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公開国:アメリカ
時 間:128分
監 督:リドリー・スコット
出 演:スーザン・サランドン、ジーナ・デイヴィス、マイケル・マドセン、ブラッド・ピット、クリストファー・マクドナルド、スティーヴン・トボロウスキー、ティモシー・カーハート、ハーヴェイ・カイテル 他
受 賞:【1991年/第64回アカデミー賞】脚本賞(カーリー・クーリ)
【1991年/第26回全米批評家協会賞】助演男優賞(ハーヴェイ・カイテル『バグジー』に対しても)
【1991年/第49回ゴールデン・グローブ】脚本賞(カーリー・クーリ)
コピー:男たちよホールド・アップ!すべてが快感。女たちのルネッサンス!
アーカンソー州の小さな町で、ウエイトレスとして働く独身のルイーズ専業主婦のテルマは、一緒にドライブに出かける。退屈な日々に嫌気がさしていたルイーズと、夫から家政婦のように扱われて鬱憤が溜まっていたテルマは、日常から離れたひとときを満喫していた。夕食のためにバーに立ち寄った二人だったが、そこでテルマは大酒を飲み悪酔い。バーの店員ハーランがテルマを口説くと、ルイーズが目を離した隙に二人は店の外に消えてしまう。なかなか戻ってこないテルマを心配して探しに出ると、テルマがハーランにレイプされそうになっている場面に遭遇。銃を突きつけてテルマを救ったが、ハーランの屈辱的な言葉に激昂したルイーズは彼を射殺してしまい、二人はそのまま逃走する…というストーリー。
ハーランを殺すときのルイーズの表情の豹変ぶりや、テキサスに触れられたときの表情で、彼女の過去になにかあったのだな…ってことがわかる。それを表現しようとするシナリオの巧みさもさることながら、そのシナリオの求めにしっかり応えられるスーザン・サランドンの演技力には感服。この一点だけとっても良作といってよいだろうな。
たしかに逃避行なのだが、堕ちていくっていう感じがしない。「旅をするのが夢だったのよ…」 追われているんだけど、このままどうなってもいいのかもしれない…みたいな空気が漂うのが、妙に心地よい。二人は親友とはいえ、性格も境遇も違う。はじめはルイーズがグイグイ進めている感じだけど、途中からテルマのはじけっぷりが顕著に。旅が進むにつれて二人の魂が近づいていくようだ。「こんなに目覚めてる気分は初めて」「すべてが新しいの」さりげなくいいセリフが多い。自分を取り戻す…というか生まれ変わる旅程。ロードムービーとしてかなり優秀だ。
逃走中に、これまでの自分が犯したことを振り返って、踏みとどまるのが最善だったか?って考え直しても、いやいや、やっぱり自分の尊厳やプライドを傷つけつづけるのはもうごめんよ…って感じ。いきあたりばったりかもしれないし刹那的かもしれないけど、その選択にいたく同意できる。
“散るアダ花の美しさ”って感じのラストシーン。DVDには別バージョンも収められている(いろんなカットがあるしBGMも違う)けど、サクッと感のある本編のほうがやはり好きだ。
その散り際を切ない表情でおいかけるハーベイ・カイテルの演技もよい。ルイーズの過去になにかあったな…と判るのと同様に、彼女たちの心の痛みを何故か理解している刑事の過去にも、何かがあったんだろうな…とわかる。ハーベイ・カイテルの厳しさと慈愛が共存する表情。ラストの彼女たちを見る目は、観客の目線とシンクロする。
なんと、小物男のJ.D.役を演じてるのばブレイク前のブラッド・ピット。夫とは違う、危うさとひとなっつこさ、そして且つダメダメ男っぽさをうまく演じている。主役二人が良すぎるから見逃されがちだけど、脇を固める男性俳優陣はいい仕事してるよ。
観ていない人は観るべき作品。おすすめの傑作。ん~、二日連続、いい作品にめぐり合った。これだけで幸せな気分になれるって、やっぱり映画はすばらしいわ。
#なんでテルマは小瓶で酒を買ったのか?これがどういう心境を表しているのか、これだけはよくわからんかった。
公開国:韓国
時 間:116分
監 督:カン・ソッポム
出 演:キム・レウォン、キム・ヘスク、ホ・イジェ、キム・ビョンオク、キム・ジョンテ、チ・デンス 他
かつて若くして街の裏社会を牛耳っていた男テシク。酒を飲めば狂犬のように手が付けられなくなる彼は、殺人の罪を犯し服役。10年経って仮出所して街に戻ってきた。彼はひまわり食堂の女主人ドクチャを訪ねる。彼女はテシクを養子として迎え入れ、実娘ヒジュとの3人の穏やかな生活を送ろうとしていた。しかし、ひまわり食堂は、チョ・パンスというヤクザが進める再開発計画のために立ち退きを迫られており…というストーリー。
なにやら訳ありそうな男が、戒めをノートに書いているのかと思いきや、やりたいことを書いていたり。なにやらチクハグだけど、ミステリアス。さて、この男の過去には何があったのか…というのを追っていく展開か…と思ったが、そこは、過去に罪を犯したヤクザであることがあっさり明かされる。
じゃあ、あとは、なんでこの食堂のおばさんがテシクという男を息子として迎え入れたのか…、そして、とてもかつて“狂犬”のようだったとは思えない、やさしい青年になってしまったテシクは、なんで暴力を振るわないと堅く誓っているのか…という二点に、話の焦点は絞られていく。
その答えはここでは書かないが、オリジナリティが高いとは言わないけれど、それなりに整合性は取れていて、悪くない内容だった。
とはいえ、過去に大きな罪を犯した男が町に戻ってくる…。改悛した彼はヤクザのゴタゴタには巻き込まれるのを嫌い、静かに生きて生きたい…。でも、ヤクザたちの悪行は彼の大事な人を巻き込み、やがて彼を修羅の道に戻していく……って、実にありがちなストーリー。ありがちすぎて何のパクりとかいえないくらいオーソドックスなプロットだ。
ポピュラーだから悪いということはないので、後はお約束どおり、ヤクザたちの悪行で観客の正義の心を刺激したり、ストレスを膨らませていき、その大きく膨らんだ風船を爆発さればカタルシスを得られること請け合い。しかし、残念ながら、大きく膨らませた風船に開けた穴がを大きすぎて、フガガガ~~と勢いの無い空気がダダ漏れしたようなラストで幕を閉じる。
悪役に対して感じたストレスがいまいち発散できず、モヤモヤした感覚が残るのは残念。悪役の描き方は悪くなかったので、愛する者を壊された怒りを爆発させるだけで、十分に魅せることができたと思う。しかし、無駄にバイオレンスで無慈悲な展開を差し込まないと、話を転がせないという、韓国の血というか狂気というか…。どうも、そのあたりのセンスがしっくりこないのは、韓国映画に共通することかもしれない。
中盤までは、狂言まわしのように、ちょこちょこ出てきていた警官は、シナリオ上ではまったくの無意味。あれなら、ヤクザに買収されてる悪徳警官にしたほうが、よっぽど意味があっただろう。自動車工場への襲撃の様子を観ているときに、警官二人以外に二人いたがこれもまったくの無意味。もしかすると、当初は他の展開がある予定だったのに止めたのかもしれない。同様のいきあたりばったりなシーンは多い。
高校の数学女教師とテソクの関係がどういうものだったか、明かされていないとかね。
