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公開年:2010年
公開国:イギリス
時 間:106分
監 督:ジム・ローチ
出 演:エミリー・ワトソン、デヴィッド・ウェナム、ヒューゴ・ウィーヴィング、タラ・モーリス、アシュリング・ロフタス、ロレイン・アシュボーン 他
コピー:その手を誰も忘れなかった。
1986年。イギリスのノッティンガム。ソーシャルワーカーのマーガレットは、ある日、オーストラリアからやって来たシャーロットという女性から、自分のルーツを調べてほしいという相談を受ける。シャーロットは、幼児期にノッティンガムの児童養護施設にいたが、4歳の時に突然ほかの数百人の子どもたちと一緒にオーストラリアに移送されたという。養子縁組の手続きが取られていた記録はなく、不振に思ったマーガレットが調べると、シャーロットと同じようにしてオーストラリアに連れて行かれた人がオーストラリアにたくさんいることが判る。マーガレットはオーストラリアに向かい、彼らの家族を探す作業に取り掛かるのだったが、児童移民に深く関わっていたと思われる、慈善団体の圧力や、教会の信者たちからの中傷や脅迫を受けるようになり、疲れ果てていく。やがて、子供たちが教会にて強制労働やレイプなどの被害を受けていたことを知り…というストーリー。
実話。戦後にイギリスとオーストラリア間で発生した出来事だと考えると、ものすごく恐ろしく、気持ちの悪いお話。鑑賞中は無意識に考えないようにしていてが、後でよく考えると吐き気がするほど。調査が教会に及んだときの、信者の反応は吐き気がするよ。現在、カトリック教会で問題になっている性的虐待問題と直結する話でもある。
そして、この事実を両政府が認めたのが、たった5,6年前の話っていうのがね。それが13万人もいて、いまだにマーガレット・ハンフリーズが原作本の印税で彼らの家族を探しているっていう。すべて両国が責任もってやるべきだろ?っつーね。英豪の人権感覚ってどうなってるんだろう、そら恐ろしくなる。彼らと付き合う際には、感覚が違うことを忘れてはいけないな。特に、オーストラリアは、原住民対応も含め、人を人とも思わない行動を取るくせに、鯨は守れと拳を上げるわけで、ちょっと同盟国といえども線引きは必要な国民性だと感じる。
#イギリスはいつまでたっても三枚舌だから、いうまでもない。
本作の監督のジム・ローチは、あのケン・ローチの息子。なるほど、社会派のDNAを引き継いで入る。ちょっとヒドい事件すぎて、映画のテクニック云々に頭が回っていないという面もあるんだけど、再現ドラマの域を出ていない気はする。
ケン・ローチのナイフのような鋭さがないこと、淡々とことがらを追うのが息子の味だという見方ができなくもないが、この点は、他の手がけた作品を見ていないのでなんともいえない。
いずれにせよ、日本人はあまり知らない事件だと思うので、決して映画としておもしろいわけではないが、観ておいた方はいい作品だと思った。本作のレンタル料金の内の幾ばくかでも、彼らの家族探しの助力になっていれば幸いである。
公開年:2013年
公開国:イギリス
時 間:113分
監 督:オリヴァー・ヒルシュビーゲル
出 演:ナオミ・ワッツ、ナヴィーン・アンドリュース、ダグラス・ホッジ、ジェラルディン・ジェームズ、キャス・アンヴァー、ローレンス・ベルチャー、チャールズ・エドワーズ、ジュリエット・スティーヴンソン、ジョナサン・ケリガン、ハリー・ホランド 他
ノミネート:【2013年/第34回ラジー賞】ワースト主演女優賞(ナオミ・ワッツ『ムービー43』に対しても)
コピー:やっと会える。本当のあなたに――。
英国皇太子妃ダイアナとチャールズ皇太子が別居をはじめて3年が経過した1995年。2人の王子と離れて暮らす孤独な日々。そんな中、ダイアナの実父が心臓発作で倒れる。ダイアナは搬送先の病院で、父親の心臓手術を担当することになったパキスタン人医師のハスナット・カーンと出会う。やさしく気さくな人柄のハスナットに惹かれたダイアナは、彼に連絡先の電話番号を教え、宮殿に彼を招くようになる。もちろん、皇太子との離婚が成立していない中で、その関係を知られるわけにはいかなかったが、何度か会ううちに2人は男女の関係となる。真のパートナーとめぐり合ったを確信したダイアナは、BBCのインタビュー番組に出演し、別居の理由を告白。王室関係者から強い非難を受けるものの、そんな彼女をハスナットは励まし続けた。1年後、皇太子との離婚が成立。地雷廃絶運動などの人道支援活動を活発に行うダイアナはハスナットとの結婚を考えるようになる。しかし、ハスナットとの関係がゴシップ誌を賑わすようになり、その関係がハスナットの一族の知るところに。一族はダイアナとの結婚を強く反対し…というストーリー。
本作に対する英米の反応は散々で、潤沢な財産を使って好き勝手振舞っている怪物のように描かれてると批判されていた。でもその批判はちょっとズレているかな…と。私の目には、十分、怪物に見えたけど。未だ離婚は成立していない段階で、ゲート付のお屋敷に住んで、警備員が24時間常駐する屋敷に住んでいて(もちろん皇室の費用)、その屋敷に浮気相手を呼び込む…って、いったい何をやってるのか。本作の演出云々を差し引いても、事実だけを並べただけでも、アウトな人だと思う。もちろん、事の発端はチャールズ皇太子の浮気(というか本気)が原因なのだが、だからといって同じ行いをしてよいというわけではなかろう。
王子の母親なんだから普通の生活はできないな…と普通の感覚なら諦めると思うのだが、そうしないだけならまだしも、攻めの行動を続ける感覚がわからん。ハスナットとの関係に区切りがついたら、次はエジプトの大富豪と関係。よく、イギリス王室が、王子とアラブ系の兄弟が誕生することが認められない…と思ったとか、そういう陰謀説があるけど、イギリス王室が恐れていたのは、王子の母親が人質にとられて、政治的なイニシアチブをとられることだと思うんだよね。
何か、ダイアナ批判ばかりになっちゃったけど、国外から興味のない人間の目線なんてそんなもんでしょう。やたらナオミ・ワッツの演技が批判されてるけど、ダイアナの“事実”を認めたくないという無意識の反発を彼女に向けているだけだと思う。
ダイアナに興味のない私には、おめでたい女性がドツボにはまっていく破滅系の物語として普通に愉しめた。庶民派を強調してみたり、立場を利用してハスナットの就職先を勝手に決めちゃうお姫様っぷりを発揮してみたり、ただ“おめでたい”思考回路の持ち主なんだと思う。
「ふ~ん」っていう感想だけが残った凡作。
公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:122分
監 督:ヤン・サミュエル
出 演:ジェームズ・マカヴォイ、ロビン・ライト、ケヴィン・クライン、エヴァン・レイチェル・ウッド、ダニー・ヒューストン、ジャスティン・ロング、アレクシス・ブレデル、ジョニー・シモンズ、コルム・ミーニイ、トム・ウィルキンソン、ジェームズ・バッジ・デール、トビー・ケベル、ジョナサン・グロフ、スティーヴン・ルート、ジョン・カラム、ノーマン・リーダス 他
