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image0834.png公開年:2005年 
公開国:アメリカ
時 間:103分
監 督:ダンカン・タッカー
出 演:フェリシティ・ハフマン、ケヴィン・ゼガーズ、フィオヌラ・フラナガン、エリザベス・ペーニャ、グレアム・グリーン、バート・ヤング、キャリー・プレストン、レイノール・シェイン、リチャード・ポー 他
受 賞:【2005年/第63回ゴールデン・グローブ】女優賞[ドラマ](フェリシティ・ハフマン)
【2005年/第21回インディペンデント・スピリット賞】主演女優賞(フェリシティ・ハフマン)、新人脚本賞(ダンカン・タッカー)
【1999年/第5回放送映画批評家協会賞】主演女優賞(ヒラリー・スワンク)
コピー:スカートの下に何があるかより もっとだいじなこと。

若い頃から性同一性障害に悩んでいたスタンリーは、現在ロスでブリーという女性として生活を送っている。これまで何度か女性化手術を重ね、いよいよ最後の手術という時に、ニューヨークの拘置所から電話が掛かってくる。逮捕されているトビーという少年が、顔も知らない父親“スタンリー”を探しているという。トビーは、スタンリー時代に一度だけ女性と関係を持ったときに出来た子どもだったのだ。そんな子供がいることを知らなかったブリーだが、嫌々ながらも身元引受人になるべくニューヨークへと向かう…というストーリー。

性転換手術を控えている人のところに、自分も知らない息子が突然登場してきて、なんだかんだあって一緒に旅をすることになるロードムービー…ってさらっと説明されると、荒唐無稽なチョロいコメディかと思うかもしれない。おまけにダッサいDVDパッケージでピンとこないかもしれないが、良い意味ですっかり裏切ってくれた。

連続のトランスセクシュアル物。別に好んで選んでいるわけではない。たまたま。でも、昨日の『ボーイズ・ドント・クライ』にしろ『プリシラ』や『僕を葬る』にしろ、性別的にノーマルではないとされる登場人物は、どうして人間生活的にもノーマルでない感じで描かれねばならないのか。オカマであることを売りにしてみたり、まるで異常性欲者みたいだったり。自分の性に違和感があるだけで、それ以外は品行方正に暮らしている人がいていいんじゃないのか。そういうひっかかりがあるので、こういう作品をチョイスしてしまうのかも。
そういう意味では、本作はかなり求めていたものに近く、満足できたと思う。そうそう、こういう性同一性障害だけど普通に生活している映画。性同一性障害=性的に異常に奔放な人ではないからね。こういう作品があってしかるべきなのだ。

この主役のフェリシティ・ハフマンという人の演技がすごい。この俳優さんは、本当にそういう性転換をした人?男性俳優?なんて思わず確認してしまうほど、本当に男性かと思える場面も多々ある。昨日の『ボーイズ・ドント・クライ』におけるヒラリー・スワンクの演技の評価は差し控えたが、がんばったで賞という意味でも純粋な演技としてもフェリシティ・ハフマンの方が素晴らしいデキだと思う。いまいち受賞歴がないが、もっと評価されてよいかと。

全編に漂う、相手をおもんばかるが故に生じている心地よい空気感。完全に性転換した父親と、ポルノ男優の道を歩みはじめた息子…という状況が爽やかなわけがないのだが、これがなぜか爽やかだったりする。そう見えた私は、内面の自分を見て欲しいという彼らの願いが通じているということかな。
この手の作品では、今まで観た作品の中で一番といってかも。あえて強くお薦めしてみたい。

#ちなみに、コメディにカテゴライズされる場合があるけど、あまり笑わせようとしているとは思えないし、実際笑う場面はないと思う。本作をコメディだと思った人のセンスを疑うね。

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image0188.png公開年:1939年 
公開国:アメリカ
時 間:211分
監 督:ビクター・フレミング
出 演:ヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲイブル、レスリー・ハワード、オリヴィア・デ・ハヴィランド、トーマス・ミッチェル、バーバラ・オニール、ハティ・マクダニエル、ジェーン・ダーウェル、ウォード・ボンド 他
受 賞:【1939年/第12回アカデミー賞】作品賞、主演女優賞(ヴィヴィアン・リー)、助演女優賞(ハティ・マクダニエル、オリヴィア・デ・ハヴィランド)、監督賞(ヴィクター・フレミング)、脚色賞(シドニー・ハワード)、撮影賞[カラー](アーネスト・ホーラー、レイ・レナハン)、室内装置賞(Lyle Wheeler)、編集賞(James E.Newcom、ハル・C・カーン)
【1939年/第5回NY批評家協会賞】女優賞(ヴィヴィアン・リー)
【1989年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品

1861年、南部と北部の軋轢が強まるアメリカ。ジョージア州タラの大地主ジェラルド・オハラの長女スカーレットは、その奔放な性格と美しさで、当地の青年達の間で憧れの的であり、社交界の華。そんな彼女がひそかに恋心を寄せるのは、同じ大地主ウィルクス家の長男である幼馴染みのアシュリー。心の中ではアシュリーとの結婚を強く決意していたが、彼がその従妹メラニーと婚約するいう噂を聞き大きく心を乱する。婚約が発表された宴会において彼に告白するも、アシュリーはメラニーを選択する。そんな中、突然戦争の開始が伝えられる。戦地に向かうアシュリーとメラニーの抱擁を見て、嫉妬に狂い自暴自棄となったスカーレットは、メラニーの兄チャールズの求婚を受け入れ結婚してしまう…というストーリー。

スカーレットはじゃじゃ馬を通り越して、かなりクレイジーなキャラクター。これを女の強さと捉えらえて共感できるか否かで、大きく印象は変わるだろう。なんだこのクソ女は!?という感情が頭を占めてしまったら、おもしろくは感じられないだろう。
でも、案外、こういう激烈なクレイジーさが世の中を動かすのも事実。まさに憎まれっ子世にはばかるを地でいく女。私はそこに興味を抱けたのでOKである。他のキャラクターも彼女ほどではないけれど、良くいえばメリハリのあるキャラ、悪くいえば若干現実離れしたマンガみたいなキャラで、その部分も愉しい。
それに加えて、アメリカ史上最大の内戦であり、その方向性を決定付けたターニングポイントである南部戦争が舞台というのが、またグッとくるところ。

また、色々な対比が重層的になっているのが、本作の魅力だろう。
南部の価値観が風となって去っていき(実際に多くの男が死に、精神的にも死ぬ)、そんなアノミー状態の中、立ち上がるのが、南部タラに執着する女という対比。
自分の身の丈とほどほどさというものを理解しているアシュリーと、善良で控え目なメアリーの、ある意味賢い生き方をしている二人と、見栄と自己欲に溢れ、その奔放さゆえに、うまく生きられない女スカーレットとの対比。
状況をわきまえているが故に煮え切らない態度のアシュリーと、酸いも甘いも知り尽くしていて、明確に態度を表すバトラーとの対比。
経済的な困窮から立ち上がる男性的な立身話と、執拗なまでの横恋慕という女性的な恋愛話との対比。
はじめは土地よりも愛に生きるという行動パターンだったのに、経験を重ねるごとに土地に執着するようになるという対比。
etc…。

