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公開国:イギリス、ドイツ
時 間:135分
監 督:リチャード・カーティス
出 演:フィリップ・シーモア・ホフマン、トム・スターリッジ、ビル・ナイ、ウィル・アダムズデイル、トム・ブルック、リス・ダービー、ニック・フロスト、キャサリン・パーキンソン、クリス・オダウド、アイク・ハミルトン、ケネス・ブラナー、シネイド・マシューズ、トム・ウィズダム、ジェマ・アータートン、ジャック・ダヴェンポート、ラルフ・ブラウン、リス・エヴァンス、タルラ・ライリー、ジャニュアリー・ジョーンズ、アマンダ・フェアバンク=ハインズ、フランチェスカ・ロングリッグ、オリヴィア・ルウェリン、エマ・トンプソン 他
1966年。民放ラジオ局の存在しなかったイギリスでは、国営のBBCラジオがポピュラーミュージックの放送を位置に45分と制限しており、若者たちは不満を募らせていた。しかし、イギリスの法律が及ばない北海に、放送機材を備えた船舶から24時間ロックを流し続ける海賊ラジオ局が誕生。その名もラジオ・ロック”。若者たちの熱狂的な支持を集める。そんなラジオ・ロックの船に、ドラッグと喫煙で高校を退学になったカールがやってくる。更正のため、母親に名付け親でラジオ・ロックの経営者であるクエンティンに預けられたのだ。個性溢れるDJたちの、自由だが異様なノリに戸惑いながらも、次第に船の雰囲気に馴染んでいくカールだった。一方、イギリス政府は、ラジオ・ロックの不道徳な内容に不快感を顕わにし、何とか放送をやめさせようと様々な策を弄してくるのだった…というストーリー。
冒頭の放送局の紹介部分がシビれる。見た目はブサイクなDJたちなんだけど、まるで“七人の侍”でも見るようなワクワク感(デブキャラがダブってるのはどうかと思うが)。好きなことであることを職業とし、かつ使命感を感じられているという、ある意味夢のような職業であり職場である。
ただ、ちょっと説明不足で、政府による制限のことや、法律の及ばない北海じゃないとこういうことができないから、ほとんど海上にいないといけないっていうことを、もう少し厚く説明したほうがよかったかも。
このポピュラーミュージックに対する制限や、こういい海賊ラジオ局があったことが実話かどうか知らない。おそらく制限はあっただろうが、船の部分は創作じゃないかと。
この時代のブリティッシュロックって、とにかく最高だなぁ~。使われた曲をまとめたサントラCDって出てるのかな。ちょっと欲しいわ。
しかし、個人的な好みの問題だが、セックスネタに話の焦点が寄ってしまい、中盤は興味が薄れてしまった。性的なネタがいけないというわけではないだが、もう一つの軸である、政府側による圧力っていうのが、イマイチ弱い。政府側ともっと激しく丁々発止するのかと思ったら、それほど大した作戦を仕掛けてくるわけでもなく、終盤になるまでほぼ何の問題も生じないといってもよい。
ただ、大臣がヒステリックにムッキ~!て怒ってるだけ。大臣にからんだコメディ部分もスベっている。
映画の基本だけど、敵が弱すぎると盛り上がらない。
(以下ネタバレ)
最後、放送局を制限する法案が通ったことで、クライマックスに向かうわけだが、まあ、映画的にはもちろん最後まで反抗を試みる展開になる。しかし、なぜか都合よく(?)船が沈んでしまうという展開。で、誰でも読める大団円。せめて、あの大臣が非難されて失職するとか、落としどころはなかったものか。
カールが、あの女の子と結ばれるという流れも、気持ちわるいんだよなぁ…。設定も好き、音楽も好きなんだけど…、好みの問題なのかなぁ。何かフリーセックス的な展開が、いまいち引くんだと思う。凡作。
公開国:フランス
時 間:120分
監 督:グザヴィエ・ボーヴォワ
出 演:ランベール・ウィルソン、マイケル・ロンズデール、オリヴィエ・ラブルダン、フィリップ・ロダンバッシュ、ジャック・エルラン、ロイック・ピション、グザヴィエ・マリー、ジャン=マリー・フラン、オリヴィエ・ペリエ、サブリナ・ウアザニ、ファリド・ラービ、アデル・バンシェリ 他
受 賞:【2010年/第63回カンヌ国際映画祭】審査員特別グランプリ(グザヴィエ・ボーヴォワ)
【2010年/第36回セザール賞】作品賞、助演男優賞(マイケル・ロンズデール、オリヴィエ・ラブルダン)、撮影賞(カロリーヌ・シャンプティエ)
コピー:さよならを言わなければならない時に──ともに生きる
1996年。アルジェリアの郊外にある田舎村。アラブの国だが、そこにカトリックのアトラス修道院があり、7人のフランス人修道士と医師1人が、イスラム教徒の地元民と穏健に暮らしていた。特に、医師リュックの元には、診察を希望する村人が毎日たくさん訪れていた。しかし、アルジェリア国内では、イスラム過激派による内乱が激しさを増し治安が悪化。修道院から20キロほどの場所で、クロアチア人が殺害される事件も発生する。以後、武装した過激派がたびたび修道院に押しかけてくるように。なんとか説得して追い返すことができたが、修道士たちは、殉教覚悟で留まるか、フランス政府の指示に従って帰国するかで意見が別る。何度も話し合いを重ねた結果、留まることに決めた彼らだったが…というストーリー。
奇しくも、今、アルジェリアで邦人が拉致されたとニュースが入ったところ。本作は、1996年のアルジェリアで、7人のフランス人修道士がイスラム原理主義者ににより誘拐され殺害された実際の事件が元になっているらしい。でも、どこまで実話に近いのかよくわからん。
アルジェリアの歴史も情勢もよくわからないが、フランスの植民地だったようで、位置的にも地中海を挟んで対面で近い。本作はほぼ前編フランス語だが、現地はほとんどアラブ語でフランス語も通じるらしい。だから、予備知識がないと舞台がどこなのかさっぱりわからなかった。さらに観客を混乱するのは、アラブ顔の人々が住んでいるところに、カトリックの教会があるという、日本人には見慣れないシチュエーション。はじめ、カトリックの教会だと思わなくて、イスラムでもこんな坊主がいるんだな…と思った。修道士さんがコーランを読んで勉強していたりするシーンもあったし。
彼らはイスラム圏のアルジェリアに布教に来ているのだ。普通のムスリムさんたちは寛大だし、元々同じ神を崇める民同士なので、うまいことやってるんだろう。イスラム過激派のイメージで、彼らが異教徒に常に攻撃的なように思われてるけど、本来のイスラム教は他宗教を攻撃したりしないからね。
イスラム原理主義者が無茶をしだしたので、フランス政府も彼らに帰国指示を出すが、彼らはすぐに帰ろうとしない(というか修道士の間で意見がまとまらない)。まあ、フランスはアルジェリアで核実験やら好き勝手やってたわけだし、好かれるわけはないんだけどね。
まあ、一般のイスラム民と過激派は分けて考えないといけないがよくわかる作品ではある。作中でも、修道士が「まともにコーランも読まない」と嘆いている。
で、テロリストに襲撃されて、さぞやのっぴきならない状況に陥るのかとおもったのだが、1時間半を超えてもも、情勢こそ悪くなるが、全然襲撃されたりせず、教会の神父さんたちが帰国するか逃げるかを侃々諤々、議論し続けるだけ。
