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公開年:1985年
公開国:アメリカ
時 間:113分
監 督:ピーター・ウィアー
出 演:ハリソン・フォード、ケリー・マクギリス、ルーカス・ハース、ダニー・グローヴァー、ジョセフ・ソマー、アレクサンダー・ゴドノフ、ジャン・ルーブス、パティ・ルポーン、ヴィゴ・モーテンセン 他
受 賞:【1985年/第58回アカデミー賞】脚本賞(ウィリアム・ケリー、アール・W・ウォレス)、編集賞(Thom Noble)
【1985年/第39回英国アカデミー賞】作曲賞(モーリス・ジャール)
【1985年/第28回ブルーリボン賞】外国作品賞
ペンシルヴァニア州の郊外に、文明社会から距離を置き、17世紀の生活様式で暮らしている“アーミッシュ”と呼ばれる宗派の人々が住む村がある。夫を亡くし未亡人となったレイチェルは、6歳の息子サミュエルと父親のイーライと暮らしていたが、死後数ヶ月経ったときに、サミュエルと一緒に妹が住むボルチモアへ旅することに。途中で立ちよったフィラデルフィア駅でトイレにいったサミュエルは、そこで殺人事件を目撃してしまう。フィラデルフィア警察のジョン・ブック警部は、唯一の目撃者であるサミュエルから事情聴取を行うためにしばらく母子に留まってもらうことに。署でサミュエルに面通しをしてもらうが、一向に犯人らしき人物が見つからない。そんな中、麻薬事件で表彰された麻薬課長マクフィーの新聞記事を見かけたサミュエルが、この男が犯人だと告げるのだった。さっそくそのことを警察副部長のシェイファーに報告するブックは、押収した大量の麻薬が消えた事件にマクフィーが関わっているのではないか?と疑いをかける。すると、自宅にかえったブックは、マクフィーに襲撃され深手を負ってしまう。シェイファーもマクフィーとグルであることを悟ったブックは、レイチェルとサミュエルをより安全なところに退避させるため、アーミッシュの村に連れて帰るのだが、傷が悪化し昏倒してしてしまい…というストーリー。
アーミッシュの存在を直球で扱った珍しい作品。社会の外に位置する一派で、文化的にそぐわない集団という意味では、ヨーロッパでいうとジプシー、日本でいうと山窩などに類するのかもしれない。しかし、あくまでキリスト教的な戒律を頑なに遵守しているというだけで、偏狭ではあるものの、別の種族か?と思わせるほどの差を感じるほどではないのかもしれない。ただ、移民元の言語から派生したアーミッシュ語が恒常的に使用されるほど特殊なのは事実。作中でも描写されているが、観光客がものめずらしさで訪れるのも事実。
刑事サスペンスとしては極めて凡庸なプロットだとは思うが、そこにアーミッシュという要素が加わることで、ミーツ・ザ・異邦人的な味わいが加味される。もちろん、暴力が常の刑事と、暴力反対のアーミッシュという、両極端な価値観の衝突が描かれるのもポイント。
アーミッシュ村に滞在するブックは、大工仕事をこなし、村人とのふれあいや、軋轢を重ねていき、本来の“自分”を見つめ直すという展開があるのだが、何で彼が大工仕事が得意なのか?とか、牧歌的なこの生き方も悪くないな…としみじみ感じてしまうようなバックボーンが説明不足なのが、いささか残念だ。
#元々、彼が実際に大工だったことを笑いにしたかったわけじゃないよね?
さらに、ケリー・マクギリス演じる未亡人との恋の要素が加わる。『マディソン郡の橋』みたいな雰囲気ではあるが、未亡人と独身男なので両者的にはやましいことは何もない。ただし、アーミッシュの世界において外界の人間とそういう仲になることは村八分的な扱いになる。ある意味ロミオとジュリエット的な流れになるのが興味深いし、アーミッシュゆえの爆発的な感情の表出はなくて、未亡人なのに女子高生の恋みたいな感じなるのもおもしろい。
(ちょっとネタバレ)
もう、親ともうまくいってないんだし、他の村人からも変な噂を立てられてるんだし、そのまま村を出ちゃえばいんじゃね?なんて思うのだが、そうしなかったのが、いい味を生んでいると思う。
さて、話の主筋である、悪徳刑事たちとのバトルは、ダニー・グローヴァーらクソ刑事が、じわじわとアーミッシュ村包囲網を狭めてくるという展開になるのだが、普通に攻めてくるだけっちゃあだけ。おもしろくないわけじゃないのだが、淡白。痛快さには欠ける。やはり本作は恋愛映画なのかもしれないな。
ハリソン・フォードの野暮ったさが、最大に生かされている作品。佳作だと思う。
公開年:2010年
公開国:インド
時 間:138分
監 督:クーキー・V・グラティ
出 演:ヴィヴェーク・オベロイ、アルナ・シールズ 他
ハイテク機器を駆使してスマートに仕事をこなす、大泥棒のプリンス。ある日、目が覚めた彼はすべての記憶を失っていた。別荘と思しき屋敷には使用人と名乗る男が。彼に自分の職業などを説明してもらうものの、まったく思い出せない。そんな中、マヤと名乗る女性が3人も現れ、それぞれがプリンスと自分の関係を説明するのだが、誰のことを信じてよいのかまったくわからない。ただ、どうやら自分は、とある骨董品のコインを盗んだらしい。それを入手するために複数の組織がプリンスを襲撃してきて…というストーリー。
またもや懲りずにインド映画を観てしまった。あなたちょくちょくインド映画観てるよね?実は好きなんでしょ?と言われそうだがそんなことはない。ハリウッド映画並みの作品を目指して、CGなど技術導入がめざましいインド映画。そろそろ本当に世界中の視聴に耐えそうな作品がでてきてもおかしくないだろう…という生暖かい期待から、目に付いたものは観ているだけのことである。
突然踊り出すことでお馴染みのインド映画だが、それ以上に、コメディの部分で必ずと言っていいほどチョケてしまい、作品の質を落とすのが常。正直、本作も期待してはいなかった。しかし、本作は一切チョケたシーンが無いのだ。
都合よく記憶が消えてくれるという、ドラえもん級のツールがお話の核になっており、“マンガ”であることは間違いないのだが、『羅生門』というか『藪の中』というか、3人の女性の証言の間を揺れながら真実を探るという、なかなか巧みなシナリオになっている。
ハリウッド志向というよりは、フランスのSF映画チックな雰囲気も漂う。とにかく、インド映画特有の違和感は無くなっている。
インド人といってもアーリア系の女性なので、その美しさが世界的に受け入れられやすいということもある(日本のように国内でウケる女優と、アジアンビューティーと海外から評価される女性に大きな乖離がない)。
