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公開年:2010年
公開国:日本、カナダ
時 間:109分
監 督:荻上直子
出 演:アレックス・ハウス、タチアナ・マズラニー、デヴィッド・レンドル、サチ・パーカー、もたいまさこ 他
コピー:「みんな、ホントウの自分で、おやんなさい」
引きこもりの兄モーリー、オタクの弟レイ、気の強い妹のリサの3兄妹は、日本人の母を亡くしてしまう。家には亡くなる直前に日本から呼び寄せた祖母“ばーちゃん”がいたが、彼女は英語が話せないため、3兄妹とコミュニケーションをとることが難しい。弟レイは研究室勤務で一人暮らしをしていたが、アパートが火事になってしまったため、他の兄弟とばーちゃんが住む実家で同居することに。トイレが異常に長く、出てくると何故か必ず深いため息をつくばーちゃんだったが、徐々に3兄妹と心を通わせはじめ…というストーリー。
荻上直子監督は、独特なゆるい空気感の『かもめ食堂』でスマッシュヒットを飛ばし、それこそ“おいしそう”ブームをつくったわけだが、続く『めがね』でも、変わり映えのしない作品と作ってしまい、私の中では評価がダダ下がり。次の監督作品こを正念場だと指摘していたが、さてどうなったか。
北欧や南の島などの、いかにもゆるゆるな舞台ではなく、日常社会の北米に(アメリカなんだかカナダなんだかよくわからんけどね)。そして主役の兄弟たちの配役も欧米人。そのアプリローチはよしとしよう。
しかし、3兄弟という設定は『ダージリン急行』を、血の繋がっていない兄弟という設定も『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』をあからさまに想起させ、オマージュとかそんなレベルではない。なんでこんなことをしたのか意味不明。
そこに、すし・アニメ・焼き餃子・エアギター・ひきこもり・ウォシュレットと、現代の日本らしさをぐちゃぐちゃと放り込んでみる。
まるで、アマチュアのシナリオライターが思いつくようなコンセプトである。あまりにベタベタすぎて、自らハードルを上げたようなもの。当然それを越えて来るんだろうと思ったのだが、完全にハードルの下を走り抜けちゃった。それなりにまとめあげたことは評価できなくもないが、なんでわざわざこんなことしてるのか、よくわからん。そんな感じ。
この監督は、自分に制限をかけて映画を作らねばいけないのではなかろうか。
①おいしそうな食べ物でごまかさない。
②奇を衒った行動でごかまさない。
③三谷幸喜作品に出てくるような俳優を使用しない。
何回つくっても同じような物しかできないなら、今後は同好会活動として映画をお撮りにになるか、これまでの3作を思い出にしてメガホンを置くことをお考えになられたほうがよい。そして、後輩のためにそのメガホンを手渡したほうが日本映画界のためになるだろう。残念ながら、別に観なくて良い。ウェス・アンダーソンのファンとしては、どうも鼻につく。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:イギリス
時 間:112分
監 督:マイケル・アプテッド
出 演:ジョージー・ヘンリー、スキャンダー・ケインズ、ウィル・ポールター、ベン・バーンズ、ティルダ・スウィントン、ローラ・ブレント、ゲイリー・スウィート、テリー・ノリス、ブルース・スペンス、アナ・ポップルウェル、ウィリアム・モーズリー、シェーン・ランギ、アーサー・エンジェル、アラベラ・モートン、レイチェル・ブレイクリー、スティーヴン・ルーク、ナサニエル・パーカー、ロイ・ビリング、ビリー・ブラウン、ニール・ヤング、グレッグ・ポップルトン、ニコラス・ニールド、ロン・ケリー、ルーカス・ロス、リーアム・ニーソン、サイモン・ペッグ 他
ノミネート:【2010年/第68回ゴールデン・グローブ】歌曲賞 (Hillary Lindsey、David Hodges、Carrie Underwood“There's A Place For Us”)
コピー:誰も知らないナルニアへ。
兄ピーターと姉スーザンが両親と共にアメリカへ滞在することなったが、エドマンドとルーシーは、いとこのユースチスの家に預けられることになってしまう。ある日、壁に掛けられた帆船の絵が動き出し、彼らと従兄弟のユースチスは絵の中に吸い込まれてしまう。絵の先はナルニアの海。溺れかけた3人はナルニアの王となったカスピアン達が乗る船“朝びらき丸”救われる。朝びらき丸の一行は、カスピアンの亡き父の友人である7人の貴族を見つけるため、彼らが消息を絶った島を目指していた。やがて、父王が7人の貴族与えた剣を東方の島にあるアスランのテーブルに並べると、悪の魔法を取り払うことができることを知るのだが、彼らの行く手には不気味な霧と悪が立ちはだかり…というストーリー。
第2章の段階で、第1章の魅力的な雰囲気をすっかり壊してしまうという、愚作をやらかしてしまったシリーズなのだが、なんとディズニーが撤退することに。途中でシリーズを投げ出すなんてそんなことあるのか…とビックリ仰天。スタッフはほぼそのままにFOXに引き継がれた本作は、さていかなるデキか。
これまでよりも冒険譚的なテイストに溢れていて、その点は評価できる。ただ、海洋冒険譚は『パイレーツ・オブ・カリビアン』とダブる。特に、最後の海蛇との戦いはクラーケンとのバトルが頭をよぎる(というか、それよりダウンスケールした感じ)。
#もしかして、これがディズニーが撤退した理由だったりして。
このお話自体、エドマンド・ルーシー・ユースチスが誘惑に負けて自分を見失ってしまうことが、一つのテーマになっているのだが、観ているこっち側も、何で彼らは旅をしているのか、今とりあえず求めているものが最終目的とどう関わるのを、見失ってしまうという、まるで壮大な謎かけをされたような気分。要所要所のメリハリに欠けるので、子供は早々に飽きると思う。
「おお!海蛇きもちわりー」「ドラゴンがんばれー」「…あれ、なんでこの子ら闘ってるんだけ?」って感じ。ラストシーンも、「ん、ん?最終目的ってこの浜辺にくること?この波の向こうにいくこと?ネズミがいっちゃうことって何の隠喩?」と、漂流しまくりである。
最後の戦いも、次男の精神世界の戦いというか、カウンセリング治療みたいな感じがして、しっくりこないしね。
#この、「誘惑に負けちゃだめよ」ってのがキリスト教臭いところなのね。
今回は長男・長女は登場しなくって、そして、もう君達もすっかり成長しちゃったからこれで最後ね…と、ピーターパンばりの卒業宣言をさらっとしちゃうアスラン。
