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公開年:2011年
公開国:フランス
時 間:109分
監 督:ダヴィド・フェンキノス、ステファン・フェンキノス
出 演:オドレイ・トトゥ、フランソワ・ダミアン、ブリュノ・トデスキーニ、メラニー・ベルニエ、ジョゼフィーヌ・ドゥ・モー、ピオ・マルマイ、モニーク・ショーメット、アリアンヌ・アスカリッド、クリストフ・マラヴォワ、アレクサンドル・パヴロフ、マルク・シッティ 他
ノミネート:【2011年/第37回セザール賞】脚色賞(ダヴィド・フェンキノス)、新人監督作品賞(ダヴィド・フェンキノス、ステファン・フェンキノス)




最愛の夫フランソワを亡くしたナタリー。それから3年、悲しみを乗り越えようと仕事に邁進。今では、プロジェクトのリーダーを任されるまでに。そんなある日、部下のマーカスにいきなりキスをしてしまう。マーカスという男は、頭髪も薄くなっており、いつも不格好なセーターを着ていて、絶対に女性のモテない風貌。ナタリー自身もなんでキスしてしまったのかわからないし、実際何の感情もない。それどころか満足に名前も覚えていないほどだったので、このことは忘れるようにマーカスに言い渡す。しかし、キスをされたマーカスはそうはいかない。彼女のことが四六時中頭から離れなくなってしまう。とりあえず、一度だけ食事をして、これでおしまいという約束をするのだが、いざ食事をしてみると意外とマーカスがユーモアに溢れた常識人であることを知る。その後も、食事や観劇、散歩などを重ねる2人だったが、実はナタリーのことを密かに狙っていた社長が、2人を関係を知ってしまい…というストーリー。

なんで本作は、日本劇場未公開なのか。ちょっとありえないなぁと思いつつ、反面、理由は明確かな…とも思うのだ。やっぱり、ナタリーがなんで突然薄らハゲ男にキスしてしまったのか?が、とにかく不条理だからである。

恋愛なんて不条理なものよ!という人もいるかもしれないが、根本的にあのキスは恋愛感情に起因しているわけではない。チラりとそういう感情がよぎったとかでもなく、なんとなく。いや、なんとなくという表現もおかしくて、“狂った”と言ったほうが正しいほどである。
いや、まあ、そういう“奇跡”がおこったんだよ。彼女の中に何が生じたのかは、考えちゃいけない。ただ受け止めよう。そう心に決めて鑑賞を続けると、本作はとてもおもしろい。

もう一つ、本作の難点を言え、男性ターゲットなのか女性ターゲットなのか微妙だ…というところだろうか。私は男性なので、マーカスが話の主体になるまでは、まったく本作をおもしろく感じなかった。マーカスの日々の生活が描写され、悶死しそうになっている様子が描写されて、「マーカス、こいつ、まるで俺だわぁ…」って感じはじめてからがものすごく引き込まれた。逆に、マーカスの成分が増えた後半部分を、女性はどう観るのだろう(わからん)。

見た目は愚鈍、仕事も大したことない。ただそれだけで見下されるマーカス。見ていて痛くなってくる。そういう周囲の決めつけや目線に対して、静かに対処し(というかあきらめ)ていく。それを上司であるナタリーが守るのかな?と思いきや、別に見た目なんかどうでもいいじゃん…という態度で、至極普通にふるまうナタリー。いや、本当はそれで正しい。それは判っているのだが、マーカスのハートは、ボロボロになっていく。

社長の乱心で、やっとナタリーがブチ切れるという展開に。まあ、そういうターニングポイントがないと、ナタリーが新しい道を歩むことができない。やっぱり、マーカスに比べると、ナタリーは真の意味で真剣に考えていなかったのかしら…とも思う。

その後の、2人と逃避旅行のシーンは、結構好き(観てくだされ)。最後の2人の覚悟は、なんてことのない内容なんだけど、いい感じだった。実際に結婚したら、意外と喧嘩の絶えない2人な気もするけど。

女性に比べたら、男性は何だかんだピュアで傷つきやすいんですよ…という作品だな(なんだそりゃ)。軽くお薦め。

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公開年:1998年
公開国:アメリカ
時 間:97分
監 督:フランク・コラチ
出 演:ドリュー・バリモア、アダム・サンドラー、クリスティーン・テイラー、アレン・コヴァート、アンジェラ・フェザーストーン、マシュー・グレイヴ、アレクシス・アークエット、エレン・アルベルティーニ・ダウ、ビリー・アイドル、スティーヴ・ブシェミ 他
受 賞 :【1998年/第7回MTVムービー・アワード】キス・シーン賞(アダム・サンドラー、ドリュー・バリモア)



結婚式を歌で盛り上げる職業、ウェディング・シンガーで生計を立てているロビー。そんなロビー自身も近々結婚を控えており、幸せ気分。そんな中、ウェイトレスのジュリアと出会う。彼女も結婚を控えていたがマリッジ・ブルー気味で、そんな彼女をロビーは励ますのだった。ロビーの結婚式のの当日。ロビーは牧師の前でお相手のリンダを待つが、一向に現れず、そのまま式は取りやめになってしまう。リンダは、プロ・ミュージシャンを目指すロビーが好きなのであって、ウェディング・シンガーと結婚したいわけではないと言い、そのまま破談となってしまう。ロビーは、すっかり落ち込んでしまい、まともにウェディング・シンガーの仕事をこなすことができなくなり、とうとう廃業を宣言してしまう。ジュリアはそんな彼を励まし、徐々にロビーは元気を取り戻していく。そして彼女の結婚式の準備を手伝ううちに、二人の間に友情を超えた感情が芽生えていき…というストーリー。

冒頭から80年代洋楽ラッシュ。詳しくない人でも知っている曲のオンパレードでかなり気分が高揚する。

お互い、結婚する相手がちょっとアホで、そんなのと結婚しようと思う人間だと思うと、ちょっと感情移入とか共感がしにくいかったりする。
特に、ドリュー・バリモア演じるジュリアは、なんでそいつと結婚しようと思ったのか?が説明されているように見えてされていない。金目当てか?と指摘されて強く否定するのだが、その否定が納得できる材料が全然描かれていないというね…。ジュリアの婚約者は、『きっと、うまくいく』のピアの婚約者とまったく同じキャラ設定。ダメな結婚相手の典型例なのかな。
ということで、結構なバカ女なんだけど、バカ女ほどカワイイという典型例。ドリュー・バリモアのキャリアの中で、一番カワイク描かれている作品かもしれない。