#反面、インド人男性俳優が、ニの線なのか三の線なのか、判別がつかないという点はあるけれど…
CGに関しても、日本映画のCGとさほど変りなし。インド映画といえば長いでおなじみだが、この138分が、90分ちょっとにシュっとまとまったら、もっと良くなる。日本映画は抜かれつつあるのかも…、いやそれ以前に、元々同じレールの上にすらいないのかもしれないな…という印象である。
ここまで褒めると、どんだけおもしろいんだ?と思うかもしれないが、あくまでこれまでのインドSF映画と比較してのことなので、要注意を。
公開年:1998年
公開国:アメリカ
時 間:121分
監 督:ジョン・ダール
出 演:マット・デイモン、エドワード・ノートン、ジョン・タートゥーロ、ファムケ・ヤンセン、グレッチェン・モル、ジョン・マルコヴィッチ、マーティン・ランドー、マイケル・リスポリ、ゴラン・ヴィシュニック、メリーナ・カナカレデス、マーウィン・ゴールドスミス 他
ニューヨークに住むロースクールの学生マイクは、学費をポーカーで稼ぐほどの天才な腕前の持ち主。これまで堅実に稼いできたが、大きな勝負をしたくなって、闇カジノを仕切るロシアン・マフィアのテディKGBに差しの勝負を挑む。しかし、手痛く敗北し、全財産の3万ドルをすべて失ってしまう。それを機に、カードから足を洗うことを決意。その後、配達のバイトに励み、弁護士になるために勉学に勤しんでいた。そんな中、旧友でペテン師のワームが出所してくる。出所したはいいが、借金の返済をしなければならないワームは、手っ取り早くポーカーで稼ごうと考える。一緒に組もうというワームの申し出を一度は断るマイクだったが、ついつい心が折れてポーカーに手を出してしまう。同棲している恋人のジョーは、再びマイクがポーカーに手を染めたことを敏感に感じ取り注意するのだったが、ワームに引きずられたマイクは後戻りできなくなり、学業にも支障を来たすようになる。とうとうジョーは愛想をつかして出て行ってしまうが、マイクのカード熱も高まるばかり。しかし、マイクは知らぬ間にワームの借金の保証人にされていたことが発覚。おまけに債権者がテディKGBであることを知り…というストーリー。
これまでコツコツと学費をためていた人間が、これからの人生を構築する上で不可欠な学費をすべてスッてしまう。何でそんな勝負を突然したいと思ったのか意味が不明で、ギャンブラーって救いようのないアホだな…と思うわけである。実は最後に、なんでそんな賭けをしたのかが、明かされるのだが、その理由をもっともだと思うか、男のロマンだと思うか、やっぱりアホだと思うか…。私は、ギャンブルしないから、かなり冷めた目で観ていたけどね。
ポーカーっていうのは状況判断と心理の読み合いで、単なるギャンブルではない…というマイクの主張。わからんではないのだが、それで身を持ち崩しちゃ意味がないだろう。
とはいえ、なかなかマイクという男は見所があって、スパっと止めて学業に専念できているわけだ。前半は彼の一人称で語られており、幾ばくかの未練こそあれ、断ち切った様子が綴られる。私の価値観的には望ましい方向なのだが、不思議なことに物語としては、反比例してつまらなくなる(笑)。ずっとマット・デイモンのくだりで、うんざりし始めたいいタイミングでエドワード・ノートン演じるワームのエピソードにシフトする。いい構成だ。
再びカードを始めてしまうのだが、あくまでワームを助けるため。ワームの尻拭いをするため。まあ、そういう理由でやりはじめるわけだ。なんでそこまでワームを救わねばならないのか、経緯は意味不明だが、愛想がつき始めたタイミングで、借金の片棒を担がされて逃げ道を失う。そう、本作を端的に評すれば、才能あふれる若者が転落する物語なのだ。
(以下、少しネタバレ)
さあ、この地獄からマイクは抜け出されるのか。再び真っ当な道に戻れるのか。その最後の一縷の望みを賭けて、再びジョン・マルコヴィッチ演じるテディKGBとの差しの勝負である。
オレオとかの小道具の使い方もうまい。そういう印象的なシーンを最後の演出に絡めるのは効果的だった。カードは心理戦だと主張する主人公のお話だけあって、このような見所のある細かい演出は多々あったと思う。エドワード・ノートン、ファムケ・ヤンセン、ジョン・マルコヴィッチの演技もよかった…というか、マット・デイモンが完全に喰われていたな。
おお、やっと挽回、これで軌道修正できるな!と思ったところで、マイクはまた同じ過ちを犯す。確かにその勝負には勝つのだが、一方で自分の“本性”に気付いてしまう。もう元の道には戻れない。天国か地獄はわからないが、もう片道切符をまっしぐら。バカは死ななきゃ治らないを地でいくお話だった。
#良かれと思って手を差し伸べた大学教授の厚意を考えると、なんか釈然としないわ。
公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:115分
監 督:ダニエル・エスピノーサ
出 演:デンゼル・ワシントン、ライアン・レイノルズ、ヴェラ・ファーミガ、ブレンダン・グリーソン、サム・シェパード、ルーベン・ブラデス、ノラ・アルネゼデール、ロバート・パトリック、リーアム・カニンガム、ジョエル・キナマン、ファレス・ファレス 他
コピー:お前は悪魔と逃げている
南アフリカにあるCIAの極秘施設、通称“セーフハウス(隠れ家の意)”。新米職員のマットはその管理を任されていたが、かれこれ1年ほど訪れるものはなく、朝から晩までただそこで過ごすだけだった。異動を願うも無碍にあしらわれるだけ。その頃、南アフリカの米国領事館に、一人の男が出頭してくる。その男はかつてCIAで活躍した伝説のエージェントだったが、敵国に機密情報を流したとして国際指名手配を受けている世界的犯罪者トビン・フロスト。CIAが最も恐れる裏切り者だ。トビン・フロストはセーフハウスに連れてこられる。初めての来訪者、それもトビン・フロストがやって来たあって、動揺するマットだったが、そこで繰り広げられる違法な取調べに眉をひそめる。ところが、取調べの最中に、鉄壁の防御のはずのセーフハウスが武装集団に襲撃され、壊滅状態に陥ってしまう。マットはフロストを連れて脱出し、正体不明の敵の追跡を何とかかわしていくが、脱出の隙を窺うフロストはマットを精神的に追い詰めていき…というストーリー。
CIAの内通者がバレバレ。まさかな…と思うくらいにバレバレ。頼むからミスリードであってくれ…と思うのだが、その予測はハズレではないのは残念。