古い時代の恋愛物作品だし、とにかく長いので、これまで忌避してきたが、エイヤーで観てよかったと本気で思う。1939年製作で、このクオリティは手放しで素晴らしいといえる(焼け落ちる建物のシーンは圧巻)。長さはさほど苦ではなかった。私と同じように食指の動かない人は多々いると思うが、お薦めしたい。

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image1559.png公開年:2009年 
公開国:アメリカ
時 間:109分
監 督:ジェイソン・ライトマン
出 演:ジョージ・クルーニー、ヴェラ・ファーミガ、アナ・ケンドリック、ジェイソン・ベイトマン、ダニー・マクブライド、メラニー・リンスキー、エイミー・モートン、サム・エリオット、J・K・シモンズ、ザック・ガリフィナーキス、クリス・ローウェル、スティーヴ・イースティン、アディール・カリアン 他
受 賞:【2009年/第76回NY批評家協会賞】男優賞(ジョージ・クルーニー)
【2009年/第35回LA批評家協会賞】脚本賞(ジェイソン・ライトマン、シェルダン・ターナー)
【2009年/第67回ゴールデン・グローブ】脚本賞(ジェイソン・ライトマン、シェルダン・ターナー)
【2009年/第63回英国アカデミー賞】脚色賞(ジェイソン・ライトマン、シェルダン・ターナー)
【2009年/第15回放送映画批評家協会賞】脚色賞(ジェイソン・ライトマン、シェルダン・ターナー)
【2010年/第19回MTVムービー・アワード】ブレイクアウト・スター賞(アナ・ケンドリック)
コピー:あなたの“人生のスーツケース”詰め込みすぎていませんか?

企業の解雇通告を代行する会社に勤務し、一年のほとんどが出張の男ライアン。その経験を公演で披露することも多い彼のポリシーは“バックパックに入らない人生の荷物は背負わないこと”。その通りに、仕事も淡々と消化し、結婚願望も持たず親族とも距離を置く人生で、人生の目下の興味事は1000万マイル貯めること。そんなある日、出張先のバーで同様に主張で飛び回っているキャリアウーマンのアレックスと意気投合し、割り切った関係を楽しむ間柄に。一方会社では、新人ナタリーが入社早々に提案したネット上で解雇通告するシステムが採用されてしまい、出張が廃止されそうになってしまう…というストーリー。

飄々としたジョージ・クルーニーの演技もよかったが、ヴェラ・ファーミガとアナ・ケンドリックのデキもなかなかよろしい。『ディパーテッド』のヴェラ・ファーミガは、影や裏のある現役女を演じさせたらピカイチだし、『トワイライト』シリーズのアナ・ケンドリックもなかなか腹立たしいクソ娘を好演(『トワイライト』でも若干ムカっとくる役で同じなんだけど)。おかげで、判った上でドライなのか、何も知らずにドライなのかのコントラストはをはっきりさせる一助になっている。脚本の評価が高いのも、彼らがしっかり演じてくれたからこそである。

男性目線だと、ライアンという人物はなかなか共感できると思う。言動が子供っぽいと思う人がいるのかもしれないが、男側から言わせてもらえば、世の中の男の半分はこんなもんだ。そして、周りの女の影響で、頑強に見えるポリシーがあっさり揺らぐのも、大抵の男はそんなもんだ(笑)。

出張が長く続くと、マイレージやらサービスポイントにこだわりを持っちゃうのも経験上よくわかる。ホテルではどうがんばっても日常生活を補うことはできないので、空虚な日々になる。仕事をしてるならまだしも、土日またぎの出張で休日を過ごすなんて、1回や2回ならまだしも、金があって好き勝手できるならいざしらず、そうでもなければ、楽しんだ分以上の疲労と虚無感が待っているだけ。

かといって、いい歳をしたおっさんが、そうそう生活リズムを変えることはできないわけで、それを自分の部屋にミニボトルでサラっと表現するのも上手。そこに、妹の婚約者ジムが怖気づくエピソードを挿入するのもまた巧み。先がわからないことが不安だと思われがちだけど、先が見えることのほうがよっぽど恐ろしい。人生の意味を見失うからね。その彼を説得することで自分も変化するのだが、まるで心理学の治療みたいだ。脚本家は心理学でも専攻してたんじゃなかろうか。
いや、でもさ。独身だからよかったけど、既婚者だったらそんな逃げ道はないよね…な~んて思いながら観てたら、シカゴはそういう展開かぁ…。脚本家さんも考えることは一緒だったわね。

これだけ軽い内容なのに、とにかくリズムがいいので、かなり内容に引き込まれる。最後の手の差し伸べ方もほどよくって、こりゃあ、ちょうど良い加減のウマい作品に出会ったなぁ…なんて思っていたら、気になる点が一つ。
大事なのはお金なのか家族なのか…って、どっちもほどほどに必要だって、みんな答えはわかってるはずなのに、なんでどっちかを選ぼうととするのかね…なんて考えていたら、最後の方で、乗り越えた人に語らせる場面が。この部分だけは蛇足も甚だしい。そんな簡単な話じゃないっていってたくせに、家族に救われた…みたいな話に集約させるって、観覧者への裏切り行為にも等しいと思うのだが。
これは、監督や脚本家以外の誰かが、無理やり挿入させたんじゃないのかね。あまりにもバランスを欠く。この部分だけでマイナス30点。A-だったのにBまで落ちたんだけど、まあ、良作なのでお薦めするけど(何なら、エンドロール前でリストラされた人のインタビューっぽくなったら、停止ボタンを押せばいいと思う)。

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image1421.png公開年:2008年 
公開国:イギリス、アメリカ
時 間:120分
監 督:ダニー・ボイル、(共同監督)ラヴリーン・タンダン
出 演:デヴ・パテル、マドゥル・ミッタル、フリーダ・ピント、アニル・カプール、イルファン・カーン、アーユッシュ・マヘーシュ・ケーデカール、アズルディン・モハメド・イスマイル、ルビーナ・アリ 他
受 賞:【2008年/第81回アカデミー賞】作品賞、監督賞(ダニー・ボイル)、脚色賞(サイモン・ボーフォイ)、撮影賞(アンソニー・ドッド・マントル)、作曲賞(A・R・ラーマン)、歌曲賞(詞:Gulzar“Jai Ho”、曲:A・R・ラーマン“Jai Ho”曲/詞:A・R・ラーマン“O Saya”、詞:Maya Arulpragasam“O Saya”)、音響賞[調整](Ian Tapp、Richard Pryke、Resul Pookutty)、編集賞(クリス・ディケンズ)
【2008年/第43回全米批評家協会賞】撮影賞(アンソニー・ドッド・マントル)
【2008年/第75回NY批評家協会賞】撮影賞(アンソニー・ドッド・マントル)
【2008年/第34回LA批評家協会賞】監督賞(ダニー・ボイル)
【2008年/第66回ゴールデン・グローブ】作品賞[ドラマ]、監督賞(ダニー・ボイル)、脚本賞(サイモン・ボーフォイ)、音楽賞(A・R・ラーマン)
【2008年/第62回英国アカデミー賞】作品賞、監督賞(ダニー・ボイル)、脚色賞(サイモン・ボーフォイ)、作曲賞(A・R・ラーマン)、撮影賞(アンソニー・ドッド・マントル)、編集賞(クリス・ディケンズ)、音響賞(Ian Tapp、Tom Sayers、Richard Pryke、Resul Pookutty、Glenn Freemantle)
【2009年/第22回ヨーロッパ映画賞】撮影賞(アンソニー・ドッド・マントル:「ANTICHRIST」に対しても)、観客賞
【2008年/第14回放送映画批評家協会賞】作品賞、若手俳優賞(デヴ・パテル)、監督賞(ダニー・ボイル)、脚本賞(サイモン・ボーフォイ)、音楽賞(A・R・ラーマン)
コピー:運じゃなく、運命だった