ストーリー自体は、ありきたりな内容で、9割方それほど盛り上がらないまま進む。もじもじ考えたり、考え直したり、自分に正直になろうと決意するけど、勘違い展開になったりと、まあ、お約束の連続である。だけど、ラストあたりの飛行機の中の話が、クッソおもしろい。最高。そこを見るためだけの作品といってよい。むっちゃくちゃな展開だけど。最後、なんでお前歌ってんねん!っつーね。

これ、ミュージカル向きじゃね?と思ってしらべてみたら、アメリカでも日本でも上演されてるみたい。みんな考えることはいっしょだな。愉快な作品。お薦めしたい。

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公開年:1976年
公開国:イタリア、日本
時 間:94分
監 督:ルイジ・コッツィ
出 演:リチャード・ジョンソン、パメラ・ヴィロレッジ、リカルド・クッチョーラ、マリア・アントニエッタ 他
コピー :だれかに生きる勇気を与えたとき、天使って涙を流すのですね…






モン・サンミッシェルの病院に、手の怪我を治療してもらおうとやってきた男リチャード。診察の順番を待っていると、前に診察されていた若い娘が話かけてくる。リチャードが座っている椅子の下に彼女のカバンがおいてあったのだ。彼女の後に診察室に入ると、医師が突然、さきほどの娘が白血病で持って2、3ヵ月の命であると語り始める。先ほどの娘は、外で待っている人間が自分の父親であると嘘をついて逃げてしまったのだ。男が帰りのバス停で待っていると、あの娘が近づいてくる。はたして自分の病状を知っているのか否か判断しかねていると、娘は自分の名前や生い立ちを語り始める。彼女の名前はステラ。母は既に亡くなっており、愛人をつくって出て行ってしまった父親を探しているという。当のリチャードは、かつて名ピアニストとして名を馳せていたが今はすっかり落ちぶれてしまい、場末のバーでの演奏で小銭を稼ぐ程度の収入しかなく、彼女にかかわっているような心境ではなかった。しかし、屈託なく話しかけてくる彼女を突き放すことができず、宿泊予定だったシモーヌのホテルに、ステラを同泊させてしまう。その後、2人で彼女の父親を探すことにするのだったが…というストーリー。

いきなり日本語タイトルが出て(おまけに昭和40、50年くさい)、非常に異質な印象でスタートする作品。製作的には日伊合作だからだね。それに舞台はフランスなんだけど、2人はずっと英語で会話してる。リチャードはイギリス人という設定だけど、ステラは?宿屋のオバハンは?まあ、細かいことを言っちゃあいけないんだとは思うけど、本当によくわからんのよ(途中で吹き替え音声にチェンジした)。

wikipediaをみたら『カサンドラ・クロス』と同時上映だったらしい。その振幅具合、どうなんだろう…。ただ、『カサンドラ・クロス』は結構微妙な仕上がりだったから、案外こっちの作品に心奪われた人も多いんじゃないかと思う。『火垂るの墓』を見に行ったらすっかり気持ちが沈んでしまって、『となりのトトロ』で救われた…って時に近いかも。

ある意味、中年男性の夢みたいな展開かもしれないが、目線を変えれば結構気持ちが悪いかもしれない。ステラ役のパメラ・ヴィロレッジは、クロエ・モレッツのイメージ(DVDジャケットの写真は映像と少しイメージが違うように感じる)。彼女になつかれちゃったからって、17歳の小娘とほいほい結婚しちゃう中年、いや壮年オヤジ。
あれは別の人の検査結果にすり替えたのよ!とステラはいうのだが、それを素直に信じるオヤジ。だから、調べない。

まあ、追い詰められて弱っている2人が、お互いを慮って寄り添う姿。いや、寄り添うしかない状況故に、強引に納得させられてしまうマンガレベルの説得力がある。ラストは誰もが判りきった展開ながらも、怒涛の勢いで描かれる。何気に宿屋のオバハンがいるところで、ちょっとヤられる。ベタベタのメロドラマで、頭ではくだらない内容だと理解しつつも、なぜか、強烈に印象が焼付く作品。どの部分がそうさせるのか自分でもよくわからない不思議な作品である。これは、よく使われるのとは違った意味でカルト映画なのかもしれない。

#どっかで聞いたことがあるなと思ったら、ステラの声、上野樹里だった。吹き替えは再録したんだね。棒読みだけど、まあ悪くなかったよ。

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公開年:2012年
公開国:カナダ、フランス
時 間:109分
監 督:フアン・ソラナス
出 演:キルステン・ダンスト、ジム・スタージェス、ティモシー・スポール、ジェームズ・キドニー、ジェイン・ハイトメイヤー、ブル・マンクマ、ケイト・トロッター、ヴラスタ・ヴラナ 他
コピー :覚悟はいいか 歴代勝者による、壮絶なバトルの幕が開ける!真逆のふたり、引かれ合う。
「二重引力」が存在する世界。上には富裕層、下には貧困層が暮らしていた――



非常に近距離に位置する双子惑星が存在し、互いの惑星にある物質は、反対の惑星の重力の影響を受けないという特殊な物理法則に支配されていた。両方の惑星にはそれぞれ人類は存在していたが、貧富の差が顕著で、富裕層が住む星が“上の世界”を呼ばれ、“下の世界”から燃料を搾取して豊かさを維持していた。また、二つの世界の住人は自由に交流することを禁じられていた。下の世界に住むアダムは、山奥にある小高い丘が、上の世界と非常に近距離であることを発見する。そこで偶然であった上の世界のエデンと恋に落ち、密かにデートを重ねていた。ある日、エデンがロープを使って下の世界に来ていた所を警備隊に見つかり逮捕されそうになる。逃げようとしたエデンは、上の世界に落下してしまう。それから10年、エデンを死なせてしまったという罪悪感に苛まれていたアダムは、上の世界のTV番組にトランスワールド社の社員としてエデンが出演しているのを発見。トランスワールド社は、二つの世界を繋ぐ唯一の巨大企業で、下の世界の住人からは目の敵にされていたが、どうしても彼女を再開したアダムは、トランスワールド社の社員となり、上の世界への侵入を試みるのだった…というストーリー。