南アフリカという舞台がなかなか新鮮に映ったし、カーアクションも格闘アクションもなかなかの臨場感。デンゼル・ワシントン演じるフロストは大悪人として登場するが、実は正義のために行動しているのでは?というお約束パターンに見えないのも良い(まぁ、最後にはね…)。
大味のシナリオのように見えて、別のセーフハウスの職員のぼやきを聞いて、自分の変化を感じるなんていう細かい演出もある。
マットとフロストは、CIA職員と犯罪者という対立関係なのだが、若手職員とベテラン職員という関係でもある。同じデンゼル・ワシントン出演作品である『トレーニング デイ』を彷彿とさせたりもする。それが、時にはマットを利用しようという詭弁だったり、先輩としての本心だったりと、目まぐるしく変化していくのだが、フロストの真の姿を終盤まで観客に掴ませない演出に繋がっていて、実に巧みだったと思う。
(以下、完全にネタバレ)
勧善懲悪で正しいオチではあるんだけど、おもしろくないのが難点か。
すっとぼけで、フロストが持っていた資料をマスコミに流すマット。そこは、自分が送信したことが巧みにバレないような仕掛けとかを施していたらおもしろかった。CIAなんだからどの携帯電話から、どの場所で発進されたかとかわかちゃうなじゃないか。必ずしも汚職していた人が全員綺麗にパクられるとは限らないんだからさ。そういうディテールに周到な演習をみせてくれたらよかったと思う。
まあまあの快作。
#最後の彼女とのくだりは、結局どういう関係になったのかよくわからんかった。
公開年:1977年
公開国:アメリカ
時 間:123分
監 督:ジョージ・ロイ・ヒル
出 演:ポール・ニューマン、マイケル・オントキーン、ジェニファー・ウォーレン、メリンダ・ディロン、ストローザー・マーティン、リンゼイ・クローズ、スウージー・カーツ、キャスリン・ウォーカー、ポール・ドゥーリイ 他
コピー:氷のジャングルで 何が起こったか…… この顔(つら)をじっくり ご覧ください! 〈殺しの斧〉を突き倒せ! 〈離れ牛〉を蹴りあげろ! 奴らをみんな入れ歯にして 監獄にぶち込め!
悩ませていたが、いくら選手を鼓舞しても効果なし。そんな中、スポンサーである街の工場が不況の煽りで閉鎖されることが発覚。レジとチームメイトのネッドはチームの解散を覚悟したが、なぜかマネージャーのジョーはまったくの無名選手である、ジャック、スティーブ、ジェフの3兄弟をスカウトしてくる。3人は全員が眼鏡にくせ毛で、幼稚で粗野な行動をとるためとても試合には出せない。当然、連敗街道まっしぐら。一方、ネッドは別居中の妻との復縁が絶望的となり、同じく妻と別居中のネッドも関係が改善する兆しが見えない。そんな中、次の対戦相手のとある情報を酒場で知ったレジ。自暴自棄となったレジは、試合中に相手のゴールキーパーに「お前の女房はレズビアン」だと囁きかけると激昂し乱闘に。その勢いでチーフスはシーズン初勝利を手にする。それ以降、チーフスは暴力的なプレーが売りのチームに変貌。試合に出た3兄弟は持ち前の粗暴さを発揮してファンの心を掴む。連日血みどろのプレーを繰り広げ勝利を物にするチーフスは大人気となるが、フェアプレーは信条のネッドは、この状況に満足できず…というストーリー。
はじめに反則技の説明をするインタビューシーンから始まる。いまいちホッケーのルールを知らない私からするとありがたい説明だし、この作品がラフプレーが鍵になるストーリーだということを示唆する、うまい演出だと思う。
ダメチームがのし上がっていく展開は、アメリカ映画ではお馴染みだが、あまりにバカバカしい上に、ジリ貧な状況すぎて、一週廻って微笑ましく思えるほど。マイナーリーグとはいえプロなのだが、セミプロ状態。そんなレベルなら、チームが無くなるなら、年貢の納め時ってことで転職でもしたほうがマシなんじゃないかと思うのだが、まともに働く気よりも薄給なプレイヤーのほうがマシってなくらいの、ダメ人間の集まりなのだ。
新加入の3兄弟に至っては、人格破綻者といってよいハチャメチャぶりで、ホッケー以外になにが出来るのか?ってレベル。いや、そのホッケーもまともじゃないっつーね。
レジはなんとかチームに付加価値をつけて、どこか買ってもらおうと、姑息な手ながらも画策する(何のアテもないハッタリ)。このまま普通にプレーしていたって、何が残るわけじゃない。なりふり構わず、あらゆる手を使って、敵チームを貶めていく。そりゃ実力のないチームなんだから相手を貶めるしかない。
何故か苦肉の策のラフプレー殺法が功を奏すのだが、その結果、はたしてチームは売れるのか? 結構、肝心な部分だと思うのだが、その辺はうやむやな状態でお話は終わる。その辺を消化不良に感じた人は多かったのだろう。だから続編ができたんだろうな。
綺麗なプレーをしたいネッドとはもちろん意見が合わなくなる。妻の問題でもレジとネッドは反目することに。さてさて、この二人の間は修復されるのか。それぞれの夫婦関係は? その顛末も、リーグ戦の結末も、すべてが馬鹿馬鹿しい。だけど、チョケてはおらず、マジメに馬鹿馬鹿しい。それどころか、お下品なのに爽やかに感じるところに好感が持てる。お気軽に鑑賞できた良作だった。
公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:98分
監 督:チャールズ・オリヴァー
出 演:ジェレミー・レナー、ミニー・ドライヴァー、ボビー・コールマン、アダム・ロドリゲス、デヴィッド・デンマン、グリフ・ファースト 他
貧しい家で育ったソール。父親は持病持ちで面倒をみなければいけない状態だったが、ギャンブルで作った借金に追わる日々だった。貸し倉庫屋に勤務していたが、借金の返済のために客が預けた物を無断で売却。それがばれてクビになってしまう。返済期限が迫っていたソールは、友人に借金を頼むが断られてしまい、切羽詰って自動車泥棒を働くが、持ち主に見つかって暴行を受けてしまう。一方、公立学校から多動性障害の息子ジェシーを特殊学級に入れるように宣告されてしまったアナは、私立学校に入れるために新たな仕事を探すことにした。学校教師の夫も、生活に疲れながらも、息子のために仕事を増やすことに。ジェシーを傍に置いて面倒をみながら、複数のアルバイトを掛け持ちしするアナ。ある日、アナとジェシーが立ち寄ったスーパーマーケットに強盗が入る。その強盗犯はソール。ソールはジェシーを人質に逃亡するのだが…というストーリー。
さらっとあらすじを書いたつもりが、ほぼ全部書いてしまった感じだ。