人情モノなら人情モノ、バイオレンスならバイオレンスと、メリハリをきちんと付けられていないのも不満ポイント。でも、駄作とまではいわないけどね。
#銭湯のロッカーのセンサー付きの鍵ってなんやねん。韓国、意味がわからん。
公開国:アメリカ
時 間:112分
監 督:ポール・ハギス
出 演:サンドラ・ブロック、ドン・チードル、マット・ディロン、ジェニファー・エスポジート、ウィリアム・フィクトナー、ブレンダン・フレイザー、テレンス・ハワード、クリス・“リュダクリス”・ブリッジス、タンディ・ニュートン、ライアン・フィリップ、ラレンズ・テイト、ノーナ・ゲイ、マイケル・ペーニャ、ロレッタ・ディヴァイン、ショーン・トーブ、ビヴァリー・トッド、キース・デヴィッド、バハー・スーメク、トニー・ダンザ、カリーナ・アロヤヴ、ダニエル・デイ・キム 他
受 賞:【2005年/第78回アカデミー賞】作品賞、脚本賞(ボビー・モレスコ)、編集賞(ヒューズ・ウィンボーン)
【2005年/第59回英国アカデミー賞】助演女優賞(タンディ・ニュートン)、オリジナル脚本賞(ポール・ハギス、ボビー・モレスコ)
【2005年/第21回インディペンデント・スピリット賞】助演男優賞(マット・ディロン)、新人作品賞
【2005年/第11回放送映画批評家協会賞】アンサンブル演技賞、脚本賞(ポール・ハギス、ボビー・モレスコ)
コピー:それはあなたも流したことのある、あたたかい涙。
クリスマスが近づくロサンゼルス。白人に敵意を抱く黒人青年二人組みアンソニーとピーターは地方検事のリック夫妻の車を強奪。リックの妻ジーンは、それ以降、人種差別的な態度に拍車がかかる。人種差別主義者の白人警官ライアンは、黒人のTVディレクター・キャメロン夫妻の車を理由もなく停車させ、権力を傘にきて屈辱を味あわせた。そのときの夫の態度に不満を覚えた妻は夫を責め、それ以来夫婦の間には溝ができてしまう。ライアンの相棒の若い警官ハンセンは、そんなライアンに嫌悪感を抱き、異動を願い出る。一方、銃砲店での不当な差別に憤慨する雑貨屋を経営するペルシャ人ファハドは、黒人ダニエルに店の鍵を修理させるが、ドアごと替える必要があるといわれ口論になってしまい…というストーリー。
他民族国家アメリカならではの作品。自分の生活空間に、生活様式やエトスの違う人が多数存在する状況に馴れていないので、映画を観ているだけなのに疲れてしまう。
理解できない人がいるから身構えたら、それだけで「差別だ!」ってバッシングされる社会。子供のころに犬に噛まれりゃ犬嫌いになる。同じように他人種にいやな思いをさせられりゃ警戒もするだろうさ。マイノリティの暴走というか、マイノリティがマイノリティだというだけで、無条件に優遇される社会は、もっともらしいけど異常。
#“人種”という表現が正しいかは脇に置くとして…
ただ、人種の坩堝がどうしたこうしたというよりも、自分の気に入らない状況がなぜ生じているのか、その正確な理由を突き止めるのを放棄して、表面的にわかりやすい人種の差を理由にしちゃってるだけなんだと思う。
判事の妻なんか、更年期障害のイライラを他人種のせいにしているだけ。ペルシャ人の親父だって、論理的思考のできない馬鹿以外の何者でもないし。
それ以上に、アメリカにいるどの人種の方々も、臆病で且つ怒りっぽい。そして絶対、自分の民族的なスタイルを崩すさないで、お世話になってる国に溶け込もうとしない。そしてさせない。これがTHEアメリカなのかね。それなりにうまいこと織り重なっていてこその他民族国家だと思うんだけど、ただ、同じ土地に他民族がいるだけだもんな。
2004年のアメリカでこのカオス状態。アメリカだけじゃなく、ヨーロッパで移民政策が成功しているところなんか一つもない。他の国は同じ失敗すんなよ! っていってるのに、移民政策を検討しようなんてお花畑なことを言ってる日本の民主党って、やっぱ頭おかしいよな。
夢を求めて! っていったって、誤解を恐れずに言うならば、他人が築いた社会基盤にタダのりしようとする人間でしょう。テイクだけでギブする気が無い人間を共同体にいれちゃあ、そりゃウマくいくわけがないじゃん。
最後の方になると、人種云々じゃなく人と人として心を通わせることこそ、安らぎだ…みたいな流れになるけど、でも、衣食足りて礼節知る…だと私は思うんよ。どんなに貧しくても、力と運のあるやつは幸せになれる…って、そういう価値観オンリーだと、一部が幸せになっても社会全体が幸せになることはなく、結局は自分も不幸になる。自分は今くるしいけど、自分だけじゃなく周りも幸せにならないとね…、そう思える人が、そこそこの割合で存在しないと、社会は良くならんわな。
登場人物全員が全員、生きていても楽しくなさそうなんだもん。アメリカンドリーム=ナイトメアなんだろうね。
等々…、淡々とした切り口ながら、ふっと考えさせる作品。今の社会をいろんな切り口で巧みに観せている。並行して進んでいたキャラが絡み合う様子は、いささか強引ではあるが、映画としては許容範囲。さて、この映画は、何の答えも道筋も提示していない。「で、観客の皆さん、どうするのさ」こういう問いかけで終わるのを、良しとするか否か。
私は、これでオスカー作品賞ってのはどうかと思うよ。かといって『ブロークバック・マウンテン』かといわれるとそれも違う…。その他のノミネートは『カポーティ』『グッドナイト&グッドラック』『ミュンヘン』だもんな。個人的には地味に不作の年だったなと。
オスカー文句なしとは思わないけど、良作ではある。
#皆保険制度って大事だと思うよ。日本の保険制度が苦しいっていっても、他国よりはマシだわ。
公開国:デンマーク、ドイツ、フランス、スウェーデン、イタリア、ポーランド
時 間:104分
監 督:ラース・フォン・トリアー
出 演:シャルロット・ゲンズブール、ウィレム・デフォー、ストルム・アヘシェ・サルストロ 他
受 賞:【2009年/第62回カンヌ国際映画祭】女優賞(シャルロット・ゲンズブール)
セックスの最中、目を離した隙に幼い息子がベビーベッドから出て窓へよじ登り、転落死してしまう。妻はその哀しみと自責の念から心を病んでいく。セラピストである夫は、自ら妻の治療にあたろうとするが、懸命な努力は実らず妻の症状は悪化する一方。夫は、彼女の心の中の闇を克服するために、森の奥深くにある山小屋に連れて行くことにするのだが…というストーリー。
前々から観ようと思っていたが、聞き及ぶ内容からすると、気力・体力ともに整えておかないとヤられてしまいそうだったので、これまで延び延びに。昨日の緩い映画は、ワンクッション置いたと思っていただければ。
相変わらずのラース・フォン・トリアー監督。キッついシチュエーションで、観ているだけでつらくなるにもほどがある。内容は、もうSM映画なんじゃないかと思えるほどエスカレートしていく。おそらくボカしが入っているのは日本版だけなのだと思うが、見えないせいでかえって怖い。
妻も夫婦間のカウンセリングはよろしくないといっているし、夫自身もやるならやるで厳格なルールが必要があるといっているわけで、根本的に危うい状況。途中からその厳格なルールは破られても、“治療”は続けられるのだが、その前からまともなカウンセリングになっていないように思える。大体にして、夫も子供の死のダメージを受けているはずなので、治療を施される側のはずなのに。