同キャストによるシリーズ化にも、ちょっと限界がきていて、長女(アナ・ポップルウェル)が美人のアイコンってのが無理があり過ぎる(元からかわいくないが劣化しすぎ)。末っ子のほうが明らかにかわいい。
はじめはいけ好かないが、最後には好感度が増す役ってのは『リトル・ランボーズ』とまったく一緒だったウィル・ポールター。彼には、是非ともロン・パールマンみたいな役者に成長してもらいたいのだが、はたして彼一人で第4章“銀のいす"を担うことができるか否か。どうも、本作で終止符を打ちたいというFOXの意向が見える気がしてならないが。
とりあえず第2章まで観た人は、お付き合いで本作も観るしかなかろう。そして一旦、このシリーズに心の中で終止符を打つと。ただし、旧作料金になってからでよいと思う(これだけ第2章から時間が空いてるんだから、そのくらい待っても大丈夫でしょ)。新作料金で観るほどの価値はないよ。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:日本
時 間:138分
監 督:山崎貴
出 演:木村拓哉、黒木メイサ、柳葉敏郎、緒形直人、池内博之、マイコ、矢柴俊博、波岡一喜、斎藤工、三浦貴大、大和田健介、原田佳奈、石川紗彩、佐々木一平、沢井美優、杉浦文紀、上野なつひ、東海林愛美、松本まりか、南圭介、浅利陽介、田中要次、須田邦裕、飯田基祐、二階堂智、藤田弓子、堤真一、高島礼子、橋爪功、西田敏行、山崎努、緒方賢一、上田みゆき、伊武雅刀 他
2194年。地球は突如出現した謎の異星人“ガミラス”の攻撃により滅亡の危機に瀕していた。人類は全力で防衛するものの、遊星爆弾による攻撃で海は干上がり、放射能の影響で生物の大半は死滅してしまう。わずかに生き残った人々は地下都市を建設し攻撃に耐えていた。ある日、はるか14万8千光年先の惑星・イスカンダルからのメッセージカプセルが地球に落下。カプセルには、波動エンジンの設計図とイスカンダルの正確な座標情報が示されていた。地球防衛軍はそれらの情報に加えて、彼らには放射能除去装置を渡す意思があると発表。これを人類最後の希望として、宇宙戦艦ヤマトはイスカンダルへと旅立つ…というストーリー。
SFのアニメの金字塔みたいなことを言われているけれど、実のところ元のアニメ版ってSFとしてはむちゃくちゃだし、根本的にそんなに面白いわけでもない。原作に忠実になればなるほど、つまらなくなるのは目に見えているので、これをどれだけ崩しつつ、かつ外れすぎないか…が勝負どころ。
森雪をブラックタイガー隊にしたり、佐渡先生を女医にしたりと、いろいろ試みてはいるけど、そこの効果はイマイチ。正直、どうでもよくって、別に良い効果も悪い効果もない。沖田艦長もどっちかというと土方艦長に見えるけど、それもどうでもよい。アナライザーの扱いも艦内をちょろちょろされても意味はなかっただろうからアレでよかったと思う。
ただ、相原さんを梅酒のお姉さんにしたセンスだけは認める。その1点だけであの職場で是非働いてみたい気持ちになった(笑)。
はっきりいってクソみたいなカメラアングルでどうしようもないのと、木村拓哉と柳葉敏郎の演技が他の作品とまったく同じことを除けば、前半50分まで、なかなか満足のいくデキだったと思う(いい崩し方だった)。しかし、ガミラス星に近づいたあたりからガラガラと崩れるようにつまらなくなる。
話が淡々と流れすぎでいるのに加え、描写しないといけないシーンが端折られている。最後の戦闘シーンなど、もうちょっと丁寧に描かないとダメだろう。“ヤマト”が全然闘っていないのよ(←わかるかなぁ、この感覚)。
ガミラスとイスカンダルが、アニメ版のように人間体でないことは良しとしても、放射能除去装置のくだりがふわふわしすぎててよくわからん(アバターじゃねーんだから)。やっぱり“何か目に見えるもの”を必死に持ち帰らんといけなかったのではなかろうか。
最後も玉砕するだけじゃなく、なにかヒネリがほしかった。シナリオが力尽きた感じがして、どうにもがっかりさせられる。
古代と雪の間に子供ができるくだりは不要。激戦のさなかに子作りしてたと思うと醒めるわ。最後は雪が一人で復活しつつある地球に佇んでいるだけでよかろうが。
#最後は、エアロスミスじゃなくって、「真っ赤なスカーフ」がマッチするようなシーンにしてほしかったし。
はっきりいって、アメリカのSF作品の影響(というかパクり)は、大目に見る。同様の技術を駆使することができるという、日本映画界の技術レベルに対する、最低ラインの安心感を得られた…という意味においては。でも、お薦めはしない。本当に後半がどうしようもない。
#まあ『キャシャーン』よりはよし。『ヤッターマン』といい勝負ってところかな。
負けるな日本
公開年:2007年
公開国:イスラエル、フランス
時 間:87分
監 督:エラン・コリリン
出 演:サッソン・ガーベイ、ロニ・エルカベッツ、サーレフ・バクリ、カリファ・ナトゥール 他
受 賞:【2007年/第20回ヨーロッパ映画賞】男優賞(サッソン・ガーベイ)、ディスカバリー賞(エラン・コリリン)
【2007年/第20回東京国際映画祭】東京サクラグランプリ
コピー:エジプトからやってきた音楽隊が届けたものは、人が恋しくて、家族が大切で、そんな当たり前のことが大事に思える素敵な夜でした。
カンヌの審査員も一目惚れした、平和と希望の物語
イスラエルに新設されたアラブ文化センターに招かれたエジプトの警察音楽隊。イスラエルの空港に降り立つが、手違いで空港に迎えが着ておらず、自力で目的地に向かうことに。彼らの乗ったバスはネゲヴ砂漠近くのホテルもすらない辺境の町に到着。途方に暮れた一行は、食堂の女主人ディナに助けを求める。音楽隊は3組に分かれ、食堂、ディナの家、食堂の常連客イツィクの家にて一夜を過ごすことになり…というストーリー。
一応コメディってことだけど、ガハハと笑うようなコメディではない。
舞台になった時代は1990年代くらいだと思うので、比較的、アラブとイスラエルの雰囲気はよかった頃かな。だから、ぎくしゃくはするだろうけど個人レベルでそれほどいがみ合わないのは、それほど不思議ではないと。とはいえ、ここまで政治色が皆無という肩透かし。その代わりに、人間って寂しい生き物で、満たされてることのほうが少なくって…なんか寂しくなるようなことを突きつけちゃう。
ディナが「あの家族の父親は私の浮気相手」なんて話を聞かされてもトゥフィークは戸惑うだけ。一方トゥフィークは真摯に音楽への気持ちを語る。二人の会話は全然かみ合っていないんだけど、なんだかよくわからないにせよお互いが持っているであろう“寂しさ”っていう共通点で成立しちゃう時間。
