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公開年:2013年
公開国:日本
時 間:113分
監 督:佐藤東弥
出 演:松坂桃李、綾野剛、剛力彩芽、濱田龍臣、鈴木亮平、初音映莉子、光石研、中村獅童、岸谷五朗、新上博巳、Yumiko、川本耕史、グレゴリー・ペーカー、菜葉菜、奥井長門、大元喜翔、石井心愛、岩田遥、吉田翔、古味来夢、馬場典子、佐藤義朗、滝口順平 他
コピー:その力は、正義か、破壊か――



20XX年。人類は謎の侵略者“ギャラクター”に襲撃されて、地球の大半を奪われてしまう。しかし、人類は不思議な力を発揮することができる“石”を発見。その石の適合者が世界中から集められ、訓練が施された。ISO(国際科学技術庁)の南部博士は、適合者の仲から、“大鷲の健”、“コンドルのジョー”、“白鳥のジュン”、“燕の甚平”、“みみずくの竜”を召集。幼い頃から究極の兵器になるべく鍛えられてきた彼らは、科学忍者隊“ガッチャマン”として、ギャラクターに立ち向かう。若き5人に地球の運命が託されるのだったが…というストーリー。

本作の佐藤東弥監督って、『北京原人 Who are you?』の佐藤純彌の息子だそうだ。親子二代で日本映画史に爪痕を残すなんてスゴい。こんなんで大金を投入した作品の監督になれるなんて。親子二代でフリーメーソンとかなんじゃね?

あまりにくだらないので、以下の指摘は箇条書き状態になる。

冒頭の世界観説明で、画面に字を入れちゃうというセンスの無さ。これがいかに作品に対する印象を矮小化するか、まったく気づきもしないという。それだけを見ても、つまらないのが簡単に予測できる。

いつも言っているが、こういうバトル構造物は、敵キャラのデキこそが重要。でも、ベルクカッツェのデザインが変。ゲッ!こんなごっつい敵に勝てるんかいな?とか、敵ながら格好いいな…とか、メータを振り切るくらいじゃないとダメなのに。

CGは1.5流って感じで、純粋な技術にはまったく問題なし。しかし、アングルやカット割がクソ。わざわざニセ物っぽく見える構図にする、センスの無さ。
ギャラクターと人間のDNAは99%一致…だって。手足もあって人間みたいな風貌なので、地球外生物だと思い込むほうが不自然。SFなのに、科学表現がクソってもイライラしてくる。ウソならおもいっきり大嘘つきゃいいのに、どうみても科学知識の足りないやつが考えた設定にしか見えないのがクソ。

ギャラクターは宇宙人か何か…という風にもっていきたいようだが、そのくせ、フリフリの敵とかでてきちゃって、実は地球人…って、それ以外にどういう展開があるというのか。また、G粒子なるオーバーテクノロジーな魔法の光線をだしちゃうのも、興ざめ。
ガッチャマンのデザインは悪くない。でも、装備をリアルにすればするほど、マントの意味をキチンと説明しないといかん。邪魔でしかないだろう。

こういう実写リメイク作品は、思い入れのある作品に対して、偏執的なまでにこだわれる人間であることが重要だと思う。とにかく本作のシナリオというかプロっトは、非常に浅い。

初作戦みたいなのにに、結構な活動をこなした後のような雰囲気。もうすこし初作戦ならではのぎこちなさとか、モメごととか、挟むエピソードはあったと思う。

IT関係のエキスパートを、ガッチャマン内に置く意味がない。それはサポートメンバーの仕事でよい(まるでガッチャマン以外に工作員がいないがのごとく)。彼らは単なる白兵戦遂行用の“駒”に徹するのがよい。

ジュンのキャラがいきなり崩壊している。まったく魅力もかわいげもない。変態仮面さんは見た目とアクションはいいけど、演技はダメ。甚平だけは悪くない。本当に必要な、5人のキャラ付けすらできないなら、ガッチャマンなんかやめればいいと思う。

竜の育ての母が死にそうとかいう、無意味なサイドストーリー。いや、あってもいいのだが、ぜんぜん生きていない。
ジュンと甚平の両親が捕虜という設定を伏線にするでもなく、生かせず終いという愚作。
任務に忠実で冷淡な健の魅力の無さ。さらにそれが真の顔でないことがわかっていたとしても、その流れが見えることで生じるウンザリ感。

チームとしての方向性も構築できないまま、ストーリを進めるので、感情移入が一切できず。5人とも、作中で精神的な変化、成長はなし。はじめに抱いていた悩み・問題をずっと同じ状態で抱えたまま。これは物語ですらない。
成長が描けていないものだから、無理やりモメて(なんか頭がおかしくなったんじゃないか?と思うほど唐突にモメはじめる)、さらにそこからの、意味不明の仲直り。気持ちが悪い。

なぜか、ウイルスに感染すると、ボンテージファッションに変化するという、意味不明な現象。

“科学忍法”とは何なのか、定義することなく、製作を進めているのも敗因の一つ。そのくせ科学忍法という単語は用いるという気味の悪さ。

綾野剛って、かっこいい人扱いされてるけど、登場すると、鼻から口にかけてがなんか間抜けに見える。このままの路線で仕事を続けていたら、自分の首を絞める結果になると思う。

まあ、お判りだろうが、見紛う事なき駄作である。

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公開年:2013年
公開国:日本
時 間:105分
監 督:福田雄一
出 演:堤真一、橋本愛、生瀬勝久、山田孝之、濱田岳、水野美紀、石橋蓮司、指原莉乃、賀来賢人、ムロツヨシ、川久保拓司、秋元黎、ドナルド・アッシュ、蛭子能収、尾上寛之、小柳心、村松利史、池田成志、佐藤二朗 他
コピー:将来のことは、考えないようにしています。





42歳のバツイチ男、大黒シズオは、高校生の一人娘・鈴子、父親の志郎と3人暮らし。“本当の自分を見つける”と言い、会社を辞めてしまい、それから1ヵ月立っても、朝からゴロゴロしてゲーム三昧で、父親からは怒鳴られる毎日だった。そんなある日、本屋で立ち読みしていたシズオは、漫画家になろうと突然ひらめき、家族に宣言。書き上げては出版社に持込むのだが、当然すべてボツ。バイト先のファーストフード店では“店長”と呼ばれているが、もちろん本物の店長ではなく、新人に馬鹿にされる毎日。後輩に合コンに誘われるものの、まともの相手にすらされない。挙句の果てには、高校生の娘に2万円借りる始末。そのくせ、隙あらば幼馴染の宮田と飲みに行く。そんな中、バイト先に金髪の新人・市野沢がやてくる。やる気のない市野沢をシズオは飲みに誘うが、自分が泥酔。市野沢はシズオを家に送るハメに。ほどなく市野沢はバイトをやめるが、以降も二人の付き合いは続き…というストーリー。

マンガ原作の作品らしいが、たしかにマンガ的な演出が散見。特にそれが良くも悪くもない。『HK/変態仮面』の監督さんなのだが、この人、2013年に3本も監督してるねぇ。『THE3名様』とか『かずら』もこの人か。ちょっとシュールなコメディが得意なのかな。
原作を読んでいないので、再現度や毀損具合はわからないが、ソツなくまとまっている印象。演技陣がやたらとしっかりしているので、ユルい割には、不思議な緊迫感がある。『HK/変態仮面』でも、くだらない内容なのに、独特の空気感があったと思う。この監督の良さなのかもしれない。