“アンチクライスト”とは何なのか。正直、一回この作品を観たくらいで、トリアー監督が何を言いたいのか、整理できないので、以下は思ったままの走り書きみたいなものだと思って欲しい(結論はない)。
アンチクライストは直訳すれば反キリスト者なのだが、それは大抵“悪魔”であるとされる。では、その悪魔とはなんなのか。DEVILとはちょっと違う。だって彼らは元々神なのだから。単なる違うということは、キリスト教の埒外にいる存在ということではなかろうか。
妻は、「自然は悪魔の教会」と言う。これはどういう意味か。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教において自然とはどういう存在か。実は、単純に“母なる大地”というイメージではない。これは、これら一神教が湧き出た土地が、肥沃な土地ではないから。基本的に自然は人間に対して仇なすものという前提だ。いやいや、カトリックだって収穫物に感謝したりするでしょ…と思うかもしれないが、それは土着の宗教を吸収した結果(シンクレティズム)でしかない。だから、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教において輪廻転生という概念はない。死んだ人間は、この世が終わりがくるまで“どこか”にモラトリアムしていて、いざその時になるまで審判を待つ。だから生まれ変わりなんてのは、教義に反する。
さて、豊かな森は、生き物の集合であり、その死は生に直結する。我々日本人には、永遠に引き継がれる命という概念があっさりと腑に落ちる。でも、彼らはそうではない(すくなくとも教義上は)。つまり、森=非一神教=アンチクライストの象徴てことか。
ANTICHRISTのTが♀である点。本作では、妻の宿る悪魔性が刻々と描かれている。「フロイトは死んだ」。確かに現代心理学において、フロイトの夢診断レベルをそのまま適用するなんてことはない。そんなことをしたら馬鹿にされるし、実際的外れな治療になる。でも“死んだ”か? まるでニーチェが「神は死んだ」というのと同じレベルでまことしやかに用いられるが、死んではいないだろう。フロイトは事象を分析し、仮定を挙げて、当時のできる範囲で実証を試みただけであり、後の研究者たちが別の発見や結論に至ったからといって、彼の行いや視点が“死んだ”わけではない。
フロイトといえばヒステリーの研究がある。当時は女性特有の病といわれたが、彼は、ヒステリーの原因は幼少期に受けた虐待等が引きおこす精神病理だといった。これを否定するならば、本作で夫がやっている治療は何だ? という話になる。病理として片付けられない人知の埒外の問題だということになる。つまり悪魔。そういうことか。
本作には過激シーンをカットした“カトリック版”なるものが存在するらしい。はたしてカットされた“過激”とは何なのだろう。多分、文字通りの肉体損壊がらみのシーンだけではないと予測する。カトリックは三位一体が教義だが、四位一体だという指摘もある。父・子・精霊に加えてマリア信仰がそれだという。その根源は母性である。でも、本作の妻は子の死を悲しむ傍らで、虐待を続けていたと示唆される。それどころか、その死は未必の故意であったとも。そのような母像はカトリックでは受け入れられないはずだ(『カントリー・ストロング』においても、子殺しだとバッシングされ続けていたのは、そのためである)。
ふと、♀は女性記号なのか? と頭をよぎる。もしかしてエジプト文字のアンク記号だったりして。アンクの力を信じる者は一度だけ生き返ることができるとか。ここでも、輪廻転生に繋がるなぁ。
私には、他の宗教と一神教とのコントラストしか見えてこなくて、本作が、特にキリスト教社会の限界を主張しているように思えて仕方が無いのだが。
#まあ、トリアー監督の場合、自分の出生の秘密とか、母性に疑問を抱くだけの理由があるからなぁ…。
自分で投げ捨てたレンチの在り処がわからなかったり、一瞬にして性格が切り替わるところなど、妻が多重神格に犯されているような表現。だが、やはり単なる多重神格とは違うような…。
森にいった後は、何が現実で何が幻想なんだか判然としない。これは夫も、徐々に精神的に影響を受けた…と判断してよいのか否か。私は森にいったこと自体、夫の幻想なんじゃないと思えるほど。なぜか、床下にレンチがあると疑うことなく、床を破る夫。どうして判る? 現実ではありえない。やはりこれは幻想の中の出来事か。幻想だとしてもむしろ夫側の幻想という暗示か?出産しながら逃げる鹿、喋るキツネ、頭を砕いても鳴き続けるカラス、これを見たのは夫だしな。
大体にして、三人の乞食とは何ぞや。もう、ここまできて、私の脳は力尽きたみたいだ。同じように、カトリックの人が観て失神したという『パッション』と比較すると、私の脳は100倍くらいフル回転した。これだけのことがちょっと思い出しただけでつらつらと浮かんでくるほど。
エグい描写(チョッキンとか)があるので、また観る気がおきるかどうかわからないが、その他の要素だけなら間違いなく2年に一回は見直すレベル。好きか嫌いかどちらか選べといわれれば“好き”といわざるを得ない。
なぜかわからないが、キリスト教圏に産まれなくてよかった…という思いが頭を去来する。とにかく観る前は、体調を万全にしておくべし。私が皆さんにいえることはそれだけだ。
負けるな日本
公開国:ブルガリア
時 間:89分
監 督:カメン・カレフ
出 演:フリスト・フリストフ、オヴァネス・ドゥロシャン、サーデット・ウシュル・アクソイ、ニコリナ・ヤンチェヴァ、ハティジェ・アスラン 他
受 賞:【2009年/第22回東京国際映画祭】東京サクラグランプリ、最優秀監督賞(カメン・カレフ)
ブルガリアの首都ソフィア。イツォはアーティストとして成功することができず、薬物に溺れてしまっている。現在は治療しているが、それでも酒に溺れる日々を繰り返していた。そんな彼は、食事の帰り道に、トルコ人旅行者一家がネオナチと思しきグループに襲撃されているのに遭遇する。思わず助けに入るものの、反撃されて怪我を負ってしまう。しかし、イツォはそのグループの中に、しばらく合っていなかった弟ゲオルギの姿を見つけるのだった。その後、トルコ人家族の父が重症を負ったため入院することになったが、イツォは娘ウシュルに一目惚れして…というストーリー。
めずらしいブルガリア映画。東京国際映画祭でそれなりの評価をうけての、国内リリースってことかな。でも、邦題は悩んだようにみえる。原題のEASTERN PLAYSだとちょっと意味がわからない。日本のほうがよっぽどEASTだし。ブルガリアの政治・社会情勢を踏まえての内容だから、そうとわかる題にしようとしても、ブルガリアを冠すればヨーグルトを連想しちゃう。まあ、首都名にしておくか…と。そして、各地で民主化運動がおこってるし、そういう感じの作品かな? と引っかかってくれれば儲けモノ…ってことで“夜明け”と。
実際の内容は、民主化とか体制批判っていう内容ではないので、的外れではあるのだが。
ネオナチに巻き込まれていく弟、心を病んでいて薬漬けの兄、トルコからの旅行者の娘。この3人が、移民問題や右翼化が顕著なブルガリアでどう絡んでいくのか…というのが焦点。でも、結論をいっちゃうと、あまり明確なメッセージはない。
