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公開年:1977年
公開国:アメリカ
時 間:125分
監 督:ジョージ・ルーカス
出 演:マーク・ハミル、ハリソン・フォード、キャリー・フィッシャー、アレック・ギネス、ピーター・カッシング、アンソニー・ダニエルズ、ケニー・ベイカー、ピーター・メイヒュー、デヴィッド・プラウズ、フィル・ブラウン 他
受 賞:【1977年/第50回アカデミー賞】作曲賞(ジョン・ウィリアムズ)、美術監督・装置(Jonathan Barry:美術、Norman Ryenodl:美術、Leslie Dilley:美術、Roger Christian:装置)、衣裳デザイン賞(ジョン・モロ)、視覚効果賞(Robert Blalack、Grant McCune、リチャード・エドランド、ジョン・ダイクストラ、John Stears)、音響賞(Don MacDougall、Ray West、Bob Minkler、Derek Ball)、編集賞(Marcia Lucas、Paul Hirsch、Richard Chew)、特別業績賞(Frank E.Warner)
【1977年/第3回LA批評家協会賞】作品賞、音楽賞(ジョン・ウィリアムズ)
【1977年/第35回ゴールデン・グローブ】音楽賞(ジョン・ウィリアムズ)
【1978年/第32回英国アカデミー賞】作曲賞[アンソニー・アスクィス映画音楽賞](ジョン・ウィリアムズ)、音響賞
【1997年/第6回MTVムービー・アワード】功労賞(ピーター・メイヒュー“スター・ウォーズ”シリーズのチューバッカに対して)
【1989年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品
コピー: A long time ago in a galaxy far,faraway…
MAY THE FORCE BE WITH YOU
銀河系は銀河帝国による支配下にあったが、反乱同盟軍が帝国の最終兵器、宇宙要塞デス・スターの設計図を盗み出す事に成功する。帝国側のダース・ベイダー卿は設計図奪還と反乱軍の本拠地を発見するするため、帝国軍戦艦を襲撃し、指導者の一人レイア姫を捕らえる。レイア姫は、養父の友人のオビ=ワン・ケノービに助力を求めるため、二体のロボットC-3POとR2-D2に設計図とメッセージを託し、船から脱出させる。R2と3POは惑星タトゥイーンに漂着。その後、ジャワに捕獲されバザーで売られた2体は、青年ルーク・スカイウォーカーに購入される。ルークによって整備されたR2はレイアのメッセージを再生。それをみたルークは、メッセージの中にあるオビ=ワン・ケノービがベン・ケノービのことではないかと思い…というストーリー。
エピソード3を観る前におさらいとして旧三部作を観てはいたが、そういえば一気通貫では観ていないな…と気付き、改めて鑑賞(あれ?エピ3のレヴューは書いていない気がする。ま、いいや)。
新3部作を踏まえて見ると、「さぁ!盛り上がって参りました!」ってな調子で、アクセル全開状態でスタートを切る感じ。あらゆるセリフというセリフに、すべて意味を感じられ、過去に観た時とはまるで印象が全然違う。やはり一気通貫で観る意味は大いにある。
現在レンタルされているDVDは、エピソードⅠ公開前に手を加えられた版。ジャバが人間じゃなくCGによるクリーチャーになっていたり、公開版にはいなかったロボットやエイリアンやボバ・フェットなど多くのキャラも加えられている。
#昔は、クローントルーパーの中身が、全員同じ顔だなんて知らなかったもの。
旧版で印象に残っているのは、スピーダーが浮いているところ。そのモヤ~ッとしていたのは、すっかり綺麗に処理されている。あれは、レンズにワセリンを塗ってボカしていたんだってね。そんなローテクでよくかんばっていたと思う反面、情熱と魂を感じるね。
確かにものすごい費用と労力をかけて多数の改善をほどこしているのだろうが、結果として、ちょっとした枝葉の手直しにしか感じられないのが、元のクオリティの高さを物語っているとも(技術的な難点はあったのだろうが、基本的にはほぼ完成品だったてこと)。
おそらく、この修正費用よりも当時の製作費は安いはずで、低予算でも情熱さえあれば名作を作ることができるのだ…ということを示唆しているってこと。そういう意味で、クリエイターに勇気を与えてくれる作品だと思う。
ジョージ・ルーカスの頭の中には当時から“サーガ”が存在したかもしれないが、公開当時は当然ヒットしなければこれでおしまいという状況。だから、この1作だけで終わっても完結するような作品になっている。これが“一作入魂”に繋がっていて、歯切れがよくて納まりのいい出来映えのストーリーとして結実している点も評価したい。
ブルーレイ化した段階で手が加えられるのだろうな…と思いつつも、これほど映画史において革命的だった作品もないだろうという意味で、どの版でも“完成品”だといえる。
改めて愉しかった。文句なし。
負けるな日本
公開年:2003年
公開国:アメリカ
時 間:90分
監 督:アンディー・ジョーンズ、前田真宏、渡辺信一郎、川尻善昭、小池健、森本晃司、ピーター・チョン
出 演:キャリー=アン・モス、キアヌ・リーブス、ケヴィン・マイケル・リチャードソン、パメラ・アドロン、ベッド・フォード、デイン・デイヴィス、クレイトン・ワトソン、ヘディ・ビューレス、フィル・ラマール、ビクター・ウィリアムズ、アレックス・フェルナンデス、キャス・スーシー、ジェームズ・アーノルド・テイラー、メリンダ・クラーク、ロドニー・ソールスベリー 他
人類が“マトリックス”に支配されるまでの過程や、派生的エピソードをオムニバス形式で綴る。マトリックスの世界観を深く知ることができる『ファイナル・フライト・オブ・ザ・オシリス』『セカンド・ルネッサンス パート1』『パート2』『キッズ・ストーリー』『プログラム』『ワールド・レコード』『ビヨンド』『ディテクティブ・ストーリー』『マトリキュレーテッド』の全9編。
一部、『ドリームキャッチャー』にゲリラ的に同時上映したらしけど、基本的には劇場未公開作品(DVD発売時に限定公開したらしけど)。
