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公開年:1972年
公開国:イタリア、イギリス
時 間:121分
監 督:フランコ・ゼフィレッリ、ジュディ・ボーカー
出 演:グラハム・フォークナー、アレック・ギネス、リー・ローソン、グレアム・フォークナー、ジュディ・バウカー、ヴァレンティナ・コルテーゼ、ジュディ・ボーカー 他
受 賞:【2009年/第30回ラジー賞】ワースト作品賞、ワースト監督賞(マイケル・ベイ)、ワースト脚本賞(アーレン・クルーガー、ロベルト・オーチー、アレックス・カーツマン)
12世紀イタリアのアッシジ。染め織物で財を成した商人の御曹司フランチェスコは、何不自由ない生活をおくっていたが、名声のために騎士になろうと思い立ち戦争に参加する。しかし、捕虜となり、さらに病気にかかるなどしたため家に戻り療養する日々。療養の中で、これまでの自分を振り返り改心が始まり、ついには信仰に目覚め何もかも捨てての伝道生活に入っていくのだったが…というストーリー。
修道会のフランシスコ会の創設者で、聖人の列せられており、カトリック信徒ならば随喜の涙を流すような人物。カトリックの歴史において、その後の法王選出システムの礎となるなど、重要なポイントでもある。でも、実話ではあるのだが、予備知識もなにもなければ、まるでフィクションか?と感じるような演出が多々ある(歌とか)。日本で言えば鎌倉時代という古い話だし、端はしの描写が史実かどうかが甚だ怪しい上に、そもそも史実に則ろうという製作姿勢があまり見られないのが、その理由だと思う。そういう意味では、本作の描写を史実であると素直に受け取ってしまう可能性も高く、注意が必要な作品といえる。簡単にいってしまえば、フランシスコ会の賛美をしようという意図が強い映画ということ。
では、カトリックではない人間は愉しめないかというと、そうともいえない。私はクリスチャンではないので、彼らの行動が正しいとも思わないし、もちろん神々しいとも思わないが、既存の宗教組織や常識に抗う姿を、「これからどうなっちゃうの?」とハラハラする場面もあれば、そりゃああんたらやられて当然だろうさ…と思う場面などもあり、飽きることはなかった。
見も蓋もない言い方をしてしまえば、放蕩息子が神様に目覚めて家族に不義理をする話なんだけど、観ている最中、これって何か仏法説話みたいだ…と思えて仕方がなかった。老人や病人や人の死に接して開眼してしまうとか、裕福な両親のスネをかじっていたポンコツ息子が、ある日、つらっと「わたくし目覚めましたわ!」とか(悪人正機説かいな)。それに、フランチェスコは、修道会と一般信徒の会と、僧と信者の組織を分け、それぞれが別の会則で運営される。本作でフランチェスコが言うように、人のすべてが結婚しなければ人類は滅んでしまうわけで、キリストのような厳しい戒律は修道会にのみ適用されるのだが、仏教における僧と在家の関係に非常に似ているなどなど…。巨大宗教成立の過渡期に見られる共通性というのが、非常に面白く感じる。
フランチェスコは、突然に家財を放り投げ「富があるからいけない」と叫び、親を非難し、出家するのだが、この時点では市井の人も富を捨てろといっている。過度の資産の蓄積を罪悪とするのは、案外、資本主義の原則に則っていて問題がないのだが、問題は適切な富と悪い富の境目はどのへんなのか?という点がぼやんとしているのである。僧たちは清貧を気取っていればよいのだが、市民もそれを行えと?結婚についての見解もそうだったが、彼は市民にそこまでも求めては無いはずである。では?と考えると、非常の面白い。その後、彼らは街から離れた場所にコミューンをつくるのである。つまり必要最低限の財産は共有するということ。これは共産主義がキリスト教の一派であるという指摘を証明してはいないだろうか。
で、ネタバレだけど。
最終的に法王までが彼らの行動に感動して、承認を与えるわけだけど、これを理路整然と否定できなかったことこそ、カトリックから資本主義が生まれない括弧たる理由なのである。私のような異教徒から見れば、穀潰しのガキが突然もっともらしいことを思いついて、その世間知らずっぷりを発揮して、もっともらしい意見でやりきってしまったというコメディにしか見えないのだけれど。
とにかく、清貧というなんとなくの美名に踊らされるのは罪である。むしろ富を悪と見るということは、富に力があることは認めておきながら、その力が何なのか、その力を正しく利用する方法はないのか?ということを、はじめっから放棄するという非科学的な行為の他ならない(カトリックは非科学の先鋭だから、こうなるのはもっともなのだが…)。その短絡的なロジックは、”マンガは教育に悪影響!”と同じレベルであり、思想的な深みや思慮に著しく欠けていると私は思う。
偏見でもなんでもなく、これを観て素直に感動できちゃう人て、私にとってはちょっとお付き合いしにくい人かもしれないな…、などと、なかなか考えさせられた映画であった。おもしろいよ!とお薦めは絶対にしないけど、世界には様々な考え方の人がいるということを肝に銘じるには、適した映画かも。
公開年:2008年
公開国:アメリカ
時 間:105分
監 督:ジョン・パトリック・シャンリー
出 演:メリル・ストリープ、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムス、ヴィオラ・デイヴィス、アリス・ドラモンド、オードリー・ニーナン、スーザン・ブロンマート、キャリー・プレストン、ジョン・コステロー、ロイド・クレイ・ブラウン、ジョセフ・フォスター二世、ブリジット・ミーガン・クラーク 他
受 賞:【2008年/第14回放送映画批評家協会賞】主演女優賞(メリル・ストリープ)
コピー:神聖なはずのカトリック学校で、何が起こったのか?
