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公開国:アメリカ
時 間:122分
監 督:ブライアン・シンガー
出 演:スティーヴン・ボールドウィン、ガブリエル・バーン、チャズ・パルミンテリ、ケヴィン・ポラック、ピート・ポスルスウェイト、ケヴィン・スペイシー、スージー・エイミス、ジャンカルロ・エスポジート、ベニチオ・デル・トロ、ダン・ヘダヤ、ピーター・グリーン、クリスティーン・エスタブルック、ジャック・シアラー 他
受 賞:【1995年/第68回アカデミー賞】助演男優賞(ケヴィン・スペイシー)、脚本賞(クリストファー・マッカリー)
【1995年/第62回NY批評家協会賞】助演男優賞(ケヴィン・スペイシー)
【1995年/第49回英国アカデミー賞】作品賞、オリジナル脚本賞(クリストファー・マッカリー)、編集賞
【1995年/第11回インディペンデント・スピリット賞】助演男優賞(ベニチオ・デル・トロ)、脚本賞(クリストファー・マッカリー)
コピー:見破りますか? だまされますか?
カリフォルニアの港で、アルゼンチン・マフィアが所有する船が炎上する事件が発生。現場からは多くの死体が発見され、麻薬に絡んだ抗争と思われた。そこで生き残ったヴァーバルを尋問していた捜査官クインランは、6週間前からはじまる話を聞かされる。銃器強奪事件の関係者として、5人の前科者キートン、マクナマス、フェンスター、ホックニー、ヴァーバルが集められたが、拘置所で話をするうちに宝石強奪を一緒にすることになる。それに成功すると、宝石をさばくために5人揃ってロスのコネクションに接触。そこで新たな宝石強奪の仕事を請け負うことに。しかし、いざ強奪してみると、獲物は宝石ではなく麻薬で、おまけに相手を殺害してしまう。予想外のトラブルに巻き込まれ慌てる5人の前に、伝説のギャング“カイザー・ソゼ”の右腕と名乗る弁護士コバヤシが現れ…というストーリー。
最近、未見で観たくなるような作品が少なくなったきた。ので、再鑑賞モノで。
ケヴィン・スペイシー出演のサスペンスは、どんでん返しモノとかラストで「そういうことか~」ってなる作品が多いいと思う。『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』もそうだし『セブン』だってそう。『アメリカン・ビューティー』だってそんな感じだ(サスペンスじゃないけど)。ケヴィン・スペイシーはそういう作品と縁があるのか?いや、多分そうじゃない。彼がそういう作品にしてるんだと私は思っている。
謎解き映画を観ているとき、いろんな可能性を頭に浮かべている。そして、話が進むにつれて、その選択肢が減っていく。ポンコツ作品だと、選択肢がある程度減ったところで、もうこの展開しかねーじゃん…ってことも多々あるわけだ。こういうのはダメシナリオだよね。
でもね、手品師はネタは潜んでいるところから目を逸らす為に、違うところで手を動かしたり目線を持っていったりするでしょ。同じように、観ている側が選択肢を頭に浮かばせる作業を阻害すれば、シナリオがイマイチだったとしても、展開やオチを先読みさせる可能性を減らせる。で、その手品師が目をそらす為の視線のテクニックに相当するのが、ケヴィン・スペイシーの演技だな…って思うんだ。
で、本作ではその効果が非常に顕著だと。
(以下完全にネタバレ)
本作は、ケヴィン・スペイシー演じる片手足が不自由な詐欺師ヴァーバルの語りで始まる。こういう事情だったんだよって。で、そういう語りで始まるって部分自体が、自分が犯人じゃないってミスリードの役割だったりする。続いて、これまでの事件の経過が回想されて、“カイザー・ソゼ”という存在がクローズアップされていく。最後にだれがソゼか?ってのが判るわけだけど。あれ?彼がソゼだと、辻褄合わなくね?って思うシーンが満載なわけさ。だって、彼はソゼとしての行動を取れる位置にいないし、コバヤシだって死んでたじゃん。
でもね、エンドロールではっと気付くわけだ。冷静になってはじめっから思い返してみると、彼は“おしゃべり”ヴァーバルなのよ。刑事にこういう顛末でした…って、脅されつつ、少しずつ語ってるけど、はじめから最後まで彼のおしゃべりの中の話で、客観的な事実なんて一つもなかったわけ。ヴァーバルの語りは、ガブリエル・バーン演じるキートンにミスリードしてるけど、シナリオ全体はヴァーバルではないって方向に、二重にミスリードしている。
確かに、デキのいいシナリオであることは認める。でもね、完璧といえるほどすばらしいかっていうと、そうでもない。プロットだけを書き出したら、ヴァーバルがソゼであることって、結構な高確率で頭に浮かぶと思う。でも、端々でみせるケヴィン・スペイシーの演技と語りのおかげで、ヘタレのヴァーバルが黒幕なわけがない、それどころか彼の語りが実際のできごとであることを、だれもが疑わなくなっちゃうんだもん。
まあ、私のかいかぶりなのかもしれないけど、疑う人は、本作を観てくだされ。なんてことないクライムサスペンスのはずなのに、脳がトランスする瞬間が絶対にあるはず。名作。
#コバヤシじゃなくてノリタケだったら、与太話っで気付いたかも。それくらい薄氷のフェイク。本当に優秀だわ。
公開国:アメリカ
時 間:97分
監 督:ゲラ・バブルアニ
出 演:サム・ライリー、ジェイソン・ステイサム、ミッキー・ローク、レイ・ウィンストン、カーティス・ジャクソン、アレックス・スカルスガルド、マイケル・シャノン、エマニュエル・シュリーキー、ギャビー・ホフマン、デヴィッド・ザヤス、ベン・ギャザラ、デイジー・ターハン、ウェイン・デュヴァル、チャック・ジトー、ジョン・フィオーレ、スティーヴン・ジェヴェドン、アシュリー・アトキンソン、ロナルド・ガットマン、ジョン・ベッドフォード・ロイド、ドン・フライ 他
コピー:勝率1% 運がなければ、即、死亡。
病気の父がいる貧しい家庭を電気工事の仕事で支える青年ヴィンス。幼い親族もおり将来は不安で溢れている。ある日、工事を依頼された家の夫が、大金が手に入る仕事のオファーが手紙で届いた話をしているのが耳に入る。ところがその夫が薬物の過剰摂取で死んでしまう。引き上げようとするヴィンスだったが、例の仕事の話を思い出しこっそりとオファーの手紙を盗んでしまう。仕事の内容はまったくわからなかったが、手紙の内容に従い指定の場所に向かうヴィンス。足跡を捉まれないようにしてやっと到達した屋敷では、複数の男たちが円になり一斉に前の男の後頭部に向けて引き金を引く集団ロシアン・ルーレットが行われていた。ヴィンスはそのプレーヤーとして賭けの対象として参加せざるを得なくなり…というストーリー。
『ザメッティ』のリメイク。原案とかそういうレベルではなく、完全にリメイク。オリジナルの感想で、リメイクする予定があるらしいがオリジナルの段階で既に完璧に近いから、リメイクする意味はあるのか? と疑問を投げかけ、観るつもりはなかったのだが、レンタル屋で発見してしまい思わずチョイスしてしまった。だって、オリジナルと同じ監督なんだもん。そういうのって珍しいよ。もしかして? という期待はたかまるでしょ。
しかし、始めに言ってしまうが、その予想のとおりリメイクの意味は見事に無かったと思う。