変なとこでシンパシー感じてんじゃねーよって言われそうだけど、最後のほうで、夜中になにげに目覚めてみてたら、さっきまで一緒に飲みながら色々話していた姉ちゃんがやらかしてるのを見たときのトゥフィークの表情。いとおしいとか大事にしたいと思う気持ちが、簡単に性欲とか遺伝子的魅力に負けてしまう切なさとか、元々何か生まれると思ってたわけじゃなかろうし別にいいじゃないか、それで彼女の寂しさが紛れるならさ…とかとか、いろいろ混ざった顔。
#でも、きちんと仕事しねえ若造には、イラっときちゃう男心。
毎週イスラエル家庭ではアラブ映画は放送されていた…なんて、イスラエルにとってアラブ文化が遠いものでは無かったなんて、ちょっと目からウロコというか、勉強になったし。良作。軽くお薦め。
#カンヌの審査員も一目惚れした…なんてどうでもいいわ。カンヌがなんぼのもんじゃい。
負けるな日本
公開年:2002年
公開国:アメリカ
時 間:141分
監 督:スティーヴン・スピルバーグ
出 演:レオナルド・ディカプリオ、トム・ハンクス、クリストファー・ウォーケン、マーティン・シーン、ナタリー・バイ、エイミー・アダムス、ジェニファー・ガーナー、フランク・ジョン・ヒューズ、ブライアン・ホウ、ジェームズ・ブローリン、スティーヴ・イースティン、エリザベス・バンクス、エレン・ポンピオ、ナンシー・レネハン、リリアン・ショーヴァン、エイミー・アッカー 他
受 賞:【2002年/第37回全米批評家協会賞】助演男優賞(クリストファー・ウォーケン)
【2002年/第56回英国アカデミー賞】助演男優賞(クリストファー・ウォーケン)
【2002年/第8回放送映画批評家協会賞】監督賞(スティーヴン・スピルバーグ「マイノリティ・リポート」に対しても)、音楽賞(ジョン・ウィリアムズ「ハリー・ポッターと秘密の部屋」「マイノリティ・リポート」に対しても)
コピー:本物の偽者<にせもの>を描いた真実のドラマ。
高校生のフランク・アバグネイル・Jrは尊敬する父が母と離婚すると聞き、ショックで家を飛び出す。しかし、すぐにお金が底を尽きたため、生きるために小切手の偽造で詐欺を働くようになる。初めは失敗を繰り返したが、パンナムのパイロットに成りすます手口を発見してから、面白いように成功するようになる。さらに偽造の手口は巧妙になり、巨額の資金を手に入れることに成功する。一方、巨額小切手偽造詐欺事件を捜査していたFBI捜査官カール・ハンラティは、巧みな手口を一つ一つ解明し、徐々に犯人に迫っていく…というストーリー。
数ある実話物の映画の中で、私が一番おもしろいと思っている作品。これまで何回か観ている。おもしろい作品というか、こんな映画のような人間が実在したということに、鳥肌が立つ…といったほうが正確かも。
この線でやると決めた後の、フランクの割り切りと実行力が半端じゃない。マイアミの空港での切り抜け方は、これが実話だと思うと腰が砕けそうになるね。
親の離婚によって居所を失った少年が、天賦の才能を持ち合わせていたばっかりに、その満たされない心を犯罪という方向で爆発させてしまった、とんでもない事例。その天才ぶりは、司法試験を簡単にパスしちゃったことからも明白なんだけど、まあ常人とは脳の構造が違う人、それこそサバン症候群クラスの脳の持ち主なんだろうね。
ラストは、泥棒をスカウトして泥棒対策のコンサルタントにするようなものだがら、日本の公的機関じゃ絶対にやらないことをやっちゃうFBIの実利主義にも頭が下がる(まあ、人様の命を殺めたわけじゃないからね)。
#トム・ハンクス演じるハンラティは架空の人物らしいけど。
こんな形で自分の居所を見つけてしまう、それも捕まえた側が手を差し伸べるなんて、なんてスケールのでかい自分探しの旅なんだろう。
ディカプリオの演技もなかなのものだと思うんだけど、受賞していない。なんなんだ、この人の賞の縁の無さって。欧米の人から見るとどうしても引っかかる何かがあるのかな。
とにかく娯楽映画として満点に近いと思うし、実話だというスパイスが加わることでK点超え必至の作品。地味にコンスタントにTV放映されているので観た人は多いと思うけど、もし未見の人がいたら、是非観るべきだと思う。強くお薦め。
負けるな日本
公開年:2008年
公開国:アメリカ、ドイツ
時 間:124分
監 督:スティーヴン・ダルドリー
出 演:ケイト・ウィンスレット、レイフ・ファインズ、デヴィッド・クロス、レナ・オリン、アレクサンドラ・マリア・ララ、ブルーノ・ガンツ 他
受 賞:【2008年/第81回アカデミー賞】主演女優賞(ケイト・ウィンスレット)
【2008年/第66回ゴールデン・グローブ】助演女優賞(ケイト・ウィンスレット)
【2008年/第62回英国アカデミー賞】主演女優賞(ケイト・ウィンスレット)
【2009年/第22回ヨーロッパ映画賞】女優賞(ケイト・ウィンスレット)
【2008年/第14回放送映画批評家協会賞】助演女優賞(ケイト・ウィンスレット)
コピー: 愛は本に託された
1958年のドイツ。15歳のミヒャエルは気分が悪かった自分を助けてくれた偶然出会った21歳も年上の女性ハンナと知り合う。病気から快復した後、毎日のように彼女のアパートに通い、いつしか男女の関係に。やがて、ハンナはミヒャエルが読書好きであることを知り、本の朗読を頼むようになる。だがある日、ハンナは勤務していた市鉄で事務職に昇進することになり、それを境にミヒャエルの前から姿を消してしまう。8年後、ハイデルベルク大学の法科習生となったミヒャエルは、ナチスの戦犯の裁判を傍聴する。そしてその被告席に座るハンナの姿を見つけるのだった…というストーリー。
実は、中断につぐ中断で観終わるまでに数ヶ月掛かっている。なんでかというと、電車で観ていたので、あからさまなヌードシーンで周りの目が気になったから。これを、不必要なヌードシーンという人もいるようだが、私は必然性のあるヌードだと思う。変に隠したりすると、不必要に隠微な感じが増幅されたり、二人の間の感情が“愛”のように見えてしまう。それは絶対に避けるべきだと思うので、赤裸々な描写で正解だろう。
(以下、ネタバレ)
重罰になる可能性すら甘受するほど、文盲であることを恥じるバックボーンというか精神構造が見えないのだが、そこは慮るしかない。まあ、保釈直前のミヒャエルとハンナの会話を聞く限り、ハンナが普通の思考ロジックとか感情とは逸脱している様子は見てとれる。自分が情を交わした相手だからというよりも、人間として欠けた何かを見つけてしまったミヒャエルの悲しみは、私は良くわかる。愛を傾けている人なのに、決定的に分かり合えないことが判ったことの苦痛。それでも、なんとか庇護してあげられないものか…と、手を差し伸べられないかと考えている自分。諸々が織り交ざって涙が出てくるのだ。