ソールの状況と、アナの状況を交互に描く手法。半分を過ぎても、この二つが同じ時間軸なのかはっきりしない。もしかして、この多動性障害の子供が大きくなったのが、ジェレミー・レナー演じる男なのかな? なんて思ったりもした。
ソールのほうはとことんクソ人間。学もなければ、マジメに働く気もない。というか、満足に仕事が続けられないのは、なんらかの精神的な欠陥があるのでは? と感じたほど。だから、ジェシーとソールが同一人物か?なんて思ったわけだ。
アナのほうは、息子を特殊学級に入れるべきと言われ激昂。まあ、これは日本でもよくあること。自分の子供に目をかけてもらっていないと怒るわけだが、その多動性障害の子供一人をフォローするために、他の子供が学ぶ機会を奪っているということなど、一切想像することがない。教師を無能呼ばわりし、罵倒し、公立学校に子供預けるのをやめてしまう。そのくせ、子供への愛(というか密着度)は、人並み以上で、夫が疲れ果てているにも関わらず、バイトに子供の面倒に驀進する。
ソールとアナの共通点は、満足に公的なサービスを受けることができていない点。もしかして、そういうシンパシーから、何か話が繋がっていくのかな? 政府批判になるのかな? なんて予想したが、そうはならなかった。
まあ、冒頭から、ソールが収監されていて、それも死刑囚っぽい描写だったので、なにかとんでもないことをやらかすであろうことは明白。スーパーにて、アナとソールは初遭遇。それが大変なことに発展する。
(以下、ネタバレ)
最後まで観て、単に“修復的司法”という更生手法についての紹介ビデオだったことを知り、ガックリする。修復的手法とやら(被害者と加害者が面会すること)の成果があることがナレーションで滔々を語られるラストなのだ。
これは、修復的司法を題材した…とか、そんなレベルではない。広義の意味では映画かもしれないが、狭義の意味では違う。意見広告だ。だから、その宣伝のために、わざわざ多動性障害の子供を引っ張り出すのはいかがなものか、何か失礼な気持ちにすらなるほど。こんな目にあった人でも、この手法を使えば、最終的にはよい結果になるんですよ? といいたいのだろうか。
その手法には意味があるのかも知れないが、映画としてはつまらなかった。いや、宣伝なんだからお金を取っちゃだめだな。
公開年:2011年
公開国:カナダ
時 間:86分
監 督:ランドール・コール
出 演:ニック・スタール、ミア・カーシュナー、デヴォン・サワ、アーロン・エイブラムス、シャーロット・サリヴァン、クリスタ・ブリッジス 他
トロントの閑静な住宅街アレッタ通り388番地。ここに暮らす若い夫婦ジェームズとエイミー。ある日、いつものように車で出勤しようとした2人は、カーオーディオに身に覚えのないCDがセットされていたことで口論に。翌朝、妻は置き手紙を残して姿を消してしまう。その後も家では不可解な出来事が続き、やがてジェームズは自分が正体不明の何者かの標的となってしまったことに気づく。しかし警察は取り合ってくれず、次第に精神的に追い込まれていくジェームズだったが…。
ジェームズ(ニック・スタール)と美しい妻エイミー(ミア・カーシュナー)の若い夫婦は、トロントの高級住宅街アレッタ通り338番地の一軒家で、幸せに暮らしていた。ある朝、ジェームズは仕事に向かうため車に乗り込み、CDをかけると、聴いたこともない音楽が流れ始める。ジェームズは妻のイタズラだと思いエイミーを問い詰めるが、彼女は否定する。言い争いになり、ケンカ別れしたままジェームズが深夜に帰宅すると、「頭を冷やしたい」という書き置きを残して、エイミーはいなくなっていた。ジェームズは彼女の携帯に電話をかけるがつながらず、姉のキャサリンや友人たちも、誰もエイミーの行方を知らなかった。その日から、ジェームズが1人で暮らす家で不可解なことが起こり始めた。なついていた飼い猫が突然うなり始めたり、窓ガラスが割られたり、何度も無言電話がかかってくるようになり……。ジェームズは警察に通報するが、証拠不十分で取り合ってもらえない。それでも一連の出来事は収まることはなく、ついにジェームズの精神状態は極限に達する。憔悴したジェームズが自宅に戻ると、パソコンの電源が入っており、その画面に拘束されたエイミーの姿が映っていた……。
じわじわと追い詰められる様子は、さすが『CUBE』のヴィンチェンゾ・ナタリが製作総指揮をしているだけはあるな…と感じる。しかし、こういうビデオ画像をで本編を綴るという演出自体、新規性が薄い。さすがに霊の仕業ってこともないだろうから、なにかの陰謀か? 復讐か? と予想しながら眺め続ける。
たしかに主人公のジェームズはどんどん追い詰められていくのだが、どうも自分も同じサイドに立って追い詰められる感覚に浸ることができない。なぜなら、主人公のジェームズがクソ人間であることが判明してくことがわかるから。いや、はっきりとクソ人間だっていうならば、逆にジェームズの首がどんどん絞まっていく様を楽しむ方向で舵を切ればいいのだが、過去にひどいいじめをしていた…程度っていうのが微妙すぎて。
誘拐された妻も、微妙な性格というか、かなりイラっとさせるクソ女。その姉妹も頭ごなしに決め付けて話すクソ女。その夫も妻に同調するだけの無能。正直、観ている間、もうどうでもいいんだよなぁ…この人たち…って気分になる。
せめて、頭をガーンと打たれるようなオチを期待するわけだが…
(以下、完全にネタバレ注意)
結局、犯人が誰かは明かされない。そういう気持ちの悪い人(サイコキラーかな?)がいる…ということか。同様のことを今までも何度もやっている…という描写だったが、そういう設定にしたいなら、他の例も多かれ少なかれ描写しないと、しっくりこない。
犯人の正体がわからない…という点では『ソウ』なども同じ。どうやら、同僚の女性と深い仲だったことがある模様のジェームズ。その女の復讐か?と疑う様子もある。チラっとその女性がジェームズのパソコンを操作するシーンもあったので、犯人サイドか?とも思ったが。もし、シリーズ化されたなら、そういう依頼と犯人の性癖との利害が一致して…というオチもあり得る。
だけど、シリーズ化されるような、観客を惹き付ける力が本作のシナリオには無い。結局、犯人の正体が明かされることは永遠にないのかもしれない。
いや、なんだかんだ言って最後まで観たんだから、それなりに観所はあったんでしょ? と聞かれそうだが、そこまでの魅力は本作にはない。ここでやめたら、ブログを書くために別のを今から観るのが面倒くさいというネガティブな理由だけで最後まで観た。本当にそれだけ。
公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:120分