本作を観て、単なる続編への繋ぎとみる人は、『マトリックス』にアクションを求めているだけの人。そういう人は『リローデット』や『レボリューションズ』で充分満足できたことだろう。実に幸せだ。
先日、『マトリックス』をTV放映していたが、続編を特に観ようという気持ちは湧かなかった。はっきりいってパート2以降は私の期待していた内容ではない。認識論とか実在論とか哲学的な思索が、続編にはない。単なるレジスタンス物に早々に成り下がってしまったと思うのだ。その代わり、本作を見返したくなったのだ。
ある意味、『マトリックス』の真の面白さを継承しているのは、マトリックス世界の秘密や歴史をしっかりと綺麗に説明してくれている『アニマトリックス』だけだとすら思う。もっと、はっきいってしまえば、マトリックスシリーズは、1作目と『アニマトリックス』だけ観れば満足できる(だから、私はこの2本だけ購入している)。
特に『セカンド・ルネッサンス』は慧眼の出来映え。ロボットが覚醒するくだりは、手塚治虫の『火の鳥 復活編』そのままなんだけれど、それを超える味わいとまとまりがあり、日本人クリエイターの面目躍如といったところだ。
ちなみに、面白い作品は日本人監督で、ちょっといまいちなのは外国人作品である(『マトリッキュレーテッド』ね)。外国人を蔑視したいわけではない。なんでこんなに明確に味わいに差が生じるのか。自分はいったいどこを観て興醒めしているのか。そのセンス差がどこで生じているか分析しきれない。ここがまた魅力であり、何度か繰り返し見てしまう理由だったりする。
まあ、唯一の難点は、クリエイターは違えど、各作品のテイストやリズムが似かよってしまっているので、油断するとちょっと眠くなることか。もし観ていない人がいるならば、是非お薦め。これを観るか観ないかで、続編の受け取り方はまったく違うはずだから。
負けるな日本
公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:112分
監 督:ジョン・ヒルコート
出 演:ヴィゴ・モーテンセン、コディ・スミット=マクフィー、ロバート・デュヴァル、ガイ・ピアース、シャーリーズ・セロン、モリー・パーカー、ギャレット・ディラハント、マイケル・ケネス・ウィリアムズ 他
受 賞:【2009年/第63回英国アカデミー賞】撮影賞(ハビエル・アギーレサロベ)
【2009年/第15回放送映画批評家協会賞】主演男優賞(ヴィゴ・モーテンセン)、若手俳優賞(コディ・スミット=マクフィー)、メイクアップ賞
コピー:父には息子が、息子には父が全てだった。それぞれが、相手の全世界となって──。
突然の大災害により文明を失った世界。空は塵に覆われ寒冷化が進み動植物は死滅しはじめて、10年以上が経過。食料が尽きた世界で、ある者は餓死し、ある者は自殺を選び、またある者はお互いを食べ合う。そんな荒廃した世界で、善き者であろうとし続け、南を目指し歩き続ける父と息子がいた…というストーリー。
『ザ・ウォーカー』とまったく同じ設定の作品。同様に“イーライ”が登場することからも、裏にある隠喩が同じであろうことがわかる。はっきり言って、終末思想のある宗教観の人じゃないと、ピンとこないのではなかろうか。聖書にあるとおりにのことが顕れると、随喜の涙を流して喜ぶような人にしかね。『ザ・ウォーカー』の場合は、まだ、異教徒でもSF作品として受け止めることは可能だったに、本作は何が何やらわからない状態。
#この二つの作品を、近い時期に公開しちゃうアメリカって、なんなんだろう。おまけにアメリカ国内では、本作の評価が相当高かった模様。原理主義者の思考はよくわからん。
滅び行く世界がすごくリアルだと評価する人がいるのだが、そうかあ?って感じ。まあ、大災害の様子が描写されていないから、なんとも言えないんだけど、民家とか市街地は破壊こそされているが、根こそぎ消滅しているわけでも無さそう。ならば、食料がなくなるのは判るとして、10年やそこらで靴や衣服は枯渇するのは変な話。タダでさえ人間がバタバタ死んで使う人はいないわけだし、それこそ売るほど残っているはず。
根本的に、なんで南の海岸に行かねばならぬのか。いや、寒さから逃れるために南にいくというのはわからんでもない。で、あれだけガリガリになったときに、奇跡的に発見したシェルターを放棄してまで、南にいくモチベーションって何?数百キロでどれだけ気候が違うっていうのか(いままでもっと北にいたんでしょ?)
人の足音がしたからと、安全策で移動したくなるのもわかるが、とりあえずシェルターからある程度の食料を持ち出した後にシェルターをしっかり隠し、そばの家なり近くの森なりに隠れて何日か様子を伺うのが、普通の思考だろう。人の親なら、子供の体力回復を優先しろっての。
最後に、絵に書いたような父母兄妹に犬という家族が登場って、何を意味しているのやら。結果からすると、シェルターの上を通ったのは、最後の家族なんだろう。そうなると、おびえて逃げ回った父の役回りはなんだったのか。父の死は単なる独り立ちの儀式か、だとすると家族と出会い子供として受け入れられるのはどういうことなのか。
また、いろんな場面で、“いい人”“悪い人”という表現が出てくるが、盗んだり、人喰いしたりする人が悪い人という、この期に及んでそんな単純な線引きしかしない価値観の押し付けに、かなりうんざり。インチキくさい宗教家の詭弁まみれの説法を聞かされ、煙に撒かれたような感じ。
親子愛を感じるためとか、滅び行く世界のサバイバルを実感するとか、狂った世界の恐怖を味わうとか、そういう目的ならもっと他の作品がある。どの要素をとっても水準以下だと思う。正直、おもしろくないを通り越して不快。お薦めしない。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:日本
時 間:138分
監 督:山崎貴
出 演:木村拓哉、黒木メイサ、柳葉敏郎、緒形直人、池内博之、マイコ、矢柴俊博、波岡一喜、斎藤工、三浦貴大、大和田健介、原田佳奈、石川紗彩、佐々木一平、沢井美優、杉浦文紀、上野なつひ、東海林愛美、松本まりか、南圭介、浅利陽介、田中要次、須田邦裕、飯田基祐、二階堂智、藤田弓子、堤真一、高島礼子、橋爪功、西田敏行、山崎努、緒方賢一、上田みゆき、伊武雅刀 他