男性目線だと、宮田の元妻の言い分や、娘・鈴子の所業はヒキまくり。子供が父親のところにいたいからといって、あっさりと妻が戻ってくる違和感。「そのバイトはやめなさい」「はい」で終わる狂気。狙いなのかもしれないが、頭に霧がかかったような不安を感じる。

それなりにおもしろくはあるのだが、世の中はこういう映画を求めていないような気がする。突然仕事を辞めてしまうようなダメな人間が主人公だけど、それでもなんだかんで生きているじゃない。むしろ、こんな自由に生きられるなら、そうなりたいと思っている。さらに、宮田妻の件もハッピーエンドでおさまり、娘の件も大事にもならず。市野沢もパン屋に就職。
そんな幸せだらけな状態を観て、ほっこりすることを本作に期待する人が何人いるだろう。少なくとも、宮田の元妻や娘・鈴子はもちろん、宮田のパン屋だって、もっと泥水を舐めるような内容にしたほうが良かったのではなかろうか。そこまでやった後に、一縷の未来を見せるべきかな…と。

橋本愛は中途半端なヨゴレ役だが、まあ、女優でやっていこうという心意気と捉えられなくもない。もったいない扱いな気もするが、まあ、あまり素行の良い話もきかないので、変にアイドルアイドルした仕事を押し付けるのも得策じゃないんだろう。

小品良作といいたいところだが、良作には2歩及ばずって感じ。

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公開年:2011年
公開国:日本
時 間:111分
監 督:森下孝三、(演出)古賀豪
出 演:吉永小百合、堺雅人、観世清和、吉岡秀隆、折笠愛、竹内順子、玄田哲章、水樹奈々、櫻井孝宏、観世三郎太、黒谷友香 他
ノミネート:【2011年/第35回日本アカデミー賞】アニメーション作品賞
コピー:…二千五百年前、インド。地上のあらゆる生き物から、誕生を祝福された男がいた──。




2500年前のインド。大小の王国が覇を競い合っていたが、カースト制度によって、奴隷に生まれたものは一生奴隷として虐げられ、苦しく貧しい生活に喘いでいた。奴隷の子チャプラも、愛する母親がいつ売られてしまうか気が気でなく、奴隷の身分を抜け出したいと考えていた。そんな中、コーサラ軍の侵略によって家族を殺されたタッタ少年と知り合う。二人はコーサラ軍の野営地を襲撃しようと考えるが、ひょんなことからチャプラは瀕死のブダイ将軍に遭遇。奴隷から抜け出すチャンスと考えたチャプラは、ブダイ将軍を担いで、コーサラ軍まで運んでいく。その後、快復したブダイ将軍に気に入られ、身分を隠して養子となるのだった。同じ頃、隣国のシャカ国では、王子が誕生し、シッダールタと名付けられる。祝賀に訪れた聖者アシタは、王子は世界の王となると予言するのだった。それから10年が経過し…というストーリー。

続編が公開されると聞き、そこまでの一作目はよかったのか?と、鑑賞。

私、手塚治虫ファンで『ブッダ』の原作は大好物なのだが、まず、いかにもアニメチックな絵柄に、いきなり萎えてしまう。こんなキランキランした絵柄の需要がどこにあるのか。海外か? いずれにせよ私は拒否反応。日本は、もうちょっと味のある絵が描けるキャラデザの人や原画マンはいないのだろうか。いわゆる“アニメ絵”が基本と思っているなら大間違い。こんなんじゃ日本のアニメ界は、完全衰退間近だぞ。

声優じゃない人たちの声にも萎えてしまった。残念ながら吉永小百合も吉岡秀隆も興醒めだったし、一番ダメなのがシッダールタの父役の観世清和という方。能楽の方らしいのだが、申し訳ないがあまりにもヘタ。
ただ、堺雅人だけがものすごくうまくて、ちょっとびっくり。でも、本作でご退場なので次作にはいないというもったいなさ。本当に器用なんだなぁ。

一方、ストーリーは原作に忠実。それも、短い時間の中うまく配分して、且つそれぞれのエピソードを毀損することなく描ききっていた感じる。終盤のポイントである成長したシッダールタの苦悩。そしてミゲーラの悲劇がうまく描けていた。一方、原作でもちょっと冗長で退屈に感じられた、妻とラーフラのくだりは、ちょうど良い感じではしょっていた。ユニークな見せ場であるタッタの特殊能力も幻想的でさえあった。海外の人には興味深く映ることだろう。

また、原作では、“生老病死”にかなりスポットが当たっていたが、それもない。西洋人がみたら老・病・死をわざわざ分けて、人間の4つの状態とすることに、違和感を覚えると考えたのだろう。妥当だと思う。それを判った上で取捨選択したのならば、この脚本家はかなり優秀。

ただ、唯一残念に感じたのは、チャプラの母親にくっついていた坊主をもうちょっと丁寧に描くべきだったと思う(動物の行動しかできなくされてしまうのだが、後々再登場するので)。

これは原作の段階からそうなのだが、欧米の作品にはまったくみられない奇抜なストーリー展開であること。神義論を頭に浮かべざるを得ない、理不尽ともいえる不幸、運命のいたずら、無常。苦悩して城から抜け出した主人公が、俗世から離れた…というところで終わってしまうところなど、普通なら不完全燃焼と捉えられるところだが、それを圧倒的な仏法説話の怒涛の潮流で押し切った感じ。

まあ、はじめから3部作くらいにする予定だったとは思うのだが、これなら次回作も観たい…と思た(とはいえ、レンタルで…だけど)。
#ブダイ将軍とチャプラの関係は、『火の鳥 黎明編』を彷彿とさせる。

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公開年:2013年
公開国:日本
時 間:90分
監 督:高雄統子
出 演:森山未來、星野源、鈴木れい子、立木文彦、くまいもとこ、永澤菜教、日比愛子、西原久美子、園崎未恵、斉藤貴美子、島田敏、白川周作、高乃麗、竹本英史、島崎信長、山本兼平、半田裕典、高森奈津美、原紗友里、庄司宇芽香、佐藤正治 他
コピー:神も仏も、ここにいる。




ブッダとイエスは、世紀末を無事に超えたことを機会に、バカンス目的で下界にお忍びで降臨する。二人は東京・立川のアパートで共同生活をはじめ、元商店街の人々との交流を通じて日本の風習や文化に触れ、四季を満喫していた。満喫しすぎて、衝動買いして浪費家っぷりを発揮するイエスをお金に細かいブッダが嗜めることもしばしば。螺髪・白毫・大きな耳たぶのブッダと、長髪・髭に茨の冠をつけているイエスは、周囲に素性がばれないように、注意深く生活していたが、ついつい“奇跡”を発揮してしまい、近隣住民たちに奇異の目で見られることも。そうこうしながらも、二人の人間味溢れる人柄は、人々の心とのやさしい繋がりを生んでいく…というストーリー。

