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image1798.png公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:129分
監 督:クリント・イーストウッド
出 演:マット・デイモン、セシル・ドゥ・フランス、フランキー・マクラレン、ジョージ・マクラレン、ジェイ・モーア、ブライス・ダラス・ハワード、マルト・ケラー、ティエリー・ヌーヴィック、デレク・ジャコビ、ミレーヌ・ジャンパノイ、ステファーヌ・フレス、リンゼイ・マーシャル、スティーヴン・R・シリッパ、ジェニファー・ルイス、ローラン・バトー、トム・ベアード、ニーヴ・キューザック、ジョージ・コスティガン 他
ノミネート:【2010年/第83回アカデミー賞】視覚効果賞(Joe Farrell、Stephan Trojanski、Bryan Grill、Michael Owens)

パリのジャーナリスト、マリーは、東南アジアでのバカンス中に、津波に遭遇。一時、死線を彷徨うが、その間に不思議な世界を垣間見る。生還した後も、その光景が頭から離れず、それが何なのか調べ始める。サンフランシスコでは、かつて霊能者を仕事としていたジョージが、自らの能力に嫌気がさし、今では工場で働いていた。しかし、本人の意思に反して、今でも彼の能力を頼って人々が押しかけてくるのだった。さらには、料理学校で知り合った女性に好意を抱いても、彼の能力が二人の間を裂く結果となってしまう。ロンドン在住の双子のジェイソンとマーカス。ある日、突然の事故で兄ジェイソンがこの世を去ってしまう。ジェイソンとの別れを受け入れがたいマーカスは、多くの霊能力者を訪ね歩いた末、ジョージのウェブサイトを発見し…というストーリー。

震災の記憶云々は別にしても、冒頭の津波のシーンは、まさに息の詰まるような圧巻の迫力。そこでの臨死体験で、自分の生き方の転機を迎えるパリに住むマリー。同様に、サンフランシスコ、ロンドンで独立したストーリーがバラバラに展開し、はたしてそれらがどのように絡んでいくのか、全然読めない。
それらが、徐々に“死後の世界”というテーマで繋がっていくという、中々巧みなシナリオ…の、はずだったのだが。う~~ん。

霊能力のあるジョージは、自分の能力が“呪い”だと思うほど、苦痛を感じている。日本にも、イタコまがいの商売をやっている人が結構いるけれど、本物だったらつらくなって当然だと思う。本作でも、お気楽に霊能力で商売している人やら、簡単にもっともらしいことを並べるだけの宗教家がたくさん出てくる。それらは、100歩譲ってカウンセリング的な効果があるとしても、はたして“本物”を求め悩む者の救いになり得るのか?

3人は不思議な体験をしているんだけど、彼らの頭の中には“神”というものが不在なのも興味深い。この脚本は、既存の宗教とは無関係な“何か”を表現しようとしているんだと思う。『サイン』に通じる私の好きなテーマなので、物凄く期待した。しかし…。

本作での“HEREAFTER”というのは来世という意味で使われているのだが、輪廻転生的な意味ではなく、死んだらどうなる?という意味合いで使われている。で、本作に出てくる死後の世界のイメージが、一神教的な“あの世”のイメージを押し付けている感じがする。キリスト教がいうところの天国や、イスラム教のいうところの緑園は、あくまで最後の審判の後にやってくる世界だから、審判がやってくるまでのモラトリアムな世界を指している。そのイメージどおりで、既存の宗教と距離を置こうというスタンスを反故にしてしまっているのが、非常に残念。この主旨のブレかたは実にいただけない。

終盤、その3本の糸が、ギュギューっと急激に撚られていくのだが、ジョージはマーカスの願いを叶え、マーカスは二人を結びつけ、マリーとジョージは同じ世界を見た者同士共感する…。で、それ以上に何もない。そこから、何か哲学的な示唆も、心の救いもない。いや、3人自身は共感や納得を得たんでしょう。でも観ているこっちは何も得られないし感じない。

そこで終わっちゃうなんで、まるでパイロットフィルムみたい。これで満足できる観客は、ほぼいないと思う。いくらなんでも肩透かしが過ぎるよ、イーストウッド御大。こんな作品がヒットするわけがない。
ラジー賞にノミネートすらされていないのが不思議…というか、そこからも無視されたという方が正しいかも。そう思うくらいに観終わってのがっかり度が大きい。お薦めしない。



負けるな日本

 

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image1750.png公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:116分
監 督:デヴィッド・O・ラッセル
出 演:マーク・ウォールバーグ、クリスチャン・ベイル、エイミー・アダムス、メリッサ・レオ、ジャック・マクギー、メリッサ・マクミーキン、ビアンカ・ハンター、エリカ・マクダーモット、デンドリー・テイラー、ジェナ・ラミア、フランク・レンズーリ、マイケル・バッファー、シュガー・レイ・レナード 他
受 賞:【2010年/第83回アカデミー賞】助演男優賞(クリスチャン・ベイル)、助演女優賞(メリッサ・レオ 、エイミー・アダムス)
【2010年/第77回NY批評家協会賞】助演女優賞(メリッサ・レオ)
【2010年/第68回ゴールデン・グローブ】助演男優賞(クリスチャン・ベイル)、助演女優賞(メリッサ・レオ、エイミー・アダムス)
【2010年/第16回放送映画批評家協会賞】助演男優賞(クリスチャン・ベイル)、助演女優賞(メリッサ・レオ、エイミー・アダムス)、アンサンブル演技賞
コピー: 頂点へ。

マサチューセッツ州の低所得者階級が暮らす町ローウェル。かつてボクサーとしてシュガー・レイ・レナードと戦ったことがある兄ディッキーは、その過去の栄光にすがるだけで、ドラッグに溺れる荒んだ生活を送っていた。一方、真面目な性格の弟ミッキーもボクサーをやっているが、だらしない兄と、仕事もできないくせに敏腕マネージャ気取りの母親に、いい加減なマッチメイクをされて連敗続き。そんな中、ミッキーと恋仲になったバーに勤務するシャーリーンは、ミッキーの足を引っ張り続ける家族と距離を置くべきだと主張するが…というストーリー。