コピー:彼女の罪。それは、最期まで秘密を守ろうとしたこと――。
1865年。南北戦争の終結直後、リンカーン大統領が南軍の残党に暗殺される。主犯の有名俳優ジョン・ウィルクス・ブースは逃亡中に射殺されたが、他に8人が共犯として逮捕される。その中の唯一の女性メアリー・サラットは、下宿屋の経営者で2人の子供を育てる未亡人だった。世間の声は一刻も早く被告たちを処刑することの望んでいたが、元司法長官のジョンソン上院議員は、彼女がただ犯人達に宿を貸したという理由だけで逮捕されたことと、彼らが民間人であるにも関わらず軍法会議で裁かれようとしていることに意義を唱え、弁護を引き受ける。しかし、ジョンソンは南部出身で、メアリー・サラットも南部出身だったため、裁判が北部対南部という構図になっては、勝ち目がないと考えた彼は、元北軍大尉で弁護士の資格を持つフレデリック・エイキンに弁護を依頼する。しかし、エイキンも、暗殺者たちに強い憎しみを抱いており、一旦はその依頼を固辞するが、押し切られてしまう。エイキンと面会したメアリー・サラットは、毅然と無罪を主張。そんな彼女の態度に、何かを感じ取ったエイキンは…というストーリー。
スピルバーグの『リンカーン』は暗殺された直後に終了するが、まさにその時点から本作はスタートする(『リンカーン』は2012年で本作のほうが早く公開されている)。『リンカーン』がオバマ政権で調子にのった民主党支持者によって作られた作品だとすれば、本作はたとえリンカーン個人が立派だったとしても、民主党のやつらなんかクソ人間ばっかりだ!と主張するような内容になっている。
リンカーンは、憲法修正を戦時下に行うことに執心したわけだが、民主党のやつらは、犯人達を軍事法廷で裁こうとする。戦争はすっかり終わっているのだから、そんなことをする道理はない。正確な手続き上は終結していないとか、最高司令官である大統領が殺されたのだから軍事法廷でもいいんだ!とか色々理由はつけられるのだろうが、三権分立を標榜している国家がそれをやっちゃあおしまいだ。リンカーンが死んだその瞬間から、憲法違反をやりまくる。民主党なんざ理念もなにもない恥知らずの無能集団だ!と、まさに本作はそう主張しているように見える。
そして、現在のオバマ政権の無能っぷりを見るに、私も民主党は、リベラルというもっともらしい外套を羽織った無能な腰抜けだと思っている。
本作は、北部の民主党勢力がいかにもっともらしいことをいっているだけの人間か。たまたま勝っただけで、鬼の首でもとったかのようにエラそうにしている、品性のない人間たちだ…ということを主張する作品なので、判事や検事だけじゃなく、民衆たちまでも、クソ人間だらけ。アメリカ合衆国憲法の理念に則って、法の精神に則って、エイキン弁護士は行動するのに、白い目で見られ、暴行され、社交クラブからは排除さら、恋人も離れていく。軍事法廷で負けても、人身保護礼状を取って民間裁判を受けさせようとするが、無視されて死刑が執行されてしまう。なんと、リンカーンが血を吐くようにして修正した憲法は、その直後に“死”んでしまっていたという皮肉。
エンドロールの前に、その後の最高裁判決で、メアリー・サラットに対して行われた軍事法廷は憲法違反であることが確認され、息子のジョン・サラットは釈放されたという顛末が語られる。一応、憲法も司法もなんとか回復されたという内容で終わっている(息子を守ろうというメアリー・サラットの希望がかなったという捉え方もできる)。
まあ、本作がやりたいことはわかるのだが、とにかく、エイキン弁護士はこれでもかこれでもかと、いじめられまくる。全編にわたって逆転できそうな雰囲気が一切ない。ということで、観ているのがものすごく苦痛なのだ(長さが3時間くらいに感じるほど)。そう、意義のある内容だとは思うが、作品としては、とてもとても観ていられない内容。本当は『リンカーン』の直後に連続して観るつもりだったのに、あまりに苦痛で途中でやめてしまったほど。さすがにお薦めできないなぁ。
#“声をかくす人”という邦題は、まったく意味不明。なんのことやら。
公開年:2013年
公開国:アメリカ
時 間:105分
監 督:スコット・ウォーカー
出 演:ニコラス・ケイジ、ジョン・キューザック、ヴァネッサ・アン・ハジェンズ、ディーン・ノリス、オルガ・ヴァレンティーナ、マイケル・マグレイディ、ブラッド・ウィリアム・ヘンケ、キャサリン・ラ・ナサ、ラダ・ミッチェル、カーティス・"50 Cent"・ジャクソン 他
コピー:奴は怪物(モンスター)。追い詰めるまで、逃さない。
1983年、アラスカ・アンカレッジ。17歳の娼婦シンディ・ポールソンが、モーテルの部屋で手錠に繋がれ叫び声を上げているところを警察に保護される。彼女はロバート・ハンセンという男に殺されそうになったと警察に話すが、地元でも善良で評判の高い人物だったため、その証言はまったく信用されず、単なる娼婦の客とのトラブルといして片付けられてしまう。しかし、彼女を救出した警察官は名特できず、事件の関係書類を無断で州警察に送付する。同じ頃、ニックリバー沿いで損壊した女性の遺体が発見される。事件の担当を命ぜられたのは、民間企業に転職予定の州警察巡査部長ジャック・ハルコム。ここのところ変死体の発見が相次いでいたことから同一犯による連続殺人を疑ったが、送付されてきたシンディ事件の資料が彼の目に留まる。彼女の告発したハンセンを容疑者の一人として調査すると共に、真相を聞くためにシンディを探すハルコム。苦心して見つけた彼女は、ハンセンにレイプされた後、殺されそうになるものの、死体遺棄のために軽飛行機を準備している隙に逃げ出したと説明する。しかし、ハンセンを調べれば調べるほど真犯人としか思えないにもかかわらず、直接証拠が一切見つからず…というストーリー。
ジョン・キューザックは2012年の『コレクター』っていう作品で、同じような北国で連続誘拐殺人事件を追う刑事の役をやっているのだが、今度は犯人役である。とてもクレバーには見えないニコラス・ケイジと、逆にクレバーすぎて穴が無さそうなジョン・キューザックの組み合わせは、とても事件が解決しそうな感じみ見えないのがおもしろい。で、冒頭で、この話は実話です…ってテロップが出るのだが、ニコラス・ケイジとジョン・キューザックが醸し出す“嘘くささ”で、すっかり実話であることを忘却してしまった。
北国であることが生む、沈んだ雰囲気と閉塞感が効果的に働いている。
けっこうシンプルな内容なので、あまり語るとおもしろくなくなってしまうので、ほどほどにしておくが、ハルコム刑事の正義に対する熱さがよく伝わってきた。家族の希望通り刑事を辞める決心をしたけど、やっぱり俺の転職はコレだ…って感じ。最近のニコラス・ケイジの作品では、あまり観られないストレートな演技。
反面、奥さんの態度がなかなかクソで、実話でございますって映画でこの演出だと、奥さんおもしろくないかも。
知能というよりも、行動力と持続力が卓越している。これに死体処理のテクニックが備わっていたら、まずます発覚することはないな…って感じ。被害者の腕輪を使った犯人とのやり取りとか、とても実話とは思えないくらい。で、実際忘れていて、エンドロールで実際の犠牲者たちの本物の写真が出るところで、ハっと思い出したわけだが、「ああ、捕まってよかった…」というめでたしめでたし感が強く、こんな陰惨なお話なのに、さわやかすら覚えるほど。軽くお薦めしたい。