まあ、基本的にマンガの通り。公開当時、原作ファンからものすごいバッシングがあったけど、それは、宗教ネタが薄まったから。いや、それはね、できないと思うよ。ムハンマドが出てこないのと同じ理由でしょ。映像にして拡散したら無用な軋轢を生む。その虎の尾を踏まないからって、バッシングするはいかがないものかと思う。
前半まではほのぼのとしつつも、クスクス笑ってたよ、私。宗教ネタなんて、Tシャツの文字とか奇跡おこしちゃったり、クリスマスに動物が集まってくるくらいのレベルで十分だって。

この手の作品の場合、逆にぴったり同じだったらアニメにする意味なんか薄いと思うよ。別に動くことでおもしろさが増すような内容ではないじゃない。全部読んでるわけじゃないけど、それを抜いた上で、複数のエピソードをうまくまとめたって意味では、評価できるのかも。
#まあ、宗教色が薄まったせいで、反比例してホモ臭が増しちゃってるけど。

でもね、そのノリが小波の連続で飽きちゃうのね。私は、銭湯あたりでダレてしまった。まあ、それも仕方がないか。映画全体として大きなストーリーの流がわるわけじゃないんだもん。“映画”という形式ではあるけど、一つの物語としての映画ではない。

もう一点、純粋に映画として感じる難点は、ナレーションかな。とても無粋だった。言葉で内証や状況を説明しないと表現できないなら、映画なんかやめちゃえってね。興味があるなら漫画を読めばよい。本作を見る意味はないかな。NHK教育の深夜で15分枠くらいが丁度いいと思う(それこそ、宗教的な意味合いでNHKじゃ扱えないだろうけど)。

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公開年:1979年
公開国:日本
時 間:75分
監 督:(演出)浦山桐郎
出 演:加藤淳也、冨永みーな、熊倉一雄、北村和夫、黒田絢子、矢吹寿子、樹木希林、佐奈田恒夫、酔銘亭桐庵、吉永小百合、黒田絢子 他






 貧しい山村で、祖母と暮らす龍の子太郎。太郎は怠け者でいつも寝てばかりいたが、そのくせ大飯喰らいで祖母を悩ませていた。そんなある日、太郎が山で動物たちと相撲をとって遊んでいると、天狗が現れ勝負を挑んでくる。相撲が得意の太郎は見事に勝って、その褒美に“百人力”を授かるのだった。その後、太郎が祖母に母親のことを訊ねる。他等の母は太郎がお腹の中にいるときに、空腹に耐えられず、村のおきてを破って、他の人の分までイワナを食べてしまう。その罰として龍の姿に変えられてしまったという。母は、太郎が成長したら北の国にある湖を訪れるように言い残し消えたと聞いた太郎は、母を探すために村を出る決意をする。その頃、仲良しになったあやが赤鬼にさらわれてしまったと聞き、救い出そうと乗り込むのだったが…というストーリー。

これ、私が劇場ではじめて観た作品だと思う(なんで“思う”なのかというと、『劇場版 アルプスの少女ハイジ』とどっちが先だったか記憶が微妙だから)。ただ、間違いなく『東映まんがまつり』中の一作。本作のほかに『ピンク・レディーと春休み』『SF西遊記スタージンガー』『キャプテン・フューチャー』『闘将ダイモス』などのが同時上映されているはずなのに、一切記憶がない。『キャプテン・フューチャー』はNHKだったと思うが当時観ておらず、ピンク・レディーにはまったく興味がなかったので爆睡状態だったのだろう、観た記憶すらない。『闘将ダイモス』は恋愛要素が強すぎてあまり好きではなかったしなぁ。

閑話休題。
本作も『西遊記』を同じく、主人公の龍の子太郎が劇中で歌う唄が、脳裏に焼きついている。「♪ひーがーしーのー、かーぜーよー、ぷぃ~とふーけー」ってやつ。
そして、目玉をなめて育つというグロ設定に、「うぇ~」と思ったのもよく覚えている。また、竜の中から全裸のおかあさんが出てくるシーンが、何か観ていて猛烈に恥ずかしかった記憶がある。今みても、やっぱりちょっとエロチックだ。

それほど知られていない作品だが、とても1979年の作品とは思えないクオリティに改めてびっくり。浦山桐郎監督の力なのだろうが、画面の構図が、他のアニメ作品と異なる。特の引きの画の構図が良くて、こういう昔話ベースの内容だと、狭い世界観になりがちだが、しっかりと空間を感じられる。キャラデザインもそれほど古臭くないし。

童話然としているが、ストーリー展開の緩急というかメリハリがある。
なんとも社会教育的なテーマが底にあって、地味に今の常識とちょっと相容れないところがあるのが面白い。
黒鬼、にわとり長者、白蛇、山姥と、改心の余地が無さそうな“悪い大人”がたくさんでてくるころが面白い。単純な敵役という描き方ではなく、世の中には邪悪な存在がいるのだよ、子供たちよ気をつけなはれや~って感じなのが、ユニークだと思う(まあ、ある意味、そういう注意喚起的なシグナルは、童話の主目的ではなんだけどね)。

さらに、なんで母は龍にされなければならなかったのか…という根源問題を追及しようとする太郎(あほっぽい感じなのになかなかロジカル)。経験と熟考の末に出た答えが、簡単に表せば“貧しい人々の生活をよくするために、どんどん努力・開発していこう”“貧しいのは悪だ”ってうこと。
ちょっと、今の一般的な価値観とはズレているところもおもしろい。だって、はっきりいって、最後に太郎と母ちゃんがやることは自然破壊だもの。その沼に棲んでいた、たくさんの魚たち、みんな死んでしまったんけ? いくら下の人々に警告したって、あんな大水で被害が無いわけないじゃろ。沼の水を一過的に流しても、湧き水でもない限りそれでおしまいで、下で田んぼなんかつくれねーだろ!とか、色々つっこみどころはあるのだが、観ている最中はそんなことに気付かせることなく、大団円で観終えることができる。
#当時、公害問題が噴出している時期だとは思うので、時代のせいってわけじゃないと思うんだけどね…。

内容とはまったく無関係なのだが、不思議なもので、『ゴジラ対メカゴジラ』とフィンガー5のポスターが映画館の売店に貼られていたのを克明に覚えている。当時の私はフィンガー5を良く知らなかったが、親たちの会話にでてくる5人兄弟の話はこれのことか…と。そして、メカゴジラとかシーサーとか、なんかスゲーな…と。いつか観たいなぁと思った記憶がある(そういば、今の今まで観たことがないかも。借りるか)。

文部省推薦的なアニメの中では、出色の出来映え。胸を張ってお薦めできる作品だと思う。

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公開年:2004年
公開国:日本
時 間:116分
監 督:那須博之
出 演:伊崎央登、伊崎右典、酒井彩名、渋谷飛鳥、宇崎竜童、阿木燿子、冨永愛、ボブ・サップ、KONISHIKI、夢野まりあ、小倉一郎、洞口依子、松本博之、小林幸子、今井雅之、大沢樹生、金山一彦、モロ師岡、きたろう、的場浩司、嶋田久作、鳥肌実、清水宏、染谷将太、布川敏和、船木誠勝、本田博太郎、永井豪 他
コピー:人間は庇護(まも)るにたるべき存在か。