第一印象は、「この映画は何だ???」。単純なサクセスストーリーでもなさそうだし、社会派ドラマでもなさそう。興味を惹くという意味ではツカミはOK。

ミッキーは鬱屈した環境に不満をもっている若者役。マーク・ウォールバーグはこういう役柄をやらせたら本当にマッチする。ドラッグ漬けの元ボクサーなんて、クリスチャン・ベイルにしか演じられないな。本作のキャスティングは絶妙すぎる。

クズアメリカ人がいう“ファミリー”はタダの親ばなれできない子&子離れできない親の製造機でしかない。ミッキーは、そんなファミリーという名の地獄から抜け出せるのか?自分の足で立てたるのか?それを期待しながら観ていたんだけど、抜け出す前にファミリーが崩壊していく。その前に抜け出して欲しかったのだけれども、本作は実話ベースなので、致し方ない。
小姑集団も懲りたのかと思いきや、いつまでたってもアホ全開。この「U・S・A!U・S・A!」的な展開が実におもしろい。

意外なことに、自分のアホを晒したドキュメント番組をみた後、兄ディッキーもトレーニングをはじめちゃう。まさかカムバック?とか思ったけどそうではなかった。実話ベース作品が尻すぼみになるのは致し方ない。

本当なら最後の試合シーンが山場のはずなんだけど、それがオマケでしかない…という不思議な作品。この勝利の後に、幸せが続きそうもないのが、何か良い。そして、エンドロールで、本人たちが登場して色々喋るんだけど、実際の様子もそれほど幸せそうに見えない。

答え:アメリカ人はアホである。まるでスポーツ映画みたいなコピーだけど、これはスポーツ映画じゃない。昼ドラとか大家族ドキュメントに通じる面白さ。なかなかユニークな作品なので、お薦めしたい。



負けるな日本 

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image1227.png公開年:2004年
公開国:アルゼンチン、フランス、イタリア、スペイン
時 間:96分
監 督:ダニエル・ブルマン
出 演:ダニエル・エンドレール、アドリアーナ・アイゼンベルグ、ホルヘ・デリア、セルジオ・ボリス、シルビナ・ボスコ、ダニエル・エンドロール、セルヒオ・ボリス 他
受 賞:【2004年/第54回ベルリン国際映画祭】審査員特別賞・銀熊賞(ダニエル・ブルマン)、銀熊賞[男優賞](ダニエル・エンドレール)
コピー: 失くした愛、見つけた。おせっかいで温かい、ここは人情商店街<ガレリア>。


ブエノスアイレスにあるガレリアという商店街。そこにある母が営むランジェリーショップを手伝う青年アリエルは、住み慣れたこのガレリアに愛着を感じながらも、自分の将来性を見出すことができずにいた。そんな現状を打破しようと、祖母の祖国であるポーランドの国籍を取得して、ヨーロッパに移住する計画を立てる。彼は、自分の祖母がポーランド出身であることを証明するために、祖母からパスポートを借りようと訪ねていく…というストーリー。

主にユダヤ系の人たちが集まる商店街ガレリアで巻き起こる日常生活を描きながら、そこから抜け出そうとしているユダヤ系青年の姿が、淡々と綴られる。特段、コメディ調ってわけでも、ドラマティックでもなくて、南米版『ALWAYS 三丁目の夕日』みたいなもんかな。でも、そんなに爽やかではないし、ノスタルジーを感じるわけでもない。このゆるゆるな感じを楽しめるかどうかが別れ目か。
まあ人間は、他人の家のゴタゴタやモメ事は好きだからね。ご近所の浮気話や痴話げんかを覗いているようで、意外と飽きない。

(ちょっとネタバレ)
さて、自分の出生について疑いが生じて、主人公はどうするのか…と、さすがにそこは大きな展開があるでしょ…と観ていたが、それでも大きな動きはなかった。なんだかんだで、“父帰る”みたいな展開になるんだけど、それでもやっぱり、ゆる~い流れが継続される。
ちょっと私には、アリエルがそこまで父親から逃げる心境が、いまいち理解し難かったりするので、どうもノリきれなかったし、“安息日”も、一つのテーマになっているようなのだが、それもよく伝わってこなかった。

“父”というピースがうまって、すべてが刺激のない日常に戻っていく。平凡すぎるほど平凡な日常へ…。
本当に、それ以上でもそれ以下でもなかった作品。編集やカメラアングルで特徴を出そうとしていたり、アップショットが多かったり、もしかして小津を意識してるの?そうだね、アルゼンチン版小津って感じの作品である。

特段、お薦めはしないけど、好きな人は好きなんだろうな。



負けるな日本 

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image1776.png公開年:1973年
公開国:アメリカ
時 間:113分
監 督:ジェリー・シャッツバーグ
出 演:ジーン・ハックマン、アル・パチーノ、ドロシー・トリスタン、アイリーン・ブレナン、リチャード・リンチ、アン・ウェッジワース、ペネロープ・アレン、ルターニャ・アルダ、リチャード・ハックマン 他
受 賞:【1973年/第26回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(ジェリー・シャッツバーグ)、国際カトリック映画事務局賞(ジェリー・シャッツバーグ)
コピー:町から町へ流れるお前と俺…スケアクロウと人はいうけどいいじゃないか! 行こうぜ友よピッツバーグへ! 大いなる夢をつかみに…

暴行傷害の罪による刑期を終えたマックス。洗車屋を始めるためにピッツバーグへ向かおうと、ヒッチハイクをしていると、同様にヒッチハイクをしていたライオンと出会う。彼は、5年ほど船乗り生活をしていたが、その間に生まれた子供に会うため、デトロイトへ向かう途中。二人はなんとなく惹かれあい、共に行動することに…というストーリー。

カカシはカラスを怖がらせているんじゃなく笑わせているんだと、笑いこそ人間関係の潤滑油と冗談めかして主張するライアンだけど、それは決して根っからの明るい性格から生じているわけではなく、人とうまく付き合うことができない故に、後天的に獲得したものに見える。
一方のマックスは、喧嘩早いくせに、こつこつ小金は貯めていただけでなく、盗まれるのを警戒して、服は厚着してるわ、靴は枕の下に隠しておくわ…という荒さと神経質さが共存しているやっかいなおっさん。そんな彼でも、徐々にライアンに感化されていく。