1964年。ブロンクスにあるカトリック学校では、厳格な校長シスター・アロイシアスと、進歩的で生徒からの人気も高いフリン神父の開かれた校風にしていくべきとの考え方が対立していた。そんなある日、新人教師のシスター・ジェイムズは唯一の黒人生徒ドナルドを呼び出したフリン神父の行動を不審に思い、シスター・アロイシアスに相談する。シスター・アロイシアスは2人が不適切な関係なのではないかと疑い、フリン神父を厳しく問い詰めるが、フリン神父はきっぱりと否定。当初は、シスター・アロイアスの相談をもちかけたシスター・ジェイムスも、あまりの独善的なシスター・アロイアスの態度に、逆に不信感を抱いてしまい…というストーリー。
他のDVDに含まれていた予告CMで、非常に興味がわいてレンタルしたのだが、どうにもこうにも。結局、事件の真相がうやむやなことが、非常にもやもやして気持ち悪い。観終わったあとのモヤモヤ加減は、『隠された記憶』と同レベル。
カトリック組織の性質としてうやむやな結末になることは予測できているのだが、シスター・アロイシアスはそれをふくめて我慢ならず抗っているのだ…という方向性を明確に示すべきだったと思う。しかし、シスターと神父のどっちが“ダウト”なのかというポイントに焦点を当ててしまっており、そのために両者がイケ好かない共感の得られないキャラクターに描かれている。さらに、そうしているのも関わらず、最終的にどちらが“ダウト”か判然とさせないので、ただただイライラが募って不快にすらなる。
そちらがダメならば、ケネディ暗殺後の社会の不穏な雰囲気や、神学校始まって以来の黒人生徒とか、そしてその家族が抱える問題とかを、きちんとブレずに演出できていれば、非常におもしろくなったかもしれない。しかし、それら要素は、ただただちりばめられたにすぎない。
これは監督の力不足以外の何者でもなかろう。メリル・ストリープ、フィリップ・シーモア・ホフマンを使ってまでしてもったいないというか、二人にかろうじて救われたというか、わたしならはずかしくて監督ヅラなでできないくらいだ。
メリル・ストリープ、フィリップ・シーモア・ホフマンが多数のノミネートをうけているのに、作品賞や監督賞やその他技術賞も一切ないという点をみても、社会の評価も同様ということだろう。
…と、調べてみると、原作戯曲の作者が自ら監督をやっているんだね。あまりセンスがよろしくないので、もう止めたほうがいい。まるで、上質のトリュフとフォアグラをつかって、家庭料理をつくっちゃたみたいな仕事だもの。
それとも、カトリック社会にいればおもしろく感じるとか?9.11後のアメリカ社会の雰囲気の中なら愉しめた?それはないと思うし、そうだとしても、ここは日本なので。作品としては不完全燃焼の極み(それも、ジェット燃料と液体水素をつかったのに、うまく燃えなかったというくらい)なので、お薦めしない。
公開年:1987年
公開国:西ドイツ、フランス
時 間:128分
監 督:ヴィム・ヴェンダース
出 演:ブルーノ・ガンツ、ソルヴェーグ・ドマルタン、オットー・ザンダー、クルト・ボウワ、ピーター・フォーク 他
受 賞:【1987年/第40回カンヌ国際映画祭】監督賞(ヴィム・ヴェンダース)
【1988年/第23回全米批評家協会賞】撮影賞(アンリ・アルカン)
【1988年/第54回NY批評家協会賞】撮影賞(アンリ・アルカン)
【1988年/第14回LA批評家協会賞】外国映画賞、撮影賞(アンリ・アルカン)
【1988年/第1回ヨーロッパ映画賞】監督賞(ヴィム・ヴェンダース)、助演男優賞(クルト・ボウワ)
【1988年/第4回インディペンデント・スピリット賞】外国映画賞(ヴィム・ヴェンダース)
【1988年/第31回ブルーリボン賞】外国作品賞
天使たちには、下界の人々の心の声が聞こえる。ふらりと人の傍らをめぐる天使ダミエルは、サーカスの空中ブランコ乗りのマリオンに恋をしてしまう。そして、「だれかを愛したい」という彼女の心の声に、心が動揺してしまう。そんな中、サーカス団は経営難により解散することが決定し、窮するマリオンを手助けしたいという気持ちはますます高まっていく。しかし、人を愛してしまうと、天使は天使であることを止めねばならなくなる。どうすればいいか悩むダミエルに、撮影のためベルリンを訪れていたピーター・フォーク本人が、見えないはずの彼に話しかけてきて…というストーリー。
はじめに説明しておくが、終盤になるまで、『シティ・オブ・エンジェル』のリメイク元であることに気づかなかった。まったく知らずに、ただ「名前は知ってるけど、そういえば未見だな…」と思って借りただけである。
観はじめたものの、私が人生の中で観た数々の映画の中で、一番寝たと思う。観よう観ようと努力したのに、催眠術を掛けられたように気絶した。体調の問題ではない。白黒の画調。ボソボソとした天使の口調(天使なのに呪文を唱えているようである)。淡々と人間を観察する様子の繰り返し。引きの画だといまいち区別のつかない天使たち。個々のシーンが特別凡庸というわけではないのだが、展開自体に刺激が少なく、残り40分までに何回気絶したかしれない。目を覚ます度に記憶のあるところまで巻き戻す(実は、あまりに断片的すぎるので、一度はじめから見直している。観終るまでに3時間は費やしていると思う。
以下、ネタバレ。
で、天使が落下して人間になったあたりで既視感に襲われ、マリオンと接触しようと試みたあたりで、『シティ・オブ・エンジェル』に気づいた。しかし、その時点の残り40分未満。それまでは、いつまでこのノロノロ行進が続くのか…と、我慢の限界にきていた。ところが、人間になって、ピーター・フォークが元天使だと判ったあたりから急激に、ストーリーに吸い込まれる。突き進む恋の行方から目が話せなくなってしまう。
でも、正直にいうと不満は多い。前半でもところどころカラーになるが、その意味がよくわからない。おそらく恋の感情が沸いて人間に近づいたために、色覚が宿ったってことなんだろうけど、でも人間になる条件は恋をすることではなくって、落下しなくてはいけない。人間になる手順が2つあるということ?それとも、ただ恋をするだけだと、人間になるのではなく消滅する?じゃあ、消滅したくないから人間に?(それは違うよね)
とにかく、天使でいる間のシーンに刺激がなさすぎるのは、何とかならなかったものか。聞こえてくる人間の声も、あまりにも善良だし、そこから何を感じ取ればいいのか、さっぱりわからない。マリオンの悩みというのも、あまりにさらっとしていて、確かに手を差し伸べたくなるな…という共感も得られない。ダミエルもマリオンもさほどすぐれた容姿ではなく、恋をするのもさもありなんとは思わないし。