4年前に両親を事故で亡くし、クラスメイトである美樹の家族に引き取られた高校生の不動明と、父・飛鳥博士の下で何不自由なく育った飛鳥了は、無二の親友。了は、明に危害を加えようとするものが現れると、見境無く凶暴性を発揮し、しばしば取り返しのつかない行動をとる。そしてその暴走を止められるのは明だけだった。ある日、新エネルギーを探していた飛鳥博士は、南極地底湖をボーリング調査している時に、“デーモン”を目覚めさせてしまう。デーモンは、他の種族の体を乗っ取り姿を変え続ける邪悪な生物。次々と人間を乗っ取ったデーモンは、明も餌食にする。しかし、明の心は乗っ取られることなく、人間の心を残したデーモン“デビルマン”となるのだった。明は運命を受け入れ、愛する人々を守るために、デーモンと戦うことを決意する。しかし、デーモンの存在を怯えた人間たちは、“デーモン狩り”を開始。明確なデーモンの特徴もわからぬまま、変わった様子の者や、気に喰わない者を殺戮しはじめ…というストーリー。

『幻の湖』『北京原人 who are you?』と観たので、続いて『シベリア超特急』と思ったのだが、近所のレンタルビデオ屋には置いていなかった。何箇所か廻ったが置いていない。扱っていない所が多いみたい。でも、なんとか探してみる。ということで、代わりといっては何だが、本作を。
まあ、散々、笑いの種になった作品なので、いまさらという感があるが、今回は、逆にちょっとフォローしてみたいかも。

まず、原作無視も甚だしいという意見があるが、それは、アニメ版と比べてのことではなかろうか。本作は、原作漫画の流れをそれなりになぞっていると思う。原作者の永井豪が出演しているほどなので、プロット的にむちゃくちゃということはないだろう。
漫画単行本は、たったの5巻で、たしかに一本の映画にまとめられそうに感じるかもしれない。でも読めば判るが、それは無理。巻数に不釣合いなほどの深遠さと、カトリック的な宗教感をベースにした天使と悪魔の戦い。さらに善悪とは何なのか…という哲学的な思索まで喚起してくれる作品なのだ。それをたかだか120分程度でまとめようというのが無謀だった。

よく揶揄されるのが、整合性のない編集や場面転換というのがある。例えば、友人の牛久がジンメンに襲われた後のシーン。ショッピングモールで助けを呼ばれたのに、なぜか海を探し、その後なぜか山でジンメンを見つけるという流れ。もっともらしい指摘だが、別に変ではない。襲われた牛久はジンメンに乗っ取られ、ジンメンは移動。デビルイヤー(?)で牛久の声を聞いた明は、その声の方向を探しただけ。海のあたりで聞こえたから海を探した。海に顔を突っ込んだ様子をみて、そんなところにいるわけねーだろー!とツッコむ人が多かったが、デビルマンの能力を持ってすれば海の中の有る程度の範囲を確認できる。その後、すぐに山にいったのはおかしいというツッコみもあった。しかし、海の傍に山がある地形などゴマンをあるだろう。何が変なのか。
問題はそこじゃないのだよ。先ほど行ったように、本作は原作を凝縮しすぎていて、展開を丁寧に描くことを放棄している。その凝縮具合が甚だしすぎて、展開が突飛に見えるだけなのだ。

あれ、だんだんフォローできなくなってきたぞ。

どうしても許せないのは、寺田克也の無駄遣い。デビルマンやシレーヌなどコンセプトデザインは彼が行っている。ちょっと前に、京都のマンガミュージアムで寺田克也の展示を見てきた。デビルマンの絵も展示されていたが実にすばらしいものだった。あのイメージのまま忠実に本作が作られていたなら、何の問題もなかっただろう。しかし、本作は、寺田克也の味わいをまったくといっていいほど反映していない。シレーヌのスクール水着に羽毛をつけたような衣装は最悪。ヒールってなんだよ(てか、シレーヌとの戦い、中途半端で終わってるじゃん)。
明とデビルマンの中間体のデキの悪さも、かなりヒドい。
ラストのサタンとの戦いは、本当にパチンコ台のアニメみたい。さらに動きも変。どうしようもない。これなら手書きアニメのほうがマシ。散々、アメコミみたいなカットを差し込んで、ユニークな演出を狙っていたのに、それも台無し。

明と了を演じている役者は同じ苗字。どうやら双子らしい。なんで?原作でも似ているという設定はないし、本作のストーリー上も似せる意味はない。むしろ似ていたら混乱するわけで、結局、髪の色やらメイクの具合など、はっきり区別を付けているように見える。双子にこだわらず、もっと骨太で熱い演技ができる役者を使うべきではなかっただろうか。
もう一人のデビルマンであるミーコは、デーモンに変身するが、全然デーモンらし風体じゃなかったのも納得できず。なんで、そこで力を抜くのか。演じた渋谷飛鳥は、マトモな演技だったのに実に残念。

まとめよう。
①原作の2巻くらいまでのお話でまとめるべきだった(成功したら続編を…くらいのノリで)。
②デーモン族の造型はもっとしっかり作りこむべき。
③主役の選定をやり直す。

この3点だけ直せば、もうすこしまともになったと思う。やっぱ、フォローするのは無理だった。
#KONISHIKIとか、カメオ出演がすべて裏目になて作品に悪影響をおよぼしてるって、スゲーよな。

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imageX0065.Png公開年:1989年
公開国:日本
時 間:86分
監 督:周防正行
出 演:本木雅弘、鈴木保奈美、大沢健、彦摩呂、田口浩正、近田和正、渡浩行、ポール・シルバーマン、入江則雅、徳井優、宮坂ひろし、ジーコ内山、大木戸真治、清田正浩、松本泰行、玉寄兼一郎、竹中直人、甲田益也子、菅野菜保之、村上冬樹、みのすけ、吉田マリー、吉田裕美子、浦江アキコ、大槻ケンヂ、東京スカパラダイスオーケストラ、半田麻由美、広岡由里子、原ひさ子、戸村由香、河合美智子、柄本明、小形雄二、岩松了、蛭子能収、河田裕史、佐藤恒治、布施絵里、岡本弥生、宮琢磨、大杉漣、宮本信子 他

大学4年生の塩野陽平は、ロックバンドのボーカルをやるなど楽しい日々を過ごしていたが、実家の禅宗の寺を継ぐために、山奥の明軽寺に修行をすることに決めた。修行は1年にも及ぶため、恋人の真朱は不機嫌に。明軽寺に向かう道で、なぜか弟の郁生と遭遇。弟は寺を継ぎたくないだろうと慮り、修行をする決心をしたのに、がっかりする陽平。気を取り直して入山するものの、待ち構えていたのはあまりにも厳しい修行の日々。しかし、先輩坊主たちのいびりに耐え続けると、次第に馴れてくる。先輩たちの手の抜き方も見えてきて、お寺ライフの楽しみ方もわかってくる。そんな中、かつてのバンド仲間のアツシが、就職した会社の禅寺修行研修にやってくる。陽平はは、真朱が元彼と再び付き合い始めたとアツシから聞かされ…というストーリー。

How To的な作品という意味では、伊丹作品の『お葬式』のようなテイスト。しかし、飲み口が優しくてすいすい飲めちゃうんだけど、けっこう度数は高いから酔っちゃうよねえ…的なカクテルのような作品。ああ、またTVでやってらぁ…と思いつつも、観始めたら、最後までするすると観てしまう。この、“軽さ”こそ、初期の周防監督の魅力である。この客を逃がさない吸引力は異常ともいえる。