ライアンがマックスの影響を受けて光明が見えていくのに対して、ライアンは皮肉にもそのカカシになりきることができずに、心を病んでしまう(ちょっと無理やりな展開に感じられなくもないが)。ライアンは、そんなライアンの面倒を見ようと、こつこつ貯めた開業資金を取りにデトロイトからピッツバーグへ向かおうとするのだ。もう、ライアンなしの開業なんか考えられないくらいになっちゃったんだね。

お互い、これまでの人生でこんな密な関係になった友人はいなかったんだろう。この2人の関係が、快い友情が育まれていると映るか、一種の負け犬同士の馴れ合いと映るか。まあ、どっちも正解なんだろうけど、世の中はそんなに綺麗事ばかりじゃない。それに、出会いはどうであれ、一緒になって夢を語り、困難を克服する時間を共有する。真の友情というのは、そういう中で生まれ、付き合った時間は関係ないという描写に、妙な説得力を感じる。

しかし、同時に何か重苦しいしこりが残る。そんなマックスを見るカウンターの女性職員が淡々と仕事をこなす様子は、彼らが社会から乖離しているということを、まざまざと認識させてくれる。こいういう巧みな演出と、ジーン・ハックマン、アル・パチーノの名演技が相まって、実にアメリカン・ニューシネマらしい、自由さとささくれた心情が渾然となったような印象の良作。お薦め。




負けるな日本

 

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imageX0035.Png公開年:1975年
公開国:ソ連
時 間:161分
監 督:黒澤明
出 演:ユーリー・サローミン、マクシム・ムンズク、スベトラーナ・ダニエルチェンコ、シュメイクル・チョクモロフ、ピャートコフ、プロハノフ、ウラディミール・ブルラコフ、アレクサンドル・フィーリベンコ、ユーリー・チェルノフ、アレクサンドル・アレクサンドロフ、ウラディミール・クレメナ、アレクサンドル・ニクーリン、アルカーディ・リスターロフ、アレクサンドル・クラソーチン、ユーリー・コボソフ、ウラディミール・プラトニコフ、ウラディミール・フリョストウ、マルク・オリシェニッキー、スタニスラ・マリーン、ヴァニアミン・コルジン 他
受 賞:【1975年/第48回アカデミー賞】外国語映画賞
コピー:巨匠黒澤 明がいま世に問う感動の叙事詩!

ロシア人探検家アルセーニエフは、地図上の空白地帯だったウズリ地方の地図製作の命を政府から受ける。探検隊を率いてウズリ地方に入ったものの、同地の厳しい自然はあまりに厳しく、隊員たちは疲弊していくのだった。そんな中、彼らは、猟師のデルス・ウザーラという男と出会う。デルスは案内人として動向することとなり、探検隊は彼の案内によって様々な危機を脱していくのだった。アルセーニエフは、そんなデルスに深い畏敬の念を抱いていき…というストーリー。

米アカデミー賞の受賞作だけど、ロシア製作なので、日本作品が受賞したとはみなされていない。実際、作中に“日本”という要素は皆無ではあるが…。

『TORA!TORA!TORA!』のすったもんだの後の、『どですかでん』の失敗に自殺未遂と、キャリア的にはどん底の状況の中、元々映画化したかった作品を作るチャンスを与えられただけでなく、日本での低評価とは無関係なソ連製作というシチュエーションは、渡りに船だったのではなかろうか。

それにしても、この作品より前の黒澤作品とは明らかに異質な仕上がりである。本作より前を絵画とするならば、本作は精緻な写真。この撮影が中井朝一によるものなのかどうかはわからないが、作為というものを感じさせない自然な1シーンを切り取ろうとしており、自然の厳しさをいうものがビシビシと伝わってくる。
冬の寒さはハンパなかったろうし、夏は夏でどんでもない蚊の数だったろう。よく2年もこんなロケを続けたものだと、尊敬すると同時にあきれてしまう。それに、よくソ連人が付き合ったものだ。

本作以降の作品は、画の精緻さが増す。同じようにシェークスピアを翻意した時代劇の『蜘蛛巣城』と『乱』を比較してみると、“魅せる”演出という意味では前者は決して劣っていないが、『乱』のような狂ってるんじゃないかと思えるまでに精緻とは言えない。そういう意味で、黒澤作品におけるターニングポイントだな…という気がする。

純粋に、すばらしい映像を通じて感じる自然への畏敬、その自然の分け前をもらっていきるデルスの様子を見ていると、自分も一緒に探検しているような感覚になる。そして、探検中のハラハラを一緒に共有するのだ。
最後のせつない結末から、私たちは何を感じるか。一定の畏敬をはらえば自然との共生は可能なのか、いや、人間が人間である以上それは無理で、やはり自然はアンタッチャブルであるべきなのか。あらすじを書くとたいした内容ではないんだけど、161分にふさわしいだけの、どっぷりとした内容と考えさせる何かがある。

ただ、第二部の間、どうしても頭をよぎって離れないことが…。カピタンよ、眼鏡をつくってやれ、それで解決だよ……とね。共生うんぬんの前に、知恵を発揮したほうがいいんじゃないか…、そう考えてしまう私は、自然と共生できなさそうである。

#もしかして、カピタンってキャプテンのことか。




負けるな日本

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imageX0034.Png公開年:1962年
公開国:日本
時 間:113分
監 督:小津安二郎
出 演:岩下志麻、笠智衆、佐田啓二、岡田茉莉子、三上真一郎、吉田輝雄、牧紀子、中村伸郎、三宅邦子、東野英治郎、杉村春子、加東大介、北竜二、環三千世、岸田今日子、高橋とよ、浅茅しのぶ、須賀不二男、織田政雄、菅原通済、緒方安雄 他




初老のサラリーマン平山は、これといった不平も不満もなく、平穏な日々をおくっていた。長男の幸一夫婦は共稼ぎながら独立して団地暮らし。次男の和夫はまだ学生で、妻を亡くしてからは24歳になる長女・路子に家事を任せきりだった。ある日、中学時代のヒョータンこと佐久間老先生を迎えてのクラス会が催される。酔いつぶれた先生を家まで送っていくと、そこには嫁に行きそびれた先生の娘がいた。その惨めな様子を見てしまった平山は、年頃の娘のことが急に心配になり…というストーリー。