監 督:アントワーン・フークア
出 演:ジェラルド・バトラー、アーロン・エッカート、モーガン・フリーマン、アンジェラ・バセット、ロバート・フォスター、コール・ハウザー、フィンリー・ジェイコブセン、アシュレイ・ジャッド、メリッサ・レオ、ディラン・マクダーモット、ラダ・ミッチェル、リック・ユーン 他
コピー:必ず、救出する
アメリカ大統領のシークレット・サービス、マイケル・バニングは、事故に巻き込まれた大統領を救出する際、大統領の命を優先し、大統領夫人を救うことができなかった。以降、大統領付きの任務を外され、デスクワークを命じられる。それから2年たった7月4日。韓国大統領との会談中に、アジア系テロリスト集団の奇襲攻撃によって、ホワイトハウスが占拠される。現場のシークレットサービスは全滅し、大統領をはじめスタッフが人質となってしまう。急遽、トランブル下院議長が大統領代行に任命されるが、そこにテロリストから、日本海からの米国第七艦隊の撤収と核爆弾作動コードを教えろとの要求が入る。簡単に承諾できる内容ではないため、対策に窮していると、ホワイトハウス内部から緊急連絡が入る。それは、潜入に成功したマイケルからの通信だった。対策室はマイケルに一縷の希望を託すのだったが…というストーリー。
なんで独立記念日に韓国の大統領と会談するのか、まったく意味がわからん内容で、また韓国アゲのアホ演出かと思ったのだが、その後の展開を考えると、むしろ韓国は無能国家扱いの作品だった。第七艦隊と駐留軍を呼び戻せというテロリストの要求を受けての対策室の反応が、“非武装地帯から撤退したら72時間以内に韓国は制圧されてしまう!”だって。どんだけ韓国軍が弱いんだ。実際に在韓米軍が引き上げそうになってるこのタイミングで、さりげなくものすごくヒドいこと言っている。
いまさら、敵を北朝鮮にするのが根本的につまらないのだが(それは置いておくとして)、北朝鮮を悪者にしてるようにみえて、韓国が無能だってディスってるとしか思えない。
おまけに、「韓国を失って、核までも?!」なんというアホなセリフだろう。韓国ってアメリカのものだといわんばかり。まだ、北朝鮮側とアメリカが戦っているといわんばかり。休戦してるといってもアメリカが休戦しているわけではあるまい。この作品は、かなりアホだぞ(意図的なのか確信犯なのか、ものすごく微妙)。
かつて大統領のSPだった男が、偶然居合わせて、一発逆転の切り札になるんだけど、まったく容赦しないキャラクターで、なかなかおもしろい。ただ、大半のシーンが薄暗く、アクションシーンがわかりにくいのが玉に瑕。せめて、もうすこしコントラストをはっきりさせてほしかった。
大統領の息子の奪い合いがストーリーの軸にならなかった点は評価したい。実際の大統領スタッフがどんなもんかはわからないが、国家への忠誠心というのを、ストーリーの一つの軸にしたのがよかった。日本の官僚に本作を観せて、このシチュエーションになったら、同じようにテロリストの要求を拒否できるか?って確認したくなる。
単純な汚名返上モノといってしまえばそれだけの話なのだが、細かいことを気にせずに、軽い気持ちで楽しむにはちょうど良い内容。
公開年:2008年
公開国:イギリス、アメリカ
時 間:107分
監 督:マーティン・マクドナー
出 演:コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、レイフ・ファインズ、クレマンス・ポエジー、ジェレミー・レニエ、エリザベス・バーリントン、ジェリコ・イヴァネク、アンナ・マデリー、ジョーダン・プレンティス、テクラ・ルーテン、エリック・ゴドン、キアラン・ハインズ 他
受 賞:【2008年/第66回ゴールデン・グローブ】男優賞[コメディ/ミュージカル](コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン)
【2008年/第62回英国アカデミー賞】脚本賞(マーティン・マクドナー)
ロンドンで初仕事を終えた新人ヒットマンのレイ。その後、ボスの指示で、ベテランヒットマンのケンと一緒にベルギーのブルージュへ向う。二人は、ボスからの次の指示を待つことに。ケンがブルージュを楽しもうとする一方、レイの心は沈みがちに。レイの初仕事は、神父の殺害だったが、その場にいた子供を巻き込んで殺してしまったため、強い罪の指揮に苛まれていたのだ。それでも、なんとか気分を変えようとするレイは、街で出会った女性とデートに繰り出す。その間、ボスからの指示の電話を受けるケン。なんと、指令の内容は“レイを殺せ”というもの。ボスは、レイが謝って子供を殺害したことに激昂していたのだ。意を決したケンは、翌日、ボスの指示通りに仕事に使う銃を入手し、ホテルに戻るのだったが…というストーリー。
前半を退屈に感じる人は多いと思う。コメディにしたいのかな? と思った人もいるかも。でもそれは、後半のハードな展開の前フリ。
新人ヒットマンのレイは、いきなり子供を殺してしまったことで強く罪悪感に押しつぶされそうになっており、自殺まで考えている。そんなレイを間近でみているベテランのケンは、逆にこんな家業を続けていいのか、むしろレイのような感覚になるのが普通じゃないのか? と悩みはじめる。そんなレイを殺していいのか? 彼こそ救うべきじゃないのか?と。 一方、ボスはレイが子供を殺してしまったことが許せない。冷酷に見えるが、絶対に譲れない美学というかポリシーの持ち主。ケンがレイを殺すことに躊躇していることを知り、自ら、ポリシーを守りに出向く。
全員、殺し屋家業なんだから根本的に全員が間違ってるのだが、ある意味、全員が正しい。
この3人の思いがぶつかり合った先に何が残るのか。なかなかよく出来た脚本だと思う。
派手や作品への出演が多いコリン・ファレルだけど、本作は実に落ち着いた大人のドラマ。わかりやすいドンパチもないし、気を衒った演出もないが、見ごたえは十分。もっともっと評価されるべきだと思うのだが。日本未公開だったらしいのだが、ちょっと信じられない。
お薦めしたい一作。満足した。
公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:108分
監 督:ダニー・ボイル
出 演:キリアン・マーフィ、真田広之、ミシェル・ヨー、クリス・エヴァンス、ローズ・バーン、トロイ・ギャリティ、ベネディクト・ウォン、クリフ・カーティス、マーク・ストロング 他
コピー:2057年、人類は、太陽滅亡の危機を救えるのか?
