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imageX0077.Png公開年:1955年
公開国:日本
時 間:122分
監 督:市川崑
出 演:森雅之、新珠三千代、三橋達也、安井昌二、田村秋子、鶴丸睦彦、北林谷栄、下元勉、久松晃、下絛正巳、山田禅二、伊丹慶治、奈良岡朋子、鴨田喜由、河上信夫、山本かほる 他




大学生の日置は野淵という男と知り合い、しばしば野淵の家に通うほどの仲になった。野淵は定職に就いておらず、貯金を食いつぶす生活を続けていたが、学識があったため日置は勉強をしに通っていた。よって、日置は野淵のことを先生と呼んでいた。野淵には妻いるが子供いなかった。かといって不幸そうでもなかったが、幸せにも見えない不思議な夫婦だった。日置は野淵にいつも漂う影のような物と、極端な人間嫌いが、どこから生じているのかを知りたいと思い、何か隠している秘密があるのではないかと問いただすと、今は言えないが時期が来たら話すと約束するのだった。翌年日置は大学を卒業し、野淵に就職口の紹介を依頼して、重篤な父を看取るために実家の信州に帰る。その時、明治天皇崩御の報と、殉死した乃木希典夫妻の報を聞き、自分も殉死すべきなのではないかと考え始める。しかし、自殺する前に、日置に秘密を打ち明けるという約束を果たさねばならないと感じた野淵は、日置に電報を打つ…というストーリー。

基本のストーリーは原作と同じだが、原作の中巻と下巻をうまいこと並行して編集して、実に映画らしい構成にしている。なかなかうまい脚本だと思う。ちなみに、原作での“K”は梶となっている。だが、うまくまとめた脚色だとは思うが、おもしろいとは言いがたい。

野淵は親の遺産を食い潰す生活をしているだけで、一切労働はしていない。なにが学術的な研究に没頭しているわけではない。日置は、野淵の家に勉強をしにいっているようなのだが、家庭教師のようにダイレクトに勉強を教えてもらっているワケではなく、なにやら人生訓的なものを聞いて、なるほどな~と感心しているだけのような感じ。何を持って“先生”と呼称しているのかよくわからないし、野淵の方も一度も教師をしたことがわるわけでもないのに、先生などと呼ばれて気恥ずかしくないのか、非常に疑問である。
ただ、仕事もしていないし勉強をしているわけでもなく、親の金で生きているということは、親が生きているか死んでいるかの差だけで、野淵はニートなのである。結婚はしているし自宅ももっているけど、定義的にはニートだね。

で、その野淵の中にある罪悪感の発端は何なのか…というのが、謎解きのように紐解かれるわけだ。この“真実”が、どれだけ興味深いか…がすべてだと思う。原作は、それこそ、明治の非産階級の生活を垣間見るような感覚と、堕ちていく様子を眺めることに面白みがあったのかもしれないが、映画では、そうそうダラダラとはしていられない。なので“真実”にスポットを当てる構成は正しい。しかし、残念ながら、その過去の出来事が、あまりインパクトがあるわけでもないので、盛り上がりに欠けるのだ。まあ、そんなとこだろうな…って感じ。

ただ、この過去の告白の内容の部分にインパクトがあったなら…と考えると、後の金田一耕助シリーズ演出の萌芽を見たような気がする。まあ、それだけといえばそれだけ。『こゝろ』という作品が、好きなら原作でいいわけだし。

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出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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