まず、邦題の“ロシアン・ルーレット”はいかん。冒頭でロシアン・ルーレットが行われるカットからスタートするので、この青年がロシアン・ルーレットをすることになるのが丸判り。観客すべてがオリジナル作品を観ているわけではないのだから。
演出上の問題としては、主人公の追い詰められた感(というか、状況的に困窮している感じ)は足されている。ただ、単なる貧乏であって、人種とか社会構造による閉塞感による「どうしようもない」感じは、逆に薄まった。
病状の深刻さを強調したり、幼い子供ががいえう様子などを加えているが、工事費が貰えないくだりとか抜けていたりね。
書類の隠し場所をピンポイントで見つけられるなど、都合のいい演出が多々ある。オリジナルでは置き忘れを偶然見つける感じだったし、参加についても、はじめからぐいぐい参加する感じではなく躊躇がみられた。善良でナイーブな青年であることが強調されていたのだが、本作ではそれがない。
そして、肝心のロシアン・ルーレットだが、“巻き込まれた”という感じは薄まった。それを補うかのように、ジェイソン・ステイサムやミッキー・ロークなど、名を知られた役者を投入して、プレイヤー側に厚みを持たせたようだが、功は奏していない。
オリジナルの場合、主人公が勝つか否かはわからないくらいの不安感が漂っていたのだが、このリメイク版の場合、主人公が勝つのは目に見えている(そう見える)。だから、敵キャラの魅力を増してやって、負ける可能性を出してみたってことかもしれない。
結果的に、ミッキー・ロークを登場させた意味は皆無。「え? それで終わり? そんなのあり?」って思った人は多いと思う。そのせいで、最後に殺しにいく役が、ジェイソン・ステイサムよりもミッキー・ロークとやり取りしていた黒人さんのほうがよくなっちゃってるし。
#ちなみに、お金を発送するタイミングや、送付票を食べるシーンの順番が替えられているのだが、オリジナルのほうが間違いなく自然。むしろなんで替えたのか判らないほど。
オリジナルからなんだけど、撃った後の流れ弾の配慮がないのが、実はおかしいんだよね(体を突き抜けて観客に当たるかもしんないじゃん)。でも、オリジナルではそれに気付かなかった。会場全体がクレイジー極まりない空気で満載だったから気付かなかったんだと思うけど、本作では観客に余計なことを考えさせる余地を与えてるんだよね。
オリジナルも自分の脚本だったわけだから、舞台に合わせてドラスティックに変更することもできたはずなのに、それすらしなかったとは、一発屋監督の臭いがプンプンする。
やっぱりリメイクの意味はなかったね。予想通り。これを観るくらいならオリジナルをもう一回みたほうがいい。いや、オリジナルの素晴らしさが証明されたってことだろう。そっちを是非観ておくれ。
#ドン・フライなんかいたか?
公開国:アメリカ
時 間:111分
監 督:ジョー・ライト
出 演:シアーシャ・ローナン、エリック・バナ、ケイト・ブランシェット、トム・ホランダー、オリヴィア・ウィリアムズ、ジェイソン・フレミング、ジェシカ・バーデン 他
受 賞:【2011年/第37回LA批評家協会賞】音楽賞(ケミカル・ブラザーズ)
コピー:16才、罪を知るには若すぎる。
フィンランドの山奥で人間と接触することもなく、父に育てられた少女ハンナ。幼い頃から戦闘テクニックだけでなく、どんな国に潜入してもよいように言語や知識を叩きこまれている。現在16歳で、その戦闘能力は父をも凌ぐレベルになっていた。ある日、ハンナは父のもとから巣立つことを決意する。そんな娘に父は、自分たちはこれからかつてCIAの同僚だったマリッサという女性に命を狙われることになると告白する。そして、一旦別行動をとってからおちあう約束をして、先立つ父を見送ったハンナだったが、夜半に突然襲撃してきた何者かに拘束されてしまい…というストーリー。
主演は『ラブリーボーン』の面長の女の子だが、DVDジャケットの画像は彼女に見えない。ちょっと詐欺っぽい(さらに別人が登場するんだろうと思ってたくらい違った)。それにしても、アメリカ人は面長の女性好きだよね。シェールとかサラ・ジェシカ・ パーカーとか、一定の需要があるんだろうな。
ケイト・ブランシェットは大好きな女優なんだけど(見た目も)、私の中では、彼女がが髪の毛の色が濃いキャラを演じるとハズレという法則ができつつある。『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』とかね。
女の子が隔絶された場所で工作員として教育されて、実際外界に出てみると殺傷能力とは裏腹に世間知らず全開という展開は、『ニキータ 』に近い。ただ、ハードな展開と並行して、はじめて接する世界で友情や家族愛を経験して戸惑ったりする様子を見せるというのは、けっこうありがちな設定。コレだけだと正直飽きるし、実際飽きた。
なぜイマイチおもしろく感じられないか。アクションがぜんぜんワクワクしない点が一番の敗因だと思う。あれあけ冒頭で鍛えまくっていたし、一旦拘束された後の脱出っぷりを見て、こりゃあイケイケドンドンのアクション展開を期待したんだけど、一人旅の流れになっちゃうと、急にトーンダウン。終盤になってアクション再開するけれど、あまり工夫したところがみられないので、やっぱり飽きる。ゲイのキャラクターも中途半端で、父親とのバトルなんか見てられないくらいつまらない。
このジョー・ライトという監督さんは、『つぐない』とか『路上のソリスト』の人じゃないか。これまでの作品からするとアクションとはまったく畑違いだよね。やっぱり向いてないんだと思うけど、なんで彼なのかしら。
あと、胎児への操作によって、感情や他者への共感を抑えた人間になってる…って。教育によって感情を抑えられているならば、抑えられていた感情が戻るとか、内なる心の叫びに苦悩するとか、そういう設定ならまだ共感できる。でも、科学的に操作されちゃってるなら、観客とはまったく別個の人外だもの。そんなキャラクターの抱く苦悩なんて共感できるはずもない。その証拠に、彼女の正体が明かされてから、スーッと醒めていく感じを覚える。
大体にして、向こうから復讐しようとやってくるんだろうし、この子供が世の中にいたからって即座に困るわけでもないのに、なんでマリッサはこんなに慌てて追いかけるのかよくわからん! とか考えたら、ますます醒めてしまった。
そして、冷め切ったあとに、ドヤ顔よろしく“HANNA”の赤文字で締められても。肝心の本編に様式美みたいなものがないのにさ、こういうことやられてもね。ダサいよ…。
ただ1点、BGMはなかなか興味深い。今までに無かった手法だとは言わないけれど、キャラクターの行動や効果音にリズムを合わせていて、すごく新鮮だった。それ以外は、極めて平凡な作品。旧作料金ならセーフ。
#で、拉致られた家族は、どうなったんじゃ。そういうところ、もっとしっかり描こうよ。
公開国:イギリス、アメリカ
時 間:116分
監 督:マーティン・キャンベル
出 演:メル・ギブソン、レイ・ウィンストン、ダニー・ヒューストン、ボヤナ・ノヴァコヴィッチ、ショーン・ロバーツ、デヴィッド・アーロン・ベイカー、ジェイ・O・サンダース、デニス・オヘア、ダミアン・ヤング、カテリーナ・スコーソン、フランク・グリロ、ウェイン・デュヴァル、ベンガ・アキナベ、トム・ケンプ 他
コピー:娘の仇は、俺が撃つ!