まず、科学的な矛盾・違和感に引っ掛かっていては、観続けることは不可能である。それくらいむちゃくちゃ。比較的距離が近いところから落ちた程度で瀕しになるというのに、両世界の海から海の距離を落下しても、死なない。水は柔らかいから何ともないんだね(笑)。
なにやら、反対の世界にいった時につかう“重り”が登場するのだが、なぜか電気仕掛けで発熱する模様。反重力を作るらしいが結局は重りの役目しかしない模様。ふつうの重りじゃいかんのだろうか。大体にして、常に逆さ釣りの状態なのに、毛が逆立ったり、血液が逆流したりはしない模様。不思議だね。
格差社会・身分の違う男女同士の恋愛、ロミオとジュリエット…という古典的な恋愛ファンタジーだから、気にしちゃいけないみたい。
敵はトランスワールド社のお偉いさん程度しか出てこない。その社会を形成している政府という概念が登場しない(あるのだろうが強く描かれていない)。だから、格差社会を扱っていても、その構造が崩壊するという革命ストーリーにはならない。する気がない。

ピンクの粉が結局なんだったのかという疑問は明かされることはないし、“子供”が世の中をどう変えていったのかも明かされない。恐ろしいことに、「それはまた別の話…」で片づけられてしまう。別の話…じゃねえよ。むしろ、そこが一番知りたいところだろう。ここをウヤムヤにする時点で、女性ターゲットなんだな…と思う一方で、女性もバカにしてるよな…と感じてしまった。

(以下、ネタバレ)
じゃあ、恋愛ストーリーなら、子作りの部分はもうちょっと大事にすべき部分じゃないのか。演出的にそんなに時間が経過したとは思えないし。

不誠実なチョケ方をして逃げて、観客をやもやした気分にさせる作品だ。真面目に考えれば絶対に良い作品になったと思うし、映像が非常に面白かっただけに、非常に残念。
もっとショボければ、アメリカでリメイクということもあっただろうけど、中途半端に高いクオリティなので、どうしようもない。

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公開年:1993年
公開国:アメリカ
時 間:121分
監 督:トニー・スコット
出 演:クリスチャン・スレイター、パトリシア・アークエット、デニス・ホッパー、ヴァル・キルマー、ゲイリー・オールドマン、ブラッド・ピット、クリストファー・ウォーケン、サミュエル・L・ジャクソン、マイケル・ラパポート、ブロンソン・ピンチョット、ソウル・ルビネック、ジェームズ・ガンドルフィーニ、コンチャータ・フェレル、クリス・ペン、トム・サイズモア、マイケル・ビーチ、エド・ローター、ローレンス・メイソン、アンナ・トムソン 他
ノミネート:【1994年/第3回MTVムービー・アワード】キス・シーン賞(クリスチャン・スレイター、パトリシア・アークエット)


デトロイトのコミック・ブック店で働くクラレンスは、プレスリーとカンフー映画に夢中で、女性とはあまり縁のないパッとしない青年だった。誕生日の今日も一人場末の映画館で千葉真一の映画3本立てを観ていた。すると、アラバマと名乗るかわいい女の子が隣に座る。なぜか気が合った二人は、映画が終わった後も食事をして、そのままベッドと共にする。彼女は、実はクラレンスが働く店の店長が、プレゼントとして指し向けたコールガールであることを告白する。しかし、お互いすっかり恋に落ちてしまい、その勢いで翌日結婚すること。ところが、彼女にはコールガールのポン引きがついており、話をつけて仕事を辞めさせる必要があった。クラレンスは、ポン引き男ドレクセイのところにいくが、逆上した彼に殺されかける。しかし、一瞬の隙をついて逆に相手を殺害。その勢いで大量のコカインが入っているカバンを持ち出してしまう。翌日、クラレンスは元警察官の父親クリフォードを久々に訪れ、昨日の殺害が捜査されているか探ってほしいと依頼する。そのままロサンゼルスに逃亡するクラレンスとアラバマ。その後、コカインの持ち主であるイタリアン・マフィアのボス、ヴィンセンツが、2人の行き先を知るためにクリフォードを拷問し…というストーリー。

本作の脚本はタランティーノ。コミック・ブック店で働くオタクという設定が、主人公が完全にタランティーノの投影。かなり思い入れがあったと思う。ラストのほんわかが実にタランティーノらしくないと思っていたら、やっぱり元の脚本では主人公は死ぬことになっていたらしく大モメしたとのこと。おそらくタランティーノ自身が、そういう無条件の幸せみたいな状態にいないので、そういうラストにすると自分の投影じゃなくなるわけだから、抵抗したんだと思う。だけど、個人的にはこのラスト、大好き。タランティーノの脚本のままだったら、凡作どまりだったと思う。

アラバマの設定も、今回がはじめてのコールガールの仕事で…っていうことじゃなくて、数回だけ仕事は経験済みっていう絶妙な“汚れ”加減に、タランティーノの才能を感じる。
よく“コールガールにはヒモがいる”っていう表現がアメリカ映画の翻訳で多用されるんだけど、ヒモじゃなくって仕事を斡旋してるポン引きだよね?なんでヒモっていう表現になるのか意味がわからない。ヒモっていったら仕事もしないでゴロゴロくっついているイメージなんだけど。翻訳家ってもの知らずなのかな?っていつも思っちゃう。

クラレンスの愚かな行いでヤバい状況になっている…と思いがちだけど(女性側は売春婦で印象も悪いので)、実際は完全に巻き込まれているだけで、本人たちはとても善良。殺しに至ったとしてもすべて正当防衛。
この二人がなんで強く惹かれあったのかは説明はないが、逆に説明は不要。真実の愛にめぐり合った二人はどこまでできるのか!?っていう、本当に純粋なお話。もう一回言うが、あのラストだからこそ、本編のカオスな奔流が生きているのだと思う。

本当にタイトルどおりの内容で、お薦めしたい素敵な作品。

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公開年:2003年
公開国:フランス、ベルギー
時 間:94分
監 督:ヤン・サミュエル
出 演:ギョーム・カネ、マリオン・コティヤール、チボー・ヴェルアーゲ、ジョゼフィーヌ・ルバ=ジョリー、ジェラール・ワトキンス、ジル・ルルーシュ、ジュリア・フォール、レティシア・ヴェネチア、エロディー・ナヴァール 他
コピー:なぜだか いつも、からまわり