評価が高い撮影技術についても、あまり関心しない。黒澤明だったら、補光を当てまくって天使の影は一生懸命消していただろう。少なくともただの人間と遜色のない映像にはしなかったと思う。ただ、ストーリー着眼点や天使の目を通した人間の素晴らしさなど、簡単にスルーするにはもったいない輝きがあるのは事実だし、素人の私でも、もうちょっと構成の配分を工夫すれば、こんなに眠くなく、終盤の感動を全体に及ばすことができるはず!と、リメイクしたくなる気持ちはよく判る。
光るものは感じるが、最終的に催眠光線であることには違いない。やっぱりカンヌが評価するような、もっともらしいだけの芸術の域は出ていないかな。世に中がいかに名作と評価しようが、残りの人生で本作をもう一度観ることは、まあ無いだろう。不眠症になったら処方するかも。
#明日は、続けて『シティ・オブ・エンジェル』を観て、比較してみようと思う。
公開年:1999年
公開国:アメリカ
時 間:122分
監 督:サム・メンデス
出 演:ケビン・スペイシー、アネット・ベニング、ソーラ・バーチ、ミーナ・スバーリ、クリス・クーパー、ウェス・ベントレー、ピーター・ギャラガー、ウェス・ベントリー 他
受 賞:【1999年/第72回アカデミー賞】作品賞、主演男優賞(ケヴィン・スペイシー)、監督賞(サム・メンデス)、脚本賞(アラン・ボール)、撮影賞(コンラッド・L・ホール)
【1999年/第34回全米批評家協会賞】撮影賞(コンラッド・L・ホール)
【1999年/第25回LA批評家協会賞】監督賞(サム・メンデス)
【1999年/第57回ゴールデン・グローブ】作品賞[ドラマ]、監督賞(サム・メンデス)、脚本賞(アラン・ボール)
【1999年/第53回英国アカデミー賞】作品賞、主演男優賞(ケヴィン・スペイシー)、主演女優賞(アネット・ベニング)、作曲賞[アンソニー・アスクィス映画音楽賞](トーマス・ニューマン)、撮影賞(コンラッド・ホール)、編集賞
【1999年/第5回放送映画批評家協会賞】作品賞、監督賞(サム・メンデス)、オリジナル脚本賞(アラン・ボール)
コピー:それぞれが夢見たBEAUTYが壊れるとき…
シカゴ郊外に住むバーナム家は、広告代理店に勤務する夢も希望も失っている夫・レスターと、不動産業で成功することしか頭にない見栄っ張りの妻・キャロライン、両親のことを嫌っている典型的なティーンエイジャーの娘・ジェーンの3人暮らし。ある日、レスターは娘のチアリーディングを見に行って、娘の友達のアンジェラに恋をしてしまう。さらに、隣家に新しい住人が越してきた事で、夫のあきらめでかろうじて均衡を保っていた家族が徐々に崩れ初め…というストーリー。
『普通の人々』を観て、なぜか本作を観たくなった。平凡に見えるアメリカ家庭に潜むいびつさが、ある事件をきっかけに露呈されていく…という過程は、時代こそ違えどアプローチはほぼ同じ。そして、どちらもオスカー作品賞。むしろ、『普通の人々』を受けてのアンサーソング…ならぬアンサームービーって感じなのかもしれない。
そういうことなら、日本だって『家族ゲーム』とかアンサームービーをつくってみると面白そうなものが結構あるから、倣えばいいと思う。製作意義のいまいちよくわからない名作のリメイクばっかやらないでね。
今回は二度目の鑑賞なのだが、『普通の人々』を観てからのせいか、全然印象が違った。私のモノの見方が浅かったのか、経験不足だったせいなのか、前は各キャラの行動も出来事もあまりに現実離れしてピンとこなかったのに、今改めて観ると、なぜか何の違和感も非現実感もない。それどころか、ケビン・スペイシー演じる主人公のレスターにシンパシーをすら感じるほどである。10年で私もエラく変わったものだと強く感じざるを得ない。成長したにか世ズレしたのか単にくたびれただけなのか…。う~ん。
色々な角度からアメリカの歪みを表現しているが、サム・メンデスがイギリス人監督なので客観的に分析できているためだろうか、とにかく切り口が容赦ない。
一応、ネタバレ中尉。いや注意。
特に私が興味深かったのは、隣家の軍人あがりのお父さんがゲイ嫌いなのは実は自分がゲイだから…ってギミック。前にも言ったが、アメリカがなぜ社会主義が嫌いなのか?それは、自分達が社会主義にどっぷりはまってしまう素養があって恐れているから…という自論。まさに、このロジックとぴったりはまっていて痛快である。
もしかすると、本作は観るたびに何か新たなことに気付くような、ステキな映画なのかもしれない。『ブーリン家の姉妹』→『エリザベス』に続いて、『普通の人々』→『アメリカン・ビューティー』というワンセットを強くお薦めする。もう、本作は観たよ…、という人も、是非観直してほしい(それが昔であるならなおさら)。絶対、新たな発見があるはず。強くお薦め。
#時代は変われど、両作を観る限りにおいては、家庭を台無しにする一番の原因は、もっともらしいことを言ってはいるがクソみたいな自己顕示欲しか発揮できないバカ妻だ…ってことになるけど(まあ、本作を観た限りだから(笑))。
公開年:2007年
公開国:アメリカ
時 間:160分
監 督:アンドリュー・ドミニク
出 演:ブラッド・ピット、ケイシー・アフレック、サム・シェパード、メアリー=ルイーズ・パーカー、ジェレミー・レナー、ポール・シュナイダー、ズーイー・デシャネル、サム・ロックウェル、ギャレット・ディラハント、アリソン・エリオット、マイケル・パークス、テッド・レヴィン、カイリン・シー、マイケル・コープマン、ヒュー・ロス 他
受 賞:【2007年/第64回ヴェネチア国際映画祭】男優賞(ブラッド・ピット)
【2007年/第42回全米批評家協会賞】助演男優賞(ケイシー・アフレック)
コピー:あこがれて こがれて、心がつぶれた。
南北戦争後、強盗団を率いて悪事の限りを尽くしたジェシー・ジェームズだったが、戦勝軍の北軍側政府に不満を持つ南部の人々からは、抵抗のシンボルとして英雄視されていた。逃亡生活が15年ほど続いたころ、ジェシーは兄フランクと列車強盗を計画していたが、彼らの前に、強盗団メンバーのチャーリーの弟ロバート・フォードが現われ、仲間に加えてほしいと申し出る。ロバートはジェシーを人一倍崇拝していたが、フランクは小心者の青年を相手にしなかった。しかし、何故か、ジェシーは一存で仲間に迎え入れ…というストーリー。