愛する娘の命を奪った巨大なる陰謀、男は今、すべてを捨てて怒りの引き金を引く…。
ボストン警察殺人課のトーマス・クレイブン刑事は、疎遠だった娘エマの突然の帰郷に喜んでいた。しかし、帰宅後に娘が突然嘔吐したため、病院へ連れて行こうとすると、玄関先で何者か発砲。エマに命中するとそのままトーマスの腕の中で息を引き取った。事件は、刑事である父親をターゲットにした狙撃に、娘が巻き込まれたと報道される。責任を感じ捜査に参加したいと申し出たが、被害者の親族が捜査に関わることは叶わず、休職を薦められる。諦めきれないトーマスは独自に捜査を開始。エマの周辺を洗っていくうちに、エマが勤務していた企業の姿が浮かび上がり…というストーリー。
主演は2002年の『サイン』以来だし、刑事アクションはもっともっと久々。諸々の舌禍騒動やら粗相の連続で、主演映画のオファーがくるだけ良しと考えるべきなんだろうが、『リーサル・ウェポン』とまでいわないが、それに近いハジケっぷりをどうしても期待してしまう。
しかし、刑事アクションというよりも、サスペンス寄りのお話だった。娘は誰に何で殺されたのか?という謎を、執念で追う父親のお話。では、サスペンスよりということなら、謎が謎を呼ぶような展開になっているか?というと、悪人は見た目も行動も悪人そのもので、犯人さがしという意味での、謎解きの楽しみは薄い。そのくせ、犯人陣営は無駄に人が多い。元はTVドラマだったらしいのだが、なにやら余命の少ない人やら、会社側の人も似たような立場の人が複数いるなど、映画としてはブラッシュアップが必要な感じ。
以前にも言ったが、敵がぼんやりしていると主人公までぼんやりするという悪例の見本だと思う。
そういう構成の稚拙さを補うかのように、“死ぬ”シーンだけはsuddenly。ギョっとはするので、かろうじて眠気を醒ましてくれる効果はあったが、それ以上アクション要素は膨らんでいかない。やっぱりつまらくしている原因を元から断たないと、どうしようもない。
一番残念だったと感じるのは、トーマスという主人公の心に共感できない点。陰謀に巻き込まれた娘への復讐…ということだが、冒頭に娘との思い出のビデオが流れはするが、遠地に勤務する娘とはずっと疎遠だったという彼氏の指摘もあって、娘への感情が純粋な愛なのか罪悪感なのか、いまいちピンとこない。
大体にして、メル・ギブソンのくせに(?)、終盤になるまで結構理性的で、ぜんぜんキレない。やっとキレたか!と思ったら、なんかフラフラしてるから、ノリきれない。タリウム中毒になってるっていうことなんだろうけど、映画のなかでは、復讐の鬼としてバリバリと動いて欲しいものだ。よろよろしたおっさんに共感できるようなアクション映画はなかろうて。
実行犯であることを確信するのが、その男の叫び声だけっていうのも、実に乱暴なのだが、演出として許されないわけではない。しかし、それに違和感を感じさせないためには、主人公が究極的にブチ切れていることと、追いこまれていることが条件。本作の場合、その両方も満たしきれていない。だって、追い込まれているように感じなくもないけど、例の映像を然るべきところに渡して公開してもらうなど(当然、身柄の確保してもらえるだろう)、まだ残された手段はあるんだもの。それこそ、現代となっては、YOUTUBEに公開するとか選択肢は山ほどあり、同僚に寝返られたくらいで、追い詰められた気持ちになられてもねぇ…。
いや、娘への愛ゆえに、特攻しかなかたのだ! と解釈しようとしたけれど、やっぱり疎遠だった娘との絆が描ききれていないから、それも納得できない。その結果として、最後の妄想シーンもいまいち感動がついてこない。
…等々、色々考察すると、やはり、父親と娘の関係を、子供の頃のビデオひとつで表現しようとしたのが、過ちってことになるんだろう。
おそらく、無人島に30本映画を持っていってよいといわれたら『リーサル・ウェポン』シリーズを選んでしまう私なので、メル・ギブソンのアクション映画に過剰な期待をかけてしまい、ハードルが上がっているのだと思われる。普通のサスペンス映画として観れば、それなりに愉しめるんだろう。それなりに。私は再鑑賞することはないと思うけど。
#タリウムって結構早めに効いてくるらしいんだけど(それこそ2,3日で)、そんなに髪の毛に放射性物質が含有するものだろうか…。
公開国:アメリカ
時 間:95分
監 督:ディート・モンティエル
出 演:チャニング・テイタム、トレイシー・モーガン、ケイティ・ホームズ、レイ・リオッタ、ジュリエット・ビノシュ、アル・パチーノ 他
コピー:揉み消された二つの事件 鍵を握るのは“相棒”
殉職した父親と同じくニューヨーク市警の警官となったジョナサン・ホワイト。これまではコンビニやレコード店の店員などをやってきて、30歳を過ぎてから警察官になるというめずらしい経歴。妻と持病を抱える幼い娘との3人暮らしだが、通勤に2時間もかかるクィーンズ署に転属となってしまい、家族を顔をあわせる時間がめっきり減ってしまい、夫婦の仲はぎくしゃくしはじめている。クィーンズはジョナサンの育った地域で、そこには彼が思い出したくない過去があったが、そのことについて何者かから脅迫状が届くようになる。忘れかけていたその事件が蒸し返されそうになることで、彼の心の傷は疼きだすが、さらに、その脅迫状は警察の汚職を暴こうとする新聞社にも送られ、記事になってしまう。ジョナサンは、警察のスキャンダルに神経をとがらせる上司から、掲載を阻止するように指示さる¥れるのだったか…というストーリー。
DVDジャケットにはアル・パチーノがど真ん中でデカデカと鎮座しているが、途中までカメオ出演かよ! と思うほど出番はない。終盤になるとうやうやしく連投してくるが、その役がパチーノである意味は、ほとんど無い。むしろかえってビッグネームが邪魔臭い。
レイ・リオッタも、こんな役ばっかり。もうすこしヒネってくるのかとおもったけど、イメージどおりの役柄でおもしろくない。本人もいい加減に飽きてこないのかね。好きな部類の役者なんだけど、それどもうんざりしてくるって相当だと思う。
アメリカ人ワイフっていうのは、ちょっとストレスがかかると狂ったようにぎゃあぎゃあ喚くというのが、様々な映画で観られて、お約束表現になってきた。こういう妻のキャラクター設定もそうだが、娘の持病の設定も、ストーリー上、全然生きていない。
ストーリーは、なんで“ミルク”の過去がばれたのか? 脅迫してるのは誰なのか? っていう謎解きで進むわけだが、レイ・リオッタとアル・パチーノが絡んでるのは明々白々なので、ドキドキ感が薄い。
子供時代のストーリーも、もっと驚くような内容なのかと思いきや、想像の範囲を超えないので、ただダラダラと生い立ちを観せられている感じ。追い詰められている様子も、ただ追い詰められているというだけで、それ以上の何があるわけでもなく、主人公が主人公の役目を果たせていない印象。
アメリカは殺人に時効がないので、主人公が怯えるのはわかる。だが、当時も捜査をきちんとしていないならまともな証拠もないだろうから、立件のしようがないと思う。それにジャンキーと頭のネジが飛んだ奴が死んだ事件について、こんなメモみたいな手紙がきたからって新聞が一面で取り上げるというのがわからん(いくらタブロイド紙レベルだったとしてもね)。もうちょっと確固たる証拠があるならわかるのだが…。
久々に再会したホワイトとヴィニー(『コップ・アウト』に出てた出川哲郎みたいな人ね)。なんでヴィニーは「俺はばらしてない」と一言言わないのか。彼は俺のことを信じられないのか? 的な感情とか、言っても信じてもらえるわけでもないだろう…と考えて無言だったと考えられなくもないが、やはり一言いえばそれで済んだような気がして、最後までそれが引っかかり続ける。だから、最後の死ぬ間際になって自分はバラしてないと言ったところで、ぜんぜん感動できない。
