、中村育二 他
ノミネート:【2011年/第35回日本アカデミー賞】作品賞、主演男優賞(大泉洋)、助演男優賞(松田龍平)、脚本賞(須藤泰司、古沢良太)、音楽賞(池頼広)、録音賞(室薗剛、田村智昭)、編集賞(只野信也)
コピー:何かあったら電話してくれ。
札幌・ススキノで、探偵稼業を営む“俺”。事務所を構えず、行きつけのBARで依頼の電話を待つ。いつものように、相棒兼運転手の高田とBARでオセロに興じていると、“コンドウキョウコ”と名乗る女から電話が入る。「南という弁護士に会い、去年の2/5加藤はどこにいたか聞いてくれ」という簡単な依頼だったため、訝しく思いながらも引き受けて翌日実行。しかし、その直後に拉致され、雪に埋められ、危うく死にかける。怒り心頭の探偵は、仕事とは無権系に、報復しようと考え、独自に調査を開始する。すると、謎の美女・沙織と、大物実業家・霧島にまつわる複数の殺人事件にぶつかり…というストーリー。
西田敏行はメインキャストなのかなぁ…、作風に合ってなさそうだなぁ…って思っていたら、早々に死んでよかった。西田敏行批判ではない。単に作品の雰囲気にあっていないというだけで悪意はない。で、実際、西田敏行や竹下景子、石橋蓮司など、壮年役者陣の演技のデキはいまいちだった。監督が演技付けるのを臆したのかな…。
小雪の演技は大方の予想通り。別格。この台詞まわしはどうにかならんのか…。あらゆる台詞が全部同じ抑揚ってどういうことやねん。もう、日本語が不自由な人ですか?と聞きたくなるくらいだ…。長い台詞を喋らせるのは失敗だったな。
#吉高由里子のフェイクはなかなかやるね。
正直、謎解きのレベルは、探偵物のアドベンチャーゲームのファミコンソフト程度だと思う。いや、ファミコンソフトだって、作家さんがシナリオ書いているので、バカにしたものでもないのだが。謎解き一本でずっと見せ続けるような作品ではないということ。でも、悪役が、バカ左翼からの転向組という設定は非常に良かったと思う(北海道新聞が一番売れてるバカ左翼の温床だからね)。
とりあえず、どんどんキャラクターを動かす。話がうまく動かなけりゃ、バキバキとアクションを差込み、ダレてきたら重要なキャラを殺す。稚拙な演出と思うかもしれないが、“魅せる”映画なんて、案外これが基本だったりする。
間違いなく、札幌の風景、雰囲気がそのまま伝わってる作品。北海道が舞台になってる映画はたくさんあるけれど、大抵、北海道ロケじゃなかったりするからね。すぐに違うってバレて興醒めされちゃうのに。予算をケチるところが間違ってるんだよね。ここまでしっかり全編ロケしてくれたら、褒めるしかない。映画を観て、ああ、あれはあそこだ…って、どこだかわかるところがすごい。若者が自首しにいく警察署も本物の警察署だし(ああ、また免許更新いかねーとな)。かなり人通りの多い所でのロケが多いところからみて、早朝ロケが多かっただろう。エキストラも大変だったろうなぁ。
「まだ、オートバイサーカスってやってるんか?」地元民しかわからん小ネタも多い。
札幌に旅行にくるときは、観てから来なよ、そう言える作品はめずらしい。雪祭りにくる人は、予習で。でも、この撮影のときから、札幌の様子、変わってるところ多いね。地下通路も北洋のビルも完成してるし。不景気といいつつ、結構再開発すすんでるな…と。
いやー、これは間違いなく、続編がつくられますな。って思ってたら、最後に第二弾製作決定だって。そりゃそうだな。内容のドロドロと裏腹に非常に愉快な作品。
#特急か、せめていしかりライナーにのれ!よ…と、JR使いはツッコむと思われ…。
公開国:日本
時 間:119分
監 督:森淳一
出 演:加瀬亮、岡田将生、小日向文世、吉高由里子、岡田義徳、渡部篤郎、鈴木京香 他
受 賞:【2009年/第52回ブルーリボン賞】新人賞(岡田将生『ホノカアボーイ』に対しても)
コピー:家族の愛は、重力を超える。
連続放火事件に隠された家族の真実──溢れくる感動のミステリー
遺伝子を研究する大学院生・泉水と、落書き消しの仕事をしている弟・春は、優しい父と三人暮らし。母親は不慮の事故で無くなったが、美しくやさしい人で、その二人の愛に包まれて兄弟は仲良く育った。今、彼らが暮らしている仙台では、連続放火事件が発生しており、市民を恐れさせていたが、春は放火された場所で、意味不明のグラフィティアートが描かれていることに気付く。放火事件と繋がりがあると考えた春は、泉水を誘ってグラフィティアートが描かれているあたりで張り込みをするのだが…というストーリー。