親子ほど年の離れた女性との初恋なんだけど、彼にとってはおねえさんと坊やの火遊びじゃないんだよね。彼の愛はまもってあげたいという父性の発露。離婚をしてからテープを送り始める彼の律儀さというかマジメさというか、彼女に対する純真さもよく表現されていると思う。その反面、ハンナは最後まで“ぼうや”と言い続けるという、このギャップがまた痛々しい。
傍聴しているあたりの、学生達の行動も実によくて、ミヒャエルの心を揺さぶるのに充分寄与している。
一方のハンナは、牢獄のなかで文字を覚えるわけだが、それを獲得して何を失ったのだろう。実は、この点が私にとって一番よくわからなかった所なのだったりする。そのコンプレックスから開放されて、次のステップ(人間らしい感情?)に進んだのか?それも何かピンとこない。
でも、死んでよかったんじゃないかな…って思えてしまうほど、彼女の痛々しさだけは伝わってくるけど。
いつものことだが、この『愛を読むひと』という邦題が嫌い。別に“愛”を読んでなんかいないと思うのだ。原作邦題の『朗読者』のほうがマッチしていると思うが、劇場公開作としては弱いのでどうしてもというならば『朗読者~愛を読むひと』とでもすればよかっただろう。
ラストはあまり気持ちの良いものではない。
ユダヤ系の団体が、本作はナチスに好意的だといって非難をしたらしい。別にホロコーストを正当化する気などさらさらないが、完全な悪魔のように描かなければクレームを付けるという姿勢が本当に気に喰わない。こういうマイノリティの暴走を私は許さない。迫害の被害者だからといって、数千年前に聖書で約束された土地だからと言って、住んでいた人間を追い払うクレイジーな行為が正当化されるわけがない。私にはイスラエルを支持するユダヤ人を一生理解できるとは思えない。
缶を受け取ったことで、“小さな赦し”を表現したつもりかもしれないが、それすらピンとこない。
彼女が文盲だったといわれて、彼女が罪をかぶって、他の人間が軽い罪だけでのうのうと生きている!という所に目が行かなくなってるだけで、もう、生き残った娘にとって善悪とか法と罰とか、そういうことはどうでもよくなっているのだな…と思って、なんか不快になってしまった(なんか、似たような精神構造のお国が他にもあるような気がするが…)。
ケイト・ウィンスレットは、覆い隠したい過去と、望んでも得られるはずのない未来の間に生きる、ある意味“虚無の女”をしっかりと演じきっていると思う。はじめ、ニコール・キッドマンはハンナ役だったらしいが、彼女だったらクソみたいな作品になっていて気がする。
年上女性との甘くて危険な初恋が、ナチス裁判と絡むなんて実に新鮮だし、反面、ちょっと間違えればトンデモ話になりそうなところをしっかり成立させているのが秀逸だと思う。お薦めしたい。
負けるな日本
公開年:2005年
公開国:アメリカ
時 間:74分
監 督:スティーヴン・ソダーバーグ
出 演:デビー・ドーブライナー、ダスティン・アシュリー、ミスティ・ウィルキンス 他
郊外にあるソフトビニール人形工場に勤務するマーサとカイル。突然の大量注文により工場は大忙しとなたっため、若いシングルマザーのローズが入社する。カイルとローズはすぐに親しくなり、これまで平穏だったマーサとカイルの間に、微妙な空気が漂い始める。ある日、ローズが週末にデートをしたいので子供の面倒を見て欲しいとマーサに依頼する。臨時収入がほしいマーサは快く引き受けるが、いざ当日ローズに家にいくと、デートの相手としてカイルが現れ…というストーリー。
実は昨日の『ガールフレンド・エクスペリエンス』と1枚のDVDにまとめられている作品(だからジャケット写真も同じね)。同じ監督の短編だから…という理由だけではなくて、この二作は共通点が多い(ある意味、連作なのかも)。
『ガールフレンド・エクスペリエンス』が都会の底辺で生きる女の生き様を切り取った作品だとすると、本作は郊外の工場で働く底辺で生きる女のお話。父親の介護をする独身女で、工場勤務だけでは生きていくのもやっとなワーキングプア。
娼婦という生き方も女性ならではだが、親の介護をする姿も女性らしいといえばそう。細かい設定はわからないが、親の介護のために彼女自身が多くのものを失っており、それを強く抑圧して生きている(それを、デイヴィッド・リンチばりのトランス演出で表現)。
#残念ながら、この演出が取って付けたようでいまいちピンとこなかったりする。
娼婦という生き方に納得しているようで普通の生き方を無意識に求めていたように、本作では、喜びのない抑圧された人生に諦めているようでいて、無意識に女性として生きることを諦めきれないでいる(明示こそ無いが、カイルに好意をもっていたのかもしれない)。
また、『ガールフレンド・エクスペリエンス』に現役のポルノ女優を起用しているように、本作のキャストも素人さんばかりらしい。
ただ、残念ながら“バブル”というタイトルや、人形工場が、何かの隠喩なのかよく判らなかったりして、ちょっと入り込めない壁みたいなものを感じてしまった(年のいったシングル女性に共感できなかったからかもしれない)。まあ確かに、短編2本抱き合わせでちょうど良い内容ではある。特段お薦めはしないが、一緒にみることでいくらか意味が出てくるかも。そんな程度。
負けるな日本
公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:77分
監 督:スティーヴン・ソダーバーグ
出 演:サーシャ・グレイ、クリス・サントス、マーク・ジェイコブソン 他
ニューヨークのマンハッタン。エリートたちを相手にした高級エスコート嬢として働くチェルシーは、彼女はセックスだけでなく、本当の恋人と過ごしているような経験を売りにして、1時間2000ドルを稼いでいるフリーランス。顧客の理想のガールフレンドを演じるために、ファッションや自己研鑽への投資を怠ることがないプロである。さらにビジネスを発展させるために、ウェブサイトを立ち上げたり、影響力のある評論家の推薦してもらうなどの努力を重ねている。その一方、彼女の仕事を理解する恋人クリスと同棲もしている。クリスはエリート相手のスポーツジムでトレーナーをしているが、仕事に行き詰まりを感じ始めていた時に、男性だけで行くラスヴェガス旅行に顧客から誘われる。クリスがそのことをチェルシーに打ち明けると、2人の関係はぎくしゃくし始め…というストーリー。
元々、インディーズ出身のソダーバーグなので、この手の作品はお得意なんだろう。都会の1ページを、ポートレートとして切り取ったような、アート臭すら漂う作品である。