また、リークしてたのはあの人でした…というオチが中途半端(一応誰かなのかは書かないでおくけれど)。途中で不自然にチラりと出てくるから大半の人が気付いてしまうしなぁ。また、なんでその人がそこまで警察権力打倒を心に決めたのかというバックボーンが描かれていないから、ピンとこないし。おかげでグチャグチャなオチ。ヴィニーが濡れ衣を着せられて死ぬという結末に、カタルシス皆無がもとより不快感を覚えるレベル。
良い面はもちろん、悪い面についてもあまり語る気がおきない作品。もうちょっとどうにかならんかったのか…と。
公開国:スペイン
時 間:112分
監 督:ギリェム・モラレス
出 演:ベレン・ルエダ、ルイス・オマール、パブロ・デルキ、フランセスク・オレーリャ、ジョアン・ダルマウ、ボリス・ルイス、フリア・グティエレス・カバ 他
コピー:視力を失い、恐怖がはじまった
先天的な病気で視力を失う運命にあるフリア。双子の姉サラも同じ病気だったが、フリアより症状が進行しており、既に角膜手術を行い回復中だった。しかし、サラが自殺したという連絡が届き、フリアはショックを受ける。地元警察は、自殺として処理しようとするが、フィリアは不審なものを感じたため、独自に調査を開始すると、驚くような事実が次々と明らかになってくる。そんな中、フリアの視力はどんどん低下していくき、焦りと恐怖を感じたフリアは…というストーリー。
白濁した目の女性がいたぶられて殺害されるシーンに続いて、双子の姉妹とおぼしき人が急に発作をおこし「きっと姉が…」みたいな展開で始まる。こういう冒頭だと、オカルトとかスピリチュアルとか、そっち方向の内容なのかと思いウンザリしてしまう。しかし、すぐに神秘的な臭いは消えて、純粋な殺人ミステリーの様相に。焦点は、犯人は夫なのか第三者なのか、もしかして主人公なのか?という部分に移行。その後は、ヒントをくれる人物が次々現れて、そのヒントを元に次の展開が始まる…といった感じで、『レイトン教授』とか古くは『ポートピア連続殺人事件』みたいなアドベンチャーゲームのような、ノリになっている。
漂う空気感は、『永遠のこどもたち』みたいに、カビ臭さと埃っぽさが混ざったような。ちなみにどちらもスペイン映画ですな…なんて思って調べてみたら、カメラマンが一緒だった(私の眼力もなかなかのレベルになってきたな)。
本作で秀逸だな…と思うのは、“主人公の目が見えない間は、接触する人間の顔が画面に映らない”という演出。
主人公目線で表現しようにも、目が見えないわけだから、その様子を映像にすれば客観的な視点にならざるを得ない。そこで、主人公の目が見えない間は、誰の顔もわからないようにしているのだが、見えているときの映像と違和感を感じさせないカット割で、うまくその不安を表している。
ただねぇ…、、、
(以下ネタバレ)
その演出の流れで登場してくる犯人の出現が、いささか唐突に感じられる。たしかに“透明人間のような人”の存在をヒントをくれた人が、証言しているので、おかしくはないんだけど、そのまま出すのか…っていう、捻りの無さね。
そして、“こういう人物が犯人”というところまでしか頭がまわっていなかったようで、物語のクローズの仕方が、かなりバタバタしており、どうもいただけない。大体にして、姉サラの殺人の顛末が最後まで観てもよくわからない。犯人は人々から無視されたことが苦痛だと。でも、盲人だけは私の存在に気付く。ちょっと屈折しているとはいえ、まあそこは理解できない感情ではない。それに、自分は介護人という職業についている。そういう人たちに接することができるわけで、自分の偏った性格傾向をうまく昇華したってことで、それは褒められることなわけだ。
で、犯人はサラの介護人をやったけど、視力が回復しそうだったんで、わざと目が見えないようにしたのか?それは、サラにだけやったことなのか、それとも何度も同じことをやってるのか?
まず、サラをなんで殺さなくてはいけなかったのか。目が見えないなら、そのまま介護し続ければいい。それで満足じゃないのか?バレたのか?殺すところまでセットで、シリアルキラーとしてのパターンだということなのか。その辺、はっきりしてくれないと。犯人がぼんやりしている殺人事件なんておもしろくないじゃん。
また、フリアの目が見えているんじゃないかと、冷蔵庫の中を見せるくだり。どう考えたって、なにか驚くようなものを見せようとしているのに決まってるんだから、フリアは何を見せられても絶対反応しないぞ! と覚悟を決めるはず。だってバレたら殺されちゃうんだぜ? なのに、中をみて「ひゃ!」だって。馬鹿馬鹿しい。それに映画の演出としても、冷蔵庫の中は、普通のものでした…って一旦スカしといて、タイミングずらして驚かすでしょ。このシーンを見て、この監督センスねえなあ…と思ったね。
また、裏に住んでる盲目の老婆の件は、もっと膨らませばよかったのにね。もったいないよ。
犯人がわかるまでは、なかなか観ごたえあったので、なかなかやるじゃん!って褒めようとおもったんだけどねぇ。殺人ミステリーでありながら、犯人が出てきた後が、格段につまらなくなるという、トホホな作品。がっかり。
公開国:アメリカ
時 間:125分
監 督:ジョン・シュレシンジャー
出 演:ダスティン・ホフマン、ローレンス・オリヴィエ、ロイ・シャイダー、ウィリアム・ディヴェイン、マルト・ケラー、フリッツ・ウィーヴァー、リチャード・ブライト、マーク・ローレンス、アレン・ジョセフ、ティート・ゴヤ、ルー・ギルバート、ジャック・マラン 他
受 賞:【1976年/第34回ゴールデン・グローブ】助演男優賞(ローレンス・オリヴィエ)
マラソンが趣味のベイブは、父の母校であるコロンビア大学でマッカーシズムを研究している大学院生。ある日、公演を恋人エルサと散歩中に、何者かに襲撃されてしまう。その夜、しばらく疎遠だった石油関連会社に勤務している兄ドクが、突如ベイブの部屋を訪れる。明日、エルサを含めて3人で食事をすることになったが、歓談の中、エルサの出身地の話になると、ドクは突然エルサの話は嘘だと言い始め…というストーリー。
さわりを要約するのが非常に難しい作品。複数のストーリーが並行して流れるているのに加え、思わせぶりな演出が過多すぎて、何が何を指しているのか、謎解きの上の重要度がよくわからないまま展開する。要するに、懲りすぎてよくわからない。
タイトルの通り、マラソンが好きな主人公。その“マラソン”にどんな意味があるのか。また、父がレッドパーシの犠牲になって自殺したこと、そして彼自身がそれについて論文を書こうとしていることが、ストーリー上どう絡んでいるか…、見ものだなぁと思っていたのだが、正直なところ、それほど効果的でもなかったし、重要でもなかった。確かにベイブはマラソンのように孤独な闘いを続けるし、差別主義者とも対峙する。でも、それでベイブは何か新たな境地に達したか?なにか目的を達成したか?赤狩りをしていた奴らと、ナチの連中は、同じような不当な弾圧者ではあるかもしれないし、家族を奪った者という共通点はあるかもしれないが、ナチ野郎を始末したからって父についての引っかかりが解消されるわけではない。それはそれ。
原作者自らが脚本を書いているらしいのだが、残念ながら小説と映画の脚本は別モノ。小説は自由なペースで読めるし、自由なところで中断できるが、映画は2時間程度で一気に見せる必要がある。そのためには、緩急もメリハリも飽きさせない工夫も必要。注力すべきポイントが異なる。原作で伝えたかった点は余すことなく伝えたられたのかもしれないが、その分ゴチャゴチャになった模様。
ただ、煩雑なシナリオの割には、飽きさせない映像テクニックは満載。カメラワーク、鏡の使い方、小道具にチラ見せ具合等々、緊迫感の煽り方が議場にウマい。とっ散らかりぎみのシナリオも、ドクがエルサの嘘を見抜くあたりから、がぜん不穏な空気が蔓延してきて盛り上がってくる(まあ、そこに至るまで50分以上経過してるんだけどね)。
その後、ドクの行動や、白髪ナチのオッサンの行動の意味が説明されるんだけど、正直に告白すると、判ったような判らんような。ナチのオッサンがアメリカの銀行の貸し金庫にあるダイヤを出そうとしているのはわかった。で、ドクは何?もう一本の鍵を持ってる?在りかを知ってる?なんで追われてるわけ?