インドでは、クイズ$ミリオネアが大人気。この日、ムンバイのスラム出身の青年ジャマールが、難問を次々にクリアして、ついに最終問題まで到達。そこで、放送時間が終了しその日の収録が終了。スタジオを出たところで、イカサマの容疑で警察に逮捕されてしまう。まともな教育を受けたこともない人間が回答できるはずがないと決めつけ、警察は拷問を繰り返すが、ジャマールはなぜ答えることができたのか、その過去を話し始める…というストーリー。

インドの児童労働や虐待、人身売買、ムスリムとヒンドゥーの対立、根強い階級差別。問題だらけの国を舞台にしたヒューマンドラマなのか?はたまた、そんな国が経済国として急進して、私たちのコストセンターとして仕事を奪い、IT立国だとかのたまっているんだぞ!なんて、自由主義や経済的視点での弾劾か?始めはそういう部分に目がいっていた。冒頭の警察官による拷問シーンを見ていると、「アジアの多くの国がそんなもんだよ…」とウンザリして、一回観るのをやめてしまったほど。

でも、たまたまそういう原作が存在しただけであって、映画を製作する側はそういう部分を見せたいわけじゃないんだ…ってことに気付いたら、途端に面白く感じてきた。ひっかかったままの人は、最後まで面白いと思えなかったはずで、本作を凡作と評価する人なんかは、その呪縛から抜け出せなかった人だろう。私は途中で気付けてよかったと思う。

欧米人(特にアメリカ人)は、あれだけグローバル社会はどうしたこうした言うわりには、他国のことは何にも知らない(教育されていない)ので、そういうことを気にして見ている人間はほとんどいなかったに違いない。イギリスだって、二重被爆者を平気で笑いものにできるレベルで、大したもんじゃない(私は総理大臣なら、国交断絶をほのめかして批判してもいいくらいだと思うけどね)。だから、始めから娯楽作モードで見ていたので愉しめたんだろう。それがこの受賞のオンパレードに繋がっていると思う。
だから、こういう作品にアカデミー賞を挙げるくらいなので、アメリカ人は世界の現実を理解しているんだなあ…なんて考えは間違い。そういう部分をまったく観ていない結果でしょう。

不正をした司会者や、違法な取調べをした警官に対して、勧善懲悪で痛い目にあわせるような展開が一切なくて、かえって、それが若さゆえの疾走感と一途な思いを表現する一助になっている。ここに『トレインスポッテイング』のダニー・ボイル監督をもってきた製作側のセンスがすごくて、本作ヒットのMVPは彼にオファーした人である。

複数の時間軸と行ったり来たりする表現は多用されているけれど、ここまで効果的に使えているものは少ないだろう。人間の脳というのは過去の記憶と記憶(もしくは現在の状況)が繋がったときに、快感を覚える。快感の具合は記憶と記憶の距離感で決まり、その距離が絶妙な場合は“ユーリカ!!!”ってな具合で絶頂に至るわけだが、本作の現実と回想での出来事の距離感が非常によろしいのだ。

とにかく社会的に高尚な視点を捨ててから観はじめることをお薦めする。そして始めの20分はイライラするかもしれないが、騙されたとおもって観続けてほしい。そうすれば近年稀に見る娯楽の秀作が登場するはず。お薦め。

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image1605.png公開年:2001年 
公開国:フランス
時 間:95分
監 督:フランソワ・オゾン
出 演:シャーロット・ランプリング、ブリュノ・クレメール、ジャック・ノロ、アレクサンドラ・スチュワルト、ピエール・ヴェルニエ、アンドレ・タンジー 他
コピー:あなたは万物となってわたしに満ちる




マリーとジャンは、例年どおりバカンスのために別荘を訪れる。二人に子供はいなかったが、結婚して25年間、幸せにこうして過ごしてきた。浜辺を訪れたある日、マリーがうたた寝をしている間、ジャンは海に泳ぎに行く。彼女が目を覚ますとジャンの姿が見えなくなっており、いくら探しても一向に見つからない。不安は現実のものとなり、大規模な捜索をしたにもかかわらず行方不明となってしまった。数日後、マリーは失意のままパリへと戻るのだったが…というストーリー。

『ぼくを葬る』に続いて、オゾン監督作品は今年二作目だけど、なんとなくノリが掴めて来たぞ。変な言い方かもしれないけど、お上品なエログロ趣味の人だな(何かしらグロ要素は入れないと気が済まないみたい)。そして、ラストは“す~~ん”って感じで終わる(笑)。

突然、愛する人を喪失する苦痛というのも理解できるし、諸々の彼女の言動を観て“大人の作品だ”と評価するのは簡単だろうけど、正直なところ、どう捉えてよいのやらよくわからない。

相手が軽すぎるだ、行為の途中に笑い出すだ、本作の批評ではよく取り上げられるシーンなんだけど、私には、喪失感に耐えられず、適応障害に陥った人にしか見えない。いや、徐々に受け止めようとする姿や、足掻いている様子はわかるのだが、これは身近な人を亡くすような経験をしないと共感できないのかも。私には、「ああ、あの人はもういないのね…」みたいな感情が湧いた経験はないものなぁ。人生経験が不足といってしまえばそれまでなんだけどね。
ラストがすごいと評価する人もいるけれど、私の目には、同じように“狂気”以外の何にも写らなかった。おすぎさんのように、ラストがすごいと興奮はできないなかったなぁ。

ただ、興味深かったのは、夫をそんなに激烈に深く愛していたようには見えなかった点かな。愛するということは失うことと表裏一体。愛の深さとは、喪失感(もしくは失うかも…っていう恐怖感)との相対的な振り幅のことなんだよ…ってことを言いたいのならば、確かにそれは慧眼かもしれない。