公開年:1970年
公開国:アメリカ
時 間:108分
監 督:レナード・カッスル
出 演:シャーリー・ストーラー、トニー・ロー・ビアンコ、メアリー・ジェーン・ヒグビー、ドーサ・ダックワース、ドリス・ロバーツ、マリリン・クリス 他
アラバマの病院で看護婦長をしているマーサは、高齢の母親とくらす独身。200ポンドほどの体格で、結婚ができない一員がその容姿であることに気づいてはいるのだが、日々のストレスから食欲を抑えることができない。そんな彼女を見かねた友人が、彼女の文通クラブへの入会を薦めてきた。少しプライドが傷ついたものの、なんと一通の返信が届く。相手はニューヨーク在住のスペイン系移民のレイ・フェルナンデスという男性。いままで人に好かれたことなどなかったマーサは、すっかり舞い上がってしまう。レイがアラバマを訪れると、完全に恋におちてしまい、用事があるために帰宅せねばならないというレイに、帰らないでほしいとすがる有様。とうとう我慢できなくなり、病院の仕事も休み、ニューヨークへ押しかけてしまう。しかし、そこで彼の結婚詐欺師としての正体を知ってしまう。ショックを受けたものの、別れることになるくらいなら、そんな彼を受け入れて共犯者になる道を選ぶ彼女。マーサは、老いた母親を施設に預けてレイの結婚詐欺に時には姉、時には妹に扮して、協力していくのだったが…というストーリー。
実在の連続殺人犯をモチーフにしたお話とのこと。あっさり正体を明かしちゃう展開が、おもしろい。事実なんだろうけど、ここですったもんだがないのが、すごいスピード感と緊張を生んでいる。
相手が結婚詐欺師であるとわかっても、自分は特別と思っちゃうのは、どこの国でも一緒。悲しい女の性だ(男もか?)。こういう、人の欲を食い物にする犯罪者のお話は嫌いじゃない。
普通に考えると、なんでこんな太ったおばはんを傍においておくのか、彼女にだけ正体を明かしたのか奇妙に感じた。もっと説得力を持たせるように演出すべきなんだけど、真実は小説より奇なりってことだよね。
シリアルキラーの犯行っていうのはエスカレートしていくのが常だけど、そういうのとは違う形で(2人の負の相乗効果)で、エスカレートしていく様子も興味深い。犯罪史的にも、稀有な例なのではなかろうか。
2人がこのままやっていって、何があるというのだろう。家の支払いのために金が必要だというのだろうか。レイはそこまでしてマーサと一緒にいなければいけない理由があるのだろうか。本当に奇妙な旅が展開してく。
サイコパスってのは、良心が欠如した人間だが、良心は欠如していても、欲望の矛先が違う人間同士は、結果的には共存できないということなんだね。想像することは無意味かもしれないが、果たして、自首しなければどこまでいったのだろうと、考えたくなる。
彼は、マーサを本当に愛していた?愛していたなら、彼の自業自得なのだが。その奇妙な愛をうまく表現できていたら名作だったろうが、トニー・ロー・ビアンコはその機微を表現しきれていたとはいいがたい。この点が残念に感じた。
これは、『冷血』なんかと同じくらい評価されもよい作品だと思う。軽くお薦め。
公開年:1996年
公開国:イギリス
時 間:107分
監 督:マーク・ハーマン
出 演:ピート・ポスルスウェイト、ユアン・マクレガー、タラ・フィッツジェラルド、スティーヴン・トンプキンソン、ジム・カーター、メラニー・ヒル、スー・ジョンストン、フィリップ・ジャクソン、メアリー・ヒーリー 他
受 賞:【1997年/第10回東京国際映画祭】審査員特別賞
【1997年/第23回セザール賞】外国映画賞(マーク・ハーマン)
1992年。イングランド北部の炭坑の町グリムリー。炭鉱閉鎖の閉鎖問題に揺れていたが、石炭需要が小さくなる中、会社と争おうという勢いもイマイチで、町の人々は生きる希望を失いかけていた。町には結成100年を誇る名門ブラスバンド“グリムリー・コリアリー・バンド”があったが、そのメンバーは炭鉱関係者。バンドリーダー兼指揮者のダニーは、全英選手権に出場し、決勝のロイヤル・アルバート・ホールで演奏することを夢見てメンバーを鼓舞するが、それぞれが問題を抱えており、練習に身が入らない状態だった。そんな中、グレムリー出身のグロリアが町に戻ってきた。彼女はダニーの親友の孫娘で、楽器持参で練習場に現れるなり難しい曲を軽々と吹いてみせて、一同を驚かせる。メンバーになった彼女に、男連中は色めきたったが、その中の一人、若いアルト・ホーン奏者のアンディは動揺していた。彼とグロリアは、子供時代のある期間、付き合っていたからだ。その後、グロリアが、会社が炭鉱の埋蔵量などを調査するために送り込んできた人間であることを知ってしまうが、なしくずしで一夜を共にしてしまい…というストーリー。
イギリスお得意の実話ベースのコメディ&ピンチ切り抜け感動物語。日本でも『スウィングガールズ』の矢口史靖監督に代表される一時期流行ったこの手の作品があるけど、結局はこれらイギリス作品の亜流(だと私は思っている)。
自分の生活基盤が無くなろうというその時、組合活動への力の入れ具合も中途半端に、バンドへ注力するバンドのメンバーたち。妻たちから「昔は戦ったのに今は戦っていない」と罵られようが、バンドに力を注ぐ。何で?単に好きだから?つらい現実から目を背けている?
暗く沈んだ町に元気を取り戻すには、バンドが優勝することだ!と、みんながそう考えているようには思いがたい。
みんながガリガリと一丸となって、目標に向かっていなければいけないと言いたいわけじゃない。むしろ、そのダラダラ具合が、非常にリアルに感じたのだ。炭鉱がその使命を終えるのは、時代の大きな潮流。それに闇雲に抵抗することが答えではないし、実際そうしても玉砕するだけである。バンドメンバーは、見えそうで見えない何かを、無意識に追っていたのかもしれない。
愛する人と結ばれるアンディだが、グロリアは会社側の人間だと知ってしまう。おそらくアンディ的にはどうでもいいことなんだろうが、仲間の手前、一線を引かざるを得ない。ある意味、金と面子のために愛も音楽も捨ててしまう。
グロリアも薄々勘付いてはいたが、そうではないと目を背けている。本心とは裏腹にバンドのメンバーから裏切り者呼ばわりされる屈辱。
父の長年の思いを遂げさせたいと思っているダニーの息子。しかしその息子は経済面で家庭を壊してしまう。そんな中、父が倒れてしまい、今までやってきたことが無になってしまう。一体自分は何をやっているのか。
それぞれの問題が、散発的に大きくなっていく中、懐中電灯で病院の外で演奏するところは名シーンだ。それぞれの思いが根底では一つであることを感じる場面。
過剰な盛り上げ演出が少ないので淡白に感じてしまうかもしれないが、この地味さがよいと感じる。最後は、ひょっこりステージの後ろから出てくるくらいでちょうど良いのだ。本番前にやっていて指揮者交代の無理なエピソードなんか差し込んだら興醒めしちゃう。
優勝したからって、炭鉱がどうにかなるわけでもない。でもそれでいいんだ。小気味良い佳作。軽くお薦め。
#見舞いは葡萄とかいうステレオタイプあるのか?