2194年。地球は突如出現した謎の異星人“ガミラス”の攻撃により滅亡の危機に瀕していた。人類は全力で防衛するものの、遊星爆弾による攻撃で海は干上がり、放射能の影響で生物の大半は死滅してしまう。わずかに生き残った人々は地下都市を建設し攻撃に耐えていた。ある日、はるか14万8千光年先の惑星・イスカンダルからのメッセージカプセルが地球に落下。カプセルには、波動エンジンの設計図とイスカンダルの正確な座標情報が示されていた。地球防衛軍はそれらの情報に加えて、彼らには放射能除去装置を渡す意思があると発表。これを人類最後の希望として、宇宙戦艦ヤマトはイスカンダルへと旅立つ…というストーリー。
SFのアニメの金字塔みたいなことを言われているけれど、実のところ元のアニメ版ってSFとしてはむちゃくちゃだし、根本的にそんなに面白いわけでもない。原作に忠実になればなるほど、つまらなくなるのは目に見えているので、これをどれだけ崩しつつ、かつ外れすぎないか…が勝負どころ。
森雪をブラックタイガー隊にしたり、佐渡先生を女医にしたりと、いろいろ試みてはいるけど、そこの効果はイマイチ。正直、どうでもよくって、別に良い効果も悪い効果もない。沖田艦長もどっちかというと土方艦長に見えるけど、それもどうでもよい。アナライザーの扱いも艦内をちょろちょろされても意味はなかっただろうからアレでよかったと思う。
ただ、相原さんを梅酒のお姉さんにしたセンスだけは認める。その1点だけであの職場で是非働いてみたい気持ちになった(笑)。
はっきりいってクソみたいなカメラアングルでどうしようもないのと、木村拓哉と柳葉敏郎の演技が他の作品とまったく同じことを除けば、前半50分まで、なかなか満足のいくデキだったと思う(いい崩し方だった)。しかし、ガミラス星に近づいたあたりからガラガラと崩れるようにつまらなくなる。
話が淡々と流れすぎでいるのに加え、描写しないといけないシーンが端折られている。最後の戦闘シーンなど、もうちょっと丁寧に描かないとダメだろう。“ヤマト”が全然闘っていないのよ(←わかるかなぁ、この感覚)。
ガミラスとイスカンダルが、アニメ版のように人間体でないことは良しとしても、放射能除去装置のくだりがふわふわしすぎててよくわからん(アバターじゃねーんだから)。やっぱり“何か目に見えるもの”を必死に持ち帰らんといけなかったのではなかろうか。
最後も玉砕するだけじゃなく、なにかヒネリがほしかった。シナリオが力尽きた感じがして、どうにもがっかりさせられる。
古代と雪の間に子供ができるくだりは不要。激戦のさなかに子作りしてたと思うと醒めるわ。最後は雪が一人で復活しつつある地球に佇んでいるだけでよかろうが。
#最後は、エアロスミスじゃなくって、「真っ赤なスカーフ」がマッチするようなシーンにしてほしかったし。
はっきりいって、アメリカのSF作品の影響(というかパクり)は、大目に見る。同様の技術を駆使することができるという、日本映画界の技術レベルに対する、最低ラインの安心感を得られた…という意味においては。でも、お薦めはしない。本当に後半がどうしようもない。
#まあ『キャシャーン』よりはよし。『ヤッターマン』といい勝負ってところかな。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:125分
監 督:ジョセフ・コシンスキー
出 演:ギャレット・ヘドランド、ジェフ・ブリッジス、オリヴィア・ワイルド、マイケル・シーン、ボー・ガレット、ブルース・ボックスライトナー、ヤヤ・ダコスタ、セリンダ・スワン、ジェームズ・フレイン、エリザベス・マシス、オーウェン・ベスト 他
ノミネート:【2010年/第83回アカデミー賞】音響賞[編集](Addison Teague、Gwendolyn Yates Whittle)
【2010年/第16回放送映画批評家協会賞】視覚効果賞
【2011年/第20回MTVムービー・アワード】ブレイクアウト・スター賞(オリヴィア・ワイルド)
コンピュータ業界のカリスマ・エンコム社CEOケヴィン・フリンが失踪して20年。ある日、27歳となった息子サムのもとにケヴィンからと思われるメッセージが。その導きに従い父の営んでいたゲームセンターへとやって来たサムは秘密の小部屋を発見。そこにあったコンピュータ・システムを起動すると、肉体が電子変換されコンピュータ内の世界に引きずり込まれてしまう。捉えられたサムは、強制的に命をかけた危険なゲームに参加させられるが、謎の女性クオラに窮地を救われ…というストーリー。
本家『トロン』を観ないとアウトということはないけれど、多分本作だけ観ると「たいしたことなんじゃね?」って感じになっちゃうような気がする。いまどきこのレベルの作品はたくさんあるからね。だから、本家を観ておくことを強くお薦めしたい。「あの世界がこうなっちゃった」っていう別の感動がそこにある。その後の技術進歩に沿って、トロン世界自体も革新されていたってノリで、元のトロン世界からのグレードアップも違和感無く説明されていて良し。
タイトルの“トロン”が悪役として登場するのも違和感があるだろう。一応説明はあるものの「で、結局トロンってなんなのさ」って感は否めない。でも、それも本家を観ておけば、腑に落ちるはず(まあ、あの扱いで終わらしたのが正解か否かは微妙だけど)。
新OSといいつつUNIXコマンドなのはご愛嬌(MacOSがUNIXベースなのと一緒ってことで)。psコマンドでプロセス探して、killコマンドで簡単に止まる程度なら、私にも簡単にハッキングできそうだ(笑)。ここまでやるなら、ケヴィンはデーモンプロセスになってて他のやつらからは見えないとか、トロンは特定時間だけソケットの口が開くので、タイミングをみはからって通信できるとか、UNIX技術者にしかわからんネタでも仕込んでくれればカルトムービー化したかもしれないのに。
#「Wi-Fi?80年代に思いついていた」ってこのセリフで、「あ、こいつ死亡フラグ立ったな」って思ったのは私だけ?