ただ、都会の1ページとはいえ、写し出しているのは都会の底辺。高級“エスコートガール”なんていっているが、所詮は娼婦である。セックスがあるときもあれば無いときもあるわけだが、それは男性側の趣味が多様化しているだけのこと。
(短編ゆえにかなりネタバレになってしまっている。これから観る人は、以下要注意)
そんな彼女が、「自分はこんなレベルじゃない」と言わんばかりにのし上がろうともがき続ける。とはいえ、どんな策を講じようが、結局は自分の時間には限りがあるわけだから、回転数を上げるか時間単価を上げるしかないので、ビジネスとして拡大にしようにも限界があるはず。
しかし、その反面、信じるのは自分だけ!みたいな感じのくせに、“人間学”とかいうエセ科学をどっぷり信じており、行動様式はそれに侵食されてしまっている。
そんな足掻きの結果、特に好転したことは無く、むしろ失ったものが大きい有様。挙句の果てには、“人間学”的に相性のいい客にめぐり合ったと言って、客とは親密にならないというルールを破ってまで旅行を敢行。ある意味、娼婦の生活に疲れて、普通の女として生きることを選択したようにも見えるが、当然そんな白馬の王子様はいるわけもなく。カウンセラーみたいなおっさんにも、最後にはネチネチと気持ち悪く言い寄られるし、一体男ってなんなのさ…、そんな感じで、結局、元のレベルのビジネスに戻ってしまう。
彼女の“EXPERIENCE(経験)”の先に何があったのか。
現役ポルノ女優が主演をしているのだが、フィジカルな接触に躊躇するそぶりを微塵でも見せようものなら一瞬にして興醒めしてしまったと思うので、(語弊はあるが)本物に演技してもらったのは正解だろう。
本作に出てくる人間すべての共通しているのは、“愛嬌”とか“人懐っこさ”とかが無いところ。それが“愛”なんていう気は毛頭ないけれど、人間と人間の間に必要なものって、そういうものなんじゃないかな…と感じさせてくれた。
#欠けた人間は同じように欠けた人間と呼び合うのかもしれない。
まあ、多くを語らない分だけ、色々考えさせてくれる作品。飛びぬけて面白いわけじゃないのだが、嫌いじゃない一本ってところかな。軽くお薦め。
負けるな日本
公開年:2008年
公開国:韓国
時 間:129分
監 督:ポン・ジュノ
出 演:キム・ヘジャ、ウォンビン、チン・グ、ユン・ジェムン、チョン・ミソン 他
受 賞:【2010年/第36回LA批評家協会賞】女優賞(キム・ヘジャ)
コピー: 殺人事件の容疑者となった息子を救うため、真犯人を追う母親の姿を極限まで描く、ヒューマン・ミステリー
永遠に失われることのない母と子の絆。すべての“謎”の先に“人間の真実”が明かされる。
トジュンは子どものような無垢な心を持った青年だが、社会にはうまく適合できず、母親の庇護の元で生活している。漢方薬店で働く母は、そんなトジュンを人生の全てをかけてかわいがっていたが、悪友ジンテのせいで良くないことに巻き込まれないか心配な毎日だった。そんなある日、女子高生が無惨に殺される事件が発生。容疑者としてトジュンが逮捕されてしまう。唯一の証拠はトジュンが持っていたゴルフボールが現場で発見されたことだけだったが、事件解決を急ぐ警察は、強引な取り調べでトジュンに自白させてしまう。母は息子の無実を訴え続けたが、刑事も弁護士耳を貸そうとしなかったため、自ら真犯人を探すことを決意するのだったが…というストーリー。
海外受賞歴がLA批評家協会賞のみって、現地でゴリゴリやらかした臭いがプンプンする割には…。まあ、ポン・ジュノ自体は同好の志っぽい感じがするので、私は好意的に見ているよ。
まず、この邦題。母の愛がテーマか?と思わせたのは失敗。ポン・ジュノもそんな作品をつくるようになったのか…とすっかり騙されてしまったのだが、実は『殺人の追憶』と同ジャンルの話という。はっきりいってこの勘違いは邪魔臭い。良い効果を発揮しておらず、日本の配給会社の失敗といってよいだろう(ポン・ジュノに詫びをいれたほうがいいよ)。はじめにいっておくが、これから観る人は、ヒューマンドラマが繰り広げられるのだろう…という先入観を持ってはいけない。面白さが削がれる。
母の愛と母の狂気は紙一重。原題の『MOTHER』のままのほうが、正しく意味が伝わる。
ポン・ジュノの作品は嫌いではないが、展開のペース配分が悪いことが多いと思う。本作でも、母親が真剣に動き始めるまでに時間がかかりすぎ。母親が実は昔心中しようとしていた…ということが判明するあたりから、グっと面白くなってくるのだが、それまでがグズグズしていて、申し訳ないが早送りして観てしまったよ。
(以下、ネタバレ注意)
なにやら、息子トジュンが犯人だと断言する人が大変多いのだが、私はそうは思わない。
①息子は犯人じゃないのに、私はやってしまったのか…。
②いや、あのままジジィに証言されたらやっぱり犯人にされてしまっていたかもしれないから、これでよかったのだ。
③いやいや、本当に息子がやらかしてしまっていて、あの人は冤罪なのかも。
って、最後までこの①~③の間で揺れているんだと私は思う。
トジュンの犯行を見たっていってるのはあのジジィだけだし、そのジジィは何故か米を用意していたりする(だって携帯に写ってたから辿り着いたんだろうし)。真犯人と思しき人物の服についていた血痕は、鼻血のものかもしれないし、本当に犯行時のものかもしれない。
結局犯人は藪の中なんだけど、母親の犯行だけは明白。そして息子にもばれちゃったかもしれないという恐怖。そんな私は、昔、あの子を殺そうとしたこともある。私ってなんなのよ。なんなのよ。なんなのよ。パカーン。
この解釈がいいと思わんか?どっちとも取れるようにボカした方が絶対に効果的で深いものになるだろう。
針をうって忘れちゃって、踊る母親。なんか韓国人の精神構造をよく現していて怖いっすな。
なんか、ポン・ジュノって韓国のこと嫌いなんじゃないかな…って思いはじめてきた。街並みも建物の中も、とても現代のお話とは思えないくらい、すべて吐き気を催すほど汚い。私、韓国にはいったことがないのだが、これが社会を汚れたものと表現するための演出なのか、実際にそうなのかが、よくわからん。
主人公の母親が決して名前で呼ばれないこととか、『殺人の追憶』のときもそうだったけど、警察機構の人権無視のヒドさとか。これ観て、韓国に好意を抱くやつなんかいるわけないもの。
なんて、色々文句は言ったが、かなりの良作である。お薦めしたい。写っている街並みは小汚いが、カメラワークや証明の技術はピカ一。
#それにしても、韓国人、どんだけウンコ好きやねん。
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:82分
監 督:ブラッド・ペイトン