公開年:2009年
公開国:アメリカ、フランス
時 間:97分
監 督:グレン・フィカーラ、ジョン・レクア
出 演:ジム・キャリー、ユアン・マクレガー、レスリー・マン、ロドリゴ・サントロ、アントニー・コローネ、ブレナン・ブラウン 他
ノミネート:【2010年/第16回放送映画批評家協会賞】コメディ映画賞
コピー:この一言のために、懲役167年──
小さな町で警察官をやっているスティーヴン・ラッセルは、妻と娘と平凡ながらも幸せな生活を送っていた。彼は、幼いこと自分が養子あることを知らされて以来、自分の生みの親のことが気になっていた。スティーヴンは警察の権限をつかって情報を検索し、とうとう居場所を探り出す。なんと同じ町に住んでいることがわかり、さっそく押しかけるが、無碍に拒絶されてしまう。失意のスティーヴンは、その後、交通事故に巻き込まれる。それをきっかけに自分に正直に生きようと決意。“正直”とは何か。彼は実はゲイだったのだ。早速、妻にゲイであることを告白して離婚。ゲイらしく思うがままに生きはじめるが、とてもお金が掛かりすぐに困窮してしまう。すると、まともな会社勤めをやめ、詐欺師に転向。実はIQ169の彼には詐欺師は天職だったらしく、派手な生活は加速していく。しかし、さすがに度が過ぎてとうとう警察に捕まって収監されてしまう。彼はそこで、シャイでキュートなフィリップ・モリスという男性と出会い、即座に恋に落ちてしまう。はじめは戸惑っていたフィリップだったが、元々ゲイの彼は、スティーヴンの猛アタックで気持ちが傾いていく。しかし、スティーヴンの別の施設に移送されて離れ離れになってしまい…というストーリー。
完全に実話ってのは驚き(主人公のスティーヴンは今でも収監中)。舞台がアメリカなのに製作国にフランスが加わっているのも興味深い(リュック・ベッソンが製作総指揮)。完全にガチホモ話なので、人に薦めるとあらぬ誤解を受けそうだからなのか、いまいち一般的には知られていない作品かも。劇中の表現も直接的だし、家族や友人と一緒に観るのすらちょっと危険ではある。でも、意外や意外、ものすごく面白かった。
ゲイの感覚が分からないので、主人公スティーヴンに一切共感することはないのだが、そんなことどうでもよくなるほど、フィリップの近くに行くための努力が強烈。知能が高いというだけでなく、咄嗟の対応力が非常に高い上に、目的を達成するためにはいくらでも我慢が出来るという胆力の持ち主。もう超人のレベルで、力を発揮するベクトルを間違えなければ、まちがいなく希代の成功者になったであろうこと間違いなし。
ジム・キャリーの演技はバイタリティに溢れておりいつもどおり素晴らしいのだが、それ以上にユアン・マクレガーのなりきりが素晴らしい。もう、マジモノのゲイにしか見えない。この両者の演技は、まさに“競”演。キレッツキレ。
妻のデビーも地味におもしろい。カミングアウトされてブチ切れてそれっきりなのかと思いきや、以降もそれなりに電話でお互いの近況を報告したりしている。クリスチャン故に毛嫌いしそうなものだが、博愛精神的なものを発揮しちゃうという斜め上な感じ。
実際の妻がそんな対応をしていたか否かは不明だけど、作中では、スティーヴンが決して悪人ではないんだ…という設定上のいい味付けになっていると思う。
しかし、延々と詐欺行為や脱獄行為が連続するだけで、手を変え品を変えても、さすが終盤飽きてしまう。そしてとうとう、ゲイ故にHIVの宣告という年貢の納め時を向かえて、このストーリーは終結するのだ…と思いきや、最後にかましてくれた。事実だとしても、質の良い巧みな演出で綺麗にミスリードしてくれてありがとう…って感謝の気持ちすら湧いた。
本作は、もっと評価されていいんじゃないかな。お薦めしたい。
公開国:アメリカ
時 間:94分
監 督:スティーヴン・フリアーズ
出 演: ブルース・ウィリス、レベッカ・ホール、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、ジョシュア・ジャクソン、ローラ・プリポン、ジョエル・マーレイ、ウェンデル・ピアース、コービン・バーンセン、ジョン・キャロル・リンチ、アンドレア・フランクル 他
コピー:ド派手に行こうぜ!
デリバリーのストリップダンサーをしているベスは、そんな自分の生き方に嫌気が差す。そんな時、友人からベガスでスポーツ賭博業を経営するディンクを紹介され、面接に赴く。話はあれよあれよと進み、アシスタントとして雇われることに。高額自給に食事つきというダンサーの時とは雲泥の差の待遇に大喜びのベス。元々、賭け事と愛称が良かったのか、才能を開花していくベス。そして、気前のよくてやさしいディンクに惹かれるようになっていく。ディンクには妻がいたが、ベスはおかまいなしにアタック。嫉妬深い妻との関係を壊そうとはしないディンクは、ある日、付き合いを止めることを宣言する。しかし、その後のディンクは、ことごとく賭けに負け続け、資金が底を尽きかける。古参の従業員にまで当り散らしき廃業の危機に。一方、ベスはそんなディンクの元を離れニューヨークのボーイフレンドの元へ。しかし、賭け事のうまみが忘れることができず、違法の賭博業者で働くことにするのだったが…というストーリー。
このコピー、内容観てないでつけたろ!って感じ。ド派手なシーンなんか一つもない。オッズの細かい動向を見ながら、隙を狙って賭けていく商売で、派手どころがむしろチマチマしている印象。
主人公のベスだが、ストリッパーなのはまあ仕方ないとしても、賭け屋とはいえ合法で比較的安定した業務についたにもかかわらず、妻がいる雇い主を略奪しようという姿に、引いてしまう。
まあ、そういう展開もあるだろうと思って観ていたわけだが、ベスのボーイフレンドがパクられそうになり、ピンチになったとき、なぜか、ディンクだけでなく妻までが、全面協力するという謎展開。ベスがいたときに運が良かったという以外に、ディンクがそれほど彼女に恩を感じる理由がわからず、正直、ピンとこない。そしてそう思う夫を採取的に理解する妻の心境もよくわからない。おまけに、NYで出会ったら、なんのわだかまりも無くまるで妹のように全面協力する姿にすごく違和感を感じる。おまけに、FBI介入を散々警戒したにも関わらず、結局はただのダメ親父のブラフだったという、締まりの無い展開。
なんか、おかしくね? ふつうもっとピリっとした展開にして盛り上げるもんじゃね? と感じたところで、ふと気づいた。これで実話なんじゃね?と。調べてみたら、やっぱり実在の女性ギャンブラーの自伝なんだって(ワシの勘もなかなか鋭くなったわ(笑い))。
#実際、この記者のボーイフレンドとは続かなかっただろうな…。
さすがにこれで終わっちゃクソだろ…と思ったのか、最後に大勝負!って展開に。これが、実際にあった出来事なのかフィクションなのかは不明。
このモデルになった女性ギャンブラーのことを知っていれば、面白く思えるのかもしれんが、とにかく、本作を観る限り主人公にイマイチ魅力がなく、共感もできない。盛り上がりにかける凡作かと。
#ブルース・ウィリスの吹き替えの違和感が、ものすごい。
公開国:イギリス
時 間:100分
監 督:ロネ・シェルフィグ
出 演:キャリー・マリガン、ピーター・サースガード、ドミニク・クーパー、ロザムンド・パイク、アルフレッド・モリナ、カーラ・セイモア マージョリー、エマ・トンプソン、オリヴィア・ウィリアムズ、サリー・ホーキンス、マシュー・ビアード、アマンダ・フェアバンク=ハインズ、エリー・ケンドリック 他