何で、これがカンヌで受賞してるのか、正直さっぱりわからない。危険な土地にとどまって布教した姿を称えたいのか。それならもっとピンチな状況を演出すればいいのだが、それほどでガチガチに緊迫した状況だったり、神経が衰弱するような状況に見えない。そりゃ、最後は誘拐されちゃうけど、ちょろっと押しかけられてさらわれるシーンがあるだけ。葛藤する彼らの苦悩する姿が見所なのかもしれないが、何だかんだいって腹をくくって布教にきているんだし、留まることがそれほど苦難ということもなかろう。さっき書いたように、ヤバそうだな…程度の状況で、それほどのっぴきならない状況にも見えない。
キリスト教徒は、彼ら修道士の姿を見て随喜の涙を流すのだろうか。もうしわけない。悪い作品ではないのだが、私にはよくわからない。そういう事件がありました…以外に私の心には何も残らなかった。すまぬ。
#とにかく、イスラム過激派の所業に正義はない。
公開国:フランス
時 間:105分
監 督:エリック・=エマニュエル・シュミット
出 演:ミシェル・ラロック、アミール、マックス・フォン・シドー、アミラ・カサール、ミレーヌ・ドモンジョ、コンスタンス・ドレ、ジェローム・キルシャー、ティエリー・ヌーヴィック、ブノワ・ブリエール、マチルド・ゴファール、ブルーノ・メッツガー、シモーヌ=エリース・ジラール 他
コピー:病気と闘う少年が、10日間で100歳まで駆け抜けた人生。そこで知った生きる意味──
白血病で入院中の10歳の少年オスカーは、余命わずか。余命を悟られないように恐る恐る接する医師や両親の態度に傷つき、口を閉ざしてしまう。そんな中、ピザの配達に訪れたビザ屋の女主人ローズと廊下でぶつかる。悪態をつく彼女の口の悪さに、人間の正直さを見たオスカーは、彼女に興味を持つ。何も喋ってくれないオスカーに、ほとほと困り果てた病院長はオスカーが唯一心を開くローズに、話し相手になってほしいとお願いする。病人や人の死に関わることが大嫌いなローズは、その願いを固辞するが、一緒にピザも注文してくれるという申し出に、戸惑いつつも引き受けることに。ローズは、余命わずかなオスカーを励まそうと、1日を10年と考えて日々を過ごし、その10年間の人生を神様宛の手紙に書くというものだった…というストーリー。
いかにも泣けそうなプロットなんだけど、これがまた全然泣けない。ダメ作品ってことじゃなくて、別に泣かせようとしている作品じゃないから。アクションやらコメディばっか観ていると、たまには如何にも泣かせまっせ~的な作品に素直に乗っかりたいこともあるわけだけれど、スカされた感じ。あと数日で死ぬ子供のコンディションにはまったく見えない。
“余命12日”ってそんなピンポイントでわかるわけないじゃん…。非常にファンタジー然としたお話で、そういうノリなのは重重承知なのだが、人の命についてそういうノリって関心できない。ぴったり12日目にお亡くなりになるが、ローズも両親もいない医師だけがいるときに臨終するもんだから、てっきり医師がとどめを刺したのかのかと思っちゃったよ。
小児病棟なので、いろんな症状の子供がいるのはわかるのだが、骨髄移植のようなデリケートな手術をした白血病患者が、普通に別の病状の子供と接触していることに違和感を感じるのだが、実際どんなもんなのかよくわからん。
ローズのキャラクターはおもしろい。元プロレスラーというだけじゃなく、家族について何かコンプレックスがある。彼女が病人が嫌い…というか、人の死にできるだけ関わらないようにしているのだが、その理由は父の死に関係あるのか? 彼女はオスカーとの出会いで、その心持ちに変化を生じるのだが、何で人の死を忌避しているのかということを、うまく描けていないので、いまいちピンとこなかった。
疑似体験ながらも、オスカーは10年ごと年齢を重ね、両親やローズや医師よりも年上になっていく。医師は「私たちがオスカーを見守っていたのではなく、オスカーが我々を見守っていたのだよ」的なことを言っていたが、たしかに両親もローズもオスカーを通して人間的に成長したのは事実だか、何かそれは言いすぎな気がする。
余命を薄々悟りながらも飄々と生きる少年の姿に、おもしろくなる予感を感じていたのだが、結果的には、命を軽々しく扱われたような気がして、妙にひっかかる作品。凡作。
公開国:アメリカ
時 間:124分
監 督:スタンリー・キューブリック
出 演:トム・クルーズ、ニコール・キッドマン、シドニー・ポラック、トッド・フィールド、マリー・リチャードソン、アラン・カミング、マディソン・エジントン、トーマス・ギブソン、レイド・セルベッジア、リーリー・ソビエスキー、ヴィネッサ・ショウ 他
ノミネート:【1999年/第57回ゴールデン・グローブ】音楽賞(ジョスリン・プーク)
コピー:見てはいけない、愛
ニューヨーク在住の医師ウィリアムとアリス。結婚して9年目で7歳になる娘と幸せに暮らしていた。クリスマスが近いある日、ウィリアムの知人であるヴィクターのパーティに夫婦で出かける。パーティを楽しんでいると、ウィリアムはヴィクターから呼び出されれる。ヴィクターは一室に娼婦を呼んでおり、ヘロイン中毒で昏倒してしている彼女を前に狼狽していた。ウィリアムはマンディという名のその娼婦を治療して、なんとか一命と取り留める。パーティからの帰宅後、寝室でマリファナを吸ったアリスは、以前、家族で出かけたヴァカンス先のホテルで、視線が合った海軍士官に心を奪われ、求められたらすべてを捨ててもいいと思った…と告白する。それを聞いたウィリアムはこの言葉に衝撃を受ける。それをきっかけに、ウィリアムは性の妄想にとり憑かれ、深夜の街を徘徊するよになり…というストーリー。
ニコール・キッドマン演じる妻の必要以上の裸、それにジャケットの二人がからんだ写真を見て、妻もそういう倒錯した性の世界に沈んでいくのか、もしくはすでにそっちの住人だたりするんだろう…と勘ぐっていたのだが、すかされた。地味に、あの女性は、マンディなのか、街で会った娼婦なのか、貸衣装屋の娘なのか、はたまた妻なのか…なんて、色々想像していたんだけど。
トム・クルーズとニコール・キッドマンって、なんか薄っぺらなキャスティングだなぁ…と思っていた。ウィリアムはいたる所で金払いの良くて、セレブなように見ていたのだが、これは意図的な演出だったようだ。乱交パーティの参加者は、一介の医師ごときなんか足元にも及ばないくらい超セレブ。おまえらなんか全然セレブちゃうやんけ! っていう、展開のための前フリだった。そう考えると、彼らの薄っぺらさは、ナイスキャスティングってことなんだよね。
妻アリスが抱いている欲望、夫ウィリアムが囚われる性の妄想。表面的には円満で幸せな生活を送っている夫婦の内面は、それとは真反対。一夫一婦制を良しとしながらも、人間の真の姿はそんな規範の埒外にある。そういう主張なのか。ウィリアムって性の妄想にとり憑かれちゃうけど、マンディが死んだことについては、自分が殺したんじゃないかと、理詰めで苦しむ。忘れろ、人に話すな…と脅されたんだから、忘れりゃいいんだけど、変にモラリストだから気になって仕方が無い。人間の中には、動物的な欲求と理詰めのモラルが引っ張り合いをしているだ…というのを体言しているわけだ。
そして、最後の「Fuck」の意味は、人間の生活は必ずしも動物としての人間にマッチしているわけではない、でも、動物として行動することに躊躇しないようになる必要はない。夫婦の間で刺激を継続する工夫をして、うまいことやっていくのが一番…という、至極真っ当なアンサーに見える。つまり、“EYES WIDE SHUT” 見て見ぬふりしておけってことだよね。