高度経済成長期の日本の匂いが伝わってくるような映像。その時代に大人じゃなかった人でも、その時代の残滓に触れたことがあるならば、その匂いが脳内に沸き立つに違いない。

まあ、有名な話だろうけど、作中に秋刀魚は一切登場しない。話題にすら出ない。じゃあ何でそんなタイトルなんだ。最後まで観ればわかるはず。それは、秋刀魚の内臓みたいな、ほろにがい昭和の家庭の味。

平山さんは、若い後妻をもらったお友達の様子をみて自分も…って考えていないわけじゃないんだけど、バーのママに死んだ妻の面影をみちゃうってことは、まだ愛しているわけだ。仲の良い家族がずっと一緒にいられるのは幸せなことなんだけど、娘を適切な時期に嫁に出して、自分の妻のようになってもらいたくもある。親が娘の結婚相手を捜すなんて、おせっかいもいいところだけど、それは家族の中にあって当然の愛情だという共通認識のあった時代だね。

「戦争に何で負けたんでしょうね」等々の敗戦に対する人々の受け止め方も、淡々としていて興味深い。親族が空襲で死んでいたり、財産が消失したりしているだろうに、この飄々とした感じ。決してニヒリストを気取っているわけではなくて、生きるってどういうことかな…ってみんな考えてはいるんだけど、まあそれはそれで家族のために働くわ…っていう、健全な精神の時代だったんだと思う。

現実感のない夢や理想を追いかけることが人生の意味だと思っている世代より、よっぽど豊かな人たち。そういう苦痛を知っている大人のやさしさや配慮の上に胡坐をかいて、自由だ権利だと空論ばかりの団塊世代が生まれるわけだけど、“ゆとり世代”にしろあまやかしていいことなんか何一つありゃぁしないってことだよね。

岩下志麻の演技は、表情こそ薄いけれど何か思いを含んだような、少女と女のはざまにいる感じがよく出ている。後の『悪霊島』等での、冷たさが伝わってくるような美しさの片鱗が、この段階で感じられるねぇ。

淡々と似たようなカットが続くんだけど、なぜか飽きずに目が離せない。うまいけどほろ苦いのが、いい人生。もし、今の自分の人生が、“うまいだけ”とか“苦いだけ”だったら、それは何か間違っているってことなのかな…なんて思いが、淡々としたカットの隙間からもたげてくるような作品。そりゃあ、国の内外を問わず研究されるわけだわ。

#ものすごく酒を飲むシーンの連続なんだけど、観ているほうもチビチビと呑みながら観ると愉しいかもしれないね。






負けるな日本

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image0946.png公開年:1998年
公開国:アメリカ
時 間:111分
監 督:ヴィンセント・ギャロ
出 演:ヴィンセント・ギャロ、クリスティナ・リッチ、アンジェリカ・ヒューストン、ベン・ギャザラ、ケヴィン・コリガン 他
ノミネート:【1998年/第14回インディペンデント・スピリット賞】新人作品賞(ヴィンセント・ギャロ、クリス・ハンレイ)



5年間の服役を終えたビリー・ブラウン。両親には仕事で遠くへいくと伝え、収監されていることは秘密にしていたが、帰るときには妻を連れて帰ると嘘をいってしまっていた。ビリーはその嘘を繕うために若い女性を拉致。うまく妻のふりをすれば、親友になってやる…という、妙な脅迫をするビリー。はじめはしぶしぶそれに従っていた女性・レイラだったが、ビリーの実家で妻のふりをしているうちに、彼の粗野な行動の原因が、子供に無関心な親のもとで孤独に育ったためであることに気付き、ビリーに心を寄せるようになってくる。一方のビリーは、親との会話をしていながらも、5年も収監される原因となったとある人物への復讐心で燃えていた…というストーリー。

食卓のシーンとか、小津映画みたい(意図してるかどうかは知らないけど)。小さいポイントに執拗にこだわってる演出が、コントみたいで非常にユニーク。その他にも、何かとスタイリッシュな演出に感じられるので、オシャレ系の作品と思われがちだけど、駄目男が心の安らぎを得るまでのロードムービーかなって私は思う。たった一日のできごとを追っているだけだし、狭い範囲しか移動していないんだけど、立派にロードムービーだなと。

主人公のビリーは、浅はかなくせに妙に神経質で、周りの人間に嫌悪感をふりまいてばかりの人間。しかし、はじめは冷たく当たくるものの、すぐに謝罪してくる。DV男の典型パターンなんだけど、一部の女性側からみれば、それが堪らない魅力にうつるんでしょ。
ビリーの性格がクソなだけかと思ったら、両親ともにクソ人間で、ビリーがまともにみえるくらい。まったくもって子供に愛情を示さないばかりか、存在を否定するような態度を示す。両親ともに激昂しやすく、どちらの遺伝子も引き継いでいる、まさに人非人エリート。
一方のレイラも、生い立ちの説明は一切ないけれど、「うまくやれば、親友になってやる」で納得しちゃう女。わけありだよね。そんな、さみしい2人が出会ったことで、うっすらと未来が見えてきた感じ。だけどビリーは、その一方で累々と流れる恨みの憤怒を爆発させるのか否か!ビリーはこの1日で成長するのか?しないのか?そこは観てのおたのしみって所でしょう。

なぜか、こっちまでウキウキしてくるラスト。お薦めする。
#でも、ギャロの他の作品を見たいとは思わないんだよなぁ…。不思議。

他の作品ではけっこう気持ち悪かったりするんだけど、クリスティーナ・リッチがムッチムチで可愛いし、ヴィンセント・ギャロ本人の胸糞悪い演技は見事(いや、彼の場合は、元々そういう奴なんだろうな、多分)。