『パブリック・エネミーズ』の主人公である銀行強盗犯ジョン・デリンジャーと同様で、日本人には馴染みのない人物(あ、本作は実話ベースね)。ジョン・デリンジャーは犯罪者でありながら、銀行強盗をする時に現場にいた客の金に手を付けなかったということで、民衆からは人気があったらしいが、本作のジェシー・ジェームズも同様だった模様。かなり悪質な犯罪者にしか見えないのだが、国家やら企業やら権力者に対抗したり、民衆に牙を向かないちょっとしたエピソードがあると、簡単に英雄視するところまでいってしまうアメリカの民衆の心理が、イマイチ理解できない。日本でもねずみ小僧を義賊扱いした例はあるけれど、弱者に金を配ったってエピソードは作り話だからねえ…。
しかし、『パブリック・エネミーズ』と本作を観て、アメリカ人がなんで社会主義を病原菌のように忌み嫌うのか、わかった気がする(全然関係ないように見えるけど)。大金持ちの企業や銀行を相手にして、国家権力の象徴である警察をあざ笑うようにして捕まらない、そんな注目に値する犯罪者がいるとしよう。もし民衆が金持ちや国家に対して不満を持っていたとすれば、“敵の敵は味方”理論で、民衆は犯罪者を味方として感じてしまう。でも、普通はそこで、「とはいえ、犯罪者でしょ」というストッパーがかかり英雄視するまではいかない。しかし、さらに、民衆に対してやさしく振舞う行動が噂されると、そこで“義賊だ”となって、リミッターが解除されてしまう。
客観的に見れば“犯罪者というカテゴリー”の中では上位なのかもしれないが、社会全体からみれば犯罪者以外のなにものでもないのに、犯罪者カテゴリ内の相対的な比較が、社会的評価にそのままシフト(というか倒錯)してしまうのだ。違う見方をすれば、狭いコミュニティの中で上下関係をつけて人間的価値観を決めたがる性向であるといえる。自分の価値を高めるには、他者との差を明確にする必要があるわけだが、差をつけるために自分の方を高めるならいいのだが、他者のアラをさがしておとしめることもあるわけだ。さきほどの犯罪者の上下評価が、社会的評価に簡単に倒錯されてしまう社会の場合、ちょっとした出自・門地・肉体的欠陥・失敗などによる狭いコミュニティ内のマイナス評価が、社会的評価に反映されるといいことになる。
共産主義世界や日本の過激派での内ゲバに見られたような、そういうことが社会全体で発生しやすい土壌が、アメリカにはあるということなのだ。元々そういう性向であることを無意識に感じているので、社会主義を異様なまでに忌避するわけである。そして、他者との優位性を勝ち取りたい場合には、相手を貶めるのではなく、自分がのし上がりなさい。そう、アメリカン・ドリームを賞賛する社会になる。そういう流れになった…私はそう見る。
しかし、その弊害で、健康保険制度を導入しようとするだけで社会主義的発想だ!っていう批判がおこり、その批判にまともに反論できない社会になっているのは、『シッコ』のとおりである。
閑話休題。
ジェシー・ジェームズ自体を知らない私たちには、ピンと来ないのはもちろん、人物の相関関係も煩雑。さらに尺も長いときているので、半分の人はつまらないと感じると思う。やはり、逃走劇が終幕するまでと、その後日譚とで、ストーリーの焦点がまったく別なので、せめて時間的な配分を同じ分量にすべきだと思うのだが、それはブラッド・ピットとケイシー・アフレックの格の違いのせいなのか。いずれにせよ、バランスの悪さは否めない。
ただ、カメラワークや画質の色味など、なんともいえない独特の雰囲気が醸し出されており、雰囲気を愉しむことがはできるし、ブラッド・ピットもケイシー・アフレックも受賞していることから判るように、演技の面で問題はなし。この二人だけでなく、各俳優が総じてよいデキなのは救いである。
最終的におもしろいと感じるかどうかの差は生じるとも思うが、途中で投げ出したくなる人は少ないと思う良作だと思う。でも、秀作とは言えない。
公開年:1980年
公開国:アメリカ
時 間:124分
監 督:ロバート・レッドフォード
出 演:ドナルド・サザーランド、メアリー・タイラー・ムーア、ティモシー・ハットン、ジャド・ハーシュ、エリザベス・マクガヴァン、M・エメット・ウォルシュ、ダイナ・マノフ、ジェームズ・B・シッキング、アダム・ボールドウィン、フレドリック・レーン 他
受 賞:【1980年/第53回アカデミー賞】作品賞、助演男優賞(ティモシー・ハットン、ジャド・ハーシュ)、監督賞(ロバート・レッドフォード)、脚色賞(アルヴィン・サージェント)
【1980年/第46回NY批評家協会賞】作品賞
【1980年/第6回LA批評家協会賞】助演男優賞(ティモシー・ハットン)
【1980年/第38回ゴールデン・グローブ】作品賞[ドラマ]、女優賞[ドラマ](メアリー・タイラー・ムーア)、助演男優賞(ティモシー・ハットン)、監督賞(ロバート・レッドフォード)、新人男優賞(ティモシー・ハットン)
有能な弁護士であるカルヴィン・ジャレットはは、妻ベスと17歳の息子コンラッドとの3人暮らし。幸せそうに見える家族だったが、コンラッドの兄であるバックを湖の事故で亡くしており、助かったコンラッドも罪悪感から自殺未遂をおこし、精神病院に入院していた。その後、コンラッドはハイスクールの水泳部に所属し、聖歌隊にも入っているが、時々悪夢にうなされ精神科医の治療を受けており、家族にはぎくしゃくとした空気が流れていた…というストーリー。
大学で心理学の授業をとっていた人ならば、結構はじめの方で、この家庭の一番の問題が誰なのか見えてくるはず。まるで心理学の教材みたいな映画(もちろんレッドフォードは、そのつもりで作ったわけではない)。
湖の事故は普通の出来事ではないが、それを通して“普通の人々”の心の割れ目に光りを当てて、深い闇を浮き彫りする。どんな中の上くらいの家庭でも、このくらいの心の闇があるのが、今は“普通”だよねというレッドフォードの視点と、それを初監督作品にしてここまで練り上げてしまった彼のと力量は大したもの…としかいいようがない。敬服。
なんとも心苦しくさせるのは、母親ベスのような人間が、実際に多いということ。目を背けたいことをもっともらしい雄弁によって回避して、その行為が他人を傷つけていようとも悪びれもしない。このような人間がいかに家庭や社会に害悪を振りまいているか。そして悲しいかな、これまでのひずみが正しい方に向かったとしても、絵に書いたような幸せな状況になることはなく、本作のように傷は傷として受け止めねばならない。これもまさに事実である。
本作にリアリティがないとのたまう人は少なくないが、壊れたブロックをはめるようには修復できず、かさぶたで覆うようにしか乗り越えることはできない。現実はこんなもんである(おまえに何がわかるといわれそうだが、そうなのだから仕方が無い)。
本作で一番の演技は、やはりそのべス役のメアリー・タイラー・ムーアである。あの現実から一瞬にして逃避する目線の演技は、よく研究されており、実に白眉である(ワタシが心理学の教材という所以はここにある)。