ダイヤをとっとと出せばいいのに、なんでユダヤ人街をうろちょろするわけ?ダイヤの相場なんて、あとからどうにでも確認できるだろうに。
肝心の謎がよくわからん。でも、巻き戻してもう一回確認する気もおきない。そのくらい、終盤になっておもしろくなくなるのである。ラストでは、螺旋階段を綺麗に廻って転げ落ちるという、有り得ない不自然なアクション失笑。
残念ながら、マラソンマンは35㎞あたりで失速した。シナリオの書きようによっては、いい作品になったような気もするが、残念ながら凡作である。お薦めはしない。
#ダスティン・ホフマンが大学院生って、何歳設定やねん。当時40歳くらいでしょ。まあ、だんだん気にならなくなるから、さすが名優ってことなんだろうけどさ。
負けるな日本
公開国:アメリカ、ドイツ
時 間:113分
監 督:ジャウマ・コレット=セラ
出 演:リーアム・ニーソン、ダイアン・クルーガー、ジャニュアリー・ジョーンズ、エイダン・クイン、ブルーノ・ガンツ、フランク・ランジェラ、セバスチャン・コッホ、オリヴィエ・シュニーデル、スタイプ・エルツェッグ、ライナー・ボック、ミド・ハマダ、クリント・ディアー、カール・マルコヴィクス 他
コピー:目覚めると、妻さえも“自分”を知らなかった──
人生を奪還する闘いが、今始まる。
学会に出席するため、妻とベルリンを訪れたマーティン・ハリス博士。ホテルに到着したが、パスポートなどが入ったカバンを積み忘れたことに気付き、慌てててタクシーで空港へ戻る。しかし、その途中で事故に巻き込まれ車ごと河に転落。病院に運ばれるものの昏睡状態に陥ってしまう。4日後、目を醒ました彼は、記憶があいまいな状態だったが、自分が学会でベルリンを訪れていることなどを徐々に思い出す。慌てて会場に向かったマーティンは、事情を話し入場し、妻を見つけるが、彼女はマーティンを知らないと言う。さらにマーティン・ハリス博士を名乗る、見たこともない男がそこにいて…というストーリー。
冒頭のカバンを置き忘れるというありきたりな演出にウンザリ。ポンコツ演出で完全に掴みを失敗。さらに、事故→記憶喪失→なぜか自分の存在が否定され言葉の通じないドイツで流浪の異邦人に…という流れが、あまりに状況が厳しすぎて、プレッシャーが強すぎ。観続けるのがツラくなるほど。まあ、オチまで観れば、こういう演出になるのは必然だな…と納得できるのだけれど、実は私は一回観るのを中断している。
主人公の妄想か?それとも彼を貶めようとする陰謀なのか?事故は偶然か作為か?タクシー運転手も何か知ってる?もしかしてSFチックな展開だってありうるぞ。そんな、“状況把握”自体が謎解きになっている、実に新鮮な作品。
あからさまに敵が登場してくると、アクション要素が増して、さらにおもしろくなってくる。敵に襲われるってことは陰謀ってことだよな…、選択しが減ったな…なんて思ったのだが、その先にもう一枚、予想を超えて裏があった。観終わって考えると、よく注意すれば、このオチは予想がつきそうだと思うのだが、本当に「ああ、そういうことか…」とめずらしく先回りすることができなかった。巧みなシナリオだ。
(以下、ネタバレ注意)
そんなに巧みなシナリオなくせに、実はけっこう変なところは多い。
車の中にいるのに外の声が聞こえちゃうのは変…とか、記憶が戻ったからといって、元々暗殺者なんだからいい人にはならんだろ!とか、爆破までの時間が短いのも簡単に止められないのもわかっているのにわざわざ止めにいくとか。中途半端にストーリー上都合のよい部分だけ記憶喪失ってのも、どうかと思う。
もうちょっとディテールに気を使って欲しいと思う部分は多々あれど、これだけ、穴があるくせに、時間が経過するごとに惹きつけられる一方だったし、謎の真相も、腑に落ちる内容だった。
東ドイツの秘密警察っていうキャラクターが、実にいい味付けになっている。もう死を目の前にして怖いものはないし、最後のあだ花を咲かせたい思いもある。多少刃こぼれはしてるけど妖刀は妖刀って感じで、ギラギラ、テラテラと真相に迫っていく。謎解きのための重要人物でもあるし、同時にミスリードにも一役買っているという秀逸キャラだ。それをブルーノ・ガンツがいまいこと演じている。
ラストも実に小気味良く、久々に満足感と共に観終えた。ホテルの警備員もグルなのかどうかなんて、最後のほうにならないとわからんものなぁ。よくできている。お勧めしたい快作だ。
#リアム・ニーソンはいい役に当たったと思う。ポスト ハリソン・フォードになっているのかもしれないね。
負けるな日本
公開国:アメリカ
時 間:139分
監 督:F・ゲイリー・グレイ
出 演:サミュエル・L・ジャクソン、ケヴィン・スペイシー、デヴィッド・モース、ロン・リフキン、ジョン・スペンサー、J・T・ウォルシュ、シオバン・ファロン、レジーナ・テイラー、ポール・ジアマッティ、ダグ・スピヌッザ、マイケル・カドリッツ、ティム・ケルハー、ディーン・ノリス、ネストール・セラノ、メアリー・ペイジ・ケラー、ロバート・デヴィッド・ホール 他
コピー:IQ180の駆け引き。
ダニー・ローマンは、シカゴ警察東分署の腕利き交渉人。ある日、同僚のネイサンから、何者かが警察官の年金基金を横領していると聞く。その横領に関して新たな情報を得たというネイサンに呼び出され、彼のが指定した場所にダニーが向かうと、ネイサンは何者かに殺害された後だった。しかし、ダニーは現場にいたことから殺害の容疑をかけられ、さらに自宅に強制捜査が入り身に覚えの無い警察年金基金の資料が見つかったため、横領の嫌疑までかけられてしまう。このままでは、無実の罪を着せられると考えたダニーは、内務捜査局のオフィスに乗り込み、捜査局員たちを人質に篭城してしまう。何とか事件の真相を明かしたいダニーは、西分署の交渉人セイビアンを交渉人に指定する…というストーリー。
おすぎがCMで観なさい!っていってたね。劇場には行かなかったけど、DVD発売と同時に買っちゃったわ。その時に一回観て、それっきり観ていない。もう10年近く前なんだね。
罪を着せられこのまま屈すれば刑務所行き。究極的に追い詰められた男は、流れにまかせて立て篭もる。そして、一流の交渉人どうしの丁々発止の駆け引き。捕まっちゃうのか?犯人は誰なのか?先の読めない展開で、なかなかハラハラさせられる。サミュエル・L・ジャクソンとケヴィン・スペイシーの演技はキレキレで、そこだけ観れば、超一流の名作といってよい。だけど、まるで無冠。なぜか。