#やっぱりボウリングは、アメリカでは低所得層の娯楽なのか。




負けるな日本

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image1796.png公開年:1991年
公開国:アメリカ
時 間:116分
監 督:ジョエル・コーエン
出 演:ジョン・タートゥーロ、ジョン・グッドマン、ジュディ・デイヴィス、マイケル・ラーナー、ジョン・マホーニー、トニー・シャルーブ、ジョン・ポリト、スティーヴ・ブシェミ、ミーガン・フェイ 他
受 賞:【1991年/第44回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(イーサン・コーエン、ジョエル・コーエン)、男優賞(ジョン・タートゥーロ)、監督賞(ジョエル・コーエン)
【1991年/第26回全米批評家協会賞】撮影賞(ロジャー・ディーキンス)
【1991年/第57回NY批評家協会賞】助演女優賞(ジュディ・デイヴィス)、撮影賞(ロジャー・ディーキンス)
【1991年/第17回LA批評家協会賞】助演男優賞(マイケル・ラーナー)、撮影賞(ロジャー・ディーキンス)
コピー:見える生活、見えない人生。

1941年。ニューヨークで劇作家として高い評価を受けているバートン・フィンクは、ハリウッドの大手スタジオから、映画脚本執筆のオファーを受ける。悩んだ末にスタジオ専属脚本家となることを決め、ハリウッドのホテルを執筆場所としたが、そこは薄暗く不気味な雰囲気が漂っていた。バートンの雇い主である社長は、レスリング映画の脚本執筆を依頼。早速、執筆を開始するバートンだったが、気分が乗らずまったく筆が進まない。悩んだ彼は、尊敬する小説家でありハリウッドで脚本執筆もしているW・P・メイヒューにアドバイスを乞おうとする。メイヒューの部屋を訪問したバートンは、メイヒューの私設秘書オードリーに好意を抱き…というストーリー。

スランプ作家の苦悩と並行して、それまで個人主義の権化みたいだったバートンが、チャーリーやメイヒューとの関わりで、逆に他人に依存していく様子が展開される。いつものコーエン作品のように、その流れですったもんだが展開されるのかな…なんて思っていたら、オードリーがああなっちゃうあたりから急アクセル。
この急アクセルを、受け止めきれるのか、戸惑うのか…ってことで、感想に差が出てくるかもしれない。コーエン兄弟ファンの私だが、残念ながら後者だったのかな。

ジャケット画像をみると、主人公のバートン・フィンクの風貌が、デヴィッド・リンチの『イレイザーヘッド』みたいだな…なんて思っていたら、本当に終盤はリンチ作品みたいな感じになっていった。はて、あのホテル火災は現実の出来事?どこまでがリアルでどこまでが幻想?
チャーリーの「俺はここに住んでる」?「その箱は俺のものじゃない」?どういう意味?専属作家としてシナリオは書かせるが映画にはしないってどういうこと?クビにしない意味がわからん。最後の海辺の水着女にはどういう意味が?
色々、寓意は孕んでいそうなのだが、正直いって私にはさっぱりわからない。

カンヌ国際映画祭で三部門を採ったことは快挙なので、本作がコーエン兄弟の代表作と持ち上げる人が多いけれど、私はそうは思わない。むしろ、こういう精神世界的な表現はコーエン兄弟らしくないな~なんて思う(描写に関してはとことんリアルであってほしいと、私はコーエン兄弟に求めているのかもしれないな)。
確かに、カンヌ国際映画祭はこういうの好きでしょう。いろんな解釈の余地があって、芸術家ぶった批評がしやすいからね。思わせぶりな表現で煙に巻くような作品をやたらと持ち上げるような、エセ批評家発見器じゃないの?これ。そういう意図で、コーエン兄弟がコレを作ったんじゃないかな~なんて、私は思ってるんだけど、皆さんはどう思うか。

もちろん十分に愉しむことができた作品で、世の高評価とちょっとした乖離があるなと思っているだけ。何回か重ねて見ると、もっと味わいが増す作品なのかもね。




負けるな日本

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imageX0032.Png公開年:1959年
公開国:フランス
時 間:97分
監 督:フランソワ・トリュフォー
出 演:ジャン=ピエール・レオ、クレール・モーリエ、アルベール・レミー、ジャン=クロード・ブリアリ、ギイ・ドゥコンブル 他
受 賞:【1959年/第12回カンヌ国際映画祭】監督賞(フランソワ・トリュフォー)、国際カトリック映画事務局賞(フランソワ・トリュフォー)
【1959年/第25回NY批評家協会賞】外国映画賞


パリの下町に住む12歳の少年アントワーヌ・ドワネル。学校ではいつもいたずらばかりして先生に叱責され、成績も悪く、通うことが苦痛でならない。稼ぎも少ないくせに趣味の車にばかり興じる父親や、残業と偽り浮気を重ねる母親は、アントワーヌのことを放任状態に。夫婦仲も悪く、毎日繰り広げられる口論を寝袋にくるまって聞かされる日。そんなアントワーヌの楽しみは映画を観ることだけだった。そんなある日、アントワーヌの書いた作文の宿題がバルザックの盗作であると指摘し、学校の先生は停学を命じる。居場所がなくなった彼は、独立して生きていく旨を手紙にしたため、家でしてしまう…というストーリー。

原題は“400回の殴打”っていう意味らしいけど、邦題の“大人は判ってくれない”のほうがぴったりだわ。この邦題を考えた人は天才。『あるいは裏切りという名の犬』に匹敵(あら、両方ともフランス映画だわ)。

この時代の古い作品は、いくら名作といえども時代独特のもたつきが感じられることが多いけれど、本作はするっと最後まで飽きずに観ることができた。いい感じの疾走感がある。音楽の使い方もカメラカットも編集の仕方も“新しい”と思う。それゆえに“ヌーヴェルヴァーグ”っていわれるのかな。

まあ、私だって子供だった頃があるので「大人は判ってくれない」って気持ちはわかる。彼の家庭環境や学校での扱われ方は確かにやるせない。
途中で母親が気持ちを切り替えて一生懸命にかまっていたときはおとなしくなりかけていたので、単に親の愛情の欠乏だという方向にしたいのかもしれない。でも、いろいろなすれ違いがあって不幸にもこんな状態に…って感じじゃなく、多分にアントワーヌ本人の性格傾向に問題があるよう見える。それは、単なるやんちゃの範疇を大きく超えて、アスペルガー症候群的な傾向すら感じられる。そのせいなのか、理解こそできたが共感はまったくできなかった。