原作では簡単に放火犯の正体がわからないんだと思うけど、放火犯の行動パターンは誰でも知ってるし、連続強姦魔の件と弟の行動性向が簡単にリンクしてしまうから、映像にするとピンとくる要素が多すぎる。火を消しに行ったときに、ふらふら歩いてるサラリーマン風の男とすれ違って、それが犯人?と思わせるとか、その程度じゃ、ミスリードしきれていない。もっとしっかり別の人が犯人だと思わせてくれないと。
私は、レイプされて妊娠したとわかったときに、すぐに産もうと判断したのが理解できない。
①自分の子かもしれない、②宗教的に中絶は好ましくない、などの納得できる理由はほしかった。いや、たぶん②なんだと思うんだけど、きちんと描ききれていないんだと思う。父親は“命”というものを大事にする立派な人間というだけでは、どうも、スッキリしない。ここが一番のポイントなんだけどね。父の行いを妙に聖人のそれのように描いているのがどうも鼻につく。
それに、それだけの覚悟をして育てることを決めたなら、後ろ指さされて生きにくくなることぐらい想像すべきで、さっさと知ってる人がいない遠地に引っ越すべきだろう。勤務先があるから?それと子供を安心して育てる環境とどっちが大事かは明白だろ?
でも、こんなに引っかかる部分があるのに、根本的なストーリーは非常に面白く、サスペンス要素にはぐっと引き込まれる。つっこみどころ満載だし、勿体無いとも思ったけれど、及第点には達していると思う。それなりに満足。
原作を読んでいないので予測の範囲を出ないけれど、脚本家も監督も原作の理解が不十分だったのではないかと疑っている。この相沢友子っていう脚本家さんは『東京島』の脚本家でもある。両方とも感心しないデキだねぇ。最後の“重力ピエロ”というタイトルの由来(?)も意味がピンとこなかった。
#吉高由里子の役は非常におもしろかったが、兄に正体を明かすときの“膝ガクガクっ”みたいな演技の意味がよくわからなかった。
公開年:1996年
公開国:日本
時 間:127分
監 督:市川崑
出 演:豊川悦司、浅野ゆう子、高橋和也、喜多嶋舞、岸田今日子、宅麻伸、岸部一徳、萬田久子、加藤武、白石加代子、神山繁、吉田日出子、石倉三郎、石橋蓮司、西村雅彦、うじきつよし、井川比佐志、今井雅之、小林昭二、織本順吉、大沢さやか、横山道代、川崎博司 他
ノミネート:【1996年/第20回日本アカデミー賞】主演男優賞(豊川悦司)、音楽賞(谷川賢作)、撮影賞(五十畑幸勇)、照明賞(下村一夫)、美術賞(櫻木晶)、録音賞(斎藤禎一、大橋鉄矢)、編集賞(長田千鶴子)
天涯孤独の青年・辰弥は、ラジオの尋ね人として自分の名前が流れていることを知らされる。弁護士事務所に赴くと、辰弥が400年も続く資産家・田治見要蔵の遺児であることを知らされ、そこには母方の祖父・井川丑松という人物が待っていた。母親以外との肉親の登場に驚く辰弥だったが、その場で突然丑松は毒物により死亡してしまう。その後、辰弥は、田治見家の分家の未亡人・森美也子に付き添われて、田治見家のある岡山と鳥取の県境に位置する山村、八つ墓村を訪れた。辰弥が村に入ることで、彼の身に何かがおこることを案じた弁護士は、知り合いの探偵・金田一に警護を依頼するのだったが…というストーリー。
我慢しきれず、宅配レンタルで借りてしまったよ、市川版『八つ墓村』。
『女王蜂』までの4作のイメージが頭にある状態でハードル上がりまくりで観はじめたせいか、冒頭30分までのがっかり感は半端ない。
・オープニングが格好悪い。
・弁護士事務所シーンが、まったく野村版『八つ墓村』と同じ(アングルとか)。
・浅野ゆう子のトレンディ・ドラマ臭がものすごい。
・戦後まもなくが舞台なのに、なぜか、古い匂いがしない。
・豊川悦司の演技がポンコツ。
期待を裏切られて、「もうダメだ~~」ってなっちゃった人は、ここで脱落だろう。
ただ、そこをなんとか我慢して通過すると、この『八つ墓村』はものすごく味がでてくる。いや、良くなると言い切ってよいだろう。