危険で予測不可能な旅が始まる
2057年。太陽の活動が停滞し、地球上が凍りつき始め、人類は滅亡の危機に瀕していた。人類は、太陽を再生させるために核爆弾装置“ペイロード”を投下するミッションを発動。7年前に出発したイカロス1号は消息を断っており、今回は2号機。船長のカネダをはじめ、男女8人のエキスパートが乗り込み、膨大な光熱をシールド装置で防御しながら慎重に太陽へ接近していき、水星の軌道上に差し掛かろうとしていた。そんな中、失踪したイカロス1号からの救難信号が入る。ペイロードの専門家キャパは、イカロス1号に搭載されたもうひとつのペイロードを入手することで、ミッションの成功確率は向上すると主張。船長カネダはキャパの意見を採用しルートの変更を命じる。しかし、ルートを変更するとすぐに、イカロス2号は大きな衝撃に襲われ…というストーリー。
宇宙船という閉塞した空間。独特の時間の流れの中、1年前のイカロス1号から救難信号が出ているという不可解な出来事がおこり、複数の科学者たちが混乱していく…。惑星ソラリスという金字塔的作品を知っている人ならば、この世のものならざる何かと遭遇する展開になるのだろうな…と、頭をよぎらない人はいないだろう。
そういう展開にならなければならないで肩透かしを食らった気になるし、なったらなったで、やっぱりそうか…となってしまう。ある意味、どっちに転がっても良くはならないという、八方塞りなシナリオ。そのくせ、どっちに転がるのか、中途半端にもったいぶっているため、ピンチをどうやって切り抜けるか? というドキドキに素直に集中できないという、悪影響まで生んでいる。早々に詰んでいる作品だといえる。
滅びゆく地球という設定なのだが、宇宙船内なので、その様子は伺い知れない。最後にちょろっと地球の様子が出てくるのだが、それほどヒドい状況には見えなかった。地球がヒドい状況であることを“焦り”“判断ミス”の説得力に繋げるという手があったと思うが、呑気にメールをおくっているシーンが、緊迫感を削いでいる。
それを補うように、代わり映えのしない船内をスリリングなカット割りで表現するなど、興味を持続する工夫は随所にみられる。ダニー・ボイルの努力は評価に値すると思う。でも、全シーン薄暗くて、日中、観ると、何が繰り広げられてるのか、さっぱりわかないので、要注意。
でも、やっぱり脚本がダメだね。『28日後…』でも、ダニー・ボイルとコンビだった脚本家なんだけど。
終盤で、イカロス1号の乗組員の所業に話が集約されていくのだが、なぜそいつが2号のミッションを妨害しようとするのか、さっぱりわからず仕舞いで終わるのが、致命的かも。
別に日本人贔屓するわけじゃないけど、真田広之演じる船長を、もう少しうまく使えなかったものか…とも思う。使い勝手のあるキャラクターだと思うんだけど。
駄作といわれても否定できない。
#宇宙空間に投げ出されたら即死じゃねーの?という疑問が湧くと思うが、意外にあんなもんだと思う。
公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:89分
監 督:ケネス・ブラナー
出 演:イケル・ケイン、ジュード・ロウ 他
コピー:男の嫉妬は世界を滅ぼす。
ベストセラー推理小説家アンドリュー・ワイクが暮らすロンドンの豪邸。そこに、若い俳優マイロ・ティンドルが訪れる。彼は、ワイクの妻マギーの浮気相手で、ワイクにマギーと離婚するように説得に来たのだ。彼の来訪の目的は百も承知のワイクは、にこやかに彼を招き入れる。さっそく説得を開始したティンドルだったが、のらりくらりと話をそらし、世間話に終始するワイクにイラ立ちを覚える。離婚に応じるつもりが無さそうだと感じたティンドルは、ワイクの自尊心を傷つけようと悪口雑言を浴びせかけるのだが、ワイクが思いもよらない提案をを持ちかけてきて、面食らってしまう。ワイクは、売れない俳優では収入もないだろうから、この屋敷にあるマギーの宝石を盗んで売ればいいという。実は金使いの荒い妻とは離婚がしたいワイクには宝石にかけている保険が入るし、ティンドルには宝石とマギーが手に入り、両者とも得をするというのだ。取引に乗ったティンドルは、ワイクの指示したがって金庫の扉を開けるのだったが、その時、ワイクがティンドルに銃を向けて…というストーリー。
1972年製の『探偵<スルース>』を観たかったんだけど、無かったのでリメイク版である本作を。二人劇&室内劇(元々は舞台劇とのこと)。
3場面あって上のあらすじは1場面目(というか第1ラウンド)。老獪なワイクが、小憎らしい若い愛人をとっちめてやろうと、口八丁手八丁で硬軟織り交ぜながら追い詰めていく。じゃあ、ティンドルがかわいそう…って気持ちになるかと言われればそんなことはなく、簡単に尻馬に乗っちゃう軽率さにあきれてしまう。ワイクがどうであれ、人妻と知りながら付き合っているクズであることには変わらない。むしろワイク側の仕掛けを愉しんだ観客のほうが多いだろう。
まあ、屑人間同士がペチペチなぐり合っているのを眺めている感じ。
(以下ネタバレ)
さて、第1ラウンドはワイクの勝利(?)で終わるが、さて、次は?