これが遺作じゃなきゃぁ、別にそういう作品もあるわなぁ…で終わるんだろうけど、本作を失敗作という人は多い。でも、乱交パーティというかフリーセックスの教団みたいなエグい設定なのに、作品全体が何故かファンタジーっぽいのが不思議。この不思議さ故に、私はこの作品が嫌いになれない。
#でも、目隠ししてキーボードを弾いてるんだから、儀式とタイミングを計ることもできないわけで、それなら別にテープでも流しておけばいいのでは?情報が漏れる危険性を考えると、ナイチンゲールさんの役割の必要性がいまいちピンとこない。まあ、倒錯した世界だから、そういう偏執はあるってことで…。
公開国:アメリカ
時 間:98分
監 督:トム・ハンクス
出 演:トム・ハンクス、ジュリア・ロバーツ、ブライアン・クランストン、セドリック・ジ・エンターテイナー、タラジ・P・ヘンソン ベラ、ググ・バサ=ロー、ウィルマー・バルデラマ、パム・グリア、ラミ・マレック、ジョージ・タケイ、グレイス・ガマー、リタ・ウィルソン、ジョン・セダ、リチャード・モントーヤ、マリア・カナルス=バレッラ、ホームズ・オズボーン、デイル・ダイ、ロクサーナ・オルテガ、ニア・ヴァルダロス 他
コピー:そこは、明日が好きになれる場所。
スーパーに勤務するラリー・クラウンは、優秀従業員に8回も選ばれたことがある優秀なベテラン店員で、同僚からも客からも愛されていた。そんなある日、勤務中に管理職らからバックヤードに呼ばれ、また優秀従業員に選ばれたのか…と思っていたら、いきなりクビを宣告されてしまう。会社の業績が芳しくないことが理由だったが、同期の社員の中でなんでラリーが選ばれたかというと、彼が大卒ではなく、昇進の見込みがないからだという。妻とは数年前に別れて独身だが、家のローンを抱えており、早急に再就職しなければならなかったが、高卒の彼を雇ってくれるところはいくら捜しても見つからなかった。そこで、再就職のためのスキルを身につけようと、思い切って短期大学に入学することに。そこで彼は、年齢も考え方もことなる生徒たちと出会い、今まで経験したことのない学生生活を送ることに。そして、スピーチの授業で、マンネリの授業にうんざりているうえに、結婚生活が破綻し、やさぐれぎみの教師メルセデス・テイノーと出会う…というストーリー。
脚本は、トム・ハンクスと『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』のニア・ヴァルダロス。実際はどうか知らないが、ラリー・クラウン目線の部分はトム・ハンクスが書き、メルセデス・テイノーの部分はニア・ヴァルダロスが書いたんじゃないか…と思うくらい、角度の違う目線で書き分けができていると思う。こういう、ラブコメ的なシナリオは、書き手の性別に視点が偏るものだが、うまく男女両方が共感できる内容になっていると思う。
しかし、日本でもリストラされることはあるだろうが、本作のようにロックアウト方式で解雇されることはまずないのでピンとこないし、いくら自分が大卒じゃないからといって、今月乗り切れるかどうかという経済状況の中、えいやーで学校に通うというのが不自然に思える。いや、解雇されて奮起して大学に通い始めるなんて、私からしたら、ある意味で夢のようでうらやましくもあるのだが、コミュニティ・カレッジの費用もよくわからんし、カツカツの生活の描写があるにもかかわらず、どのくらいお金が足りないのかがよくわからないし、彼の追い詰められ具合が見えてこないので伝わってこない。
経済学の授業をまじめにうけたので、自分の債務(ローン)をどうするのが最適かわかりました…的なのも、いまいち面白くない。だってあの講義、ミクロ経済がメインに見えるんだもん。ファイナンス系の話や家計の話はあまり関係ないでしょ。なんかズレてる。
細かいディテールを描くことを放棄して、ぼんやり話を進めている感じがする。典型的な取材不足なシナリオに思える。
ラリーが新しい世界に触れて、変わっていくのは面白いのだが、肝心のテイノー先生との恋愛が全然ワクワクしない。酔っ払った彼女を拾って、酒の勢いで距離が急速に縮まるのは、エピソードとしてはいいのだが、それまで別にお互いを意識したようなそぶりもないし、唐突に思える。彼女がラリーに好意を持つポイントは、スピーチの内容くらい。もっと激しくぶつかった末にひっくり返って恋愛に転じるとか、そういう伏線も薄い。若い生徒とラリーがつるんでいるのを見て、いやー気持ち悪いわーとか思ってたくらいで、好意を抱く場面は一切なかったと思う。
旦那を追い出したのはいいだろうが、結局離婚したのか…とかも描写していないので、ラリーと結ばれるのを、手放しで喜んでいいのかどうかもわからん。
観終わった後、すごく爽やかな気分にはなる。でもこれは、大きく感情が動かされることもなく、大してアップダウンもなく普通に男女が結ばれて、めでたしめでたしで終わるアクの無い作品だからだと思う。普通の作品…というか、観ても観なくても、あなたの人生になんの影響も及ぼさない作品。観るだけ時間の無駄だった~というようなマイナスの感情もわかない。卒なくまとめてはいるが、踏み込みが甘い。
#醤油のくだりとか、スベってるんだよなあ…。
公開国:アメリカ
時 間:146分
監 督:テイト・テイラー
出 演:エマ・ストーン、ヴィオラ・デイヴィス、オクタヴィア・スペンサー、ブライス・ダラス・ハワード、ジェシカ・チャステイン シーリア、アリソン・ジャネイ、シシー・スペイセク、シシリー・タイソン、メアリー・スティーンバージェン 他
受 賞:【2011年/第84回アカデミー賞】助演女優賞(オクタヴィア・スペンサー、ジェシカ・チャステイン)
【2011年/第69回ゴールデン・グローブ】助演女優賞(オクタヴィア・スペンサー、ジェシカ・チャステイン)
【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】主演女優賞(ヴィオラ・デイヴィス)、助演女優賞(オクタヴィア・スペンサー、ジェシカ・チャステイン)、アンサンブル演技賞
コピー:彼女たちの物語が、私を変える。私の物語が、世界を変える。
1960年代前半のアメリカ南部。ミシシッピ州。大学を卒業したスキータは、故郷の町であるジャクソンに戻ってきた。彼女は作家志望で、地元の新聞社に就職。初仕事は、家事に関するコラムの代筆の担当だったが、彼女には家事の知識はない。そこで、実家のメイドのコンスタンティンの知恵を借りようと考え、久々に家に戻るが、そこにコンスタンティンの姿は無かった。自分の育ての母親も同然の彼女が、自分の知らぬ間にいなくなっていたことに怒り心頭のスキータは、母親に理由を問い詰めるが、母親は言葉を濁すばかり。とりあえず、コラム執筆のために、友人エリザベスの家のメイドであるエイビリーンの知恵を借りることに。おかげで家事のコラム執筆は順調に進んだが、取材の中で、エイビリーンから雇い主のことを聞くにつれ、メイドたちに対する南部の上流社会の扱いに疑問を抱き始める。そんな時、同窓生のリーダー格であるヒリーが、黒人と同じトイレを使うのは不衛生だと主張し、メイド専用のトイレを作る活動を始め、それに影響されてエリザベスもトイレを設置するのだった。それでも、不満を口しにしない黒人メイドたちの姿を見て、心を痛めたスキータは、メイドたちの証言を集めて本を出そうと思いつく。しかし、エイビリーンは、それに協力したことがバレたら、身に危険が生じると取材を拒否し…というストーリー。