ピンとこなかった人間なのでお薦めはできないんだけど、逆に皆さんがどう思ったのか、どう捉えたのか、どう解釈したのかを、教えて欲しいなと思う作品。

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image1608.png公開年:1994年 
公開国:オーストラリア
時 間:103分
監 督:ステファン・エリオット
出 演:テレンス・スタンプ、ヒューゴ・ウィーヴィング、ガイ・ピアース、ビル・ハンター、サラ・チャドウィック、マーク・ホームズ、ジュリア・コーテス 他
受 賞:【1994年/第67回アカデミー賞】衣装デザイン賞(LIZZY GARDINER、TIM CHAPPEL)
【1994年/第48回英国アカデミー賞】衣装デザイン賞、メイクアップ&ヘアー賞


シドニーに住むドラッグ・クイーンのミッチは、アリススプリングスのカジノでのステージのオファーを受け、二人の友達バーナデットとフェリシアと共に1台のバス“プリシラ号”に乗って、砂漠を横断するの3000キロの旅に出るのだった。しかし、道中、行く先々で様々ないやがらせにあって…というストーリー。

荒唐無稽なシナリオと思うかもしれないが、必然性や整合性もしっかりしているし、ロードムービーのツボはしっかり抑えており、好感がもてる作品。そりゃあ、あれだけ衣装や小道具があればバスじゃなきゃ無理だし、嫁があんな状態ならジジィも修理要員にかこつけてくっついてくるだろう。意外と不自然さは無い。
途中のモタモタしがちな箇所も、彼らの底抜けに前向きな行動で、なぎ倒すようにストーリーを成立させていて、パワーを感じる。
3人の俳優陣の演技も、完全に吹っ切れていてデキがよろしく、受賞歴がまったくないのが不思議なくらい(特に、1994年のゴールデン・グローブ男優賞[コメディ/ミュージカル]は、テレンス・スタンプはノミネートまでで、ヒュー・グラントが受賞しているのだが、そうかぁ?って感じ)。

ただ、個人的に好みじゃない部分が2点。
物わかりの良い子供の双肩に大団円のすべてを担わせるのはいかがなものか。子供がらみですったもんだされるのも好みじゃないが、あんまりにもすんなり受け止められるのもどうかと思う。
もう一つは、私の好きな『キンキーブーツ』と比べると、ステージのクオリティがなんとも…。まあ、10年以上あとの作品だし、そこを比較するはフェアじゃないのはわかってはいるのだが、なんで、あんなに踊りのキレがいまいちなのか。どうも、観ている側のアドレナリンが出てこない。もうちょいなんとかならなかったか。

#あと、女性ランナーの件は蛇足だと思う。

また、この映画の話題になると、例の日本人らしきキャラクターのことが挙がるが、その点については無視していいだろう(オーストラリア人の対日感情や知識なんて、あんなもんだから)。

個人的には受け付けない部分もあるけど、とにかく現実をうけとめて前向きに生きていこうとする姿勢をみると、「これでいいんだよ」「悩んでも結局何もかわらないなら、悩まずやればいんだよ」って、そんな気にさせてくれる作品。ちょっと人間関係でイヤなことがあったら元気がもらえるかもしれないので、軽くお勧めしたい。

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image1093.png公開年:2005年 
公開国:フランス
時 間:81分
監 督:フランソワ・オゾン
出 演:メルヴィル・プポー、ジャンヌ・モロー、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、ダニエル・デュパル、マリー・リビエール 他
コピー:余命3ヶ月――。あなたには何が残せますか?




写真家の青年ロマンは、ある日、ガンで余命3ヶ月との宣告を受ける。しかし、残された時間を苦痛で過ごすことをきらい化学療法を拒否。運命を受け入れ、死と向き合おうと決める。いまいち折り合いの悪い家族には病気のことは言わず、ゲイである彼は恋人サシャに一方的に別れを告げる。そして、唯一心のままを話すことができる祖母の元へ向かい、自分の苦しみを打ち明けるのだが…というストーリー。 

まあ、死を宣告されたストーリーとなれば、周囲の人と苦しみを分かち合うとか、病で痩せこけていく姿を見せながらのお涙頂戴的な展開だとか、そういうのがありがち。事をできるだけ荒立てず、比較的さらっと死を受け止めようとする本作の展開は、逆にリアルっちゃあリアルだし、ストレートっちゃあストレートな話だと思う。ありきたりな感想だけど、フランス映画らしいっちゃあフランス映画らしい。そういうさらっと感の薄皮の中ではちきれそうになる死への恐怖が、よく表現できているとは思う。

でも、主人公はストレートじゃない。どうも、そこが素直に映画を観られなかった原因か。
別にゲイに特別な偏見があるわけじゃないんだけど、ゲイ同士の赤裸々な性行為の描写とか、不妊で悩む夫婦との行為とか、はっきりいって吐き気がしてしまった。薬物をやってバーで相手を物色しては交わるような生活の主人公に対して、その苦しい気持ちを慮ってあげましょうって気には一切ならなかった。冷たい言い方かもしれないけど、“好きにしてください”という感情のみ。仮に男女間の行為だったとしても同じ感じかもしれない。だって『死ぬまでにしたい10のこと』の時も、別の男との行為に対して、私、引きまくってたものな。別にモラリストってわけじゃないんだけどさ。
#生まれてくる子供に全財産を相続する気になるのも共感できないし。

昨日の『L.A.コンフィデンシャル』に続いてだけど、あえて世の評価には逆らうよ(本作もネット上の評価はいいんだよね)。生理的に受け付けない。お薦めできない。
本当は途中で断念するくらいな感じだったんだけど、いくらなんでもまさかこれで終わらないだろう、なにかあるはずっていう思いで観続けたのだ。でも、なにも無かった。

#もう、こうなってくると、タイトルの“ぼく”にもムカついてくる。“ぼく”ってキャラじゃないでしょう。
 

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image1597.png公開年:2008年 
公開国:アメリカ
時 間:124分
監 督:チャーリー・カウフマン
出 演:フィリップ・シーモア・ホフマン、サマンサ・モートン、ミシェル・ウィリアムズ、キャサリン・キーナー、エミリー・ワトソン、ダイアン・ウィースト、ジェニファー・ジェイソン・リー、ロビン・ワイガート、セイディー・ゴールドスタイン、ホープ・デイヴィス、トム・ヌーナン 他
受 賞:【2008年/第34回LA批評家協会賞】美術賞
【2008年/第24回インディペンデント・スピリット賞】新人作品賞、ロバート・アルトマン賞(アンサンブル演技作品賞)
コピー:人生には“何か”あるはず

アーチストの妻アデルと娘オリーヴとニューヨークで暮らす劇作家ケイデン・コタード。彼の舞台はそれなりの評価を受けていたのだが、アデルはいまいち個性のない彼の演出姿勢に嫌気がさし、娘を連れてベルリンへ移住してしまう。なかなかアデルへの未練を振り切れずにいるケイデンだったが、突然にマッカーサー・フェロー賞を受賞してしまう。彼は、その多大な賞金を元にしてとある企画を思いつく。それは、巨大な倉庫の中に、自分の脳内にある“もうひとつのニューヨーク”を作り上げるというものだった…というストーリー。