肺癌に犯されて余命わずかな母親を持つジュリアンは、ポーランド移民という理由でイジメられているソフィーに手を差し伸べる。それがきっかけで、あるゲームを始めることに。それは、相手が出した“条件”を何がなんでもクリアする。それを交互に繰り返すというもの。相手が仕掛けてきたら絶対にのる…それが鉄則。このゲームのおかげで、イジメられていることも、母親の病気のことも忘れられる2人だったのだが、次第にエスカレートしていき、授業中に汚い言葉を乱発したり、校長室でわざとおしっこを漏らしたり、ソフィーの姉の結婚式をめちゃめちゃにしたりと、周囲から白い目で見られるように。やがて大人になり、その友情は愛情に変わっていたのだが、お互いそれを認めることはかなった。相変わらずゲームだけは続けており、それは本心を隠して友情を継続するために儀式になっていた。やがて、それぞれ恋人をつくり結ばれるのだったが…というストーリー。

フランスらしい雰囲気の、ちょっとクレイジーだけど微笑ましいファンタジー調のコメディかな…と思っていたが、大人になってからテイストが一変する。
ジュリアンの母が死んだあと、息子の悲しみを緩和するために、ソフィーを泊まらせるジュリアンの父だったが(ものすごくソフィーを嫌っていたのに)、大人になってもそのまま一緒に寝ているという奇妙さ。あら、付き合ってるのかな?と思いきや性的な関係は一切なく、以前と同様にゲームは継続している。一風変わった“ゲーム”と表現されているのだが、これは交互に攻守を切り替えるSMプレー以外の何物でもない。この快楽におぼれた二人は、その“プレー”の快感から逃れられなくなっている。

どうやら、ソフィーのほうは自分の本心に気付いている模様なのだが、ジュリアンはソフィーとそういう関係になるなんてことは微塵も考えていない模様。この認識の差がさらなるすれ違いを生む。こんなプレーを延々と続けるわけにはいかないと(無意識に)考えたジュリアンは、別の女と結婚しようとするが、プレーの快感から逃れられないと考えたソフィーは結婚式をむちゃくちゃにする。
これによって、彼女の意図に反して別れ別れになる。絶望したソフィーは割り切って別の男(有名人)と結婚し、幸せな生活をおくることになる。むしろ本心を自覚していたおかげで、割り切ることができたといえる。
一方ジュリアンは、望んで普通の生活を選択したものの、その後で自分の本心に気付いてしまう。次はジュリアンが苦しむ番だ。まるで例のゲームが継続されているようだ。

あとは観ていただきたいが、すったもんだでゲームは再開されるが、お互い家庭をもった後に再開されたゲームは、子供の戯言では済まない。どういう結末を迎えるのか…。ラストの展開は、賛否両論だと思うが、私は嫌いじゃない。
 現実逃避するための行いが、快感に変貌してしまい、その快感から逃れられなくなた二人。ただただ快楽に溺れた人間の先に待っている運命とはどういうものなのか。
世の中には、自分は無条件に庇護されるべきだとマイノリティを暴走させている者たちがたくさん存在するが、その末路はどういうものなのか示しているラストであるともいえる。

フランス作品の良さと悪さが、メーターを振り切って混在したような作品。収拾がつかなくなったお話を、ドラスティックなラストシーンでなぎ倒してくれた。悪趣味ではあったが、そこまでやってくれたら、逆に気持ちがよかったかも。

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公開年:1986年
公開国:アメリカ
時 間:113分
監 督:ジョナサン・デミ
出 演:ラニー・グリフィス、ジェフ・ダニエルズ、レイ・リオッタ、ジョン・セイルズ、ジョン・ウォーターズ、マーガレット・コリン、トレイシー・ウォルター、ダナ・プリュー、ジャック・ギルピン、ロバート・リッジリー 他
ノミネート:【1986年/第44回ゴールデン・グローブ】男優賞[コメディ/ミュージカル](ジェフ・ダニエルズ)、女優賞[コメディ/ミュージカル](メラニー・グリフィス)、助演男優賞(レイ・リオッタ)



NYのコンサルタント会社に勤務するチャールズは、若くして副社長を打診されるほどのエリートだったが、心の中に潜む“反社会欲求”故に、新聞の盗んだり、ランチを無銭飲食するなどの軽犯罪を犯すクセがある。その日も、ランチを食べた後、ドキドキしながら金を払わずに店を出たのだが、一人の女性に呼び止められる。店員に見つかったと思い言い訳をするチャールズだったが、呼び止めた女性ルルは、店員では無かった。彼女は強引にチャーリーを車に乗せて、郊外に向かう。社に戻らねばならないチャーリーは抵抗するも、ルルは彼の携帯電話を投げ捨ててしまう。ルルは途中で酒屋を強盗するなど、常軌を逸した行為を繰り返した末、モーテルにチェックイン。そのまま二人は官能的な一夜を過ごす。翌日、二人はルルの実家を訪問。チャールズはルルの夫として母親に紹介され、彼もそのように演技をする。その後、またもや夫婦としてハイスクールの同窓会に連れて行かれるのだが、なんとそこに会社の同僚のラリーと遭遇。大慌てで作ろうチャールズだったが、そこに、ルルの夫と名乗る前科者のレイが現れ、彼らにつきまとい…というストーリー。

前半は、何故ルルはチャールズを引き回しているのか?という、ひとつの謎解き話になっている。ところが、なんで黒髪ウィッグだったのか(金髪じゃ男を引っ掛けられない?途中で犯罪を犯す気マンマンだったから変装?)、それ以前になんで夫婦連れで同窓会にいかねばならなかったのか(見得? 出なくても良さそうなものだが、どうしても会いたい人がいた? そうは見えなかったな)という部分は不可解で未消化なまま、レイ・リオッタ演じる狂人が登場し、そのままサスペンスに変貌してしまう。

ルルはとある目的で、めぼしい男を物色しており、その罠にひっかかったのが、チャールズである。奔放で常軌を逸した行動を重ねるルルのペースに、色仕掛けでズルズルと引っ張られていくという“まきこまれ系”の典型的なストーリー…と思いきや、終盤になって、実は、チャールズは単に騙されていたわけでも、利用されていただけなわけでもなく…ということが見えてくるのが、予想外だった。実はチャールズは…っていう部分は、観客を驚かすほどではないのだが、地味に作品の質を変貌させたと思う。

レイからの逃避行の中、打算的に体を重ねていただけだった二人に、なにか感情の変化が現れる。両人とも結構なクズ人間で、ズケズケと言いたいことを言い合いそうななのに、二人の間に微妙な距離感と引力が生まれる。この流れが秀逸。

あとは破滅的な終末を迎えるのか、ハッピーエンドが訪れるのか、そのドキドキを演出するのにレイ・リオッタの演技は十分すぎるほど。さて、悪夢のような怒涛の数日の後、二人はどうなるのか。すこし毛色の違う愛を描かせたらジョナサン・デミはピカイチなのかも。その後、彼が監督する『羊たちの沈黙』のクラリスとレクターの間にある“愛”に通じる物が見えるような気がする。