黒人差別をモチーフにした映画は、理不尽な暴力や陰謀、農奴的に側面を扱う場合が多いと思う。本作のように、各家庭に入り込み、“育ての母”としての存在がクローズアップされたストーリーを私は初めて観た。時代設定も公民権運動はなやかりしころだし、舞台はバリバリの典型的な南部なので、血なまぐさい展開になりがちだと思うのだが、エピソードは比較的穏健。逆に、それをカウンターバランスとして、一般家庭レベルにがっちりと絡み付いた差別意識を描いているところが秀逸だと思う。
非常にユニークなのは、メイドたちが子育ての中で、排尿・排便のしつけをしたり、黒人専用をトイレを作ろうとする話だったり、チョコレートパイにうんこをまぜる話だったり、いたるところにウンコの話ばかりだったこと。人間はどう着飾っても、絶対排便はする。それほど、黒人メイドという存在が、南部白人の歴史にがっちり絡み合っているという証を表現しているのかもしれない。
アメリカは、自分の国の皇帝が生まれないように、大統領を選出する術をあみ出した。しかし、ヨーロッパからフロンティア精神を持ってアメリカ大陸に渡ってきた彼らは、結局、貴族社会の構築に邁進したということだ。開拓者は“市民”としてほぼ平等。ヨーロッパ時代の門地などひけらかしてもどうしようもないわけだが、では、どうやって彼らが貴族になったか。自分の地位を高められないなら、下をつくればいい。そうやって黒人奴隷をかき集めて、相対的に貴族になったということだ。黒人奴隷=労働力という捉え方をしてきたが、黒人の存在こを自分を貴族たらしめる物なのだ…そう考えたほうがしっくりくるなぁ、と考えさせられた。
黒人メイドを育ての親と言いはばからず、家庭に入るだけが女の価値ではないと考えるスキータと、小さな不満の種火をくすぶらせ続けたメイドたちの小さな勇気。その二つが、別に白人社会を直球で糾弾すのではなく、日々行われている事実を淡々と書き連ねることで見えてくる白人の滑稽さを浮き彫りにするという、比較的穏健なムーブメントを生み出すのだ。
そういう“抵抗”をしながらも、メイドたちは、日々働き続け、そこで“ヘルプ”つ続ける。彼女たちを所有物のように扱う人もいるが、人間と人間として尊重する人もいる。あたりまえの行動なのだが、そういう人をメイドが心を通わすシーンを観るだけで、心が熱くなる。オクタヴィア・スペンサーとジェシカ・チャステインが連名で助演女優賞を多々受賞していてめずらしいのだが、観れば納得すること必至である。
対して、頑なに黒人を人間として扱えない人もいて、エイビリーンのラストは、その断崖が簡単にはなくならないこと(現在でもなくなっていないこと)を示唆して終わる。ヴィオラ・デイヴィスの演技も悪いわけではないのだが、抑え目のキャラなので受賞に至っていないのは仕方が無い。
146分とちょっと長めなのだが、観入ってしまって、時間を忘れた。黒人差別をテーマにした作品で、ここまで爽やかなのに鳩尾にズンとくる作品は他にはないな。極めて良作。
公開国:アメリカ
時 間:115分
監 督:アレクサンダー・ペイン
出 演:ジョージ・クルーニー、シェイリーン・ウッドリー、アマラ・ミラー、ニック・クラウス、ボー・ブリッジス、ロバート・フォスター、ジュディ・グリア、マシュー・リラード、メアリー・バードソング、ロブ・ヒューベル、パトリシア・ヘイスティ 他
受 賞:【2011年/第84回アカデミー賞】脚色賞(ジム・ラッシュ、ナット・ファクソン、アレクサンダー・ペイン)
【2011年/第37回LA批評家協会賞】作品賞
【2011年/第69回ゴールデン・グローブ】作品賞[ドラマ]、男優賞[ドラマ](ジョージ・クルーニー)
【2011年/第27回インディペンデント・スピリット賞】助演女優賞(シェイリーン・ウッドリー)、脚本賞(ジム・ラッシュ、ナット・ファクソン、アレクサンダー・ペイン)
【2011年/第17回放送映画批評家協会賞】主演男優賞(ジョージ・クルーニー)
【2012年/第21回MTVムービー・アワード】ブレイクスルー演技賞(シェイリーン・ウッドリー)
コピー:ハワイに暮らしていても人生は<楽>じゃない!
ハワイ・オアフ島。弁護士のマット・キングは、妻と二人の娘たちを持ち、仕事に打ち込んできた。彼の一族はカメハメハ大王の末裔で、カウアイ島に先祖から受け継いだ広大な原野を所有しており、その土地を賃貸したり売買するなどして働くことなく生きることが可能だったが、マットは堅実だった父親の教えを守って、弁護士の収入だけで家族を養ってきた。そのため、家族には贅沢な生活をさせることができないことが、少し気がかりだった。彼の一族を裕福たらしめていた土地だったが、この度、土地管理委託権の期限を越えた土地に対して、個人所有を認めない法律に改正されることになり、期限内に譲渡しないとそれ以降売買することができなくなってしまうことに。マットは、弁護士という職業柄、土地の売却問題で一族の意見をまとめる大役をまかされていたが、これまで土地に手をつけてこなかった彼は、土地と自然を守りたい思いが強く、親族の願いとの間で思い悩んでいた。そんな中、妻のエリザベスがボート事故で意識不明の昏睡状態に陥ってしまう。これまで家庭のことは妻にまかせきりだったマットは、反抗期に入った10歳の次女スコッティの扱いに辟易。そんな介護生活に疲れはじめたころ、医師から妻の意識は戻らないと先刻されてしまう。そこで、全寮制の高校に通わせている長女アレックスを呼び戻したのだが、彼女からママは浮気していた”という事実を聞かされ…というストーリー。
結構シンプルなストーリーだと思ったのだが、改めてさわりを字におこしてみると、けっこうややこしいストーリーだ。
本作の監督は『サイドウェイ』のアレクサンダー・ペイン監督なのだが、判りやすい演出ですっと腑に落ちる。こういうのはお得意なようだ。
静かながらも揺れる心の内面を表現するのも実にうまい。まさに本作にうってつけの監督だ。マットが、相手の妻の口にキスしたのって、どういうつもりだったのか。反撃のつもりかもしれないけど、これが精一杯っていう緩い反撃なんだよね。でも、彼の心の機微がよくわかる演出。こういう演出が盛りだくさん。
このストーリーがニューヨークで展開されたとしたらこうなったか? いや、似たようなシチュエーションの作品はたくさんあるだろう。でも、このハワイという舞台にものすごく効果的に働いている。冒頭でマットは、ハワイにリゾート気分なんか感じたことが無い、どこがリゾートだ…と否定するけれど、人の暖かさ、なにもかもとりあえず受け止めてくれる雰囲気、我を忘れるくらい激昂する前に一歩踏みとどまれる緩さ。こういう基盤の上で展開されるからこそ、比較的凡庸ともいえる設定なのに、味のある作風に仕上がっているといえる。
BGMはハワイ音楽で統一されているが、これが観ている側のイライラを吸収し、緩い時間に漂わせてくれる。
いつものプレイボーイだったり卒が無い男とは、ちょっと違う、仕事ばっかりで魅力はイマイチの男を演じるジョージ・クルーニー。どうひっくり返したってダンディなご尊顔なわけだが、格好の悪い男の役作りに腐心しているのが、妻が浮気していたことを知った途端に友人夫婦の家に走っていく姿でよくわかる。ものすんごくダサい走り方してるの。この走り方はしっかり計算された演技だとも思う。