それどころか、境遇の悪さをたてにとって、自分の主張が正当化される…というような反社会的性格傾向がみえる。それは、アントワーヌだけでなく、周りの大人たちの様子にも伺えるところが実に興味深かった。これが、“フランス流”の個人主義の有態なのか、「社会全体でなんとかしてもらえるんでしょ?」的な感覚がにじみ出ているような感じ。
人権主義さ標榜しておきながら、結局、肝心な部分は社会(政府)がなんとかすべきでしょ…という乖離状態って、権利は主張するけど、それに伴う義務は無視するのと同じ。こんな感覚だと、お題目だけすばらしい誤った政策にほだれて痛い目にあっちゃうよ。移民政策の失敗もこういう感覚がベースにあるからなのかも。
自由・博愛・平等を掲げている国だけれど、裏を返せば、掲げなければ実現できないということも意味しているわけで、フランス国民って簡単に社会主義や全体主義に傾きやすいのかもしれないね。
周りの顔を覗ってばかりいていると指摘される日本が、実際はどっぷり個人主義であるのと、本質的に真逆に見えるのも不思議で面白い。

まあ、ラストは投げっぱなしの極みって感じだけど、だからといって、その後を丁寧に描かれても、それはそれで興醒めすると思うんで、これでいいんだろう。

社会を漂流する子供に、大人は碇も救命ボートも差し出さない。政府という大船も一時しのぎの小島と最低限の食料を善人顔で差出しはするが、その受け取り方が悪いときには頭を叩く。う~ん。





負けるな日本

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image0717.png公開年:2004年
公開国:アメリカ
時 間:129分
監 督:スティーヴン・スピルバーグ
出 演:トム・ハンクス、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、スタンリー・トゥッチ、チー・マクブライド、ディエゴ・ルナ、バリー・シャバカ・ヘンリー、ゾーイ・サルダナ、クマール・パラーナ、エディ・ジョーンズ、マイケル・ヌーリー、ジュード・チコレッラ、ギレルモ・ディアズ、ヴァレラ・ニコラエフ、コリー・レイノルズ 他
コピー:彼は空港(そこ)で待ち続けた。約束を果たすために…


ニューヨークJFK国際空港。東ヨーロッパのクラコージアという小国からビクター・ナボルスキーという男がやってくる。しかし、彼は、アメリカへの入国を拒否されてしまう。彼が飛行機に乗っている最中に、クラコージアでクーデターが発生し、事実上国家が消滅してしまい、パスポートが無効となってしまったからだ。おまけに、クラコージアの情勢が落ち着くまで、帰国することもままならず、空港内に留まるしかない状態に。英語も分からなければ、所持金もない彼は、空港内で生活し事態が改善するのを根気良く待つのだが…というストーリー。

国が無くなってこのシチュエーションになることは稀だと思うけど、入国できずに空港で長く過ごすことは有り得る話だし、似たようなエピソードは実際にあるんじゃないかな。じゃあ、リアリティのあるストーリーなのかな?というと、残念ながらそうではない。いや、設定はリアルだと思うのだが、シナリオの端々がちょっと変なのだ。
スピルバーグ&トム・ハンクスなのに、まったくの無冠なのだが、シナリオが色々すっきりしないからだろうね。

クラコージア語の通訳がいない→自分でお勉強。なのに、ロシア人拘束→隣国だからクラコージア人は会話できる。
じゃあ、ロシア語の通訳がいれば簡単に事情説明できただろ。ロシア語話せるやつなんかたくさんいるだろ。ロシア圏からくる旅行者やキャビンアテンダントだってたくさんいるだろうし。
ニュースで取り上げられているほどだったら、そんな国から来た人が空港で足止めを食ってることがわかったら、取材にくらい来ると思うんだけどね。

入管窓口の女性にアプローチし続けるくだり。顔も知らない状態なのに、いきなり結婚するのはいくらなんでも不自然でしょ。

最終目的はジャズバーに赴いて、とあるミュージシャンのサインをもらうこと。別にナボルスキーが絶対そこに行かなければいけない理由はないわけだ。ナボルスキーの父親だって文通で集めたんだし。
仮に赴くこよに心を決めていたとして、それは良しとしよう。でも、空港の仲間に事情を話しておけば、前もってコンタクトを取るなりしてもらえるよね。なんなら、空港にだってきてもらえるかもしれない。いやいや、アメリアさんよ、特別ビザ発給に手をつくすのもいいけど、サインもらいにいけばいいじゃねえか。
それに、ナボルスキー自身、目的に対する強い意志はあるのに、お願いすることも思いつかないという不自然さ。

ナボルスキーにいじわるをする空港職員の男だが、いじわるをしなければいけない理由がピンとこない。国境警備隊などに引き渡したりすると、自分の管理能力が問われるから????国がクーデターにあって無国籍状態の人間を空港に何日も足止めしていることが知れたら、国際問題になって、自分の管理能力がどうのこうのというレベルではすまないと思うのだが。
また、特別ビザが発行されているのに、サインしない理由も不明。特段の理由もないのに、大使館が発給しているビザにサインしなかったことを後に糾弾されたら、せっかく昇進した地位もかえって危うくなるじゃないか。

そしてニューヨークに向かうナボルスキーを応援する職員のみんな。おい、一人や二人、車で出勤してる奴いないのかよ。タクシーで行かせるなよ。上司に逆らってまで応援してるくせに、誰一人仕事をサボりやしねえ。エセ友情じゃねえか。冷たいやつら。

このような「もっとどうにかなるでしょ…」という引っかかりが、ず~~~~っと付きまとう作品。大作のように見えるが凡作中の凡作。
空港なんか全部セットなんだそうだ。気合入ってるのにね。何か、すごくもったいなく感じる。





負けるな日本

 