だって、移民政策自体にも問題があるのは明白だし、それを政治に利用している人がいる(社会問題の原因を移民に押し付けて目をそらそうとしている勢力がいる)以上、こういう状況になるとはあたりまえだと思う(元々ヨーロッパには、ジプシーに対するアレルギーとかあるしなぁ)。
民主化なんてのは制度さえ導入すれば成立するわけではない。自分や家族以外の人々に対して良いことをしてあげよう、便利にしてあげよう…、そういう気持ちの人が雨後の筍のように現れないと、まともな国にはならんのよ。だから、市場原理主義や金儲けに走る人が一時的によく見えても長期的にはおかしくなってくる(基本からはずれてるんだから)。そこにきづくべき。いや、気付いても、そんな殊勝なことできるわけんーじゃんって、ことになるんだよね。そこが“民度の差”ってやつなんだけど、一言で片付けるのは、何か悲しいわな。とにかく、この物語からは、まったく希望が感じられない。若者から未来を掴もうという気概が伺えず、まるで暗闇の世界に見えてそら恐ろしいくらい。
最後、改心した(のかよくわからん)弟が見ず知らずの彼女をつれて兄のところに転がり込み、不自然ではあるが何かを変えようとする雰囲気を醸し出して終わる。尻切れトンボだよなぁ…って感じだったのだが、調べたら、主演の俳優さんが撮影中に急逝したことできちんと終われていないんだって。でも、それを消化不良の言い訳にされても困るし、そんな中途半端な状態なのに無理やりまとめるのもどうかと思うわ。
移民問題の根が深いことはよくわかった。そして、悩めるブルガリアの状況もわかったのだ。でも、これはドキュメンタリーのほうが適している内容。伝えたいことを表現方法(もしくは表現能力)のミスマッチを強く感じた作品。
負けるな日本
公開国:アメリカ
時 間:112分
監 督:デレク・シアンフランス
出 演:ライアン・ゴズリング、ミシェル・ウィリアムズ、フェイス・ワディッカ、マイク・ヴォーゲル、ジョン・ドーマン 他
ノミネート:【2010年/第83回アカデミー賞】主演女優賞(ミシェル・ウィリアムズ)
【2010年/第68回ゴールデン・グローブ】男優賞[ドラマ](ライアン・ゴズリング)、女優賞[ドラマ](ミシェル・ウィリアムズ)
【2010年/第26回インディペンデント・スピリット賞】主演女優賞(ミシェル・ウィリアムズ)
【2010年/第16回放送映画批評家協会賞】主演男優賞(ライアン・ゴズリング)、主演女優賞(ミシェル・ウィリアムズ)
コピー:愛を知る誰もが経験のある、しかし誰も観たことのないラブストーリー
結婚7年目のディーンとシンディは、かわいい娘との三人暮らし。かつては愛し合っていたが、今、二人の間の溝は深まるばかり。シンディは病院で忙しく働いていたが、ディーンが酒ばかり呑み仕事に就こうとしないことに嫌気がさしていた。しかし、ディーンのほうは、家族が一緒に暮らしていけさえすればいいと思っており、彼女がなぜ働くことを求め続けるのが理解できない。そんな不和を解消するために、ディーンは夫婦で旅をすることを提案するのだが…というストーリー。
演者の方々には、誰一人として何の不満もない。しかしこの映画が観客に何を伝えたかったのか。私にはよくわからない。
幸せそうに見えるけれど、ちょっとギクシャクする夫婦。まあ、どこの夫婦でもそんなもんだろうが、この夫婦には、単なる不和とは違うそれ以上の何かギクシャクした雰囲気が漂う。仲が悪そうな二人なんだけど、二人とも老人にはやさしかったりして、良い面はよく似ている。それなのに、何故険悪なのか…その理由は、追々わかるんだけど、その微妙な雰囲気を出せているだけで、役者の人たちはスゴイと褒めておこう。
この二人の出会い(過去)と別れに向かう様子(今)とを交互に見せながらストーリーは進むんだけど、今の話なのか昔の話なのかが、地味に判断しにくい。夫ディーンの髪の量で判断できるけど(笑)、あとは話の文脈とか、険悪な雰囲気だけで判断するしかなくて。実は、画調を変えているらしいんだけど、ちょっと区別つかない。もっと明確に違いを出したほうがよかったな。
(以下、ネタバレ)
店で偶然男に出会った後の車でのいざこざと、彼女の昔の行動が出てきたところで、もう、娘がディーンとシンディの子じゃないってのが、わからない観客はいないだろう。さて、それを踏まえてどういう展開になるか…が映画の見せ所なのだ。し・か・し…、なんと、特に目をみはるような展開はない。過去の回想では、他人の子だということがわかっていながら結婚に踏み切る。しかし、現在では別れを迎える。ただ。それだけ。本当に、それ以外、何もないの。
男は懐の深いとこを見せつつ好きな女をモノにする。女は都合の悪いことを色々背負ってくれる男を手入れる。そういう打算が重なり合って愛という美名を装って結婚する気色悪さ。破綻することなんか明々白々だし、ストーリー構成的にも別れるのは見え見えなのに、それをダラダラと見せられる苦痛。結局何が言いたかったのか。若気の至りを戒めているのか? 怠惰や姦淫は罪ですよ…とでも言いたいのか?もしかして、この放り出されたような余韻を愉しめというのか?
ラストに“BLUE VALENTINE”どーんと画面に出されても、「お、おぅ………」状態。自分の経験とオーバーラップして、「わかる、わかるわ~」とかになる人じゃないと愉しめないのかもしれないな。私の趣味には合わなかった、そういうことだと思う。
負けるな日本
公開国:アメリカ
時 間:101分
監 督:マーク・ラファロ
出 演:クリストファー・ソーントン、マーク・ラファロ、ジュリエット・ルイス、ノア・エメリッヒ、ローラ・リニー、オーランド・ブルーム 他
コピー:夢を叶えるための、奇跡──
かつて“デリシャスD”という名でDJとして活動していたディーンは、現在、事故のために車いす生活を余儀なくされている。生活にも困窮し、ホームレスが集まる地区で車に寝泊りしている。神父のジョーはディーンを励まし続けたが、障害者向けの施設に入れというジョーの薦めに納得できず、また、再び音楽と向き合う気持ちにもなれずにいた。そんなある日、彼は自分が手をかざすと、人々の病を治癒してしまうということに気づく。ジョーは、その力は神からの贈り物であり、人々を治療すべきだと、ディーンを説得するのだったが…というストーリー。
主演の人の脚本らしい。ホームレスのミュージシャンへの道!みたいな話かと思っていたら、スピリチュアルな変な方向に急ハンドルが切られる。ジャケット画像と内容が違いすぎて、珍作の予感がプンプン。臭う、臭うよ。
怒りにまかせて能力を発動しちゃうのは判らんでもないが、『グリーンマイル』みたいに、悪いものを入れたりするのかなと思いきや治しちゃうのかが理解できん。彼は、治すだけなんだ(ちょっとシュール)。
自分の能力について開き直った後、ものすごいカオスな展開になる。さらに右へ左へと急ハンドルが切られ、急に法廷とか~。ハンパじゃないドリフトっぷり。いよいよとっ散らかってまいしました。
宗教的な話に見えて、宗教界の現実をディスってるようにも見える。仏教徒のオーランド・ブルームが出演しているのを観ると、カトリック批判か?とも思ったのだが、そうでもないようだ。