3D映画にはうってつけの素材なので、今続編が作られるのはタイミング的に理解できる。その他の技術的テーマとしは、若めのジェフ・ブリッジスをCGで表現しているところ。どれだけ違和感なくCGで若返らせることができるか。その点に関してはA-ってとこかな。映画版『ファイナルファンタジー』のころの技術とは隔世の感があるけれど、まだ顔の筋肉の動きなど違和感はある。
また、本家同様、いまいちストーリーに緩急がないのが難点か(そこまで引き継がなくても良かったのに)。本家もそうなんだけど、所詮コンピュータなので、内部で何かの作戦を実行していてうまくいきそうなときに、だれかがコンピュータを操作してしまって、作戦が失敗してしまうとか、そういう類のピンチがあってもよかったと思う(chmodコマンドを含むシェルが起動して書き込みできなくなっちゃうとか、そういう低レベルでもいい)。まあ、本作の場合、コンピュータが人目に付かない場所にあるから、どうしようもないんだけどさ。
エンコム社のOSは世界に拡散しちゃったし、トロンの世界では電脳生命が誕生しちゃう奇跡が発生したわけだから、他のどこかで同じような世界が生まれ、現実世界に進出してくるってことも可能。次回作は完全にその流れでしょう。そして、これが後の『マトリックス』世界になりましたとさ……なんて感じには、ディズニーとワーナーだからなるはずがない。
とにかく、本家⇒レガシーの順で観れば、なかなか味わい深い。軽くお薦め。
#個人的には仮面ライダー555が頭をよぎる(ってか、555のデザインは『トロン』のパクリだって訴えられてもおかしくないような…)。
負けるな日本
公開年:1982年
公開国:カナダ、アメリカ
時 間:98分
監 督:スティーヴン・リズバーガー
出 演:ジェフ・ブリッジス、ブルース・ボックスライトナー、デヴィッド・ワーナー、シンディ・モーガン、バーナード・ヒューズ、ダン・ショア 他
受 賞:【1982年/第55回アカデミー賞】衣装デザイン賞(Elois Jenssen、Rosanna Norton)、音響賞(Jim LaRue、Michael Minkler、Lee Minkler、Bob Minkler)
大人気ゲーム“スペースパラノイド”を開発したものの、プログラムを同僚のデリンジャーに盗まれ発表されしまったフリン。その後、デリンジャーはエンコム社長となり、フリンは場末のゲームセンターの管理人に。怒り収まらぬフリンはデリンジャーが盗作をした証拠を掴むべく、毎晩エンコム社へのハッキングを続ける。だが証拠のデータはデリンジャーが開発したMCP(マスター・コントロール・プログラム)によって厳重に遮蔽されており到達することができない。ある日、エンコム社員アランと恋人ローラが、フリンがハッキングしていることを知る。二人は、社内のコンピュータに直接アクセスするためにフリンをエンコム社に導くことを了承し、アランも不正調査とMCP破壊のために、開発途中の監視プログラム・トロンを起動することを決意するのだったが…というストーリー。
『トロン:レガシー』 をレンタルしたのだが、本家を観ておかないとわけがわからないのでは?と思い一緒にレンタル(本家は未見)。
1982年であることを考えると、驚異的な技術だと思う(ファミコンの発売が1983年)。技術は時間とともに陳腐化していくので、技術だけをウリにしていく作品は忘れされれていく…なんて評価をしている人がいるが、絶対に同意しない。その努力が画面から伝わってくれば卑下されることなどないのだ。当時の技術ではフルCGは不可能で、アニメなどで補完していることを、マイナス要因として指摘する人もいる。しかし、別にそれっぽく見えれば良いわけで、それが問題ならば、『ジュラシックパーク』でCGとマペットの両方を使っていることだってダメってことになる。
まあ、さすがに今みると、ピコピコ感は否めないのだが、独特の音楽と動きで様式美といえるところまで昇華されていると思う。技術的限界を逆手にとって、白黒フィルムと合成して雰囲気を出すなど、このような困難にぶち当たったときに発揮される知恵とセンスの融合に、私は感動する。将来、技術的に陳腐化しても味わいが感じられるようにすることを意識していたとすれば、相当の先見の明かと。
ライトサイクルのデザインは秀逸でカッチョ良すぎ(デザイナーのシド・ミードって、後に『『∀ガンダム』のデザインをした人だよね。私、ヒゲガンダムのデザイン好き)。
プロブラムによる人格っていうのは『攻殻機動隊』にも通じるし、日本の特撮番組だと『電光超人グリッドマン』なんてのもあった(←世に出るのが早すぎた作品だったね)。これにプラトンばりの認識論に仏教の“空”の概念でもくっつければ『マトリックス』になる。なんとなく不思議の国のアリスを匂わせるところも『マトリックス』と一緒だ。『トロン』がなければこれら作品が無かったとまではいわないが、仮想現実を具現化した作品のパイオニアであることは誰も否定できないと思う。
ただ、ストーリーが平板に感じるのは否めない事実。悪者を退治するヒロイックストーリーとして、ポイントは抑えられていると思うのだが、テンポに緩急がないから、飽きてくるのだろう。再編集すれば、かなりよくなるような気がする。お薦めかどうかは、明日の『トロン:レガシー』 を観て、一緒に観るべきか、単なる男の子向け作品どうかを判断させてもらいたい。
#お願いだから、ディズニーは吹替えありのDVD出して欲しい。
負けるな日本
公開年:1987年
公開国:アメリカ
時 間:107分
監 督:マシュー・ロビン
出 演:ジェシカ・タンディ、ヒューム・クローニン、フランク・マクレー、エリザベス・ペーニャ、マイケル・カーマイン、デニス・ボウトシカリス、トム・アルドリッジ、ジェーン・ホフマン、ジョン・ディサンティ、ジョン・パンコウ、ドリス・ベラック 他
ニューヨークのイーストサイドにある古アパートでは、立ち退きをめぐって不動産業者と住民の争いが続いていた。死んだ息子がまだ生きていると信じる妻を世話する夫のフランクをはじめ住人たちは、苛烈を極める日々の立ち退き工作に疲れ果てていた。そんなある日、空の彼方から空飛ぶ円盤の形をした夫婦の宇宙生物が飛来し、アパートの屋上の小屋で暮らし始める。円盤生物たちは、破損したアパートを次々修復。住人たちとも仲良くなり、やがて、3匹の子供まで産まれ、修復したフランクのコーヒーショップで、手伝いをしてくれるまでになるのだった。しかし、地上げ屋のカルロスがアパートに侵入し、建物を破壊しようとするところで、父親の宇宙生物が見つかって壊されてしまい…というストーリー。