本作もジャンル分けが難しいユニークなテイスト。好みと合わないと感じる人が多そうなんだけど、隠れた良作だと思う。

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公開年:2006年
公開国:アメリカ
時 間:98分
監 督:アレハンドロ・アグレスティ
出 演:キアヌ・リーヴス、サンドラ・ブロック、ショーレ・アグダシュルー、クリストファー・プラマー、ディラン・ウォルシュ、エボン・モス=バクラック、ヴィレケ・ファン・アメローイ、リン・コリンズ 他
コピー:いつ、あなたに、会えますか。





2006年。研修を終えてシカゴの病院での勤務が決まったケイトは、これまで住んでいた湖畔の一軒家からシカゴ市内に引っ越すことに。彼女は、次の住人に自分宛てに届いた郵便物の転送をお願いする手紙を郵便受けに入れる。その湖畔の家に引っ越してきた建築家アレックスは、郵便受けに入っていた手紙を見つける。その家は、かつてアレックスの父が、今は亡き母のために建てた家だったが、家庭を顧みなかった父のせいで家庭が崩壊したという苦い過去があった。しかし、この家は長いこと空き家で住んでいた人はいないはず。手紙の内容を不審に思いつつも、アレックスはケイト宛ての返信を送る。何度かやりとりするうちに、どうもケイトがいるのは二年後の世界である模様。半信半疑ながらも文通を続ける二人だったのだが…というストーリー。

時空を超えるポストという、恋愛ものとしては、なかなかブットンだ設定。それぞれ生活に悩みを抱える二人が、時空を超えて見つめあうというとてもユニークな展開が、独特のテンポを生んでいる。荒唐無稽な設定すぎるので、一周回って、素直にファンタジーとして愉しむことができる。
アレックス側の世界には、文通相手ケイトの過去の姿が存在しており、タイムトラベル物の禁忌を犯しているようにも思えるが、どっぷりとファンタジーなので気にならない。

ただ、ストーリー運びというか演出が結構稚拙。便宜上そうしたことは理解できるのだが、文通の様子を会話形式で表現しているところに、大きな違和感。手紙で違う世界の状況を説明するのは簡単ではないはずで、その辺は端折らずに丁寧に描いてほしかったのだ。むしろ、そこを丁寧に描いてこそ、恋愛モノとして盛り上がるのではないか…と。

また、同じ犬を飼っているという設定から、死亡フラグが立っているとしか思えず、あまりに露骨なので、それがミスリードであることを是非とも期待したわけだが、残念ながらその通りに話は進んでしまう。
そして、普通に手紙を出して万事解決というオチが あまりに芸が無さ過ぎた。ヒネリが無さ過ぎた。スッキリ感が無さ過ぎた。無い無い尽くしの結末が残念すぎた。
なんとか、もうひと練りすることはできなかったものか…。勿体ないなぁ…と、小言を10分ぐらい言いたくなる作品。勿体無さすぎてリメイクしたいい気持ちになる。

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公開年:2010年
公開国:スペイン
時 間:118分
監 督:フェルナンド・ゴンサレス・モリナ
出 演:マリオ・カサス、マリア・バルベルデ、アルバーロ・セルバンテス、マリナ・サラス、ルイス・フェルナンデス、アンドレア・ドゥーロ、ディエゴ・マルティン、パブロ・リベロ、ネレア・カマチョ 他





粗暴な生活を送るアチェは、とある暴力事件をおこし有罪となるが、初犯ということもあり罰金刑となり禁固は免れる。しかし、家族からの見る目は厳しくなり、それ以降、違法なバイクレースに没頭し、虚しさを埋めていた。そんな中、とあるパーティで、名門校に通うお嬢様のバビと出会う。まったく別世界に住むアチェに対し、はじめは警戒感を持つバビだったが、それはやがて抑えられない愛に変貌し、二人は恋に落ちてしまう。バビの母親は強く交際に反対するが、かえってバビの思いは強まる一方で…というストーリー。

サスペンスかアクション映画かと思うようなジャケット画像だが、完全なる青春恋愛作品。正直、ちょっと騙された感がある。
裕福な家の箱入り娘と不良青年が出会って大恋愛をするという、いかにも少女マンガ的なストーリー。それを見栄えのよい若者が演じるという、半ばアイドル映画。どちらかといえば乙女目線で愉しむもので、おっさんには非常に厳しい作品となっている。だから、ジャケット画像でおっさんがレンタルしてくると痛い目に遭うよ!という注意報を発令しておこう。

でも、やはりお国柄の違いなのか、ノリがちょっと違う。大抵こういう作品は、ワルに見える男の子が実はいい人で…、でも誤解されて…、その誤解を解消して…みたいな波を経ながら成就に近づいていく…みたいな話が多いと思う。本作のアチェは、単純な意味でのやさしさは持ち合わせているのだが、結構な根の部分で品性が悪い。話が進んでも、悪いことをし続け、それがどういう結果を生むのか、想像できる知力もない。そのせいで、観ている男側からの共感をまったく得られないという結果に結びついている。

かなりはじめのほうで、すっかりお腹一杯になってしまった私は、ちょこちょこ他のことをしながら観ちゃって、色々観落としている模様。はじめの訴訟問題になった、暴力事件の原因が、いまいちわからなかったりする。

結局は悲恋で終わるというのも、特徴的か。まあ、さっき言ったようにアチェの自業自得感が強いんだけど、結局、お嬢様と野良犬の品性は相容れないという、すごくシビアな終わり方をする。そしてイヤミな母親の思い通りになるという流れ。まあ誰しも、思い通りにならない恋愛の一つや二つ経験はあるだろうから、せつなさくらいは共感できただろうが、失恋の悲しみから嗚咽を漏らしながら懸垂するというのは、冷静になって観るとかなりシュール。アイドル俳優の肉体美でごまかすスペイン映画のノリがすごい。

ああ、この恋は、実は大昔からスタートしていたのさ…という、なんだかよくわからないカットが差し込まれるなど、妙にセンチメンタルさを煽った演出なんかもあるのだが、茶番もそこまでくるとたいしたものだと思う。
でも、こういう真剣な悪フザケ感が、本国ではウケたんだと思う。だって続編までつくられたらしいんだもの(まあ、もう観ないけどね)。