#なんでこんな作品ででとるんじゃ?と思うくらい不釣合いだし。
アメリカには、クリスチャンロックとかクリスチャンパンクとかあるでしょ。この作品もそういうコンセプトだと思う。結局、“神の御業”を褒め称えたい、そういうことだろう。
#日本人にはピンときまへんな。
最後、何であの変なインチキセミナーみたいなのに誘ってきた車椅子の男を治してやる気になったのか、心理はよくわからん。
“流れのままに…”みたいなことをいいたいのかもしれんけど、悪いことと良い事が等価交換であるべきだと思っているなんて、一神教を教義とする宗教においては、まだまだ信心が足りませんな。
手放しでお薦めはできないが、なかなかの珍作で、興味深い内容ではある。
#ジュリエット・ルイスは、相変わらず気持ち悪い女を演じさせたらピカ一だなぁ。
負けるな日本
公開国:アメリカ
時 間:89分
監 督:デヴィッド・リンチ
出 演:ジョン・ナンス、シャーロット・スチュワート、アレン・ジョセフ、ジーン・ベイツ、ローレル・ニア、ダーウィン・ジョストン 他
受 賞:【1978年/第6回アボリアッツ・ファンタスティック映画祭】黄金のアンテナ賞
【1978年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品
印刷工のヘンリーは、付き合っているメアリーから、子供を身篭って、すでに出産したことを告げられる。責任をとって結婚し、ヘンリーの家で新婚生活を開始するが、その赤ん坊は鳥のような奇形の子供で、絶えず甲高い声で泣き続ける。メアリーはその声のせいでノイローゼになり、とうとう実家に帰ってしまう。ヘンリーは仕方なくその子の面倒もみるが、次第に心を病んでいき…というストーリー。
『アニー・ホール』の主人公が監督の投影と思われるように、本作の主人公も間違いなくデヴィッド・リンチの投影に違いない。よく、キャラクターが勝手に動き出すなんていう表現があるが、そりゃ自分なんだから思うままに動くよね。案外、傑作っていうのは、現実の人物の投影であることが多いのかもしれない。
『アニー・ホール』もキレキレ演出だったけど、本作はそれに輪をかけてキレッキレのキレである。ただ、キレている方向性はもう“あっち”の世界である。
自分の中にある女性や家庭や子供というモノに対する漠然として不安の具現化と解釈するのは簡単だし、脳内世界といってしまえばそれまでなんだけど、カフカの『変身』の斜め上を行く、陰湿ともいえる湿り気と虚無感が漂う世界観、それに加わる有無を言わせぬクレイジーっぷりに、観ている私はただ立ち尽くすのみであった。
この年代の特撮っていうのは、いくらリアルだーうまく作れているだーと褒めたところで、所詮作り物だよな…って思いが頭の片隅にあるもの。だが、本作の“赤ん坊”のクオリティは「もしかして本物なんじゃね?」とすら思わせるほどで、一線こ超えている。そして、そのリアルさが、より一層不安感を煽るのである。
これは映画史にのこる特撮技術によるクリーチャーと断言してよい。1976年においてこのデキは異常。リンチ監督は、この赤ん坊をどうやって製作したのか、語ったことがあるのだろうか。
また、その赤ん坊の泣き声が、いい大人の私ですらノイローゼになりそうで。胃から出血しそうなくらいのストレス。
はっきりいって、ストーリーは難解というか、理解することを放棄したくなるレベル。でも、何度か観ればだんだんと味が出てくるからこそカルトムービーとして名を馳せてるんだろう(肝心の、消しゴム頭の意味はよくわからんけど)。
でも、私が今後、何度も観たくなるかどうか…自信ねえなぁ(笑)。
それにしても、これがリンチ監督のデビュー作っていうんだから。製作がリンチ本人だとしても、こんな映画の完成までに付き合いきったスタッフもスゴイわ。
お薦めはしないよ。だって、「お前が薦めたから観たけど、毎晩変な夢見るわ!どうしてくれるんじゃ!」っていわれても責任取れないもん。
負けるな日本
公開国:アメリカ
時 間:93分
監 督:ウディ・アレン
出 演:ウディ・アレン、ダイアン・キートン、トニー・ロバーツ、ポール・サイモン、キャロル・ケイン、シェリー・デュヴァル、クリストファー・ウォーケン、コリーン・デューハースト、ジャネット・マーゴリン、ビヴァリー・ダンジェロ、シェリー・ハック、シガーニー・ウィーヴァー、ジェフ・ゴールドブラム、クリスティーン・ジョーンズ 他
受 賞:【1977年/第50回アカデミー賞】作品賞、主演女優賞(ダイアン・キートン)、監督賞(ウディ・アレン)、脚本賞(ウディ・アレン、マーシャル・ブリックマン)
【1977年/第12回全米批評家協会賞】作品賞、主演女優賞(ダイアン・キートン)、脚本賞(ウディ・アレン、マーシャル・ブリックマン)
【1977年/第43回NY批評家協会賞】作品賞、女優賞(ダイアン・キートン)、監督賞(ウディ・アレン)、脚本賞(マーシャル・ブリックマン、ウディ・アレン)
【1977年/第3回LA批評家協会賞】脚本賞(ウディ・アレン、マーシャル・ブリックマン)
【1977年/第35回ゴールデン・グローブ】女優賞[コメディ/ミュージカル](ダイアン・キートン)
【1977年/第31回英国アカデミー賞】作品賞、主演女優賞(ダイアン・キートン)、監督賞(ウディ・アレン)、脚本賞(マーシャル・ブリックマン、ウディ・アレン)、編集賞
【1992年/アメリカ国立フィルム登録簿】新規登録作品
スタンダップ・コメディアンのアルビーは、ニューヨークを拠点に活動しているが、たまにテレビに出る程度でそれほど売れていない。ブルックリン育ちの彼は、コメディアンのくせに“死”に取りつかれていて、自らの生い立ちに幾ばくかの原因があると考えている。近頃、彼女と別れて沈んでいた彼は、美人のアニーと出会いすぐにアプローチ。お互いに魅力を感じてほどなく同棲生活を開始するが、途端に相手のイヤなところが気になり始め、二人の間の溝は広がっていくばかりで…というストーリー。
はずかしながら、ウディ・アレン初体験。
どんな話だと聞かれれば、偏屈男が女に惚れ、愛し合い、次第に心が離れ、離別を迎える。そんだけ。それだけなのに、目が離せない。先が読めない。コラージュのように差し込まれるアルビーの脳内映像や、気の乗らないセックスを合成で表現したりと、思いつくままのキレッキレの演出の連続。かといって難解ではないところが実に秀逸。
なんだこいつは?と興味と嫌悪が入り混じったユニークなキャラのアルビーだが、同時になんとも身につまされる。
周りはアホなやつばっかりだと思い、なにかと政治や哲学を絡めてマシンガンのように喋る。かといって自分のことを賢いといわれれば、そんなことはないと言うだろう。酒や薬物の影響は受けたくないというポリシーは、良心ゆえの信念なのか、アニーのいうとおりアルビーが新しいことに挑戦しない性格だからか。
アニーを大学にいかせて賢くさせていることを良いと思っていながら、いざ知見が深まって自分で行動しはじめると批判する。この、二律背反が一人の男に共存している。簡単にいえば天邪鬼なんだけど、そんな単純でもない。おそらく本人も苦しんでいるし、苦しみの原因もおおよそ判っているだろう。でも変えることはできない。
#なんとも例えがたいシンパシーを感じてしまう。私、こんなにヤバいのか?