刑事が屋敷を訪れ、お前ティンドルを殺しただろ! とワイクを責める展開に。本作が二人劇であることを知っている場合、もちろんこの刑事がティンドルであることは明白だったりする。ティンドルが役者でることが、第1ラウンドでしつこく語られてるしねぇ。とにかく刑事はワイクを追い詰めていくが、そりゃあ刑事に銃を向けられりゃぁ誰でも狼狽もするだろう。正体を明かした後も、ワイクをいたぶり続けるティンドル。よっぽど空砲で気絶したことが屈辱だった模様。これで1対1だ!とティンドルはいうが、本当にそうかは甚だ疑問だけど。
で、なし崩しで第3ラウンドに突入するが、なにやら訳の分からない展開に。ワイクの懐柔に始まり、何故かホモっぽい展開に。なんじゃこりゃ。
説明はしないが、結果的にかなり後味の悪い終わり方。
役者としても監督としても、一流といって良いであろうケネス・ブラナーだが、本作はちょっとねぇ。リメイクされるぐらいなので、元作品は良いんだろう。やっぱり探して観ることにしよう。
公開年:1974年
公開国:アメリカ
時 間:103分
監 督:アラン・J・パクラ
出 演:ウォーレン・ベイティ、ウィリアム・ダニエルズ、ヒューム・クローニン、ステイシー・キーチ・Sr、ポーラ・プレンティス 他
受 賞:【1957年/第3回アボリアッツ・ファンタスティック映画祭】批評家賞
コピー:要人暗殺が平然と行われている現代アメリカ! 秘密組織『パララックス』から黒い影が伸びたとき……目撃者は消され証拠は消えていく!
次期大統領候補と目されるキャロル上院議員が狙撃される。事故調査委員会は、狂信的愛国者の単独犯行と断定し、調査は終結する。それから3年。ロサンゼルスの地方紙の新聞記者ジョー・フラディの所に、元恋人のリー・カーターがやってくる。彼女はジャーナリストで、3年前のキャロル上院議員が暗殺の現場にいた人物。リーは、彼女と同様に現場にいた6人の人物が不慮の事故や不自然な病気で、相次いで死亡していることに恐怖を覚えていた。あまり良い別れ方をしなかったせいもあり、私も殺されるという彼女をジョーは一笑に付す。しかし数日後、リーは遺体となって発見される。死因は睡眠薬の飲みすぎということだったが、あまりにも不自然だったために、ジョーは独自に調査を開始する。彼女と同様に現場にいた判事が、とある町の谷川で溺死したことを知った彼は、その町を訪ねるのだったが…というストーリー。
水面下で進行する陰謀に立ち向かう男のお話。静かな緊迫感を漂わせた、渋い大人のサスペンスって感じ。
何やら闇の作戦を進めている会社の名前が“パララックス”なんだけど、タイトルの“パララックス・ビュー”っていうのは複数の視点、つまり見方によって見えてくるものが違う…ていう意味なんだろうね。公式発表における犯行の動機は別にして、外面的な事実は、新聞で伝えられている通りで、ウソがあるわけではない。でも、散発的な事件の点を繋げると、何か別なモノが見えてくる…ということか。
別に直近で死んだ元彼女に、強い思いがあったわけではなくて、純粋に記者魂に火がついたって感じ。私怨で動いているわけじゃないのが良い感じ。
正義感と強い好奇心は理解できるが、さすがに一人で(おそらく)巨大であろう組織に立ち向かっていく恐ろしさは半端ない。この手の作品の主人公が、はみだし者なのはお約束。守るべきものがない強さが如何なく発揮されるのは心地よい。
(ちょっとネタバレ)
彼が、事件現場にいた人間ではないからなのか、結構スルスルとパララックスの内部に食い込むことができる。といっても、暗殺者候補として見出されるわけだが…。このパララックステストなるものが、その人間の暗殺者としての素養と、“ロボット”になる素養を同時に診断するもので、地味に気持ちが悪い。ある意味、『ゾンビ』とは違う方向性ではあるが、“大衆の恐怖”をテーマにして昇華した作品なのかな…と(“気付かない大衆”“踊らされる大衆”という意味で)。
#後に、『クライシス・オブ・アメリカ』なんて作品も作られるし、陰謀&暗殺マシーンってのは、一つの様式美だな。
暗殺者候補として見出されるといっても、もちろんジョーの作戦。正気の彼は、パララックスの陰謀を、小さな抵抗ながらも綱渡りのようにしてブロックし、被害を最小限に食い止めていく。なかなかのヒーローっぷりに興奮するとともに、何がおこるのかはわからないけど、とりあえずできることはやる…という、ある意味自暴自棄ともいえる勇気に寒気すら覚えるほど。
#昔は、飛行機に乗ってからチケット買えたんだな。まさにエアバス。
もしかして、編集長もあっちサイド? なんて思ったりもしたが、まあ、そこは程よいミスリードだったかな。
で、凡作ならば、巨悪を倒すか、そこまではいかなくとも爪痕は残す…という終わり方になると思うのだが、実に虚無感や絶望感が漂うラストが待っている。まったく救いがないんだけど、そう悪くない絶望感かな。良作だと思う。
ただ、すっかり観終わって、後で振り返ると、なんで上院議員暗殺の現場にいた人が殺されていくのが理由がさっぱりわからなかったりするんだよね。彼らは真犯人の何かを知っていたわけでは無さそうだし、事件の真相を究明しようとしたわけでも無さそうなんだよなぁ(笑)。あれ、そこはツッコんじゃダメなのかな?