この邦題の仰々しさが、必要以上に感動作っぽさをあおっていてよろしくないのかも。子供がつくった童話絵本を観るような、暖かい気持ちで気楽に見てあげないと、ちょっと厳しい作品。
たしかに、地上げしている不動産業者は悪者なんだろうけど、すでに満足にダイナーを営むことの出来ない老人(だって、UFOさんたちが手伝わないと店は廻らないわけでしょ?)が、あそこの場所に固執するメリットが感じられないし、他の住人も経済的な理由以外に、あの場所に固執する理由がわからないので、共感しにくい。
もし、弱者を締め出すような社会を批判したいのなら、単にあのアパートが残りましとさ…だけで終わるのではなく、あのアパートを核にして、仕事が生まれ、町全体が生き生きと活気付いていくんだろうな…ということを匂わさないといけないと思う。
キレイになった家に住みつづけて、彼らは本当に幸せなのか。私にはそう思えなかったことが、一番ノリきれなかった理由かな。
それに、完全立ち退きを前提に計画が進んでいるのに、あのアパートが残った状態の、完成模型があることが理解できない。展開の都合のよさは、所詮ファンタジーなので許容範囲なのだが、ディテールのツメの甘さが、個人的にはなんとも許しがたい。
私だったら、模型のとおりに、虫食い状態で巨大ビルが完成して、それでもあのコーヒーショップは力強く大繁盛ってラストにする。そのほうが、味があったと思うんだけど。
さらに、根本的なことを言ってしまうと、別に、UFOじゃなくても妖精でもゴブリンでも幽霊でも謎の虫でもなんでもよかったりもする。UFOである必然性というか、UFOであることのストーリー上のメリットがもうちょっと感じられれば印象は違ったかもしれない。多分、子供が観ても、それほど面白いと感じない気がするので、お薦めはしない。
負けるな日本
公開年:1989年
公開国:アメリカ
時 間:171分
監 督:ジェームズ・キャメロン
出 演:エド・ハリス、メアリー・エリザベス・マストラントニオ、マイケル・ビーン、レオ・ハーメスター、アダム・ネルソン、キャプテン・キッド・ブリューワー・Jr、トッド・グラフ、ジョージ・ロバート・クレック、ジョン・ベッドフォード・ロイド、クリストファー・マーフィ、J・C・クイン、キンバリー・スコット、マイケル・ビーチ 他
受 賞:【1989年/第62回アカデミー賞】視覚効果賞(デニス・スコタック、ホイト・イートマン、デニス・ミューレン、ジョン・ブルーノ)
コピー:「ターミネーター」「エイリアン2」のジェームズ・キャメロン監督が送る人類が初めて遭遇する愛と感動のスペクタクル・アドベンチャー!
海底油田の発掘基地で作業していたバッドたちは、近くの海域で原子力潜水艦が行方不明となったため捜索に加わるように指示を受ける。いやいやながらも、会社の厳命と多額の報酬に参加する。海溝で発見した原潜を発見し生存者の捜索にあたるが成果なし。その時、一部のクルーが生命体らしき謎の発光体に遭遇する。しかし、原潜沈没の原因がソ連の攻撃だと考える軍から派遣されたコフィは未知の生命体の存在を信じず、密かに沈没した原潜から核弾頭を回収する。そんな中、ハリケーンの影響により海上と発掘基地は断絶し、酸素の残量も半日程度となってしまう。コフィは不慣れな海底活動でのストレスと重責へのプレッシャーから徐々に正気を失い、核弾頭を海溝深くで爆破させようと考え…というストーリー。
大昔に鑑賞したが、今回は明らかに避暑目的でチョイス。171分の完全版というやつだが、確かに長い。当時、『ザ・デプス』『スフィア』『リバイアサン』と本作という、海洋SF系の作品がずらっとレンタルビデオ屋に並んでいたのを思い出す。同じテイストの作品が全部1989年製作で、何とも不思議だった。SFX技術の発達過程としては当然の流れだったのだろうか。
#正直、本作も観終わるまでは、他の作品と記憶が混同していたね。
後に『タイタニック』を製作することで判るように、好きこそ物の上手なれというか、海洋へのこだわりは半端ないキャメロン監督。プールなどで撮影されたと思われる海底シーンは非常にリアルで、海底基地などの設備も実に本物らしい良いデキ。13年前の作品とは思えないほど、映像的な完成度は高いと思う(まあ、本当にそんな装備で数百メートルオーダーの海底で活動可能なの?と思うシーンは多々あるがご愛嬌)。
1990年前後は、民生のサラウンド機材が安価に手に入るようになった頃で、この時期の作品は結構わかりやすいサラウンド音声が盛り込まれていたりする。リアスピーカーを左から右に何かが通る…とかね(『星の王子ニューヨークへ行く』なんかは、後ろを象が通るのが楽しかった)。本作も音声は凝っているので、サラウンドはONにしておこう。
その反面、ストーリーは大味。未知の生命体の扱いも取ってつけたように感じるし、人間ドラマの部分はオマケ感が否めない。そしてひたすら閉塞感の中、展開する。これは、キャメロン監督作品には多い、緊張と緩和が何度か繰り返されるのではなく、ずーーーっと緊張を重ねて、最後に緩和がくるパターン。かといって、大きなカタルシスが得られないのも特徴で、お祭りの見世物に近い感覚かもしれない(良くも悪くも)。
キャメロン監督は、“こういうすごい画を撮りたい!”という欲求が先に湧き上がって、そこからストーリーを肉付けしていくタイプなんだと思う。今回も深海底で作業する緊張感や、そこで光る生命体と接触するシーンが浮かんだんだろう。だから、あの後、宇宙人さんと人間がどういう関わりを持つとか、何でいままで海底に潜んでいたのか?とか、そういう前後の整合性なんかはどうでもいいのである。考えずに、その場その場を愉しめ!それだけの作品である。否定しているわけではなく、そういう映画というのもアリだからね。
考えなくていいストーリーというのは、やはり避暑目的に合っていると思うよ。団扇とビール片手にどうぞ。途中で寝ちゃったとしても、実害なし。季節限定で軽くお薦め。
#でも、津波シーンがアレなんで、しばらくTV放送はありえない作品だな。
負けるな日本
公開年:2008年
公開国:カナダ、フランス
時 間:104分
監 督:ヴィンチェンゾ・ナタリ
出 演:エイドリアン・ブロディ、サラ・ポーリー、デルフィーヌ・シャネアック、ブランドン・マクギボン、シモーナ・メカネスキュ、デヴィッド・ヒューレット 他