まあ、確かに重い内容ではあるのだが、最後には何ともいえない、他の映画では味わえない清清しさ(というのが正しいかどうか微妙だけど)を得られると思う。先日の『7つの贈り物』とは違った角度で、生きることについて考えさせてくれる作品(いや、ホントにドロドロはしていないから)。お薦めする。
#久々に『アメリカン・ビューティー』も観なおしたくなってきた。
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さて、本日で本ブログも365日目に。
1日1本映画をみて感想を書こう!って思いつきではじめたのだけれど、本当に毎日1本観れるなんて(まあ、0時をまたいで観終わったり、途中でやめたのを続きから観たりとか、記事のアップが遅れたりとかはあったけど)。
よく考えれば、大きな風邪をひくこともなく1年をすごせた証拠。すばらしい。
はじめは、だれも読んでくれないだろうけど、こつこつ書こうって思っていて、実際にだれも読みにこなかったけれど、いまとなっては1日平均3人は見てくれている。少ないって思うかもしれないけれど、それでもうれしい。
さて、500日、1000日と続くのかしら。どうだろうね。
#たまにはコメントいただけるとありがたいです。
公開年:2008年
公開国:アメリカ
時 間:123分
監 督:ガブリエレ・ムッチーノ
出 演:ウィル・スミス、ロザリオ・ドーソン、マイケル・イーリー、バリー・ペッパー、ウディ・ハレルソン、エルピディア・カリーロ、ロビン・リー、ジョー・ヌネズ、ビル・スミトロヴィッチ、ティム・ケルハー、ジーナ・ヘクト、アンディ・ミルダー、サラ・ジェーン・モリス、マディソン・ペティス、ジュディアン・エルダー、オクタヴィア・スペンサー、ジャック・ヤング、コナー・クルーズ 他
コピー:あなたなら、受け取れますか?
彼は【ある計画】を進めていた。7人の他人を選ぶ。そして、彼らの人生を変える。何のために──?
税務局員のベンは、税を滞納している人達などに接触し、彼らが正しい人間かどうかを調査していた。彼ら、互いに何の関係もない他人同士だったが、ベンには彼らを調べなければならない理由があったのだ。このベンの考えを知っているのは、ベンの親友の男ただ一人。彼は納得はできないが親友としてベンの願いを聞き入れることを承諾し、ベンの指示を待っている。そして、ベンの調査対象の一人である、余命幾ばくもない女性エミリーとの出会いが、ベンに大きな影響を及ぼしていく…というストーリー。
非常に宣伝しにくかったと思われる作品。配給会社の苦労が偲ばれる。ある意味『シックス・センス』と同様のネタバレ禁止な内容なのだが、『シックス・センス』の場合はホラー要素やサスペンス要素、且つ「ラストは言わないでねー」的なプロモーションができただろうけど、本作はそれはできない。私にこれを宣伝しろといわれたら、悩みに悩んで結局答えは出せない気がする。
はっきりいってしまうと、本作の世の中での評判は非常に悪い。しかし、ワタシはそうは思わない。「感動できなかった…」という人が多いのだが、これは感動させたい映画じゃないのに、何いってんの?とワタシは思うのだがいかがだろうか(もちろんワタシも感動はしていない)。
ジャケットやタイトルを観ると、なんとなくハートウォーミングムービー的な感じがしてしまうが(「感動できない」という人は、その先入観から抜け出せないだけ)、ストーリーは、まるでサスペンスや謎解きのように展開する。序盤から、話の筋が全く見えてこなくて、苛立ちを感じるくらい。徐々にピースがはまっていくが、そのペースは非常に遅く、ラスト近くになるまでベンの行動の理由は見えない。
そう、これは一つのサスペンスムービーとして捉えるのが正しいと思われる。この小出し加減と閉塞感を途切れることなく展開する技術は結構なものだと思う。私は好み。
以下、ネタバレ。
さきほども言ったが、これは感動してほしい作品ではなく、前向きな自殺というのは有り得るか?許せるか?贖罪のために自分の命を捧げることは許容されるか否か?という、問いかけをしている映画だと思う。
さて、これでも自殺したベンは天国にはいけませんか?とカトリックに問いたいが、教義的には「いけません」と返ってくるんだろうね。
個人的には、脳裏から片時も贖罪の念が離れず、生きていくことが困難になった場合(どうしても忘れられず、通常の生活をおくることが困難な場合はあるんだろう)、ワタシがこうなってしまったら、こういう前向きな死に方を選びたい。そう考えさせてくれる1本。
はじめたちょっとしたアイデアだったと思うんだけど、これをここまでの一作に仕上げたこと自体、個人的にものすごく評価したい。世の中の人が何と言おうが私はお薦めする。
公開年:2008年
公開国:アメリカ、イギリス
時 間:119分
監 督:サム・メンデス
出 演:レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ウィンスレット、キャシー・ベイツ、マイケル・シャノン、キャスリン・ハーン、デヴィッド・ハーバー、ゾーイ・カザン、ディラン・ベイカー、ジェイ・O・サンダース、リチャード・イーストン、マックス・ベイカー、マックス・カセラ、ライアン・シンプキンス、タイ・シンプキンス、キース・レディン 他
ノミネート:【2008年/第66回ゴールデン・グローブ】女優賞[ドラマ](ケイト・ウィンスレット)
コピー:それは──誰もが逃れられない<運命の愛>
あなたの最愛のひとはあなたを愛していますか──
1950年代。“レボリューショナリー・ロード”と名づけられた閑静な新興住宅街に暮らすウィーラー夫妻は、周囲からは理想のカップルに見えたが、当人は描いていた夢と現状のギャップに苦しんでいた。夫フランクは事務機器会社でのセールスマン人生のつまらなさを嘆き、女優の夢が叶わなかった妻エイプリルも主婦業に埋没する現状にいらだちを覚えていた。そんな中、突然エイプリルは、家族でパリに引っ越そうと持ちかけ、自分が働くからフランクは好きなことをすればいいと言う。突然の提案にはじめは戸惑ったフランクだったが、説得しても聞かない妻に押し切られながら、自分も希望を膨らませ同意してしまう。そして会社の同僚や近所の友人にそのことを告げるのだが…というストーリー。
世の中の映画というのは、大抵、これからこのハナシはおもしろくなるんだろうな…と予感させる事柄や伏線が並べられるものだ。ラッキーな場合はそれらが実を結びおもしろくなるし、多くは期待はずれに終わる。しかし、本作は、どう想像しても、これからおもしろくならないに違いない…ということばかりが並ぶ。並ぶ。並ぶ。