受 賞:【2009年/第63回英国アカデミー賞】主演女優賞(キャリー・マリガン)
【2009年/第25回インディペンデント・スピリット賞】外国映画賞(ロネ・シェルフィグ)
コピー:あの頃に戻っても、私は私を止めたりしない。
1961年、ロンドン。両親と暮らす16歳のジェニーは、両親が期待するオックスフォード大学を目指して勉強に励んでいる優等生。両親は、ジェニーの行動を規制し、大学入学に役立つこと意外は、何一つ許そうとしない。ジェニーはパリに憧れていたが、父はフランス語のレコードを聴くことすら許さず、そんな毎日にうんざりしていた。そんなある雨の日、学校からの帰宅時に、倍以上も年の離れたデイヴィッドという男に声をかけられる。はじめは警戒していたが、彼の紳士的な態度に次第に心を許していく。デイヴィッドは、音楽会や食事にジェニーを誘う。やがて、ジェニーの両親をうまく説得し、友人のダニーとその恋人ヘレンらと一緒に、ナイトクラブなど魅惑的な大人の世界にもつれだすようになる。そんなデイヴィッドに恋心を募らせていくジェニーだったが、そんな彼女の行動が学校で噂となり…というストーリー。
予告CMを観たときには、相手の男がもっととんでもない犯罪者のように表現されていたんだけど、いざ観てみると、あまりにも小物でちょっと肩透かしをくらった。 もっとヤバい世界に嵌っていくお話だと思ってたんだけどなぁ。でも、実話ベースだから仕様が無い(とはいえ、リン・バーバーというイギリスのジャーナリストが書いた本が元になっているらしいが、どんな人かも知らないし、どこまで本当なのかもわからない)。
あまりお金をかけていないように見えたので調べてみると、製作費が750万ドルくらいなのに対して、興行収入は2,600万ドルくらいあったらしい、優秀作品だった模様(まあ、それでも、制作費750万ドルって、『コーマン帝国』を観た後だと、本当にそんなにかかるのか? と思っちゃうレベルだけど)。まあ、60年代のセットを穴が無いように作るのは金はかかるだろうけどね。
60年代が舞台だが、この貴族と労働者という、超えられない階級の壁があるイギリス社会。さらに現在はこれに移民が加わるわけだが、いまでもイギリスが階級社会なのは同じ(本当に日本に生まれてよかったと思う)。この閉塞感の中で、お話は展開していく。
この階級の壁を超える…とまではいわないけれど、娘にみじめな暮らしをさせないために、学歴をつけようとしている。ここがミソで、学をつけたいんじゃなく、学歴をつけたいわけだ。その程度の貧相な発想だから、学校がうまくいかなかくなっても、いい嫁ぎ先が見つかったら、これまでのスパルタ教育なんか別にどうでもいいとか平気で言っちゃう。薄々疑ってはいたけれど、娘ジェニーの価値観が根っこから崩れていき、ますます夢のような大人の世界に軸足を置くようになる。
同じような経験とまではいかないけれど、バイト先で気に入られちゃって、このまま就職しちゃわない? とかいう誘いにグラつくのと少しは似ているかしらね。いったい学校で教えられていることが何の役に立つんだと、大抵の人は思うだけに。男女関係なしに、以外に共感というか創造ができちゃって、自分なら絶対そんなことはしないな…とは言い切れないラインで展開してくのが、本作の面白みである。
騙されてアホな親~と思うけれど、父親は本当にアホなんだわ。でも、そんなことに騙されちゃうのが、所詮労働者階級…っていう見方もできて、みじめさがものすごく漂うんだな。
ちょと別の見方を。相手の不倫男デイヴィッドはユダヤ人なわけだ。作品の中では非常に強調されている。高校の先生の発言にもあるのだが、ユダヤ人がナチス圧政で不幸な立場だったことは理解するが、それはそれ…と。いままで、この程度の発言ですら問題視されていたような気がするが、その踏み込みが、この作品の魅力だと思える。
シェイクスピアの時代からユダヤ人の行動は同じ。自分は特段労働するわけでもないのに、商品を右から左へ流すだけで利益を得るという、ユダヤ人の目の付け所。デイヴィッドも不動産を動かすだけならまだしも、他人の家からこっそり美術品を盗んで、高額でうっぱらうようなまねをしているクズ人間。で、悪びれもせずに、価値のわからない人のところにあっても意味がない。私たちが宝物を開放したなんて言いくさる。そして名前がゴールドマンときたもんだ。いまでも、ハゲタカのようにいろんな国で株価操作まがいのことを仕掛けて、食えるだけ食ったら逃げる。逃げるときには、ここはまだまだ儲かりまっせーって言いながら自分だけ逃げる(GS、おまえのことだよ)。
まあ。こうやって映画の世界でも、彼らの醜い貪欲さを表現できるようになったのは、いい兆しに思える。
閑話休題。
ラストの挽回ぶりを考えると、校長先生はいいとしても、担任教師とのやりとりはもっと厚く表現すべきだったと強く感じる。もっと丁々発止やりあった上に、ぐいぐいと一線を越えた上で決裂し、それでもあの最後の展開…とすべき。そうすることによって、教師をいう職業が単なる職業ではないことを、サラリと表現することができたと思うのだ。これが実話ならば、もっと担任の行動にスポット当てるべきなのに、自分のことばかりに焦点が当たって終わるのはいかがなものか。原作もこんな感じなら、原作者はよっぽどのエゴイストだよ(笑)。
まあ、無条件で良作! というのは憚られるが、観客を引き込む力のある作品だったと思う。
#ジェニー役のキャリー・マリガンは、その後、『ウォール・ストリート』でゲッコーの娘役をやってたね。案外、5年後くらいにオスカー獲ってるかも。そのくらいのオーラはある。
公開国:アメリカ
時 間:108分
監 督:ダグ・リーマン
出 演:ナオミ・ワッツ、ショーン・ペン、サム・シェパード、デヴィッド・アンドリュース、ブルック・スミス、ノア・エメリッヒ、ブルース・マッギル、マイケル・ケリー、アダム・ルフェーヴル、タイ・バーレル、ティム・グリフィン、ジェシカ・ヘクト、ハーレッド・ナバウィ、トム・マッカーシー、アシュリー・ガーラシモヴィッチ、クイン・ブロジー、ノーバート・レオ・バッツ 他
ノミネート:【2010年/第63回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(ダグ・リーマン)
コピー:アメリカ合衆国 史上最大のスキャンダル
イラク戦争を巡る巨大な謀略。兼直に立ち向かったCIAエージェントの孤高なる戦い。
9.11同時多発テロ以降、ブッシュ政権はアルカイダへの報復を進める一方、イラクへも矛先を向ける。そして、イラクが核兵器の開発を行っているとの情報を元に、CIA諜報員ヴァレリー・プレイムは、その証拠固めの任務に就く。その中でニジェールがイランにイエローケーキとアルミパイプをイラクに売却したとの情報が入る。ヴァレリーの夫ジョー・ウィルソンが、元ニジェール大使だったため、その真偽を確かめるために協力を依頼する。しかし、疑惑の証拠は微塵も掴めず、情報は虚偽であるとの結論に達する。しかし、ブッシュ政権は、ヴァレリーの報告を無視し、イラクへのウラン売却を根拠としてイラクへ宣戦布告してしまう。怒ったジョーは、新聞で事実を寄稿してブッシュ政権を批判。しかし、政権側はヴァレリーが秘密諜報員であることのリークして報復するのだった。そのせいで、彼女だけでなく、彼女の任務に携わっている協力者たちが危険にさらされてしまい…というストーリー。
これはノンフィクション。主人公であるCIA工作員だったヴァレリー・プレイムの回顧録が原作である。