お寺修行がテーマだし、最後は法戦なんだから、仏の心がどうのこうのと、それこそ抹香臭い話になりそうなものなのだが、わざと避けている感じ。
『お葬式』や『タンポポ』は海外でも愉しんでもらえそうな気がするが、本作や『シコふんじゃった』は海外ではウケない気がするのは何故だろう。もしかすると、このテーマへの直球の掘り下げがない部分が、そう感じさせるのかも。

主演の本木雅弘も映画初出演だったり、大沢健、彦摩呂、田口浩正とか、メインどころとしては、経験の浅い人ばかりキャスティングされている。荒削りさを生かしたかったともいえるけど、失敗したのときの逃げ道を作ったような感じもする。マンガ原作だし、スカパラや大槻ケンジを使うようなうわついたキャスティングも、その後の作品を観ると周防監督っぽくない。
やはりメジャー一作目としては、様々なステークホルダーの要求と折り合いをつける必要があったようだ。それでも、自分のやりたいことをしっかりと盛り込めているのはすごい。ロマンポルノでのデビューから、やっと巡ってきたチャンスを掴む、作風とは異なるしがみつくような貪欲さが伺える。

個人的な好みの問題なんだけど、鈴木保奈美という人の魅力がよくわからない。特段、美しいわけもないし、かわいらしいわけでもない。演技は一本調子だし、一人で作品の空気を乱しているようにも感じる。これが、役者として許される時代だったといえばそれまでだが…。バブルの空気感は許容できるが、本作での鈴木保奈美の存在だけは、どうにも。

まあ、いずれにせよ、快作。今になって、同時代の監督を比較しても、特出したユニークさとテイストのブレ無さだと思う。

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image1673.png公開年:2010年
公開国:日本
時 間:116分
監 督:金子文紀
出 演:二宮和也、柴咲コウ、堀北真希、大倉忠義、中村蒼、玉木宏、倍賞美津子、竹脇無我、和久井映見、阿部サダヲ、佐々木蔵之介、細田よしひこ、竹財輝之助、松島庄汰、ムロツヨシ、崎本大海、三上真史、金子ノブアキ、白羽ゆり、田上晃吉、宍戸美和公、浅野和之、板谷由夏、菊川怜 他
ノミネート:【2010年/第34回日本アカデミー賞】美術賞(花谷秀文)
コピー:男より強く、女より美しく
将軍は女、仕えるは美しき男たち三千人

男性だけが罹り、その8割を死に至らしめる疱瘡が流行り、男性の数は激減。これにより、社会における男女の役割は逆転し、今や将軍も女子によって引き継がれている江戸時代。将軍の世継ぎのために、3000人の男性を囲う大奥では、将軍の寵愛を勝ち取るべく、熾烈な争いが日々繰り広げられていた。貧しい旗本の家に育った水野祐之進は、男が子胤を残す貴重な手段として扱われるこの世にあって、武士道を追い求める男らしい存在だったが、貧しい家を救うために、大奥への奉公を志願することを決める。水野が大奥にあがってまもなく、幼い将軍家継が死去し、八代将軍吉宗が誕生する。しかし、財政難の世を憂う吉宗は、絢爛豪華な大奥などには興味を示さずに質素倹約を推し進め…というストーリー。

マンガ原作だし、アイドル俳優を並べたチャラい陣容だし、どうせふわっとしたおちゃらけ映画なんでしょ?なんて思ってたら、いい意味で裏切られたよ。

流行り病により男性が激減するという強引な“if”から始まり、女性が社会を支える世界を見せていく。確かに強引かもしれないが、臆面なく強引さを貫く勢いは逆に心地よく、また、ディテールの積み重ねもしっかりしていて、案外説得力がある。原作マンガは読んでいないが、この面白さは、脚本云々ではなく、おそらく原作が持っているものなんだろう。。

ディテールの積み重ねの部分は、決して架空の積み上げではなく、純粋に男女が入れ替わっているだけで、正しい江戸の風俗・風習である点が、作品に厚みを持たせていると思う。英語の江戸文化解説なんかをDVDのコメンタリー音声として入れてみたら、ものすごく外国人にウケると思う。「ここでは男性ばかりだけど、実際の大奥ってのは、これが女性ってだけで、実際こういう制度があったんだよ」とか、「こういう裾の長い着物は、ギャグじゃなくって本当に当時の男性は殿中ではいていたんだよ」とかね。
#観光庁もタダで外国人を日本旅行に招待するとか、そういうくだらないことやってんじゃなくて、こういうメディア戦略に金かけりゃいいんだよ。よっぽど興味もってもらえるわ。

設定が設定だけに、水野は単なる堅物ではなく、女も抱くし男色にも一歩踏み込むし、まあいかにも女性マンガ的なキャラクターなんだけど、その行動が情深き故…という感じに映って、映画においてもい味になっていると思う。“大奥”と聞けばもっとドロドロしたいかにもっていう展開を予測するだろうけど、一歩手前で踏みとどまっており、男性の興味を惹く要素もある(『ブラック・スワン』よりも男性は愉しめるかも)。

無駄にイラっとすることもなく、途中で一回も飽きることなく最後まで観ることができた。軽妙さとしっかりした作りが共存する拾い物。まったくチャラくないから、男性も堂々と借りて問題なし。お薦めしておこう。

#本作の堀北真希のセリフは、レイトンのルークにしか聞こえん。最後は何で水野がそこにいるのか、謎解きしてくれるのかと思ったわ。



負けるな日本
 

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image1834.png公開年:2011年
公開国:日本
時 間:100分
監 督:三池崇史
出 演:加藤清史郎、林遼威、木村風太、平幹二朗、寺島進、三浦貴大、山本耕史、古田新太、杏、中村玉緒、柄本明、石橋蓮司、 山本裕典、石垣佑磨、白石隼也、溝口琢矢、三津谷亮、竹中直人、中村獅童、檀れい、谷原章介、鹿賀丈史、松方弘樹 他
コピー: 仲間といっしょなら、勇気200%!!



エリート忍者を目指して意気揚々忍術学園に入学した乱太郎。しかし、乱太郎が編入した一年は組”は、食いしん坊で居眠りばかりのしんべヱや、金儲けにしか興味がないきり丸など、愉快だけれど成績はイマイチのオチこぼればかりのクラス。ある日、4年は組の生徒・斉藤タカ丸と父親・幸隆が何者かに暗殺されそうになる事件が発生。実は、幸隆の父・幸丸が、髪結いの姿でスパイ活動をしていたのに、自分の正体を明かさずに死去したため、幸隆は自分が忍者の家系であることを知らずに生活していた。そのため“抜け忍”の扱いとなっており、命を狙われたということだった。忍術学園はその暗殺者たちの動きを察知し、彼らを守ろうと奔走するが…というストーリー。

元のアニメが長すぎて、年代によっては知ってるキャラ/エピソードが違ったりする。よっぽど長く観ていないと、よくわからないことだらけな気がする。今回のストーリーは、忍術学園VSウスタケ忍者がメイン。ドクタケ忍者とか、なんで出てるのか良くわからないと思う。忍たまをよく知らない人は、敵なんだか味方なんだか、混乱するだろうし、実際ストーリー上は全然重要じゃないからいなくて良いレベル。稗田八方斎の大笑いで起き上がれないっていうお約束をやりたいだけ。