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image1743.png公開年:1979年
公開国:西ドイツ、フランス
時 間:142分
監 督:フォルカー・シュレンドルフ
出 演:ダーヴィット・ベネント、マリオ・アドルフ、アンゲラ・ヴィンクラー、ハインツ・ベネント、ダニエル・オルブリフスキー、シャルル・アズナヴール、アンドレア・フェレオル、カタリナ・タルバッハ、マリエラ・オリヴェリ 他
受 賞:【1979年/第52回アカデミー賞】外国語映画賞
【1979年/第32回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(フォルカー・シュレンドルフ)
【1980年/第6回LA批評家協会賞】外国映画賞
【1981年/第5回日本アカデミー賞】外国作品賞
【1981年/第24回ブルーリボン賞】外国作品賞

1899年。農地で芋を焼いていたアンナは、逃走中の放火魔の男をスカートの中に匿い、それが縁で彼との間に娘アグネスが生まれる。その後、第一次大戦が終り、成長したアグネスはドイツ人のアルフレート・マツェラートと結婚するが、従兄のポーランド人ヤンと愛し合いオスカルを生む。オスカルは、3歳の誕生日に母からブリキの太鼓をプレゼントされるが、この日の大人たちの振る舞いを嫌悪し、その日から肉体の成長を拒み、自ら地下室の階段を脱落し成長を止める…というストーリー。

むむ…、この居心地の悪さ。
哲学的な隠喩が潜んでいるのかな…ということは感じさせてくれるが、一回観ただけでそれを掴むのは、私には難しかった。消化しきれない。それを阻んでいるのは、ただようグロさというかエグさ。原作の段階でもいくらか孕んではいたのだろうが、監督のビジュアルセンスがそれを増幅させている印象。

ただ、そのグロさっていうのも単純なものではなく、子供ゆえのグロさと、大人の世界にあたりまえに存在するグロさが入り混じっている。子供にとって大人の不潔さは耐え難いし、大人にとって子供のグロさは忌避すべきもの。さらにそれとは別の流れで、“社会”の不潔さというグロさもある。それら不潔な何本かの河が、渦をまいて合流しているような映画。
随所でみられるエロチックさ皆無のセックス描写が、ますますグロさを強調している。オスカルの口についた毛を取る描写とか、そういうところに細やかさを発揮するこの監督とは、感覚の地平が異なるな…と思わざるを得ない。

子供のままでいることで、社会や歴史や大人というものを客観的に見る…、そんな狂言回しを演じているという単純なものでもなさそう。かといって、ポーランド侵攻を中心とした歴史を通じて、ナチスの所業を糾弾したいわけでもないだろうし、ポーランド人の苦悩を伝えたいわけでもなさそう(原作はそっち寄りの話かもしれないけど)。

様々な受賞をしているが、その評価ポイントは、成長しないとか声でガラスを割るという本作の特徴的なギミックとは無関係な気もする。それどころか、タイトルである“ブリキの太鼓”にすら必要性を感じなかったりして、不条理極まりない。油断して観ていると単なるモラトリアムな表現で煙に巻いているようにも感じるけれど、やはり何かがあるという感覚を払拭できない。
でも、通ぶって、感慨深いだの痺れるだのとは言いたくない。むむ…、すごい嵐に巻き込まれた感覚だけど、整理できない、とりあえず落ち着こう…そんな心持ち。もう一回観てからじゃないと、評価はむずかしいかな。


負けるな日本

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image1709.png公開年:2007年
公開国:イギリス、オーストラリア
時 間:96分
監 督:ジリアン・アームストロング
出 演:キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、ガイ・ピアース、ティモシー・スポール、シアーシャ・ローナン、ラルフ・ライアック 他



 

イカサマ降霊術師のメアリーと娘のベンジーは、降霊術ショーでなんとか食いつないでいる生活。ある日、二人が住む町に、超有名な奇術師フーディーニが興行に訪れる。彼は、亡くなった母親が最後に残した言葉を降霊術師に、1万ドルの賞金を出すと宣言する。極貧の生活から抜け出したいメアリーは、降霊術を成功させるため彼の身辺に近づき、母親の最後の言葉のヒントを探るのだった。しかし、彼に近づき親しくなるうちに、お互いに惹かれはじめてしまい…というストーリー。

まず、フーディーニという人物を良く知らない(最後のテロップを見るまで実在の人物だと思っていなかった)。実在とはいえ、どこまで本当でどこまで脚色なのかな。
#そういえば、『ソードフィッシュ』でトラボルタが名前を出していたような…。

お金をせしめるために、奇術師と霊媒師による丁々発止のバトルが展開されるのかと思いきや、おっさんとおばちゃんの淡い恋愛話になってしまう。いや、恋をしてしまうことで騙しあいがうまくいかなくなる…という味付けならば別に問題は無いのだが、恋愛ストーリーに傾きすぎて、話の主軸をどこにおこうとしているのかわからなくなり、迷子状態に。
まだこれで、フーディーニが独身貴族だっていうんなら、かわいい恋愛ドタバタコメディになったかもしれないが、妻帯者なので不倫ってことになると、なんかノリきれない。それに加えて、母子関係の機微を加えようとしたりするので、ますます混迷。最後の方になると、フーディーニは単なるマザコンのおっさんでしかなくなってしまう。

ゼタ=ジョーンズとガイ・ピアースを配しておきながら、この結果では実にうかばれない。妙に映像が綺麗なので、逆につまらなさが際立ってしまうほど。

で、最後はダーウィン賞にノミネートされてもおかしくない死に方で、ポカーン。最後の母子の涙に微塵も共感できないというありさまで、そりゃあ日本未公開だろうよ…というデキ。これは、観るだけ時間の無駄だろう。要注意フラグを立てておこう。




負けるな日本

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image1703.png公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:101分
監 督:トム・フォード
出 演:コリン・ファース、ジュリアン・ムーア、マシュー・グード、ニコラス・ホルト、ジョン・コルタハレナ、ジニファー・グッドウィン、テディ・シアーズ、ポール・バトラー、アーロン・サンダーズ、ケリー・リン・プラット、リー・ペイス、リッジ・キャナイプ、エリザベス・ハーノイス、エリン・ダニエルズ、ニコール・スタインウェデル 他
受 賞:【2009年/第66回ヴェネチア国際映画祭】男優賞(コリン・ファース)
【2009年/第63回英国アカデミー賞】主演男優賞(コリン・ファース)
コピー:愛する者を失った人生に、意味はあるのか。