長女の彼氏(?)シドが非常にユニーク。あのまま、ただのアホキャラで通してもよかったのだが、途中で、マットと心が通うポイントがあり、以降はマットをボスと呼ぶほどに。馬鹿はかわいい。また、思春期入りたてでほとんど子供の次女スコッティは、馬鹿ってわけじゃないが、気を引きたいのか馬鹿な行動を採ってばかり。この二人の馬鹿が、なかなかいい味を出す。長女アレックスだって奔放で、跳ねっ返りで扱いにくい。マットを含め、この4人が、それぞれお互いを、自分なりに不器用に慮るのがなんとも心に響くんだなぁ…。
オスカー作品賞は『アーティスト』が持っていったわけだが、私は断然本作の方が好み。LA批評家協会賞、ゴールデン・グローブでは作品賞を採ったけど、あえて避けたのかな。そういうバランス感覚とかスカしとかいらないわ。
『アメリカン・ビューティー』クラスの、中年男向けのファミリー映画の快作。これは、是非観てほしい作品。好き。
公開国:アメリカ
時 間:82分
監 督:ケリー・ライヒャルト
出 演:ミシェル・ウィリアムズ、ウォーリー・ダルトン、ウィル・パットン、ジョン・ロビンソン 他
ノミネート:【2008年/第24回インディペンデント・スピリット賞】作品賞、主演女優賞(ミシェル・ウィリアムズ)
愛犬ルーシーと車でアラスカを目指すウェンディ。アラスカで仕事を見つけ、新たな生活を始めるつもり。途中のオレゴン州の駐車場で仮眠をとっていると、朝、私有地から出て行くように注意される。しかし、車のエンジンがかからず、旅は中断。所持金も残り少なくなってきたが、ルーシーの餌がなくなってしまったため、スーパーでドッグ・フードを万引きすると、店員に捕まって警察に引き渡されてしまう。しばらく拘留された後に釈放されるが、スーパーの前に繋いでおいたルーシーがいなくなってしまう。町の保健所を訪れたがルーシーはおらず、町に迷い犬の張り紙をすることに。そして仕方なく車を修理に出し、自分は野宿をすることに。それからも必死にルーシーを捜すが一向に行方はわからず…というストーリー。
旅をしているようだったのでロードムービーなのかと思っていたが、一つの町に留まってストーリーは繰り広げられる。
浅はかな計算によっと深みに嵌っていく若者のお話。特に悲惨な出来事がおこるわけではないのだが、自分の愚かな行為によって、旅のバディである愛犬がいなくなってしまうは、節約していたはずのお金も、余計にどんどん減ってしまう。なぜ彼女が家族から離れようとしているのか、そしてなんでその行き先が北なのか、説明はされないが、彼女はどうしても家族の助けをかりることができない。というか、家族も手を差し伸べようとしていないように思えるので、やはり何かあるんだろう。
車が故障してしまったオレゴンの町だが、その町も不景気で寂れてしまっていて、町並みも荒れているし、住人の目つきも荒んでいる。唯一手を差し伸べてくれてる警備員のじいさんも、気にかけて携帯電話を貸す程度。いや、それが冷たいとかそういうことではなく、手を差し伸べる余裕もないのだ。そしてウェンディも必要以上に手を差し伸べてもらえるとは思っていない。万引きで捕まったときに、若い店員に「自分の生活もままならないのに犬を飼う資格などない」と言われた言葉か、時間が経てば経つほど重くのしかかる。そしてラストを迎える。
彼女の境遇に、観ている自分の状況との共通点を見出せるかどうかがすべての作品。家族とうまくいっておらず、独立したくてもなかなかむずかしく、それなりの覚悟と無理が必要。でも無理をせざるを得ないし、いまさら戻ることもできない。もう走りきるしかないのだが、走りきりたくても“運”が足をもつれさせる。思わず呻くように泣いてしまったことがある人は、きっと心に刺さる何かを感じるはず。そういう経験のない人は、「もっとうまくやりゃあいいだろう」とか、「万引きなんかするから。自業自得だよ」なんて思ってしまうだろう。自分の経験によってパックリと印象が違うであろう作品。
私は……、後者かな。自分ひとりならいいけど、犬ちゃんがいるのに、それはないかな…と。まあ、日本未公開はしゃあない。
公開国:アメリカ
時 間:129分
監 督:ジョージ・ミラー
出 演:ニック・ノルティ、スーザン・サランドン、ピーター・ユスティノフ、キャスリーン・ウィルホイト、ゲイリー・バマン 他
ノミネート:【1992年/第65回アカデミー賞】主演女優賞(スーザン・サランドン)、脚本賞(ジョージ・ミラー、ニック・エンライト)
アフリカのコモロ共和国で暮らしていたオドーネ一家は、銀行員の父オーグストの転勤で、妻ミケーラと息子ロレンツォとともにアメリカに引っ越してくる。その3ヵ月後、ロレンツォは学校で突然乱暴な振る舞いをするなどの奇行が目立つようになる。病院で診察を受けると、ALD(副腎白質ジストロフィー)という不治の難病に罹っていることを知る。夫妻は、ニコライス教授の指導で食事療法や免疫抑制剤の投与を行うが、病状は悪化するばかり。同じALD患者の家族会に参加してみたものの、すべて医師まかせで、子供の快復をすっかり諦めている親たちの姿を見て失望し、自分たちで治療法を見つけようと立ち上がるのだった…というストーリー。
実話ベースのお話。観るのもつらくなるような子供の難病の物語。ロレンツォの両親は数々の壁にぶち当たる。彼らのいうことを医学会の常識を盾にあしらう医師たち。医師に従うべきだともっともらしいことをいいながらも本心は早く楽になりたいと考えている親など、彼らの行動を阻む。しかし、彼らの言い分はもっともなところをが大きい。だって臨床データを取らなければ綿密な治療法の確立には至らないのは事実だし、看護を続けながらも生活の維持のためにしっかりと労働しなければならない上に、おそらくこのまま死んでいくしかなく、だけどこれをいつまでつづければいいのか誰も判らない状況なんて、心が折れる。それを攻めることは誰にもできない。
そう、この映画には、誰一人“悪人”は登場しないのだ。
絶対に諦めないといいつつも、日々に看病に疲れ、ヒステリックになっていく母親の様子を、スーザン・サランドンは見事に演じきった。しかし、結果オーライだし、自分の子供のためにがんばるったを一切否定するつもりはないのだが、男性目線だと、この母親のヒステリックな行動は、共感しにくい。さっきも書いたように、彼女に非難される人も、別に悪人ではないし、もっともなことをいっているだけ。むしろ、的確なアドバイスに思えるのだが、「今すぐ出ていって!」だもの。看護婦や妹を追い出しておきながら、発作がひどくなったら、結局入院させてるのを見て、入院をすすめていた看護婦に謝罪しろよ…と思ってしまった。
逆に、どうしてそこまで浮き足立たずに行動できるのか、と感服してしまったのが父親。本作では会社で仕事をしている描写がないのがいささか不自然に思えるのだが、実際は、昼間は会社にいって夜は病気の研究をしている。もともとロジカルシンキングができる人で、物事を理詰めで考えられる素養の持ち主だったのだろう。子供のため…の一言では彼の行動の淵源は理解できず、やはり途中から純粋な学術的興味”に変質したからこと、ここまでできたのだと思う(非難しているわけではない)。
正直、私が彼の立場だったら、諦めていると思う。この学術的な探求だけでなく、金銭を工面する卒の無さは真似できない(まあ、彼が銀行員だったあら…という側面はあっただろうけど)。
そして、ロレンツォを演じた子役は、本当に患者なんじゃねえのか?と思えるほど。この子の演技がなければ、いくらニック・ノルティとスーザン・サランドンがすばらしい演技をしようとも、両親の行動に対して、どこかで興ざめしていたに違いない。