そして、本当におもしろくならないし、さほど盛り上がりもしないし、驚かせてくれるような展開もないのだ。
一体、この監督は、この映画を観た後、観客にどういう気持ちや考えになってほしいと思っていたのだろうか。ワタシにはおもんばかることすらできない。だって、こんなに観て損をしたと感じ、何の目的があって作られたのか理解できず、存在意義の感じられない映画は初めてだもの。
監督の周りに、気に喰わない不快な態度の女性がいて、その八つ当たりのために、女なんてのはヒステリックなだけでどうしようもねえ生き物だ!って揶揄したかったのだろうか。世の女どもは、多かれ少なかれ統合失調症の境界線上にいるといいたいのだろうか。
#いや、監督ではなく、脚本家の問題で、監督は雇われなのかもしれない。そうだったら監督すまん。
この映画を観たからといって、何か教訓や示唆を得られるわけでもないし、半面教師にすらならない。
追い討ちをかけるように、副題の“燃え尽きるまで”が、何がどう燃え尽きたのかさっぱりわからない。
もうしわけないが、これ以上、本作について何かを述べることができない。ケイト・ウィンスレットがゴールデン・グローブを獲っているが、作品自体にあまりに価値を見出せないので、とても評価できない。『17歳のカルテ』のアンジェリーナ・ジョリーとはわけが違う。
まったくもってお薦めできず。お昼の主婦の電話相談以下である。
公開年:2006年
公開国:アメリカ
時 間:96分
監 督:ロバート・アルトマン
出 演:メリル・ストリープ、リリー・トムリン、ギャリソン・キーラー、ケヴィン・クライン、リンジー・ローハン、ヴァージニア・マドセン、ジョン・C・ライリー、マーヤ・ルドルフ、ウディ・ハレルソン、トミー・リー・ジョーンズ、メアリールイーズ・バーク、L・Q・ジョーンズ、ロビン・ウィリアムズ 他
ノミネート:【2006年/第22回インディペンデント・スピリット賞】監督賞(ロバート・アルトマン)
コピー:最後のラジオショウが終わるとき、新しいドアが開く
ミネソタにあるフィッツジェラルド劇場では、長年にわたって土曜の夜にラジオの公開生中継が行われていた。いつものように出演者たちが楽屋入りするが、今日はいつもと違った雰囲気。実は、テキサスの大企業によってラジオ局が買収されてしまい、今日がが最後の放送だったのだ。しかし、司会者のキーラーはそのことを聴取者に切り出せずに番組は進行していき…というストーリー。
アルトマン監督の遺作なんだけど、なかなかの神々しさというか悟りというか、達観したレベルの人間による創作物だなと。もちろん本人はコレが最後になると思っていなかっただろうけど。簡単に言ってしまえば長寿番組の最終回での舞台と楽屋の出来事。タダそれだけなにに、まあ、魅せる魅せる。
役者陣の輝きがハンパない。メリル・ストリープ一人にもっていかれないように(本当にそう思っていたかはしらんけど)、もう、全員が与えられた役を、明日死ぬ!これが最後の仕事!ってくらい自分の能力を惜しみなく発揮。役者冥利に尽きる作品ってところだろう。その集合体が、アルトマン監督の遺作となったわけだから、そりゃあ神々しさすら感じるでしょうよ。この内容をここまで仕上げられたら、何をテーマに映画をつくったとしても、いいものになっちゃう。
気分転換の娯楽作品が観たい人にはお薦めしない。どっぷりと味のある作品を愉しみたい人、どうぞ。
#今、逆にこういうCMまで生放送の公開番組なんてやったらウケるだろうねー。
公開年:2007年
公開国:ハンガリー
時 間:107分
監 督:ガーボル・ロホニ
出 演:ユディット・シェル、エミル・ケレシュ、テリ・フェルディ、ゾルターン・シュミエド、エミル・ケレシュ、テリ・フェルディ、ユーディト・シェル、ゾルターン・シュミエド 他
コピー:ふたりならきっと明日を変えられる
社会主義だった1950年代のハンガリーで運命的に出会い、身分の差を越えて結ばれたエミルとヘディだったが、すっかり社会が変貌した現在では、年金暮らしの81歳と70歳の老夫婦。年金だけでは生活できずに借金を重ねるほど困窮していたが、とうとう二人の出会いのきっかけであるダイヤのイヤリングまでも借金のカタの取られることに。切羽詰ったエミルは愛車チャイカに乗り込み郵便局で強盗を決行。最初は当惑していたヘディだったが、警察の捜査をかいくぐり夫と合流し、二人は逃避行を続ける…というストーリー。
あまり見かけないハンガリー映画ということだが、意外に欧米のポピュラー映画然としたテイスト。老人版『俺たちに明日はない』という、直球な作品。
散々、社会主義的価値観を受け付けられてきて、その価値観は突然アノミー崩壊し、その後にやってきた資本主義が与えてくれたのは安い年金に借金暮らしで、TVのチャンネルをひねればミリオネアやってるって、一体なんなのよ!ていう、社会的に失うもののない二人は、老人とはいえども、まさににボニー&クライド。社会の反応を織り交ぜていくのも、同じ演出。
老人ゆえの滑稽さは、悲哀にも繋がり、なんとも言われぬ侘しさや純愛すらも滲み出てくる、深くはないけど味のある作品だなぁ…と思っていたのが、ラストで台無し。本当に台無し。
以下、ネタバレ含む。注意。
この監督は、ドンデン返しの演出で、してやったりのつもりかもしれないが、あまりに杜撰。はっきりとは言わないでおくけれど、ずっと同じRのカーブならいざ知らず、、爆発をさせるほどの速度であの曲がった道路を道なりに進ませることなんか、できるわけないだろう。バカじゃないだろうか。
だれか、それはありえないと思いますけど…と監督に助言することはできなかったのか。
おまけに、結局、老夫婦の真の目的が何なのかよくわからない。海の見えるところでの生活?闘病のための入院?なんなの?ひねりもウィットもカタルシスも何も生じない。本当に95%まで良作だっただけに、一気に駄作にまっしぐら。もったいないの極み。同じようにがっかりするに違いないので、お薦めしない。
ここまで残念な作品、なかなか無いよ(泣)。
公開年:2000年
公開国:イギリス
時 間:111分
監 督:スティーヴン・ダルドリー
出 演:ジェイミー・ベル、ジュリー・ウォルターズ、ゲイリー ルイス、ジーン・ヘイウッド、ジェイミー・ドラヴェン、スチュアート・ウェルズ、ジェイミー・ドレイヴン、ジーン・ヘイウッド、ゲアリー・ルイス 他
ノミネート:【2000年/第73回アカデミー賞】助演女優賞(ジュリー・ウォルターズ)、監督賞(スティーヴン・ダルドリー)、脚本賞(リー・ホール)
コピー:僕がバレエ・ダンサーを夢見てはいけないの?