・ストーリー展開が原作に近い(野村兄弟が出てくる。森美也子の動機がこっちのほうがよい。田治見春代の存在に意味がある。etc)。
・濃茶の尼や久野医師の殺害の流れがスッキリしている。
・無粋な金田一の謎解きダラダラ解説がない。
・実は豊川悦司は悪くない。不思議と慣れてくる。
服装が同じだったりするので、無意識に石坂浩二と比較してしまいがちだが、話が進むにつれて、市川崑が石坂浩二のコピーをつくりたかったわけではないことがわかる。飄々として掴みどころのない金田一像を新たに作りたかったのだと思う。まったく影を見せないが故に、逆にその裏の闇を匂わせる、案外、いいキャラだったのかもしれない。
ただ、語尾が微妙に早口になったりして、キャリアの浅さは感じざるを得ない。何作か重ねれられれば、必ず味を増していったと思うのだが、『悪霊島』と同様、単発に終わってしまう。決して金田一シリーズが飽きられていたというわけではない。そのころの片岡鶴太郎にによるドラマ版が9本も放送されていたのだから。そして、前年の1995年に鶴太郎版『八つ墓村』が放映されている。そんなときに映画版をわざわざつくる制作会社がおかしいのだ。フジテレビジョン・角川書店・東宝の製作なのだが、鶴太郎版ドラマってフジテレビだからね。どういうマーケティングをやってイケると思ったのか、ものすごく不思議。
#豊川悦司による金田一耕助キャラは、稲垣吾郎に引き継がれたってところかな。彼に闇は全然感じなかったけど(稲垣吾郎って5作もやれたんだから大成功だよな)。
野村版を評価する人は多いけれど、濃茶の尼や久野医師の殺害がダイジェスト的に処理されるのと、本作のようにガッチリ流れの中で表現されているのと比較すれば、本作のシナリオが優れているのは明白だろう。本作の金田一は、手紙のインクのくだりと、犯行の動機と手順をさらっと説明しただけで、あとは、映像の流れの中で理解できる。渥美清は何から何まで説明しちゃって、それ映画じゃないよ朗読だよ。
ただ、映像面では後半になっても改善しなかったのが残念。
照明の当て方のせいで薄っぺらくなってるのかもしれないが、画質の色合いもイマイチだし、なんといっても微妙にアングルがダサい(このカメラマン、好きじゃないかも)。プロダクションデザインっていうのかな、セットや小道具や衣装がぜんぜん時代の香りを放っていない。市川版の良さは画のインパクトが半分くらい占めているのだが…。
まあ、冒頭のがっかり感をなんとか及第点まで盛り返したってところかな。『病院坂の首縊りの家』よりは断然いいと思う。
加藤武や白石加代子、小林昭二らの常連は出てくれているしね(お、考えてみると浅野ゆう子は『獄門島』に出てるじゃなないか。立派に市川版金田一ファミリーだ(笑))。
#ただ、ラストは歌じゃなくて、ズバっと終わるべきだな…。
負けるな日本
公開年:1975年
公開国:日本
時 間:106分
監 督:高林陽一
出 演:中尾彬、田村高廣、新田章、高沢順子、東竜子、伴勇太郎、山本織江、水原ゆう紀、加賀邦男、東野孝彦、石山雄大、海老江寛、沖時男、原聖四郎、小林加奈枝、三戸部スエ、服部絹子、中村章、常田富士男、村松英子 他
岡山県にある一柳家の屋敷で、長男・賢蔵と久保克子の結婚式が行われていた。式は、賢蔵の妹・鈴子が琴を披露するなどして、滞りなく終了。その夜、屋敷内に悲鳴と琴を掻き鳴らす音が響き渡る。親族が夫婦の寝室である離れへ行くと賢蔵と克子が血まみれで惨殺されていた。部屋には三本指で拭った血の跡が残されており、離れの庭には犯行に使われたと思しき日本刀が刺さっていたが、季節外れに積もった雪の上には足跡は一切無く、離れは密室状態であった。警察の捜査で、怪しい三本指の男が出没していたことが判明するが、その後の足取りは掴めず捜査は暗礁に乗り上げる。そこで、克子の父・銀造は、知り合いの探偵・金田一耕助を呼び寄せる…というストーリー。
本当に今日で金田一は終わりにする。
金田一耕助シリーズの第1作だから“ビギニング”みたいなものか(劇中で別の事件を解決して名は知られている設定になってるから、厳密に言えばビギニングじゃないけど)。だから、原作の舞台は昭和12年で一番古いんだけど、この映画も『八つ墓村』のように、舞台を現代(当時)に変更している。