日本人にはいまいちピンとこないユダヤネタが満載。“笑わせよう”としている部分は逆に笑えない感じだが、不快ギリギリのアルビーの魅力(?)で、興味は尽きない。最後の、これまでの二人を舞台にしちゃうくだりを見るに、アルビーというキャラクターはウディ・アレン自身の投影なんだろう。
#その舞台のオチが違うところや、その後、再度出会って付き合いが始まる余談の部分は、願望なんだか、妄想なんだか。
時代といえばそれまでなんだろうけど、ダイアン・キートンの本作でのファッションが流行ったなんて、とても思えない。ぜんぜん魅力的に見えないんだよなぁ。これで、観ている私もアニー・ホールに惚れちゃうくらいだと、また観方が変わったのかもしれないけど。
これは観ておくべき名作かと。と言うか、観てよかった。
負けるな日本
公開国:アメリカ
時 間:116分
監 督:フランシス・フォード・コッポラ
出 演:ロビン・ウィリアムズ、ダイアン・レイン、ブライアン・カーウィン、ジェニファー・ロペス、ビル・コスビー、アダム・ゾロティン、フラン・ドレシャー、マイケル・マッキーン、アシュリー・ローレン 他
ブライアンとカレンは待望の子供を授かったが、その子ジャックは、細胞の成長が著しく早く、普通の4倍の速度で成長してしまうという奇病に冒されていた。10歳になったジャックは、すでに0歳の外見になっていたが、友達のいない環境を危惧した家庭教師は、ジャックを学校に行かせることを薦めるのだった。かくして、大人の姿のジャックは、小学校に通うことになるのだが…というストーリー。
これ、コッポラ作品なんだよねぇ。意外。
中身は子供、姿は大人。『ビッグ』等々、こういうテーマの作品は他にもある。近頃だと『 ベンジャミン・バトン 数奇な人生』だってこの亜種だ。だけど、他の作品と圧倒的に違う点がある。本作のように本当に大人の容姿になりはしないけれど、実際にこういう病気があるってこと(プロジェリア症候群とか)。他はファンタジーで済むけど、本作は観ていてどうも愉しめない。引っかかる。
すでに親の見た目年齢は追い越した状態で小学校に通い、やっぱりいじめられる。すったもんだを経て同級生と仲良くはなる。だけど、やっぱり急激に老いていくという現実の壁にぶつかり、どんぞこに落ち込んでいく。まさか、妖精が登場してこの病気を治してくれるわけでもあるまいし、何をどうひっくり返しても、悲劇的なオチになる意外にない。ロビン・ウィリアムズの演技が、達者な演技がかえって空々しさを助長してしまい、観ているこっちの気持ちも落ちる一方だった。
いや、むしろ、そういう悲劇的な最後を迎える彼を目の前にして、人生で何が大事かを周囲の人か感じ、成長していく物語を描こうとしているのだな…と思った。しかし…
(以下ネタバレ)
最終的に、確かに歳を重ね老人の姿になっていくが、友人達と共に高校を卒業。“死”という悲劇を見せることなく本作は終わる。卒業式でのジャックのスピーチも、人生の上で大事なことについて美辞麗句が並び、そこに確実にあるであろう“死の影”を忌避してしまった。これを前向きと捉えるのか、現実から目を背けたと観るのか。私は、後者と捉えたからしっくりこなかったんだと思う。命の大事さってのを感じて欲しいって言いたいんだろうなってのは判る。だけどピンとこない。腑に落ちない。
最後のスピーチが、希望と悲壮感の半々であれば、印象は違ったかもしれない。でも、そうしたら感動できたかといえば、そうともいえない。やっぱり、おもしろくするのが根本的に難しい設定なんだと思う。
まあ、オチを言っちゃうと、コッポラが二十歳の息子を亡くしてしまったという事情があっての本作らしいんだよね。だから、ジャックの人生に救いがないのはあたりまえ。最後、ジャックが自分の人生に満足していると主張するのも、コッポラが自分の息子が満足していた、そう思っていて欲しいという願望。受け入れがたい息子の死をジャックという役柄に投射したんだと思う。
素直に、いじめらるジャックの姿に感情を昂ぶらせたり、ジャックを次々迎えに来る子供たちのようすに感動したりできればよかったんだろうけど、作品の裏にある流れみたいなものに薄々感づいてしまったため、ノリきれなかった。ちょっとお薦めしにくい。
#この先生役ってジェニファー・ロペスなんだねえ。気付かなかった。
負けるな日本
公開年:2008年
公開国:イギリス
時 間:131分
監 督:シャロン・マグアイア
出 演:ミシェル・ウィリアムズ、ユアン・マクレガー、マシュー・マクファディン、ニコラス・グリーヴス、シドニー・ジョンストン、サーシャ・ベアール、エドワード・ヒューズ 他
ロンドンのイーストエンドで夫と4歳の息子と暮らす若い母親。警察の爆弾処理班に勤務する夫は、常に緊張状態を強いられており、家に帰ってきても疲れ切って妻を顧みない。夫婦関係は冷え切っており、妻は息子だけを心の支えにして生きていた。ある日妻は、パブで声をかけてきた新聞記者ジャスパーと一夜の過ちを犯してしまう。その後、夫と息子がサッカー観戦に向かうのを見送った時に、ジャスパーと再会。良くないとは思いつつも再び情事を楽しんでしまう。しかし、その最中に、夫と息子が向かったスタジアムで大規模な自爆テロが発生したニュースが。夫も息子も犠牲になってしまい、彼女は大きな罪悪感に襲われ、心を閉ざしてしまう。一方ジャスパーは、情報をひた隠しにする警察を不審に感じ、真相を突き止めようと独自に調査をはじめる…というストーリー。
何の予備知識も無しに観たので、夫に不満がある奥さんがフラフラと不倫しちゃって悩んじゃう的なお話かよ…、そんな緩い話どうでもいいや…と思って、一回観るのを止めたほど。だって、テロがおこって話が動き始めるまで、、結構長かったんだもん。
テロの発生と家族の危機を知るシチュエーションが、かなり特異というか作り手の悪意があって、そりゃ奥さんの精神は壊れちゃうわ…って感じ。そのインパクトと事件の重大性が相まって、痛みからの復活・癒しの話になるのか、事件を追ったサスペンスになるのか、はたまた移民問題に焦点が当たるのか、どこに話が転ぶのかわからないという効果が生じている。
だけど、恋敵の警官とかが出てくるわ、恋敵同士で行動の暴きあいを始めちゃうわ、なんだかごちゃごちゃして収集がつかなくなってくる。で、いつまでもどういう話になるのかな?のまま引っ張るわけにはいかないので、だんだん話を集約しなくてはいけないわけだけど、集約した結果、壊れたんだか希望を見出したんだかよくわからない状態でおしまい。
最後は、手塚治虫の『火の鳥』ばりの生命の強さを感じさせてくれる展開なんだけど、私はそれ以上に“女って怖ぇ…”ってゾっとしちゃった。
で、結局、最後のは誰の子なわけ?よくわかんないや。
テロ被害者の気球なんか上げるか?何百人もいるのに?とか、テロ犯と思しき人物の関係者とはいえ子供に発砲するか?とか、ディテールが雑。
すでに、オサマ・ビン・ラディンが死んでしまったからということとは無関係に、オサマに手紙を書くようにカウンセラーから勧められたりなんてことがあるのか非常に疑問だった。効果があるとも思えないし、「テロをするにもきっと理由があるんでしょ、大国に不満があるんでしょ?」みたいな解釈を、テロで子供を亡くした人間が言うことに違和感を感じる。