公開年:1955年
公開国:アメリカ
時 間:79分
監 督:チャールズ・ロートン
出 演:ロバート・ミッチャム、シェリー・ウィンタース ウィラ・ハーパー、リリアン・ギッシュ、イヴリン・ヴァーデン、ピーター・グレイヴス、ドン・ベドー、ビリー・チャピン、サリー・ジェーン・ブルース、グロリア・カスティロ 他
受 賞:【1992年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品
1930年代、ウェストバージニア州。ベン・ハーパーという男が、困窮する生活から家族を救うために銀行強盗をする。1万ドルを強奪し、殺人まで犯してしまう。警察の追跡を掻い潜り、家族の元にやってきたベンは、強奪した1万ドルをとあるところに隠し、隠し場所を息子のジョンと娘のパールに告げる。自分たちの将来のために使うように…と。やがて、ベンは家族の目の前で警察に逮捕されてしまう。その後、強盗殺人の罪で死刑判決を受けるたが、1万ドルの行方は判らないまま。刑務所に収監されているとき、車両窃盗の罪で収監されている偽伝道師のハリー・パウエルと出会う。ハリーは、ベンの寝言から1万ドルに在り処を家族が知っていると踏み、釈放されるとすぐにベンの家族が住むクリーサップの街を訪れる。しかし、ベンはただの偽伝道師ではなく、神の名の下に未亡人たちを殺害し金品を奪う手口の連続殺人犯だった…というストーリー。
1955年作品と考えると、実に洗練された作品だと感じる。今観てもそれほど古臭さいとは思わなかった。
偽伝道師ベンのキャラクターが強烈。フロイト的な意味で、性的な何らかのコンプレックスを原因として、(自分の価値観の上で)不浄な未亡人を殺害する男。あわせて、金への執着もすごい。相当な倒錯ぶりに加えて、両手の指に「L O V E」と「H A T E」と刺青を入れているというインパクトのある特徴。それを使って、善と悪の戦いを説教するのだが、敬虔な信者であればあるほど信じてしまうという不思議さよ。
口八丁手八丁なだけでなく、目的を果たすために淡々と行動できる様子は、『ノーカントリー』でハビエル・バルデム演じる殺し屋アントン・シガーにも通ずる。
街の人も騙される。ベンの妻ウィラも騙される。何を言っても信じてもらえない、自分だけが気付いているという、遺児ジョンの恐怖。いざ、ハリーが牙を剥きはじめ、逃亡するわけだが、何かあったら俺を頼れといっていたジジィが、ポンコツ酔っ払いえ頼りにならないという子供にとっては、圧倒的な絶望感。そして、危機一髪ですり抜ける、遺児ジョンとパールのサバイバル具合が、実にスリリング。
断言は難しいのだが、最後にジョンとパールを救うおばさんの所に前からいた、年長の少女。この少女がハリーに騙さる。犯行が明白になったあとも好意的な発言と繰り返す。さらに、パールもハリーに懐いているという状況に、引っ掛かりを感じる。犯罪者ハリーの人格形成に“女性”が関わっているのは大いに予想がつくが、彼女たちの行動から、“女性”の感情の恐ろしさを表現しているように思えてならない。
終盤は、これまでハリーを信じていた町の人々が、騙された悔しさからなのか、暴動まで起こすカオス状態になる。大衆の危うさを表現しているのだろうが、ここでも一番扇動するのは、女性だったりする。
影に潜む“女性”というテーマが見えてくると、面白さが倍増する作品。秀作。
#私事だが、この作品を、飛行機の中で観ていたら、隣に座った人の左手の指に「L O V E」の刺青が…。こんな偶然あるかね。右手に「H A T E」はなかったけど。オレが追いかけられてるのかと思ったわ…。
公開年:1980年
公開国:アメリカ
時 間:105分
監 督:ブライアン・デ・パルマ
出 演:マイケル・ケイン、ナンシー・アレン、アンジー・ディキンソン、キース・ゴードン、デニス・フランツ、デヴィッド・マーグリーズ、ブランドン・マガート 他
ノミネート:【1980年/第1回ラジー賞】ワースト主演男優賞(マイケル・ケイン『アイランド』の演技も併せて)、ワースト主演女優賞(ナンシー・アレン)、ワースト監督賞(ブライアン・デ・パルマ)
夫マイクとの性生活に不満を抱えているケイト。時々、たくましい男性の襲われる夢を見るまでになり、精神分析医エリオットのカウンセリングを受けている。彼女にはピーターという息子がいたが、コンピューターの開発に没頭しており、彼女とは逆に性欲とは無縁の存在だった。ある日、ケイトはカウンセリングの帰りに美術館を訪れる。そこで出会った男性が挑発的にケイトを誘うと、彼女もそれに応え、タクシーの中で情事を交わした後、男のアパートへ向かうのだった。ケイトが男の部屋で目覚めると、男の姿はなかった。彼女は立ち去る前に男にメッセージを残すが、男の正体を知りたくなり机を物色。一通の診断書が目に留まり内容を確認すると、男が性病に犯されていることを知ってしまう。慌てて部屋を出るが、指輪を部屋に忘れてしまったことに気付き、再びエレベータで戻ろうとする。扉が開いた瞬間、彼女は何者かにナイフで切り付けられ、惨殺されてしまうのだった。ちょうどその時、エレベータを待っていた若い女性リズは、ケイト死体を発見。エレベータの防犯鏡に映った犯人らしいブロンドの女性を目撃する。その後、リズは刑事マリノの取り調べを受けるが、彼女が娼婦であったことから、証言が信用してもらえず…というストーリー。
輝く第1回ラジー賞に多々ノミネートされているが、マイケル・ケインやナンシー・アレンの演技がそれほど悪いか?と疑問。脚本とかを貶しているなら判らんでもないが、トンデモな部分を演じているからとって、2人の演技自体に問題があるわけじゃない(もう、初回からラジー賞って的外れなのがよくわかる)。いや、むしろマイケル・ケインの演技なんか、良い評価をされてもいいくらいだ。
画質やらヌードやら、デ・パルマらしさも出しつつ、とっつきにくさは軽減されているから、監督の仕事だって悪くない。
脚本だって大筋はいいデキだと思う。特に頭の方は素晴らしいかと。官能作品かと思わせておいて、サスペンス展開に。と、見せかけて中年の性問題に流れて、危険な情事モノとなり、性病が発覚し家族トラブル物になるのか?と予想させながら、一気にサスペンスに揺り戻す。観客の予測を小さく裏切り、ある意味パラダイムシフトを断続的に起すという高度なテクニックだと思う。
え? トンデモシーンで何かって?
(ネタバレ)
マイケル・ケインの女装と、ナンシー・アレンの夢オチでしょ。前者は女装自体に問題があるわけじゃない。むしろ、マイケル・ケインがそんなことやるか? という固定観念の裏をかいたい良い演出。キャスティングでミスリードするなんて、高度だと思う。ただ、それに加えて、性同一性障害と二重人格という、都合のよい設定が、興醒めさせてくれるだけ。本作での性同一性障害の表現には問題があると思うので、おそらく地上派では放送されないような気もする。
どう考えても、そのままエリオットが暴走してクライマックスに向かうんだろうな…と観客の誰しもが思っただろう。しかし、それを夢オチという下品な手段で萎ませた罪は大きい。スカすならスカすで、もうちょっとやり方があったように思える。
良作だったんだけど、最後の最後で凡作に。ま、脚本はデ・パルマが書いてるので、彼の責任なんだけどね(笑)。
#『サイコ』のオマージュか(パクりか)? とよく話題になるが、私は特に気にならなかった…というかそうは思わなかった。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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