出 演:クリス・オドネル、ジャック・マクブレイヤー、フレッド・アーミセン、クリスティナ・アップルゲイト、マイケル・クラーク・ダンカン、ニール・パトリック・ハリス、ショーン・ヘイズ、ジェームズ・マースデン、ベット・ミドラー、ニック・ノルティ、ジョー・パントリアーノ、カット・ウィリアムズ、ポール・ロドリゲス、ロジャー・ムーア 他
ノミネート:【2010年/第31回ラジー賞】ワースト3D作品賞
コピー: ――心で語り継がれる《奇跡の実話》――
太古の昔より密かに争い続けている犬と猫。現在、人間の知らないところでハイテク技術を駆使して過激な戦いを繰り広げている。そんな中、かつてネコのスパイ組織“MEOW”のエージェントだったキティ・ガロアは、産業スパイで手に入れた高度な情報技術を元にある兵器を完成させる。それにより、犬だけでなく猫仲間までも支配しようと企んでいた。犬のスパイ組織“ドッグ秘密基地”は、猫たちに発信した声明動画を受信。組織の首領ルーは、警察犬失格の烙印を押された落ちこぼれディッグスをスカウトして、エージェントのブッチにコンビを組むように指示する。二匹は、キティと関係があると思しきハトのシェイマスを探し出すべく深夜のコイトタワーへ向かうが、そこで“MEOW”のスーパー・エージェントのキャサリンと遭遇。実は彼女もキティの反乱を阻止する為に行動しており…というストーリー。
観終わっても、感想のようなものはあまり湧いてこなかった作品。
一応続編の扱いだが、犬の組織と猫の組織が争っているという設定以外は、特に連続性はない。前作は2001年で間が開きすぎていて、そのころのお子ちゃま達は、すっかり大きくなっちゃっており、“2”にする意味はないから何の問題もないが。前作の主人公ルーが昇進してホワイトカラーになってる点と、最後に前作の悪役であるミスター・ティンクルズが取って付けで登場する程度(後者は、前作を知らない人にはさっぱり意味がわからないし、知っている人にとっても必然性はないという、愚作極まりない演出だったりするが)。
『007』シリーズ、『羊たちの沈黙』『ターミネーター』『マトリックス』などなど、色々な作品のパロディのオンパレードなのだが、こういう悪ふざけは『シュレック』なんかで散々やられているので目新しさもない。それに、007なんかは、本作のターゲット層である子供の、その親の世代にとってもピンとこない古さ。親世代には別の切り口で楽しめるように用意したつもりだろうがハズレである(孫を連れて行くおじいちゃん世代向け演出?)。
一番興醒めしたのは、犬猫を丸ごとCGで表現してしまう部分が多すぎる点。動物が動いているのが楽しいであって、CGアニメを観たいわけじゃない。残念ながら人間の脳は、この程度のCGを見せられても、本物ではないことを容易に判別できてしまう。せめてマペットの部分が多ければよかったのだが。
『マスク2』と同じレベルといったところか。多分、子供の集中力も続かず途中で飽きると思う。あまりお薦めはしない。
#豪華なアフレコ陣も日本語吹き替えでみちゃうから何の意味もなし。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:95分
監 督:サミュエル・ベイヤー
出 演:ジャッキー・アール・ヘイリー、カイル・ガルナー、ルーニー・マーラ、ケイティ・キャシディ、トーマス・デッカー、ケラン・ラッツ、クランシー・ブラウン、コニー・ブリットン、リア・モーテンセン、クリスチャン・ストールティ 他
コピー: ようこそ、新たなる“悪夢”へ
高校生のナンシーは、ナイフのような爪を付け、セーターを着た不気味な男に襲われる夢を見る。友人達も同じ夢に悩まされていたが、ある日、悪夢は現実となり、友人の一人であるティナが無惨な死を遂げる。眠らないようにするしか生き延びる方法はないと悟った彼らは、睡魔と戦いながら、夢に出てくる男の正体を探ろうとする。やがて、フレディ・クルーガーという男と、彼らの親たちが深く関わっていた過去が浮かび上がり…というストーリー。
大昔、高校の学校祭で何故か『エルム街の悪夢(オリジナル)』を上映していて、誰も観ていなくてスッカスカだったことを思い出した。別に観たけりゃビデオで観りゃあいいわけで、いまだになんであれを上映していたのか意味不明。
閑話休題。
一作目の恐ろしさを忠実に再現しようというアプローチは理解できる。その点は失敗はしていないと思う。しかし、このイマイチ感は何か。その理由を3点挙げてみよう。
①数々の過激な映画を観て慣れてしまったせいか、この程度の演出ではピンとこなくなってしまった。
②CGがいかにもCGで興醒めしてしまう箇所がある。こんな感じになるならローテクで表現したほうがマシ。
③フレディの性格というか位置付けが変わってしまった気がする。
そう、やはり一番大きいのは③だと思う。
夢の中の住人であるフレディ。そのルーツが実在の人間とはいえ、実体があるのか霊体なのか、はたまた殺すことができる存在なのか否か。彼は負のファンタージーの住人であり、ホラー界随一の稀有なキャラクターである。
その存在は、人間が持っている罪悪感の投影ともいえ、特に街の人たちが共有している巨大な罪悪感が生んだ負の妖精とも言える。その、集団ノイローゼが生んだ妄想みたいな要素が、とても良いと私は思うのだが、リメイクした本作では、変質的な犯罪者の逆恨みが怨霊と化しただけに見える。オリジナルのエルム街の悪夢の続編で徐々に明らかにされていったフレディの生い立ちが、製作陣の頭に強くあったのだろうか、その影響が強く表れてしまっていて、それがマイナス効果に。
また、親子が友達みたいな関係になることが多い時代のせいなのか、オリジナルにあった親世代と子世代の間にある溝みたいなものも失われた。これも不安感を煽る重要な役割をしていたんだけどね。
ありきたりな感想になってしまうが、映像が綺麗になった分だけ味が失われたという印象。わざわざ観る必要はない作品。お薦めはしない。
#フレディを演じる役者も変わったけれど、それ以上に特殊メイクのフレディの顔が、味の無いものになってしまったのも残念。よりリアルに火傷した感じを表現したのかもしれないけど、なにか変。
負けるな日本
公開年:2008年
公開国:日本
時 間:138分
監 督:瀬々敬久
出 演:妻夫木聡、檀れい、国仲涼子、田中裕二、池脇千鶴、カンニング竹山、光石研、キムラ緑子、嶋田久作、金田明夫、正名僕蔵、ダンテ・カーヴァー、小松彩夏、三浦アキフミ、夏緒、太賀、宮川一朗太、馬渕英俚可、田山涼成、三浦浩一、武野功雄、仁藤優子、久ヶ沢徹、佐藤恒治、松本春姫、山中敦史、山中聡、山本東、吉川美代子、山中秀樹、下元史朗、諏訪太朗、梅田宏、山梨ハナ、佐藤浩市、藤竜也 他
コピー: 神に裁かれるのは人間か?ウィルスか?