コピー:禁断の実験で生まれた“美しき新生命体”──
天才遺伝子科学者のクライヴとエルサは、複数の動物の遺伝子を融合させて未知の生物を作り出し、そこから人類に有益なたんぱく質を採取するプロジェクトに参加していた。しかし、企業内の倫理コードに阻まれ、思うように研究を進めることができず、その苛立ちから別の研究所で独自に遂行することに。やがて、人間と動物の遺伝子を合成させた生物を産み出すことに成功。2人はその生き物を“ドレン”と名付け、極秘に育て始めが、ドレンは驚くべき速さで成長し、徐々に人間の女性の姿に近づいていくのだった…というストーリー。
『スピーシーズ』と似てはいるが、あっちは行為の時は人間のフォルムだったけど、こっちは異形の実験動物だものな。
ヴィンチェンゾ・ナタリ作品の特徴って、荒唐無稽にならないギリギリの線の科学ギミックと、軽く吐き気を及ぼすような演出って共通点があると思う。だから、いまさら『CUBE』ほどの独創性を感じない。
一番よくないのは、あわよくば続編ができるように…という終わり方をしているところ。『キューブ』で味をしめているのが見え見えなのだが、いつも言っているが、続編ができることなんか気にしてるようでは、ヌルい作品になるのだ。一作入魂だっつーの。
まあ、興味深い点もないわけではない。当初の肉塊のような生物が次第にエルサに近づいていく様子。恐ろしい異形の生物よりも、微妙な線で人間に似ているほうが、よっぽど恐怖を感じるということを証明してくれている。いろんな生物のハイブリッドという設定で突き詰めていくと、ああいう造形になるんだろうな…っていうデザイン面の説得力もある。
それに、人造生物っていうありがちなSF設定ではあるが、女性がパートナーとの子供じゃなくって、純粋に自分の子供を求めるっていうのが、なんとも現代世相らしくてユニークだと思う。
SFであることを考えると、可もなく不可もないというところだろう。アメリカ作品でないことも、ありがちなハリウッド作品とは色合いの違いが生まれている遠因なんだと思う。お薦めはしないが警告もしない。
#エイドリアン・ブロディはオスカーを獲ってしまった余裕からなのか、逆にオスカー俳優のイメージを払拭したいからなのか、このレベルのキワモノ作品に躊躇無く出演している気がする。これが彼にとっていいことなのかどうか…。
負けるな日本
公開年:1988年
公開国:アメリカ
時 間:90分
監 督:グレアム・ベイカー
出 演:ジェームズ・カーン、マンディ・パティンキン、テレンス・スタンプ、ケヴィン・メイジャー・ハワード、レスリー・ビーヴィス、ピーター・ジェイソン、ジョージ・ジェネスキー、ジェフ・コーバー、ロジャー・アーロン・ブラウン、トニー・シモテス、ブライアン・トンプソン、フランク・マッカーシー、キオニー・ヤング、ドン・フッド、アール・ボーエン 他
大量の異星人が移住してきた近未来のロサンゼルス。刑事のサイクスはパトロール中に強盗事件に遭遇。応戦するが、強盗の“新移民”が使った強力な銃で相棒が殉職してしまう。翌日、署に出勤すると、連邦新移民局の指導を受けた市長の命令で、新移民のサム巡査を刑事に昇格させる人事発表が。新移民を相棒にすることを多くの刑事が嫌がるなか、サイクスはサムをパートナーにすることを申し出る。そして、それと引き換えに2日前に発生した新移民ヒューブリー殺害事件を担当させろと要求する。その事件で使用された銃が、相棒を殺した銃と同一のものだったからだ。そうして、て人間と新移民の刑事コンビは、二つの殺人事件に迫っていくのだが…というストーリー。
1980年代のアメリカの移民政策への批判を大いに含んだ作品。超低予算のB級中のB級ながら、しっかりとSFできているところがすごいし、且つ、しっかりと伝統的な刑事バディ物になっている点が秀逸だと思う。
新移民が冗談が下手で生肉を食うところから、もしかして日本人のこと?と思うかもしれないが、たぶん単なる味付けであって違うだろう。どちらかといえば、メキシコ人や韓国・中国人などのように、別の国に移民しておきながらも現地社会に同化しようとせず、閉鎖的なコミュニティをつくる集団を投影しているものと思われる。じゃあ、単純に移民政策を批判しているかというと、劇中のサイクスの態度を見ればそうではないことが判るし、この作品がその後TVシリーズになったことからも、アメリカ人の受け止め方もそうではないということが判る。
『イキガミ』のときにも書いたけど、ただ話をつらつらと展開させただけだと、観客が先回りして想像してしまうので、ちょっと目をそらさせないといけない。そういう意味で、異星人の特徴、ビーバーの生肉大好き・急所は脇の下・腐った牛乳で酔う・海に溶けるなんていうギミックがとても効果的に働いている。秀逸なプロットの作品は多々あるが、映画というのは、こういう遊び心が無いと、なかなかいい結果にならないものである。
発生する事件はとても平凡で、もしこれで相棒が異星人でなければ、なんてことない話。それをここまで愉快な作品に仕上げられたのは素晴らしいと思う。
#このセンスが、昨日の『ゴースト・オブ・マーズ』にあれば、いくらか違ったと思うのだが。
本作と『第9地区』はまったく同じテーマだが、どちらが昇華できてるか?と聞かれれば間違いなく本作だと答える。無駄なシーンも少なくて編集的にもすっきりとしている。その点でも評価したい。古い作品なので、観ていない人もいいだろうが、掘り起こして観て欲しい。お薦め。
負けるな日本
公開年:2001年
公開国:アメリカ
時 間:98分
監 督:ジョン・カーペンター
出 演:アイス キューブ、ナターシャ・ヘンストリッジ、ジェイソン・ステイサム、パム・グリアー、クレア・デュバル、ジョアンナ・キャシディ、デュアン・デイヴィス、ローズマリー・フォーサイス、リチャード・セトロン、リーアム・ウェイト、ロボ・セバスチャン、ロドニー・A・グラント、ピーター・ジェイソン、ワンダ・デ・ヘスース 他
コピー:殺生、100万人
近未来地球人vt火星先住民
西暦2176年。人類は火星を植民地化し、天然資源の採掘を行っていた。火星警察に配属されたメラニー・バラード警部補は、鉱山町の刑務所にいる重要犯罪者ジェームズ“デゾレーション”ウイリアムズを護送する任務を受け、現地へ向かっていた。しかし、到着してみると町は死体の山となっており、生き残っているのは牢獄にいる犯罪者たちだけだった…というストーリー。