細かい検証や解釈の差異はあるだろうが、外部的な要因を考えると、本作で描かれている当時のブッシュ政権がやったことはほぼ正確だろう。そして、当時の小泉政権が、このクソくそ情報を信じ(というか信じるしかなく)イラク戦争に加担してしまったという汚点を残すことになる。
いささか、民主党寄りのバイアスが掛かりすぎなのは否めないが、この映画を観て共和党に投票する人間はいないと思う。とにかく馬鹿ブッシュに二期も大統領をやらせた黒歴史をアメリカは簡単には拭えないだろう。この映画を観たら、あと20年は共和党が政権をとることはないと思うわ。いや、逆にこの状況で共和党が復権したら、それこそアメリカの終わりの始まりだね。
108分という短めの映画だが、スリリングな展開で見ごたえはばっちり。でもそれ以上に、当時の状況の記憶が新しいだけに、観ていて怒りしか沸いてこなかった。ブッシュとライスの顔が映るたびに腹立たしさマックスである。
そして、今、共和党の大統領候補であるモルモン教徒のロムニーは、ブッシュに匹敵するくらいのアホ発言がポロポロ。別にオバマが実力のある大統領だとは思わないが、ロムニーではどうしようもない。むしろロムニーが勝つようなことがあれば、何が彼を大統領にしたのかを分析すれば、何がアメリカを動かしているのかが判ってしまうということ。
ショーン・ペンは個人的な信条としても是非やりたかった役だろう。ラストのショーン・ペンのセリフは胸が熱くなる。民主主義の原理をいまさらながら再確認させてくれる。共和党だろうが民主党だろうが、他国の人間だろうが、民主主義を標榜している国民はもう一度このセリフをかみ締めるべきである。
「国家は担う責任とは、権力を握る一部の人間にあるわけではない。」
「我々が市民としての責務を忘れないでいる限り、圧政の支配から必ず逃れることができる」
「民主主義は簡単に手に入るものではない」「市民の責務を果たせ、未来の子供たちのため」
残念ながら日本の民主党の中には、このセリフの意味が微塵ももわかる人間はいないからね。
言うまでもないが、韓国や中国は、このスタートラインにすら立っていない。日本も中国も韓国も平等に付き合うべきというが、立脚すべき足場がまったく違うだから、対等に付き合うことはできない。いや対等に付き合おうとするほうが、無理がある。“別の世界”であることを認識できない、団塊世代の中国大好き、韓国大好き人間たちは、根本がわかっていないから、過ちを犯す。彼らはどんなに痛い目にあっても、チャイナリスクを無視し続けるだろう。多分、強制的にご退場いただくしか、解決策はないと思う。
同時に、マスコミがマスコミとして取るべきスタンスを逸脱することが、混乱を助長すること。政府の圧政に助力することを、強く指摘している。現在の、中国・韓国の状況を見て、第二次世界大戦前夜と同じだという人がいるが、マスコミの対応に関しては、日本のマスコミの立ち位置は、ブッシュ政権時のアメリカのマスコミに近いだろう。
まあ、いずれにせよ、日本人が日本人として責務を果たせば、未来は見えてくる。間違っても“世界人”などという、虚像の立場で物を考えなければ間違うことはない。そんな似非“インターナショナル”な思考をするのは、団塊世代だけだけどね。
映画としてのデキがいいかどうかの問題ではなく、今、観ておくべき作品。映画賞の受賞が少ないのは、政治的に直球すぎるせいであって、質が悪いわけではない。とにかくラストのセリフだけでも価値のある作品。
公開国:イギリス、ハンガリー
時 間:100分
監 督:ロバート・ヤング
出 演:トーマス・クレッチマン、トロイ・ギャリティ、フランカ・ポテンテ、スティーヴン・フライ、デレイン・イェーツ、テレーザ・スルボーヴァ、ユディット・ヴィクトル、スティーヴン・グリーフ 他
ナチス政権下、ユダヤ人の大量虐殺に関与したアイヒマンは、戦後、正体を隠してアルゼンチンへ逃亡していた。15年後、イスラエル諜報機関モサドによってアルゼンチンで捕らえられ、イスラエルに強制連行される。イスラエル政府は、アイヒマンから犯行の自白を取るために、イスラエル人警官アヴナーに尋問役を命ずる。他のナチス構成員からの証言をもとに、彼を問い詰めていくが、尋問をいくら重ねても、彼はナチス上層部からの指示に従っただけという姿勢は崩すことはなく…というストーリー。
冒頭に、この作品はイスラエル側の資料に忠実に基づき…というテロップが。一見、史実に沿って表現されているアピールに見えるけど、裏を返せばイスラエル視点しかないってことになる。正直、この一文で観るのをやめようとおもったくらい。イスラエルは、ナチス犯罪を再検証しようとすると、圧力をかけるという噂もあるし(本当かどうかしらんけど)、どうも気にくわない。
忠実な描写をかなり求められていることが伺える(ある意味、演出上の制限がかけられている)のだが、そんな中でも、なんとか独自な色を出していこうと、登場人物の考えていることをカメラーワークやアングルで表現しようという姿勢がみられる。
例えば、拘置所の中で、女性看守の下着の線や胸のラインに着目するカット。別の特段アップにするわけでもなく、なんとなくパンフォーカスが合ってるだけなんだけど、その表現だけでアイヒマンが尋問中でもいたって冷静な精神状態であることを表現しているわけだ。
判りにくいのは、自白を取れ、自白を取れと、延々と指示されつづけるのだが、何を自白させようとしているのか観ていて判らなくなる点である。だって、アイヒマンは関わったことは自白しているように見えるからね。
「平和に対する罪」「人道に対する罪」(いわゆるA級・C級戦犯)に問うためには、アイヒマンが組織犯罪の歯車ではなく、自らの意思をもって殺人を犯したという供述を取りたいということなんだろう。
客観的な証拠があれば簡単なわけだが、要するに脆弱な証拠しかなかったということ。
さらに、モサドがアルゼンチンでアイヒマンを拘束・移送したこと自体、アルゼンチンとイスラエルとの間の正しい犯罪者手続きを怠った。デュープロセスを踏んでいないため、逮捕自体が違法となる可能性もあったわけだ。
さらに、イスラエル人たちは、あれだけ迫害されたんだから国をもつことくらい当たり前だ!といわんばかりにパレスチナ人を追い出したり殺したりしてるわけで、ただでさえ国際社会からの風当たりは強かった。これ以上、民主主義に則っていないように見えるのは、非常にまずい。
でも、今持っている材料ではとても納得してはもらえないので、状況証拠+自白のセットで何とか死刑にしたい…と。いや、ガス室送りに高官として加担しただけで、十分死刑に問えるのではないか?と思うだろうが、イスラエルには根本的ない死刑制度がないし、イスラエル建国前の犯罪を事後法で問えるはずもない。でもこの憎い悪魔は殺したい。さてどうするか…といったら、「平和に対する罪」「人道に対する罪」で問うしかないってこと(まあ、これも事後法で、普通に考えりゃ無効なんだけど)。
#まあ、これは私の解釈ね。
で、やっと逮捕したのに、イスラエル民衆は「釈放しろ!」と大騒ぎ。一瞬、は?って思うよね。彼を罪に問うことをやめろと言ってる?いやいや、釈放したら私刑にするって言ってるんだ、彼らは。所詮、ナチスからやられたことと同じことをパレスチナ人に対してやってるんじゃないか?とかそういう考えに及ばない土人レベルだからね。きちんとした手続きなんかどうでもいいんだ。