評価が低い理由は2つかな。
一つは長いこと。ケヴィン・スペイシー演じるセイビアンが出てくるまでに30分あるのだが、それ自体は良い。その30分の間に、サミュエル・L・ジャクソン演じるダニーが、もしかして本当に横領したのでは?という目を残している部分が無駄。セイビアンが出てくるとそういう方向性はまったく無くなるわけで、それならば、始めから、無実の男がズルズルと罠にはまっていくところだけを描けばよい。そうすれば、もう少しスッキリとした導入部になっただろう。
二つ目(こっちが重大)。内務調査部のおっさんの家に向かった後、つまりオチの部分が実につまらない。結局、無実を証明できるものは見つかららず、ちょっとした場当たり的なトリックで、すべてを片付けてしまう。
ポール・ジアマッティー演じるタレ込み屋や秘書のおばちゃんのキャラが、だんだん立ってくるのだが、結局秘書が裏切るだけで終わる。彼らが、事件解決に絡んで、もう一活躍できる場面があればおもしろかったのに。脚本として芸がない。
私が脚本スクールの講師だったら、「このラストの展開はイマイチです。あなたなりに書きかえてみましょう」っていう課題を出したくなるレベル。最高のサスペンスが、息切れしたオチのせいで、凡作になってしまった悲劇。
そうだね、このDVD買った時の記憶が蘇ったわ。途中まで「いや~いいDVD買ったわ…」と思っていたのに、ラストを観て「おすぎの馬鹿…」って思ったんだっけ。そして、おすぎのお薦めは信用しちゃダメだって、心に刻まれたはずだったのに。
#あと、吹き替えだと“ネイサン”が姉さんに聞こえるし、“ないていにん(内偵人)”が潜入調査員(スパイ)のことを指してるって、しばらくピンとこなかった(いいがかりか)。
負けるな日本
公開国:アメリカ
時 間:108分
監 督:ダーレン・アロノフスキー
出 演:ナタリー・ポートマン、ヴァンサン・カッセル、ミラ・クニス、バーバラ・ハーシー、ウィノナ・ライダー、バンジャマン・ミルピエ、クセニア・ソロ、クリスティーナ・アナパウ、ジャネット・モンゴメリー、セバスチャン・スタン、トビー・ヘミングウェイ 他
受 賞:【2010年/第83回アカデミー賞】主演女優賞(ナタリー・ポートマン)
【2010年/第67回ヴェネチア国際映画祭】マルチェロ・マストロヤンニ賞[新人俳優賞](ミラ・クニス)
【2010年/第77回NY批評家協会賞】撮影賞(マシュー・リバティーク)
【2010年/第36回LA批評家協会賞】撮影賞(マシュー・リバティーク)
【2010年/第68回ゴールデン・グローブ】女優賞[ドラマ](ナタリー・ポートマン)
【2010年/第64回英国アカデミー賞】主演女優賞(ナタリー・ポートマン)
【2010年/第26回インディペンデント・スピリット賞】作品賞、監督賞(ダーレン・アロノフスキー)、主演女優賞(ナタリー・ポートマン)、撮影賞(マシュー・リバティーク)
【2010年/第16回放送映画批評家協会賞】主演女優賞(ナタリー・ポートマン)
コピー:純白の野心は、やがて漆黒の狂気に変わる…
ニューヨークのバレエ団に所属するニナは、自分が果たせなかった夢を託す母親の期待を背負い、過酷な練習を繰り返す日々を送っていた。バレエ団では、長年プリマだったベスが引退することになり、その後のプリマを決めることに。演目は“白鳥の湖”。ニナを含め複数の者が候補者に挙がったが、生真面目でおとなしいニナは、ホワイト・スワン役に向いていたが、魔性のブラック・スワンを表現することができないため、監督のトマスは別の団員を主役に選ぼうとする。それを知ったニナは、考え直すようにトマスに詰め寄るが、トマスは突然ニナにキスをする。驚いたニナは彼の唇に噛み付いてしまうが、彼女に意外な気の強さがあることに気づいたトマスは、ニナを主役に据えることに。めでたくニナは新しいスターとして歩みはじめるはずだったのだが…というストーリー。
『レスラー』のダーレン・アロノフスキー監督。そこそこ実力がある人が、なんらかの理由で力を発揮できずにもがくお話…っていう流れは、『レスラー』も本作も同じ。薬でちょっとやられちゃうところも同じ。
母親の過保護・執着が漂わせる不安。自分の失敗を補わせようとしているように見せかけて、同じように失敗させて自分の過去を正当化しようとしているのか。または、壊れていく娘を献身的にフォローしているようにみせかけるために、娘を壊れる状況に追い詰めているミュンヒハウゼン症候群的な行動なのか。
また、最近はやりのちょいとカエル顔ミラ・クニス演じる、割り込みライバルのリリーのエグさも、ニナを追い詰める。
まあ、日本には『ガラスの仮面』という漫画があってだな…(本作には紫のバラの人も月影先生もいないけど)、狂ったように演技に命をかける様子は、さほど珍しくない。だけど、冒頭からニナの精神が病みぎみで、明確に薬の影響を受けたあたりから、まるでホラー映画のようになっていく。
だけど、ストーリーテリングに巧みさは感じなかったし(案外シンプルな脚本だった…という意味で)、実のところ、あまり興味のあるテーマではなく、趣味も合わなかったようで、途中から飽きてしまった。ぐいぐい差し込まれるエロシーンも必要なんだかどうだか微妙に感じたし、エロなんだけどやっぱりホラーシーンに見える。ナタリー・ポートマンの演技で、なんとか最後まで観れたってところかな。
#彼女の鬼気迫る演技自体には、何の不満もない。
やたら撮影賞の受賞が多いんだけど、たしかに撮影テクニックはすばらしい。ただ、映像にはちょっと不満が。
最後のステージは、ナタリー・ポートマンのバストアップショットが多すぎ。彼女が実際にポワント(つま先立ち)してるショットが少なすぎ…というか、そんなことしながら演技できないから、足元を見せるのを避けているように感じられて、不自然。黒鳥になるCGは綺麗につくれるんだから、足もとからナメるショットとか、もっと作れるはず。
というか、バレエってこんなにつまらんものなのか(ちがうんじゃないかな)。最後のステージは、本当に舞台を見ているがごとく感動させてほしかったのだが。
これは好みが大きく分かれる作品かな。個人的には破滅型のお話は大好きなんだけど、是非観るべき!と薦める気にはならない。ちょっと女性向きな気もする。
#アメリカって日本みたいな爪切りないのか?