ヨーロッパの移民問題を喧嘩両成敗にでもしようとする安易さも感じるし、テロと移民問題は別、それはそれ、これはこれでしょ?という苛立ちも覚える。作り手側が、自分の言いたいことを整理できていない印象。観ても、受け手側が何をいいたいのかな?と一生懸命解釈しようという興味を抱かせることがない、いまいちな演出。特段に悪いポイントがあるわけではないんだけど、お薦めするポイントもない作品。
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:133分
監 督:オリヴァー・ストーン
出 演:マイケル・ダグラス、シャイア・ラブーフ、ジョシュ・ブローリン、キャリー・マリガン、イーライ・ウォラック、スーザン・サランドン、フランク・ランジェラ、オースティン・ペンドルトン、ヴァネッサ・フェルリト、マイケル・ジェネット、ナタリー・モラレス、シルヴィア・マイルズ、チャーリー・シーン 他
ノミネート:【2010年/第68回ゴールデン・グローブ】助演男優賞(マイケル・ダグラス)
コピー: 欲望は、罪なのか。
ジェイコブは、若くして成功をおさめた金融マン。今は、次世代エネルギーの発展を夢みて、とある教授が推進する事業に投資している。また、ジャーナリストのウィニーと結婚を前提に交際しており、公私共に幸せな日々を送っていた。ある日、勤務しているKZI社の経営者で、父のように慕っているルーから、特別ボーナスを貰う。彼は、そのボーナスを自分の為に使えという。様子のおかしいルーを訝しげに思いながらも、ボーナスを受け取ったジェイコブは、婚約指輪を買った後の残りを自社株に投資する。その後、KZI社の株が突然急落し破綻。ルイスは地下鉄に飛び込み自殺してしまう。その後、株価急落は、投資銀行経営者のブレトンが、あらぬ噂を振りまいていたことが原因だったことを知り…というストーリー。
昨日の前作を踏まえ、いざ続編を鑑賞。
主人公のジェイコブは、前作のバドと違って、それなりに成功しているし、ジャーナリストとの恋人ともうまくいっていて、まさに“リア充”ってやつ。バドのように闇雲な上昇志向な奴でもなく、クリーンエネルギーっていう夢を追う健全な精神の若者。まあ、若気の至り的な煙たさは感じるけど、基本的に忌むべき人間ではない(が、バドに比べると“草食”といっていいほど、ぬるいキャラだったりする)。
常温核融合ってちょっと設定に無理があって、そこはちょっと興醒めした。シナリオのポイントとしては、既存の石油利権を脅かすかもしれない次世代エネルギーの登場であればいいのだから、もうっちょっとリアリティのあるネタにしてほしかった。
また、前作を観た人は、同様の違和感を感じたと思う。ゲッコーの子供って息子じゃねーの?ってね。観進めていくと、前作のラストの後に、さらに訴訟が何年もあって、あの男の子の下に娘がいたんだよ…っていう設定になっている。で、あのぽっちゃり息子はその後ドラッグに溺れ自殺して、娘とは絶縁状態という設定。まあ、娘という設定を作りたかったんで、いろいろこねくり回して腐心したんだな…ということがよくわかる。
忘れないうちに書いておくと、娘ウィニー役のキャリー・マリガンは、抑えた演技の繰り返しにもかかわらず、しっかりと感情や考えているであろうことが伝わってくる良い仕事をした。彼女の地に足のついた演技がなければ、とっ散らかった作品になっていたに違いない。
(とっても、ネタバレ注意)
ジェイコブは、父とも慕うルーが自殺に追い込まれ、さらに会社も破綻し、借金まで負ってしまうというピンチに。そこから、彼の逸脱が始まる。婚約者の父親がゲッコーであり、彼からの情報で、ブレトンが黒幕であることを知る。ブレトンはルーの敵でもあるし、ゲッコーの敵でもあった。恋人の親ってよりも“敵の敵は味方”って要素のほうが強いだろう。
その後、ルーの仇!とばかりに、自分も同じように噂を流して反撃に出たり、ブルトンの懐に飛び込みながらもゲッコーと繋がってみたり…と、若者が目的を果たすために、先人に従って道を外していく…っているプロットは、前作をと同じである。違うのは、悪人が二人いて、復讐on復讐みたいな入り込んだ構造になっている点。ただ、残念ながら、それが、必ずしもおもしろさに繋がっていないのが痛い点である。
基本、同じようなプロットを繰り返して、はたしてオリヴァー・ストーンは何を伝えたいのか?ブルトンが堕ちた後、さあて、次はゲッコーの野郎の番だ!どうやって反撃するんだ!?と注視していると、なんと、ゲッコーは改心するのである。孫のエコー写真を見て…である。
オリヴァー・ストーンは、自分の強欲を老獪というマントで包みながら、娘の心を重ね重ね裏切るような男を、私たちに“許せ”といっているのである。申し訳ないないが、誰一人として、父娘の和解とかそんな展開は求めていない。今度の幸せのバブルははじけませんよ…みたいな、そんなゆるゆるの三文芝居、おもしろいか?
この作品を作った意味がやっぱりわからない。オリヴァー・ストーン老いたり…。これが私の正直な感想。
#本作で、一番驚いたのは、チョイ登場したバドが、ブルースターを売っぱらって儲けていたことかな…。夢ねえなぁ。
負けるな日本
公開年:1987年
公開国:アメリカ
時 間:124分
監 督:オリヴァー・ストーン
出 演:マイケル・ダグラス、チャーリー・シーン、ダリル・ハンナ、マーティン・シーン、ハル・ホルブルック、テレンス・スタンプ、ショーン・ヤング、シルヴィア・マイルズ、ジェームズ・スペイダー、ジョン・C・マッギンレー、ソウル・ルビネック、ジェームズ・カレン、リチャード・ダイサート、ジョシュ・モステル、ミリー・パーキンス、タマラ・チュニー、フランクリン・カヴァー、チャック・ファイファー、レスリー・ライルズ、ジョン・カポダイス、アンドレア・トンプソン、セシリア・ペック、ポール・ギルフォイル、アニー・マッケンロー 他
受 賞:【1987年/第60回アカデミー賞】主演男優賞(マイケル・ダグラス)
【1987年/第45回ゴールデン・グローブ】男優賞[ドラマ](マイケル・ダグラス)
【1987年/第8回ラジー賞】ワースト助演女優賞(ダリル・ハンナ)
ニューヨーク大学を卒業して証券会社に就職したバド。一攫千金を夢見ていたが、実際は電話営業の繰り返しの日々で薄給な上に、客の損金を負わされることもしばしばで、父親から頻繁に借金をする有様。そんな生活に嫌気がさし、思い切って投資銀行家として有名なゴードン・ゲッコーをオフィスに押しかける。しかし、海千山千のゴードンは、駆け出し証券マンであるバドの情報などには興味を示さなかった。そこで、バドは、航空会社ブルースター・エアラインの労組幹部である父親から聞いた内部情報を、ゲッコーに漏らしてしまう。その情報にゲッコーは興味を示し、バドに株式の売買を一任するのだったが…というストーリー。
『ウォール・ストリート: Money Never Sleeps』(2010年)を観る前に、やはり前作は観ておかないとダメかな…と思い鑑賞。
冒頭、チャーリー・シーンの馬鹿ヅラ&ポンコツ演技にうんざりさせられるものの、浅はかで無駄な上昇志向の持ち主という役柄であることが見えてきて、むしろマッチしていることに気付く。
