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公開年:1977年
公開国:西ドイツ、スイス
時 間:75分
監 督:ジェス・フランコ
出 演:アダ・タウラー、ナンダ・ヴァン・ベルゲン、モニカ・スウィン、ウォルフガング・ウォールファート、イングリッド・ケア 他






南米コロンビアの山中に建つ病院施設。そこはゲリラ組織が、性倒錯の矯正と称して誘拐した女性を性奴隷として働かせる施設だった。女たちは、ほぼ全裸で施設内で生活することを強いられ、ゲリラ兵の慰み者とされる。女所長は、命令に従わない反抗的な女を、昼夜問わず調教、拷問を繰り返す。ときには、殺害することも躊躇しない。ゲリラ組織の指揮官は、女性の中から人妻女性を選ぶが、単なる性奴隷を超えて愛を傾けるようなり、人妻もその愛に応えるようになる。しかし、レズビアンである女所長も、その人妻に目をつけており、なんとか自分の物にしようと策を弄する。そんな中、女たちの衛生状態を診察にきた医師が、彼女たちを救出しようとしていることが発覚し…というストーリー。

すごくたくさん女性がいるように感じられたが、実際は5人くらいかな。自制はずっと全裸状態で、おまけに外国人の顔はいまいち区別がつかなかったりする。性的嗜好とかでキャラをつけようとしているが、けっこう難しい。ストックホルムシンドロームじゃないけど、望んで置かれた状況じゃないのに、それなりに楽しむやつとか、逃避なのかもしれないが楽しみを見つけようとするヤツ。人間に備わっている順応性なのか。また、女性が全員平等に扱われないとか、社会学的観点からおもしろく見ることができ………なくもない。こういう感情の動きを表現しようとしているから、単なるポルノではないと一部で評価されているのかな。

ポルノ映画というのは、情欲が喚起されるものだと思うのだが、観進めていくうちに裸を見てもなんとも思わなくなっていく。先日観た『倦怠』と一緒。製作側は純粋にポルノとつくりたかったのかもしれないが、意図から逸脱していくというのは、おもしろいかも。

演出方針の特徴だが、血がでない(というか傷口を見せない)。首を切られても切った人に返り血の一滴すらかからない。性器は見せても、血は見せないという価値観がおもしろいのだが、ヨーロッパの規制ってこんなもんなのか?

普通、革命組織が舞台なんだから、革命活動の経緯とか敵をしている政府の蛮行なんかが並行して描かれてよさそうなもんだけど、何もない。本当に何もない。本作が“普通じゃない”と感じられる理由の一つかも。

で、ラストはものスゴイところで終わる。ははは。そこまで愛してるなら、オンリーにするんじゃなくて自分の家に棲ませりゃいいじゃねえか。もしかして正妻いるんか?(そういうディテールは描かれないんだよなぁ…)。

画質はVHSレベルだし、興味本位で観ても後悔するだけかも。

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公開年:1998年
公開国:フランス
時 間:120分
監 督:セドリック・カーン
出 演:シャルル・ベルリング、ソフィー・ギルマン、アリエル・ドンバール、ロバート・クレイマー 他







妻と別居中の哲学教授マルタン。周囲に本を執筆すると吹聴しているが、執筆どころかあらゆることに行き詰まり感を覚えており、資料集めすらしていない。ある日、バーで飲んでいると、老人の客が支払いのトラブルをおこすので出くわす。何気に代金を支払って助けてやると、画家だと名乗る老人は、金の代わりだといって絵をマルタンに渡すのだった。その絵は、裸婦像で、どうしてもその絵のことが気になったマルタンは、後日老人の住居を突き止めて出向いていく。しかし、近所の人から老人が数日前に死んだことを告げられる。マルタンは、無断で老人の部屋に入り込む。すると、一人の若い娘が出てくる。その娘の肉感的な体を見たマルタンは一目で絵のモデルであることに気付く。老人の親しい友人であったと偽り、セシリアと名乗る娘と会話を重ねるうちに、その場で関係を持ってしまう。以降、体を重ねるだけの官能的な毎日を続けるマルタンは、特に美人でもないが奇妙な魅力を持つ彼女にすっかり夢中になってしまう。しかし、そっけない態度や、自由奔放で他の男性とも簡単に関係を持ってしまう彼女に、日常生活が困難になるほどに苦悩していき…というストーリー。