演出上の特徴は、淡々とした編集で進めている点。彼らにまきおこったさまざまなエピソードを、暗転で次々と繋げていく。時間の経過と、病状の悪化の無常さをうまく表現する一助になっている。
決して愉快ではないし、手放しに感動できるお話ではないと思う。実際、この種の病気の劇的な治療法が見つかったとは聞かないので、ラストはいささかのむなしさを覚えるし。“人任せにはしない”という、親のあるべき姿を見せ付けられたようで、気恥ずかしくなる作品。親になる覚悟をするために、子供が生まれる前に観ておくべき作品かも。
公開国:アメリカ
時 間:140分
監 督:マーク・フォスター
出 演:ビリー・ボブ・ソーントン、ハリー・ベリー、ピーター・ボイル、ヒース・レジャー、ショーン・コムズ、モス・デフ、マーカス・ライル・ブラウン、ミロ・アディカ、ウィル・ロコス 他
受 賞:【2001年/第74回アカデミー賞】主演女優賞(ハル・ベリー)
【2002年/第52回ベルリン国際映画祭】銀熊賞:女優賞(ハル・ベリー)
【2002年/第26回日本アカデミー賞】外国作品賞
コピー:たかが愛の、代用品。
ジョージア州の州立刑務所に勤務するハンク。かつて自分の父もここに勤務しており、今、息子ソニーも勤務し始め、親子三代看守の一家である。ハンクが引き継いだの職業だけでなく、黒人差別主義も引き継いでいたが、ソニーは心優しい男で親たちの考え方に疑問を感じていた。そんな中、黒人の死刑囚ローレンス・マスグローヴに対する刑が執行されることに。ハンクとソニーが執行の任務に就いたが、慣れないソニーは取り乱してしまい、満足に職務を遂行することができなかった。これに激昂したハンクは、ソニーを強く叱責。家に帰ってもソニーを許すことができず、彼を追い出そうとするが、ソニーが逆襲しハンクに銃を向ける。ソニーは父親に自分を愛しているかと尋ねるが、ハンクは無情にも愛していないと応える。すると、ソニーは自分は愛していると告げ、そのまま自分の胸に発砲し自殺してしまう…というストーリー。
ヒース・レジャー演じるソニーが早々にお亡くなりになる。早逝した今、改めて観るとちょっとぞっとするシーンだったりする。
ハンクは、単に高圧的な男というわけではない。ハンクの父が、何をやってもハンクを褒めることなく育てた結果、ハンクは人を悪く評価するようになってしまっており、また、子供の褒め方がわからない人間になってしまっている。また、常に怒られ否定され続けたため、何をしても身の入らない人間になってしまっている。いやいや、彼は刑務所で責任を持った仕事についているじゃないか。その責任感ゆえに息子を攻め立てていたのでは?と思うかもしれないが、それは、彼の父が“男”とは男らしい仕事に就いていることだと刷り込んでいるためである。
人間としての本来の下地は責任やストレスを感じることは大嫌いなはずなのに、刷り込まれた社会性ゆえに正反対な人間を演じなくてはいけない。そのアンビバレントな状況を長く続けているが故に、仕事場では高いストレスを感じ続け、高圧的な人間になっていしまっているのだ。それが証拠に仕事をやめてしまった彼の、邪気の消えた姿よ。とても別人とは思えないほどで、いかに看守という職業に就いていることや、家族の中で男らしく振舞うことが、彼に影響を及ぼしていたか判るというものである。
せめて息子が同じ職場でなければよかったのだが、まあ、そこが南部社会らしいシチュエーション。息子は息子で、父(というか親)の愛を渇望していたながらも家庭ではそれを得ることができなかったため、“職業”という緩衝材がれば、仕事を通せば父の愛を得られるだろうとかんがえ、同じ職場に入ったのだろう。私はそう考える。しかし、祖父、父と受け継がれた負の遺産はそう簡単には消えない。父はついぞ息子に愛を傾けることは無かった。目の前で息子が自殺したというのに淡々としたハンクの様子が、そら恐ろしく見えるのだが、愛を感じたことが無いのだから人並みの悲しみが彼を襲うことはないのである。
肉欲の愛が、家族への愛と同じというつもりはないが、レティシアとの関わりによって“人”に対する愛を始めて知る。はじめは、おなじく息子を亡くしたシンパシーからだったかもしれないが、そのとまどいは「これが愛だ」という確信に変わるわけだ。
#そこまで激しすぎるセックスシーンが必要かどうかは、10年ぶりに観たいまでも疑問だが、まあ、これが無ければ話題になることもなかったし、ハル・ベリーが色々受賞することもなかっただろう。
じゃあ、ハンクと売春婦やダイナーの女との関係と、レティシアとの違いは何か。それは案外、“期待されること”なのかもしれない。自分の父親から求められることがなかったものであり、それに気づき、父の呪縛を解くわけだ。
そして、特徴的な場面といえばやっぱりラストだろうね。どう考えても二人の関係は壊れそうなのに、ただアイスクリームを買ってきた彼の様子を見ただけでなんとなく、まとまってしまうという、この奇妙な感覚。プラスチックのスプーンがなんとなく、彼の幼児性というか、子供のころからストップしたままの何かを象徴しているようである。見た目はおっさんだが、ハンクを見つめるレティシアのまなざしの半分は、息子を見つめるそれであるようにも見える。
展開の予測を微妙にはずしてくる、うまいシナリオだと思うし、人生に疲れきった残ったぼろ布同士の愛が、なぜか綺麗に見えるという、大人の作品。これも、時間を経てから観なおすと、味わいが増す。
#しかし、今観ても、コピーの“たかが愛の、代用品。”という意味がわからない。理解できないのは、私の愛の修行が足りないからか?(笑)
公開国:アメリカ
時 間:156分
監 督:マーティン・ブレスト
出 演:アル・パチーノ、クリス・オドネル、ジェームズ・レブホーン、ガブリエル・アンウォー、フィリップ・シーモア・ホフマン、リチャード・ヴェンチャー、サリー・マーフィ、ブラッドリー・ウィットフォード、ロシェル・オリヴァー、マーガレット・エジントン、トム・リース・ファレル、ニコラス・サドラー、ロン・エルダード、フランセス・コンロイ、ジューン・スキッブ、デヴィッド・ランズベリー 他
受 賞:【1992年/第65回アカデミー賞】主演男優賞(アル・パチーノ)
【1992年/第50回ゴールデン・グローブ】作品賞[ドラマ]、男優賞[ドラマ](アル・パチーノ)、脚本賞(ボー・ゴールドマン)
全寮制の名門高校ベアード校の奨学生チャーリーは、感謝祭の日に実家に帰る資金を稼ぐため、盲目の退役軍人フランクの世話をするアルバイトを引き受けることに。学校では、トラクス校長と愛車が生徒たちの前でペンキを浴びせられるという事件が発生。校長は、前日の夜に事件現場の近くにいたチャーリーとジョージを呼び、事情聴取を行う。週明けの特別集会までに、犯人の名を言わなければ退学にすると脅し、さらにチャーリーには言うとおりにすれば大学進学の奨学金も与えると持ちかけた。犯人である同級生はおおよそ判っていたが、彼らを売ることをためらうチャーリーは、その悩みを抱えながら、フランクの世話のバイトに向かう。ところが、フランクは突然ニューヨークへ旅をすると言いだし、フランクにも同行を強要するのだった…というストーリー。
アル・パチーノのオスカーに文句をいうやつはいないだろう。瞳孔を塞ぐコンタクトでもしているのではないかと思うくらい、“光のない目”を完璧に演じていると思う。ニューヨークの車が多数行き交う道路を突っ切ったあと、ゴミ箱にぶつかって転ぶシーン。視覚のない人間の出来得る防御、そうとしか見えない完璧な演技である。