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公開年:1959年
公開国:フランス
時 間:107分
監 督:サーシャ・ガヴァシ
出 演:ブレノ・メロ、マルペッサ・ドーン、ルールデス・デ・オリヴェイラ、レア・ガルシア、ファウスト・ゲルゾーニ、マルセル・カミュ 他
受 賞:【1959年/第32回アカデミー賞】外国語映画賞
【1959年/第12回カンヌ国際映画祭】パルム・ドール(マルセル・カミュ)
【1959年/第17回ゴールデン・グローブ】外国映画賞




カーニバルを控えて熱気溢れるリオ・デ・ジャネイロに、少女ユーリディスがやってくる。彼女は、田舎町から従姉セラフィナのところにやってきたのだが、謎の男に追われ、それから逃れてきたという。ユーリディスは街に着くと、電車で従姉の住むところまで移動することに。その電車の運転士オルフェは、唄とギターの名人で、子供たちから慕われるやさしい男だった。オルフェには、派手で独占良くの強いミラという名の婚約者がいたのだが、ユーリディスの清楚な美しさに一瞬で魅せられてしまう。その夜、祭りのリハーサルで、オルフェとユーリディスは再開。ミラの目をかいくぐって会おうとするが、例のユーリディスを追いかけている謎の男が、死神の衣装で、彼女に迫っていた。死神の姿を見たユーリディスは必死に逃亡。彼女を助けるためにオルフェもそれを追いかける。何とか死神を追い払い、彼女をセラフィナの家に送り届けると、二人はそのまま愛を交わし祭り当日の朝を迎えるのだった。セラフィナの計らいで彼女の衣装で姿を隠したユーリディスはオルフェと共に踊るが、夜になった頃にミラにばれてしまい追いかけられるハメに。さらに、死神までが彼女を見つけ追い詰めていき…というストーリー。

冒頭から、しばらくの間、お気楽なカーニバルの様子が綴られる。本当にただただご陽気。ユーリディスとミラの間で恋愛ドタバタでも繰り広げられるのかしら…なんて。ジャケット映像がいかにも死んだ女性を抱いて歩いている画だったので、ヘビーなお話だと予想していたのに、ユルユルだなぁ…って。まあ、底抜けに明るくて楽しいので良いんだけど。

中盤が近づいてきたかな…ってことまで、そんなユルユルだったのに、突然登場する死神の全身タイツの男。急に眠気が覚める。マジメな娘が、こんな得体の知れない男に、田舎から追いかけられるなんて相当なこっちゃでぇ…なんて思ってハラハラして観ていたのだが、ユーリディスがなぜ追われているのか、まったく明かされない。誰も聞かないし。そして再び、お気楽な恋愛ドラマに戻っちゃう。なんだ、この構成は…と。
#マジメな娘っていっても、今日あった男とを簡単に寝ちゃうユルさなんだけどね…。

(以下、ちょっぴりネタバレ)
カーニバルが始まり夜になると、全身死神タイツさんが再登場。その流れですったもんだがあって、なんと突然ユーリディスが死亡。その後、ユーリディスの消息を追うオルフェの姿を綴ったシーンが、グダグダ。警察にいったり霊媒師のところにいったりモルグにいったりと、それらエピソードの意図が意味不明。投げっぱなし。

さすがに、そこで気付く。これはきっと、古典か神話か何かの翻案だな…と。で、ラストで、ギリシア・ローマ神話のレリーフみたいなカットで終わったので、確信。調べてみたら、ギリシア神話の“オルフェウス伝説”をベースにしたお話の模様。よく知らんが、日本神話でイザナギは死んだ妻を黄泉の国まで追いかけるエピソードと同じ話(何か共通の元になった話があるんだろうね)。ユーリディスが死んだあとは冥府の出来事ってことか。

でも、鑑賞中に「ああ、これオルフェウス伝説だな…」って気付いたからって、おもしろく感じるだろうか。何でこれが、オスカーとかパルム・ドールとか獲れちゃうのかしら。例の死神は“死”の象徴ってことなんだろうが、ただの全身タイツさんで、周囲の人にも普通に見えているからやっぱりタダの人。なんで彼女を追ってきたのか、その理由を一切明かさないのは、ミステリアスでもなんでもなく、私にとっては単なる消化不良でしかない。
明るいカーニバルと、恋愛悲劇とのコントラスト。狙った意図は判るのだが、結局は何一つ救いのない悲劇で終えているのは、けっして面白いとは言いがたい。最後なんて、嫉妬に狂ったミラに、家は放火されるは、投石で殺されちゃうわで、ちょっとコントチックだったりして、「二人は死によって結ばれたのでした…」って感じじゃないよね。

本作に対する感想を読むと、すごく評価されていることが多い。これがわからん奴はセンスが無いといわんばかりなのだが、私にはよくわからん…と素直に言っちゃう。取り立てて貶す必要もないが、手放しに褒めるレベルの作品だとは思えない。奇作だと思うけど。

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公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:104分
監 督:ジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファリス
出 演:ポール・ダノ、ゾーイ・カザン、アントニオ・バンデラス、アネット・ベニング、スティーヴ・クーガン、エリオット・グールド、クリス・メッシーナ、アーシフ・マンドヴィ、トニ・トラックス、デボラ・アン・ウォール、アリア・ショウカット 他
ノミネート:【2012年/第28回インディペンデント・スピリット賞】脚本賞(ゾーイ・カザン)
コピー:人が出会い、恋におちるだけで それはすでに、ミラクル。



カルヴィン・ウィアフィールズは、19歳で天才作家として華々しいデビューを飾ったが、それから10年間、ヒット作を出すことができずスランプに陥っていた。すっかり心を閉ざしてしまい、兄のハリーとセラピストのローゼンタールと犬のスコッティ以外とは、会話をする相手もいない。ある日、ローゼンタールは、セラピーの一環として、大好きな人についてレポート書くよう指示する。気は乗らなかったが、カルヴィンだったが、夢に見た素敵な女の子“ルビー・スパークス”を主人公に小説を書き始める。書き始めると、ルビーに恋をしたようにするすると書き進めるカルヴィン。ところが翌朝、目を覚ますと、キッチンにルビーが立っているのだった。そして、彼が小説に書いたとおりにルビーは振舞う。自分の頭がおかしくなったと思ったカルヴィンは、ハリーを呼びつけると、ハリーにもルビーのことが見えている。彼女が実在していると確信したカルヴィンは、ルビーとの幸せな日々を楽しむのだったが…というストーリー。

『リトル・ミス・サンシャイン』の監督コンビによる、久々の作品ということで、非常に期待したのだが、ムムム…、ちょっと期待はずれだったかも。
自分が小説で書いた理想の女の子が突然目の前に現れ、加筆するとそのとおりの行動をする…という『マルコヴィッチの穴』のような荒唐無稽さ。理想的な女の子と付き合うことになったものの、時間が経過すると、耐えられないほどの苦痛が生じてくるという、『(500)日のサマー』のような恋愛模様。ユニーク!って言ってあげたいところだけど、この二作が合わさった作品。それ以上に、説明のしようがないと思う。いい形容なのでは?