正月のいずみ野市立病院に急患が運び込まれる。その患者は高熱に痙攣、吐血、多臓器不全という症状で、新型インフルエンザの兆候を示していた。しかし、あらゆるワクチンを投与するも効果がなく、ほどなく患者は死亡。さらに、謎のイルスは病院関係者や患者たちにも感染し、病院がパニックに陥ってしまう。やがて、感染拡大を防ぐため、WHOからメディカルオフィサーの小林栄子が派遣されることに。彼女は、このウイルスが蔓延し続ければ、日本が崩壊する事態になりかねないと予測し…というストーリー。
観た人に感想をきいたら、中学生から大人まで、判で押したようにまんべんなくつまらなかったという答えがかえってきた作品。当然、なかなか食指は動かなかったがようやく鑑賞。
たしかにこれはダメ映画。私が一番ダメだと感じたのは、謎の病原体の被害者である民衆の描き方である。
感染した夫が死んだら、その妻が医師に対して「人殺し~」と叫ぶ。
養鶏場へのいやがらせ。そしてその娘へのいじめが、一方的にだれも手を差し伸べない。
バタバタと人が劇症化して倒れていて、病院が溢れているのに病院に押しかける人々。
などなど、民衆を無知で愚かで他人のことを感が無い惨め存在としか描いていない。罰が当たってしかるべき存在として描きたかったのかもしれないが、この作品を観ている人だって民衆である。そういう人もいるだろうが、そんな人間しかいないようにしか描かれていない。よって観ている人は自分が愚かな存在として馬鹿にされている気分になる。当然、観ていてうんざざりしてくる。
この、“日本の人間は所詮汚いもの”という目線の作り手が、我々の心を打つわけがない。
養鶏場のオヤジの自殺や、研究者の病原体特定合戦、そして手柄をかっさらう役人などなど、単なるシミュレート映画としてなら納得できなくもない。そういうスタンスに徹していれば許せるが、かならずそこにお涙頂戴だったり、エグい演出をからめて、観ている人の感情を揺さぶろうとする。しかし残念ながら、取って付けで稚拙な演出のおかげで、こちらの心が揺れることはない。
そして、無理矢理の恋愛要素。このシチュエーションで人間愛と男女の恋愛を同列に扱われても、ただただ滑稽に映り冷めるだけである。
娘の携帯に返信があったとしても、なんであれで妻が死んだと確信できる?もしかして持ち直したかのか?と混乱するのが不思議じゃないか?なんで諦められるのか(だって治った人もいるんだぜ)
国民の8人に1人が死んだ状態で電力がキープされるか?
ここまで感染者が増え、劇症化が著しい状況なら、もっと早く血清療法試されるだろう。そこまで我々が命に執着がないわけがない(ここでも民衆を馬鹿にしている)。
こまかいディテールの詰めの甘さはハンパじゃなく、なんでこれらが、最後までだれにもつっこまれずスルーされるのか。簡単なことである。本作の製作委員会がマトモに意見をいえない風通しの悪い組織だったからである。もしくは、日本を馬鹿にしようという意図をもった人間が関わっているか。そのいずれか、または両方でなければこうはならない。
そして、この馬鹿の戯言みたいな内容が138分も続くのである。これを惨事といわずなんといおう。
我々は、この映画を未来に残さねばならない。人間は時にこのような愚かなものを作り上げてしまうことがあると。神に裁かれなきゃいけないのは、この映画の製作陣だろうがよ。
負けるな日本
公開年:2005年
公開国:アメリカ
時 間:144分
監 督:ロン・ハワード
出 演:ラッセル・クロウ、レネー・ゼルウィガー、ポール・ジアマッティ、クレイグ・ビアーコ、ブルース・マッギル、パディ・コンシダイン、コナー・プライス、アリエル・ウォーラー、パトリック・ルイス、ロン・カナダ、デヴィッド・ヒューバンド、ローズマリー・デウィット、リンダ・カッシュ、ニコラス・キャンベル 他
受 賞:【2005年/第11回放送映画批評家協会賞】助演男優賞(ポール・ジアマッティ)
コピー: ――心で語り継がれる《奇跡の実話》――
妻と3人の子供と暮らすボクサーのジム。しかし、将来を嘱望されていたが右手の故障により、ライセンスを剥奪され引退することに。折りしも世の中は大恐慌で、ジムは失業者の一人として日雇労働者として家計を支える。そんなある日、元マネージャーのジョーから、一夜限りの復帰試合の話が舞い込む。相手はとても勝ち目のない新進気鋭の選手だったが、負けても得られる報酬で家族を救えるという一心で試合を引き受ける…というストーリー。
実在のボクサーのお話だが、この作品の素晴らしいところは、この人物を通して、何かの人生訓みたいなものを押し付ける気がないこと。
この映画をみて、何が言いたいのかわからんという人がいるかもしれない。でも、映画というのは明確なメッセージ性があって然るべきというその発想が誤りだと私は思う。
この映画のテーマは家族愛だという人がいる。間違っているとは言わないが、ロン・ハワードはそんな押し付けをする気はないと思う。彼は、純粋にブラドックの生き様を知ってグっときた。そのグッときた感情をそのまま映画として伝えることにした。ねえねえ、みんなもこの人を見てグッとこないかい?なんでグッときたかなんて、説明させんなよ。みんなが俺と同じようにグッとくればそれでいいのさ。
そして彼は、自分がグッときた感じを毀損しないように、一生懸命に作った。そして私もグッときた。いちいち考える必要なし。そういう作品だと思う。
あの社会状況の下にいた場合、自分だったらどうするか。自分がブラドックだったら。自分が妻の立場だったら。特異な人物として描いているわけではないので、ものすごく投影しやすい。共感しやすい。そして、自分もそういう選択をするかもしれないな…という感情と共に、彼らと一緒にラストに向かっていくという、観ている側と作品との一体感。実在人物の映画は数あれど、この作品の描き方の手法は素晴らしいと思う。