本作の場合は、『八つ墓村』とは違って、単に、ロケ地やらセット・小道具を昭和12年にするのが大変だったから現代にしちゃっただけ…って気がしないでもない。だって、時代が持つ雰囲気を大事にしているようにはまったく見えないんだもの。
中尾彬が演じる金田一耕助はズボン姿。それで田舎町にやってきた異邦人の雰囲気が出ていればいいのだが、他にも洋装の人が多く出てくるのでその効果は無い(その効果を狙ったかどうかも怪しい)。もし、舞台の年代がもっと古く、こざっぱりとした洋服の人がめずらしく、村の中で浮きまくっているような状況になれば、ものすごくよかったと思うのだが(結局は、市川版の和装だって、異質な風貌の演出だからね)。
もし、このスタイルが成功していれば、後の金田一耕助像は大きく変わっていたと思う(それがいいかどうかはわからんが)。
で、『本陣殺人事件』というのは、和室で密室トリックを表現した作品として有名なのだが、根本的に原作のトリックに無理がある。実際に映像にしてみると、原作を読んで感じた以上に無理がある。
おまけに、本作でのトリックの表現があまりにもヘタクソ。本作を観て、「おお!すごいトリック!」と思う人が何人いるか。まず、いないと思う。ものすごく立体的な空間表現を要するトリックなんだけど、すごく薄っぺら(どうかんがえても、日本刀が欄間(っていうのか?)を越えるとは思えない。で、ひどいことに、本作では欄間を綺麗に越える映像が無い。
同様に鎌がどう機能しているのか、はたまた、このトリックの発動条件は何か、すべてが綺麗に描けていない。トリックがメインで、トリックをきっちり描けないなんて、どうしようもないよね。
これまで観た金田一作品は、トリックの巧妙さについて直球で勝負してはいない。むしろ、人の情念や我欲、舞台の持つ雰囲気を愉しんでいる。では、本作にある“人の心”は何かといえば、いい年したおっさんの極端な潔癖症。う~~ん。
トリック表現もだめ。人間ドラマもだめ。雰囲気もだめ。そういう意味では、映画版の金田一作品の中で、ズバ抜けてデキが悪いように思える。残念ながら観る価値はないかな。お薦めしない。
#鈴子ちゃんの死の意味が私にはわからん。
負けるな日本
公開年:1981年
公開国:日本
時 間:132分
監 督:篠田正浩
出 演:鹿賀丈史、室田日出男、古尾谷雅人、岸本加世子、中島ゆたか、大塚道子、二宮さよ子、宮下順子、原泉、武内亨、伊丹十三、岩下志麻 他
コピー:鵺の鳴く夜は恐ろしい……
昭和44年。金田一耕助は、瀬戸内海を航行中のフェリーが海に浮かぶ男を発見。救出するも「あの島には恐ろしい悪霊が…、鵺の鳴く夜は気をつけろ」という言葉を残し絶命する。金田一耕助は刑部島出身の富豪・越智竜平の依頼により人捜しをするため岡山県に来ていたが、フェリーで絶命した男が探していた男と知り愕然とする。金田一は、手掛かりを追うために、旅の途中で知り合ったヒッピー青年の五郎と一緒に、刑部島に渡るが、そこで身の毛もよだつ惨劇に遭遇する…というストーリー。
もう、そろそろ金田一シリーズはいいだろう…という声が聞こえてきそう。
ちなみに、『悪霊島』は、横溝正史が最後に書いた金田一シリーズ。
『獄門島』の和尚役の佐分利信が出演していたり、鹿賀丈史の風貌や頭を掻きむしる様子を見ると、角川が石坂浩二×市川崑の金田一耕助を引き継ごうとしているっていう意図がはっきりわかる(悪いことではない。元々原作は角川だしね)。
篠田正浩の演出は、シンプルで判り易くて横溝正史のテイストにマッチしている。これにインパクトと遊び心さえ加わわっていれば、市川崑に匹敵する出来映えになったことだろう。
#五郎を狂言回しにするのはセンスないと思うけどね。
岩下志麻の美しさは異常で思わず息を呑むほど(旦那が撮ってると考えるとちょっと気持ち悪いけど)。岸本加世子の野暮ったさはハンパないが、二役の演じ分けだけじゃなく、若いのにしっかりとした演技力を発揮。その他の出演陣も豪華で角川の気合の入れようがよくわかる。
まあ、肝心の鹿賀丈史が、独り言でもガッチリ口調だったりして一本調子なのが気になるけれど、石坂浩二とは異なるちょっと熱いキャラを目指していたと考えれば、まあアリだろう(見た目の味はあるよ)。
#『本陣殺人事件』で金田一耕助を演じた中尾彬が、あっさり殺される役ってのも面白いね。