理想の女の子…という設定で登場するわけだが、狙った観客の層が若めの女性だったのか、ゾーイ・カザンは女性ウケのよさそうなガーリーなキャラ。男性から見ると、あまり理想の彼女と思えないっていうのも難点かもしれない。

母親が再婚して変わってしまった…という設定も、ストーリー展開的にも、主人公の心理描写的にも、あまりいい効果を生んでいないのが残念。

ラストの受け取り方も地味に難しいかも。これは、似ている人間と出会ったということなのか、再び同じことを繰り返しているのか。さて次は実際の恋をしましょうね、どうなることやら…っていうハッピーエンドなのかな?でも、どっぷりSF的な設定が基盤になってるのに、こういう普通の終わり方はどうだろうね。

お薦めしにくい出来映え。

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image2133.png公開年:2012年
公開国:アメリカ
時 間:101分
監 督:ローリーン・スカファリア
出 演:スティーヴ・カレル、キーラ・ナイトレイ、メラニー・リンスキー、アダム・ブロディ、ジリアン・ジェイコブス、パットン・オズワルト、T・J・ミラー、コニー・ブリットン、デレク・ルーク、ロブ・コードリー、マーク・モーゼス、ウィリアム・ピーターセン 他
コピー:君に出会えたから世界の終わりも怖くない



小惑星マチルダが地球に接近していることが判明し、各国政府は協力し衝突を回避するために破壊作戦を実行した。しかし、失敗に終わり、人類の滅亡はほぼ決定的となった。そのニュースが流れたとき、保険セールスマンのドッジの妻は突如逃亡する。地球滅亡まであと3週間。人々が自暴自棄になる中、普段と変わらない生活を送るドッジは、隣室の女性ペニーと初めて言葉を交わす。彼女は、イギリスの両親に会うために最後の飛行機に乗るはずだったが遅刻してしまい、嘆き悲しんでいた。翌日ペニーは、ここ数年の間に誤配されたドッジ宅宛の手紙の束を渡すが、ドッジはその手紙の中に、彼が今でも想い続ける高校時代の恋人オリヴィアからの手紙を見つける。滅亡の日が迫るなか、街で暴動が発生。ドッジが住むアパートも襲撃されると、ドッジはペニーを救出し、そのまま街を脱出。彼は世界が終わる前にオリヴィアへの気持ちを伝えようと思いオリヴィアを探す旅に出る。そして、自家用機を持っている知人に頼み、ペニーを両親のところに送ろうと考えるのだが…というストーリー。

世界が滅亡を迎えることが決定的になるが、案外、パニックになったりしないと思うんだよね…、という発想が基本になっているが、確かにそんな気がする。全員が自暴自棄になってしまえば、社会インフラは一気に止まってしまう。それは自分もこまるから、それなりに維持されるような気がする。
こういう展開だと、結局地球は滅亡しなかった…なんていう流れも考えられるが、そうしなかったのは良かった。

保険業を継続しようという感覚は意味不明だが、働く側の一定数は恒常性バイアスが働いて仕事を続けようと思うだろう。作中では、意外と客も問い合わせくる。クレイジーだとは思うけど、案外そんなもんだよな…という説得力がある。
主人公ドッジは、長年連れ添った妻の浮気を、地球滅亡直前というタイミングで知り、一瞬怒り狂うものの、瞬時に達観。その反動なのかもしれないが、以降はとにかくいつもどおりに、残りの時間を過ごそうとする。
しかし、それ以上の強者は、ドッジ宅を週一で掃除にくる家政婦。もう、来なくていいというドッジの言葉に対して、悲しい顔をする。もしや彼女は地球滅亡のニュースを知らないのか?そんなことはありえなくて、達観の一語に尽きるだろう。そんな彼女をそれ以上説くこともせず、また来週…と送り出す。

SF設定なんだけど、立派にロマンス作品。ちょっと不思議ちゃんな感じのマチルダとの珍道中。地球滅亡というシチュエーションでなければ、絶対に親しくなることはないであろう二人。成り行きで深い関係になってしまうが、それぞれ別の目的を遂げる過程の同行者でしかない。
しかし、最後、ドッジは約束の通り、飛行機に彼女を乗せるのだったが…。

まあ、極端な舞台設定なのに、主人公が普通でいよう、普通でいようとするから、終盤に至るまで凡庸な印象は否めない。でも、それとのギャップのせいなのか、ラストシーンがとにかく神々しい。私、こんなにラストシーンだけで、心を掴まれた作品は、はじめてかも。
その神々しさの様子は、是非とも観てもらいたい。

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 image2077.png 公開年:2010年
公開国:中国
時 間:114分
監 督:チャン・イーモウ
出 演: チョウ・ドンユイ、ショーン・ドウ、シー・メイチュアン、リー・シュエチェン、チェン・タイシェン、スン・ハイイン 他
コピー:たとえ何が起きても、きみをずっと待ち続ける。



文化大革命の嵐吹き荒れる1970年代初頭の中国。農民の生活こそ人間の理想であるという思想のもと、都会の高校生は農村に強制的に住込み実習させられていた。教師を目指している女子高校生のジンチュウも農村に送られ、村長の家で農作業を手伝うことになった。その村にはサンザシの樹があり、抗日戦争で死んだ兵士の血によって、本来は白い花が赤く咲くという言い伝えがあった。村長の家には、地質調査隊員の青年スンが息子同然で世話になっていた。スンはジンチュウへ好意を抱き、彼女のことを常に気に掛け積極的な態度を示す。はじめは困惑したジンチュウだったが、彼女もスンの誠実な人柄に次第に惹かれていくのだった。しかし、ジンチュウの父親は走資派のレッテルを貼られ地方で投獄させられており、元教師だった母親も辛い労働を強いられている状況で、恋愛をしていることが明るみに出れば、教職に就く道は閉ざされる。街に戻ったジンチュウのところへスンが訪れるようになるが、人目を忍んで会う日々が続くのだったが…というストーリー。