1962年。キューバ危機の不安の中にあったロサンゼルス。大学教授のジョージは、16年間共に暮らした同性愛の恋人ジムを交通事故で亡くす、それから8ヶ月間、悲しみに暮れ、ついには生きていく価値を見失い、ピストル自殺することを決意する。身の回りを整理し、弾丸を購入し、いよいよ最期の日を迎えるが、大学の講義ではいつも以上に自らの考えを熱く語り、元恋人で親友の女性チャーリーと思い出話に花を咲かすなどして、凡庸だった日常が少し色を帯びたように感じられるのだった。そして、一日の終わりを迎えようとしていた時、ジョージの前に教え子のケニーが現われ…というストーリー。

愛する人を失った苦しみに加え、社会的に大っぴらにできないが故に悲しみを表出することができない苦しみ。そして、自分と同様に孤独の海の中にいる親友の女性やゲイの教え子。惹かれることは惹かれるし、お互いに必要としてはいるのだが、けっして彼らとその傷を補いあうことはかなわないという空しさ。表現したい部分はよく判る。

確かに想像することはできるのだが、如何せんゲイの主人公に対してシンパシーを感じることができず、どうも入り込めない。この虚無感を一体となって味わえるかどうかが、本作のすべてだと思うので、そういう意味では、まったく愉しめなかったといえる。
いや、同性愛の映画を、ストレートの人はまったく受け入れられないということはないはずだ。やはり、この主人公が小難しくてとっつきにくいキャラクターだったことと、精神状態が始めからどん底状態で、最期の方までずっと低空飛行のままだったことが、原因かもしれない。

反面、非常にアーチスティックな映像であったのが救い。ファッションもインテリアもとても洗練されており、さすがこの監督さん有名なファッションデザイナーというだけはある。

まあ、結局、この監督が何を伝えたいのかを理解こそできたが、実際に伝わってはこなかったということ。同性愛者の方々には伝わるのだろうか。わかりまへん。お薦めはしない。

全然、話は変わる。不思議なもので、ジュリアン・ムーアが出た瞬間「ああ、今回は脱がないな…」と判った。この人、脱ぎがあるときと無いときで自然とギアの入れ方が違うんじゃないだろうか。




負けるな日本

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image1237.png公開年:2001年
公開国:アメリカ
時 間:131分
監 督:トッド・フィールド
出 演:トム・ウィルキンソン、シシー・スペイセク、ニック・スタール、マリサ・トメイ、ウィリアム・メイポーザー、ウィリアム・ワイズ、セリア・ウェストン、カレン・アレン 他
受 賞:【2001年/第68回NY批評家協会賞】男優賞(トム・ウィルキンソン)、女優賞(シシー・スペイセク)、新人監督賞(トッド・フィールド)
【2001年/第27回LA批評家協会賞】作品賞、女優賞(シシー・スペイセク)
【2001年/第59回ゴールデン・グローブ】女優賞[ドラマ](シシー・スペイセク)
【2001年/第17回インディペンデント・スピリット賞】主演男優賞(トム・ウィルキンソン)、主演女優賞(シシー・スペイセク)、新人作品賞
【2001年/第7回放送映画批評家協会賞】主演女優賞(シシー・スペイセク)

メイン州の小さな町で開業医をしているマット。妻ナタリーと、大学の夏休みで帰省した一人息子のフランクと久しぶりの3人暮らしを愉しんでいた。フランクは漁船でのバイトに励む一方で、近所に住んでいる年上の女性ナタリーと交際を始める。彼女は二人の男児の母親で、夫のリチャードの暴力が原因で別居中。現在でも、リチャードは離婚に応じず、ナタリーの家に時々やってきては暴力を振るっていた。ある日、フランクはナタリーの家に押しかけたリチャードと言い争いになる、射殺されてしまう。突然に一人息子を失ったマットとルースは途方に暮れてしまい…というストーリー。

受賞が多いわりにはまり知られていない作品なのだが、結構な名作だと思う。今回で3回目の鑑賞。
突然、狂気によって一人息子を奪われてしまう夫婦の悲しみと、終盤の復讐劇のコントラストが特徴的な作品なのだが、それは表面的なストーリー。そこだけ観ても面白いと思うが、さらに奥を観たい。

タイトルの『イン・ザ・ベッドルーム』、冒頭の卵を孕んだ雌のエビの話、そして年上の子持ち女性と恋に落ちる息子…と、これらの仕掛けから判るとおり、“女”でこの世の中は動いており、且つ狂わされているのだというのがテーマだと思う。
復讐に転じる父親の行動が唐突に映るかもしれないが、息子を失った苦悩の末の行動とだけ考えてしまえば確かにそう映るだろう。でも、ナタリーと付き合うことを止めるどころか、どちらかといえば面白がっていた自分。また、同時にいい女だとも思っていた自分。そして、ナタリーに気があるんだろうと妻に暴言を吐かれうろたえる自分。

私が重ねて本作を観る理由は、最後のベッドルームの様子が、難解というか色々な解釈ができて考えさせられるからである。茫然自失でベッドに潜り込んだマットは、リチャードの家でナタリーの写真を見てムカっときてしまったことを語り始める。あれ、自分はやっぱり妻が言ったとおりナタリーに惚れていたのか?初めは苦痛にあえぐ妻を見かねてたのが殺害動機かもしれないが、もしかしてナタリーに嫉妬して激情にまかせて殺した俺って、リチャードと同レベルかよ…と。

ベッドという雌エビの腹に戻ったマットだったが、肝心の雌エビは、“ああやったんだな”とばかりに起きだして甲斐甲斐しく世話を焼き始める。これをただ現実を好意的に受け止めただけと見るか、「ああ、私がけしかけた通りに動いてくれた。よしよし」…と見るか。この夫婦がそれぞれ、どこまで考えているのか…観るたびに印象や解釈が少しづつ変わってくる作品。
まあ、とにかく、男はみんな女によって動かされ、ダメになっていくってことはしっかり伝わってくる。強くお薦めしたい。



負けるな日本

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出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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