彼が脚本を手がけた『マルコヴィッチの穴』や『エターナル・サンシャイン』は好みなのだが、さて、自ら監督した作品はいかがなものか。

自分の頭の中のニューヨークを舞台で表現しようという突飛なプロットなのだが、その本題に入るまでの脚本のドリフトっぷりがハンパない。
現実と妄想の境目を判然とさせないのは作為だとしても、あまりにも判りにくすぎる。境目を見分けるヒントすら存在しない。せめて主人公の一人称的な表現で通してくれたらいいのだが、そんなルールは無い。常に火事になっている家の表現など、間違いなくケイデンがいないシーンでスタートするのだから、完全に彼の脳内ではないもの。とにかく困惑する。置いてきぼり感も甚だしい。
挑戦していると捉えられなくもないけど、思いついたことをそのまま表現すりゃあそれでいいのか?ゆるされるのか?と、腹立たしいとまではいわないが、首を傾げたくなる。わかるんだけどねぇ…とは思うが、絶対に一般ウケはしない。

ただ、個人的に好きなのは、NYで無茶な舞台を作り始めて、自分を演じている人が登場すると、さらにそれに干渉する同じような演者が登場してくる展開。ハイゼンベルグの不確定性原理でいうところの、粒子の位置を正確に測ろうとすればするほど、対象物の状態を正確に測れなくなりるという物理学の法則に通じているのが、非常に興味深く感じた。

チャーリー・カウフマンの思索というのは、結構、突き詰められるところまで到達してしまっているのかもな…と思った。しかし、最後に、人間の模倣の意味自体を問いただして、一人一人が演者なんだ…的なセリフを言わせたのは非常に残念だった。そこは貫いてほしかったのだが、思想的な突き抜けがポッキリ折れてしまったように感じられた。日和ったと思う。結果的には、『マルコヴィッチの穴』ほど奇抜なビジュアル表現にもならなかったし、『エターナル・サンシャイン』ほど心に響くものはなかった。自分が監督することで、突き抜けるパワーが削がれたのならば、もう監督なんかやらないほうがいいと思う。

この一般的ウケしなかったことがさらに悪い面に拍車をかける。吹き替え音声が付いていないのだ。ビジュアルをしっかり観ないといけない作品なのに、字幕を追わなければいけないのがものすごく苦痛(なんとかならんか)。

とはいえ、不思議といつかもう一回観てやろうかという気にさせられてるのは、さすがチャーリー・カウフマンってことなんだろうな。お薦めはしないが、この文句を読んで逆に興味が沸いた人はどうぞ。私は、絶対にいつかまた観ると思う。そういう作品。

拍手[0回]

image1491.png公開年:2008年 
公開国:アメリカ
時 間:106分
監 督:ギジェルモ・アリアガ
出 演:シャーリーズ・セロン、キム・ベイシンガー、ジェニファー・ローレンス、ホセ・マリア・ヤスピク、ヨアキム・デ・アルメイダ、ジョン・コーベット、ダニー・ピノ、J・D・パルド、ブレット・カレン、テッサ・イア 他
受 賞:【2008年/第65回ヴェネチア国際映画祭】マストロヤンニ賞[新人俳優賞](ジェニファー・ローレンス)
コピー:愛の傷なら、いつか輝く。

アメリカ・ポートランド。高級レストランの女マネージャー・シルヴィアは、行きずりの情事を繰り返していたが、そんな彼女のところに、見知らぬ男が一人の少女を連れてくる…。ニューメキシコ州。ジーナとメキシコ人のニックは国境を超えて不倫関係にあったが、密会に利用していたトレーラーハウスが炎上して、2人は死んでしまう。残されたジーナの夫は、不倫相手の家族を激しく憎むが、娘のマリアーナはその家族の息子と恋愛関係になってしまう…というストーリー。

悪くはないのだが、昨日『抱擁のかけら』を観てしまったのが不運。時制の混在演出も、愛にまつわるテーマも、奇しくもほぼ一緒。まったく予備知識もなく、偶然に連続鑑賞してしまった。
#まあ、時制がいったりきたりするのは、アリアガの十八番だから、パクリとかそういうことではもちろんない。

『21グラム』『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』『バベル』と、ギジェルモ・アリアガが脚本を手がけた作品を、これまで三本観てきたが、これが初監督作品になるんだね。
ラストは、一瞬かすかに光明が見える気がするけど、自分の母親を殺したことを乗り越えようとしただけではなく、意識の戻った後には、彼の父親を殺したことを乗り越えねばならないという、とてつもなく高いハードルがまだまだ残っているわけで…。底なし沼に沈むスピードが落ちこそすれど、底にいることは変わらないという、この無間地獄のような救いのなさが、アリアガらしさ。
これまで観た三本は、いささかトンガった演出が多かったので、アリアガの頭の中にあったものとは乖離があったのかもしれない。本作はハードな内容なのに、奇を衒ったような感じがせず、こなれた感じ。さすがにアルモドバルと比較しちゃいけないんだけど、初監督としては大したものなのではないだろうか。

この映画を20代や30歳そこそこの時に観たとしたら、私には受け止めきれたかどうかわからないなぁ。家庭を顧みず浮気をするのも、子供を捨てるのも、見境なく異性と関係を持つのも、ただ“悪い”で片付けてしまって、それ以上、感じることを拒絶してしまったかもしれない。その辺にころがっているシチュエーションではないけれど、それほど突飛にも感じないのは、やはり年を重ねたからな気もする。

どっぷり中年の人はもちろん、中年に足を踏み入れつつある人にお薦めする。ある意味、自分の人間としてのキャパを図るものさしになるかもしれない。

#シャーリーズ・セロンはオスカーを獲ってしまった余裕というか、貫禄すら感じますな。

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image1514.png公開年:2009年 
公開国:スペイン
時 間:128分
監 督:ペドロ・アルモドバル
出 演:ペネロペ・クルス、ルイス・オマール、ブランカ・ポルティージョ、ホセ・ルイス・ゴメス、ルーベン・オチャンディアーノ、タマル・ノバス、アンヘラ・モリーナ、チュス・ランプレアベ、キティ・マンベール、ロラ・ドゥエニャス、マリオラ・フエンテス、カルメン・マチ、キラ・ミロ、ロッシ・デ・パルマ、アレホ・サウラス 他
受 賞:【2009年/第22回ヨーロッパ映画賞】音楽賞(アルベルト・イグレシアス)
【2009年/第15回放送映画批評家協会賞】外国語映画賞
コピー:愛から逃げて、愛と出逢う
マドリード。盲目の脚本家ハリーは、かつて映画監督として活躍していたが、とある事件で視力を失った。ある日、ライ・Xと名乗る男が、自分が監督をする映画の脚本を書いて欲しいと依頼に訪れる。しかし、ライ・Xの正体が、過去の事件と関わりのある人物であることに気づく。その事件とは、14年前のこと。ハリーは本名のマテオとして映画監督として活動していたが、オーディションにやってきたレナという美女を見初めて恋に落ちる。しかし、彼女はエルネストという大富豪の愛人で、嫉妬するエルネストは彼女をつなぎとめるために、映画の出資をしつつ、メイキング映像を撮るという名目で息子を監視役として撮影現場に送り込むのだった…というストーリー。