場面転換の編集では、ゆっくり暗転し、状況を説明するナレーションが入るのが特徴的で、あまり見ない手法。『アダプテーション』では、心の声や状況を説明するナレーションを入れるなど、映画においては愚作といわれていた。しかし、小説を読んでいるような感じを演出している…というか、むしろ映像の部分が挿絵のような雰囲気を演出している気がして、本作のこれは愚作とは思わない。

主人公のジンチュウがあまりにもおぼこ娘すぎて、どんなに辛い目にあっても、昔の少女マンガのような雰囲気になる。ジンチュウを演じるチョウ・ドンユイの薄い顔立ちや、文革で辟易する周囲の大人たち、さらに彼女の友人がビッチだったりして、その対比でジンチュウのおぼこ娘感は、一層際立つ。

文革の中、切り裂かれる若い男女の姿を通して中共批判でも展開するのかと思いきや、そういう方向にはならない。いや、なりそうな雰囲気を軽く漂わせながら、純愛ストーリーが繰り広げられる…という振幅を繰り返す感じ。私は、恋愛ドラマを傘に来た体制批判的な作品を期待していたのだが、純粋なノスタルジー感あふれる恋愛童話で、女性向けの作品だった。
とにかく、スンは積極的にジンチュウにアプローチしてきて、世の女性の言い寄られたい願望を満たしてくれるだろう。何があっても、絶対に自分をあきらめないという人がいるという女王様気分に、世の女性はきゅんきゅんくるんでしょう(笑)。

もう、手を握ることすらはばかられるおぼこ娘ぶりを発揮し、枝で介して手を繋いで歩くなど、その素朴さは40年前の少女マンガ。そのせいで、自転車二人乗りとか、包帯の交換とかのちょっとした接触が、ものすごいフィジカルコンタクトに見えてしまう。
もう、あまりのおぼこぶりに、どこでヒいてしまうか…というチキンレースな気もする(笑)。さすがに、添い寝しただけで本気で子供ができると思い込み、堕胎した直後の親友を呆れさせるのは、いかがなものかと。逆に、その知識水準で教師になれてしまうというのが、本作唯一の体制批判だったかもしれない。

おぼこ、おぼこ言い過ぎだが、観終わってもやっぱりおぼこ娘映画だと思う。最後は無理やり悲恋のお話という形で落としているが、まあ、それしか落としようがない。多分、女性の3分の1くらいは、かなり好きな作品だと思う。

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image0043.png公開年:2001年
公開国:フランス
時 間:121分
監 督:ジャン・ピエール・ジュネ
出 演:オドレイ・トトゥ、マチュー・カソヴィッツ、ヨランド・モロー、ジャメル・ドゥブーズ、イサベル・ナンティ、ドミニク・ピノン、リュファス 他
受 賞:【2001年/第55回英国アカデミー賞】オリジナル脚本賞(ギョーム・ローラン、ジャン=ピエール・ジュネ)、プロダクションデザイン賞
 【2001年/第14回ヨーロッパ映画賞】作品賞、監督賞(ジャン=ピエール・ジュネ)、撮影賞(ブリュノ・デルボネル)、観客賞[監督賞](ジャン=ピエール・ジュネ)
 【2001年/第17回インディペンデント・スピリット賞】外国映画賞
 【2001年/第27回セザール賞】作品賞、監督賞(ジャン=ピエール・ジュネ)、音楽賞(ヤン・ティルセン)、美術賞(Aline Bonetto)
コピー:幸せになる

医師である父親から心臓病を患っていると勘違いされ、学校に通わせてもらえなかったアメリは、空想の世界が唯一の遊び場だった。22歳になたアメリは、自立してアパートでひとり暮らしをして、モンマルトルのカフェで働いているが、周囲の人々にひっそりとお節介を焼いたり、小さな悪戯をしかけたりして、小さな幸せを与えることに喜びを感じている。そんなある日、自分と同じように不思議な行動をする青年ニノと出会う。彼は、スピード写真のブースに捨てられている失敗写真を集めてアルバムを作っていた。はじめはそんなニノに悪戯を仕掛けようとしていたのだが、彼の行動を見るうちに、だんだん彼に惹かれていく。しかし、内気なアメリはそんな気持ちを素直に打ち明けられないどころか、自分の存在を知られることすらできずにいた…というストーリー。

ブームとまでは言えないかもしれないが、21世紀に入ってのフランス映画(ひいては欧州映画)ファンが増えるきっかけになった作品だと思う。

空想がちな少女というよりも、まともな教育環境や家庭環境で育つことができないまま大人になった女性の奇行と、人並みに恋愛にいたるまでのお話である。こう書くと、それはなんか違うんじゃ…という人がいそうだが、私にはそう見える。

いかにも女性向けテイストの作品で、主演のオドレイ・トトゥは非常にかわいらしい。しかし、彼女の行動は実は女性らしくないと思う。
彼女の行動は、周囲の人を幸せに導くことを目的にしている。人目につかないようにしているが、その行動力たるや尋常ではない。サイズの違うスリッパなんてどこで見つけてくるのやら。おまけに、手紙の偽造など、本当にそれは相手の幸せを考えてのことなのか、疑問にすら思えるものもある。一応、それら“利他の心”から生じている行動を、やさしさの表出であると考えることもできるだろう。だが、私はそうは考えない。彼女は、自分の作為によって、周囲の人間が自分の思うとおりに動くことを楽しんでいるのだと思う。この人を思い通りに動かしたいという欲求は、男性が強く抱く欲求だ。
アメリのユニセックス性は、そこから生じていると私は考える。序盤で、アメリがセックスを試みたが楽しむことができなかったくだりがわざわざ差し込まれるが、それも彼女のユニセックス性を強調したい設定だと思う。
で、当初はうまくいっていた“客観”と“周囲に影響を与えたい欲求”が、自分が恋愛の“主観”になることで、くずれはじめ苦悩するわけだ。

公開当時、世の女性はアメリの変った魅力を感じていたが、それは女性としてのシンパシーではなく、実は男性的な行動に魅力を感じていたにすぎない…。男と肩を並べて生きようするよりも、素直に女性として生きたほうが幸せよ。そういう裏メッセージがあるように見える。

まあ、どっちだとしても、女性向け作品であることには変りはないけどね。

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クボタカユキ
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男性
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映画(DVD)鑑賞・特撮フィギュア(食玩/ガシャポン)集め
自己紹介:
一日一シネマ。読んだら拍手ボタンを押してくだされ。
出張とか入ると、投稿は遅れてしまいますわ。
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