怒りを抑えることを知らず、人を威圧し、周囲を不快にする元軍人のフランク。自分が周囲から疎まれていることは判っているのだが、それを素直に認めることができない。自分の生きる意味をまったく見出せないかれは、長年考え続けていた、自殺へのプランを粛々と遂行する。
しかし、そのお手伝い役として、アルバイトを雇うのはいかがなものか。普通はそう思うが、これから自殺をしようという人間が、そんなことにまで気を使うわけがない。そしてチャーリーは、人生経験は浅いながらも、百戦錬磨の彼の自殺を何とか止めようと必死にがんばるのである。
フェラーリのシーンで、「そんなアホな…」と興醒めする人が結構いるようだ。たしかに、行き過ぎの演出ではある。リアリティ崩壊のギリギリのラインだ。でも、フェラーリを愛するフランクの望みを叶えることで、自殺を留まらせようとするチャーリーの努力である。そして、フェラーリに乗ることができた満足感と、皮肉なことにもう好きな物を満足に愛することもできないという絶望感を同時に味わうという、複雑な演出のためには必要な場面だったと思う。
分不相応の権力与えられた小物という悪役の設定も、判りやすく且つ実にアメリカらしくもあり、秀逸である。フランクの軍人魂や、チャーリーのマジメさと対極である点も良い。それがカウンターバランスとなり、フランクの演説が内容以上に輝きを発する。
生きる意味なんて、最終的に突き詰めていけば、他人のために何かをすることである。軍人として“国”のために尽くしてきた彼は、視力を失って誰に対しても何もしてやることができなくなってしまった。卑下していた親族に逆にさげすまれる存在となり、年金暮らしという非生産的な生活を強いられることが我慢できなかった。でも、そんな彼が、実生活では得ることができなかった“息子”を得て、彼のために行動することで、生きる意味、喜びを感じる。チャーリーも救われたがフランクも救われた瞬間である。
そして、救われた瞬間に、女性教師とのコンタクトがあり、姪っ子の子供達とも和解するという、コミカルではあるが実に微笑ましい、からまった糸がほぐれるようなカタルシスが生じる良作である。
ちょっと長いのが玉に瑕だが、未見の方は是非観るべき作品だと思う。私は今回で3度目くらいの鑑賞だと思う。
#野沢那智の吹き替えが実によろしい。
公開国:日本
時 間:95分
監 督:崔洋一
出 演:岸谷五朗、ルビー・モレノ、絵沢萠子、小木茂光、遠藤憲一、有薗芳記、麿赤児、國村隼、芹沢正和、金田明夫、内藤陳、木村栄、瀬山修、萩原聖人、金守珍、金久美子、城春樹、吉江芳成、木下雅之、古尾谷雅人 他
受 賞:【1994年/第44回ベルリン国際映画祭】NETPAC賞(ベスト・アジア映画)
【1993年/第17回日本アカデミー賞】新人俳優賞(岸谷五朗)
【1993年/第36回ブルーリボン賞】作品賞、主演女優賞(ルビー・モレノ)、新人賞(岸谷五朗)
在日コリアン姜忠男が勤務する金田タクシーは、同じく在日コリアンが経営する会社で、出稼ぎのイラン人や元ヤンキーやボクサーくずれなど、まともに働くこともできないようなクズばかりが集まっていた。忠男は、在日同胞の政治的な主張にはうんざりで、女の子を口説いてばかりの毎日を送っていた。そんなある日、母・英順の経営するパブで、大阪弁を喋るフィリピン人のコニーが働くことに。彼女を気にいった忠男は、あの手この手でアプローチするが、かわされてしまい、ついには半ば強引にコニーと関係を結び、挙句の果てには彼女の部屋に転がり込んでしまう…というストーリー。
原作は梁石日、『血と骨』も梁石日と崔洋一のコンビだが、そちらは観ていない。というか、借りようとおもいつつも、なんかエグそうで手が引いてしまう。ただ、 両方とも梁石日の自伝的小説だということで、観るなら1セットで観るべきかな…と。
でも、私の使っているレンタル屋には本作が置いていなかった。たまたまBSで放送していたらしく、録画したものを観せてもらった。
在日朝鮮人を正しく描いている作品だと思う。同胞人を同胞人が食い物にする姿や、窮すると短絡的に放火しちゃうなんて、笑うに笑えないけど、それはそれは、身も蓋もないほど正しい描写にみえる。忠男の母は一生懸命、帰国している息子に物資や金を送っているけど、絶対そのまま届いているはずがないのが、なかなかせつない。在日朝鮮人は親族を人質の取られた鵜飼の鵜である。まあ、それに気づかない婆ァの頭がおめでたいのは間違いないし、人の話は聞かない強欲人間なので、同情する気にはならないが、やっぱりなんかせつない。
この正しい姿である本作を、今、表現できるか?リメイクして公開したらどうなるか?間違いなく、在日韓国人、朝鮮人 本人がクレームをつけるだろうね。
在日朝鮮人たちは、日本人をはじめ他国の人々に嫌悪感を振りまき、その原因はそっちのせいだと狂犬っぷりを発揮するわけだが、この作品を観ると、在日朝鮮人のことを一番嫌いなのは、在日朝鮮人自身であることがよくわかる。でも、それを認めたくない、でも、認めざるを得ない場面が廻りにあふれている。そりゃあ、頭も狂いそうになろだろう。このアイデンティティの喪失はどこからくるのか。それは日本人のせいだ…といつまでも言い続ける彼らに未来はなさそうだ。1993年から今になるまで、改善されるどころかますますエスカレート。でも、ぎりぎり許容できる在日朝鮮人の姿が本作にはある。
大変もうしわけないが、スナック勤務やタクシー運転手は、比較的手っ取り早く金を稼ぐ手段で、外国人が比較的手を出しやすい。つまり、彼らは日本で手っ取り早く金を稼ごうとしているだけであり、日本に何かをしようというつもりもなく、馴染もうという気もない。そういう浮き草のようなシンパシーで、姜忠男とコニーは結びついているともいえる。日本を多国籍世界として描き、そこに漂っている二人…という感じ。でも、別にそういう生き方を日本人が強要しているわけではないし、この人たちは、何をやってってるんだろうなぁ…と。そういう俯瞰目線で観ることができるのが、本作の魅力かもしれない。悪い言い方をすれば、それほど強いメッセージ性はないってことでもある。
途中で、頭がおかしくなってしまう同僚が登場するが、これが何を表すのか。まあ、実際にそういう人がいたんだろうけど(彼が新潟出身というところが説得力あるしね)。それまで彼が特に不自由もなく一緒に勤務できたってことは、俺らの頭もおかしいってことじゃないか?っていうことなのかな。
崔洋一監督の作品を全部観ているわけじゃないけれど、観た中では唯一まともな作品だと思う(…っていうか、監督の力量じゃなくて、原作の力な気もするけど)。正直に告白すると、私、崔洋一監督の演出がピンとこないのだ。特に編集の仕方というか場面の切り替わりとか構成とか。私、崔洋一って、TVドラマ向きの監督なんじゃね?と常々思っていたりする。
とりあえず、近いうちに『血と骨』は観てみようと思う。いまさらながら。
公開国:アメリカ
時 間:127分
監 督:ジェームス・マンゴールド
出 演:ウィノナ・ライダー、アンジェリーナ・ジョリー、クレア・デュバル、ブリタニー・マーフィー、エリザベス・モス、ジャレッド・レト、ジェフリー・タンバー、バネッサ・レッドグレーブ、ウーピー・ゴールドバーグ、アンジェラ・ベティス、ジェフリー・タンバー、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、トラヴィス・ファイン、ケイディー・ストリックランド、レイ・ベイカー、ミシャ・コリンズ、ジリアン・アルメナンテ 他