最近の原作あり映画作品は、“似ている”ということに注力しているけれど、似ていることは必要条件であって十分条件ではないことが判っていない監督が多い。簡単にいえば、似ていることは、単なる掴みでしかないってこと。似てるかどうかなんか監督が気にすることじゃない。
それどころか、ウマく似せて「わあ、すんごい似てるじゃ~ん」なんて思わせたら、逆にハードルが上がりまくってしまって、その後の展開も観客の脳内の原作の通りすすまないと、すべて違和感になって映画に集中できない。むしろ、何が同じで何が違うのか、はっきり判らせて、早々に次のステップに進ませるのが正しいあり方だと思う。
で、本作はどうかというと、キャスティングには監督は関わっていないと思われる。すべてスタッフまかせ。おそらく、監督は原作の忍たま乱太郎を見たことすらないんだと思う。なぜそう思うかというと、アニメのキャラとあまりにも演技が違う…というか、アニメを見たことがある人なら、そんな引っかかる演技はさせないと思うから。スタッフはメイクや衣装については似せる権限はあったろうけど、監督に演技の云々を言う勇気はなかっただろう。私が特に違和感を感じたキャラクターは、しんべヱと山田先生。しんべヱは中途半端に似せようとしてるけど、それは無いわ…ってレベル。山田先生は逆に似せるつもりが皆無。寺島進以外の何者でもない。古田新太の食堂のおばちゃんくらい別物なら、逆に納得なんだけど中途半端なんだわ。
きり丸も軽さが大事なんだけど何か重いキャラだし。その他の子供も含めて演技に非は無いんだけど、これで良しとした大人たちが悪いんだと思う。ある意味、児童虐待のレベル。

監督の興味も、原作の雰囲気がどうのこうのとかいうところに向いてなくて、映画の表現方法として攻める方向(今なら試していんじゃないか?的な方向)に走っているみたい。『ヤッターマン』がCG表現に偏り過ぎていたのに対して、今回は舞台のようなアナログ的表現の実験を。最後のレースでの舞台の動きなんか、劇団四季か!って感じ(エンドロールでメイキングを流したい気持ちはわかる)。まあ、その作品作品で、なんだかんだ製作のモチベーションを維持できる三池監督は、ある意味スゴイ人なんだろう。
で、ワーナーは、忍者モノだし、NARUTOみたいなのも流行ってるし、もしかして海外でもウケたりして!?みたいな打算もあって配給に名乗りをあげちゃってる感じ。そういう大人たちの計算が入り混じった子供向け作品。そりゃ、ピュアな気持ちで愉しめないわな。

これ満足して映画館を出た人っているのかな。家族で観終わった後に、家族でレストランに入っても、映画の話は触れず終いで、家に帰るレベル。予告編以上のおどろきも感動もない作品なので、無理して観る必要はない。

#戸部先生は評価する(笑)。




負けるな日本

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image1787.png公開年:2009年
公開国:日本、韓国
時 間:122分
監 督:キム・テギュン
出 演:石黒英雄、渡辺大、水川あさみ、山本耕史、弓削智久、森脇史登、足立理、半田晶也、瀧本美織、山本龍二、深水元基、阪上和子、阿見201、大村彩子、金守珍 他
コピー: 本当の地獄は、これからだ。



高校生の明はたちは、街中で吸血鬼に襲われる少女を発見。救出を試みるも逆襲されピンチに。そこで謎の女性・冷に救われる。冷は、行方不明になってる明の兄が、とある島にいることを告げる。兄を救うために上陸を決意する明。そして明を一人で行かせられないと考えた友人たちは、冷に導かれ島へ上陸。しかし、島は吸血鬼と化した者たちに支配されていた…というストーリー。

マンガ原作。いかにもティーン向けの作品。この手のライト猟奇モノ的な作品も、ちょっと食傷ぎみ。さて、大人の鑑賞に堪えるか否か。

冒頭の、無駄に声を出しながら逃げたり、「あの女に騙されなければ…」とか、死にそうになって「何だろう、あんたのその血の匂いがとてもおいしそうなんだよ…」とか、とてもピンチの場面とは思えない説明的なセリフにうんざり。この監督にセンスが無いことがはじめの3分でわかる…というか、この韓国人じゃないか。セリフの機微とかピンときてなくて、シナリオどおりそのままなんだろうな。脚本家も悪いわ。
まあ、確かにライティングとかカメラワークは、韓国映画っぽいけど。

実は『デイブレイカー』と似たようなプロット。なのに、この差は何か。細かい設定をしっかり詰められておらず、説得力を持たせることができてい。これに尽きる。公式には存在しない島がありましたとさ…とか、それだけで済ませちゃダメだね。
カギが落ちて、逃げることができました…って、トムとジェリーレベル。
事件の事始も非常につまらない。そんな致命的なモノを閉じ込めているなら、部外者がフラっと来て簡単に開けられるような状態にするわけがない。実にくだらない。「そんなことも知らずに俺は…」って、知ってるほうがおかしいだろ。

デブも科学オタクも、何の活躍もせずに、死にもしないというキャラクターの無駄さ加減。登場時点から死亡フラグが立ってるのにな。根本的に、友達連中が自発的にくる流れが不自然極まりないんだけどね。
白塗りのバンパイアが美しくないという、ダサさ。「少しは自分の力をわきまえろ!」って、なんか日本語のセリフ廻しも変だし。“師匠”とやらの存在も意味がよくわからん。
最期、兄貴だって感染していないかもしれないじゃん。何で、疑念を抱かせないように、しっかりと吸血鬼の血が入って感染した描写を入れないのか。

本当に稚拙なシナリオ。どうせ作るなら、もっとちゃんと詰めればいいのに。製作姿勢を疑いたくなる。“THE 子供騙し”。いい大人が観る作品ではない。



負けるな日本

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image1785.png公開年:1974年
公開国:日本
時 間:89分
監 督:藤田敏八
出 演:梶芽衣子、伊丹十三、吉行和子、原田芳雄、岸田森、安部徹、山本麟一、南原宏治、広瀬昌助、溝口舜亮、浜田晃、石矢博 他





家族の恨みを晴らした鹿島雪は、殺人犯として指名手配になり、逃亡の末に逮捕され死刑判決が下る。執行の日、護送中の雪は謎の男に救出され、特高警察長官・菊井精四郎の屋敷に連れて行かれる。菊井は雪の命を救う替わりに、無政府主義者・徳永乱水の家に潜入し、彼が所持している書類を入手することを命じる。雪は住み込み女中として乱水の家に入り込むが、徳永の行動と考え方に次第に惹かれ…というストーリー。

冒頭、大人数に囲まれての立ち回りから始まるのだが、キャッチーなほどに切られた腕が飛び、血しぶきが溢れるといた前作の演出は鳴りを潜める。それが無くなったら、“マンガ”じゃなくなるわけで、「ああ、こりゃつまらないに違いない」と予感させてくれる。少なくとも前作までの様式美は消えるだろうなと。