結構、成功していると思うんだけど、その後シリーズ化されなかったのは映画のデキの問題ではなく、横溝正史ミステリーの仰々しさや(悪くいえば)粗さが、時代に合わなかっただけな気がする。
シャム双生児のくだりがあるのでTV放映はしにくいし、ビートルズの楽曲の版権の問題でしばらくDVD化されていなかったりして(今はカバー楽曲に差し替えて普通にレンタルしている)、人の目に触れる機会が少なかった作品かもしれない。こんな作品もあったんだ…と思う人は是非観て欲しい。そこそこお薦めの1本。
#市川崑は、『獄門島』じゃなくって、年代を古く変更して『悪霊島』を撮ればよかったのに。
負けるな日本
公開年:1977年
公開国:日本
時 間:151分
監 督:野村芳太郎
出 演:渥美清、萩原健一、小川真由美、花沢徳衛、山崎努、山本陽子、市原悦子、山口仁奈子、中野良子、加藤嘉、井川比佐志、綿引洪、下絛アトム、夏木勲、田中邦衛、稲葉義男、橋本功、大滝秀治、夏純子、藤岡琢也、下絛正巳、山谷初男、浜田寅彦、浜村純、吉岡秀隆 他
関東の空港で航空機誘導員をしている寺田辰弥。ある日、自分の名前が新聞の尋ね人欄に載っており、大阪の弁護士事務所で面談をすることに。生い立ちや背中の火傷痕から尋ね人本人と認められ、そこで母方の祖父であるという井川丑松と面会。しかし、丑松は、その場で突然、苦しみもがき絶命してしまう。辰弥は、父方の親戚筋にあたる森美也子の案内で生れ故郷の八つ墓村に向かうこと。辰弥は美也子に、腹違いの兄・多治見久弥が病床にあり余命幾ばくもなく跡継ぎもいないため、辰弥が多治見家の後継者であることを告げる。しかし、辰弥が帰郷すると殺人事件が発生。村人は、八つ墓村でおこった過去の事件の祟りであるとして騒ぎはじめ…というストーリー。
市川崑ではない金田一作品を。監督は野村芳太郎、『砂の器』の人。また、『男はつらいよ』の渥美清が金田一耕助を演じているってので有名。横溝正史ブームのまっただなか、東宝に対抗して松竹が製作した作品。
#東宝にも松竹にも両方に出演している大滝秀治は、なかなかの強者だ(笑)。
萩原健一の演技がポンコツすぎで、長ゼリフが聞くに堪えない。こりゃダメだ…と諦めかけたところで、無口になってセリフが少なくなるのがおもしろい。
市川崑版と如実に差があって、非常に興味深い。原作が好きな人には結構評判がよかったりするのだが、個人的にはイマイチ好きではない。なかなかの興収だったらしいが、その後、シリーズ化されなかったのは、すごく理解できる。
まず、『砂の器』でもそうだったのだが、野村芳太郎の演出はまわりくどくていけない。なんで、このシーンを長々と廻すのか…と、思う所が多い。例えば、本作でそれが一番顕著なのは、終盤に洞窟の中を歩き回るシーン。だらだらと時間をかけて濡れ場に突入すれば、うまいことミスリードできる思っているのだろうか。ちょっと浅はか。
また、戦後まもなくという金田一シリーズ特有の時代背景を放棄して、舞台を現代(当時)にしている。これがいったいどういう効果を狙ったものなのか。今でも地方に残る因習という部分をクローズアップして、“今、おこっているオカルト話”という方向性を出したかったのかな。そう、本作はオカルト臭を意図的に強めている模様。伝説を利用した殺人という域を越えて、本当に怨念のなせる業という色合いを濃くしている。
なぜか、犯人を変更した『獄門島』よりも原作レイプな感じがするのが、不思議である。
最後、金田一耕助が村人たちに対して、事件の謎解きをするのだが、そこがなんともいけない。延々と渥美清が言葉で説明し続けるのである。市川崑版に馴れているせいもあってか、あまりのビジュアル表現不足に朗読なんじゃねえかと思えるほど。せっかく映画なんだから、がんばれよ…といいたくなる。
なるほど、市川崑版金田一と一番異なるのは“クール”さだな。同年公開の『悪魔の手毬唄』『獄門島』と比較すると、とにかく野暮ったい。こういう諸々の要素が重なって上映時間もとにかく長い。