エンドロール前に、若い世代はアイヒマンってきいてもわからん…とか愚痴めいたテロップが入るのだが、だったら、こういう世論とか状況とか民衆の感情とかをきちんと説明すべきだと思う。小難しく表現しておきながら、最近の若いものは…って、自ら風化させようとしているに等しい。バカ老人の発想だと思う。
大体にして、極力事実を告げることを共用されるような縛りがある中で、“映画”という手法を選択するのが誤り。ドキュメンタリー的な再現ドラマにでもすればいいのだ(ヒストリーチャンネルの番組みたいに)。
実話モノっていうのは、いつでも、「それは事実と違う」だ「解釈が違っている」だのクレームはつきもの。でも、映画というものが、クリエイターの目や脳を経由する以上、他者と捕らえ方がことなるのが当たり前であって、それを避けるなら、映画なんかにしないほうがいいのだ。
テーマ的にも作品レベル的にも、日本未公開のは当然と思える出来映え。歴史のお勉強資料としても、本作でなければわからない事柄もない。映画としては駄作の部類。
このアイヒマンの態度(組織の規範に従っただけという態度)が、非常に興味を持たれ、“アイヒマン実験”なんて心理学的なテーマになっちゃうほうが、よっぽど面白い。そういう観点に着目して尋問の様子を描けばよかったのに。もしかして、人間だれしもこうなっちゃう可能性があるのでは?みたいなね。
公開国:アメリカ
時 間:136分
監 督:ロン・ハワード
出 演:ラッセル・クロウ、エド・ハリス、ジェニファー・コネリー、クリストファー・プラマー、ポール・ベタニー、アダム・ゴールドバーグ、ジョシュ・ルーカス、ヴィヴィエン・カーダン、アンソニー・ラップ、ジャド・ハーシュ、オースティン・ペンドルトン、ターニャ・クラーク 他
受 賞:【2001年/第74回アカデミー賞】作品賞、監督賞(ロン・ハワード)、助演女優賞(ジェニファー・コネリー)、脚色賞(アキヴァ・ゴールズマン)
【2001年/第59回ゴールデン・グローブ】作品賞[ドラマ]、男優賞[ドラマ](ラッセル・クロウ)、助演女優賞(ジェニファー・コネリー)、脚本賞(アキヴァ・ゴールズマン)
【2001年/第55回英国アカデミー賞】主演男優賞(ラッセル・クロウ)、助演女優賞(ジェニファー・コネリー)
【2001年/第7回放送映画批評家協会賞】作品賞、主演男優賞(ラッセル・クロウ)、助演女優賞(ジェニファー・コネリー)、監督賞(ロン・ハワード)
コピー:それは──真実をみつめる勇気 信じつづけるひたむきな心
1947年。プリンストン大学院の数学科に入学したジョン・ナッシュは、「この世の全てを支配する理論」を見つけることを願い、一人で研究に没頭していたが、誰とも協調しない彼はクラスメートから孤立していく。多くのクラスメートが論文を書き上げ、進路を決めていく中、焦りを募らせる彼だったが、遂に画期的な“ゲーム理論”を発見。それにより、希望していた、MITのウィーラー研究所に採用されることに。プライベートでは、愛する女性アリシアと結婚。順風満帆に見えたが、彼の明晰な頭脳に目をつけた軍が、極秘の暗号解読という任務を強要。その重圧により精神が追い詰められていき…というストーリー。
昨日の『ザ・ホークス ハワード・ヒューズを売った男』と同様に、実在の人物を扱ったストーリーであり、且つ心を病んでしまった描写のあるお話。しかし、あまりにも格が違う。もちろん本作が上だ。
はじめは、ナッシュの存在も知らないし、ゲーム理論も均衡理論も知らずに鑑賞した。いささか社会性や協調性にかけた青年が、自分の才能を開花させるために必死になる物語…と思ってみていたら、なにやら巨大な陰謀の歯車に巻き込まれる展開に。おっと急に舵を切ったなと思ったら、続いて、実は統合失調症で…と。
じゃあ、今まで観ていた、アレもソレも実在しないってことかぁ??!!と、時間を遡ってパラダイムシフトを発生させる映画の構成に、腰が抜けたような感覚になった。単純に“謎解き”だとか“ひっかけ”では片付けられない技だと思う。最終的にはノーベル賞受賞で、荒波を越えた後の達成感のような気分にさせてくれる。観終わった後は、まるで、突然大嵐に遭遇したり、洪水に遭遇したり…と、急激な気候変化に翻弄された旅をしたような気分だった。
統合失調症の苦しみ(本人は現実だとしか思えないものが、存在しないと知った絶望感)とか、妻アリシア側の視点でみるとサイコホラー的な印象になったり、もう、数回観ているが、観る度に印象が少しずつ変わっている。
ジェニファー・コネリー演じる妻が「夢と現実を区別するのは、ひょとすると頭ではなくここ(胸)かも」というセリフを発する。もっともらしくて、感情的には何となく納得してしまいそうになるのだが、実は私はピンときていない。だって、結局ナッシュは、幻の女の子が歳をとっていないことに気付き、それが幻覚であることを認識するわけで、夢と現実を区別したのは心じゃなく、ロジカルな判断力(頭)だったから。
こんな波乱万丈な人のお話なら、そりゃ面白くなるでしょ…と思うかもしれないがそれは違う。このお話、実はかなり現実と乖離している。だって、まるで、ずっと妻が献身的に夫の病気を支えたように描かれているけど、実際はナッシュのホモ浮気疑惑で離婚して、その後40年以上も別居だったらしい(その後、再婚したらしいけど)。大体にしてラッシュの症状が、幻のルームメイトを長きにわたって見るようなものだったのか、よくわからない。
何がいいたいかというと、きちんと、おもしろくなるように手が加えられてのコレなんだよ…ということ。
まあ、いずれにせよ、この何度観てもおいしいことこそ、傑作の証かと。未見の人には強くお薦めしたい。ラッセル・クロウの相手の後頭部の先にピントが合っているような目線。病んだ男の表情がよく演じられていており、お気に入り。
公開国:アメリカ
時 間:116分
監 督:ラッセ・ハルストレム
出 演:リチャード・ギア、アルフレッド・モリナ、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ホープ・デイヴィス、ジュリー・デルピー、スタンリー・トゥッチ、デヴィッド・アーロン・ベイカー、クリストファー・エヴァン・ウェルチ、アントーニ・ノッパーズ、メイミー・ガマー、マイク・ワトフォード、イーライ・ウォラック、ジェリコ・イヴァネク、ピーター・マクロビー、ジョン・ベッドフォード・ロイド、マルセリーヌ・ヒューゴ、スチュアート・マーゴリン、テッド・ノイスタッド 他
コピー:伝説の大富豪“ハワード・ヒューズの偽りの伝記”を執筆した、ある作家の<真実の物語>。
1971年、ニューヨーク。出版社への売り込みを繰り返すが、まったく出版に漕ぎ着けない売れない作家のアーヴィング。やっと出版の約束を得るも、土壇場でキャンセルされてしまう。しかし、出版を見越して借金した上に散財してしまい、追い込まれてしまう。そんな彼に目に留まったのが、伝説の大富豪ハワード・ヒューズの雑誌記事。ヒューズの自伝を書いても、一切人前に出てこない彼ならバレずに済むと考えたアーヴィングは、ヒューズの筆跡を真似て自伝出版許可の手紙を偽造し、出版社へ売り込みを行う。偽造手紙はあっさりと真筆と鑑定され、出版の契約を結ぶと、ニセ自伝執筆に向け親友のサスキンドと一緒に、ヒューズに関する調査を始めるのだったが…というストーリー。
『ギルバート・グレイプ』『サイダーハウス・ルール』『シッピング・ニュース』など、トリアー監督ほどではないが、イタいシチュエーションの作品が多いハルストレム監督。好きな作風の監督の一人なのだが、2005年の『カサノバ』や日本未公開だった『アンフィニッシュ・ライフ』など、ちょっとノリが変わってきて、それと共に不調続きな気がする。