負けるな日本
公開年:2005年
公開国:フランス、グルジア
時 間:93分
監 督:ゲラ・バブルアニ
出 演:ギオルギ・バブルアニ、パスカル・ボンガール、オーレリアン・ルコワン、フィリップ・パッソン、オルガ・ルグラン、フレッド・ユリス、ニコラス・ピグノン、ヴァニア・ヴィレール、クリストフ・ヴァンデヴェルデ、オーグスタン・ルグラン、ジョー・プレスティア、ジャック・ラフォリー、セルジュ・シャンボン、ディディエ・フェラーリ、ゲラ・バブルアニ 他
受 賞:【2005年/第62回ヴェネチア国際映画祭】新人監督賞(ゲラ・バブルアニ)
【2006年/第19回ヨーロッパ映画賞】ディスカバリー賞(ゲラ・バブルアニ)
コピー: 13人のロシアン・ルーレット──それは、運命を狂わせる邪悪なゲーム。
グルジア系移民のセバスチャンは、屋根修理で雇われた家にて、家主が大金を手に入れる仕事があると話しているのを聞いてしまう。その仕事の依頼は手紙で伝えられ、それはもうすぐ届くという。しかし、薬物依存症の家主は、浴槽で絶命。屋根修理の代金が支払われないと知ったセバスチャンは、家主宛の手紙を代金代わりに盗んでしまう。封筒の中にあった、パリ行きの乗車券に従って移動するセバスチャンは、途中で何者かに誘導され、森の奥にある屋敷へ。そこでは、複数のプレーヤーが、一斉に引き金を引く集団ロシアン・ルーレットによる狂気のギャンブルが開催されていたのだった…というストーリー。
2010年に『ロシアン・ルーレット』って名前でリメイクされている(日本では2011年6月に公開)。でも、当たったって聞かないね。そりゃそうだろう。いかにもハリウッドが目を付けて、リメイク権を買いそうな内容だって思うだろうけど、実際はそうじゃない。だってオリジナルの本作は、ある意味完璧なんだもの。
悪趣味なゲームではあるけれど、卑しい人を集めて殺し合わせるという方式が確立されたら、それを繰り返す。純粋にギャンブルをしているのであって、『カイジ』や『ソウ』のように、殺し方のバリエーションで遊びすぎていないのがよい。そのほうが、かえって道具として扱われている感じや、足を踏み込んでしまったセバスチャンの絶望感がアップする。
リメイクすればよい…と思われるもう一つの理由は、展開が淡白するぎるからだろう。貧しい青年が思わず足を踏み込んでしまったのは、下劣なギャンブル。あくまでドッグレースの犬として、闘鶏のチャボとして扱われ、断ることはできない。究極的に生活に困窮しているわけではないから、断れるものなら断りたいんだけど、足を踏む込まざるを得ないという、さじ加減がよい。それ以外のおかずはあえて添えていないことが、シンプル故の緊迫感を産むことに繋がっている。
おそらくリメイク版では、この点は変えるだろう。また、別の参加者のバックボーンにもスポットを当ててくるだろう。なんでこういうゲームの参加しているのかとか、過去映像を指しこんで説明しちゃったりとか。本作は、あくまでセバスチャンに何がおこったかを追っているからいいのであって、そんなのがさしこまれたら途端に興ざめするだろう。どういうバックボーンの人が自分を殺すかもしれない、自分は殺してしまうかもしれないという、“判らなさ”が良いのだから。
改めて言うが、こねくりまわさずに、必要最低限なプロットのみを綴っているからこそ、この味が出ている。いや、そこだけに観客の興味を集中させたいが故に、白黒なんだし、むやみに煽ったりしない適度なBGMがチョイスされているのだから。私なら、リメイクする勇気はない。ハードでありながら、詩的ですらある。だから内容がわかっていても愉しめる。
この作品で、物足りないと思ったひとは、ハリウッド感覚に慣らされちゃって、なんか麻痺してるんだと思う。一回、心の洗濯をしたほうがよい。
主人公はいかにもグルジア人ってお顔。特につながり眉毛。移民問題が産んだ(というと語弊があるかな)良作。特殊な映像技術を用いているわけでもないし、おそらく低予算だろう。もし、自分が一本目にに本作のような作品をつくれたら、ものすごく幸せだろうと思う。お薦め。
#リメイク版を観て、ディスってやりたい気分になってきた(性格ワル…)。
負けるな日本
公開年:2011年
公開国:アメリカ
時 間:80分
監 督:ジョン・エリック・ドゥードル
出 演:クリス・メッシーナ、ローガン・マーシャル=グリーン、ジェフリー・エアンド、ボヤナ・ノヴァコヴィッチ、ジェニー・オハラ、ボキーム・ウッドバイン、ジェイコブ・バルガス、マット・クレイヴン、ジョシュア・ピース、カロリン・ダヴァーナス、ヴィンセント・ラレスカ 他
コピー:密室<エレベーター>が、お前たちの地獄になる
お互いに見ず知らずの5人が乗り合わたエレベーターが急停止し閉じ込められる。警備員たちは早急に救出を試みるが、急行エレベータが中間部分で停止したために難航する。さらに、警備室の声は通じるもののエレベータ内の声は聞こえず、不穏な空気に。そんな中、一時的に照明が消えると、若い女が背中を切られる。緊急事態に慌てた警備員は、警察に応援を要請。たまたまそのビルから男が転落死した現場で捜査をしていたボーデン刑事が、即座に駆けつけるのだったが…というストーリー。
M・ナイト・シャマランが製作・原案。映画界は『ソウ』シリーズみたいな、低予算ながらもインパクトのあるシチュエーションホラーを捜しているので、そういうニーズにもマッチしていたと思う。ただ、その期待には全然応えられていない。
タダでさえいけ好かない人間ばかりのエレベーター内に充満する疑心暗鬼。外からの声は聞こえるけど中の声は聞こえないで、何がウソで何が本当かわからないという、『藪の中』ばりの展開。シャマランが貯めていたこういうアイデア群を、容赦なく投入!ってことらしいのだが、これらアイデアも既視感が。
エレベータの5人が脛に傷のある奴らばかりって、『ソウ』だってターゲットになってる人たちは行いのよろしくない人ばかりだった。集めているのか殺人鬼か悪魔かの違い。
そこに駆けつける刑事も関係者というのは、シャマランらしい。ただ、そこまではわかるけど、この怪現象に気づいた中南米系の警備員は、結局、どういう関係?だって彼は“自分たちは、これを見せられている”とまで言ってるじゃない。いや、それ以前に、ビルから転落死した人のくだりって重要?っていうか、その設定生きてる?彼も悪魔のターゲットだってこと?