ちなみに、『八つ墓村』は横溝正史の金田一シリーズで一番多く映像化されている作品。なんといっても、実際の事件“津山三十人殺し(1938年)”がモデルになっている点は大きいかと。この事件は、1982年に韓国人に塗り替えられるまで、個人による大量殺人者数でぶっちぎりのトップ(誇れる話ではない)だったわけだが、この事件を知らなくても、念入りな事件考証が下敷きになっているせいか、むちゃくちゃな大量殺人なのに、どことなくリアリティが漂う。本作の一番の魅力といえるだろう。
ということで、1996年の市川崑版の『八つ墓村』と比較してみようじゃないかと思ったが、近所のレンタル屋には置いていなかった。宅配レンタルで入手してみるか…。
#市川崑ならじいちゃんが死んだところでタイトルかなあ(笑)。
負けるな日本
公開年:1977年
公開国:日本
時 間:143分
監 督:市川崑
出 演:石坂浩二、岸惠子、若山富三郎、仁科明子、北公次、草笛光子、永島暎子、高橋洋子、中村伸郎、加藤武、大滝秀治、小林昭二、辻萬長、山岡久乃、林美智子、渡辺美佐子、岡本信人、白石加代子、頭師孝雄、常田富士男、大和田獏、松田春翠、三木のり平、辰巳柳太郎 他
受 賞:【1977年/第20回ブルーリボン賞】助演男優賞(若山富三郎)
昭和27年。岡山県鬼首では、20年前に起きた殺人事件をきっかけに仁礼家と由良家の対立が続いていた。その事件は未解決で、当時捜査に関わっていた磯川警部はいまだにその事件の謎を追っていた。磯川は、他の事件で手腕を発揮した私立探偵・金田一耕助に調査を依頼する。2人は事件の鍵を握ると思われる被害者の未亡人リカに当時の様子を聞くことから調査を開始。折しも逃亡した容疑者の娘千恵が有名歌手になって帰郷する日だったが、時を同じくしてリカの息子・歌名雄の婚約者である由良家の娘泰子の遺体が発見され…というストーリー。
金田一シリーズの中では、“犯行”の部分で強引さが目立ち、演出面でも奇妙な点が多い作品だとおもう。
(以下ネタバレ注意)
妻子がありながら同じ村の3人と並行で恋愛するという離れ業に加え、百発百中という状況が、あまりにもマンガ。
千恵子が犯人に抱きついちゃう精神状況はよくわからないし。青池リカは名家の家督を狙っていたわけでもないし、鬼首村にこだわる理由もないし、とっと子供を連れて誰も知らない土地に行きゃあ万事解決。そうすりゃ近親相姦の可能性も皆無になるんだからなぜそうしないのか。根本的に何かがおかしい。その他諸々、原作のほうがデキがいいという指摘が多い作品。
し・か・し。その反面、シリーズの中で一番メロ・ドラマしており、それゆえに人気はとても高いのである。彼女を見守るように20年間も捜査を続ける磯川警部。おっさんの純情と悲恋の結末がなんとも泣かせてくれる(演じる若山富三郎の無骨さが実によい)。映画というのは、理詰めで簡単に評価が決まらないから、おもしろいのである。
『モロッコ』を大胆に引用して、娯楽産業の衰退をスッと説明したり、一方で手毬をつく日本人形風のお面4人の少女の幻想的な映像を差し挟んでみたりと、常人ならざる表現力。もう、映画の演出というよりも、限られた時間の中でいかに簡便な手法で且つインパクトをもって理解させるか…というプレゼン能力に近い。
早々に、岸惠子演じるリカに“犯人さんフラグ”が立つのだが、そんなことくらいではまったく興醒めしない。それどころかどんどん惹きこまれるという、市川崑節大炸裂の一作。お薦め。
#ちなみに、加藤武演ずる刑事は等々力ではなく、立花捜査主任である。
負けるな日本
公開年:1977年
公開国:日本
時 間:141分
監 督:市川崑
出 演:石坂浩二、司葉子、大原麗子、草笛光子、東野英治郎、内藤武敏、武田洋和、浅野ゆう子、中村七枝子、一ノ瀬康子、佐分利信、加藤武、大滝秀治、上條恒彦、松村達雄、稲葉義男、辻萬長、小林昭二、ピーター、三木のり平、坂口良子、お七、池田秀一、三谷昇、荻野目慶子 他
昭和21年。終戦直後の引き上げ船で死んだ鬼頭千万太が遺した手紙を届けるために、金田一耕助は、千万太の故郷・獄門島へと向う。金田一は千万太の訃報を伝えると鬼頭家に客として迎えられる。その日は、島の千光寺の釣鐘が返却され、千万太の従兄弟である一(ひとし)の無事が知らせらるという吉事が重なっていた。翌日、千万太の通夜が行われたが、千万太の妹3人のうちの一人・花子が失踪。ほどなく、足を帯で縛られ、桜の枝からぶら下げられた花子の遺体が発見される。密かに千万太の戦友・雨宮から鬼頭家の調査を依頼されていた金田一は、3姉妹の出生に秘密があるのではと探り始めるのだが…というストーリー。