受 賞:【1999年/第72回アカデミー賞】助演女優賞(アンジェリーナ・ジョリー)
【1999年/第57回ゴールデン・グローブ】助演女優賞(アンジェリーナ・ジョリー)
【1999年/第5回放送映画批評家協会賞】助演女優賞(アンジェリーナ・ジョリー)
コピー:探しに行こう、心にできた隙間を・・・・・・埋めてくれる何かを。
高校を卒業することになったスザンナ。同級生は全員大学に進学することになったが、自分は文筆業を目指すと主張し進学を拒否。世間体を気にする両親は、そんなスザンナの行動をまったく理解しようとしない。孤独感に苛まれたスザンナは、多量のアスピリンとウォッカを飲み、病院に搬送される。なんとか一命は取り留めたものの、精神的に不安定であるとして精神病院に入院させられる。そこには、顔に重度のやけどを負った者、鶏肉と下剤しか口にしない者、オズの魔法使の世界に浸ったままの者、虚言癖の者など、様々な症状の患者がいた。彼女たちは、厳しい監視の下に置かれていたが、リサという行動的な患者が中心となり、深夜に立ち入り禁止の遊戯施設で遊んだり、自分たちのカルテを盗み見たりと、病棟内を自由に歩きまわっていた。そんなある日、リサはスザンナに病院からの脱走を持ちかけ…というストーリー。
本作は原作者の体験談。主人公のスザンナは原作者の名前。いろんな症状の者…というだけでなく、色々な段階の者が混在する病棟内の様子が実にリアルだと思う。その症状の程度も、日によって軽重がある様子がうまく表現されていると思う。同じ精神病棟モノで有名なのは『カッコーの巣の上で』だが、そっちより本作のほうが数段好きである。『カッコーの巣の上で』だってしっかり取材はしていただろうけど、所詮はフィクションだ。本作の得体の知れぬ生々しさには、静かに圧倒される。
本作は、『アイデンティティー』の監督。精神を病んだ人を扱うのが好きなのかな。
冒頭に、「お金があるのに万引きしたり、落ち込んだり…」という台詞がある。後のウィノナ・ライダーの凋落を考えると、トホホな感じになってしまう。本人も、そんなことになろうとはこの時は思っていなかったか…、いや、無意識にこの作品にシンパシーを感じていたに違いない。そう思うほど、いい演技だった。
でも、映画賞をさらっていったのはアンジェリーナ・ジョリー。その後、彼女はいろんな作品に出たが、本作以上に演技がキレている作品はない。これがアンジーのベスト作品だと思う。反社会的行動をとるレズビアン役は、男っぽく演じていればできるというものではないと思う。感情の殺し方が絶妙で、他者への共感が欠如している人間を非常にウマく演じきった。
自ら惚れこんで、この作品に打ち込んできたのに、良いところはアンジーの持っていかれてしまったウィノナ・ライダー。まあ、実際に病んでしまうのもわからないではないが、あれはあまりにお粗末なスキャンダルだったな。
主人公は、境界性人格障害と診断されるのだが、現代ならば投薬治療でなんとでもなりそうなくらいの軽微な症状だと思う。そして、
夜中に部屋を抜け出して、ボーリングしたり、カルテを盗み見たりできるレベルの病院で、なんだけっこう軽めの病院なんだな…と思っていたのだが、どうしてどうして。
今の世の中、誰でも少しは病んでいる。むしろ青春映画として、もっと頻繁にTV放送されてもいいくらいなんだけど…、まあ、父親からの性的虐待が常態化した末に、首吊りしてしまう衝撃のシーンがそうさせないんだろう。
いや、でも私は、立派な青春映画だと思う。登場人物は女性ばかりな上、心の病んだ人たちばかりなのに、なぜか微かに共感できてしまうこの感じ。もしかすると私もすこしどこかを病んでいるのかもしれないけど、きっと多くの人も何かひっかりを見つけると思う。お薦め。
公開国:アメリカ
時 間:188分
監 督:フランク・ダラボン
出 演:トム・ハンクス、デヴィッド・モース、ボニー・ハント、マイケル・クラーク・ダンカン、ジェームズ・クロムウェル、マイケル・ジェッター、グレアム・グリーン、ダグ・ハッチソン、サム・ロックウェル、バリー・ペッパー、ジェフリー・デマン、パトリシア・クラークソン、ハリー・ディーン・スタントン、ウィリアム・サドラー、ゲイリー・シニーズ、ポーラ・マルコムソン 他
受 賞:【1999年/第5回放送映画批評家協会賞】助演男優賞(マイケル・クラーク・ダンカン)、脚色賞(フランク・ダラボン)
コピー:僕たちは、世界で一番美しい魂を握りつぶそうとしていた――
大恐慌下の1935年。ジョージア州のコールド・マウンテン刑務所の死刑囚舎房で看守を務めていたポールは、重い尿道炎に冒されており、あまりの排尿時の痛みにより職務に支障をきたすほどになっていた。そんな中、少女2人をレイプし殺害した罪によって死刑を宣告されたジョン・コーフィという黒人の大男が移送されてくる。コーフィは暗闇に怯える物静かな性格で、とてもそんな恐ろしい罪を犯す人間には見えなかった。さらに、ウォートンという死刑囚が移送されてきてくるが、巧みに心神喪失をウォートンに不意をつかれ、脱走されそうになってしまう。何とか取り押さえたものの、ポールは股間を蹴り上げられ悶絶する。そのとき、コーフィが不思議な力でポールの尿道炎を治してしまい…というストーリー。
マイケル・クラーク・ダンカンがお亡くなりになったので、思い出して再鑑賞。
スティーヴン・キング原作の作品の中には、『アトランティスのこころ』のように、本作と同様に超常現象とヒューマンドラマがミックスした作品がいくつかある(『ドリームキャッチャー』もそうかも)。でも、どの作品よりも一番きれいにミックスしていると思う。
そして、、こんなに穴のないシナリオは、今まで観た映画の中でトップクラス(というか、一番だと思う)。脚本は、フランク・ダラボン監督自ら手掛けている。同僚の看守たち全員がジョンの力を知る流れ、なんで所長の妻を治療した後に虫を吐かなかったのか、二人の悪役の結末のつけ方、伏線の回収がウマいと簡単に言うのが憚られるくらい、巧みすぎる。
私は高く評価しているが、世の評判は意外と悪かったりする。文句の付け所がどこにあるのか、問いただしたい気持ちになるくらいなのだが…。長いことに文句をつける人がいるが、じゃあ、省ける部分があるなら、それがどこなのか教えて欲しい。自分が、こんなシナリオを書いて映画化されるようなことがあったら、私は腕一本失ってもいいくらい。
死刑制度がどうのこうのとか、この作品を観て、そんなことに思いを馳せる人は野暮である。こんな理不尽な犯罪は、いまでも世界でおき続けている…。コーフィの台詞は響く。実際、間違いなく、今も誰かが殺されていて、運がよければ何年か後にニュースになるだろう。
冒頭の老人の語りから、ラストの告白と顛末。なにかを直球で語るわけではなく、漂わせる雰囲気が秀逸。この作品は善人と悪人がキレイに別れすぎという人がいるが、このラストのポールの姿を観て、そんなことがいえるか?というか、人間が考える善と悪の概念を超えたなにかがあることを、感じられはしないだろうか。
数年おきに、繰り返し観る作品。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
10 | 2024/11 | 12 |
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