どうも、アイデアを詰め込んだのはいいのだが、発散して未消化になっちゃってる印象。
本当に悪魔の仕業?いや、そう見せておいて実は、巧みな犯罪者がいるのかもよ?と、もっと、この辺りをぼやかして引っ張り続け、観客を弄び続けられればよかったと思う。
#正直、こっちはもっと弄んでくださいよ~くらいの気持ちで観ているのに、全然、相手にしてくれない感じ。
(ネタバレ注意)
で、結局、本当に悪魔の仕業だった。その末に、シャマランがいかにもお好みな、“赦し”のお話になっちゃう。シャマランの宗教観って、既存の宗教観を超えた何かがあるから良かったんだけど、最近はキリスト教的な宗教観の域を出ていないように思える。悪魔の諸々の発言を聞くと、悪魔さんが悪魔には見えない。悪人を適正に処罰するのが悪魔ってか?悪魔か天使か、それは貴方の行い次第よ…ってことか?大した深い洞察でもないし、あんまりおもしろくないよね。
『ハブニング』でどうしちゃった?と思わせて、『エアベンダー』でダメだこりゃと思わせて、その後の仕事がコレだもの。正直、才能が枯渇しちゃったんじゃないかと思われても仕方が無いかと。
ピリっとしない凡作。シャマラン監督が復活するのはいつなのか。『エアベンダー』の続編なんか作ってる場合じゃないと思うんだよなぁ。
負けるな日本
公開年:1973年
公開国:イギリス
時 間:86分
監 督:ロビン・ハーディ
出 演:エドワード・ウッドワード、クリストファー・リー、ダイアン・シレント、ブリット・エクランド、イングリッド・ピット、リンゼイ・ケンプ、ラッセル・ウォーターズ、オーブリー・モリス、アイリーン・サンタース
サマーアイル島でローワン・モリソンという少女が行方不明になったので捜索してほしいという匿名の手紙を受け取り、スコットランド本土から島へ単身でやってきた警官ニール。島民のだれに聞いてもローワンのことは知らないというが、何かを隠しているような雰囲気もあり、不審に感じたニールは島での捜査を継続する。やがて、この島では、キリスト教ではなく、独特の太陽信仰に基づく、独特の風習や性的な儀式が繰り広げられていることを知り…というストーリー。
リメイクしたくなる気持ちは理解できたが、同時に2006年のニコラス・ケイジ主演のリメイク版も失敗作であると、確信する結果となった。
リメイク版は、島に赴くまでの過程を厚く描いているが、オリジナルである本作は、特に前フリもなく主人公である警官が島を訪れるところか始まる。リメイク版は、巧みに仕組まれた罠だっていうことを色濃く表現したかったのだろう。しかし、結果として話が動き始める前にダラダラと説明することになってしまい、観客に余計な想像をさせ、「あれ?もしかして罠なんじゃね?」と気付かせる余地を与えている。
まあ、オリジナル版のほうは、匿名の手紙くらいでそこまで動くか?という疑問が生じるので、改善したくなった気持ちもわからないではない。現代アメリカで、童貞の男が生贄の条件という設定をニコラス・ケイジに演じさせるのは無理があるわけで、その辺の設定もこねくり回さねばならなかった。
イギリスだからこそ、そういう古い因習に縛られた島があったとしても、アリかなあと思うのだが、アメリカを舞台にしてしまうと、なかなかそんな風には描けない。リメイク版は文明と隔絶した自給自足生活をしているキリスト教原理主義者の集団のように描いている。まあ、実際、アメリカにはそういう集団がけっこういるから、そっちのほうがリアリティがあるのはわかる。ただ、それに引っ張られて、クリスチャンVS.反クリスチャンという構図も消失している。
結果としてこれらの追加・変更が、リメイク版を判りにくくピリっとしない作品にする原因となっている。オリジナル版のシンプルさに軍配が上がる。
冒頭に流れる、実際にどこかの島で取材した宗教儀式を参考にしている云々という謝辞は、本当なのか演出なのかよくわからない。また、独特のフォークミュージックと安っぽい画質も、意図したのかどうかはわかないが、これらは、不思議な雰囲気をつくる一助となっている。
妙なユルさに飽きそうになるのに、何故か目が離せない。不必要にも思えるお色気シーンの連発に「下品だな…」と思いかけて、ドルイド教の因習にブッ飛びすぎて気にならなくなる。
はっきりいって、おもしろいとか良くできた作品とはとてもいえないのだが、とにかく“ユニーク”の一言に尽きる。始めは警官のニールと一緒に捜査しているような視点で観ているのだが、日本にも各地に奇祭はたくさんあって馴れているのかもしれないが、島民の奇行もなんとなく許容できてしまうし、ガチガチのクリスチャンでもないので、主人公のクリスチャン魂爆発の激昂にも共感できない。終盤に近づくにつれておのずと客観的な視点になっていく。
救いのないオチにもかかわらず、急転直下の展開なので、主人公には何の非もないのだが、「もう、こりゃ仕方ないわ…」と、観ている側も島民の勢いにねじ伏せられてしまうという、稀有なノリの映画だと思う。そういう意味で軽くお薦め。
#重ね重ね、リメイク版がこういう面白い部分をすべて失っており、無駄な作品だったと確信させられる。
負けるな日本
公開年:2008年
公開国:アメリカ
時 間:101分
監 督:ジョン・ポルソン
出 演:ラッセル・クロウ、ジョン・フォスター、ソフィー・トラウブ、ローラ・ダーン、アレクシス・ジーナ、アリヤ・バレイキス、ティム・ホッパー 他
両親を殺害し少年院に収容されているエリックは、犯行時に抗うつ剤の服用により正常な精神状態ではなかったとして、釈放されることに。クリストフオロ刑事は、未解決の連続少女殺人事件の犯人も彼ではないかと疑っており、独自に調査を開始する。一方、16歳の少女ローリは、母親の恋人からの性的虐待に苦しんでいたが、エリック釈放のニュースを聞き、家から出て行くことを決心する…というストーリー。
冒頭の10分間、観ていても何一つ心惹かれるところがなく、掴みとしては最悪といってよい。
完全に興味を失いかけたところで、ああ、この絵を描いたのはこの虐待されてる少女なのかな?何で妻は意識がないのかな?少年院にいるこの男と少女は何か関係があるのかな?と、かろうじて興味をいだかせるピースが登場してくる。
シナリオのレベルとしては、落第ギリギリである。
それにしても、なんで“TENDERNESS(人間的なやさしさ)”という原題がChasingになるのか。たしかにラッセル・クロウ演じる刑事は、エリックを追いかける。いや、ローリだってはじめはエリックを追いかけてるか。
だけど、それをタイトルにすると、追跡することが主題ってことになるじゃないか。どう考えても違う。
やはり、人間性が無い少年が人間性を感じられるのか?が主題なんだと思う。もし追跡劇を観せることが主題なら、クリストフオロ刑事の妻は植物状態というギミックは不要である。本作は、どうしても彼の弱さ(TENDERNESS)を表現する必要があった。彼は妻のことを言われるとかたまってしまう。そんな弱い部分をもった刑事が、シリアルキラーを追いかけることに意味があるのだ。
普通、シリアルキラーを描く場合、改悛の可能性を表現することは少ないと思う。そういう意味では稀有な作品かもしれない。実際は、多重人格者の一部の人格が連続殺人を犯し、人格統合の結果、連続殺人を行わなくなる例はあると思う。しかし、大抵、シリアルキラーとしての性向が、他者の出会いや触れ合いによって改悛されることなど、聞いたことがない。いや、手を差し伸べれば、シリアルキラーだって改悛するんだよ…という、きわめてキリスト教臭が漂う。
もうネタバレになっちゃうけど…、ネタあかし的に挿入されるローリが犯行を目撃するシーンは、どう捉えてよいのかわからない。
犯行を目撃した上でエリックに接触したってことは、彼に殺してもらいたいと思って接触したってことだろう。
でも、そのシーンに重なる刑事によるナレーションは、「私は確信していいる。快楽は記憶を消すが、苦痛からは希望が生まれる…。みな自分に言い聞かせる、やり直せるさ…と。今日は違う。今日こそは何か変わるかも…と」である。確かにローリは現状を変えたいと思ってはいただろう。ならば、その“変えたい”は“もう死にたいから彼に殺してもらいたい”って意味になるじゃないか。
刑事とローリのやさしさや弱さが、エリックの中に人間らしさを産みましたとさ…って流れなのに、ナレーションと映像が噛み合っていないから、希望も救いのかけらもないだけでなく、刑事の献身的な介護もなにか空しく見えてしまうじゃないか。何かおかしくないかこれ?
胡散臭い作品だと私は感じる。ポンコツ神父にしたり顔で説教されたような感じで、うんざりした気分になる。
そりゃ、日本未公開なわけだ。私はヒドい内容だと思う。お薦めするとかしないとかいうレベルじゃなく、嫌い。
最後のナレーションの「人には二種類いる。快楽を求めるものと苦痛から逃れるもの」っていう部分も頭悪いんじゃないかと思う。だって、置かれている状況の違いだけで、両方とも同じじゃないか。なんでラッセル・クロウがこんな作品に出てるかな。
負けるな日本
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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