まだまだ市川崑祭開催中。いや、もう金田一耕助祭になってきた…。終戦直後の混乱という、金田一耕助シリーズにありがちなド直球の設定である。舞台は昭和21年なので、市川崑版としては3作目だが、エピソードとしては一番古い話になるだろう。
結局は5作品がつくられるが、3部作として有終の美を飾ろうとしていたらしく、その気合が随所に見られる。しかし、それを説明すると完全ネタバレになってしまうので、警告発令。
(以下、完全にネタバレ注意)
『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』と女性が犯人で、その情念が僻地の因習と絡み合った内容が続き、それに独特の市川演出が付加されて、もう様式美といっていいレベルにまで昇華されている。この流れで3作目も…ということなんだろうが、実は、『獄門島』の原作の犯人は女性ではない。3姉妹の全員を手にかけるのは和尚なのだ。
犯人を変えるなんて原作への冒涜、横溝正史を馬鹿にしているのではないか…と思ってしまうが、はっきりいってこの映画版の方が、オチとしてはしっくりくる。横溝正史が難色を示した…という話も聞かないので、むしろ面白がってOKしたんだろうなと思われる。
原作には、シリーズ唯一といえる金田一耕助の恋愛エピソードがあるのだが、軽く匂わすだけでそのあたりはバッサリと割愛。これも統一感を重視してのことかと。
市川版金田一シリーズとしての様式美といえば格好いいが、3部作としての概観の問題にこだわっただけと揶揄されても仕方のないところ。それをねじ伏せて、きっちり仕上げのはさすが市川崑。シリーズすべて140分前後あるのだが、まったくその長さを感じさせないのがスゴい。
#でも、ここまできっちり3作つくりきったのなら、4作目なんか作らなきゃよかったのに…と思うのは私だけか?
だが、結果として女性犯人を3作続けてしまったことで、マンネリと感じられてしまったという側面もあり、この点は皮肉というかなんというか。
もう1点、本作にまつわるエピソードといえば、俳句用語である“季違い”と“気違い”を懸けたキーワードについて。この同音異義語は、事件の謎を解く上で必須ポイントなのだが、如何せん“気違い”が放送禁止用語だったために、TV放映時にはピー音になったとのこと。いやいや、金田一が謎を解くきっかけになった根本のポイントがピー音になってしまったのでは、観た人は何がなにやらわかるはずもない。放送された日の人々のポカーンを想像すると、笑いを抑えることができない。
言葉狩りの馬鹿どもめ!と言いたいところだが、それ以前に、その状態で放送しようとしたTV局よ…。そういう意味では、本作は『病院坂の首縊りの家』並の“奇作”といえなくも無い。
まさか、明日も金田一耕助祭じゃねえだろうな!と声が聞こえてきそうだが、否定できない(笑)。
#それにしても、本鬼頭だ分鬼頭だと、本家・分家で簡単に片付いてしまうようなところに、偏執的な設定をくっつけるのが横溝正史は本当にウマい。今、クリエイターに必要なセンスはコレだよなぁ…。
負けるな日本
公開年:1979年
公開国:日本
時 間:139分
監 督:市川崑
出 演:石坂浩二、佐久間良子、桜田淳子、草刈正雄、ピーター、中井貴惠、河原裕昌、久富惟晴、三条美紀、萩尾みどり、岡本信人、清水紘治、小林昭二、あおい輝彦、加藤武、常田富士男、入江たか子、草笛光子、大滝秀治、三木のり平、小沢栄太郎、白石加代子、林ゆたか、早田文次、山本伸吾、三谷昇、菊地勇一、林一夫、横溝正史 他
昭和26年。数々の事件に関わり心身共に疲れ果てた金田一耕助は、アメリカに渡ろうと決意する。渡米前に昔馴染の老推理作家を訪ねると、パスポート用の写真を撮っていないことを指摘され、近所の本條写真館を紹介される。そこを訪ねた金田一は、経営者の徳兵衛から、近頃、命を狙われているようなので調査してほしいと依頼を受ける。その日の夕方、若い女性が姉の結婚写真の撮影依頼に写真館を訪れる。しかし、その撮影場所には、女性が自殺したという場所でもあったいわくつきの廃墟を指定。写真館の長男・直吉は、依頼に来た少女と瓜二つの花嫁と初見の花婿の写真を撮った。翌晩、また写真を撮って欲しいと昨日の若い女性からの電話が入り、本條父子、弟子の黙太郎、金田一が撮影現場に行くと、天井から花婿の生首が風鈴のように吊るされており…というストーリー。