ヘッジファンドのやっていることがよくわかる映画…という意見もあるけれど、ゲッコーもバドも、誰にでも不正だとわかる行為をやっているので、株トレードの難しさがどうのこうのという知識は要らない。単純に詐欺師とその片棒を担がされた男の話なので、シンプルでわかりやすい。人の不幸は密の味。「勝った」としたり顔をしている彼らが、どんどん堕ちていく様は、やはり愉しい。ゲッコーのキャラクターが強烈であればあるほど、そのおもしろさは増幅される。
証券が商品であり、そこに市場があるかぎり、商品を右から左に動かしたことで生じる利鞘は、基本的には“正”だとはおもう。ただ、証券(特に株式)の根本的な性格は、自分で事業をする能力はないが金だけはもっているポンコツが、その資金を有効活用するために、事業のアイデアをもっている人に活用してもらうというものである。その根本原則に従うならば、せめて株式は1会計年度は保持して、1回以上の株主総会を経なければいけない。それより短く売買して得た利益については、税金を増額すべきだと、個人的には思っている。だから、優良株は時間をかけて育つと教えるバドの直属の上司の意見には強く同意する(そういうキャラが配置されていること自体、とても巧みな脚本だと思うのね)。
資本主義は、周囲の人間に施しをして正等な対価を貰うというのが基本原則。ただ、金欲しさに、周りが金を払ってくれるような行為をすることも、周囲への施しを表面的に同じに見える…というのが、資本主義が発展した重要ポイント。つまり強欲でも社会が発展する仕組みになっているということだ。でも、周囲への施しと強欲ゆえの行動は、完全にイコールではない。似ているだけで、後者はその強欲によって次第に周囲を不幸にする。貧しいけれど、それが判っているバドの父親。それがわからない息子への感情を考えると、なかなか泣かせられる(日本にはこういう“父親”がいっぱいいるがゆえに、いまの繁栄がある。そう思うのね)。
それにしても、「欲ってのは毒にも薬にもなる。その分水嶺は中道(ほどほど)だよ…」って答えをとっくの昔に出している仏教の優位性よ…。
バドは、かすかに残っている人としての心を完全に捨ててしまうのか否か?ブルースターの従業員たちは本当に路頭に迷うことになるのか?これらが、Greed(強欲)を大罪と定義している宗教の国で、繰り広げられているというのが、実に愉しい。人間の強欲をスピード感溢れる展開で表現した名作。超お薦め。
#ただ、私がレンタルしたDVDの、音声のノイズゲートのかけ方がものすごく耳障りで、残念極まりない。
アメリカでは本作を観て、ゲッコーに憧れて、トレーダーの世界に入った人間が多いと聞く。なんで、これをみてゲッコーに憧れるかなぁ?忌み嫌うべき人種だと思うのだが。やっぱり、アメリカ人は“自由”の意味を履き違えてる馬鹿が多いな…と思う。
今のアメリカやヨーロッパの経済的凋落を見ていると、単に強欲の果てに富の再分配に失敗した国家群にしか見えない。そんな国の経済学者たちが、失われた20年だ何だと日本を蔑んでいたのが実にアホらしい(腹を切るべき経済学者だらけだな)。これは、国家(というか市場)を構成する、人間のベース部分の問題に起因することなので、10年やそこらでは解消しないだろう。すくなくとも、アメリカやヨーロッパが浮上することは60年くらいはないと思う。日本はこつこつと独自路線を進むべし。そう強く感じる作品である。
#さて、続編はいかがなものかな…
負けるな日本
公開年:2010年
公開国:アメリカ
時 間:98分
監 督:ソフィア・コッポラ
出 演:スティーヴン・ドーフ、エル・ファニング、クリス・ポンティアス、ララ・スロートマン、クリスティーナ・シャノン、カリサ・シャノン、アマンダ・アンカ、エミリー・ケンパー、ミシェル・モナハン、ベニチオ・デル・トロ 他
受 賞:【2010年/第67回ヴェネチア国際映画祭】金獅子賞(ソフィア・コッポラ)
コピー: どうしてだろう、娘との時間が美しいのは。
ハリウッドの映画スターであるジョニーは、ホテル暮らしで、毎日パーティの繰り返し。高級車を乗り回し酒と女に明け暮れる派手な日々を送っていた。そんな彼には、別れた妻との間に娘がおり、たまに預かって親子のひとときを過ごしていた。ある日、突然、娘が彼の部屋を訪れる。前妻に電話すると、突然家を空ける用事ができたので、娘をしばらく預かって欲しいという。しかし、彼は仕事でイタリアに行かねばならない。ジョニーはやむを得ず娘と一緒にイタリアへいくことに…というストーリー。
まあ、たしかにソフィア・コッポラらしい作品なんだけど、まるで実験映画だよね、コレ。
映画スターに別れた妻との間に娘がいて、突然に娘を預けられちゃうんだけど、仕方が無いから仕事に連れて行くしかなくって、久々に娘とずっとすごしたらすんげー楽しいなぁ…って、ストーリーとしては、本当に上のあらすじ以上の内容はないの。
で、もちろん観ている側としては、まさかそんな何の事件も発生せずに終わるわけがないって思うでしょ。所々に、なにか不安を予期させるような音楽が流れたり、不穏な空気が漂うなカットがあったりする。お!と身構えるでしょ。でも何もないの。だけど、その音楽や映像がいい感じなもんで、身構えたままスカされても、「お、、おぉ、、そうか…」みたいな不思議な感覚で次に移るのね。
何、この寸止めの連続。いやいや、そうとはいえどもやっぱり最後までには何かあるでしょ…と最後まで見続けるでしょ。でも、やっぱり何も無いのよー。
#この映画でおこる最大の事件は、“娘を押し付けられる”ってそれだけだった。
男はどこかの荒野を走る道にフェラーリを乗り捨てて、どこかに向かって歩いていく。そんなラストなんだけど、私はこれを判った気になって「すごいラストだ!」なんてことは言えないなぁ。正直に告白すると、何を言いたいのかよくわからなかった(主人公は真に大事なものに気づいて、前向きに行動しようとしているのか、それこそ死んでもいいやくらいの後ろ向きな気持ちになっているのかも、私には判断がつかない)。
正直、映像も音楽もいつものソフィア・コッポラのセンスで、認める。淡々と過ごす様子を描きながら、主人公の“影”みたいなものを通じて、人の心の機微を浮かび上がらせる。そういう点では良く描けていると思う(悪く言えば、また外国で異邦人感覚を味わっている主人公が、何か感じちゃってるのね…って既視感はある)。
だけどね、満たされているようで実は全然満たされていないことを確信した男が、本当に必要なものに気づいて歩きはじめる…って、これを観て「いやぁ…わかるわー」なんて思えるのって、そこそこセレブな人だけなんじゃないの?ヴェネチア映画祭の選考委員が、満たされた末の空虚感を味わえるような、贅沢病の人たちなんでしょ。一般の人はいまいち伝わらないと思うんだけどね。
オークションにかけられた、現代アート作品が、庶民にはとても理解できない金額で落札されたのを見た感覚。そうだな、村上隆のフィギュアが16億で落札されたニュースで見て、「いや、別にいいけどさ…、そんな価値あるか?」って感じになったのと同じ感覚だわ。別にお薦めはしない。
#ヴェネチアもカンヌ化してるんじゃね?
負けるな日本
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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