ジョン・カーペンターがどんな作品をつくる監督か、おおよそ把握できていれば、それほど愕然とすることもないと思うが、普通の人はクソ映画だと思うだろうね。火星が舞台というSFながら、西部劇をベースにしているのは明らかだが、映像的なセンスは別として、なんで2001年にわざわざ西部劇を持ってこなければいけないのか。その意図の方が私には理解しがたい。アメリカのグローバル戦略や海外派兵を糾弾したいのか、純粋に西部劇テイストを楽しみたいのか。いずれにせよ何かズレている気が…。
メラニーの回想で進行していく意味も、さっぱりわからない。こういう演出をする場合は、聴取が終わった後に、よほど驚かせるような展開がないとグズグズになる。そしてグズグズになった(笑)。私は、陳腐とは思いつつも、実はメラニーは憑かれていて…みたいな展開がよぎっていたんだけど、その陳腐な演出すら存在しなかった。
火星という広大な舞台ながら、スタジオなんだかオープンセットなんだかわからないけど、とてつもなく狭苦しい印象。いかにも金をかけていなさそうでショボさ満開。別に、植民地が現世界と大きくかけ離れている必然性もないので、メキシコかどっかの実際の田舎町で普通に撮影したほうが味があったと思うのだが。
もう、内容を伏せる気もないので書いちゃう。敵である火星の霊と散々バトルを繰り広げたけど、宿主が死んでも抜けてしまうだけなので、実際は1体たりとも退治できていないんだよね。ふつう、退治する方法をみつけてなんとか迎撃するってのが常套だと思うんだけど、それすら崩壊。いやぁ、実にブッ飛んでいる。
ジョン・カーペンターな様式美として受け入れてあげたい気持ちはあるのだが、それにしてもデキが悪い。ちなみに本国でも公開2週間で打ち切りになったそうだ。それなのに、1年後に日本では公開されたみたいだけど、どういうことなんだか。もっと公開すべき作品があるだろうに(笑)。
まあ、本作が許容できるか否かは、好みの傾向を知る上で、ある意味リトマス試験紙の役割を果たすかな。まあ、私はギリギリで許容するけど、仏の顔も三度まで…という言葉が脳裏をよぎるけど。
負けるな日本
公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:95分
監 督:リー・タマホリ
出 演:ニコラス・ケイジ、ジュリアン・ムーア、ジェシカ・ビール、トーマス・クレッチマン、トリー・キトルズ、ピーター・フォーク、ホセ・ズニーガ、ジム・ビーヴァー、マイケル・トルッコ 他
コピー:彼には見える、2分先の未来が──
世界を脅かす核テロリズム。政府はたった一人の男が持つ、予知能力に全てを賭けた。
2分先の未来を予知できる超能力者のクリスだったが、その能力を知られないようにベガスで売れないマジシャンとして暮らしている。しかし、2分先しか見えないはずなのに、美しい女性と出会うイメージが、時折クリスの脳裏を支配し、彼はその出会いの場面のレストランで、当ても無く彼女を待つ日々を繰り返していた。そんなある日、FBI捜査官のカリーが現われ、テロリストに奪われた核兵器の捜索に力を貸して欲しいと依頼に訪れる。面倒に巻き込まれたくないクリスはと要請を断り逃げ回るが、そんな折、レストランであのイメージの女性が現れるのだった…というストーリー。
2分先が見えるという設定は、まあ良しとしよう。
でも、その発動条件は何か?見よう!と思うことか?それともずっとパラレルで見えている状態なのか?
見ようと思うと、その時点から先の2分が始まるのか?いや、それなら見終わった後に2分先の出来事が始まっちゃうから避けられない。ってことは、2分先の出来事が、ぐわーっと一瞬で把握できるってことか?そうじゃないと変だよね。
でも、うまくいかなかったら何度もやり直すシーンがあって、まるで時間が戻っているようなんだけど。テロリストを追い詰める工場らしき場所では、分身の術的な感じで、間違いなく時間をやり直してトレースしているイメージ。なんか、先が見えているのとはちょっと違うんじゃないかな。演習的に。はっきりいってSFとしてギミックが変なんだよ。だからつまんないの。
2分先は見えたところで、その程度じゃぁどうしようもないことが世の中にはいっぱいあるわけで、その制限をどう乗り越えていくか…それがこのアイデアの醍醐味だと思うのだが、描ききれていない。さらにリズに関してだけは、その制限すら外れてしまうって、2分の制限が全てにおいて無意味じゃん。
おまけに、なんでFBI捜査官が彼のことを知り得たのか、発端がやっぱりわからない。探し当てようがないと思うんだけど。
ちょっと考えると荒唐無稽なことばかりで、愉しみようがない。アクションは中途半端だわ、オチはすっきりしないわ、もうクソ映画である。久々に無条件でつまらない映画。お薦めしない。
負けるな日本
公開年:1926年
公開国:ドイツ
時 間:104分
監 督:フリッツ・ラング
出 演:アルフレート・アーベル、ブリギッテ・ヘルム、グスタフ・フレーリッヒ、フリッツ・ラスプ、ルドルフ・クライン=ロッゲ 他
労働者達は地下深くでの生活を強いられ、家畜同然の労働をさせられている。一方資本家たちは、地上で楽園のような生活をおくっている。ある日、偶然にも社長の息子が地下に降りて、労働者たちの悲惨な生活を見てしまう。そこでは、労働者の娘マリアが、労働者と資本家の間に、人間らしい心の絆が必要であることを説き、目覚めた労働者たちのストライキの気運が醸成されていた。それを察知した社長はマリアを監禁し、彼女そっくりの人造人間を地下に送り込み、労働者達をコントロールしようと考えるのだが…というストーリー。
淀川長治総監修の世界クラシック名画100選集のうちの1本に本作が入っているのだが、その収録時間は94分ほど。BSで放送されるのは2時間ほどで、違う版なのか?と思い、見せていただいた。
さて、このBSで放送されたのは何版か。放送の冒頭では、“現存する部分を編集し原版に近づけたものである”とある。さらに“オリジナルの字幕に加え、紛失した部分を原作で補い、物語の助けとした 映像の欠損部分は黒いフィルムを挿入してある”とのこと。