前作の舞台は、明治維新後の混乱期で、主たる武器が刀であることに違和感はまったくなかったが、今回は警察官吏から追われているわけで、当然銃を携帯している。途中で出てくる悪役の皆さんも普通に銃を扱う。しかし、都合よく使わないんだよねぇ(笑)。そして、使ったとしても、たとえ近距離発砲だとしても、うまいこと肩とかにしか当たらないんだわ。

話のキーになる文書というのが、とある人物が特高警察の悪行について書き残したもの。内容はインパクトがあるのかもしれないが、その文書自体にどれだけ証拠能力があるというのか甚だ疑問(公的な文書でもなけりゃ、絶対的な証拠になるわけでもない)。

そんな、根拠のふわふわした文書の在り処を知るために乱水を拷問するのだが、あまりに吐かないもんだから最終手段としてペストに感染させて放り出す。逃げ込む先に文書があるに違いないから、感染防止の名目で焼き払っちゃえばいいじゃん!と、トンデモ展開。そんな作戦でいいのか?と思いつつも、目論見どおり展開し(笑)、結果としてスラム街は焼き討ちにあい、兄のペストが感染した周介と雪だけが生き残る。最後は二人が菊井たちに特攻してく…と。
こうなってくると、観ている方は、映画に引き込まれるどころか、どんどん醒めて行く。

乱水は大杉栄のイメージなのかな。藤田敏八が学生運動にシンパシーを感じているからなのかもしれないけど、学生運動家のお花畑思考が前面に出てきちゃっている。元々リアルとは無縁な設定なので、マンガ・フィクション的なノリをキープしないと、矛盾やアラが目立ってしまうのに。
“怨み恋歌”とあるけれど、雪が恋するわけではない。徳永乱水が実弟・周介が出征している間に妻あやを寝取ってしまったことを指している模様。つまり徳永周介の怨みってことみたい。タイトルにするほどのポイントか?と私なんかは思うんだけど、それも活動家側に比重を置いている証拠だと思うよ。
こんな調子だから、肝心の“修羅雪姫”に焦点が合っておらず、他人の義憤に同調する過程がしっかり描けていない。私が梶芽衣子なら文句いいたくなるわ。

作る意味のなかった続編。駄作だと思う。

#途中、悪役の丸山警部が、妻あやにアイスピックで目を突かれアイパッチ状態に。その後、雪との戦闘で残った目をくりぬかれ悶絶。これ、『キル・ビル Vol.2』のエル・ドライバーの元ネタだね。


負けるな日本

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image1764.png公開年:1973年
公開国:日本
時 間:97分
監 督:藤田敏八
出 演:梶芽衣子、赤座美代子、大門正明、内田慎一、楠田薫、根岸明美、西村晃、高木均、岡田英次、中原早苗、仲谷昇、地井武男、黒沢年男、中田喜子、小松方正、長谷川弘、松崎真、阿藤海、大倉賢二 他




明治初頭の日本。塚本儀四郎、正景徳市、北浜おこの、竹村伴蔵の四人組による詐欺事件に巻き込まれた小学校教員・鹿島剛の一家。政府の税徴収官であるとして鹿島剛と長男を惨殺され、生き残った妻小夜は、彼らに弄ばれる。その後、小夜は正景徳市をの復讐を果たし殺害に至るものの、その咎で入獄する。小夜の恨みは納まることを知らず、子供に復讐をさせるために獄中で身篭り、産まれた女の子に雪と名づけ絶命。雪は、小夜の同情したスリ師・タジレのお菊により引き取られ、剣豪でもあった道海和尚の元で厳しい修行を受けるのだった。成長した雪は、母に代わって復讐の旅を続ける…というストーリー。

近所のレンタルビデオ屋で発見。『キル・ビル』の元ネタということで。

恨みを晴らすために、誰彼かまわず子作りを試みるというエグさ。主人公・雪は父親がだれかも知らず(知りたくもないだろうけど)、ただただ暗殺マシーンとして育て上げられる。暗殺マシーンを育てられる和尚って何者だよ!って、本当にマンガ展開(まあ、マンガ原作なんだから仕方ないんだけど)。小池一夫にしたって白戸三平にしたって、この時代の劇画クリエイターは良い意味でクレイジー!それを実写で表現すると、そのクレイジーさは特に際立つ。でも、これがほんとに面白い。
復讐!復讐!復讐!これ以外の枝葉末節を排除した割り切りが、娯楽作品としてとても秀逸。ごちゃごちゃと余計な複数の要素を、盛り込みがちな日本映画だが、腹の据わったプロットとはこういう物だと、見習って欲しい。

時代背景が明治初期っていうのも面白い。金田一耕助シリーズのWW2終戦直後の世界同様、国情が混乱しており有象無象が湧き出すバーリトゥードな世界。WW2後直後と明治初期には、多少無茶なエピソードもまんざら有り得なくも無いと思わせるダイナミズムがある。日本はいい時代の歴史を持っている。

斬られた人からあふれ出す血しぶきはこれでもか!という量。『キル・ビル』を観た時もやりすぎだろ~アホか…と思ったけど、さすが元ネタというだけあって、本作も負けず劣らず。一方で、斬られても血が一滴も出ない時代劇が日本には厳然と存在するわけで(むしろそっちが主流)、そういうったアンリアルなお約束世界との対比も面白い(まあ、振り切りすぎて、こっちはこっちでアンリアルなんだけど)。

しかし、残念ながら藤田敏八の演出は、後半以降徐々に力尽きていく。
北浜おこのの殺害シーンはインパクトこそあるものの、なんで首を吊っているのかピンとこない状態。おそらく原作では、おこのを精神的にも追い詰めていく描写があるのだろうが、本作では強固に対峙しているおこのが、まだ余力があるのに突然首を吊った印象に。
さらに、最後の鹿鳴館のシーンになると、完全に気が抜けた状態に。最後の一人なんだから、替え玉一人くらいじゃちょっと物足りない。取り巻きの人間との大バトルなんかがあってもよかったかと。あれじゃあ『死亡遊戯』の「WAX!」と一緒だもんなぁ(笑)。まあ、タランティーノもその辺の物足りなさを感じたからこそ、『キル・ビル』でクレイジー88との大バトルシーンを入れたんだろう。

まあ、そういう残念な部分はあるけれど、日本映画史に残る、娯楽アクション作品だと思うなぁ。お薦めする。カルトムービー扱いする人が多いけど、この程度をカルト扱いしてるようだから、日本映画がこじんまりとしてるんじゃないのかな。作り手側と観客側、両方の心の問題なのかも。

二作目「怨み恋歌」を是非観たくなったが、とりあえず『キル・ビル』を再び観てみようと思う。



負けるな日本

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image1745.png公開年:2011年
公開国:日本
時 間:141分
監 督:佐藤信介
出 演:二宮和也、松山ケンイチ、吉高由里子、本郷奏多、夏菜、千阪健介、白石隼也、緑友利恵、玄覺悠子、若葉竜也、阪田マサノブ、越村友一、橋本まつり、水沢奈子、奥瀬繁、平野靖幸、大石将史、神威杏次、戸田菜穂、小松利昌、池上幸平、落合モトキ、小林一英、市川千恵子、春名柊夜、Merii、古澤裕介、土平ドンペイ、長江英和、柴田愛之助、綾野剛、伊藤歩、田口トモロヲ、山田孝之 他