本作は、作品のデキ云々よりも、本作が実話であることの驚きが大きい。
思いつきで筆跡を真似たらあっさりと騙せてしまうという、フィクションだったら逆に陳腐すぎて絶対に採用されないシナリオなんだが、事実なんだから仕方が無い。ヒューズのインタビューもアーヴィングのモノマネとか、なんでバレないのか逆に不思議。事実は小説より奇なりというが、“奇”すぎて思わず神の存在を信じてしまいそうになるくらいだ。
結果として、あっさり詐欺が成功してしまうので、詐欺師の話なら当然あるべき、スピード感やハラハラ感や追い詰められた感じがが薄まってしまったのは、とても残念である。
このまま詐欺師としてストーリーがエスカレートしていくのかと思いきや、終盤は心を病んだ人のお話になってしまう。実は彼の幻想でした!というサプライズにも成りきれておらず、単に軸がブレたように感じられるのもマイナスポイントかも(まあ、そこは逆にハルストレム監督らしいっちゃぁらしいんだが)。
とはいえ、あまり評価が高くないが、それらウィークポイントがありながらも、見ごたえのある仕上がりになっていると思うので軽くお薦めしたい。他作品とはノリが違うリチャード・ギアの演技も悪くないし。その後『HACHI 約束の犬』で、再度一緒に仕事をするのもわかる気がする。相性は悪くないと思う。
もう一度いうが、事実は小説より奇なり。ハワード・ヒューズやニクソンなど、彼ら一人だけで一本映画ができるような人物の影に、こういう珍奇な運命の人がいたこと。そしてそういう歴史を持っているアメリカという国は、本当にエンターテイメントのために存在している国なんだな…と、呆れるやら感心するやら。
#ハワード・ヒューズといえば、レオナルド・ディカプリオ主演の『アビエイター』。そういえば自伝を焼くシーンがあったような無かったような。ちょっと再鑑賞してみようかな。
公開国:イギリス、オーストラリア
時 間:118分
監 督:トム・フーパー
出 演:コリン・ファース、ジェフリー・ラッシュ、ヘレナ・ボナム=カーター、ガイ・ピアース、ティモシー・スポール、デレク・ジャコビ、ジェニファー・イーリー、マイケル・ガンボン、ロバート・ポータル、エイドリアン・スカーボロー、アンドリュー・ヘイヴィル、ロジャー・ハモンド、パトリック・ライカート、クレア・ブルーム、イヴ・ベスト 他
受 賞:【2010年/第83回アカデミー賞】作品賞、主演男優賞(コリン・ファース)、監督賞(トム・フーパー)、脚本賞(デヴィッド・サイドラー)
【2010年/第45回全米批評家協会賞】助演男優賞(ジェフリー・ラッシュ)
【2010年/第77回NY批評家協会賞】男優賞(ジェフリー・ラッシュ)
【2010年/第36回LA批評家協会賞】男優賞(ジェフリー・ラッシュ)
【2010年/第68回ゴールデン・グローブ】男優賞[ドラマ](コリン・ファース)
【2010年/第64回英国アカデミー賞】作品賞、主演男優賞(コリン・ファース)、助演男優賞(ジェフリー・ラッシュ)、助演女優賞(ヘレナ・ボナム=カーター)、オリジナル脚本賞(デヴィッド・サイドラー)、作曲賞(アレクサンドル・デスプラ)、英国作品賞
【2011年/第24回ヨーロッパ映画賞】男優賞(コリン・ファース)、編集賞(タリク・アンウォー)、観客賞(トム・フーパー)
【2010年/第26回インディペンデント・スピリット賞】外国映画賞(トム・フーパー)
【2010年/第16回放送映画批評家協会賞】主演男優賞(コリン・ファース)、オリジナル脚本賞(デヴィッド・サイドラー)
コピー:英国史上、もっとも内気な王。
英国王の次男次男ジョージ6世は、吃音というコンプレックスを抱えている。そのため、幼い頃から人前に出ること嫌がり、内向的な性格となってしまった。とはいえ、王室の一員としての役目を果たさねばならないため、吃音を克服しようと、これまで何度も治療を受けたのだが、一向に改善する様子は見られなかった。そんな夫のために、妻エリザベスがが見つけたのは、スピーチ矯正の専門家という看板を掲げるオーストラリア人ライオネル。彼は、たとえ王子であっても、患者と医者が対等な態度で接することを条件に治療を請け負う。その風変わりな治療法は、時に王子の怒りを買うこともあったが、継続されてていった。そんなある日、父王の退位後に即位した兄エドワード8世が、王室が認めない女性と結婚をするために、突如王位を返上してしまう。王位の継承など望んでいなかったジョージは困惑してしまい…というストーリー。
今のエリザベス女王のお父さんのお話。コピーには“内気”とあるけど、そうではないでしょ。どちらかといえばナイーブという表現が近いのでは。吃音という症状は、その生い立ち・原因を聞くと、フロイトが診たら小躍りして喜びそうな症例だ。王室なんだからもっと王子の生活くらいしっかり監視してやれよ…と思うのだが、まあ、とにかく、そんな状態になるの仕方がないな…と。
殺すだ死ぬだ…でもなく、惚れた腫れた…でもなく、飛んだり跳ねたり…でもなく、お涙頂戴でもない。そういう要素が一切皆無の映画が存在するだけでも素晴らしいと思うのに、ここまで観ている者の心を繋ぎとめるのだから。
おっさんがドモリを治療しているだけなので、こじんまりとした印象に感じられても仕方がないかもしれない。しかし、ナチス禍が吹き荒れる世界という大きな波と、王族とはいえ一人の男の吃音治療というプライベートな事柄のコントラストが実におもしろい。そして、それらは否応なしに絡み合う。
そのシチュエーションの妙を際立たせているのが、ジェフリー・ラッシュ演じるライオネルのキャラクター。実際にこういう人物だったかは知らないけれど、治療士としての信念だけではなく、愛すべき隣人のためになら自分の立場が危うくなってもかまわないという、主従関係とも単なる友人関係とも異なる稀有な感情が、非情にうまく表現できている。
本人は決して王になどなりたくないというナイーブさと同時に、家族や民への愛も持ち合わせる、アンビバレントでありながら胆力を兼ね備えた王子を演じきったコリン・ファースも見事だが、兄のエドワード8世の放蕩っぷりを見事に演じたガイ・ピアースも褒めたい。こういう王族のスキャンダルもしっかりと描けるイギリスが羨ましい。オープンな王族が必ずしも好ましいとは思わないけれど、こういう卑近なネタが完全にタブー状態の日本の皇室が、いいとも思えない。50年くらい経過すれば、日本でもこのくらいオープンに表現しても、問題ない空気を寛容してもらいたいものだ。
#まあ、イギリスの場合、性的に逸脱していない男系の人を探すほうが難しいけどね。“善良王”なんて称されるジョージ6世の方が珍しい。
クライマックスはジョージが原稿を読むだけなのに、何、この盛り上がり。それもひとえに、ジョージ6世とライオネルの人物像、それぞれの弱さが魅力的に表現できているから。そしてそれぞれが、身近な人のために、他人からみれば小さな障害物だが、それを一生懸命越えようと真摯に向き合っているのが伝わり、私たちも思わず応援してしまうからに他ならない。ドラスティックさ皆無の展開ながら、受賞のオンパレードなのも肯ける。
きれいにまとまりすぎの感じはするが、文句なしの名作。イギリス王室の、映画界への貢献が実にうらやましい。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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