完全版に近い2008年の150分版ではもちろんない。2002年に新発見フィルムを再編集した版というのが123分なので、これだろうか(しかし放映時間が正味二時間未満だったので、微妙に違うような)。もちろん、1984年のジョルジオ・モロダー版ではない(ウィキペディアで調べると、ロック調の音楽で一部カラー版とあるので)。DVDは字幕が英語だからアメリカ版か?でも最後、社長と労働者は握手してるぞ。あれ?根本的に淀川長治総監修のDVDは何版だよ?!う~ん。結局、どういう版なのか全部わからなくなる始末(笑)。ご存知の方がいたら教えて欲しい。
#ちなみのDVDの音楽はジャズ調で、BS放送はクラシック調。で、両方観たのだが、明確にどのシーンが追加されたのか良く判らなかった。短い方がテンポが良くてまとまりがいいかもしれない。
ただBSで放送されたものは、なんといっても、DVD(おそらくパブリックドメインになったフィルムをそのままDVDにしたもの)よりも、格段に画質が良かった。DVDでは、評価の高い美術部分がぼんやりしてさっぱりわからないのだが、BS放送ではクッキリはっきりで、「こんな綺麗だったのか!!!!」といたく感動。『砂の惑星』に劣らない、直線と曲線の美学の素晴らしさよ。いやあ、良いモノを観た。
#DVDは観続けるのがつらくなるほど画質が汚い。
『戦艦ポチョムキン』と同様で、当時の資本主義と共産主義の対立構造をテーマにした作品で、同時の社会情勢がよくわかる一本。いささか抽象的な表現が過ぎる気もするが、無声にもかかわらずストーリー構成もわかりやすく、あまり説明を読まなくてもスッと入ってくる点は秀逸。
どちらかといえば共産主義を良しとしているように見え、これからナチスによる国家社会主義に向かおうとする国でつくられた映画というのが、興味深い。別に明示的にナチスや共産主義を賛美しているわけではないが、こういう視点の作品がヒットする土壌というのが、全体主義の悪魔に付け入る隙を与えるのだな…と。単なる身近な生活の不満を体制の責任と断罪し、体制を倒すぞ!と息巻いて無法を働く民衆というのは、悪魔にとってはおいしいエサということだ。
#さてさて、昨今のエジプトには、どんな悪魔が寄って来ることやら。
現在の状況への不満だけで政権交代をさせて、「やってやった!」感まるだしだったここ数年の多くの日本人も、似たようなものか。子供手当て以上に増税されることなど、初めからわかっていたのに、いまになって平気の平左で「話が違う」とブーブー言っている姿が滑稽でならない。おめでたい人ばかり。
まあ、そういう人々にはいくら正論をいっても無駄なことはわかったし、大衆とはそういうものなんだ…と勉強になったと、思い込むことにしている。
本作を観ていると、多分、日本でも悪魔がペロペロ舌なめずりしているんだろうな…と。いまだに大連立の話が出るものね。いまや各界で主導権を握る“学生運動からの転向組”の眠っていた遺伝子が発動しはじめるのかもしれない。
なにか、今の社会情勢を踏まえて改めてみると、妙に感慨深い作品。軽くお薦め。
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:118分
監 督:アレン・ヒューズ、アルバート・ヒューズ
出 演:デンゼル・ワシントン、ゲイリー・オールドマン、ミラ・クニス、レイ・スティーヴンソン、ジェニファー・ビールス、フランシス・デ・ラ・トゥーア、マイケル・ガンボン、トム・ウェイツ、エヴァン・ジョーンズ、ジョー・ピングー、クリス・ブラウニング、リチャード・セトロン、ラティーフ・クラウダー、マルコム・マクダウェル 他
コピー: 運べ、西へ。世界に残るたった一冊の本を──。
核で滅びた世界。イーライはアメリカ大陸の荒野を本を運んで西に向かって歩き続けていた。彼は、その本を求めて近づこうとする者を容赦なく殺していく。道中、カーネギーという男が独裁的に支配する町に立ち寄ったが、カーネギーは、ある本をずっと探しており、その本があれば世界を支配できると考えていた。そして、イーライが持っている本が、探している本だと感付くのだったが…というストーリー。
いきなりネタバレ注意。
んー。アクションは『アフロサムライ』で根本プロットは『アイ・アム・レジェンド』って感じ。核戦争後の崩壊した世界で…みたいな映画は腐るほどあるので、既視感がものすごくある。それを超えるだけの何かがあるのか無いのか。そこがすべてといえる。
始めは宗教に批判的なノリなのかと思って好意的に観ていたのだが、逆に宗教の尊さを語りたいのが見えてくると、いささかテンションが下がる。文明を滅ぼしたのは“宗教”だけど、文明が壊滅した後に人類を救うのも、やっぱり“宗教”だってこと?それもキリスト教って、正直、なんだかなぁ…という印象。
イーライってのは、旧約聖書に出てくるエリヤのことかな。旧約聖書にはありがちだけど、預言者といえども、結構さくさくと大量殺人はするし、ウィキペディアに載ってる宗教画でも聖書を持ってるくらいなので、ある意味、正しい描写の宗教説話とも言える。キリスト教的価値観がしっくりくる人にはたまらないとは思うのだが、私にはさっぱり響かなかった。
イラーイは「道を逸れるな」と何度もつぶやきながら悪事を見過ごす。一見すると聖書を運ぶことに集中しろって言ってるように見えるけど、実は逆で、聖書を守ることばかりじゃなくて、人のために尽くさないと…と自分を説得してるんだよね?だよね?って、誰かに確認したくなる点が実に多い。色々、ミスリードを仕掛けてるようなのだが、この作品は判りにくい。根本的に“本を運ぶ”というのが啓示によるものだってことすら判りにくい。判りにくさの最たる点は、イーライは座頭市状態なの?って部分。でも、『シックス・センス』の時のように、「ああ!そういうことぉ?」っていう驚きも薄いし、もう一回観ようって気にもならず、映画自体の力の無さを表していると思う。
キリスト教に詳しいか否か。それが、本作をおもしろい!深い!と感じるかどうかの境目。しかし、邦題は“THE BOOK OF ELI”ではなく“ザ・ウォーカー”。配給会社は、大半の日本人には判るはずが無いと判断しているわけだ。コレが答えかな。
お薦めできないわけではないが、多くの人がふわっと観終えることになるだろう。旧作になるのを待ってからで十分だと思う。
#食料が極端に少ない世界なのに、けっこうみんなムチムチなのが、どうかと思うけどね…。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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