本作を観て、ただ感動を押し付けられているだけで薄っぺらいなんて感じる人は、べたべたで判りやすい韓国ドラマでもご覧になっていればよろしい。おそらくこの作品は、感性のリトマス試験紙的な映画だと思う。この映画がおもしろくないと感じる人は、私と映画の趣味が合うことはないだろう。
もう一点、特筆すべきなのは、肝心のボクシングシーン。『ロッキー』はもとより『ミリオン・ダラー・ベイビー』なんかと比較しても、ボクシングシーンのリアルさというか緊迫感がハンパない(ちょっと『レイジングブル』がどうだったか思い出せないのね№1と断言するのは避けておこうかな)。
快作。強くお薦めする。
負けるな日本
公開年:2005年
公開国:アメリカ
時 間:93分
監 督:ジョージ・クルーニー
出 演:デビッド・ストラザーン、ジョージ・クルーニー、ロバート・ダウニー・Jr、パトリシア クラークソン、ジェフ・ダニエルズ、フランク・ランジェラ、レイ・ワイズ 他
受 賞:【2005年/第62回ヴェネチア国際映画祭】男優賞(デヴィッド・ストラザーン)、脚本賞(ジョージ・クルーニー、グラント・ヘスロヴ)
【2005年/第31回LA批評家協会賞】撮影賞(ロバート・エルスウィット)
【2005年/第18回ヨーロッパ映画賞】インターナショナル(非ヨーロッパ)作品賞
【2005年/第21回インディペンデント・スピリット賞】撮影賞(ロバート・エルスウィット)
コピー:1954年、アメリカ 百万人の視聴者が、ひとりの男(ニュースキャスター)に未来を託した―― 自由を再び手にするために これは、全米を勇気で満たした感動の実話である
米ソ冷戦が激しさを増す中、アメリカ国内ではマッカーシー上院議員を筆頭にした赤狩りの猛威が吹き荒れていた。共産主義者の徹底した排除を名目にして、政府に批判的な人物を排除してしまおうという恐怖政治である。一般の国民はもとよりマスコミまでが、その恐怖政治の前にひれ伏し沈黙していたが、CBSの人気キャスターであるエド・マローとプロデューサーのフレッド・フレンドリーが立ち向かう…というストーリー。
このストーリーは実話で、“グッドナイト&グッドラック”というのも実際に存在した番組(タバコをくゆらせながらの放送が許されていた時代だね)。
世界恐慌よりも第二次世界大戦よりもベトナム戦争よりもキューバ危機よりも黒人差別の問題よりも、アメリカの歴史のなかで最も重要視すべきな出来事が、このマッカーシズムだと私は思っている。
なぜなら、これが“絶対に皇帝を生まないようにすること”を目的に作られているアメリカのシステムの“穴”だからである。憲法は失効するのではなく、国民がその権力を簒奪されたことを見過した瞬間に“死ぬ”ということ。もっともらしいことをいう奴に、国民がなびいてしまえば、簡単に崩壊することを証明した事件である。
で、そのアメリカ憲政の危機を救ったのが、ジャーナリスト達の勇気なのだ!ということがテーマになっているのだが、しかし、マッカーシズムを許してしまった大衆を救ったのも彼らだったけれど、殺したのも娯楽を求めた大衆だいう皮肉…っていうことだよね。つまり、このマッカーシズムは終わった話ではなく、“今そこにある危機”というわけだ。
本作は、すっかり赤狩りが吹き荒れまくった後からスタートしており、ハリウッド関係者などが多数追放された過程は、それほど描写されていない。アメリカでは自明のことだよね…ということなのかもしれないが、93分という上映時間を考えれば、もうすこし盛り込んでもよかっただろう。
#まあ、そこはジム・キャリー主演の『マジェスティック』なんかで補完すればいいか。
本作では、まるでマッカーシーらが大衆から総スカンを喰ったように描かれているが、実際はそうではなかったことを指摘しておこう。その後も彼の支持は多数だった。先人がしっかりシステムを準備しても、国民がそれを理解せずに愚かである限り、簡単に民主主義の根本システムが崩壊することを継承している作品なのだ。そういう意味で、ものすごく価値のある作品である。
そういう意味で、、、、、、何が言いたいかというと、理詰めでは価値のある作品と評価できるが、娯楽作品としては実のところつまらんということである。製作総指揮にソダーバーグが名を連ねているので期待していたのたけど、残念な結果になっている。なので、手放しではお薦めしにくい作品。
我ら日本人が、本作を観て教訓にしなければいけないことは、マスコミの報道や表現の自由に自主規制が簡単にかかることである。
昨今の東電に関する報道が、東電が大スポンサーゆえに手ぬるくなっている点は、確かにその一例かもしれないが、あまりに緊急事態であるために一概にすべての原因がそれとは言いにくいところがある。
それよりも、放送局に外資が流入し、彼らが株主の意向に沿っている点、そして暗黙のうちにそこに触れることがタブーになっている点を注視すべきだろう。“韓国ブーム”という何やら実態が存在するとは考えにくいムーブメントの裏に何があるのか。どこぞの局では朝から晩まで韓国一色で、どこの国の放送局だかわからない異常状態が、偶然に作られるものか?そういう報道機関は許容されるのか?
こういう勢力は、美名の元に我らの前に現れる。ウォルト・ディズニーが赤狩りの協力者であったことをもその一例だろうね。
マッカーシーの映像とかは、実際の映像だよね?全体が白黒なのは、あのような記録映像とシームレスにして雰囲気を作るため。そういう演出は成功しているし、評価したい部分である。
負けるな日本
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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