ガンツに命じられるまま星人との戦いに身を投じた玄野と加藤。解放されることを目指し得点を重ねていたが、戦いの中で加藤は死んでしまう。100点に到達すると人間を再生させること知り、加藤を生き返らせるために玄野は懸命に戦い続けるのだった。しかし、順調に点数を重ねる玄野前に、過去に100点を取りガンツを卒業していたメンバーが再び呼び寄せられたり、何故か加藤が復活するなど、不可解なことが続く。そして、彼らの前に最強の星人が出現すると、ガンツの様子に異変が生じる。そんなガンツが次のターゲットに選んだのは、星人ではなく玄野のことを想い続ける多恵だった…というストーリー。

一作目からの補足率は高いと思う。ほとんどの人が二作目に流れたと思う。いい謎の残し方だったし、期待のさせ方だった。原作がどういう展開なのか知らないのだが、星人側が反撃にくるという流れは、自然な流れだし、不自然さは無い。むしろ前回よりもテンポはよくなっているし、人間アクションという点では向上していると思う。

吉高由里子は、なにか腹黒さがにじみ出ているように見えて、あまり好きな女優ではないのだが、本作は必要以上なかわいさを必要としていない役なのでマッチしていたと思う。唯一キャスティングでトホホだったのは、有名タレント鮎川映莉子役の伊藤歩。残念ながら有名芸能人のオーラが出ていない。キャスティングの問題はそのくらいでしょう。近年の日本のSF映画としては、珠玉のデキだと思う。しかし…。

あえて文句を言わなければいけないようなデキではないのだが、ただ、わざわざタイトルに“PERFECT ANSWER”とまで冠しているくせに、その完璧な答えとやらがちっとも完璧じゃない点だけは、指摘させてもらう。

自分なら絶対忌避するオチだったと思う。
だって、対星人抗争を“させていた”のは、だれの意思だったのか?というところを想像すると変な感じになるでしょ。GANTZ玉自体の意思なのか、中の玉男の意思なのか。玄野が玉男になったら、争いが無くなった…ということは、中の人の意思でGANTZの力が使われているということになるよね。つまり中の玉男の心が邪悪だったから、こうなった…と。
でも、玄野が玉男になることを決意したらGANTZ玉はお礼を言っていたぞ。中のハゲの玉男の意思で動いているなら、なんで感謝するのだ?おかしいじゃないか。あれはどう解釈しても、GANTZ玉自体の意思だろ。要するに人間を生体エネルギーとして必要としているけど、ハゲが死にそうだから、代わりになってくれるなんてどうもありがとう。そういうことだろ。

なによ、じゃあGANTZ玉ってのはタダ人間を取り込んで活動を維持できりゃそれで満足だってこと?じゃあ、存在意義は何よ?目的は何よ?わけわかんないよね。

で、そのGANTZの能力をもってすれば、すべてが無かったことにできるわけ?すべてのこの事件で死んだ人も生き返って、破壊されたものまで元に戻って。じゃあ、多分、死んだ星人なんかも元に戻って、その星で楽しく暮らしてるんだろうね…。そして、スケッチブックの絵とか電光掲示板とかそういうのだけは、元に戻さない…そんなこともできるんだ…って、その万能っぷりに何かヒいちゃうわ。

まあ、私が薦めなくても、一作目を観た人は観るんでしょう。最後だけがすっきりしないけど、充分満足に足るレベル。




負けるな日本

 

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image1720.png公開年:2010年
公開国:日本
時 間:130分
監 督:佐藤信介
出 演:二宮和也、松山ケンイチ、吉高由里子、本郷奏多、夏菜、綾野剛、水沢奈子、千阪健介、白石隼也、伊藤歩、田口トモロヲ、山田孝之、戸田菜穂、浅野和之、小林一英、小松利昌、落合扶樹、市川千恵子、春名柊夜、古澤裕介、土平ドンペイ、Merii、阪田マサノブ、越村友一、緑友利恵、橋本まつり、長江英和、玄覺悠子、若葉竜也、奥瀬繁、平野靖幸、大石将史、神威杏次、五十嵐翔、早川恭崇、柴田愛之助 他
コピー:なぜ、戦うのか──

就職活動中の大学生・玄野は無気力な毎日を過ごしていた。ある日、玄野は地下鉄のホームで、小学校時代の幼馴染・加藤を見かける。加藤は落下した人を救出するために線路に降りる。一瞬躊躇した玄野も線路へ降りて、一緒に救出するが、脱出が間に合わず通過する電車にはねられ命を落としてしまう。しかし、死んだはずの2人はとあるマンションの一室に瞬間移動。そこには、死んだはずの人々が同様に集められていた。やがて部屋の中央にある謎の黒い球体から、“星人”と呼ばれる者を抹殺しろという指令が下される。玄野たちは、理由もわからないまま、いきなり戦いの場へと転送されるのだったが…というストーリー。

ほとんど青年マンガ誌を読まない。黒いぱっつんぱっつんの服装で戦闘をするGANTZというマンガがそれなりにヒットしていことは知っていたけど。独創的と評価されており確かにその通りではあるが、『マトリックス』が1999年、『CUBE』が1997年であることを考えると、決して先進的というわけではない。
オチは知らないけれど、もし第三者が殺人ゲームを愉しむため仕掛けだとすると、『バトルロワイアル』とか『プレデターズ』に似たテイスト。問答無用でゲームに巻き込まれていく不条理感なんかは、やはり『CUBE』に近いので、ユニークなプロットだとは言いにくいものがある。

原作者がどう考えるかはわからないが、舞台を外国にするのは容易。リメイクというよりも世界観の広がりという形で発展させることも可能で、“GANTZサーガ”にすることも可能だろう。その点、『CUBE』よりもビジネス的な可能性を感じさせてくれるが、そういう方向性にもっていくフィクサーはいないのか。というか、日本テレビが映画化権を獲得してしまったことが、本当に正解だったのかどうか。何年後には海外で映画化することが可能になる契約であればいいのにね。
#黒い玉がニューヨークのアパートの一室にあっても何の問題もないものね。

ハリウッド映画に劣らない映像技術。敵のデザインの奇の衒い方も絶妙で、そこに日本の市街地の雰囲気が加わり、まさにクレイジー・ジャパンが体現できていると思う。
戦闘シーンの疾走感と、日常世界の緩急の具合も非常によろしくて、130分間まったく飽きずに観続けることができた。真夜中に鑑賞したのだが、先日の『トイレット』や『SPACE BATTLESHIP ヤマト』で襲ってきた睡魔の襲来は無し。日本のSFアクション映画として、初の成功例かも…そう思えるほど。
#原作を知らないからそこまで思えるのかも知れないけど。

死亡者が生き返ることや、あの戦闘している世界がバーチャルなのかリアルなのか…、諸々の整合性を考え始めると、このお話は破綻しそう(というか興醒めしてしまいそう)な気がするので、「宇宙人のテクノロジーでした!」敵なふわふわした状態にしておいたほうがいいんだろうね(原作を読んだら答えはわかるのかもしれないが、積極的に読む気はなし)

昨今の蒸し暑さを忘れさせてくれる一本だったので、お薦めしたい。『SPACEBATTLESHIP ヤマト』の3倍くらい楽しめた。




負けるな日本

 

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プロフィール
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