裸がどうのこうのじゃなく、全編ほぼひたすら性行シーンで、完全にポルノだなぁ…ってR-18だから当然か。

なんか神経質そうな40すぎのおっさんが、エロくてアホな小娘にハマるお話。こんな小娘に夢中になっている自分が許せないのか、友人(女性)に、別れたいけどこっちから切り出したかわいそうだとか虚言を繰り返す。本当は友人に相談に乗ってもらいたいんだけど、本心を言うとはずかしい。だけど、自分が若い女と付き合っていて性的な魅力が高い人間であることもアピールしたいという、とにかく面倒くさい男。
セシリアのネジがはずれているのはしょうがない。そういう女性なんだと思う。たしかに、どういう価値観を持った人間なのか、何を欲しているのか、将来的にどうしたいのか等々、まったく見えてこないので、非常にミステリアスに見えてしまう。いろいろ、いじわるしたり試したりしても、さっぱりわからない。絶対に本当の自分というのが裏にいて、自分には見せていないのだ…、なんとか“彼女自身”を見出してやろうという欲求がふつふつと湧いてくる。

彼女がなんで自分なんかと付き合ってくれているのかも分からないから、得も言われぬ不安がおそってくる。毎日会っているのに不安になってくる。そんな中、突然毎日は会えないなんて言われるもんだから、浮気を疑う。きっと隠しているんだと躍起になるが、彼女は隠したいわけではない。めんどうくさいから言わないだけ。隠すとかえって面倒くさいことになりそうな感じなると、何の躊躇もなく白状する。だから、ごめんなさいとか、そういう感覚もない。

で、マルタンもマルタンで、別れるかっていうと、二股を許容する。でも、明るく許容するわけではない。グギギギギ!!!とますます歯ぎしりしながら付き合い続ける。ストーカーまがいの行動も加速する。嫌がられてちょっと距離が置かれるのかな?と思いきや、逆にセシリアはマルタンを家族に紹介したりする。

まあ、破滅以外にオチはないのだが、どれだけ、グチャグチャ、ボロボロになって破滅するのかが、本作の見どころ。身も蓋もない性描写だが、ひたすら男が自分の精神的な欲求を処理できずに苦悶する姿を描写することが、主眼のお話なので、いまいちポルノという感じがしないのが、不思議なところ。ストーリー自体は文芸作品の域だと思う。よく女優さんが「脱ぐ必然性があったので脱ぎました」とか言うでしょ。本作はまさにそれで、とにかく、あっけらかんと脱いで性行為をする場面を描写しないといけない。変に隠したりぼかしたりすると、本当にポルノになっちゃうので、ストレートにしないと方向性がおかしくなってしまうんだね。

結構、衝撃なのが、セシリアがおしっこした後に、大型のタオルで股間を拭くシーン。これ、フランスじゃふつうなの?拭いた後、ふつうに壁にかけてるんだけど、共用? もしかしてトイレットペーパー流せないのか?(じゃあ大便の時はどうする?) そのシーンで少し思考がフリーズしてしまったわ。

セシリアのとある行動で、性的に奔放なだけでなく、社会性とか通常の情動のレベルでかなり欠陥のある人間であることが発覚する。いい加減、マルタンは目覚めてもいいんじゃないの?と思うのだが、ラストは…。
もう、裸にはうんざりしてしまったけど、渡辺淳一の作品とかよりは愉しめたかな。

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出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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