これまで『オール・アバウト・マイ・マザー』『トーク・トゥ・ハー』『ボルベール <帰郷>』と観てきたが、女三部作を終えて、次のステージに…という感じかな。これまでは、女の性(さが)に固執しすぎたきらいがあって、趣味に合う・合わないはあったのだが、高いクオリティに感服してきた。しかし、本作はその三作を軽く上回る巧みさだ。

過去と現在を行き来しつつ秘密を明かしていくという手法なんて、ありきたりだし、基本的に恋愛のすったもんだには興味がないので、本来は興味が沸くはずがないジャンルなのだ。しかし、先の予測がつかない演出で、グイグイと世界に引き込まれる。時間と金と有能なスタッフを与えられても、私には到底作れそうもないレベルで、天上人の成せる技というか、完全に脱帽の領域である。

これまでの女の生き様よりも、もっと広い視線になって、人を愛さずにはいられない人間の性、そしてその先に見える“人生ってなにか?”っていう光を垣間見せる。最後の「映画は完成させないと。たとえ手探りでも」は、近年の映画の中では、特筆して深いセリフだろう。人間の業を語りに語って、最後には“赦し”を超えて生きる意味や力を見つける。最後のメッセージは、けっして長々と表現しているわけではないのだが、ズドーンと響いてくる。

ペネロペ・クルスは、いままでで一番ぴったりはまった役で、彼女以外にこの役ができる人間はいない…というか、彼女ありきで出来上がった役といってもいいほどである。反面、アルモドバル監督はこれまでずっとペネロペを使い続けてきたが、これで一旦区切りをつけるのでは?ということを予感させる。やはり、普通の女優を見つめる目線以上の物があるし、彼女を烈火のごとく愛する主人公や嫉妬に狂った老いた夫、そして彼女を執拗に監視する息子の姿は、全部アルモドバルの投影だろう。そして彼女は死に、映画を完成させ納得し、この映画は終わるのだ。ペネロペへの執着を振り払ったと考えてよさそうである。
#この予言が当たるかどうかは、彼の次回作まで。

もう、口を差し挟む余地はない。私なんかが強くお薦めしようがしまいが、微塵も影響を及ぼさない、そんなレベルの作品である。

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image0711.png公開年:1956年 
公開国:アメリカ、イタリア
時 間:151分
監 督:キング・ビダー
出 演:オードリー・ヘプバーン、ヘンリー・フォンダ、ヴィットリオ・ガスマン、アニタ・エクバーグ、メル・ファーラー、ハーバート・ロム、アニタ・エクバーグ、オスカー・ホモルカ、メイ・ブリット、アンナ・マリア・フェレーロ、ジェレミー・ブレット 他
受 賞:【1956年/第14回ゴールデン・グローブ】外国映画賞[外国語]
コピー:ロマンとスペクタクルの壮麗な超大作 生と死、愛と苦悩…… 壮大な歴史のなかに描かれた 人生の真実が いま、ここによみがえる

19世紀、帝政ロシア末期のモスクワでは、フランス軍の侵攻が噂され、軍人達が活気付いていた。貴族の非嫡子であるピエールは、父に愛されていないことを常々嘆いていたが、危篤の父が臨終の際にすべての財産を相続させたことで、自分が愛されていたことを知る。ピエールはかねてからロストフ伯爵の娘ナターシャに想いを寄せていたものの、財産目当てに近づいてきた貴族の娘ヘレーネと結婚してしまう。一方、ピエールの親友アンドレイは、妊娠している妻を置いて戦地にいくが、敗戦し負傷兵となって帰還する。そんな彼は、いつしかナターシャと心通わすようになるのだったが…というストーリー。

言わずと知れたトルストイの大作の映画化。とか言って、文学青年でもなんでもないので、読んだことはない。だって猛烈に分厚いし普通は読まないよ。うん。

三時間半の長時間映画ではあるが、あの百科事典みたいな原作からすると、かなりシュリンクしているのは間違いなかろう。でも、原作を知らないので、何がどうシュリンクされているのはさっぱり不明。とにかく小走りでストーリーは進んでいく。何か韓国ドラマのようだな…なんて思ってしまった。だって、戦争と平和という重々しいタイトルにも関わらず、恋愛がらみでずーっとストーリーが展開するんだもの。徐々に、戦争シーンも増え、恋愛もドロドロしていくけれど、気安くコロコロと展開するのはずっと同じ。ここまでくると、何がどうなっているのか、何を見せたいのか、よく判らなくなってしまう。
そして、最後の最後で、命の大切さについてのトルストイのメッセージのテロップが入る。いやいや、最後で帳尻をあわそうとしても手遅れだから…って、長時間見切った開放感も相まって、笑っちゃったよ。ここから推測するに、多分、原作はこんなジェットコースタードラマみたいな内容ではないと思われる(とてもロシアの文豪の作品だとは思えないもの)。

評価できるのは、フランス軍との戦争関係の描写がしっかりと作りこまれている点か(描写が史実として正しいかどうかは知らんけど)。ナポレオンがらみのシーンや、モスクワ侵攻から“冬将軍”の件まで、そのあたりも長いなぁと思いつつも興味深く観ることができた。逆に言えば、おっさんの鑑賞に堪えたのは、そのあたりだけということなんだけど(恋愛の話なんか、本当につまんないんだよね)。

著作権標記に問題があってアメリカではパブリックドメインになっているらしく映画検定的には押さえどころかな?と思い、表記の不備に着目して見ていたが、私が観たDVDのオープニングにはcopyrightが表記されていたけど。製作年が入っていないのが問題なのかな?

映画の内容と直接関係はないのだが、あまりに長いので字幕を追うのは難しいと判断し、吹き替えで観たのだが、ヘプバーンの声を池田昌子が当てていた。何歳の時に収録したのかわからないが、声が完全におばあちゃんで、活発なヘプバーンとアンマッチすぎる。嫌いな声優さんではないのだが、いくらなんでも…である。『ハウルの動く城』と同様。もうすこし考えて欲しいかな。

よほどトルストイとかロシア文学に興味でもない限り、覚悟がないと最後まで観るのは苦痛だろう。ヘプバーンのファンだ…というだけで観るのもつらいだろう。お薦めしない…というかお薦めするには勇気が必要な作品。