市川崑祭り継続中(笑)。市川崑版・金田一耕助シリーズの最終5作目。原作でも金田一耕助最後の事件という位置づけの作品。しかし、金田一耕助最後の事件といいながら、本作の舞台は昭和26年。『女王蜂』の舞台って昭和27年だったじゃないか。いきなり前作と矛盾が生じてしており、腰が砕ける。
市川崑による金田一耕助シリーズは打ち止めですよ…という意味と理解しようと考えたが、本作を昭和27年や28年としてはいけない理由が逆に思いつかない。これじゃあ、アメリカから帰ってきたことになっちゃう。
とにかく、これまでの4作とは趣を異にする。市川崑版・金田一耕助シリーズといえば、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』でも見られるレタリング体のフォント表記。スタッフや演者の表記や、『獄門島』ではナレーション的な表記も行われいるが、なんと本作のスタッフ表記は、普通のゴシック体(かろうじて“昭和26年”だけレタリング体だけど)。おまけにジャズ音楽がバックに流れ、これまでの因習深い僻地の雰囲気は一切皆無。さては製作会社が変わったのか?実は市川崑が監督していないんじゃないか?と思うほどである(もちろん変わっていない)。
期待され求められ、それに応えるらめに苦心を重ねた演出を、簡単にマンネリと揶揄された反発ではなかったのかと、個人的は思う。
冒頭と最後には、原作者の横溝正史が長々と登場(おそらく奥様も)。別に重要な役でも何でもない上に、おどろくほどの棒読みの長セリフ。その親族の娘として中井貴恵が出てくるが、相変わらずの稚拙な演技で、そこに彼女を配置するのってやっぱり市川崑は中井貴恵をポンコツと思っていたのかしら…なんて思ってしまう。
で、これまでの作品だと、ダラダラと長い家系図ばかりで判りにくいこと極まりない原作を、できるだけすっきり腑に落ちるように苦心していた様子が見られたのだが、本作ではそれすら完全放棄している感じ。草刈正雄演じる黙太郎に、劇中で「わかりにくい」と言わしめる始末。実際、これまで以上に人物相関図が複雑で、正直に言うと見終わっても良く把握できていない。由香利と小雪が腹違いでそっくりという以外には、さっぱり頭に入ってこない(これでも、原作版よりすっきりさせてはいるらしい)。
『女王蜂』で消えた、腹違いとか近親相姦とか首ちょんぱなどのギミックも復活。さらに『犬神家の一族』で佐清を演じたあおい輝彦はもちろん、常田富士男、大滝秀治、三木のり平、小林昭二などの常連陣を全員召集。加藤武演じる刑事の粋なラストも健在。完全に卒業のお祭り作品と化している。
これは、市川崑の「もうこれで勘弁してください」って思いと「いままでありがとう」っていう相反する気持ちが入り混じった作品なんだろう。金田一耕助感謝祭の最後の打ち上げ花火なんだな…と。そういう意味で、“奇作”である。
ただ、常連組で岸恵子と坂口良子は不在。単にスケジュールが合わなかっただけかもしれないが、この2名だけは思い入れが強くて、あえて出さなかったのではないかな…なんて個人的には思っている。
特段の美しさを放っている桜田淳子にも目が行くが、草刈正雄も興味深い。金田一と並列で狂言回しを演じているのだが、もしかすると、本作でいい味を出せば、別の推理サスペンスシリーズで主役を張らせようという映画会社の思いがあったのかもしれない。
しかし、つんのめった台詞回しが、せっかく耽溺している雰囲気を壊してしまい、とてもポスト石坂浩二が務まる器ではないことを証明してしまっている。エピローグで、何か仕事がないか横溝正史にお願いしているのだが、もちろん無い(笑)。
これは前4作の鑑賞を完走した人だけの、オマケ作品である。これだけを観て市川崑版・金田一耕助シリーズを評価することがないように願う。
負けるな日本
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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