11歳のビリーは炭坑労働者の父・兄・祖母との4人暮らし。ある日、父の炭鉱で行われているストの影響で、ビリーの通うボクシング教室の体育館にバレエ教室が移動してくる。ビリーは、ふとしたきっかけでバレーのレッスンに飛び入りしたが、バレエに特別な感覚を覚える。バレエの先生であるウィルキンソン夫人もビリーに才能を感じ、レッスンを勧めるのだが…。
本作は評判がすごく良いのだが、ワタシ的には至極普通の作品。別に悪い映画ではないが、この手のイギリス映画が多すぎて食傷しているのだと思う。この手とは、環境的に恵まれない主人公が、社会の既成概念と闘って乗り越えるというパターン。『フルモンティ』『キンキーブーツ』『カレンダー・ガールズ』等々。
社会主義的政策と停滞した経済を立て直すための自由主義経済政策とのせめぎ合いという、イギリスの歴史的な事情は理解する。しかし、こういう映画ばかり作られるのをみると、イギリスがいかに固定観念に凝り固まっている閉塞的な社会なのか…、国としての印象が非常に悪いね(実際どうなのかは知らないけれど)。
また、映画の手法としてもいかがなものかと思う点がいくつか。特に、ビリー自体について。
・男の子だ…という以上に、特別なバレエの才能があるようには見えない。
・その後も特別に成長しているように見えない。
・オーディションでバレーを踊っている時の気持ちを聞かれた時の答えがピンとこないし、あれが合格のキモになったとは思えない。
だから、先生や父親がビリーの才能について云々と言及しても、言うほどの才能が垣間見えないもので、“こんなに才能があるのに、なんで廻りは応援してあげられないだ!”という気持ちになれない。
で、主人公本人にさほど魅力(というか突破力)がないものだから、対処療法として、相対的に障壁である父や兄の無頼っぷりを増す演出になっているのだろうが、それも気に喰わない(というか、演出としては稚拙に思える)。
①ワタシような素人でも、ビリーには特別な才能があるのだな…と感じられるシーンを入れる
②本当にバレーが死ぬほど好きになっちゃったんだな…いうことを感じさせるシーンを入れる
これだけでも、かなり変わってくると思うのだが。
もう一度言うが、普通の作品。『キンキーブーツ』や『コーラス』の65%くらいとデキ思えばいいかと。お薦めしないわけではないが、高い期待は不要(と、あえて世の中の高評価な逆らってみた)。
公開年:2007年
公開国:アメリカ、イギリス
時 間:117分
監 督:シドニー・ルメット
出 演:フィリップ・シーモア・ホフマン、イーサン・ホーク、マリサ・トメイ、アルバート・フィニー、ブライアン・F・オバーン、ローズマリー・ハリス、マイケル・シャノン、エイミー・ライアン、サラ・リヴィングストン、アレクサ・パラディノ、ブレイン・ホートン、アリヤ・バレイキス 他
受 賞:【2009年/第33回ロサンゼルス映画批評家協会賞】助演女優賞(エイミー・ライアン)
【2009年/第28回ボストン映画批評家協会賞】キャスト賞
コピー:その瞬間、一つめの誤算。
日々の生活にも困窮する冴えない男ハンクは、離婚した元妻に娘の養育費すら払うことができない。そんな彼を見かねた兄のアンディは強盗計画を持ちかける。アンディは会計士として成功し贅沢な生活していたが、緊急に金を必要とする理由があった。その計画とは、実の両親が営む宝石店へ強盗に入ること。ためらうハンクだったが、店には保険が掛かっていて誰も傷つけないと言葉巧みに説得される。しかし、怖気づいたハンクは、実行犯を雇い自分は車で待機する役に。すると、宝石店から銃声があがり、雇った男が銃殺されたのを見て、逃走するハンクだったが…というストーリー。
“死んだことが悪魔に知られる前に、天国へ行けますように”っていう、いかにもキリスト教的な原題。実際は微塵も悪事をしたことのない人間なんかいないから、悪魔に気付かれる前に天国に到達しちゃおうっていう、半分ジョークみたいな言葉。これはキリスト教でもかなり古いというか厳格な考えがベースになっていて、この発想だと懺悔なんて意味を成さなくなるよね。
閑話休題。
ただ、『その土曜日、7時58分』ってインパクトが無さすぎというか、面白みのない題名。ワタシなら、あえて、直訳の長々としたタイトルのまま勝負するかな。
『十二人の怒れる男』『オリエント急行殺人事件』『デストラップ・死の罠』の監督さん。シェークスピア劇みたいな古典悲劇的内容で、玄人ウケしそうな内容。はじめは、フィリップ・シーモア・ホフマンとイーサン・ホークが兄弟っていくらなんでも…とか思ったけど、それも必要なファクターだったことが後でわかる。フラッシュバック的な手法も、単に奇を衒っているわけではなく、必然の演出。巧みというか老獪というか、しっかり練られていることがよくわかる。正直、プロット自体はさほど手が込んでいるとは思わないんだけど、脚本も構成も俳優もみんなうまくて、観てるこっちの心まで不安が溢れてくる、よいデキだと思う。
しかし、ある悪事が一つの誤算を引き金にガラガラと崩れていき、登場人物がテンパっていく…っていうと、コーエン兄弟が思い出される。軽妙さを兼ね備えるコーエン兄弟の作品と比較してしまうと、やはり古臭さは否めない。重苦しい空気をガス抜きする箇所もまったくない。この軽妙さの欠如がシェークスピア劇みたいに感じられる所以か。また、やろうと思えば舞台劇に転用できなくもない内容で、“映画”というメディアを生かしきっているとはいえない点も、古臭さを感じさせる理由かもしれない。
派手な作品や刺激的な作品に慣れてしまっている人にとっては物足りなさを感じるかもしれないが、及第点は超える内容だと思う。ちょっと落ち着いた作品を観たいときにはお薦めかも。
公開年:2001年
公開国:アメリカ
時 間:120分
監 督:イアン・ソフトリー
出 演:ケヴィン・スペイシー、ジェフ・ブリッジス、メアリー・マコーマック、アルフレ・ウッダード、デヴィッド・パトリック・ケリー、ソウル・ウィリアムズ、ピーター・ゲレッティ、セリア・ウェストン、アジャイ・ナイデゥ、コンチャータ・フェレル、キンバリー・スコット、ヴィンセント・ラレスカ、ブライアン・ホウ、ピーター・マローニー 他