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image0110.Png公開年:2004年 
公開国:スペイン
時 間:125分
監 督:アレハンドロ・アメナバール
出 演:バビエル・バルデム、ベレン・ルエダ、ローラ・ドゥエニャス、クララ・セグラ、マベル・リベラ 他
受 賞:【2004年/第77回アカデミー賞】外国語映画賞
【2004年/第61回ヴェネチア国際映画祭】男優賞(ハビエル・バルデム)、審査員特別賞(アレハンドロ・アメナーバル)
【2004年/第62回ゴールデン・グローブ】外国語映画賞
【2004年/第24回インディペンデント・スピリット賞】外国語映画賞
【2004年/第17回ヨーロッパ映画賞】監督賞(アレハンドロ・アメナーバル)、男優賞(ハビエル・バルデム)
【2004年/第10回放送映画批評家協会賞】外国語映画賞
【2005年/第19回ゴヤ賞】作品賞、監督賞(アレハンドロ・アメナーバル)、脚本賞(アレハンドロ・アメナーバル、マテオ・ヒル)、主演男優賞(ハビエル・バルデム)、主演女優賞(ロラ・ドゥエニャス)、助演男優賞(セルソ・ブガーリョ)、助演女優賞(マベル・リベラ)
コピー:約束しよう。自由になった魂で、きっとあなたを抱きしめる。

スペインのラ・コルーニャの海で育ったラモンは25歳の時、引き潮の海へ飛び込んだ時に海底で頭部を強打し、首から下が完全に麻痺。以来、寝たきりとなり家族の介護の下で生きている。彼は、部屋の窓から外を眺め、想像の世界に身を投じ、詩を書く生活を20年続けたが、ついに自ら命を断つことを決意する。しかし自ら死ぬこともできないため、法的に安楽死することを求め、訴えを起こすことにしたのだが…というストーリー。

華々しい受賞歴故に常々観たいと思ってはいたものの、とにかく重い重いテーマのため、手が出なかった作品。やはり、実際に観ても重かった。

しかし、ただ重いだけでなく、15分おきくらいに観続けたくなるような巧みな演出が多数出てくる。子供が「あの人うごけるよ!」と冗談を真に受ける⇒徐々に動き始め立ち上がるシーン挿入⇒え!そういう話なの?!⇒空想だった。ってこう書くと夢オチみたいじゃん!って感じるかもしれないが、本編内の演出は実に巧みで、「おお!」と引きこまれる。
ラモンの存在を知って、彼を訪ねてきた子持ちの女に対して、「私を見て優越感に浸っている」と言い放つところなんか、痛快とすら思える。神父の件も、世の中で最も害悪なものは、“もっともらしい”だけのことをいう人であると言わんばかりで、そういう視点はとても好みである。この重いテーマを扱うに十分な力量の監督であることがよくわかる。

以下、ネタバレ。

とは言え、ちょっと引っかかる部分が無いわけではない。自分では死ぬこともできないし、誰かに頼めばその人が幇助したことになるので、どうか合法的に死なせてくれと願い、提訴するのはわからないでもない。でもそこまで考えるなら、誰の手も汚さずに死ぬ方法に落着して欲しかったのだが、結局は手を借りた。最後のビデオで“幇助ではない”といっていたが、自分の言うことを聞いてくれた人を見つけただけだと私は思うし、信念を貫いたようで貫いていない気がして、私の好きな展流れではなかった。
また、弁護士も似たような立場になるという展開も、ちょっと都合が良すぎるように感じたし、それ以上に弁護士の夫が不憫でならなかった。何か他人のことを慮れる人ばかりが損をしているような気もしてきて、ちょっと後味が悪いし。この路線は良くないとは言わないが、もう少し別の展開が観たかった気もする。

ただ、“人間”っていうのは、いくらエゴを振りかざしても、結局、自分以外の誰かの為にしか生きられないんだな…、そんなことに気づかせてくれた素敵な作品であることには変わらない。本当に、最後に一ひねりさえあれば、文句なしの名作と太鼓判を押したと思う。考えさせられる作品だけど、強くお薦めはしない。このくらいの評価で勘弁して…と、何故か謝ってしまいたくなる作品(変な感じ)。

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image0458.png公開年:1979年 
公開国:アメリカ
時 間:105分
監 督:ロバート・ベントン
出 演:ダスティン・ホフマン、メリル・ストリープ、ジャスティン・ヘンリー、ジョージ・コー、ジェーン・アレクサンダー 他
受 賞:【1979年/第52回アカデミー賞】作品賞、主演男優賞(ダスティン・ホフマン)、助演女優賞(メリル・ストリープ、ジェーン・アレクサンダー)、監督賞(ロバート・ベントン)、脚色賞(ロバート・ベントン)
【1979年/第14回全米批評家協会賞】主演男優賞(ダスティン・ホフマン「アガサ/愛の失踪事件」に対しても)、助演女優賞(メリル・ストリープ「マンハッタン」、「或る上院議員の私生活」に対しても)、監督賞(ロバート・ベントン)
【1979年/第5回LA批評家協会賞】作品賞、男優賞(ダスティン・ホフマン)、助演女優賞(メリル・ストリープ)、監督賞(ロバート・ベントン)、脚本賞(ロバート・ベントン)
【1979年/第37回ゴールデン・グローブ】作品賞[ドラマ]、男優賞[ドラマ](ダスティン・ホフマン)、助演女優賞(メリル・ストリープ)、脚本賞(ロバート・ベントン)
【1980年/第23回ブルーリボン賞】外国作品賞
コピー:「ママ!パパといっしょにいて・・・」

広告会社で働くテッド・クレイマーは結婚して8年。経営者から昇進の可能性があること伝えられ上機嫌で帰宅すると、スーツケースを片手にまさに家を出ようとする妻ジョアンナの姿が。結婚生活は最初は幸せだったが、夫テッドは仕事第一で帰宅はいつも午前様。子供も生まれ最初は幸せだった結婚生活も、今では3人の間に会話すらなくなっているほどで、結婚生活に意味を見出すことができずにいた。7歳になる子供ビリーのことが気になりながらも、彼女は自分をとり戻すために家を出る決心する。はじめは、すぐに戻ってくるとタカをくくっていたテッドだったのだが…というストーリー。

こんな名作を、いままで観ていなかったという、相変わらず、映画ファンを名乗ることが憚られるレベルの私。

家庭問題や学校問題において、日本はアメリカの20年後を追っかけているようだという人がいる。この映画を観ると、正しいのかもしれないと思えてくる。ジョアンナは、女だって平等であるという考えを教育され(または社会がそういう価値観を肯定しはじめ)、自分も自由に行動してよい“はず”だし、家族によって制限されない“べき”であるという考え方に捉えられてしまっている。確かにその通りではあるのだが、フィジカルな性差があるのは事実だし、特に出産・育児による経済的損失のために、一時的には分業を強いられるのは割り切らなければならない。そこから女性が仕事の一線に戻るのは相当のパワーが必要だと思うし、社会基盤がよっぽど整備されなければ“分業”することが常態であるということになってしまう。まあ、そういう時代のアメリカの話だし、10年くらい前までは、まさに日本もこんなで、「改正男女雇用機会均等法」が施行されたのが1999年。たしかにアメリカの20年後を追っている感じかも。