コピー:パックス星からやって来たという謎の男 彼には人の心を癒す不思議な魅力があった…
ニューヨークの駅。不審な態度のために警察に連行されたプロートは、自らを1,000光年彼方のK-PAX星からやって来た異星人だと名乗ったため、精神病院に送致される。プロートの治療には精神科医のパウエルがあたったが、当初は単なる妄想症と判断していたが、落ち着いた言動や理路整然とした高度で緻密な説明に疑問を抱き始める。さらに、プロートは他の患者たちにも影響を与えはじめ、患者たちがみるみる回復していく…というストーリー。
SFでもあり、ミステリーでもあり、ファンタジーでもあり、ハートウォーミングムービーでもあり、様々な要素が盛り込まれているのだが、真実は何か?ということよりも、いったいどの要素の倒れるのか?という方に気が向いてしまう。『34丁目の奇蹟』と同じギミックだが、本作のほうが巧みかも。その巧みさの裏には、“悔いのないように前向きに人生をおくれよ”みたいな、実に優等生的なテーマは潜んでいると思う。それも悪くない。
一点だけ不満を言う。世の中では、プロートの正体が、精神を病んだ人だったと捉える人と、宇宙人だったと捕らえる人とまっぷたつに別れるようなのだが、K-PAX星の軌道についての説明がができてしまったのだから、悲しい過去を背負った妄想患者だとすると、辻褄が合わない。いくら星マニアだとしても、知りうる知識には限界はある。そうなると、やはり、悲しい親友の肉体を借りたK-PAX星人という結論しか導き出せなくなってしまうので、もうちょっと、宇宙の知識に関しては、想像力が旺盛な人ならば偶然当たらなくはないかも…という表現になるように工夫してほしかった。
本作はまったく受賞歴がない。2001年のオスカーは、作品賞も脚本賞も、確かにノミネート作はに粒揃いで、食い込むのは難しかったかもしれないが、決してヒケはとっていない。アメリカ人には、このハッキリしないふわっとしたオチを受け止められないだけのことだろう。現在のオスカーのように10作品ノミネート方式なら、間違いなく選ばれていたはず。傑作とまでは言わないが、隠れた秀作である。未見の方は、是非どうぞ。お薦めする。
公開年:2009年
公開国:アメリカ
時 間:108分
監 督:スティーブン・ソダーバーグ
出 演:マット・デイモン、スコット・バクラ、ジョエル・マクヘイル、メラニー・リンスキー、ルーカス・キャロル、エディ・ジェイミソン、ラスティ・シュウィマー、リック・オーヴァートン、トム・ウィルソン、クランシー・ブラウン、スコット・アツィット 他
ノミネート:【2009年/第67回ゴールデン・グローブ】男優賞[コメディ/ミュージカル](マット・デイモン)、音楽賞(マーヴィン・ハムリッシュ)
【2009年/第15回放送映画批評家協会賞】音楽賞(マーヴィン・ハムリッシュ)
コピー:ある企業内部告発者を描く本当にあった物語。
食品添加物製造大手のADMに勤めるマーク・ウィテカーは、工場で発生したウイルスによる損失の責任を追及される。彼はウイルスをばらまいたのは日本のライバル企業で、1000万ドル払えばやめると脅迫されたことを会社に報告。会社側は恐喝事件としてFBIに捜査を依頼する。これを受けてFBI捜査官がウィテカーに事情を聞くと、その事件とはまったく無関係の、ADMと世界中の企業による価格カルテルの存在を告発しはじめる。FBIは、ウィテカーを内部協力者(インフォーマント)として迎え、確たる証拠を掴むために潜入捜査を開始するが…というストーリー。
ソダーバーグ作品というだけで、どういう話なのかまったく予備知識を入れず、コピーすら知らずに鑑賞。やたら“味の素”だ“協和発酵”だ実名が出てくるので、薄々気付きはしたが、エンドロール前のテロップを見て、やっぱり実話だったかと認識。実際の談合事件が元になっているので、“味の素”も“協和発酵”も文句のいいようがないということだろう。
なにやら、大企業の不正という重いテーマなのに、思わず笑ってしまう憎めないキャラと評されたり、希代の詐欺師の映画といわれたりするのだが、そういった指摘は大きく的外れだろう。彼は単なるパラノイアだ。作中でも、パラノイアと妄想性人格障害の境界をいったりきたりしているのだが、主人公の内証の台詞と実際の行動が並行して流れるので、観ている側(私)が干渉してしまって、吐き気すら覚えてくる(ちょっと感受性ありすぎ?)。
パラノイアは理路整然としているので、よほど知識があるか勘が鋭くないと見抜けずに振り回されるし、その上、本作のケースでは多くの事実が入り混じっているので、見抜けなかったのは、ある程度理解できる…。しかし、この狂人が、現在もアメリカのどこぞの会社のCEOとして社会的地位を得ている事実。これが許容されるアメリカ市場は狂っているではないか?アメリカにおける信用とは何なのか?
どうも、今、ソダーバーグは、常人を越えた能力(正義とか社会性とは無関係な純粋な“能力”)を保持する実在の人物ご執心のようだ。そして、その常人を越えた能力が造る渦に巻き込まれる人々の姿を描くことに興味があるようだ。そういう意味では、目的は達成できている作品だ。『チェ 28歳の革命』も同じノリだったと思うが、ゲバラの心の内はあまり伝わってはこないで、イベントの羅列に終わった感じもあったので、狂人の頭の中を覗かせてくれた本作は、『チェ~』を超えた、失敗を挽回したといっていいだろう。しかし、狂人の内証を映画で表現…というと、最近のデヴィッド・リンチを思い出してしまうけど、ソダーバーグにはそこまでイッちゃっうことなくほどほどの所で留まってほしいと切に願う。
狂人の頭の中に入って世の中を除くという稀有な体験ができる、ある意味実験的な作品としてお薦めする。攻めの作品として評価したい。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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