「男女雇用機会均等法」自体が施行されて15年ほど経過するが、当時がやみくもなジェンダーフリーがもっとらしく叫ばれていたが、いまではそんな単純な理屈ははやらない、というか、実際“はず”“べき”をふりかざしも実際の女性の生活も地位も必ずしも向上したわけでもないし、かえってつらくなった人は多い。自由には責任を伴うという言い方もできるし、機会の平等と結果の平等という面では、表向きの機会は増えたが表記の問題だけで実態は改善していないからという見方もできる。まあ、社会学的なマクロ視点と、個別事情に大きく依存してしまうミクロ視点に、大きな乖離が生じやすい問題だからね(いくら、女性はそうある“べき”と言われたって、会社が育児休暇や時短の制度を整備していて、近くにいい保育園があって、いざとなったら親が簡単にヘルプしてくれて、且つ自分に仕事へのやる気と健康な体力があるならば、簡単に実現できるけど、どれか一つが欠けたら途端に苦しくなるのは容易に想像がつくでしょ)。
女性の地位が向上しないのは男性だと未だに言い続けてみたり、女性の中に女性の敵がいるからだ!という浅い理屈で飯を喰っている学者風情がいるが、私から言わせてもらえば、あなた達こそ阻害要因に見えるのだが…。まあ、女性問題に限らず、“はず”“べき”という考えに捉えられえ、執着して周りが見えなくなったら、変な方向に進んでしまうんだけどね。
逆に言わせてもらえば、男性だって個人の特性とは無関係に外で稼ぐことを“強いられて”いるわけで。それなら「主夫」だってアリだろうと実際に行動に移した人もいるが、決して一般的にならなかったのはご承知の通り。この理屈がうまくいかないのは、人間の社会的特性として自然とそなってしまう理由があるということに気づいたほうがいい段階なのかもしれない。

テッドは、子育てのために仕事も変えたし、家事も育児も立派にこなすように変貌した。現在なら女性に賛美されそうな人間だ。一方ジョアンナは、仕事を選び子どもを捨てた。そういう選択をしただけである。法学をかじると、不貞を働いたり育児放棄など離婚の原因をつくったひとが悪いという考えが常識だと考える。しかし、日本における実際の離婚調停や親権をめぐる調停ではそうはならない。妻が不貞を働こうが、浪費癖があろうが、財産分与や慰謝料の問題ではその理屈は適用されても、親権はまず母親にいく例が多い。女が自立したいから平等を振りかざすなら、親権の問題だって男と女は平等に扱われるべきである。テッドの言うとおりなのだが、今の日本の裁判所のレベルは、アメリカの30年前と同じということですな。

閑話休題。

映画的には、フレンチ・トーストを作る場面が2回出てきて、この2つのシーンの間で、どれだけ父と息子が濃密な時間を経て強い絆で結ばれていいったか判らせる、という演出が秀逸である。この場面に限らず、無言で何かを表現する場面が多々ある。なにかと音を出したり、説明しすぎたりする昨今の映画は、回帰しなくてはいけないポイントなのかもしれない。
また、ラストも、どうなるのか鑑賞者に考えさせるという、人によっては「こうなったに違いない」という解釈に差が生まれる、今では少なくなった手法で、かえって新鮮に感じる。

若い世代は未見の人も多いだろう。強くお薦めする(逆に、家庭で苦労している人はつらくて観ていられないかも)。パートナーを見つける前に観ることもお薦めする。

#吹き替え音声は無い。

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image1277.png公開年:1995年 
公開国:アメリカ
時 間:112分
監 督:マイク・フィギス
出 演:ニコラス・ケイジ、エリザベス・シュー、ジュリアン・サンズ、リチャード・ルイス、スティーヴン・ウェバー、ヴァレリア・ゴリノ、ローリー・メトカーフ、ジュリアン・レノン、キャリー・ローウェル、ボブ・ラフェルソン、ルー・ロウルズ、R・リー・アーメイ、ショウニー・スミス、ザンダー・バークレイ、マリスカ・ハージティ 他
受 賞:【1995年/第68回アカデミー賞】主演男優賞(ニコラス・ケイジ)
【1995年/第30回全米批評家協会賞】主演男優賞(ニコラス・ケイジ)、主演女優賞(エリザベス・シュー)、監督賞(マイク・フィギス)
【1995年/第62回NY批評家協会賞】作品賞、男優賞(ニコラス・ケイジ)
【1995年/第21回LA批評家協会賞】作品賞、男優賞(ニコラス・ケイジ)、女優賞(エリザベス・シュー)、監督賞(マイク・フィギス)
【1995年/第53回ゴールデン・グローブ】男優賞[ドラマ](ニコラス・ケイジ)
【1995年/第11回インディペンデント・スピリット賞】作品賞、監督賞(マイク・フィギス)、主演女優賞(エリザベス・シュー)、撮影賞(デクラン・クイン)

重度のアルコール依存症となり家庭を崩壊させた脚本家ベン。離婚後は子供とも会えず酒びたりの生活はさらに加速。仕事にも影響しはじめ、遂に映画会社をクビになってしまう。ハリウッドでの華美な生活を捨てると決心したベンは、一切の財産を処分して、残った金を持ってラスベガスへ行き、そこで酒を飲み続けて死のうを考える。ただただ人恋しいベンは、街で出会った娼婦サラに惹かれるものを感じ、一夜を共にする。一方のサラも、暴力的なヒモに脅える毎日に疲れており、ベンに安らぎを感じる。再び出会った二人は、干渉しない約束で同居生活を開始するが、愛が深まるにつれアル中と娼婦という立場は互いを苦しめていき…というストーリー。

川のよどみに流れついた2枚の枯葉は、この後どうなっちゃうのだろう…。ただただ、そんな感じで鑑賞するしかないのだが、この朽ちていく様子から眼が離せなかった。常識とか理性を振りかざせば、こんな人間たちの行いがよろしいと思うわけもないし、観る価値すらないと感じるだろう。だから、ニコラス・ケイジ演じるベンが、ただのダメ人間としか思えず、微塵の引っかかりも覚えない人には、ただただつまらない物としか写らないはず。そういう人は、いまのあなたがたまたまそういう心持ちを理解できないだけなので、駄作だなんてわざわざ評価しなくていいので、観るのを止めていただければいいと思う。私は、いい作品だと無条件に薦める気はない。ハマる人にはハマるが、ハマらない人にはゴミくずのようにしか観えない。そんな作品だと思う。

以下ネタバレ含む。

普通の映画ならば、どれだけダメな人間であっても、なんらかの希望を見出して変わっていく様子を綴るものである。しかし本作にはまったくそれがない。世に非道徳な映画は数あれど、ある意味、最悪の不道徳映画である。愛の強さゆえに愛を求めるも、その求めは一切適わず、一見別の愛がそれを満たすかに見えて、結局埋め合わせされることなくただ朽ちるのだ。そしてそれを埋め合わせできないことを理解しつつも、それも愛として受け止める。“愛”という単語で片付けられるその執着とは一体何なのか。

原作者がいるようだが、本作を綴った人間はかなりクレイジーなんだろうと、私は思う。別に良識人ぶるきも善人ぶる気もないが、私には到底考え付かないストーリーだ。そしてそれを毀損することなく演じきったニコラス・ケイジとエリザベス・シューの仕事は高い評価に値する。

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クボタカユキ
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出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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